南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆孫と一緒

2015-07-31 22:58:01 | ゴルフ

 2387 再び夏は大浜プール、毎年、夏の恒例行事、孫を連れて大浜プールに行く。昨日は、茹るような暑さの中のゴルフ、付き合い相手の年齢は平均75才、今日の付き合い相手は平均9才。大きな違い。

 

パーフェクトなおじいちゃんの一日を務めた。朝の内に夏休みの宿題の答え合わせと、間違いの解説。9時には家から出発、プールへ、私も今回は水泳パンツを持ってきたので、流れるプールに一緒に入った。浅くて泳ぎにくいので、泳ぐより、歩行の方が多かったと思う。それでも、結構、運動にはなる。3時間近く、水に入って、水泳指導をしながら、私も遊べたと思う。

 

彼女達と一緒に、彼女達の記号でMAXで遅い昼食、高いのか安いのか分からない、ただ、従業員は、全て、若い女性ではなかった。何故でしょう。インドネシアのマックで食事をしたことは、高いから何年もないが、インドネシア人は、次第に、よく、利用するようになってきている。経済的に余裕がある人が増えているからでしょう。ただし、KFCなどと共に、高級外国レストランという位置に有る。

 

一旦、家に帰って、16時過ぎに、英語教室へ送って行く、私がいない時には、バスでおばあちゃんが一緒に行く。私が、いれば、それは、私に役目になる。何という、町名だろうか、江川町でしょうか、紺屋街でしょうか。繁華街の中のビルの中、呉服町のスクランブル交差点、カラスが真ん中で、何かを食べようとしている、に近い。一度、送って行って、私は家に戻る、約一時間後、迎えに出発する。街の中に駐車して、そこらあたりをうろうろしながら待つのは、駐車場代金が勿体ない、家から往復するガソリン代の方が安いし、家で、一仕事ができる。18時前に家に戻っていた。

 

おじいちゃん、おじいちゃんと、何回呼ばれたでしょうか。彼女達に頼りにされている事は十分、分かる。おじいちゃんが家にいる時には、あれやって、これやってと、駄目もとで、頼むのが、孫流である。出来るだけ、希望通りに対応してやろうと思う、希少な時間である。自己満足の世界がここに有る。

水泳 教室 送迎

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(^_-)-☆落とし物

2015-07-30 22:35:26 | ゴルフ

 2386 期待通りというか、当然というか、静高が優勝でしたね。二年連続だそうだ、飛龍が勝ってしまったら、相当しらけたと思う。テレビ局も報道的には、静高が勝つのも望んでいたような気がする・報道の仕方から、それを感じた。

 

日本でゴルフ、風がない、暑い、湿気が高い。過酷な条件、その上、上り下りは激しい、カート道から遠い場所に打ってしまうと、そこへ行くのも大変、打った後、カートに戻るのは大変なので、歩く、それが、急な登り、キャディーなしで、パターやピッチングを持って歩く。

そして、このコース、左右どちらかが崖下の様、下の方に柵は有るが、50mくらい下もあるし、角度も、見かけ30度以上ある。私は一度もそういう下へは転がすことはなかったが、同伴者は、頻繁に下り、登りをしていた。

 

以前、日本でやった時の印象を書いたことがったが。その時も書いた。コースの途中、落とし物、忘れ物が多い。そうではないが、拾ったり、取りに行ったりするのが、面倒だったり、体力的にできなかったり、するのかもしれない。ロストボール?捜したが、見つからなかった?そうではない、そこまで拾いに行かない、捜しに行かないのでしょう。ちょっと下に、見えるところに、二つボールを見つけたのが三回あった。

ティーを持って行かない人、ティーグラウンドに転がっていたり、刺さっていたりする。これは、明らかに、持って行くことを忘れている、意識にないのだと思う。

マーカーは何故だろう。マーカーは備え付けがあるのが普通で、スタート前にいくつかを、ティーやボールと同じボケットに入れて置く人が多い、だから、ボールやティーを出した時に落としても気がつかないし、無いと、捜す必要もないから、落ちているのは、分かる。

その他の忘れ物、落とし物では、タオルやクラブ、フィールドに持って出て、打つ時に地面に投げて置く人が多い。打ち終わって、それらを、持って行かないのです。偶々、見つければ、それらは、拾ってカートのどこかに置く。終わった時まで、誰も、聞きに来ない場合は、係の人に、どこどこで、拾ったといいながら、渡す。今日は、渡した後、別のタオルは見つけなかったかと聞かれた。原因は高齢者プレーヤーが多いからだということは、明らか。

 

私は、終わってカートから離れる時に、ポケットに入れてあるものをバッグに仕舞いながら、クラブを確認する、そして、係の人に、落とし物が良いねと、話した手前、私がカートに忘れ物をしたらシャレにならないと思い、HPやカメラ、ボトルなど確認する。家から出る時と同じである。

 

汗がだらだら、ペットボトルの水が少なくなったら、途中にある水飲み場の水で補給をしておく。多分、600mlで4本くらい飲んだと思う。熱中症にならなくて済んだ。終わって、ひとっ風呂、快適である。オリンピックはかなりの収入だったし。帰りの途中、ガソリンを満タンにしたが、その分はでた。

熱中症 無意識 落とし物

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(^_-)-☆忘れる

2015-07-29 23:26:54 | 生活

 2385 勝ちましたね。明日は決勝戦、相手は飛龍、20年近く、日本には、ほとんどいない私にとって、失礼ながら、いつ頃、創設したのか、どこにある学校なのか、今日まで、知らなかった。どうも、昔の沼津学園らしい?何故、名前が変わったのでしょうかね。

 

昨日の夜中、インドネシアで出すある文の日本語版が示されてきた。OKをした。いつ出されるのでしょうか、全ては、仲介者に依る。このことに関しては、一二か月後に書こうと思う。

 

思い込みと忘れものは表裏一体。私が外出する時に必ず持たなければならない物がある。財布(お金、免許証、カードなど)HP、デジカメ、メガネ(老眼)、目薬、ボールペン、マジックペン、予備バッテリー、これらな作業服のポケットに入っていなければならない。リックサック(パスポートなど必要なものだが、日頃は必要ない)とラップトップのセットである。そして、外出する時、家の中で確認することがある。電気を使っている物、冷蔵庫以外のOFF、水道栓を閉じる。特に断水中、停電中には確認が必要。扉に鍵を掛ける前に、もう一度、ポケットの中を確認する事と、水道の栓を閉めてあるかどうか、思う。車を発進する前に、もう一度、思う。

 

ゴルフの時には、帽子、着換え、ゴルフバッグを忘れないように注意する。靴は履いて行くことにしている、その代わり、帰りの時の履物を持って行く。それを忘れることがある。

 

それでも、いざ使おうとした時に、無いと気が付くことがある。特にHP、車に乗った時に、ポケットから出して、助手席に置くことにしている。持ってきていることを確認する事と、運転中に掛かってきた場合に、ポケットを探る必要がないように、である。それでも、車から降りるときに、そのまま、置き忘れることがある。我ながら、認知症が進んでしまっているのかなと思う。歳だから仕方がないのかなと思う。

 

何通りというのでしょうか。静岡の東海道本線の南側に沿って通る幹線、静岡駅の南口とパチンコ屋?

失敗 忘れ物 確認

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(^_-)-☆定期戦

2015-07-28 22:38:21 | 思い出

 2384 小学校の時に父親の自転車の後ろに乗せられて、草薙球場へ行って静高静商(しずこうせいじょう)の定期戦の観戦に連れて行かれた。私は興味がなかったが、父は野球観戦が好きだったようで、都市対抗戦やプロ野球観戦にも付きあわされた。

 

明日、県大会の準決勝戦、静高静商戦がある。定期戦は、今はどうなっているか知らないが、以前は毎年行われていた。静岡の早慶戦などと言われていて、外野まで満員になるほどの人気だった。また、私が静岡に住んでいた高校生当時は、甲子園に交替で出ていたほどレベルが高かった。両校の卒業生もプロ野球や東京六大学で活躍していた。

 

小学校の頃、静商の野球部員が掛け声を掛けながら、安西の私の家の前までランニングに来ていた。また、吹奏楽のレベルが全国大会優勝入賞の常連だった。定期戦の時には。静高のブラスバンドは貧弱で、静商のブラスバンド部が戦いの前にグランドで行進演奏をして、観客を魅了していた。私は、何回か、学校の授業が終わってから、練習風景を見に静商まで行ったものでした。他のクラブ活動を見ていた。そんなことだったので、当時は静商に行きたいと思っていた。

 

ところが中学生になってからは、どうも、大学へ行くなら、静高へ行った方がいいと教えられた。そこで、静高へ行くことにした。野球の定期戦は当然やっていたし、甲子園の出場も夏も春も交替に出ているような感じだった。同級生が甲子園へ行っても、余り興味はなかった。応援も昼休みに練習すると掲示がでていたが、集まりは悪いし、応援部の連中もお願いの形で、逆にヤジられていた。で、私は、三年間、一度も野球の試合の応援に行ったことがなかった。全国で準優勝した時も草薙にも甲子園にも行ったことがない。ただし、同じクラスの友人も多かったので、頑張ってほしいと思っていたし、勝てば、うれしいと思っていた。二学期になって皆と会えば、スごかってねといっていやっただけだった。それだけのことだった。

 

しかし、明日は勝ってほしいし、甲子園に行って欲しいと思う。日本にいて、予選の様子を見守っているのは、初めてだと思う。

勝てば、寄付金の振り込み用紙が送られてくる。寄付はしない。卓球部のOB会としては、寄付をする。

 

マツダまで行ったついでに、その先まで行ってみた。右側に草薙総合運動場?がある。野球場もこの中に有るが、私が行ったことがある野球場とは場所が違うと思う。

 

ドッジボールの練習をしている孫。

定期戦 応援 寄付

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(^_-)-☆思い込みは無知

2015-07-27 22:41:18 | 思うこと

 2383 昨日の歩きで腰の状態を悪くした。先日、貰った膏薬を真面目に張ったり、薬を飲んでみたりしているが、治る気配がないというか、ちょっと、腰を曲げてする動作の時には、かなり抵抗がある。おまけに、風を引いているわけでもないのに、喉がいがらっぽい。何か、喉に邪魔物があるように感じる。

 

インドネシアへ戻ってやることは、ビザの更新だ。切れる前に今のビザを取り消すことから始まる。消して、二週間以内に外に出て、新しいビザを修得する。アドバイザーとして取っているのだから、また、アドバイザーとして申請してある。聞くところによると、ローカル企業であっても、条件を会社が整えれば、何歳でもアドバイザーで1年のビザが取れるし、5年は国外に出ないで更新できるということも知っている。ゴルフ仲間に、私より二才年上の、そういう人がいる。ということで、今年から、ビザの修得資格やチェックが厳しくなっていることは、周知のとおりで、なかなか、取れなくて、困っている会社があると聞いているが、絶対、どうにもならないという資格はないようだ。エージェントの信用や真面目さやイミグレとの人脈(親しさ)によって、大きな差があるようだ。その点だけからなら、ローカルのエージェントの方が、気が効くと思う。

 

60歳以上ではアドバイザーでは絶対取れないとか、高卒では絶対取れないとか、絶対、~~ない、ということは、絶対ない。思い込みは無知だし、他人に迷惑を掛ける、他人に被害を与える。

 

インドネシアから出て、一週間、今回ほど、インドネシアでの仕事のことを思わなかったことはなかったし、考えることもなかった。悟りに近い感情だろうか、あの仕事をどうしよう、あの客先にどう言おうとか、考えることは、全く、なかった。それだけ、仕事に関しては、今のところ、なにもテーマがないと言っていい。ただし、インドネシアへ戻れば、新しい機械のための仕事を捜すというか、それに適した仕事を捜す必要がある。そして、それは、戻ってから、徐々にやればいいという状態だ。それに、捜すことはそう難しくないと思っている。そして、なお、適した仕事が見つからなかったり、遅れる場合は、今の仕事の延長線上のそれほど難しくない、私は登場しなくてもできる仕事で埋めることもできると思っている。

 

一歩も外に出なかった。庭に有る葉っぱ。

思い込み 無知 迷惑

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(^_-)-☆安倍川花火

2015-07-26 22:52:22 | 思うこと

 2382 台風が沖縄方面を北上しているが、静岡は、快晴で暑さも厳しかった。内陸部は37とか38℃などといっていた。インドネシアは乾季で、今が、一番、暑い時期だが、チカラン、カラワン辺りは暑いとインドネシア人はいうが、30℃を越えることは希だし、湿度は、50%以上になることもまれ、昼前からは、涼しい風も吹き始める。日陰は本当の心地いい。だから、うとうとしてしまうし、気分も清々しい。日本のような熱中症にご用心なんていうことを言う人はいない。ただし、私は、スポーツドリンクを呑む。

 

二年前かな、何年ぶりかに、河川敷まで行って眺めた。去年は行かなかったが、屋台で売っていた何かで、食中毒の騒ぎがあったのを覚えている。これが、孫たちと一緒に花火を見に行くのが、最後になるかもしれないと、ふと、思ってしまった。

 

バスで、丸子マリコのバスターミナルから安倍川のスルガ大橋の静岡市街、本通6丁目まで行ってしまった。この日だけ、途中では止まらないそうだ。それを知らなかった。本通を歩いて安倍川橋の方へ戻った。真っすぐ戻るのも感雑しているので、右にそれて、安倍川中学、静岡商業の前に道を行き、田町小学校脇の道から、安倍川の土手に上がった。凄い人ごみになっていた。土手を南に向かい、途中から河川敷に降りた。人をかき分けて、川の中央に向かい、これ以上は入るなという、紐の仕切りがあるところ(最前列)に陣取った。特等席である。

 

まだ明るい7時ちょうどに始まったが、直ぐに暗くなった。印象はどうか、一昨年と比較すると、若干、寂しい、規模が小さくなっていたと思う。それでも、何度も何度も、頭の上に覆いかぶさるように広がった。孫たちは、堪能したと思う。

 

良く歩いた。家まで歩いた。何キロだろうか、6km歩いた。国道の駿河大橋を西に渡って、国道を辿った。これが最後になるかもしれないと思いながら、ひたすら歩いた。家に直前のコンビニで、私に付き合って歩いてくれた孫たちへ、アイスキャンディーを買ってやった。花火とは寂しいものである。

文化 花火 浴衣

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(^_-)-☆スルガ区まりこ

2015-07-25 23:21:05 | 生活

 2381 同じ町内の整形外科へ行ってきた。インドネシアで一か月ほど、どうにもならない状態が続いていた代物で、厄介な、状態だった。少しは軽くなっていたが、ドッジボールのボールを拾う時には、やはり、ズキッと来ていたし、首の回転も抵抗を感じていた。掛かり付けの医者に、久しぶりだね、カルテを見ながら、一月以来ですね、と言われた。その時の症状と同じだと告げた。X線撮影をし、結果を見ての説明では、背骨の密度が大分低くなっている。骨の輪郭が薄くなっているというのだ。胃がない人は、カルシウムの吸収機能が減るから、骨粗しょう症になる速度が速いという。

ということで、骨密度などもチェックをするために、血液採取をした。結果は、10日後だという。他にも、何か、色々な数値をチェックするらしい。

 

その帰り道、昨日の夜の写真と同じ場所の昼間です。右側が私に家のサザンカの垣根です。もう一枚は右側がコンビニです。

 

土用の丑の日、ウナギを妻が買って来て私に食べさせた。高いと思ったのか、そんなに沢山は食べられないと思ったのか、これだけである。超安い黒はんぺんが、添えられていた。私はウナギより黒はんぺんが好きだということを知っている。

 

私の孫会社のようなところにいって来た。約三年、よくここまで持ってきた、今年の初めから、黒字になっている。良かった。市なのか、県なのか、国なのか知らないが、製造業創業補助金制度を利用して、ラインを増やすと言っていた。私がやっている時にも、そんな制度は有ったが、利用する必要はなかった。しかし、私が、もし、今、会社を興すなら,その精度を上手く利用するでしょう。今の日本、その制度を使う人が少ないらしい、予算が余っているという。だから、一千万円程度なら、審査もそう煩くないそうだ。装置を買う場合、三分の二を借りられるそうだ。

孫会社 整形外科 丑の日

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(^_-)-☆スルガ如し

2015-07-24 22:38:56 | 生活

 2380 インドネシアでは、最近は会社に出勤しない日が多かったし、出勤するにしても、遅く行って、早く帰ってきてしまうか、他の会社を訪問する事が多かった。体調不良だった。それに、仕事といっても、現場には行って直接指導をする機会が、今の仕事ではない事。PCでできる仕事が多い事などでした。在宅勤務でも出社して仕事をスルガ如し、でした。

 

日本、四日目終了。しかし、日本でも、今のところ、インドネシアでの生活とは変わらない。外出する必要は特にないので、ごろごろ、していても、構わない状態だ。まだ、学校が休みではないので、孫たちは4時過ぎにならないと帰ってこない。帰ってくれば、ドッジボールの相手や勉強の結果を見てやる、それだけである。これは、おじいちゃんをスルガ如し、である。

 

23時過ぎに、お腹がすいたので、近くのコンビニに弁当を買いに行った。夜中なので、弁当のコーナーは空きが多かったが、残っているものは。500円以下のものがほとんどだが。どれを見ても、すべて、美味しそう。ざるそばといなり寿司のセットを買った。使い捨ての剃刀、三本セットと合せて、税込みで約650円くらいでした。

こんな時間でも、このコンビニは、場所がいいのだろうか、10台くらいの車が止まっていて、中には。それくらいの人数が、物色をしていたし、車の中で食事をしていた人もいた。私のような、年寄りはいなかったと思う。

こんな姿は、やはり、日本だけかなと思う。駿河如しである。

 

インドネシアのコンビニは腐るほどあるが、弁当は売っていない。日系のコンビニはどうかな、近くにないので、知らない。おにぎりは、売っているらしい。

 

食べた後、うとうとと眠ってしまって、眼が覚めたのが、夜中の一時半。はと、ここは日本かと思う。

空腹 ノンビリ スルガ 

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(^_-)-☆スルガ勘忍

2015-07-23 23:29:18 | 生活

 2379 “ならぬ堪忍するが堪忍“臥薪嘗胆、忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐える。なんとなく気温が下がって、過ごしやしい一日でした。太田化工へ行って、世間話をしてきた。特にインドネシアの実情についてだった。再び、時期を待つ。

いつまでインドネシアにいるの?と聞かれた。10年くらい前から、もう二年くらいかな、といい続け、毎年、そういってきた。先ほども答えとして、もう二年かな、といって来た。お前、いい加減にしろよ、もう、帰ってこいよ、人生、そう長くないんだから、ノンビリ、やりたいことをやった方が良いんじゃないの、と、いってくれる人が多い。そのやりたい事というのが、日本で何?やりたいことと言えば、他人に求められることなので、日本では、どうでしょうか、囲碁やゴルフの相手くらいしか、求められることがないような気がする。それも、頼られるということでもない。頼られると言えば、家の孫の勉強を教えることか、どこかへ連れて行く事くらいか。

 

次郎柿の木が二本、庭に有る。一年置きに豊作になることは、経験で知っている。今年の秋は豊作だ。緑の小さい実が一杯垂れている。私は、暮れに帰って来た時にこの干し柿を食べることができるでしょう。

 

私の部屋にジェックスの水槽がある。ジェノバだ。今も、インドネシアでリマテクノ(ジェックスのインドネシア工場)のブクブクチューブを作ってお手手伝いをしている。この水槽、私しか掃除をしない。半年もいないと、フィルターが詰まっていて、チョロチョロとしか水が落ちなくなっているし、ガラスが濃い緑色になっていて、中の魚が全く見えなくなっている。帰ると直ぐ掃除をすることにしている。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0225.html

インドネシアの他社では、大型水槽の枠を作っているが、私が、作ってやったものです。

何かな 帰国 サバール

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(^_-)-☆スルガへ旅立ち

2015-07-22 23:25:58 | 思うこと

 2378 近くの小学校の夏休みは今週の土曜日からとか、二学期?が始まるのは、8月最終週からだそうで、夏休みは一か月くらいになっているそうだ。夏休みが始まる日ではなくなった今日、また、あの人の誕生日が巡ってきた、一足早い72才です。

また、妻がテーブルの上に置いておいた教職員互助会の会員雑誌をなんとなく、ぱらぱらめくっていたら、中学三年の時の担任の先生の投稿文が目に入った。当時、大学を卒業したばかりの新任だったので、私より10才も年は離れていなかった。雨の日、新聞を包んでいるポリ袋(ビニール袋)の再利用に関して、だった。まだ、頑張っているんだなと、同級会を何年もやっていないので、インドネシアから早く足を洗って、声を掛ける機会を作りたいと思う。ただし、来年かな。

 

車のバッテリーが上がってしまっているようなので、近くの修理屋へ自転車で行って、バッテリーを持ってきてもらってエンジンを掛けた。そのまま、15kmくらい走って、戻ってきた。そして、エンジンを切って、又、掛けてみた。掛からない。カチカチと音がするだけ、ロック、オフのリモコンは使えたので、全くというわけではないが、ほとんど充電がされていなかった。途中で買い物に寄ろうと思ったが、止めて良かったと思う。また、修理屋を呼んで、バッテリーを交換してもらい、充電をしてもらってから、元に戻してもらうことにした。一応、ゴルフや買い物や太田化工に行けるようになった。半年近く乗っていないし、バッテリー自体がかなり古いので、こんな時もいつかは来ると予想はしていた。それが、今回だった。

 

真夏の様子、じりじりとした暑さがこの写真からも分かるような気がする。外出に帽子は欠かせないし、飲み物を携行して、水分補給しながら歩かなければならない、汗びっしょりである。

 

ショッキング。静中静高卓球部通信が届いていた。開けてみると、私がダブルスを組んでいた山川君の訃報が目に入ってしまった。左利きの彼と毎日練習をしていた。団体戦の中のダブルスでは、中部大会も県大会へ行っても無敗だった。中部大会で、私は、個人戦でベスト8まで行ったが。彼は準優勝した。いつも、思っていた、個人戦で、彼は私と練習していいが、私は彼と練習をしたくなかった。理由は、実践では右利きとしか試合をしないのに、右利きとの練習を出来なかったからだ。彼にそれを言えなかった。ただし、名コンビだったと思う。顧問が名ばかりだったので、キャプテン、マネージャーとして、部内外を二人で仕切っていた。卒業してからも、何度もOG会などで会っていたが、私が日本から出てしまってからは、会っていない。とにかく、がっかり、ダブルス相棒がスルガへ旅立ってしまった。ご冥福を祈る。

今日、誕生日の人も当時、別の学校で卓球をしていたので、私たちのコンビのことは良く知っている。試合会場では応援をしてくれていた。

ショック 誕生日 恩師

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(^_-)-☆スルガへ到着

2015-07-21 22:42:27 | 環境

 2377 駿河Surgaスルガ、天国に着きました。静岡市駿河区です。やはり、こちらも天国です。しかし、今のこの天国、暑~~~い。今日梅雨明けだそうです。いつもは、桜の季節に帰っているのだが、今年は帰らなかったので、半年以上、日本から離れていた。

 

飛行機のビジネスでは、何が特別扱いかというと、ラウンジを使って休憩できる。機内で出てくる料理が特別である。座席が三段階とその間も調整できる。ヘッドセットも付けやすい。アイマスクなどのセットがついている。預けたバゲジが一番早く出てくる。で、これらが必要かというと、私にとっては、どうでもいい事に近い。高額料金を払って受けるサービスをあまりうれしいと思わない。私にはエコノミーの最後部で、ひじ掛けを上げて寝転がるのが一番似合う。

 

昼過ぎ、家に着くと誰もいない、自分でカギを開けて入ると、二階から、下の孫の声、お帰りなさい。いきなり、ドッジボールの練習をしたいからボールを買ってという。学校でクラス対抗戦があるので、それに勝ちたいという。近くに売っていない。車に向かって、リモコンで開けようとしたら、うんともすんとも、言わない。困った、キーで開けようかどうしようか迷った。結局、アラームが鳴りやまなくなることを心配して、車を諦めた。500mほどの距離に有るスポーツ用品店に歩いてゆくことにした。暑い、汗だく、飛行機の中で眠ったとは言え、長旅の後、大きな荷物を抱えていたし、疲れているし、眠い。それでも、おじいちゃん、おじいちゃん、と言われれば、行ってやるしかない。

 

買って来て、家の前で、ボールのぶっつけ合い。一時間以上付きあった。何故でしょうか、首の痛みも腰の痛みも、頭の痛みも、全部治ってしまった。体調がなんとなく良くなってしまった。学校の休みは26日からだそうだ。彼女達と一緒にいるのが楽しみである。まだまだ、充分、相手ができそうだ。インドネシアとは別の世界では別の人間になっている。

http://otaenplaext.net/newpage73.html

 

アラックバリは、出発前、免税店で二本買った。いつもと同じように頼むと奥の倉庫から出してくる。二本で約4000円だ。これは、日本の酒好き人間に、大好評だからだ。

 

家の前でドッジボールの相手。ゴルフより遥かにハードである。

別人間 体調 体力

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(^_-)-☆スルガへ出発

2015-07-20 22:53:10 | インドネシア

 2376 京都の天竜寺の蹲踞つくばいは、「吾唯足知」の四つの漢字の口の部分が真ん中の水がたまる個所になっている、庭を眺める廊下の右端、お手洗いの脇にあった。中学校の修学旅行で京都、奈良を訪れた時に、お寺のお坊さんに、案内されたと記憶している。間違っているかもしれない。ただ、その意味については、凄い!!!と思った。昔の人は、凄い!!と思った。家に掛かる費用は全て込みで、3万円弱、運転手、お手伝いさんを使っていない。ゴルフと旅の費用は、バブルの時に得た資金を食いつぶしているし、若者への援助や技術指導の装置や金型も、同じだ。見ぬ付ける物は、ほとんだ、買わない。綻びは、治して使っている。それでもゴルフや旅ができることは、ちょっと、贅沢をしているかなと思う。

 

そして、Surgaスルガ、天国への旅立ちです。夕方、5時過ぎに家から出発、会社へ6時前に着く、会社の若者が、運転したいというので、空港まで送ってもらった。11;15搭乗だが、2時間前にチェックインをするようにと言われていた。今夜あたりからUターンが始まりジャカルタ方面、タンゲラン方面は渋滞の可能性が高くなると思って、いつもより1時間以上早く6時に会社から出発した。高速道路を見たら、チカランバラットからジャカルタ方面、全車線一杯一杯に渋滞していた。びっくりした。慌てて、カリマラン通りに向かったら、進入禁止、仕方がないから、ジャバベカ1を通り過ぎて、ジャランラヤに向かった。こちらは、順調でほっとし、チビトゥンから高速に入った。何の事はない、順調に車は流れている。先ほどの大渋滞は、チカランバラット以東から来た車の一旦、支払いゲートの前で渋滞だったのでした。チポコゲート前の渋滞も同じ理由だった。

 

順調に走り過ぎて、1時間ちょっとで空港に着いてしまった。7時半前にチェックイン、ビジネスだ。カウンターが見えないので、エコノミーのカウンターに行ったら、ここは違う、あちらのスペシャルカウンターへ行ってくださいと言われた。なるほど、仰々しいカウンターが斜め後ろにあった。ラウンジの入場券もくれた。イミグレも順調、いつ戻るか聞かれた。13日に戻って、すぐにエポの手続きをすると説明した。なるほど、頷いて、もう、チャペッかと、言われた。そうだと、答えた。

 

出国カードはいらなくなっていた。短期観光ビザの廃止と共に、インドネシア人の出入国カードも廃止したのでした。

 

搭乗時間は22;45たっぷり時間がある。ラウンジへ行って、飲み物、食料を取り。じっくり、休むことができたので、この点、ビジネスは恵まれているなと思った。ワイファイもキーワードを聞いて、直ぐに接続した。

とにかく、ビジネスは初めて、何100回飛行機の乗ったか分からないが、エコノミー以外は初めて、足るを知る私としては、もの凄い贅沢、二度と使うことはないでしょう、ちなみに、ジャカルタに戻る便はエコノミー。

 

15番のグリーンの脇のラフに寝転んで天を仰いだ。

駿河 順調 ビジネス

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(^_-)-☆もう、いいかな

2015-07-19 22:34:09 | 思うこと

 2375 ジャカルタ、アンチョール、ラグナン動物園、TMII(タマン ミニ インドネシア インダー)どこもかしこも、大にぎわいだったようです。リッポチカランのヲーター ブームも混んでいたし、タマンセントサのプールも車が駐車場に入れなくて、路上駐車の列ができていた。

Uターンの混雑も始まったようだ。

 

人数が足りないので、キャンセルできずにゴルフをした。スコアーやオリンピックの結果はどうでもいい。ほとんで、誰もいない。日本人も韓国人も帰国したり、旅行に言ったりしているのでしょう。インドネシア人は家族と過ごしているのでしょう。6;30スタート時、誰も待っている人はいなかった。前に人は見えない、後ろも人が見えない。こんなに空いているゴルフ場は初めてかもしれない。順調過ぎて、ハーフにミーアヤムの食べながら30分くらい休憩をしたが、10時には終わってしまった。

 

ただ、スタート時から好天に恵まれ、空に雲一つ見えない、そして、程よい風が吹いていて、清々しい、蓮の花も増えて、濃いピンクの花も流れてきたのか、一輪だけ混じって来ていた。サンライズが神秘的、頭の上の青空は、澄み切っていた。まさに、スルガSurga天国で遊んでいるようだ。体は気だるいが、気分はニルワナNirwana天国だった。もう、そろそろ、いいかなと思う。

 

同年代の静岡の人は覚えているかもしれない。“寝ていて人を起こすな!”小学校五年の国語の教科書に、金原明善きんぱらめいぜん、天竜川の治水に貢献した人、をテーマにした文章があった。このタイトルが、これだった。板木をたたく人、モッコを担ぐ人達の挿絵が有った。自分から率先して奉仕をしようという意味を、私は、この時に感じた。その精神は、今も変わらない。

その頃、家族は一つの部屋に五人で布団を敷いて寝ていた。全員が布団に入った時、まだ、頭の上の電気が点いていた。私が、母親に、電気を消して、と、言ったら、“寝ていて人を起こすな”と言われてしまったことを思い出す。家での予習、復習で教科書を朗読磨ることが多かったので、母が覚えてしまっていたのでした。

 

他人に頼ることはできるだけしないようにしてきた。もし、頼った場合は、それ以上のことをお返しする事を考えていた。商売も自分が作ったものを買っていただくという点では、頼りにしていると思うが、それ以上に、買ってくれた人は利益を得られるようにサービスをした。技術指導やメイドインインドネシアを増やすことも、その気持ちからです。それも、もう、いいかなと思う。

人の道 生き方 主義

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(^_-)-☆籠りきり

2015-07-18 22:39:10 | インドネシア

 2374 この記事での出来事は、昨日のことを書いているので、明日と書いてあることは、今日の事である。

 

Selamat hari raya idul fitri スラマッ ハリ ラヤ イドゥル フィヒトゥリ、新年明けましておめでとう。Mohon maaf lahir dan batin モホン マアフ ラヒル ダン バティン 心身共にごめんなさい。という日です。そんなメールやSMSが何人かから届いた、私も同じように返信した。故郷に帰った人は、午前中はモスクにいってお祈りし、午後は、先祖のお墓参りに行くのが習慣だと思う。日本の正月と同じようなものですね。

 

日本に台風が上陸して大荒れになっていると伝えられていますが、こちらは、新年にふさわしく、よい天気、しかし、私の心境は,天気晴朗なれども、体は、波高し、というところだ。ここ、半年の間に、急に、衰えを感じるし、具合が悪いところが増えた。歳の所為も多いと思うが、実際に何かの疾患に掛かっているのかもしれない、時には、救急に駆け込むこともあるが、結局、病気は何だと、特定できないどころか、直ぐに、治ってしまう。慢性化している物は、病院に駆け込むほどのものではないような気がするし、動きが悪いし、食欲も進まないし、じっとしていれば、なんとなく、その日その日を過ごすことができる状態。一人でいるより、友人とゴルフをすれば、安心する時間がちょっと長くなると思うし、運動もしなければならないと思うが、会社が休みになっても、出かける気がしない。もっとも、今日は、ゴルフ場も全面クローズだ。

 

9時ころまで、あちこちのモスジッドからお祈りの声が聞こえてきていたが、その後は、静寂そのもの、家の前を通る車やバイクはほとんどないし、外からの話し声や音が聞こえてこない、静寂の中になった。地べた野菜売りもトカン オジェックもセキュリティーも誰もいない。

 

現金が足りなくなっているので、ちょっとだけ、ショッピングモールの前の銀行へ行こうと向かったが、駐車場に入れなかった。そこで、向かいのショッピングモールのATMでおろした。駐車場から出る時に聞いたら、12時から開いたそうだ。しかし、当然、駐車場はガラガラ、モールの中には入らなかった。ファーマーズマートやマックも営業をしていた。30分くらいの外出でした。

疲労感 倦怠感 新年

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(^_-)-☆動きたくない

2015-07-17 22:53:28 | インドネシア

 2373 puasa最終日でした。近所に残っている人でしょう、花火の音がうるさい。

 

民族大移動の雰囲気とは別に、ほとんど、家から出ない私にとっては、裏庭のマンガの木の下の日陰に立つと、適当な風が吹いて、涼しい。清々しい。横になると、うとうとする、ハッと気が付くと、暫く眠っていた。このまま、起きないで、Surgaスルガ(天国)へ行ってもいいかなと思う。

 

左の二軒先の家に、私の家の前庭の木の下に座り込んで夕涼みをしている老人がいる、老人といっても、私より若いようだ。いつも、黙って、にこにこしながら、頭を下げて挨拶をする。何カ月か前に話しかけたことがあった。口がきけないと、手話のようなもので表現した。聞こえて入るようだったので、どこから来たのか聞いてみたら、指をさして、あちらからといっていた。その人、二軒先の家の人と分かったのは、一昨日だった。ちょっと、家の前にゴミを出しに行った時、その人、家の前に出てきていた。指先して、ここが、自分の家だと言っていた。私は頷いて、スラマッ ソレーといって、家に入った。それだけのことだ、その人、私に自分の家を伝えることができて、うれしそうだった。私と挨拶をするのがうれしそうだった。それを、トカン オジェックが何人か見ている。トカン オジェックにも、手を上げて、よく、挨拶し合う。

 

家の中ばかりにいるので、ちょっとだけ、近所の雰囲気を確かめるために車で出てみた。一般道にトラックは見ない。車も人もほとんど見ない。高速道路に掛かる橋から下を見ると、車の渋滞どころか、相当な間隔が開いていた。ピークは今朝までだったようだ。

 

ニュースでも各ゲートはほとんど待たずに支払いやチケット受け取りをしていた。ただし、中部ジャワでは、渋滞が残っていた。昨日の夜、渋滞にハマった車が、やっと、中部ジャワに到達したのでしょう。スマランまでは、渋滞がなくても10時間以上、掛かるのですから。

 

明日からレバランだ。大統領のジョコ ウイドドさんは、スマトラ最北部の町、バンダ アチェに入っている。明日は、バンダ アチェ(http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html)の2004年の大津波で大被害を受けたモスジッドでお祈りをする。

ラマダン レバラン マズジッド

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