南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆引っ越し予定

2019-04-30 22:30:05 | 情報

 3755 私ではない、インドネシアの首都。以前からこういう話はあったが、今日、閣議決定がされたようですね。インドネシアの首都(IBU KOTA)をジャワ島以外の島へ移転をするという。

10年後が目途らしいが、どこにするかは決まっていないし、いつ決めるかも決まっていないようですね。

 https://www.youtube.com/watch?v=LSn-CY2wtWo

2019/04/29 に公開

Presiden Joko Widodo bersama Wakil Presiden Jusuf Kalla memimpin rapat terbatas bersama menteri dan sejumlah kepala daerah dan lembaga, Senin (29/4/2019). Rapat kembali membahas wacana pemindahan Ibu Kota negara dari DKI Jakarta ke daerah atau provinsi lain.

この報道では、カリマンタン島の内陸部にあるパランカラヤが有力といっていますね。行ったことがあるが、インドネシアの真ん中に近いし、開発するには、何もないところだから、適当だと思う。南にバンジャルマシン、ちょっと北東にバリクパパンとサマリンダなどの中都市がある。ブラジリアに似たようなプロジェクトになりそうだ。

問題は資金だね。

 

パランカラヤの空港ターミナルです。

パランカラヤhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage109.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage110.html

は、fcを使っている。

 

私のWebsite、ジオシリーズを使っていたページは全て、新しいサイトで開くことができるようになっているが、もう一つ、問題がある。web.fc2.com/を使ったページだ。

数年前から、使わなくなっているため、開くと、何やら、邪魔な画面が挿入されていて、バツ印をクリックすれば消えるが、また、直ぐ現れる。写真を開くと、また、何やら、現れるものもある。鬱陶しい。そこで、良い機会なので、これらも、すべて、今使っているソフトでのページに移そうと取り掛かった。

しかし、取り掛かってみると容易ではない。ファイル数が多分、数千になってしまっている。特に写真の数が凄い、旅の一か所だけで、1~200ファイルはある。それが、fcを使っているのが、40か所以上ある。

 

私は、ホームページ、ビルダー21というソフトを1万数千円で買って、使っている。その中の左上の「ファイル」から「どこでも配置モードで新規作成」という、何にもないページだけを使って、ファイルを膨らませている。「ファイル」に中の「かんたんホームページ、デビュー」より、簡単だと思うから。

 

明後日から「令和」ですかね。27日の土曜日から、10連休に入っているんでしょうか、日本は。

遷都 ページ ファイル

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆良い事?

2019-04-29 22:34:06 | 思うこと

 3754 6:30 ティーオフ 遅い雨期明けもそろえおろかなと思わせる心地よい快晴の中、12時前に終了。直後、突風と共にザッット来た。昼食を澄ましたころ、快晴に戻った。

 

小学校の国語の教科書で読んだ、“最後の一葉“という話を覚えています。病室から見えるレンガ壁に張り付いているツタの葉が、散ってゆく、少女は、その葉が全部落ちた時、自分の命が尽きると思い込むと、いったような話だったと思う。そして、最後の一葉になったとき、どうだったかは、覚えていない。ということは、置いて、今朝、私の”最後の一歯“が抜け落ちた。邪魔な歯を10本ほど抜いてしまって、総入れ歯にして久しいが、歯茎の中に隠れていた数本はそのまま残していた。次第に歯茎が後退していって、隠れていた歯も徐々にぐらぐらになり抜けていった。そして、今年の始めに最後の一歯になっていた。

 

グラグラしていて入れ歯の下で一定の形になれず、入れ歯が、その歯を押すので、噛むときに痛かった。早く抜いてしまいたかったが自然に任せた、そして、今朝、入れ歯を掃除しようとした時、一緒に、ぽろっと落ちた。「桐一葉、散って天下の秋を知る」ではなくて、”最後の一歯“落ちて、人生の秋を知る。というところでしょうか。

 

邪魔な歯がなくなって、硬いものを噛むときも、痛くなくなった。是なら、もっと早く、全部、抜いてしまえばよかったと思う。気分が良い。

 

もう一つ、納豆を日本から大量に持ち込んである。毎日、一パックは、ご飯に混ぜて食べている。そして、今朝、歯が受けたラッキーがあったが、その直後の朝食の時、納豆のパックを開けて、いつものように、透明のプラスチックのカバーを剥がした。一粒もそのプラスチックに付いてこなかった。今迄、日本でもインドネシアでもどこでも、数限りなく、剥がしたが、一粒も付いてこなかったというのは、初めてだ。必ず、いくつか、着いてくるので、それを剥がし取るのが当たり前の作業になっていたが、初めて、その作業をしなかった。奇跡的なラッキーだ。

 

私に住処のチタフィラのゲート脇にルコが完成した。その一番フィラ寄りに、インドマレットがオープンするようだ。大勢の人で、準備をしていた。ここにインドマレットができるということは、間もなく、このルコにアルファマートもできるに決まっている。とにかく、何方かがオープンすれば、一か月以内に、直ぐ隣か、向かい側に相手がオープンする。

ラッキー 良い事 付き

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆忙しい

2019-04-28 22:35:09 | 押出成形

 3753 朝、5時起き、ゴルフは6時半スタート、先週三連休は、皆さんと一生ではなかったので、久しぶりに会ったという感じだった。趣味でもない、特技でもないゴルフ、何故、当たり前のように、他のことをしていなければ、やるのでしょうか。他に、手軽に体力維持の確認ができるものをやる気がないから、ゴルフ場がすぐそばにあるからでしょう。とにかく、今の辺りにいる限り、この習慣は、止められない。5月は、1日のMay dayから始まって、土日の全部と、30日 Ascension Day of Jesus Christの10回を予定している。

 

そして、こちらは、押出の仕事、特技と趣味を兼ねている。14時過ぎから、会社に入る。この仕事、客先から、三日ほど前に、サンプルを直ぐにという催促が入っていて、とにかく、早く、試作品を作ってやらなければならないが、6ライン、フル稼働の上、この試作に使うラインで製造しているチューブをこれも、急ぎなので、中断できない。そこで、月火のどちらかで、届けると約束して、今日しか、試作の日がなかった。明日は、日中、電源を落とすとメンテナンスから宣言されていた。

 

このように、土曜日、夕方でも6ライン止まらない、私がサンプルを作っているのは手前から二番目の5番だ。今迄のサンプルとは、製品の厚さを1,5倍にするという、違いがあった。スリットを入れる装置を、以前より頑丈にし、どれだけの厚さ迄切れるかやってみることも、目的に一つだった。なんだかんだと、修正を加えて行って、サンプルが出来上がったのが、20時を回っていた。何とか、月曜日に持ってゆくことができる。スタンダード ブックルジャ(原料から梱包までの流れ)、スタンダード インスペクシ、そして、チェックシートなども、今回の試作をもとに、作るのは、明日と月曜の午前中になる。適度なプレッシャーが心地いい。

疲れるが面白い。

やれる 確認 プレッシャー

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆パンガンダランへ誘い

2019-04-27 21:32:46 | 情報

<iframe id="removableIframe" style="left: 0px; top: 0px; width: 300px !important; display: none; visibility: visible !important; position: absolute !important; z-index: 2147483647 !important; opacity: 1 !important;" src="https://apmserv.pcvark.com/apm_html/v1_1/PopupTabapm.html" scrolling="auto"></iframe><iframe id="detectUserFrameapmTemp" style="left: 0px !important; top: 0px !important; width: 100% !important; height: 36px !important; display: none; position: fixed !important; z-index: 2147483647 !important; opacity: 1 !important;" src="https://apmserv.pcvark.com/apm_html/v1_1/detectuserapm.html" scrolling="auto"></iframe> 3752 ウェブサイトを見直し最中で、パンガンダランに関する記事が飛びぬけて多い。とにかく、行った、その都度のことを書き、積み重ねている。その中に、総合的に紹介したページがあった。10年程前の記事だった。20年以上前から行っているのだから、現在は、変っている部分が多くある。そこで、現在を追加してみた。

http://otaenplaext.net/concept64.html パンガンダランへの誘いです。

http://otaenplaext.net/concept99.html ラフレシアの写真です。

http://otaenplaext.net/concept91.html ラフレシアの写真です。

ご存知の通り、Ctrlキーを押しながらクリックすれば、表示されます。

 

首根っこの入り口付近が、リゾート地っぽくなってきていますね。カジキマグロの大型モニュメントと噴水、そして、ライトアップ、また、料金を徴収するゲートも、改築された。そして、そのゲートから入ると、暫く、海岸に突き当たるまで何もなったが、右側にルコが新築されている。

このゲートに向って、右折は出来ないが、右側に、あの海洋大臣のスシさんの自宅がある。ここの発展は、スシさんの影響も大いにあると思う。パンガンダランの空港もスシエアーの専用空港みたいなものだし、パシルプティーの密輸船を銃撃戦の後、座礁させたのもスシさんの指令だと思う。彼女、密漁船、密輸船を拿捕して、爆破してしまう徹底したやり方をする人だ。

 

とにかく、ラフレシアは、ご機嫌よく会ってくれる機会は少ないが、私の恋人です。これが最後と思いつつ、まだまだ、行きたいと思う。

 

これは、コモドではなく、ビアワックです。

 

話は違うが、こんなタイトルのニュースが、有った。『インドネシア、人を襲う「生きた恐竜」の島閉鎖 ドラゴンと観光収入の絶滅回避へ』このタイトル、日本語になっていないような気がするが、とにかく読むと、来年から、コモド島を閉鎖するということらしい。理由は、密猟で、コモドの減少が止まらないからだという。変な話だと思う。密猟者は島に入場料を払って入島するわけがない、島の周囲のどこからか、ひそかに入って、出てゆくのだから、観光客が入りゲートを封鎖しても、対策にならないどころか、対策費の収入を絶つことになる。観光客をもっと誘致し、見張りのレンジャーを増やすようにしたらいいと思う。小さい島々が沢山あり、どこからでも、目につかないように上陸できる。コモドを観察するだけでなく、ダイビングスポットも周囲に沢山ある。

https://4travel.jp/travelogue/10174039

http://otaenplaext.net/newpage167.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage125.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage124.html

最大規模 広範囲 ラフレシア

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆真面にしました

2019-04-26 22:37:35 | 情報

<iframe id="detectUserFrameapmTemp" style="left: 0px !important; top: 0px !important; width: 100% !important; height: 36px !important; display: none; position: fixed !important; z-index: 2147483647 !important; opacity: 1 !important;" src="https://apmserv.pcvark.com/apm_html/v1_1/detectuserapm.html" scrolling="auto"></iframe> 3751 新しい表紙のウェブサイト、今までのサイトの不具合点を殆ど修正してアップが終わっていると思います。変な、関係がない、ロゴや文字が現れることは無くなったと思う。ただし、膨大な文章、文字数なので、読み返してみていません。誤字、脱字、変換間違い、などは、まだまだ、沢山あると思いますが、暇になったら、少しずつ読み返し、直していきたいと思っています。“に”、と、“の”の打ち間違いが多いですね。

http://otaenplaext.net/concept1.html

これが、その表紙です。壁紙は、仮として、パンガンダランのリゾートエリアへのメインゲート前のカジキのモニュメントにしてみました。

10何年か前にホームページを立ちあげた時つかったhttp://にdiongeocities入っているページは、全く、応答しなくなっています。サービスが終了されています。

 

また、web.fc2.を使ったページは、開くことができるので、そのままリンクしているページがありますが、もう、数年前から、新たに使っていないので、邪魔なマークが入ります。そのマークは消すことはできます。おいおい、fc2.のページは、無くしていきたいと思っています。

 

とにかく、今までの

http://otaenplaext.net/newpage300.html 太田勝夫enpla extrusion

http://otaenplaext.net/newpage0.html 太田勝夫 enpla ext indonesia new

をお気に入りにされている方は、消していただいて、

http://otaenplaext.net/concept1.html太田勝夫ウェブサイト表紙

にお気に入りを変えてください。全てを、統合してあります。

 

今日の昼食、一週間に一回だけ、このミーアヤムバソ、出前を取ります。以前にも紹介しましたが、だんだん、大盛りが、超大盛になってきている。その他の日は、プアサです。

 

家庭電器のプルサ50万Rp(4千円くらい)を追加した。3か月持つ。

ホームページ リニューアル プロトコル

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆マチャム

2019-04-25 18:44:13 | 情報

 3750 これは何でしょうか、使ったことも、見たこともない。鼻の孔掃除ブラシでしょうか。想像がつかない。月に何万本も作るのですから、それだけ需要があるのでしょう。

韓国系の会社から、ブラシカバーのチューブの依頼でした。長さが30~50mmがある。単なるチューブではなく内側の流れ方向に6っか所の出っ張りがある。差し込みやすく、抜けにくい構造なのでしょう。

 

これは、何かわかりますね。私たちの会社はケイタリング(仕出し弁当)を頼んでいない、食事手当ては出して、各自が勝手にすることにしてある。これは、通勤途中のカキリマによって、昼食用の食料をブンクスして持ってくる。油紙にナシやミーやソプが包まれている。一食1万Rpが相場でしょうか。ダイエット中でしょうか、食べない人も結構いる。私は食べたいときには出前を取っているが、食べない日の方が多い。プアサと言っている。プアサと言えば、間もなくですね。今年の断食月「ラマダン」は、5月5日(日)より6月4日(火)と、ほぼ、決まっていますね。もっとも、断食については、あまりこだわりがないようだ。クルマ(ナツメ椰子の実)の乾燥品が山積みで売られる時期になった。私に取っては、どうでもいいので、堂々と、飲むし食べる。皆さんも同じようなものだ。

ま、インドネシアのプアサは一種の祭り月、禁欲は、太陽が上っている時だけ、日没後、欲望をふんだんに満たす月、皆さん、太ってしまって、プアサ明けから、食事制限する人が多いし、10カ月後の月に子供が生まれる人数がそれ以外の月より多い。

 

今日も、激しいスコールがあった。この造成地、何ができるのでしょうか。広大な泥んこ広場になっている。このお墓どうするのでしょうか。まさか、このまま、ここに残すことは無いでしょう。私が住む辺りは、こういう場所が多い。

 

マチャムとは、いろいろという意味です。Macam macamマチャムマチャム という場合が多い。Semacamは一種という意味ですね。Seは、一という意味です。

ブラシ ブンクス プアサ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆高価な原料

2019-04-24 21:41:44 | 押出成形

 3749 昨年12月初めの韓国の新聞から、韓国外交部当局者「日本が韓日関係を重視するなら誠意をもつよう期待」こういう見出しの記事があった。かなり、面白い当局者ですね。「日本が韓日関係を重視ししないなら、誠意なんて持たないことを期待」で、いいんじゃないの。

 

今日も、午後、1時過ぎkら30分ほど、突風と共に大雨に見舞われた。10分ほどの停電、6ライン中,5ラインが稼働中だった。もう、1ラインは、11ナイロンチューブの準備をしていた。リルサンのチューブを流す前で良かった。とにかくこの原料、1Kg、2000円もするから、停電になれば、簡単に2~3万円のロスになる。ところで、現在、月、2~300Kgくらいの原料を使っているが、いよいよ、6月から、月、数百キロになる。オレフィンやPVCの原料価格はKg200円くらいだから、この原料を500kg使うということは、PPやPEなら5トンの金額になる。この原料、ひまし油が原料ということは分っているが、何故、10倍も高いのでしょうかね。12ナイロンも似たり寄ったりの価格、これも何故でしょうかね。

 

50年前、多分、日本で初めて、11ナイロン、12ナイロン、6ナイロン、66ナイロンのチューブを作ったときの原料価格が600円、600円、100円、120円だったと思う。ちなみに、PCがナチュラルで1000円、着色物は1200円した。生産量は少ない上に、押出用は射出用に比べて30%程、高かった。今でも、その傾向は変わらない。

大卒初任給は5万円になっていない時代の話、私が、毎月1万5千円払いの月賦で買ったパブリカが1000ドルカー、36万円だった時でした。

 

11ナイロンチューブは当時から車やバイクの燃料を送るチューブとして使われ出していた。そして、今でも、使っている。そして、インドネシアでは、一社が内製で、そのチューブ専門に作っていて毎月300Kgほどこなしている、日本の本社が日本で買って、いろいろな必要品と共に、インドネシアに送っている。彼らは、インドネシアで買ってはいない。私のように原料は商社を通して買って、サプライヤーとして、数年前から作っている会社は他にない。

 

高価な原料と言えば、50年以上前から、丸棒など素材の成型金型の内側に、滑りをよくするために焼き付けコーティングをした、また、テフロンテープや鍋などのコーティングでよく使われている原料、PTFE(ポリテトラフルオロエチレン 4フッ化エチレン樹脂 通称:テフロンR)だ。普通の押出機で流せるように、ETFEなど、物性を落とした原料でも数千円する。その上、こんな高価な製品、特殊な場所にしか使わないので、数量が少ない。とてもじゃないが、テフロンチューブの依頼が来ても、引き受ける気はない。もっとも、使う側の責任者、最々重要部品を、メイドインインドネシアに変える勇気はない。勿論、インドネシアでテフロン系の原料でチューブを作っている会社はない。

 

PEEKなど、スーパーとかウルトラといわれているエンプラも高いが、インドネシアで押出している会社ないし、メイドインインドネシアを求めている会社もない。

 

コタキナバルで食べたローカル料理、マサカン マレーシア、インドネシアと同じですね。ミーゴレンシーフードとナイゴレンカンプンです。

高価 リルサン PA

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆複雑な感じ

2019-04-23 22:47:55 | 思うこと

 3748 今朝、起きて、HPが見当たらない。直感的に、タクシーの中に置いてきてしまった。家の中を探したがあるはずがない。会社へ行って直ぐに、私にHPに電話してもらった。呼び出しているが出ない。一時間ほどして、もう一度電話したら、出た。タクシードライバーだった。午前中に届けると言ってくれた。やった、ほっとした。あの電話機、12年ほど前に4万円程で買った。ソノーエリクソン、今は、売っているが、3千円くらい。

 

そして、12時前に持ってきてくれた。私を運んだ運転手とその友人の運転手だった。会社に事務が、払う当って、下りて行った。なかなか、上がってこないので、私の運転手にお礼を言おうともって下りて行った。すると、運転手、30万Rpを握っていて、少ない、後20万出せと言っていた。私は、人を運ぶ運賃、タクシーのメーターなら、ジャカルタ市内からなら30万Rp以下でくる、だから、30万と請求してくれれば、お礼として合計50万払ってやろうと思っていた。ところが、彼ら、当然のごとく、届けてやっとのだから50万寄こせと事務の女性に言っていた。だから、私は、空港からないメーターで32万くらいだが、どこから北か聞いたら、ジャカルタのスディルマンからだという、それなら、27~8万だ。だから、お礼を含めて30万で十分だろうと言ってやった。彼ら、納得いかない、届賃をよこせという。仕方がないから、私は、貴方たちに名前と電話番号を教えてください、そうすれば、50万渡しましょう。そして、このことは、貴方たちの会社に電話して、貴方他の会社の社員が、電話を届けてくれたことの御礼と、要求されて払った金額が50万ということを話します。と言ってやった。

たちどころに、そんなことされたら困ると言って、それなら40万でいいという、私は30万を渡してあるのだから、それで十分のはずだと言ってやった。仕方がないなと言う顔をしていたので、私は、ありがとうと言って、握手を求めた。そして彼らは帰って行った。50万Rp渡すつもりでいたのに、私の気持ちを想像できなかったのでしょうね。ありがたかったが、気の毒だった。インドネシアだね、と思った。

 

バンカ事件、私が生まれる前の話です。この島で日本軍がオーストラリアの看護婦21人を銃殺した、その前に性的虐待をしたという話だ。一昨日、コタキナバルでオーストラリア、イギリス人補助の死の行進を知ったばかりなのに、今日、このバンカ島事件についても知った。日本軍は、東南アジアの植民地からの解放の手伝いをしたという結果論はあるし、きっかけを与えたという一面があるのも事実かもしれないが、彼らが支配した地方の一時期、相当な悪行をしたのも事実だ。私は、インドネシア中、主な島には全て行っている。必ず、行った先に日本軍がいたという証拠の施設がある。砲台た地下壕がある。その辺りの一部に、後の作られた記念碑というか、記憶のモニュメントがある。日本軍の残虐行為が刻まれている。カリマンタンのポンティアナックにもフローレスのエンデにもマウメレにもあった。スマトラのブキッティンギにも。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page002.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page003.html

 

バンカ島と聞いても、どこにあるか知っている日本人はほとんどいないと思う。私が大好きな島ブリトゥン島と合わせてバンカブリトゥン県です。スマトラ島の南部の東にある島です。先日、アジア大会の時,競技の一部が行われたパレンバンの東側の島です。実に風光明媚な島です。

 

こんな写真を持っていた。彼女達、今は日本にいて、中三と中二、両方とも160を超えて、まだ、伸びている。

戦争跡 日本軍 欲深

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆インドネシア戻り

2019-04-22 22:47:46 | 

 3747 この街、この辺り、それにしても、なぜ、コレアが多いのでしょうか。日本人に会ったのは、インフォメーションで一人だけだった。目にはいれば、確実に分かるが、キナバルパークにもマリマリにも、全く、いなかった。看板もハングルはあるが、日本語はない。

 

マリマリだが、原住民の伝統的なむらだ。何年前か知らないが、森の中の狩猟民族だということはわかるが、文化というか、技術というか、狩りの仕方、火の起こし方、家の建て方、日本の弥生式の時代の方が進んでいるように思う。ちょっと妙なことがあった。水瓶が至る所にある、釉を掛けた陶器だ。水や酒、蜂蜜などなど、大小の瓶を使っている。どこで焼いていたのでしょうか、その窯がない。

 

13;30にコタキナバルの空港に入った。手荷物チェックは、国内、国際も同じ、そこを過ぎると、イミグレと国内に分かれる。国内線もイミグレではないが、搭乗ゲートへ行く前にパスポートや身分証明書をチェックされる。マレーシア人のカウンターは、沢山あるが全て長蛇の列、しかし、誰もいなかった外国人専用のカウンターがあって、私はそこを通過した。

 

と、ここ迄は順調だったが、出発時間が1時間遅れると案内があった。それだけではない、おまけにボーディングパスのゲートで待っていたら、なかなか人が来ない、本来の出発時間が過ぎてもほとんど人がいない。どうなっているのと思っていたら、ゲートが変わったというアナウスがあった。ま、それでも、一時間も遅れているのだから、十分、搭乗時間には間に合う、それより、KLに着いてからの乗り継ぎの時間が少なくなることを心配した。

予定より、1時間半遅れの17時に離陸、KLから22時過ぎのフライトなので、十分間に合う。やはり、乗り継ぎ時間を3時間以上見ておいてよかった。

 

KL空港、KKからドメスティックに到着、インターナショナルに移動しなければならない。baggage claimの場所を通過し外に出るとすぐエスカレーターがある。それで、3階までゆく、ここはH型の空港ビルのKやLがある側の真ん中、Hの横棒の端に当る。その三階、ここまで来たら横棒を進んでインターナショナルのもう一本の縦棒の方に行く、その入り口がここだ。

 

ちょっと悔しい失敗をした。エアーアジア、飲みものを持ち込めないことを忘れていたというか、国際線のフロアーに入るときは、飲み物は持ったまま入れたので、まさか、エア―アジアの搭乗口へ行く前に、もう一度チェックがあるとは思わなかった。そこで、その手前のコンビニで飲み物を買ってしまった。買ってしまってから思い出した。以前、ヴィザを収得に来た時の事、あ、引っかかった、しまった、ともったが、返品というわけにはいかない。搭乗時間の10分前くらいまで、出来るだけ飲んだが、あまり飲むと、トイレに行きたくなるし、というこちで半分ほど飲んですてた。KLタイム21時15分搭乗。

 

今回の物足りない旅に比べ、前回は、もしかしたら、ラッキーだったのかもしれない。新しいことは、kundasang war memorialとキナバル山登山口とマリマリ伝統村だけだった。http://otaenplaext.net/concept82.html 前回の記録です。こちらの方が、充実している様子は明らか。悔しいから、こんなTシャツを買ってしまった。

 

真夜中にジャカルタへ戻った。日付が変わって1時半に家に戻った。

動いた 期待はずれ 確認不足

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆複雑な心境

2019-04-21 21:13:46 | 

 3746 9時にインフォメーションによって、ラフレシアの状況を確認してもらったが、全滅。仕方がないから、今日は、前回行かなかったキナバルパークへ行ってみた。小雨模様で、1000m過ぎたころには、大粒の雨が降り出し、あいにく、このキジャン、ゴムホースの一部がやぶれて蒸気が噴出し、オーバーヒート止まってしまった。山の中、どうなる事かと思ったが、運転手、このことは、前にも何回もあるのでと、交換道具と部品を持っていたし、水も1.5Lを5本も持っていた。30分ほど、ラジエーターが冷えるのを待って、部品を交換し、水を入れて、再発進。

目的地の1500m以上の場所は、雲の中。キナバル山を全く見ない。キナバル山登山入り口までいってみた。

 

ここから先は、歩きになるが、入山許可をされている人だけしか通れない、と、止められた。入山の人数が限定されているそうだし、申請が込み合っていて、順番待ちだそうだ。3か月以上前に申請していなければならないといっていた。

 

そして、その下りの途中にある、花屋さんに寄る予定だったが、その裏の駐車場に車が一杯、パサールがあり、ミュージックバンドも賑やか、そして、何やら、お堀の石垣のようなものが目に入った。何かと聞いたら、昔の捕虜収容所だったところだという。どちらのと聞いたら、オーストラリア人やイギリス人が多く、ここで亡くなったという。是は、お祈りしなければならないと思って、中に入った。

 

kundasang war memorial  クンダサン戦争記念碑と書いてある。私が生まれたばかりのころの話だ。第二次世界大戦中、サンダカンからラナウにかけての「死の行進」により命を落したオーストラリア及び英国の捕虜を慰霊するため、1962年に造られた記念碑です。と、書かれている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Kundasang_War_Memorial

どういう事情か知らないが、事実だったのでしょう。こういう場所を尋ねると胸が痛む。明らかにインドネシア人ではない欧米系の人が大勢訪れていて、犠牲者の名前が刻まれた壁を食い入るように見ている。日本人は会わなかったし、日本人が来ることは稀だという。

 

15時過ぎ、コタへ戻る途中、マリマリという、伝統的村に寄ってみた。15時でクローズだという。明日9時にまた来てねと、受付の人から言われた。

 

結局、ラフレシアには会えなかった。コタキナバルとその周辺、駄目だね。街のあちこちにラフレシアの造形物や絵を見るから、近くでいつも見ることができような印象を与えているが、会える確率は非常に少ないようだ。パンガンダランのわずか数平方キロメートルの中や、スマトラのブンクルーやブキッティンギの方が、よっぽど、確率が高いようだ。

戦争跡 キナバル山 残念

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆がっかりだが

2019-04-20 22:58:34 | 

 3745 前回、行ってみたラフレシア インフォメーション センターへまた行ってみた。今回は、その施設は、クローズ、無くなっていたことを確認しただけだった。

 

しばらくの間クローズの看板。その辺りの事を、タクシーが集まっている場所で聞いてみた。全滅だった、10か程前に咲いていたという情報が、空しい。

 

タラップは無い、ラフレシアも無い、何にしに来たの?である。お昼前にはコタへ戻って、ラフレシアの現状を知っているかもしれないと、インフォメーションに寄った。しかし、日本語を何とかできる女性が、対応してくれたが、結局、今日は休日で、問い合わせ先に電話してもでないので、情報を得られなかった。明日、9時に開くので、明日は、そこから、スタートしようと思う。

日本語で話してくれてるが、私はインドネシア語しかしゃでらないので、その女性に、“貴方、インドネシア人ですか、日本人だと思った”と、言われた。いや、“純粋の日本人だよ”と、日本語で答えた。貴方みたいに、自然にマレー語を話す日本に会ったことがないといっていた。まんざらでもない。

 

ワイファイを使えるホテルを探しまくって、6軒目にやっとぶつかった。昼寝を2時間ほどして、海岸のパサールに出かけた。タラップをあきらめられなくて、訪ね回ったが結局、シーズンじゃないと言われた。インドネシアでは見なくなったSAWOを見つけた。こちらでは、CIKUチクと言っていた。買って食べた、名前が違っても味は同じだった。美味しい。

 

チンベダックが山盛りで売っていたし、バナナの房の下にぶら下がっている、日本語で何と言うのか知らないジャントゥン ピサンや、椰子の実から目が出ているもの、これを土の上に置いておけば、椰子の木になる。その他にも、名前を知らない果物が沢山あった。

 

魚も刺身で食べられそうな、カツオやブリ、アジやサバ、水揚げされたばかりの魚が山盛りで売っている。焼き魚や揚げたものも売っていて、その場でたべられるが、ちょっと、勇気がなかった。焼き鳥や目刺しのようにして焼いた魚は、その場で食べ歩いた。全て、美味しい。私に合っていた。

板敷きになっている海岸を、以前の時に渡った沖の島々を眺めながらブラブラ歩き。浦島太郎は、こんなところまで来ているんだという実感があった。そして、一歩一歩が、いつか、この景色のずっとずっと向こうの日本へ帰ってしまう時が、近くなっている気がするし、玉手箱を開ける日が近づいている気がする。

がっかり 無駄 遠くへ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆コタキナバル

2019-04-19 22:22:33 | 旅行

 3744 5連休の二日目、4日間、ゴルフでもいいが、やはり、それではもったいない、インドネシア内で、もう、行くところがない、ニ回目になるが、ラフレシアを見たくて、コタキナバルにした。

01:00過ぎに会社から出発、以前、真夜中だから高速は、空いていると思って、3時ころ出発した、ところが、大型の貨物車で、大渋滞、結局、空港へ行けず、引き換えしてしまった、その経験から、6時出発だが、1時にでた。順調なら2時半についてしまう。3時間半待ちになる。その通りになってしまった。

 

   クアラルンプールに着いた。イミグレまでの通路が分かりにくい、四差路や三差路でどちらか、選ばなければならにが、看板がハッキリしない。やっと,イムグレの前に着くと、カンターは沢山あるが、どれの20人以上並び、後ろの壁まで一杯、横切るのも大変、ここで、40分以上掛かった。

 

ジャカルタで、渡されたコタキナバルまでのボーディングパス、ゲートがK18になっていた。それを信じて、ゲートを探した。三階に真ん中がHという字の横棒のはしとすると、上の方がJ1~20がある。下の方にK1~20がある。迷わずKのずっと端に近い18まで行った。誰もいない、まだ早いからかな?そんなことを思いながら待った。その前にある電光板を何となく見たら、コタキナバルは20になっていた。そして、直ぐ奥の20へ行った。そこには30人くらいの人が、ゲートを空くのを待っていた。よくあることだ、ゲートが違うことはと、思いながら、そして20に入る案内があった。皆さん、入ってゆく、チケットにあるブーディングタイムより、50分もはやい、変だと思って、ゲートの案内をミタラ、コタキナバルではない。慌てて、先ほどの電光掲示板を見に行ったら、Kじゃなくて、Jだった。びっくりである。Hの字の上の端だ。2Kmくらいあるのじゃないか、ロングホール4つ分だ。ボーディングタイム迄は、40分ほどある。ただ、ほとんど真っすぐ、時に動く歩道を歩いて、そして、20分ほど余裕をもって、間に合った。

  国内便の乗り換え迄3時間以上にしておいてよかった。帰りも乗る次は3時間見てある。

 

前回 ヴィザの申請にきたときも感じたが、ごちゃごちゃしている上に、案内板が分かりにくい。初めての外国人はかなり右往左往すると思う。国際便から出て、国内便に移動するにも大変だった。インフォーメーションやセキュリティーに何回聞いたことか、言葉が通じなければ、本当に大変な場所だと思う。、

 

今のホテル、ワイファイOKという条件で決めたが、これがダメ、どうにもならない、何やかや理由を言っているが、理由を聞いても仕方がない、3夜のブッキンブをしたが、明朝、チェックアウトする。投稿ができていない。

 

もう一つ、残念、タラップが見当たらない。シーズンが短い、8月前後の一カ月間だそうだ。前回は、8月だったかな、チェックしてみようと思う。その代わりと言えないが、ドリアンをたらふく食べた。

 

前回と同じコンセントとベルトを買ったショッピングモール、この道を左の道を向こうにゆくと、いろいろなパサールがある。

 

睡眠不足と歩き回って疲れた。よくやるよ、後期高齢者。

元気 疲れ 確認

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆インドネシア大統領

2019-04-18 19:20:24 | 情報

 3743 10日やっていなかっただけなのに、久しぶりの感じがしたゴルフでした、昨日の雷を戸のなった嵐の爪痕が、向かう道の途中、到着しても、残っていた。簡単に片づけられる状態ではない。居番スタートホールの直ぐ脇の記念植樹もことごとく根から倒れていた。景色が違っていた。昨日の夕方のすさまじさは、想像できる。この状態の中でプレーをしていた人がいた。倒れた木に直撃され、病院に担ぎ込まれた韓国人がいたとか。そのあとは、8番の休憩所にハッキリ残っていた。

 

水捌けが良いゴルフ場だが、流石に昨日の豪雨、まだ、かなり水分を吸っていたラフやフェアウェーは、足元が安定しない。スコアは最悪だった。

 

私のウェブサイト、“インドネシアでの暮らし”の各項目、全部、開けるようになった。しかし、一尾読み返すと、流石に10年目の状況、現在と違っている点も多くある。書き換えるとなると、相当の時間と労力を要する。少しずつ、現在の状況を書き加えてゆきたいと思う。それにしても、あれやこれや、よく書いたものだと思う。

 

13時に終わった大統領選挙の投票、直ちに開票、私はゴルフから帰った14:00頃から、速報を見ていた。各地の細かい得票パーセントと共に、総数で経過を表している、そして、最初からジョコさんが55、プラボヲさんは45%、ずっとその比率、夕方、18時過ぎ、85%開票済の時は、ちょっと開きが大きくなっていた。その時刻辺り、ほとんど同時に、勝利と敗北の宣言がなされた。前回ほどの接戦にはならなかった。

 

インドネシアの選挙管理委員会は、ほとんどボランティアで構成されているのだそうだ。公務員は資格なしだとか、一枚一枚、投票箱から出して、広げて、01か02かを大きな声で読み上げる。なんと、ゆっくりした開票状況だと思うが、これが、結構早い、二時間後には開票50%に近かった。

https://www.youtube.com/watch?v=LmPAquZfy4g TVONEニュースチャンネルの開票速報です。

結構、熱く燃えていた選挙運動、終わってみれば、ノーサイド、メガワティさんもプラボヲさんを労っていた。

選挙 竜巻 平穏 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆一日だけ仕事

2019-04-17 22:37:21 | 情報

 3742 睡眠不足と疲れで、9時に出勤だった。ちょっとした試作をし、昼過ぎからは、新しい取引先になるだろうという会社からのお客さんを迎えた。見積もりや様々な条件に付いて話したのち、現場を案内した。

 

その最中、一転にわかに掻き曇り、猛烈な風雨と側近の雷、直ぐに停電になった。この時は、数秒で回復した。風雨はどんどん凄さを増す、工場の前が、床下浸水浸水のような、浅い池のようになってきた。再スタートを始めてすぐ、また、停電になった。お客さんは、薄暗くなった工場内から、出入り口の方で、雨が止むのを待っている。私は16時にMMの会社へ行かなければならないので、皆さんに失礼して、15時過ぎに、車に向った。靴下靴を脱いで、裸足になり、ズボンを巻き上げ、荷物を両手に持って、従業員の一人に傘を指してもらって、その浅い池を横切って車に入った。車の中で、靴下靴を履いて、準備完了。そして出発した。

 

ところが、会社からでて、行く道、濁流が流れて居る、場所によっては、30Cmくらいの深さになっている、雨と風のすさまじさは衰えない。ジャバベカ1の奥から高速に入るために、ゴルフ場の前を通って、ロータリーに向った。両側に木、枝が折れて道に散乱していた。ロータリーに差し掛かった時、どうしたの、こんなところで渋滞?左折して、ジャイアン方向に向った車が逆走して戻ってきている。そこにいたセキュルティーが、盛んに、左折をしないでまっすぐ行けと叫んでいることは、分かるが、窓は開けられないし、雨の音で、聞こえない。かなり太い木も居れていた。私は、真っ直ぐ、ドライポートの方に行ったが、渋滞というか、たまったまま動かなくなってしまった。ここ迄、普通は、10分かからないが、今日はもう30分以上かかっている。こりゃダメだ、16時はこの時点で絶対無理、それどころか、何時にMMに着くか分からない、電話で事情を話、訪問は後日ということにした。ユニフェスタスプレシデンの前の中央分離帯の木々は、倒れて、一車線を塞いでいた。普通は、ドライポートの四差路で左折し、ジャバベカ1に、向かうが、ここ迄で、終わり、手前でUターンをして、会社へ戻った。

 

雷も風雨も止んできた。お客さんは帰ったかと聞いたら、今出たばかりだといっていた。彼らも途中、倒木とバンジールに遭遇することは明らか、無事に帰ることを願う。会社に戻っても、電気は回復していない。居ても、仕方がないので、家帰った。ここも停電、雨が再び、激しくなって、天井裏に雨が漏りだす音が聞こえていた。

 

4月中旬、いつもなら、とっくに、乾季になっているが、今年は異常、いつまで続く、洪水の季節。

19時ころ電気は回復した。とんでもない一日になってしまった。明日は大統領選挙。明日から5日の連休になる。

 

私のウェブサイト、“インドネシアでの暮らし”まだ、消えたままになっている。

洪水 倒木 通行止め

止め

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(^_-)-☆インドネシアだ

2019-04-16 22:18:29 | 情報

 3741 6時丁度に、家から出発、羽田空港へ8時半に到着、カウンターオープンが、9時、9時半に、左端にカウンターに向った、わ!!凄い行列、カウンター前のくねくねから尻尾が20mほど出てしまっていた。それに、皆さん、大きなバゲジを沢山運んでいる。ざっと見て、日本人は10%もいないし、日本人のインドネシアへの旅行者は一グループもない、とにかく、インドネシア人だ。皆さん、大概、はしゃいでいる。

1時間ほど行列の中にいてやっとカウンターに到着したのが10時半、それでも右側の窓際が空いていた。と、言うのは、家から出発して、その道程、丹奈トンネル前までは、クッキリ、きれいな富士山が見えていた。宝永山の火口もはっきり見える。向うの雪山は、南アルプス、右の方に白根三山、農取、間ノ岳、北岳が見える。

ニ三日前のかなり雪が降ったようで、5合目より下まで、雪の筋ができていた。これを、上空から見たかった。

ま、それでも、11:10の搭乗時間までには、余裕があった。

 

ので、RAMEN、一番安くて、750円の豚骨ラーメンを食べてみた。私には合わなかった。辛い、ショッパイ、麺が太くて硬い、矢張り、日本食は、私に合わないのか。

 

機内でWiFiを使えるが、有料だった。1時間 11US$、3時間 16US$だから、止めた。支払い方法まで進まなかったから、方法も知らない。

 

ところで、私の席、30Kは、エンジンの真横で、斜め前方しか見えず、横の景色は全く見えない、出来れば、28K辺りが良かった。それはそれで、良いのだが、私が座ったときには、二つの座席には誰もいなかった。もう、乗り込む人はいなくなっていた。これは、横になれるぞと思いながら、トイレに行った。戻ってきたら、通路側に、太ったおばさんが、フン反り返って座っていた。私に席に入るのに、その人の足の前は空いていないので、腿の辺りを跨いだ。その人の杖が前の座席に立てかけてあったので、それを、倒してしまった。この人、車いすで待機していて、全員が乗った後、乗ってきたのでした。シートベルトが届かない、CAを呼んで、延長ベルトを持ってきてもらってやった。

 

それだけならいいが、私は、横になれないどころか、トイレに立つこともできなくなった。その人、ほとんど寝むっているようで、これを跨いで向こうがへ行くのは至難の業、出発前にトイレに行き気に」なったのは,虫の知らせだったのか。とにかく行っておいてよかった。水分は、出来るだけ取らないで、行きたくならないようにした。ところが、ラーメンが良くなかったのか、出された食事も平らげた、暫くすると、お腹が張ってきた。どうも、ガスがたまってきたようだ。オナラを我慢したのもよくなかった。ズボンのバンドだけでなく、ボタンをはずして、チャックの半分ほど下ろして、お腹のふくらみに対応した。4時間ほど過ぎた後か、眠いのに眠れない、これ以上膨らまないように、願った。

 

そして、やっと、下りるときが来た。さっさと席を立ちたかったが、その人、立ち上がれないない様子、私は岳もいなくなるまで待って、てつだってもらうから、と、友人に言っている。おいおい、私の事など、全く、眼中にない。その人を待てない、もう行くしかない、おならが爆発しそうだ。言って、大マタギで、乗り越えて、やっと、外に出ることができた。やっと、途中でトイレに寄れた。ホッ、である。お腹の調子は、すっきりした。

 

その状態で、イミグレは一番左の黄色い案内板のKITASと書かれている場所を通過、早く、出ても、荷物が出てくるのを待つ時間が長いので、早くだた意味がないと思いながら、手前のJAL725のターンベルト何となく眺めると、分かりました。“X線でチェックしなさい“の印。バゲジを預けたときに、取っ手に、長い白いタグを巻き付けますね。回転台に乗せる前にX線チェックして、怪しいと思ったバゲジに、黄色く目立ったタグを、バゲジの長いタグの巻き付けてある場所の内側の接着剤が残っている部分に差し込んでくっ付けてあった。ちょっと、見ると、ガルーダとJALでは、圧倒的に、ガルーダの方が荷物の量が多いが、黄色いタグは、JALの方が多かった。日本人の比率と同じくらいでしょうか。そうじゃなくて、ガルーダのチェックは、厳しくないような気がする。

 

  それでも、ガルーダの方、無いわけではない。因みに、私は2L酒、三本、剪定鋏、8丁、一番大きいカッターナイフの刃50枚入り2ケース、それと、米麹1Kgを3袋が取り上げられる対象になりそうだが、黄色のタグは、付けられていなかった。消えかけた白のチョーク跡は、数え切れないほど付いているのにね。

 

プラウスリブ方面、着陸ちょっと前の雰囲気、神秘的。

黄色タグ 太ったおばさん バゲジチェック

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする