南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆日本にいる

2012-02-29 21:12:44 | 知識

 

1140 静岡の家に落ち着いた。一カ月ぶりである。孫たちは学校や幼稚園へいっていて、いたのは妻だけだった。寒さは出発したころとちっとも変っていない。厳しい一か月が予想される。花粉症も心配だ。

 税関チェックで確実にバゲジを開けるように言われると思っていたが、何の要求もなく拍子抜けした。多分、いつも開けさせられるテーブルで先客がチェックされていたためだろうと思う。こんなことなら、もっと沢山詰め込んでおけばよかったと思う。

 チェックインカウンターでいつものように座席を32Dにしてほしいと注文したら、今日は空いているから、そんなに後ろでなくて26でも眠れるよと言われ、それに従った。なるほど、4座席ぶち抜きで完全に体を伸ばしてゆっくり眠ることが出来た。空いているといっても、両窓側は二人並んでほぼ満席だった。そのほとんどはバリからの若者だった。だから、ジャカルタから乗る人は当然窓側に坐ることは難しい。黙っていても、真ん中の座席を取るしかない。それが幸いにも真ん中が空っぽの上にジャカルタから乗る人は少ないのでゆっくり眠れる席を取ることができるのです。

 バリからジャカルタ経由で日本へ帰る若者は、ジャカルタから深夜になり日本へは朝になる事に気を使っていないのです。それにジャカルタから乗る人が少ないことも考えの中に無いのです。だから、真ん中で寝ることなど全く考えていないのです。だから、真ん中の座席を取ろうとしないで、窓から外の景色を見ることができる窓側に集中するのです。私、お爺さんには、それが幸いしているのです。インドネシアへ向かい便は昼間ですから眠る必要はないが、やはり、お爺さんは、出来れば、ゆっくり横になりたいのです。

 

 一カ月ぶりにバスタブに浸かったが、ゆっくり、のんびりというわけにはいかない。孫二人が先を争って風呂場に飛び込んできた。はしゃぐ二人の相手をせざるをえない。ったくもう!!

 トラックの写真はインドネシア、ホームレスの写真は日本

税関 出国 熟睡

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(^_-)-☆日本へ出発できる

2012-02-28 22:04:55 | 情報

1139 改めて、私のWeb siteのタイトル、Enpla Ext Indonesiaについて説明しておきます。Engineering Plastic Extrusion Molding Indonesiaの略です。Engineering Plasticエンジニアリング プラスチックとは一般的に汎用樹脂と言われる、ポリエチレン ポリプロピレン、塩化ビニールなどより工業用品、部品に使われる高機能樹脂の事を言います。いろいろな物性が汎用樹脂より優れている部分が在り、それを利用して特殊な場所に使います。例えば、あれ程度高温に耐えるとか、摩耗が非常に少ないとか、永久帯電防止剤を添加しやすいとか。自己消化性だとか、そういう物性を持っているので価格は高くなる。また、成形性が悪くなり、難しい。Extrusion Moldingというのは押出成形のことです。断面が均一で引っ張って長いものを作り、それを巻きとったり、一定の長さに切ったりする成型方法のことです。パイプやチューブ、シート、丸棒,板を作るのは押出成形です。

 メジャーな産業ではなく、縁の下で支える目立たない仕事ので、なかなか、知られることはない。仕事量も少ない。エンプラの押出成形ができる人は日本でも大変少ない、インドネシアでは未だに日本人では私しかいないはずです。という理由で、このタイトルは変えていません。東南アジでも私一人といえるかおもしれません。インドネシア人では何人か育っています。

 

 チケットを今日の便に変更して無事スカルノハッタ空港に到着している。19:00に会社からタクシーに乗れば普通なら20:30に空港へ着く。出発時間の3時間前である。そのつもりで18:30にチカランの家をでた。昨日は高速道路に乗れなかったし、ジャラン、カリマランも車が一杯で身動きできなかった。いくら道の詳しい私でも、こんなに、アチコチが詰まっていてはどうにもならなかった。今朝、会社へは何事なく来たが、高速道路のチカラン ゲートに入ってすぐデルタシリコンからの入口と合流する場所のデルタシリコン側の盛り土が決壊して濁流が流れ込んだ。盛り土の修理をしていた。おそらく、そこが、冠水した跡だと思う。繰り返す可能性は十分ある。とにかく、インドネシアは何が起きるか分からない。何が起きてもうろたえてはいけない。何とかなるものだと私は思っている。

 

 15年インドネシアにいてゲートが閉鎖されたのに直面したのは初めてでした。何故、ゲートを閉鎖しなかったのだろうかと思わされたことは二回あった。一回は大暴動の時、二日後にジャカルタへ向かったが、ゲートは開かれていた。ただし、料金所には人がいなくて無料でした。二ドリアン回目はチャワン付近が冠水して通行止めになった時でした。この時も通行止めだが行きたい人は行けといった感じでゲートは開いていた。料金は只だった。その時の冠水の深さは50cm程度でキジャンは問題なく通過した。

 

 渋滞場所で売るためのタフゴレンやナンカなどの果物の小さい包みを沢山届ける人。ドリアン食べ放題。開いたとたんに四方からさっと手が出てくる。

一時的 帰国 無事

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(^_-)-☆日本へ出発できず

2012-02-27 21:06:28 | 体験

1138 午前中のゴルフは雨季の晴天で空が澄み渡り、大気汚染物が洗われて日光の紫外線が、乾季の時より強い。だから、じりじりした暑さきびしかった。ところが、今、16:00頃、荷物の準備をしていたが、カミナリ混じりの豪雨が吹き荒れている。肌寒い。雨季は一か月以内に終るが、二月から三月にかけては一年で一番の洪水の時期です。途中の道路が通行できなくなっている可能性が在るので、23:30のフライトだがチカランを18:30に出た。ところが、高速道路のジャカルタ方面のゲートは全部×印、ゲート閉鎖である。それでも、ゲートの行列の後ろに着いた。30分くらい動かないでいた。他の車はUターンするかジャカルタとは痛い方向に向かった。会社のセキュリティに電話して19:00に予約したタクシーが着いているか聞いたら、着いていないと言う。タクシー会社に私のHP番号を教えて、私に直接、連絡するように頼んだ。19:30頃タクシー会社から電話が入って、タクシーも渋滞の中で身動きが取れなくなっているから、どうしますか、だった。これから何時に閉鎖が解除されるか分からないし、空港行きをあきらめた。タクシーをキャンセルした。明日に変更するしかないと決めた。20:00前に家に戻ったら、タクシー会社から電話が入り、チカランとMMの間の高速の下を流れている川が先程の雨で氾濫して、高速道路が洪水になって通行止めになっていると親切に連絡が入った。ブルーバードタクシーです。

 今回、到着した日はデモで封鎖、出発の日はバンジールで閉鎖、余りにもタイミングが合いすぎるのではないか。一日インドネシア滞在が伸びた。ま、いろいろあるものです。

 

新しい仕事を引き受けないこの会社の押出部門からきれいさっぱり遠ざかることができたのは半分私の道が開けた。それにしても、この会社においてお付き合いした会社は少なかった。そのお客さま方には大変お世話になりました。多くはマクタという会社からでした。それらのお客さんには今後とも個人的にお付き合いは続くでしょうし、何かにつけて相談に乗るだろうし、もし、今の会社が出来ないという新しい製品が有れば補完的にお付き合いもするでしょう。インドネシアにいる限り、今迄の全てのお客さんを見捨てることはありません。アフターサービスが必要ならいつでも現れます。

230円の朝食です。ミーアヤムにおにぎり、コーヒーや紅茶付き。家の前の大雨。

まさか 洪水 氾濫

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(^_-)-☆道楽の準備

2012-02-26 21:47:12 | 情報

1137 日本へ到着したころまでに治ればいいと思っていた風邪は、夜中、咳と鼻水で全然、眠れなかったが、明け方になって、そろそろゴルフに出かけようとしたころ、鼻水は完全に止まっていた。熱も平熱に下がっていた。痰が若干ひっかっていたが、ほとんど風邪は治ってしまったようだ。ゴルフは、たまに咳をするだけで普通に出来た。驚くほどの薬の効き目である。あれほど、どうなってしまうだろうと、不安に思っていたのが、半日で消えてしまった。薬を飲むのは止めた。三分の二の薬は残ってしまった。500円以下の薬で治ってしまったことになる。冷蔵庫に保管しておこうと思う。

今日のゴルフ場で私たちを手伝ったキャディー達とハーフを終ったあと無料のコーヒーと紅茶のサービスしてくれる。プラスチックのコップにシロップや氷と共に希望者に提供される。私は、500mlの空きボトルに紅茶とシロップを入れてもらうことにしている。そんな人は他にいない。

 

日本へ持ち込む金型の修正が終りヒーターと共に手に入れた。今回はその他にも近い将来、インドネシアで使う金型の一部も完成させた。それと、今迄の会社に持ち込んでお客さんの期待に答えようと提案した押出機や引取機それに押出機に着く金型などの二ラインと補助押出機が結局、認められなかったので、個人的に、それらの今後の置き場所に日本から輸出するための段取りについても話し合った。

また、その日本からの装置だけでは不足の装置の見積もり依頼をした。見積もりが入り次第、注文をして4月末~5月中旬までには試作ができるようにする。

 

目論む製品は多分、現在の日本とインドネシアでは無いものです。原料から開発しなければならない。最期の道楽の準備を着々と進めている。大部分は私の自己資金から支出するが、趣味もインドネシアなら安く済む。面白くないそうだ。

 ついでに、インドネシアのプラスチック押出成形のコンサルタントも開業しちゃおうかなとも思っている。材料に依るが、パイプやチューブ、波板やシート、袋、それほど難しくない異形、これらを作っている会社は掃いて捨てるほどある。イエローページのプラスチック押出製品の項を開けば、それは、はっきりする。ある工業団地などは袋を作っている中小企業が数十社纏まっている。しかし、作りやすい材料だけである。私はそれらの掃いて捨てるほどの押出成形屋が出来ない製品を見込みがあれば出来るようにしてあげたい。

 

 効目 準備 希望

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(^_-)-☆最終日も淡々

2012-02-25 22:29:01 | 行動

1136 タンバルバンはどこへ行ってもある。エアーコンプレッサーが目印です。

500m毎以上にあるので競争が激しくなる。大都市では、仕事を増やすために、釘を撒き散らす奴が多くなっている。その釘を1m程の幅の磁石で路肩を歩いて釘を取り除いている警察公認の仕事をしている人もいる。話しを聞くと元釘撒き現行犯で逮捕された人達で、どういう釘が刺さりやすいとか、サイズに依って何m先でパンクが分かるとか、その筋のことに詳しい。

 

今のインドネシアの会社の仕事は今日が最終日でした。厄介物の半分が無くなった。26日真夜中のフライトで日本へ発つ。そして、日本の会社へ28日から出勤する。残りの半分を消すためです。

 

インドネシアへは4月初旬に戻って10日過ぎに新しい職場の労働ビザをとる為の依頼を懇意にしているエージェント、スンチンさんにした。その会社のインビテーションレターを受け取るだけです。今は、人に依ると、大卒でなければならないとか、60歳以上はダイレクター出なければならないとか、インドネシア語が在る程度話せないといけないとか、イミグレの担当者に依って、うるさいことをいう人がいるらしい。私の場合は、全部クリアーしているし、非の打ちどころがない。エージェントも楽である。

 

三日前から風邪を引き始めた、今がピークで喉は痛いし、鼻水タラタラだし、咳きも大きな音でしている。熱で頭がぼーっとしている。帰りがけに薬屋(アポテック)寄って、薬剤師に薬を処方してもらった。アンチビールス、鼻水を減らす、喉の痛みと咳をへらす。三種類です。それぞれの袋に何のためか、飲む回数、飲むタイミング、それからカプセルかタブレットかの区別が明記してある。最長で5日間で無くなる。5日で必ず治ると言われた。インドネシアでもらったビールスはインドネイアの薬でなければ治らないと言うのが通説です。日本から持ってきた薬は効きにくいと言われている。

値段は全部で千円ちょっと、日本の医者や薬代、あるいは、薬屋で買う風邪薬に比べれば遥かにやすいと思う。日本へ帰って直ぐ治るでしょう。

 

ちょっと、栄養を付けるために道端のカキリマでゴレンガンを買った。テンペ、シンコン、タフ、サユール、ウビを5個ずつ買った。全部で25個です。何がなにか分かりますか。いくらと聞いたら、しばらく考えているふりをしていたのでしょう。1万4千Rpといった。あれ、と思ったが、安いからまあいいやと思ってその金額をちょうどで払った。一般的には全ての種類が同じ値段になるようにしてあって、個数を掛けるだけです。この合計金額からすると、一個560Rpになる。そんな半端な値段は聞いたことがない。

皆さんと分れる気持ちは全くなし、必ずまた会えるから、ちょこっと個人に挨拶して回っただけである。まだ、本社にいるのだし、出張でいるくるかわからないし、4月からはインドネシアへまた赴任してくるのですから、顔を見たい時はいつでも見ることができる。

元気 離別 再会

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(^_-)-☆ルコが工場

2012-02-24 22:49:29 | 情報

1135 インドネシアでは外国人に取っては要求がうるさいが、インドネシア人なら何でも許されると言うところが在る。特に当り前の一般人ならまったく目を付けられる心配がないところがある。最低賃金を守っているかどうか、排水のデータ管理をしているか、騒音や排気ガスが管理されているかどうか、工業団地内の企業は厳しくチェックされているが、巷のローカル企業はそういう事の知識も必要なし、チェックされることなどあり得ないからです。MM2100のルコにも銀行、両替、レストラン、商社、旅行社、ホテル、運送業者などが入っている。それらの大部分は日系企業そのものか日系企業へサービスを提供している会社です。其の中に明らかにローカル会社の鉄工場が在ります。鉄パイプ、Cチャン、Lチャンの切断や溶接や組み立てをしています。その隣はインドネシア大手銀行のMM2100支店です。給料日ともなればATMに長蛇の列ができますが、鉄工場の仕事は黙々と進行している。銀行のセキュリティが鉄工場の前に立っていた。

 私が目を付けていたルコもジャバベカゴルフの近くで、ゴルフ場が近くていい。既に空きが少なくなっていて、そのうち二つのユニットではインジェクションの機械が稼働していた。勿論、ローカル会社で電気の事や水の事を聞ける先駆者がいることが頼りになりそうだった。昨日決めた処が無かったら、そのジャバベカゴルフ近くのルコに決めていたでしょう。

 

 私の装置を日本から送る先(仕事をする場所)はリッポチカランモールの裏のヒュンダイ工業団地の外です。出退勤にジャラントールを使わないのも魅力の一つでした。

 

今朝はラッキーだった。朝、車に乗ろうとしたらパンク状態が目に入った。家まで戻って夜の内に空気が抜けたのです。どこか道端でなく良かった。何十回とタイヤの交換はしているので、特別なことではない。タイヤをはずしてスペアーをはずそうとしたら、スペアーが外せない。ボルトで支えを持ち上げて固定してあるがそのボルトが私の力では廻すことができなかった。しょうがないからパンクしたタイヤをタンバルバン(パンク修理屋)へ行って治してもらうことにし、道の向こう側にたむろしているトカンオジェックの一人にいってもらった。30分ほどして戻ってきて、彼がタイヤも取りつけてくれた。こういう時、手伝いを頼めば直ぐやってくれる人がうろうろしていることはパンク修理屋が至る所にあるのは便利だと思う。

横っぱらの下の方がへこんでいる。中学生が運転していたモートルがどうしたのか斜め後ろから突っ込んだ。自分が悪いと思ったのでしょう。大丈夫かと聞いたら、大丈夫といって、逃げるように立ち去った。それで構わないが、もし、その子が大怪我でもしていたら、こうはいかない。病院へ運んで、多分、治療費も出すことになるでしょう。それでも、それで終わりです。警察沙汰になるとしたら、その子がひん死か死亡の時だけです。

群衆に取り囲まれるが、目撃者がいるので危害を加えられることはないでしょう。それより病院へ運ぶのが先です。

 

 自由 投資 手段

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(^_-)-☆選択で迷い

2012-02-23 22:40:13 | 行動

1134 ある会社のトップと私がその会社の中で自由に仕事ができることで合意した。4月の中旬からその会社に赴任することになる。その前に装置、設備の輸入と私の就労ビザの収得の段取りをする。そして、今の日本の会社とは契約期間終了の3月末でお別れをする。延長の話しが出てこないことを祈る。厄介なことにはならないことを祈る。

 インドネシアで仕事を続けることにまったく迷いはない。日本と比較すると明らかにインドネシアの方がメリットが在る。原料の入手だけが日本国内有利、それだけですから。

それでは何で迷ったかというと、私の設備を置いて仕事をする場所がいろいろあるから、選択に迷ったのです。私の基本的考えは、私がやってみたい仕事が自由にできることです。それには、その装置の費用は私が負担します。原料も自腹で購入します。場所だけ使わせてもらえればいいのです。

1 日系企業で押出設備を持っていて、それだけしかできない会社へ入って、もっと仕事を取れるようにする。

2 押出の製品を購入して使っている会社へ入ってその製品をその会社内で作るようにする。

 3 貸し工場やルコを借りてそこで会社を作る。

 4 もう一つは、押出製品とは全く関係ない会社の空き場所を借りて研究開発をする。

1は対象が二社あった。一番自由に出来るのは3だが、場所費や充電設備で出資が多くなる。空いている場所を使わせてもらう代わりのその会社にとってもメリットある1と2は装置代だけの投資で済む。4を選んだのですが、数年前から声を掛けていただいていて、その会社自体が中古設備の輸入ライセンスを持っているし、機械のメンテナンスも請け負う会社です。私にとっては大変ありがたい話でした。何故、その会社にすることを迷ったのかというと、他の会社からの話しが継続していたからです。是非という話から始まって条件交渉していたが、装置を自由に使うと言うことではなかなか満足するまでには至らなかった。

 

 熱血みやぎ米、ひとめぼれ、ササニシキ。こんなトラックはインドネシアのどんな地方でも見ることができる。中古輸入トラックは日本からのものだけです。他の国の文字を見かけたことが無い。

 高速道路をまたぐ橋の袂にオジェックの待機場所がある。その橋を渡ってきたアンコット(ミニバス)や送迎バスからその場所で降りてオジェックを使ってどこか行くことはない。それでは、なぜ?高速道路を入ってきた地方からの路線バスの乗客がその橋の下で、頼めば降りしてもらえるのです。降りた人が土手を這い上がって来たところにオジェックが待機しているという次第です。

 

 自由 投資 迷い

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(^_-)-☆決めたが

2012-02-22 22:33:21 | 状況

1133 金型を無事受けった。持って帰るだけである。今後のことで最期の会社の社長さんと話をさせてもらった。4月中旬以前にインドネシアへ戻ることは決定していて、どこに拠点を置くかも95%決まっていたが、残りの5%を先ほどの話で明らかにしたかった。そしてはっきり100%決定した。
 これから何故大変なことに再び飛び込むのか、カツオだからですね。泳ぎ続けないと死んでしまうという危機感が在る。だから、死ぬまで泳ぐのです。たとえ病気になっても泳ぎ続けるでしょう。
 
 インドネシアは洪水の季節の真っ最中。ボゴールの山の中の川にかかる幅1m以下の竹製の橋が流されて、2人死亡6人行方不明。他にも一人や二人が川に流されて死んだという事故は何十とある。インドネシアでは交通事故や列車事故の頻発と同じように深刻に考えていないようです。身内を失くした家の人も、政府や行政、途方責任者を責める空気はない。責任追及で訴えることもない。それらのことは折りこみ済みで、子供を沢山,産んでいるのでしょうか。
 東ジャワでは鼠を殺す薬品(猫いらずのようなもの)を飲ませるという殺人事件が起きた。16人亡くなった。まだ、もっと、被害者がいるのではないかと犯人に追及している。犯人は50歳くらいの小男、とても、こんな大それたことをするとは思えないほど落ち着いたもので、警官ともなれなれしく、動いている。
日本でも昔、猫いらずを間違えて食べてしまって、子供が亡くなった。しかし、これを使って十人以上も殺してしまったといことは無かった。
ラフレシアの蕾、木の途中に張り付いている。こういう状態は珍しくない。この辺りは常時、咲いた状態や蕾の状態を見ることができる。
山の中の一般的なカーブが在る道、小中学生はこの道を使って通学している。危険な道です。生徒の中へ突っ込んでしまう車もある。日本でもそういうことが在りましね。癲癇持ちとか。
 決定 今後 危険

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(^_-)-☆下降社会と上昇社会

2012-02-21 17:14:30 | 情報

1132 日本へ持って帰る金型が完成したとい知らせで、チェックしに行ってきた。不具合がいくつか見つかり修正を頼んだ。明日の昼前に受け取りに行く予定だ。今の会社のために金型を作るのはこれで最後です。100%うまく製品ができる自信が在る。日本で金型を作ったのではこういうわけにはいかない。それに、同じものを日本で作ったら50万円ほどするが、こちらでは13万円でヒーターまで揃えられる。だから、私の趣味の開発的な仕事はこちらの方が、安く、様々なトライをすることができる。やはり、日本で、やったのではもったいない。
 開発部門は日本へ残し、製造部門を人件費や貨幣価値が低い国へだすといった考えは、今や、通用しなくなってきている。開発だって安くしたいし、小回りが利く、サプライヤーも必要です。一体、日本の中はどうなってしまうのでしょう。
 
 コレステロールが溜まって血管が硬化している状態で、打つ手が無い日本の社会が元気になることは想像できない。50年後位に年齢の人口分布がピラミッド型になるもで日本の国力は下降一方だと思う。政治が何をしようとしても結果は良い方向に向いたと認められることはないでしょう。現在と近い将来の人口構成では、何をやっても結果はよくならないし、やろうとすることに賛成はされないでしょうし、その賛成しない方も何の代替え案も出せないでしょう。無責任な事を言える人達だけが政治家に立候補出来るのです。本気で順調に行かせることができるなどと思っている政治家は全く居ないのが当り前でしょう。私が生きている内に日本の生活環境が上向くとは全く思えない。

 前にも書いたが、下降が止まらない世界の下降速度を下げようとするのは下降期間を長くするだけで、その世界のためにならない、落ちるところまでできるだけ早く落した方が早く上昇に転ずる。だから、下降速度が遅くなるための、日本への手伝いをしても仕方が無いから、外国の人を外国で手伝っているのです。私自身もその方が、生活環境が上向くと思っているし、日本で生活し仕事もするより、インドネシアで生活し仕事をした方が心地よいし、成果も上がると思う。
泥の中に漬けて乾燥させたアヒルのゆで卵です。ごしごし洗うと綺麗な水色をした卵が出てくる。何故、そうしなければならないのか分からないが、こうなっている。
下り坂 年齢構成 止まらない

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(^_-)-☆省略の仕方

2012-02-20 22:56:10 | 行きすぎ

1131 インドネシアではモートルと言えば、日本でいうオートバイ、バイクのことです。なぜ、モートルいうかと言えば、本当は、スペダ モートル、モーター付きの自転車ですが、スペダを省略してモートルと言っているのです。バイクではないモートルはそのままモートルですから、話しの前後で、バイクではないと判断します。一般の人は本物のモートルのことを話す機会がほとんどないので、一般的にはバイクのことになってしまっているのです。いちいち、スペダ モートルと言うのは長すぎるでしょ。ベチャは自転車の前に二人掛けの大きさの坐る場所が在る乗り物で、人間が足で漕いで運転する。その自転車の変わりにバイクを付けたものをベチャとモートルをくっ付けてベモと言います。ジャカルタ近郊では全く見られないが、私が行ったところでは、メダン、パダン、パレンバンとその近郊などのスマトラ。コタソロやスマランなど中部ジャワにはベチャが無くなっていてベモに置き換わっているようです。
モートルと同じような省略が日本でもされている。携帯です。全く、そのものと意味が全く違うのにそれが大手を振って電話になってしまっている。携帯は物を表していないのに、奇妙でならない。

まだ疑問ですが、また、どうでもいいがアヒルの卵は何故鮮やかな水色をしているのでしょうか。鶏の卵の塩辛いゆで卵を売っていないのでしょうか、それは何故、アヒルの卵でなければならないのでしょうか。しかし、どうしても疑問を解いてやるとは思わない。
ところで、ドリアンのアイスクリームを買いたくてリッポチカランのハイパーマートへ行ったら、たまたま、アヒルの生卵を見つけた。卵が積んである棚の一番下にひそかに置かれていた。Telur bebek mentahアヒルの生卵です。その横に、真っ黒く見える泥で包まれた状態の塩味のゆで卵も置いてあったので、どちらも買ってみた。そして目玉焼きにしてみた。何の異常もなかったし、普通に食べられた。黄身ではなくて赤身がちょっとどぎつい感じはするが、何故これがほとんど売られていないのか、また分からなくなった。泥に包まれた塩味のゆで卵が何故Mentahなのか、それも何故でしょうか。インドネシア語の微妙なところでしょうか。

 不思議 何故 省略

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(^_-)-☆アヒルの卵

2012-02-19 23:11:53 | 情報

 

1130  16年前インドネシアへ来て一週間もしない内に、何故だろうと思わされたことがあった。そして、それは、今でも何故だろうが解消していない。本気で解消しようと思ったこともない。インドネシアに新天地を求めて勇躍入国して一週間後の事、スーパーへ卵を買いにいった。卵は茶色いものと薄い水色をしたものが在った。水色の方が若干大きめでした。その時まで鶏の卵とウズラの卵くらいしか見ていなかった。鶏の卵は真っ白が大部分で茶色いのはブランド物の高級品で高かった。茶色い卵は買ったことが無かった。売られている姿はほとんどが10個入りの透明パック入りだった。ゆで卵を売っていることは無かった。コンビニで稀に売っていた。そういう事を前提にしているので、白い卵は有るかと聞いてみたら、その時はないと言われた。結局、茶色の卵を1パック買った。値段は一個五円位と記憶している。その当時は鳥インルエンザのことは気にしていなかたので、生卵を熱いご飯にかけて買い廻して、さらさら食べたものでした。その後、鶏の卵はどんな成分か知らないが茶色い泥で包んで乾燥させて泥を落とす工程を通ってから市場に出るので茶色くなるということがわかった。何故、そうするのかは腐る速さを遅くする為だそうです。低温保存チルド保存などは、インドネシアでは全くしていない。冷蔵庫もない方が大部分の家庭です。なるほどと思う。

 それでは何が不思議かというと、薄水色の卵の方です。一パック買ってみた。パックから出して割ろうとしたら、ゆで卵だった。それも、しっかり硬くなっていた。食べてみた。ショッパイというようなものではない塩辛いと言った方が良い。全く、食べることができない。聞いてみたら、料理に混ぜて味付けに使うか、スライスして料理添えてアクセントにするのだそうです。其のままでは誰も食べないよと言われた。中国にも有るそうで、日本へも輸出していると聞いた。しかし、日本では見たことが無かった。

 不思議なのはそのアヒルの卵は何故、生のまま売られていないのでしょうか。鶏の卵とどこが違うのでしょうか。聞く処に依ると、茶色にした艶のあるブランド物のアヒルの卵は有るそうです。それもゆで卵で塩辛いそうです。

 塩辛い卵が食べたいなら、調理に使いたいなら、鶏の卵を塩付けにしたらいいと思うのですが、鶏の卵で塩辛いゆで卵が何故、売られていないのでしょうか。

 アヒルの卵で生のものは売られていない。アヒルは受精しないと卵を産まないから、卵は全部受精卵、だから、すぐに茹でてしまわないと、中味の状態が変化してしまうから。という事を云う人もいる。もっともらしい。そういえば割って出てくる前の雛状態で売られていて、それを食べつ人もいると聞く。

 でも、それなら、品種改良して受精しなくても卵できるようにするくらいは、日本人なら得意でしょ。日本でアヒルの卵の人気があればそうしているだろうし、誰も研究しないということはないと思う。

  アヒルの卵の製造している場所へ行けば、生卵を食べることができると思うが、そこまでしようと思わない。

 

 一昨日のブログの会社の正門です。今はその会社のセキュリティに依って前は綺麗になっている。もう一枚は、女性専用の下宿です。Kost(コス)です。地方から出てきた若い女性がこういう処へ住んで職探しをします。家賃は共同カマールマンディ(浴室トイレが一緒になっている部屋の事)共同ダプール(炊事場)洗濯場(手洗い)で約2500円/月です。

 

 アヒル 卵 何故

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(^_-)-☆スケジュール

2012-02-18 21:53:32 | グルメ

1129 日本でアクアリュームのトップシェアーJ社のインドネシア工場PT.Lを訪問した。15年前からのお付き合いで当時インドネシアの副社長をしていた二代目が今は本元の社長になっていてインドネシアへは一か月に一週間ほど来ていると言う。彼を20代後半から今40代半ばとお手伝いをさせてもらっている。創業のお父さんの年齢は私より一歳だけ上です。私にこういう息子いたらいいと思う。しっかりしている。

大型水槽のフレームでずっとお手伝いしているが、東北の大震災以降ほとんど売れなくなったと言う。水槽の水の揺れが大きいので敬遠されるとのこと、また、実際に壊れてしまったものも多いわけで、その状態は惨憺たる状態らしい。

ペットや植物用の入れ物屋それに関連する商品も幅広く手掛けているので、全体の売り上げは上向きだと言う。頑張ってほしい。

 

そして、この日、インドネシアのどこで何をするか95%決定した。労働ビザを延長しないための手続きに必要な手帳やカードを全て労務に渡した。今持っているのはコピーだけになった。26日帰国のためのワンウェーチケットも手に入れた。ただし、三月いっぱいは本社の建物の一角で仕事をしなければならないので、もしかしたら出張でインドネシアに来るかもしれない。メールアドレスは日本で貰っていないので、インドネシアで貰っているotak-otakをそのまま一か月だけ残してもらうことにした。

 

 インドネシアではドリアンなど果物も旬です。ランブータンやドゥクは道端で自転車やバイクの荷台にまたがらせた籠や木箱にいれられて売っています。ドリアンの集積場へ行って様子のいいものを選んで開けてもらって食べた。ドリアンはその土地の名前がつけられているほど種類が多い。似ているが味や食べる部分の肉厚や分厚い皮の厚さ、それと臭いや味が微妙に異なる。ここのは、長径が15Cmくらいで種が大きく実が少ない、しかし、大変甘い。臭いはきつくない。私は4個たべてしまった。ちょっと酔っぱらったようだった。一個、80円くらいでした。仕事帰りで通りがかりの人達が、立ちよって、自分で選んで食べながら、世間話をしている。居酒屋へ立ちよってから家に帰ると言う雰囲気だった。

 

 ちなみにポンプはPompaです。ガソリンスタンドはPompa bensin(ベンシンはオランダ、ドイツ語からガソリンです)と言いますよね。サンヨーのポンプ製造工場はEJIPに入って直ぐ左に有りますね。11ナイロンチューブでお手伝いをしています。

 応援 予定 ドリアン

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(^_-)-☆注目ローカル企業

2012-02-17 22:30:58 | 情報

1128カラワンの某小型LPGボンベを作っているローカル企業がEJIPの北側デルタシリコンの某バイクメーカーK社の倒産跡地を購入したという話はすごいと思う。イジップからジャカルタ方面に行く場合、高速道路のゲートに向かう時、その前を通る。広大な面積でおそらく300メートル×400メートルくらいは在るのではないかと思う。裏の方は何も手入れをしていないので、草は2メートル以上の長けに伸びているし、木はジャングルの様にうっそうとした状態まで荒れているのではないかと思う。つい最近まで、元従業員が正門の前にたむろしていた。それが、今はいなくなった。目立たないが、正門の左と工場の上壁に大垂れ幕が、購入した会社の所有になっている事を示しているだけだ。気が付いた人は殆どいないと思う。私も人に言われるまで気が付かなかった。ただ、こんな広大な工場をどう処理するのだろうと気にはなっていた。そのローカル会社とは私がいる会社の押出部門は協力関係にあるが、射出部門は競合している。

 日本の某化学会社S社が合弁を申し込み、その工場にS社の名前でインドネシアへ進出してくることが決まっているらしい。そのS社以外のも日系企業の合弁申し込みの依頼が入っていて、もう一社との提携が決まったと言う。アストラやモデルンの財閥のような合弁引き受け会社の一角にその会社も名乗りを上げてきてきたようだ。社長は若いがあれよあれよという間にドンドン、会社の規模が大きくなっている。どこからそんなお金がわき出てくるのだろうか、不思議だが、インドネシア人でこういう人が成長を引っ張っていく人なのだろと思う。たいしたものである。

 決して部下たちを怒鳴りつけて自分の要求をぶちまける人ではない。見かけも部下への接し方も紳士である。日本の経営者は見習ってほしいものである。今後のインドネシアの経済界で注目される人物になることでしょう。

 花と船 インド洋 向こうはオーストラリアです。

勢い 新進 注目

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(^_-)-☆地方の特産

2012-02-16 22:22:15 | 行きすぎ

1127 パンガンダランから写真が送られてきた。壊れてしまったワルンの跡地に椅子やテーブルが集まられていた。大木は根本から持ち上げられて今にも倒れそうなのでほとんどの枝を切ってしまった。その場所再建設が始まっていて今週土曜日には開業するそうです。ぜひ来てくださいとの事でした。
 私は、北海岸通りを東に進みチレボン(爆弾製造の拠点が摘発された場所)の隣東のまちテガールへ行ってきた。この土地は、見渡す限りの小さい赤ニンニクの大産地。インドネシアではこれをどの家庭でも細かく磨って大量に使う。白ニンニク唐辛子は勿論だが、これが無くては料理にならないらしい。
 その広大さは、水田が何キロも先の山のふもとまで広がっているように広大な平野は赤ニンニクの畑が水平線まで続いている。
 なぜそこへ私が行ったというかというと、あるA社の人の扱いにたまりかね 元幹部がこの町の出身で自分で軟質PVCチューブの生産を始めたのです。その会社にPPのパイプを作ってほしいとの依頼が在り、農業の何かに短く切って使うらしい、技術の提供をしてほしいとの事でした。数年前一年半ほど私の部下だった事もあって、頼まれ事は引き受けることにした。

 それにしても、なぜこの土地が赤ニンニクばかりなのでしょうか。不思議でしょうがない。国道の両側には即売展が何百軒と在るのではないかと思うほど、ずーっと続く。ここら辺りはムディック(ラマダンの帰省)の時に国道は下り一方通行になり、上りは普段土地の人しか使わない田舎道に廻される。その道はどこまでも広がる赤ニンニク畑の真っただ中を通る。

 特産 手伝い 帰省道路

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(^_-)-☆セントバレンタイン

2012-02-15 22:43:17 | 習慣

1126 Hari kasih Sayang, ハッピーバレンタイン。インドネシアの今日はこればかり。どんなナショナルホリデーより宗教抜きの共通の祝日みたいなものです。15年前には、こんなではなかった。バレンタインデーといっても、それ何?という感じで、日本ではこうだよと説明をしたものでした。しかし、今は、マスコミの取り上げ方、テレビ番組での取り上げ方が先導になったのでしょうか、年々、その日の二週間前ほどから、贈り物を題材にしたコマーシャルが登場し、テレビ番組の予告もバレンタインデー特集になる。イスラム原理主義者の集団が警告めいたものを出すがほとんど無視されている。イスラムもキリスト教から分離したものだから、共通点は在る。アーメンと言うのも同じだし。クリスマスプレゼントやサンタクロースもイスラムの家庭でも一般的です。

 とにかく、日本のバレンタインデーより遥かに全国行事になってしまっていて、男性から女性に花とチョコレートなどを贈る。店はクリスマスセールやレバランセールや中国正月セールなどと同じようにバレンタインセールを展開する。あちこちにハートマークが溢れる。義理チョコというのも普通にあるし、グループ内でプレゼントの交換会もある。

と言うことで、タレントも色々な人にプレゼントするし、夫婦や恋人同士がタレントなら、この日前から、関連番組、特集番組の出演が多くなる。

 

パンガンダラン西海岸のバラック作りのワルンが突風で吹き飛ばされてばらばらになったり、例の両側に転覆防止に支えがあるボートが支えだけをその場に残して船は何十メートルも飛ばされたりしたと言うニュースが報じられた。電話してみたら、イブ、ウミのワルンも全壊してしまったそうだ。気の毒だが、あの作りでは、ちょっと強い風が吹けば崩壊するだろうし、そうなっても、二三日すれば、元通りになっているのではないかと思うシロモノです。カキリマに竹の支柱や屋根の格子を作って、プラスチックシートで覆っているだけだし、椅子やテーブルは砂の浜そのものの上に並べてあるだけだから。初めての事ではなかったし、2006年の地震と津波の事を思えば、たいしたことはない。

 

もう一つボゴール、プンチャックのバス事故の後も頻繁にバスやトラックの暴走に依る人身事故が連発して起こっている。東ジャワのマランでは、トラックが急にバックしてパサールの賑わいへ突っ込んだ。ここへ来て急に政府が何かいたのでしょう、バスやトラックの会社の点検風景が報じられている。一次的だし、何も問題が無いと点検していた人間はインタビューに応じていた。そんなものです。車検制度が無いのだから、点検などするはずが無い。

サンセットの風景。

 バレンタインデー プレゼント イスラム国家

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