南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆情けない

2011-02-28 04:46:18 | 人間

前のF社のこと、私の後継者と言うことで、本社の工場で33年の経験者。

53才で、私が始めてインドネシアへ来て、何もないところへ装置をしれて、高卒の何人かの新入社員に、言葉が全くできない状態で、手とり足とり、押出の技術を教え込んで、10年以上経過したところへ、その時の私と同じ年、53歳の人がやってきた。

何をするのかと思ったら、何もしない。作っている製品を見て、日本ではこんな製品はできないよ、と、つぶやいた。それから、何をしたかと言うと、各機械の稼働率や生産の収率を表に示すように、生産管理の担当に命じた。その結果を眺めて、一喜一憂をしている。収率が悪いからと言って、自分では何もできない。只、なぜ悪いのかと呟いているだけ。

ある日、生産管理の人間に原料別の購入先と電話番号、担当者のリストを要求した。リストが出来ていないと思ったのでしょう、明日までに作ってほしいと言っていた。しかし、ある。担当者は私が見ている前で、その人に渡した。それから、一週間後のこと、各部署の日本人8人で毎朝ミーティンングをする。その席で、「太田さん、原料の顔入先のリストをお願いしてあったのに、まだ、貰っていません、いつになりますか?」と発言した。これにはびっくり、先ず、そういう話は、ミーティングの場で言うことではないでしょう。押出の事務所で言えば良いことです。その場違いの発言に、頭が変じゃないのと思った。それから、「一週間前に担当者から受け取ったでしょ、私の目の前で、ですよ」と言ったら、「そんなことはないでしょう、受け取っていません」と発言。2人で言い合う場では無いので、私は、現場事務所で確認しましょう、ということで、終わった。ミーティングが終わって、PPICの担当者のところへ行って、聞いたら、彼も、渡したと言っていた。当り前である。ご本人、首をかしげている。インドネシア人担当者はそれを見て、改めて、プリントアウトして渡した。ご本人、それでも、全然、記憶がよみがえって来ない様子。だから、次の日のミーティングでも、私の勘違いでしたと発言することはなかったし、個人的に私に謝ることもなかった。だから、ミーティングのメンバーの皆さんは、私が忘れてしまって渡していないと思ったままになってしまっていると思う。ひどい人が来てしまったと思った。そういう、若年何とかというか、記憶喪失というか、もともと、全く記憶をしていないというか、ご本人が忘れてしまってインドネシア人が悪者にされる事例が次々と繰り返されている。いまでも、そうだと、聞いている。ご本人、自分で仕分けしてファイルが出来ない人らしい。他人にあれがないのか、これがないのか、と言うばかり、あると、それに、日本語で何のファイルと書いている。日本語のファイルではないのでそれを見ても分からない。

 

ところで、その仕入れ先リスト、どう使ったのでしょうか、電話を掛けて話をしたり、メールで何かを要求したりした形跡が全くない。原料に関して自分で何かする様子は全くない。何が目的で、そのリストを要求したのでしょうか、そういうリスト作っていないだろう、要求したらあわてるかもしれないと思って、要求したと勘繰りたくなる。勿論、無かったとしても、作れというだけで、自分が作ることはできない。

 

 その会社、私が残した仕事以後は新しい仕事は始まっていない、勿論、全部、できないと断ってしまっているからです。インドネシア人はできますが、その人が出来ないから、インドネシア人に任せて、やらせることはできない。

インドネシア人が呆れていることを本人はご存じない。

勿論、この会社も、ある仕事だけで、新しい仕事は取れない。

バリ島で一番よくみられる花、カンボジィアです。髪、耳に飾ります。スパでバスタブに入れます。棺桶に撒きます。白とピンクがある。インドネシアの人たちは花や木の名前を知らない人が大部分ですが、この花の名前は多分30%位の人が知っていると思う。

 

 ひどい だめだ 不毛

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(^_-)-☆日本の実態を感じた

2011-02-27 23:28:05 | 思い出

前の前の会社G社の時の話、客先へ行って図面や製品のサンプルを渡されながら見積もり依頼をされた。渡されたご本人、全くできない。勿論、その場で、出来るから、いつまでに見積もりを出しますという返事はしない、首をかしげながら、また、後ほど連絡を入れます。と言っていた。私は直ぐできるが、私がやるやけではないので、余計なことは言えない。それから、二カ月過ぎて、その客先から、その人でなくて、私に問合せが来た。「あの人、じゃ、だめじゃないの、返事が来ないよ、どうなっているの」という内容です。私から、本人に確認した、「本社でも、出来ないと言っていたから、そのままになっています」でした。とんでもない人だと思った。仕事が全くできない人だと思った。

「私がやるから、貰った図面とサンプルを私にください」といったら、「もう、二か月前の話でしょ、図面やサンプルですか、もう、無いと思います」だった、「そんなことじゃ、客先に申し訳ないでしょ、無いなら、あなたから、もう一度頼んで貰ってくださいよ」といったら、「太田さんが必要なら、太田さんから頼んでくださいよ、私にはできません」でした。話にも何もならない。

呆れて、しょうがないから、客先に誤って、図面を貰って、試作に掛ることを伝えて、その後、金型の図面を書かせて、金型を注文した。それが、また、問題、その図面のサインはその人がして、注文してしまった。インドネシア人が勘違いしていて、その人が、金型の事は分かっていて、その人にOKを貰えばその人が金型について責任が取れると思ったのだ。

注文してしまって、二三日後にその図面を見せてもらったら、間違いだらけ、そんな金型では寸法がまったくでない。インドネシア人の金型デザイナーが私の言ったことを反映していなかったのでした。急遽、加工屋さんへ走って、図面の手直しをしてきた。ご本人、経過を何もご存じない。話しても仕方がないので、話をしない。インドネシア人には、私が責任を取るから、その人のサインはサインとして、私に確認してから、外部に出すように頼んだ。

インドネシア人スタッフよる試作が始まっても、まったく見向きもしない。勿論、手も足も出ない。技術的に10年経験者のインドネシア人の方が33年経験者の日本人より遥かに上なのですから。客先には、返事をできずに知らん顔していた製品です。本社に聞いても出来ないと言われた製品です。

全く、日本の技術が落ち込んいることを思わされた。これでは、日本が長期低迷するのは当り前である。その会社は間もなく、インドネシアから撤退した。正解だと思う。

 

最近開店したばかりのリッポチカランのショッピングモール、シティヲークの中のファーマーズマーケットで売っていた果物類、ドラゴンフルーツの中身が白と赤と黄色が区別されて売られていた。このスーパーはちょっと上流階級をターゲットにしていると思う。日本のスーパーマーケットに負けず劣らずのサービスを展開していると思う。

従来から、人気がある近くのハイパーマートとは違う高級な雰囲気があるが、どうでしょうか、近くの住民に受け入れられるでしょうか、私は、庶民が買い物に来るには場所が余りようないし、他の楽しみがないので、若者もあまり来ないのではないかと余計な心配をします。早々と閉店などという事にならないように。スリカヤ、緑色の表面にぶつぶつ出っ張りがある、中味はそのぶつぶつ通り、小さな種に実が付いている。一つ一つ食べていると面倒、いくつもの身を口に入れて、種から実を離し、黒い種を吹き出して食べる。甘いが独特の甘みです。雨季の終わりごろが旬です。スバン辺りの田舎には道端で売っています。もうちょっと、知っていることを書くと、スリカヤという果物がある。中味は殆どスリカヤと同じだが外観はドリアンのような刺とげがあり、色は深い緑です。

私は、インドネシアの果物として、ナンカ、チィムベダックとこのスリカヤを紹介する人は紹介してほしい。

負担 邪魔 不用

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(^_-)-☆細菌培養、蚊を養殖

2011-02-26 23:49:26 | 知識

    サカザキ菌は粉ミルクに限らず、どこにも、かしこにもいるのですから、特別サカザキということでなく、一般的に大腸菌にたいする対策をこうじる必要があります。特に柯ちゃんがいる家庭では食器や拭く物の殺菌は必要です。乾燥に強いし、高熱に強いので70℃以上に加熱する必要がある。それを、40℃以下まで冷ましてから乳幼児に与えなければならない。と、色々な場所に書いてありました。インドネシアではそれが徹底されないし、環境が圧倒的に不潔なので、サカザキ菌は繁殖しやすい環境にあるので、発症する子供は多い。しかし、騒ぎは間もなく終わります。

 というより、デング熱(デングフィーバー)は日常的に子供を中心に多くの人が掛っています。本当に日常的です。ニュースになることはありません。しかし、病院へ行けば、次々とデング熱に掛った患者が入ってきます。医者も特別扱いはしません。一日入院させて熱が下がる傾向にあれば退院です。人から移るという病気ではありませんから、患者との接触で注意することは無いようです。とにかく蚊に刺されないようにすることが、予防です。インドネシア人の一般な子供は、蚊に刺されることに慣れているらしくて、食事で辛さを感じないと同じように痒いという感覚が鈍いのではないかと思う。蚊に刺されることが平気な子供が多い。蚊に刺されて痒くて目が覚めてしまう、眠れないということは無いようです。無意識に追い払うだけのようです。

 

 水捌けが悪いので、雨の後の水たまりがなかなか消えません。また、雑草の育ちが早く、ボーフラが成長する環境は至る所にあります。蚊が、広間、暑いときい涼む雑草の影もあちこちにあります。インドネシア中全体で、彼らに好条件を与えて、蚊を養殖しているのです。あの、南ジャカルタの有名なエリア、スナヤンゴルフ場、ここは蚊にとって都会のオアシスです。ゴルフ場の殆ど流れていないドブ臭い川と川の表面を覆っているゴミ。うっそうとした木立と、深いラフ、いずれも飼いにとって天国です。そこで、プレーする人は、虫除けスプレーで蚊よけ薬を皮膚全部の表面に塗るように言われます。

 また、高速道路のスマンギインターチェンジの下。ここもすごい、一般の日本人は入ることは無いので知らないでしょうが、高速道路の下をくぐる道が沢山あるので、近道として利用する。その場所が、日辺りが悪いので、乾燥することは無い。一年中、じめじめした状態を保っていて、ここも蚊の天国である。

 国の保健省やジャカルタ特別州の保険課がこの状態を知らないはずがないが、放置している。一般市民も、何とかしろよとは言わない。

 

昨日、今度はRacum Keracuman(毒、中毒、食中毒)で300人以上が病院へ運ばれた。ベッドが足りないので、大部分は通路で点滴を受けていた。結婚披露宴の食事が当たったのでした。結婚披露は近所の老若男女が三々五々訪ねてきて、食事をしてすぐ帰る、私の感じでは平均で朝から晩まで一日で、500人以上くると思う。多ければ1000人以上になると思う。なんどもそういう場所に行っているが、清潔だとお思った食事には一度も当たったことは無い。それでも、私は当たらないので気にしていないが、一般的な日本人にその食事を勧めません。

 

帰国のための準備の一つで、借家へ移った。その部屋の私の事務場所と頭の上の電灯。インドネシア人はちょっとお金があるとこういうシャンデリアを吊るしたくなるらしい。中国系の人は特に金キラ金が好きなので、赤で塗るのが主体だが、金色の張り物や装飾が多い。私はこういうのは嫌いだ、けばけばしくて気になって仕方がない。ぜんぜん気にならない物が良い。侘びさびの世界は日本にしかないと思う。家賃一万五千円くらいである。

 

不潔 臭い ゴミだらけ

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(^_-)-☆しばしのお騒がせ

2011-02-25 22:13:39 | 環境

今、インドネシアでサカザキ、サカザキとニュースで盛んにでてくる。全く知らなかった。バクテリア サカザキと言っているように聞こえる。有名なタレントがインタビューを受けて、生まれたばかりの赤ん坊の事を心配して話している。国会では、女性の健康省の大臣が、色々言っている。サカザキ、サカザキいったいなんでしょうか。ネットで検索した。
 なるほど、自分が発見したバクテリアでも、自分の名前は付けたくないと思うのは当り前でしょう。Enterobacter sakazakiiエントロバクターサカザキという細菌だとか。どうして坂崎利一博士の功績に敬意を表して付けたのでしょうか。どこへ名前を届けて、どういう審査で、名前が受理されて、世界に公表されるのでしょうか。命名の理由も申請書には書くと思うですが、命名が自分の名前なら異論は無いでしょうが、他人の名前を使って付けるなら、審査する側は、使われた本人の了解や承認を受けているのかどうか確認すると思う。坂崎博士は、OKしたのでしょうか。私なら、いくら、功績を讃えてなどと言われても、OKしません。
 ところで、インドネシアの粉ミルクから、次々とこの菌が検出されているらしい。どこで入ったのか、インドネシアなら、どこでも入るような気がする。もし、粉ミルクに入っていなくても、他の場所にうじゃうじゃいる菌だから、用心しても仕方がないと思う。1数年前ほど、日本でO-157に関係して大騒ぎの時期があった。その時、静岡県の保健所のトップの人が私に言ったことは、「インドネシアで仕事ですか、いいですね、私も行きたいですよ、インドネシアは大腸菌の宝庫ですから、色々な菌について研究できて、運が良ければ、新種を発見できるかもしれない。研究場所としてはうってつけですよ」でした。記憶に残っている。
 その通りだと思う。いま、サカザキ、サカザキと言っているが聞き始めて約一週間過ぎた、もう一週間後には、話題にならなくなるでしょう。サカザキ菌が無くなったというわけではない。もともと、何年も前からあって、騒がれていなかったのに、話をマスコミが取り上げただけである。だから、マスコミが騒がなくなれば、元に戻るだけです。また、何年後かに騒ぎにするでしょう。

 鳥インフルエンザが典型的な例で、今は全く、話題にならない。だからと言ってなくなったのではない。コンスタントに死者数は増えているし、国が作った汚染地域地図はインドネシア全土が汚染で真っ赤になっている。焼却というニュースも無くなった。多分、一般的に食べられているのだと思う。鳥肉も卵も焼いたり煮たりすれば細菌は死ぬから大丈夫と思っているのではない。鳥フルについて知らない人の方が圧倒的に多いから、問題にしないのです。

 それにしても、坂崎博士が細菌をばら撒いているような命名は変だと思う。同情をする。日本人が犯人のような気がして、私としても、聞いて、面白くない。

 インドネシアの秋です。というのは冗談です。木が枯れるのではなく、葉が枯れて落ちるのです。
 命名 騒ぎ 一時的

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(^_-)-☆金属加工や装置

2011-02-24 23:36:36 | 情報

   押出の金型を注文するのは1996年インドネシアへ来て以降、インドネシア国内の金型屋さんです。日本に頼んだことは一度もない。理由は簡単、インドネシアで出来るし、安いし、早いからです。押出の金型は、こちらが書いた図面通り、指示どおりに作ることが出来ればそれでいいのです。あくまでも、金属の加工が出来ればいいのです。射出のように製品図面を渡して、その製品が出来る金型を注文するのではありません。金型を注文するだけです。

最初は日系の射出の金型を作ることが出来る金型屋に頼んだが一年後にはローカルの金型屋というより金属加工屋で出来ることが分かった。それも、一、二だけでなく、何社もあることがわかって、ローカルに切り替えた。日本で作る値段の三分の一で出来るようになった。そして、最近は、ドンドン金属加工屋が増えて、値段も下げることが出来るようになった。ローカルでも、10年前の五分の三くらいで、出来るようになった。頼む会社も変えている。だから、日本で作る価格の四分の一になっている。日本の押出成形屋は金型を海外で作ることをお勧めします。

金型の他に、色々な自動機も設計して作る会社が沢山ある。どうしても、日本からや海外から輸入しなければならないという装置は殆ど無くなった。しかし、それを知らないか、使いこなす自信がないなどで、高くてもやはり日本製だという日本人も多い。人それぞれである。

 

インドネシアの金型工業会というのが多分10年ほど前から活発に活動するようになったと思う。ジャカルタ新聞にも登場する機会が多い。私も15年くらい前から、インドネシアで押出の金型には係わってきた。ひにくるわけではないが、金型工業会を引っ張っている人は射出成型の金型の専門家なのでしょうか。どういう関係の仕事の人に声がかかっているのでしょうか、金型と言ったって、範囲は広い。数は、プレスの金型が一番多いのではないでしょうか、ついで、射出の金型でしょうか。間違っているかもしれません。この二つが大部分であることは確かでしょう。材料の色々あって、鋳物や食品サンプルも金型でしょうか、金属ではなければ、金型とは言わないのでしょうか。押出成形に限っただけでも金型は、多様です。シート、プレート、フィルム、コルゲート、網の筒、(ミカン袋のようなもの)パイプ、チューブ、電線などのコーティング、数か少ないが種類が多い。こういう金型に係わっている人に金型工業会は声を掛けているのでしょうか。それとも、全く知らないのでしょうか。それとも、無視しているのでしょうか。私は、別に、金型工業会に係わりたいとは思っていないので、どうでもいいのですが、せっかく、金型工業会と言っているなら、金型に係わっている全ての業界や人に声を掛けて、他業種交流をして、色々な業界の智恵を集めたらいかがな物かと思う。

 

ジャンブーと大きい方がジュルックバリ、どちらも赤と白があるそうです。家で飼い始めたヤギ、いつまで我慢できるでしょうか。

 

金型 目立つ 影

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(^_-)-☆コンサルタント

2011-02-23 23:25:52 | 矛盾

    ある会社にコンサルタントとして訪問をしていたが、今日、その診断書のようなものを提出した。その会社は、日本の会社にいる日本人が余っているのか、やたら日本人が多い上に、日本人の出張者も引っ切り無しに来ている。本社の社長に頼まれたのだが、その社長さんが全て決めて、許可して、勧めていることである。こちらにいる日本人が勝手に来ているのではない。多ければ、分担してやればいいのだが、それほど沢山の仕事があるわけではないので、一人なら自分で決めて自分でやれば済むが、二人なら、それぞれの意見が合わなければならないし、二人の得意不得意、能力も違う。部下も二人に気を使わなければならない、客先も、外注先も、二人に聞かなければならない。それが三人ならどうでしょうか、もう、回りは、いい加減にしてよ、という雰囲気になってしまう。

 その会社は、そんな雰囲気です。経理が二人、インドネシア人部下の指導の仕方は違うし、能力も経験も違う、部下の評価も分かれる。扱いやすい部下がそれぞれ違うのです。そこに、出張してきた会計監査ガいて、両方から報告を受け、聞き取りをしている。経理のことは分からないが、雰囲気が悪いことは明らかである。

製造部門の人も、メンテナンスを含めて多数の人がいる。それぞれが、何を担当しているのか分からないし、ダブってやっている場合もある。社長と副社長がいる。

他の会社で社長も副社長もいない(常勤では無い)会社も沢山あるというのに、この人たちは一体何をしているのでしょうか。

とにかく、何でもいいから、日本人を半分にすることを提案した。そして、一つの仕事を一人ということより、二つの仕事を一人でやるように勧めた。営業と購買は兼務、製造と開発は兼務、人事と総務は勿論兼務、その一人を補うのはインドネシア人スタッフです。それなら、客先も、サプライヤーも一人に話をすればいいのだから、ほっとさせることが出来る。部下も安心します。誰に話をしていいのか、迷うばかりです。挙句に日本人からの評価を下げられてしまうのでは、泣きっ面に蜂になってしまいます。彼らにドンドン多くを任せるようにすればいいのです。日本人が多い会社ほど利益は上がらないのは当り前の話で、現地人に任せることが出来る会社ほど日本人の能力が高い。

任せるということは、自分が先ずやって見せて、手本を示すことが出来ることです。そして、任せた人間が失敗したとき、フォローアップが出来るということです。自分が、最初からやってしまうより難しい。しかし、それが出来る、能力と気持ちに余裕があるということです。あなた、どうですか、フォローアップ、バックアップが出来ますか。

 

谷崎潤一郎の心境で、ケーキを買ってきてほしいと頼まれたので、近くのベーカリーへ行って買ってきた。風車が屋根にあるホランドベーカリーでパンとケーキを何種類か買っての、写真はその一部で300円くらいだった。インドネシアの一般的な、サリ ロティなどのパンは、その半値くらいです。

 

 問題 余分 窓口

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(^_-)-☆会ったことがない

2011-02-22 23:10:30 | 矛盾

 訪ね人と言おうか、浮気調査と言おうか、とにかく、依頼を受けて人を探し出す番組もいくつかある。これについては以前にも書いているが、一番、変なことは、夜、車の中で訪ね人を待つというか、待ち伏せをするというか、そういう、状況が多い。車の中はこうこうと照明を使っている。マジックミラー状態にはず。こちらからは外を見にくい、外からはこちらが丸見えである。どちらが見張っているのか分からない状態である。見つけようとする人が、家から外へ出てくれば、でてきた人は、何事かと直ぐ感じる。それでも、気が付かないようにしていて、こちらからは窓に顔を押しつけるようにその人を見ている。っどうみても、やらせとしか思えない。

 インドネシア人の間で、これが、クレームの対象にならないどころか、知っている人に、話を持ちかけても、変だと思う人は一人もいなかった。

 

 怪奇というか、お化け番組も多い。何年も前に閉鎖された工場の取材が多いようだが、そこに勤めていた人の案内で、夜、そこへ出かける。誰もいないのに影だけ見得るとか、もともと、真っ暗な中に暗視カメラをもって撮影しているようだが、暗視カメラに何か移っているときに、その取材をしている人にも見得るらしい。普通、真暗なら、カメラに映らないし、その人にも見えないはず、火の玉のような発行体が在るなら話は分かるが、人がいるとか、その影だけが動くというのは、あるにしても、見えないはずである。懐中電灯を持っているなら、歩きやすいが、お化けから、ばれてしまうので、もって入っていない。それでも、扉がどこにあるの、机やソファーがどこにあるのか分かるらしくて、四かるし、見つける。そういう人の方が怪奇だと思う。こういうバカバカしい、番組の人気が在るから、続くのでしょう。

 

 怪奇現象を信じる人が多い。未だに、ブラックマジックも多くの人は信じている。何か不幸なこと、うまくいかないことは、誰かが自分にブラックマジックを使っていると思うし、誰かを陥れようと思うと時、祈祷師に頼むとか、自分でも、念じるらしい。逆に、自分が成功するように念じたり、祈祷師に頼んだり、アラーに祈ったりすればいいのに、そういうことはなく、他の人を破壊する目的でそうする。やはり、宗教の影響が在ると思う。創造より破壊である。

 なにか、不思議なことが在るとブラックマジックの所為だという。真剣にそう思う人がおおい。だから、怪奇現象のやらせ番組でも、信じる人が多いので続くのでしょう。こちらのホラー映画は人気あるのは勿論だが、日本のホラー映画も人気がある。

 一度、ぜひ、会いたいと思っているが、可能性はないと思う。

ハスの花は日本より遥かに多く見る機会が在る。ビンタローの木は日本にないと思う。実を食べると死ぬという。

 独特 見えない お化け 

 

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(^_-)-☆やらせ番組

2011-02-21 23:38:58 | 矛盾

   テレビの番組にAku jika Menjadi(アク ジカ ムンジャディ、もし、私がなったなら)というのがある。長寿番組である。若者が、田舎の貧しい家庭に何日か泊りこんで、その家の仕事を手伝う。若者は都会で育った人たちなので、その仕事の大変さと評価(価格)の低さと、住まいの貧弱さに戸惑って涙を流す。その家の人たちも一緒に泣く。そして、家族で、一日出かけている間に、生活必需品や電化製品や場合によっては牛やうヤギ、バイク、そして、家の建て替えや小さな店の準備などをしておく、夕方帰ってきた家族が感激して泣きだす。そして、アラーに感謝する。

 別の番組で、Minta Tolong (ミンタ トロン、お願い助けて)というのが在る。この番組の内容は貧しい家の子供が靴やサッカーボールが使えなくなってしまったので、お金をほしいとか、現物を買ってほしいとか、一見、貧しい人に路上で頼むのです。いかにも貧しそうな、道端で小物を売ったり、何かを修理したり、体の一部が不自由だったりする人に頼むのです。テレビ番組の制作者が子供をそういう人に仕向けるのでしょう。近づいていってしつこく頼むのです。進行上、最初のうちは、冷たく断れる状態を長し、そのうち、何とかしてやろうという人に出会うようになっているのです。

 手助けしてくれた人に、番組のスタッフが、何故、自分の暮らしが大変なのに、あの子を助けたのか、という質問をし、そのご、多分、百万ルピアくらいだろうと思うが、さっと出して、その人に握らせ、立ち去るのです。それにびっくりしたと同時に、膝まづいて、お祈りを始めるのです。そこへ、カメラが真近に寄ってきて、再度その人の生活事情を質問し、その人の家庭まで押し掛けて、思いがけないお金が入ったことの家族での喜びを取材し、アラーへの感謝のお祈りを流すのです。

 手伝ってもらった子供のことは、全く話題にしません番組のスタートの意味から、その子供がどうなったのか、触れなければならないと思うのですが、無視のまま終わってしまう。

 子供が一見、金持ちに頼んでしまって、手伝ってもらったのでは番組にならない。もし、私に頼んできたら、直ぐ、手伝ってしまう。それではだめなのです。

 

もう、一つTokar nasib(トカール ナシブ、運命を交換)金持ちの家族と貧しい家族が一日24時間家を交代して住むのです。金持ちの家の子供は不満タラタラ、奥さんも大不満。貧乏人の家族も、その生活に馴染めない。どちらの父親も、その仕事に馴染めない。結局、どちらも、満足できずに元に戻ってほっとする。そして、金持ちの方から貧しい方に何らかのプレゼントをして、めでたし、めでたし、で終わる。これも、番組の進行上、貧しい家の人が金持ちの家の暮らしや仕事に満足してはならないはずである。いずれも、元に戻りたいという気持ちにならなければならないはずです。そのように仕向けるのです。

 

 貧乏人をネタにする番組が宗教の宣伝に使われている印象があるが、インドネシアの大多数の人はこういう番組に心地が良いのだと思う。

葉っぱのような花、色違いだが同じ花です。それとも、葉の変色なのでしょうか、小さな花がやはり色違いで見える。

宣伝 やらせ 利用

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(^_-)-☆どうなっているの

2011-02-20 23:15:59 | 考え

   斜めからインドネシアを眺める 825

変なことがあった、韓国人と結婚して妊娠したばかりという、ジャバベカゴルフの元キャディーが夜9時過ぎに家へ来た。何か月前に一緒に回ったことがあって、キャディーの仲間に私の家が近いことと、電話番号を聞いたのでしょう。その結婚したばかりで妊娠していると聞いたのは、彼女が家に来てからである。名前も顔も覚えていなかった、リニーという名前を聞かされても、覚えがない。遊びに来ていいよということにして、実際、来たが、彼女は私を知っているのだが、私には記憶がなかった。

来て、直ぐお腹がすいているから、何か食べさせてくださいという。カレーが余っていたので、食べさせた。

 

リッポチカランの奥の方に住んでいるが、旦那が一カ月間バンコクへ出張で、家にいないので、私を思い出して、来てみたかったという。結局、私がゴルフをするため朝5時に家を出た後、家から出て行くまで、別部屋に寝ていたらしい。ゴルフを終わって、会社へ寄って、金型屋へ寄って家に15;00頃帰ったときには居なかった。あとで、SMSが入って、カラワンの実家へ帰っていることが分かった。

彼女、いったい、何を考えていたのでしょうか。また、遊びに行きたいと言っていた。妙なことだった。

妙といえば、マリアの子供が12日に生まれたことである。昨年四月には妊娠していなければならない。ブログを読み返せば、彼女がスラバヤは帰っていたかどうか分かるが、私は日本へ帰っていなかった。8月に、妊娠をしやすくするための手術をしたいと言って、スラバヤのご主人の所へ帰って行った。レバラン前に、二回にわたって手術をしたと言っていた。妊娠するまでこちらへ来ないようにと、言い渡してあった。妊娠して移動しても、構わない月数になったら、来てもいい、こちらで子供を産んでもいいよ、と言ってあった。

それが、いきなり、子供が生まれたと言ってきた。そして、明日は、子供の頭髪を切る儀式を行うという。その写真を送ると言ってきた。キツネにつままれているようで、何が本当なのか、分からなくなった。ともあれ、本当に自分の子供を授かっているなら、オメデトウである。私も、そのための資金的援助は、惜しまなかったのだから。そして、彼女と再び会うこと事はない。本来、私と一緒にいることは彼女がお金をほしいという気持ちからだけだったので、私は早く旦那のもとへ帰ってほしかった。彼女の代りをほしいなら、いつでも、誰かに頼むことはできる。半年先にはインドネシアにいなくなるのだから、これで良かったと思う。

 

旅に出ていたので三週間ぶりのゴルフでした。山へ登ったり、海で泳いだり、海岸を走ったりしていて、かなり鍛えたので、ゴルフの歩きは足が軽かった。だからといってスコアーが良かったとは言えない。

川へ入って足でボールを探している人、見えているのは三人だけだが、この時だけでも他に三人以上いた。ロストボールは大体十個五百円くらいで売っている。

ここのゴルフ場のプレー費だが、聞く処によると、ビジターは1,5ジュタらしい。高い!以前からメンバー以外は誘いにくかったが、なお、誘いにくくなってしまった。日本人関係のコンペは殆ど無くなっているが、全然、無くなってしまいそうだ。ジャバベカでやるなら、参加したくない、という人が、なお、多くなってくる。

中型トカゲ、ビヤワックの子供の珍しいツーッショット。

 

珍妙 嘘 不可解

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(^_-)-☆柔軟対応

2011-02-19 23:57:57 | 情報

    インドネシアで今、始めてやろうとしている製品は、日本から輸入しているもののインドネシア内調達の役に立つのは当然だが、日本の会社の自社製品として、売り出すことが出来る。こういう技術を持っているというアピールにもなる。今作っているどこかの会社は仕事が減ることになるが、今、手伝っている会社にとっては一石何鳥にもなる仕事だと思う。

 細かい仕事が、多数来ているが、いずれも、難しい仕事では無く、ローカルで出来るものばかり、私は知らん顔をしているが、多分、事情を知らなければ、めちゃくちゃ高い値段で見積もるでしょう。そうした場合お客さんにどう受けと入られるでしょうか、私が心配しても仕方がない。

 私なら、ローカルで出来るから、何もこの会社にやってもらう必要はないでしょう。原料の出所や成分についてどんな原料を使われるか分からないので、信用出来る日系企業から購入したいとい事なら、値段は高くなることを承知に上なら、見積もらせてもらう、ということを言います。他の日本人にそういうことが出来るでしょうか。出来ないでしょう。

 

 各種申請についてのアドバイスをしている会社は、そろそろ、私が言っていることが正しいのではないかと感じだしているようですが、今まで二年も過ぎて駄目だったものが、ガラッと方法を変えてゼロからやり直すなどということは、自分たちの失敗を認めることいだし、日本の本社からの評価は地に落ちでしまう。今まで何をしていたんだ、ということになってしまう。

 こちらの経営者と、総務的な仕事をしている某大手バイク屋さんのインドネシア工場で購買を長年やっていて、トップの紹介で来て、立ち上げを手伝っているはずの二人が、どちらも、意見が一致していて、このままの方法でじっと待つしかないと本社に報告しているようです。

 これでは私としても手伝い様がない、二人は何もしなくていいから、黙って、私に任せる、人間の容量があれば、半年先には全ての認可を受けることが出来るはずですが、だめなものは出目です。というわけで、この会社のボランティア的な手伝いを止めることにした。インドネシアベースの仕事にそろそろ終止符を打とうと思った理由の一つです。人が邪魔で、その場所にとっていない方がよいという例はいくらでもある。もう一つの会社でも、その人がいない方が良いと思うので、本社に進言をするつもりでいる。会社にとってもインドネシア人にとっても、そして、指導の障害はなくしたいので、私にとっても、必要なことです。

 

今日完成するはずの金型が間に合わなかった。明日、ゴルフの後、チェックと受け取りに行かなければならなくなった。

 

バリの土産物の安売りスーパー二軒です。どういうわけか、入る前にステッカーを張られる。どういう意味が在るのか知らない。聞いていない。

仕事 アドバイス 忠告

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(^_-)-☆いくつか次の準備

2011-02-18 22:37:00 | 考え

   斜めからインドネシアを眺める 823

  二月は洪水の月、過去のジャカルタの大洪水は殆ど二月に起きていた。今年はどうか、やはり、異常だと思う。乾季がなかった去年も異常だったが、雨季に入って、雨は増えて洪水も発生しているが、大洪水になるほど降っていない。洪水対策が整ってきて、洪水になっていないということは全くないので、やはり、雨が少ないからだと思う。また、今季の雨の降り方の特徴は一日の中の降る時間が不規則だということです。西ジャワは昼過ぎから決まって降るのが正常でした。今季は朝から雨にたたられることが多い。

 

 身辺整理を進め始めていたが、そのうちの重要な一人がマリアさんです。昨年のレバラン、ラマダンの前から、スラバヤのご主人のもとへ帰していたが、そのままの状態で彼女とは別れることになる。彼女はどう思っているか知らないが、彼女を救ったのは私だし、パニック障害の時、彼女に救われた。インドネシアの旅でも、彼女がナビゲーターとしても役割をしてくれた。経済的援助は彼女の家族を含めて十分にしたと思うし、ある程度の財産も残してやってある。いつかは分かれるのだし、彼女のことは、今月中にふっきることになる。妊娠が難しいと言われていて、手術をしたり、人工授精をしたりして、そして、子供も生まれた。その資金も全部私から出ている。

 

 日本の学校で勉強した人達の保証人としての義務的な役割は終わっているし、マリアさんと違って、日本での生活や学費の面倒を見た人たちは、現在は、自立をしているので、資金援助は彼らから断ってきている。精神的な支えと、本当に困ったときだけ相談に乗るという話になっている。日本で普通の付き合いになるでしょう。

 

 離す人もいれば、これから、手助けを始めようとする人もいる。日本へ帰ったら、保証人として呼ぶことになる、両親の了解と私に託すお願いを受けて、その準備を約半年前の今から始めさせている。日本にいるインドネシアンの何人かにも、不安をなくすための相談に乗るよう頼んだ。

 エアーリングが出来た。今回の試作にどうしても必要なので、グロドックへ部品を買いに行って、その部品を使って近所の鉄工場で作ってもらった。これも、会社へ寄付である。

寄付したエアーリングスタンド。会社から借りた車ダイハツセニア、ガソリンの消費が少ないと評判で良く売れている。

 別れ 始まり 支度

 

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(^_-)-☆Bali一人自由旅

2011-02-17 23:43:21 | 考え

   斜めからインドネシアを眺める 822

時間で戸惑う。バリタイムはインドネシアのジャワ島、スマトラ島の標準時間(テレビやラジオの番組はここの時間で編成されている)より一時間早い。国内でも、時計の時間を変更しなければならない。バリでテレビを付けていると番組の時間がずれているので、今何時なのかいちいち意識をしなければならない。日本との時差が一時間になるので、グログの投稿時間をいちいち考えながら変更しなければならない。出発時間もかなり意識しないと間違える。ちょっと厄介。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page237.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.html

ワルンとレストランどちらに入るか、インドネシア人運転手と一緒に食事をする機会が多い。必ず、ワルンにします。ナシゴレンの値段が150円位、飲み物と一緒で180円位、ところがレストランとなると安いところでも500円位になってしまう。バリの観光客が多くいる場所では、飲み物を含めて1000円位になる。ブカシ、ジャカルタの日本食レストランと同じような値段だ。観光客価格は驚くほど高い。そして、その値段ほどのおいしさはない、逆にワルンの方がおいしい。運転手はレスタランで日本人と一緒に食事することを嫌う。当然である。回りが、自分とまったく違う世界の人たちばかりで、緊張するし、彼らにとっては味も合わない。

ワルンに限る。行きなれているし、安いし、好きなものを自由に注文できるし、追加も出来る。サンバルなども自由に頼める。私も 洒落た外国人向けのレストランよりインドネシア人向けの一般のワルンの方が性に合っている。辛いものだけ避ければ、大変おいしいし、安い。運転手と二人分で300円くらい、それで、誰もが満足。

Baliに限らず、基本的に一人旅が一番、気楽で楽しい。連れがいるとどうしても、自分の思うようにはいかない、気を使ってしまい。その人たちの顔色を見ながら、聞きながらの行動になってしまう。お任せタイプではないし、他人にくっついて行く性質ではないから、欲求不満になる。不満を持ちながら、その人たちの面倒を見なければならない。一番そんな役割をすることになってしまう。小学校の遠足の頃からずっと、そう思っている。

チカランから車でロンボック、リンジャニ登山までの一人旅に匹敵するくらい今回の旅は満足でした。どちらも、連れがいたら出来ないことを多く体験することが出来た。一人旅の機会があればまたしたい。

ただし、40~50才日本国内の旅やスキーにいった時は一人旅では無かったが、この時は例外的に、一人旅の時と同じように連れに気を使うことが無かった、この時はやはり十分満足できたので、日本を離れる直前まで続いた。思い出す。懐かしい。

 

言葉が出来るということは、本当に、嬉しいと思う。旅先の誰とも、冗談混じりの世間話が出来る。ホテルのフロントと話を始めるとなかなか終わらない。ドンドン話しかけてくるし、質問してくる。たまたま、日本からのツアー客が到着し時などは、手伝うことになる。そして、日本人のお年寄りから若者までが私の話しっぷりに羨ましそうにする。また、感謝される。全くもって自己満足の世界に浸れる。バリの私が泊ったホテルでも私を通訳や運転手として雇いたいと言っていた。できる機会があればやってみたいが、あと半年で日本へ帰って日本をベースに仕事をする決心を固めた。インドネシアベースは5カ月ほどである。そろそろ年貢の納め時です。

車を売った。そして、会社からレンタカーを与えられた。家も売った。私は二万円の借家へ引っ越した。帰国の準備です。その前に技術的にやることが在るので、かたづけなければならない。

バリ旅はそんな区切りを考えて実行した。

バリの特徴的彫刻、YOGI大体二万五千Rpで買えます。

一回目の自爆事件の場所の向かい側に付けられた慰霊塔、犠牲者の名前が刻まれている。

考え事 区切り 無茶

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(^_-)-☆心地よい痛み疲労

2011-02-16 23:28:54 | 喜び

   チカランの家に戻っている。バリ発、バタビア、少し遅れて、17:00ジャカルタ着17:45でした。
睡眠不足で、羽伸ばしどころか、試練の旅でした。しかし、今日に限っては08:00過ぎまで寝ていて、朝食がクローズ前に間にあった。今回の旅で、始めてホテルで朝食に有りつけた。
クタビーチのマックの右隣のマッサージ屋へ行って全身マッサージをしてもらった。太ももがパンパンで、膝を折り曲げると筋肉が延ばされ、痛くて悲鳴を上げてしまった。
クタ付近だけかもしれないが、マッサージのホテルの部屋への出張はしないことになっているらしい。自分からマッサージ屋へ行かなければならないらしい。風俗の問題だと思うが、ホテルやマッサージ屋はそう言っている。しかし、夜、歩いていると、出張マッサージはどうかと、勧誘される。
クタ付近しか今回は見ていないが、一回目のボン事件の場所は未だに更地になっている。その前、道をへだてて、犠牲者の名前を刻んだメモリアルモニュメントがある。観光客は立ち止まって、写真を取っている。二回目のボンの場所は、どこか分からないほど、
それでもフライトが16:45なので、時間が在り過ぎる。そこで比較的近くの三つの岬へ行ってみることにした。まず、一番南の西の端Pura Luhur Uluwatu(ウルワトゥ寺院)へ行った。ここが素晴らしい、何故、昨日の夕方、来なかったのだろうと思う。天気次第だが、サンセットはタナロットに負けないはずである。それと、その時間に合わせてケッチックが催されるという。それは置いておいて、朝の景色も大変素晴らしい。寺院の左右合わせて500m位から眺めるとなお素晴らしい。そして、登り下りが激しいので、いい運動にもなる。
写真はそこで発見した、色も鮮やかな薄紫色のスイスのエーデルワイズにそっくりな花に出会った。これには感激、他の観光客はここまで来ないので、来てよかったと思う。
ヌサドゥアの先のブノア半島の先っぽ、ブノア岬(タンジュン ブノア)に行ってみた。この端まで、リゾートが伸びていたが、ローカルの人たちも多く住んでいて、リゾートとは違う雰囲気もある。仏教、ヒンドゥー、モスレムが入り混じっているようです。
最期はヌザドゥアへ入ってすぐ右のソゴーが在る裏の海岸、小さな半島が在る場所です。高級ホテルからは相当戻ってこないと見つけられない場所なので、欧米人や日本人はほとんどいない。ローカル家族連れが多く、和やかな雰囲気です。ババナボートやマリンジェットやフライイングボートなどが全くないので、子供も静かな遠浅の湾の中で水浴びが出来る、落ち着いたいい場所です。ちょっとした穴場というところでしょうか。

穴場 運動 岬巡り

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(^_-)-☆目的を達成した

2011-02-15 23:41:57 | 喜び

    ということで、今朝02:00にホテルから出発、キンタマニを目指し、バトゥール湖畔に駐車し、ガイドを伴って、バトゥール山頂上付近で日の出を眺めることとした。

 今回の目的は順調に達成した。ここのガイドは47人いるそうです。女性のガイドはたった一人、名前は、ワヤンさんです。何故か分からないが、私をガイドしてくれることになった。35歳で三人の子持ち、流石、ガイドである。毎日登っているそうで、疲れる様子を見せないどころは、私と話をしていない時は急な登りも何のその携帯電話を放さない。放している様子に息切れがはい。私は、ハアハアしていて、足を上げるのが大変、話どころではない。ただひたすら登るだけ、昨日の今日なので、足の具合が心配だった。

 天気は昨日と打って変って晴れ、満点の星が美しい。最初の30分は割合広いなだらかな登り、次の30分は若干狭くなって、火山岩の細かい砂、サクサクとして歩きにくい。時々岩の急な登りも出てくる。そろそろ、足に来る時です。次の30分~1時間(人によって大きく変わると思う)は急な瓦礫や岩の登り、足一歩を上げるのによいしょ、という感じになる。最期の登り100mくらいは胸突き八丁で手を使うこともある。

 私は、約1000m標高から、1700m位の展望台にある、山小屋(といっても、15平方メートル位の小さな休憩所、50歳くらいの女性がここで、ツーリストに熱いコーヒーや紅茶を100円位で出している。皆さん、ほっとするらしくて、飲んでいる。私と前後していたグループ(といっても、ブレの二三人連れ)合計15人位、その他に各グループのガイドがいるので、全部で22~3人でした。アジア人は私だけでした。

 とにかく、きついです。富士山は登り口何箇所からか、経験しましたが、もちのジグザグが大きい。こちらは、ジグザグが殆ど無く、直登りに若干のくねりが在る程度、アグン山もそうだったが、リンジャニ(ロンボク)も真っ直ぐに近い上りだった。私が、一番飛びぬけて歳だと思う。最初の平坦の時には何組かに抜かれたが、最期の三十分で全員を追い抜いて、お湯を沸かしてくれている山小屋へ着いたのは私が最初だった。到着して、早速、紅茶をご馳走になった。途中でばてたのは、女性で何箇所も休憩していた。

未完成だが、Photo Albumです。 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page236.html

 景色は抜群、サンモリッツを思い出した。スイスなら、当然ゴンドラか登山電車で10分くらいに高さだと思う。キンタマニからの景色は何度も見ているが、ここまで来て、大変な思いをした甲斐が在ったと思う。この場所から山頂までは50m位に見えるが、ガイドによると、急過ぎる上に火山礫なので、ずるずる滑って、一般の人は登らせないようにしているとか。二つのピークの間に深い火口がある。蒸気が登っていたし、熱い空気が吹き出ていた。見えないので知らなければ危険だ。毒ガスは発生していないと言っていた。

 日の出の方向に雲が出始めて、太陽を雲の中に見えたのが07:00を回っていた。展望台で一時間以上待った事になる。

 下りは、全く心配が吹き飛んで、膝のガクガクの兆しも無かった。走るように下ってきた。振り向きながら、大変だった山頂付近を写した。かなりの余裕でした。

 

 旅行会社のトレッキングパケット募集の年齢制限が15才~60才になっているという。7才もオーバーしているわけで、やはり、他人にはアグンもバトゥールもお勧めできない。相当きついと思います。結局、インドネシアの標高1500M以上の山は、他の日本人にお勧めできないということになります。

 ワヤンさんとツーショット、ダナウ バトゥール側からグヌン バトゥール。

 快感 やった 絶景

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(^_-)-☆悔しいと寺梯子

2011-02-14 23:29:31 | 体験

   今朝、1000地点を02:00に出発し、いきなり急な狭い、片側が崖の草ぼうぼうの道を登り始めた。真暗な中、薄暗い懐中電灯の光が頼りです。今回もリンジャニと同じようにガイドとポーターで三人でした。1300mを通過したころから、雨が降り始め、風も横殴りになってきた。既に1500M位に来ていた。標高は約3000mなので、順調に登って三時間だという。今まで一時間半以上登ってきたが、道は急になるし、つるつる滑るし、何が在るか分からない道の両側にも足を滑らすし、雨具は被っているが、殆ど意味が無いくらい体中が水浸しになってしまった。ガイドも心配して、どうしますか、行きますか、太田さん次第ですという。既に1800M地点だったが、断念することにした。悔しいが、二人に迷惑をかけることになりそうなので止めた。

 下りがまた大変、登って来た時より水浸しになっているので、つるつる滑る、何回、尻もちをついたことでしょう。暗くてその時は見えなかったが、体中が泥んこである。靴の中まで泥水が入り込んで靴の中で足の爪先が前に押し付けられて痛み出した。登って来た時は濡れていなかった下の方も雨が降っていて、寒さが身にしみるようになってきた。頭も、足もふらふらの状態で駐車場まで戻った。ところが、登山を終えて戻る時間10:00頃車が迎えに来ることになっていて、車が無い。寒いし、ガイドと一緒にどうしようか、ということになる、この近くに交番があるから、そこで休ませてもらおうという事になった。その間、運転手やホテルに何回も電話して迎えに来るように頼もうとしたが、運転手が電話を切っていたので、ホテルでも手の打ちようが無いという。

 交番の警察官曰く、直ぐ近くにプンギナパン、泊る場所が在るから、そっちへ行ったほうが良いと。そこを出て、ホテルを捜している内に、迎えの車が来た。迎えにむかているなら、そう言ってくれればいいのに、こちらは、完全に焦っているのだから。

 とにかく、あまり、無事ではないが、ホテルに戻った。05:00だった。バタン休である。目が覚めたのが08:30

 

 そのままでは、気にいらないので、09:00出発で、ヒンドゥー寺院の梯子をすることにした。有名なところでは、グヌン カウィ、タマン アユン、ティルタ エンプルなどですが、殆ど人がいない。チャンディにも数か所寄った。それぞれ特徴があるが、グヌンカウィの下りと上りには、この前のカンプンナガといい勝負の階段だった。いい運動を今日は夜中から何回もした。しかし、その岩に浮彫りにした彫刻は一見の価値が在ると思う。私も、年寄ですが、年寄りには大変です。階段の途中で座り込んで動かないブレが何人もいた。

 これは、後でまとめる写真集で確認してください。

 

 クタのホテルへ帰る途中、テガラランという村を通った、車が道沿いに沢山駐車しているので、何が在るのかと聞いたら、棚田が綺麗で、国が資金を補助してこの景観を保護しているのだという。申し訳ないが、これくらいの棚田はジャワ島では普通だし、十倍以上の規模のものも珍しくない。何故、ここが名所になっているのか、宣伝効果でしょね。

 ということで、また途中、木の彫刻店によって、私が言っているオランマルを五個仕入れた、一個、二万五千Rp(二百三十円位)でした。安い!!と、運転手がびっくりしていた。クタ辺りの土産物屋で買えば、五百円以上はするし、ジャカルタのパサラヤ辺りで買えば、千円はするシロモノ。ところで、この彫刻の正式な名前はYOGI(ヨギ)といいます。ヨガをしている人という意味だそうです。Orang Maru(恥ずかしがっている人)といって売った方が良いじゃないの、と、言うと、殆どのバリ人はその方が売れるかもしれないと言っていた。

 アグン登山途中、真っ暗な中のたった一枚の写真。チャンディ グヌン カウィ。

 疲労 無駄 挑戦
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