南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆インドネシアの子供達

2010-09-30 22:06:20 | 行きすぎ

また、また、もとキタガワの社員を入社させた。勿論、彼らは皆、私を有力なコネとして入社できることを期待し、申請してくるのです。別に私が強力に推薦しているわけではないし、総務には何も話をしていない。しかし、もう、いないだろう、と思っても、次々と入ってくる。私がキタガワを離れた後に入って、私を知らない人まで、知っているかのように入ってくるらしい。もっとも、この会社の総務の重要な役割を果たしている人たちは、私が推薦して入社してもらったのですから、彼らの知り合いが申請して来れば必要な部門から入ってもらうことは当然な成り行きでしょう。

 そんなこんなで、かなりの重要なポストは元キタガワの人たちが占めるようになっている。経理、人事総務、税関に対するトップ、第二工場のトップ、蒸着部門のトップ(日本で訓練中)、勿論押出のトップ以下全員、皆さん、日本人からの評価は、最初は良くなかった。この人たちは能力が今一だという話がわたしにもあった。しかし、その人たちの上の立場になれる人を人材紹介の会社などから、推薦してもらい、面接したところ、今いる人たちより遥かに高い給料を要求する上に、能力も今いる人たちより低い評価だし、紹介料も半端ではない。そこで、結局、採用をしないことにして、今では、全員がその部門のトップとして役立っているし、彼らのアシスタントを入社させるようになっている。

ベアチュカイとの関係トップの人も私の紹介だがコンサルタントのJA社(日本人人)から、彼女では能力不足だと言われたらしい。彼女は、もう、十数年の付き合いで、MM2100担当の税関職員とは顔なじみで、能力が低いはずがない、おそらく、その日本人の知識や能力が低いのだろうと思う、そのコンサルタントは、私は信頼していないので、ビザの更新などでは使わないようにしている。費用が、手数料が高い上に、申請も遠回りだし、シンガポールへ行くときも、なぜか、一泊するスケジュールを組んでしまう。

 この意見を真に受けて、他の人を採用し、彼女の上に付けるのか、難しいところです。税務署や税関とつるむような人を採用してしまうと、禍根を残す。せっかく、JA社の担当者より能力が高い人を潰してしまうことになる。それよりも、彼女が、彼女の意見を言いやすいような環境を作ってやることが肝心です。何か言ったら、余計なことをいうな、というような雰囲気はだめです。

こういう状態を見ていると、この会社の立ち上げを助ける役割とインドネシア人の子供たちを救う役割は一段落ついたような気がする。どちらも、私を必要としなくなるのは分かっている。自分の決心が変かわらないように書いておいている。

 

私の技術的なことは

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.html

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0007.html

PPプロファイル成形の開発をしたが、壁にぶち当たった状態が長く続いて客先に大変、迷惑を掛けてしまった。その記録です。まだ、十分ではないが、開発はこの仕事が最後になるでしょう。押出の開発仕事は体力勝負です。若いころにはその体力をフルに使ってどんどん、新しい仕事に挑戦したが、もう、今は出来ない。気持ちだけではどうにもならない。

間違いなく、メイドインインドネシアの縫いぐるみです。日本ではもうとっくの昔にこの種の縫いぐるみは、メイドインジャパンは無くなっていましね。先日、ドイツのニュールンベルグで買ったおひざ元ドイツ企業ナイキのスニーカーがメイドインベトナムでした。遠い旅をしても安いのです。

ISOの認定証です。苦節4カ月でした。担当の人たちはご苦労様でした。

体力  気力  執念

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(^_-)-☆任せる余裕

2010-09-29 22:26:50 | 習慣

ISO9001と14001のCERTIFICATEを受け取った。TÜV NORDからである。スタッフのインドネシア人には十分な感謝の意をあらわした。よく、やってくれたと思う。早速、フレームを買って会社へ寄付をした。インドネシア人スタッフだけで獲得した成果なので私も大変うれしい。今後は会社全体のISO収得のリーダーを引き継ぐことになろうかと思うが、そちらの方でも頑張ってほしい。

 

どこかで書きましたが、ISOは日本のものと異質です。というか、私は日本でのISOの収得プロセスを知らない。インドネシアのやり方は熟知している。

日本人がどこの段階、どこの時点でもちょっかいを出すことはプロジェクトにとって邪魔者、厄介者に過ぎない。コンサルタントもエージェントもインドネシア語で今までの指導の仕方で、ISOを取らせてくれるのです。インドネシア人はそれに従っていれば期限内にセーティフィケートは受け取れるのです。その行程の中に、日本でISOの収得で中心的役割をしていたからといって、張り切ってインドネシア人を指導しにきて、割り込んで入ったとすれば、考え方の違いや何より、コミュニケーション不足で何を言いたいのか分からない、混乱状態に、陥れてしまい、本人のストレスがたまる以上にコンサルタントやインドネシア人スタッフ悩ませてしまうばかりです。雰囲気が悪くなる上に収得の期間も長引いてしまう。

 

もし、QCやISOの専門家と言われる人が日本から派遣されるなら、ISOを収得した後、落ち着いて、状態や内容を確認して、何か指導したいことがあればそれから指導した方が良い。ISO収得トレーにンブ中に何もすることは無いし、何かしたら、邪魔なだけです。

 

規模にもよるが、平均的に60JUTAでこれも平均4~5カ月後には収得します。インドネシア人スタッフの人数は一概に言えませんが、コンサルタントとミーティングするのは4~5人で十分です。会社ぐるみでISO収得に向けて一丸となって走り、協力するという考えは同じですが、その濃さは非常に薄い。担当者だけでなにもかもやってしまいます。それが一番簡単な方法ですから。

 

会社からいちばん近い集合レストラン、インドネシア人しかここへ来ない。

ファミリーカラオケ、イヌルフィスタ、リッポチカランのハイパーマートの駐車場の一角にある。ダンドゥットゥ歌手のイヌルが展開している全国チェーンで人気が大変ある。システムは日本にあるカラオケを参考にしています。100%健全です。いわゆる、インドネシアで日本人が行くブロックMのカラオケとは全く別物です。

別物  厄介者  ISO

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(^_-)-☆終盤の寄せ次の一手

2010-09-28 22:37:28 | 習慣

  この会社の押出部門が順調かどうかは私の判断によれば、若干の滞りはあったが、おおむね大変順調に推移していると思っている。しかし、見る人によっては、もたもたしていると評価する人がいてもそれはそれで基準の違いなのであることだと思う。

小さい所帯で安定して確実の徐々に利益を上げてゆくやり方が私にとっては一番望ましい。大きなプレッシャーを回りに掛けなくても、私の力量で出来る範囲までに収めたいと常に思っている。売り上げも利益もほどほどでいいと思っている。それ以上の事は必要無いし、求めない。

実際、私がいた全ての場所で利益を常に上げていた。そして、客先にも満足していただいていた。そして、部下たちにも相当の配分をしていた。特に私が太田化工として経営していた沼津(現S社)の時と静岡の時には無借金経営で、自分の手形を切ることは無かった。こじんまりした規模にもかかわらず、常に高額納税をしていた。インドネシアへ来てからも、私の部門は本社や他の日本人の手助けを必要としないで、最初から利益を上げていた。だから、私のやり方なら、大きくはならないが、確実に儲かるし、従業員も明るく仕事ができるのです。私が手伝って、主に射出成形をしていた同じ会社の中でも押出は確実に利益を上げていた。東プラ精工、PT.KITAGAWAの中で、勿論、間違いなく利益を上げていた。扱われ方はどうしても押出部門に不利な状況でした。

そんなことで、大量生産、大量利益と大きく拡張しようとする今の会社には、方針は正しいと思うし、成功もしてほしいと思うが、私の考え方は全く馴染まない。私が、それに、協力することは能力的にも年齢的にも無理である。近い将来邪魔者になる可能性すらあると思う。これまでの私の役割は何であったのだろうか分からないが、役割は終わったと思う。出来るだけ早い時期に次の手を探らなければならない。迷惑を掛けないように引き際を探ることになる。技術者としての次の一手であって、何もしないで日本へ帰って隠居という一手は100%ないが。

 

ドイツ、ニュールンベルグのベンツのミニバス、外観と内部、インドネシアのミニバス、コアシとは別物のように綺麗でこれが普通だと思う。

 

読み  何手先  引き際

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(^_-)-☆外部的に動き出す

2010-09-27 21:57:32 | 行動

今日は06:00頃テーオフ予定だったので、目覚ましを04:00にセットしてその通り目が覚めた。大雨が降っていた。その後も降り続きスタート時間になっても小降りにならず待機して07:00ころやっとスタートした。その後はみるみる天気が回復し、南国の空と雲の雰囲気になっていった。

 昼食の時に話の成り行きで、私の今後の予定について重要なことを社長に打ち明けた。この考えは、変わることはないと前にも書いている。私が近い将来、どこかの組織の中で埋もれてしまうことはあり得ない。人の思い込みのままにはならない。

 

 既に赴任をしてきている二人は来週早いうちにシンガポールのインドネシア大使館でワーキングビザを発行してもらう段取りになっている。それまでは、仕事を出来ないが、それ以降は仕事を出来るようになる。10月から、押出のお客さんを回って、紹介をしようと思っている。現在まだ取引のない会社へは、私が連れていったり紹介したりしないで、自分で訪問してもらうことにする。私は外部的には、出来るだけ新しい仕事に係わらない様にし、私の影響を少なくしたいと思う。内部的にはあらゆる手伝いをするのは当然である。私の影を早く消して新しい人がやりやすいようにしてやることが私の責任です。

 

 会社が本人のために準備が遅れている物については私が個人的に私の所有物を使ってもらったり、私が余分に持っている物をその人に与えてしまったりして、仕事のスタートダッシュを、“あれがない、これがまだ、”という理由で遅れてしまわないようにすることも私の義務だと思う。これ等の事は、現在の客先に対する最低の責任だと思っている。

 

  その後、間を置かずに営業活動が始められると思う。それも、私でなく、新しい人がするはずである。

 目にした魅力的対象、色の鮮やかでインドネシアらしい。

  引き継ぎ  別の事  間もなく

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(^_-)-☆参加して良かった

2010-09-26 22:31:31 | ゴルフ

やっと何とか、仕事が流れ始めた状態で、振替え出勤日でしたが、朝出勤、直ぐに会社を後にしてゴルフ場へ、コンペに参加するためでした。重要なそして今、迷惑をおかけしているお客様の主催のコンペで、本当は出にくいにですが、それでも、そろそろ、参加をしておかないと、今後の事情で、参加できなくなる可能性があることを考慮して、今回、参加させていただこうと急遽決めた。

 プレー費用が高いので、安くなる午後からのスタートでした。ジャバベカのプレー日はジャカルタ、チカンペック高速道路沿線のゴルフ場ではいちばん高い上に、メンバーになっている日本人の数が他のゴルフ場に比べて少ない、そんな理由で、コンペを開きにくいゴルフ場という印象が強くなってしまっている。

というわけで、話はそれるが、NHK朝ドラの最終回を始めて見ることが出来た。ゲゲゲの女房、というのも、最終回は必ず土曜日の朝、6時ですが、その時間にはゴルフをやるために、もう、家にいないし、ゴルフをやらない時には自分の家以外の場所に出かけてしまっている、NHKを受信出来ない場所にいるからです。

 

 それはさておき、参加して良かったと思う。お得意さんだし、お付き合いは10年以上になるし、カレンダーの写真の事もあるし、先方の担当者は交代しているが、これからも、我が社とのお付き合いは続くだろうし、より重要性が増してくると思う。私が今の会社からいなくなったとしても、後任者は私以上にお付き合いを深めていただきたいと思っている。

 私が品物を購入して、会社の名前で、賞品の一部に充ててもらった。その賞品を4位と6位の人に渡してもらった。というのも、四位と六位は良いところへ来ているのに賞品、賞金はもらえない。5位は飛賞であるし、7位はラッキーセブンということで賞品を受け取れる場合が多いが、4.6位は何ももらえないからである。表彰の最後に余った品物を、“まだ、何も貰っていない人“といって、配るのが通例だが、シャツをそういう配り方はしにくいので、私からお願いした。そのことが結構皆さんから好評だった。賞品はジャバベカゴルフのプレー用のシャツだった。

 

 ところで、私といえば、ハンデキャップの多さもあって二位に入った.平行賞も貰った。一二位を的中させる戦勝複式の馬券でも的中させた。また、オリンピックでも20ポイントを取った。

寄付した賞品、参加費用と馬券費用の合計を大きく上回る収入があった。かなり、目立った存在になってしまっていた。悪くない。

 

 参加して良かった、お互いに。今後とも迷惑を掛けないようにお客さんのためにより品質が高い製品を提供して行かなければならないと再確認した。そして、今の会社を離れた後でも、求められれば、影で、援助をし続けなければならないと思っている。

 

イタリアのティラノの旧市街の中で、ピノキオアイスクリームとメープルリーフの落ち葉を集めている。

ホッ  賞品  安堵

 

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(^_-)-☆どうでもよくないこと

2010-09-25 22:51:18 | 生活

もうしばらくこの調子が続くと思うが、少しずつ改善をしている。新しい金型のトライも始まっていて、形の安定度は良くなったと思う。若干の手直しをして、来週から最新の金型で生産に入ろうと思う。はめ込みも新しい金型ではスムーズにいくことを確認してある。

 一人、ひそかに喜んでいることがある。一週間に三回ほっとする時間を確実に持てるようになっている。この時間の内容は明らかに出来ない。

 

 今日の昼食、アクアの小さなボトルを含めて240円です。タフゴレン、チャプチャイ、アヤムゴレンなどが乗っている。昨日ジャカルタグロドックで食べた物より高いが、清潔そうで、場所は明るいし、広い、そして臭くない。もう一つの写真は果物売りのカキリマ。お皿に乗っている状態で売ってくれるが、これで100円です。一週間に二回ほど会社のキャンティン以外で食事をしている。

 

今日も夕方にはしっかり雨が降っていた。ところで、家の裏に壺庭のようなものがある。回りが塀や家で囲まれている。その一角に洗たく機を置いてあって排水口に水は流すようになっている。それが、洗濯した水を流すくらいなら何の問題もないが、大雨が降った時が大問題になる。水はその排水パイプに入って家の下を通って、表の排水溝に流れる。そのパイプの径が小さい、排水が間に合わない。家の中に水があふれて入ってきてしまう。床上浸水である。その状態を知らないでいると、1cmくらいの水の層が部屋全体に広がりつつ、タイルの床の上を水が流れて玄関から出ていって表の排水溝にそそがれるという風景になってしまっている。

早期発見をしていれば、タオルなどで堰を作って流れを変え、カマールマンディの排水口に導くことができる。私が家で起きていれば、そういう作業をする。今年はすでに5回やっている。私が家にいない時に床下浸水した形跡も5回以上ある。

 

観察  出来事  日常的

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(^_-)-☆疲れるが仕方がない

2010-09-24 22:33:56 | 環境

射出の方で緊急に手に入れなければならない部品が有ってグロドックへ行ってきた。朝9時過ぎにでて、帰ってきたのが18:00ちょっと前、買い物に時間がかかったことと、やはり大雨が原因だったと思うが大渋滞に巻き込まれたからです。何故私かというと、会社に車が二台しかない。その二台を使ってしまっていて、私の車しかないからでした。私以外の日本人が5人で車が2台。それも、営業や経理などがそこへ出かけるときにも使うわけだから、どんなにうまくやりくりしても、どうしようも無くなると思う。それが、今日のようなことだった。私が、運転手になって、5時間以上インドネシア人を乗せて走らなければならない。今日が初めてことではないし、例外的なことではない。間もなく、日本人がもう二人増える。車と運転手をどうするのでしょうか。もっとも、押出の交代の人が、押出の事を全部見てもらえるなら、私は運転手専任としても働けるが、そうはならないでしょう。

昨日の写真とはあまりにも違う雰囲気で申し訳ない。薄暗い三階の片隅にかなり年季が入った設備を使って料理をしているインドネシアンレストラン。お客が腰掛ける場所がない。行くと、急ごしらえでテーブルといすを並べた。ナシゴレンやミーアヤムやミーバソなどの定番の10種類ぐらいのメニューしかない。イフミーがあるというので、頼んだら、普通のミーゴレンが出てきた。

どうも、各お店へデリバリーをするのが主な売り上げで、その場所へ来て食べる人はほとんどいないようだ。一般の買い物客が食べるのではなく。店の人が、注文をして、店の方で食べるのです。

ちなみに私たちが四人で食べた金額は55000Rpでした。約550円、一人当たり、飲み物(テータワール)も含めて、140円位だった。

ガジャマダ通りに面したビルの奥、いちばん最初に建てられたグロドックのビルで中に入ると異様な臭いと妙な重苦しい空気が漂っている。写真は電気関係のパーツやケーブルを売っている店、棚を含めて5平方メートルくらいの広さしかない。これが標準の広さである。その中が狭い区画に仕切られ、電気部品、各種工具、細かく言うと、ホース、ニップル、ボルト、Oリング、プラスチックの丸棒や板、はたまた、ハンコ、鋸の歯、永久磁石のブロック、などなどが、規則なしにバラバラに売られている。インドネシアのたくましさを感じる。

非常に汚くて臭くて煩くて狭苦しい。それでも、多くの人が買出しに来ている。ここに来れば何でも手に入れることができるからです。

 

臭い  汚い  狭い  暗い

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(^_-)-☆近未来の予定の一つ

2010-09-23 22:02:02 | 情報

昨日も今日も強烈な雷交じりの雨が降っていた。車の汚れはひどくなるばかりで、洗う気になれない。車をいつでも綺麗に磨いて使っている多くのインドネシア人の車も汚れているので、自分の車の汚れが目立たないような気がして、気分は悪くない。

洗濯ものは部屋のかなでほしている。帰宅するまでに雨が降らないという確率は非常に少ない。

それにしても、間もなく10月、通常の年ならそろそろ雨季に入る時期である。今年はついに乾季らしい乾季は無かったことになる。だから、ますます大きく掘りさげられ、深きなった道路の穴を修理しなかった。家の近くの道中央分離帯があるそれぞれ二車線道路の片側は完全に使いものにならなくなって、もう、三カ月過ぎる、修理ができず再開することができず、片方の二車線を往復路して使っている。こちらの方もかなり傷んできているが、使えなくなるほどひどくなるまで、このままになるでしょう。修理は来年の乾季になってから、つまり、来年三月ころ始めるしかない。雨季に田舎の道路を補修しても一週間もすれが補修前以上の崩れになってしまうのが通例である。

 

昨日、ドイツからメールでお礼の文章が入った。お礼を言うのはこっちの方である。まるで違う世界に入り込んで、おおいに、楽しんだ。命の洗濯をさせてもらった。

意識をしているわけではないが、自然に、なんとなく、何年もの間、普段は遠く離れているが、一年に一回かそれ以上の頻度で、日本かドイツで皆と集まることにしている。皆と言っても6人である。次は来年の三月末に日本で集合する予定になっている。それを続けることが出来るということは、全員、精神的にも健康的にも経済的にも恵まれているからだと、誰にと言うことなく感謝をしている。

 

皆でインドネシアに集合してもらうことが夢である。それは孫たちが小学生以上になってからの事、数年以上過ぎてからのことになる。私や妻が健康で長旅に耐えられる体力を維持していること、ぎりぎりで良いから経済的にも余裕があること、何より、皆で会おうという意識を持っていることなどの条件が揃っていなければならない。その時インドネシアで私が仕事をしているということは条件にならない。こういうことが一種の生甲斐というのでしょう。そういうものを持てること自体が幸せなのかもしれない。

 

 生甲斐  自立  恵み             

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(^_-)-☆交代の人が来た

2010-09-22 22:00:27 | インドネシア

   先ほど空港へ行って、私に代わって押出部門の面倒を見てもらうK氏を迎えた。ジャルタ大雨のために大渋滞になって、空港からMM2100まで三時間以上かかってしまった。家に戻ったのが22:30を過ぎていた。疲れた。
私が早くと望んでいた事でした。明日から彼主導の押出部門になる、そして私はその補佐役をする。出来るだけ早く、私を必要としない状態にしてほしいし、そういう気持ちになって欲しい。私は、その間に引き際を模索する。ある程度の期間を過ぎれば、自動的に去ろうと思っている。人を使うならまだ出来るが、自分でやらなければならない仕事なので、思考力、体力ともに衰えを意識している今、本当にもうそろそろ責任を負う立場はもう限界かなと思う。
今度迎えた人は、南部の押出成形工場である大井川工場から派遣されたベテラン技術者で、53歳、私が初めてインドネシアで技術指導を始めた時と同じ年です。30年以上押出に係わっている人で、会社生え抜きの人だそうです。インドネシア語の勉強も独自でやっているようで、意欲も見られる。
当時の私の心境を思い起こせば、体力の気力も今と比べれば格段にあった。これから最低数年はこの地でベストを尽くせるという自信があった。それと、同じと考えれば、10年以上先に来ている私ですが、今の私が超えている部分は殆ど無いと思う。あるのは、インドネシア語の力とインドネシアの社会を知っているということだけです。その部分で暫くの間、手伝いをするというだけで、仕事、技術に関しては、内容が違うでしょうから口出しをしない、余計な迷いを与えるようなことはしない。そして、私が全く持っていないもので、大いに使えることは、本社との人脈を大いに利用できることと、会社の方針、姿勢、考え方を熟知し、体に染み込んでいることでしょう。この二点については、私は全く、持ち合わせていない。いわゆる、よそ者ですから、それを求められれば、困るだけである。

これで、常駐の日本人は6人になった。10月には二人増えるという話だ。
ベルニナ地方の地図を見てどこへ行くのか私に聞いている5才の孫、サンモリッツ、バッドのちょっとした広場に置かれているエンジェルとデーモンというタイトルの像、見たのは三体だったが他にもあるかもしれない。天使と悪魔。いくつかの像が組み立て前のパーツに分解されて、郊外の広場に置かれていた。もっと、設置の数を増やすのでしょう。

交代  委任  早期

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(^_-)-☆会社が向かう方向

2010-09-21 19:04:32 | 行動

私としても、雰囲気として今日から、仕事が始まったような感覚である。ジャカルタからの出勤車の数も、ブカシ県庁へ出勤の車もラマダン前の渋滞に戻っていた。

各種生活関連の経費の支払いは毎月の中ごろすることにしている。水道代は例外でした。電気代、インドビジョン(NHKなどを視聴するための通信会社)、携帯電話通話料(ネットのパケット)などを銀行のATMで振り込む。ちなみにインドビジョンが35百円位、電気代が2千円位である。インドビジョンは毎月20日ごろまでに払わないと、通信をブロックされてしまう。先日書いたが水は三カ月、電気も三カ月滞納で切られてしまう。電話は二か月である。

多くの経費はATMで振り込み支払いが出来るが、日本で一般的になっている預金から自動的に支払われるシステムはまだインドネシアには無いようである。出来れば、いちいち、払いに行く必要はないし、忘れてしまう心配もないのに、それだけ、個人が、信用されていないのでしょう。

 

各会社からの最終オーディット(監査)が始まる。生産量は多くないが、納品客先の数が増えることになる。

ISOの9001と14000の承認証が間もなく頂けることになっている。既に、TÜV外部監査の結果全てがOKになっていて、記述内容に間違いがないか確認の原稿が届いている。ラマダン休暇が長かったので、今週末か、来週初めには受け取ることになっている。会社全体の獲得については10月から準備が始められる。実際に生産活動をしていなければ、コンサルタントに来てもらってのトレーニングをしにくいが、射出の方も一か月ほど前から数台の稼働になっているので、生産が少ないうちに取ってしまおうということである。インドネシアのISO収得は一種のセレモニーのようなもので、取引が始まる時に持っているか持っていないかでは受け取られる印象がかなり違うようである。ま、とっておいて損は無いという程度ですが、持っているかいないかは、先ず、聞かれることで、持っていなければ、持つ予定はいつかを聞かれる。インドネシア人QC担当者にとってはそれが重要なことのようです。

 前の会社の時には押出成形部門(私の部門)以外はいちはやくISOを収得した。何が目的だったのでしょうか、結局、その効果を使うという場面はなかった、というのも、殆ど、全量、日本の本社に製品を送っているだけで、インドネシア国内売りはゼロに近かった。逆にISOを取らなかった押出部門はインドネシア国内売りを主体に多くの会社の手伝いをした。それにはISOを持っているか否かは全く重要ではなかった。製品を作ることが出来ることが重要で、品質管理についてはISO相当の管理が出来ていればいいのです。額縁に入ったサーティフケートを受け取る必要は無いのでした。

 

 前の会社で、ISOを持っていても意味がないことが分かったのでしょう。四,五年後に更新を止めてしまった。新しいく、インドネシア国内売りの営業強化のための社長に交代した時、なぜ、ISOを継続していなかったのかと怒った。そして、新たにISOを収得した。しかし、その社長さん、国内からの新規受注は出来なかった。というより、営業を出来るような人ではなかった。そして、撤退したのでした。結局、ISOは飾りとして必要で、重要なことは、技術と営業力です。社長の椅子でふんぞり返っていて、動かざること山の如しでは、なんの仕事も取れない。こまめに売り込みに回らなければ何の成果も出ない。ISOを収得したかしないかではない。初歩中の初歩である。

 

 仕事売りと商品売りの会社の形態の違いでしょうか、この会社は営業に力を注ぐように、仕向けられているように感じるので、それはそれで、大変よいことだと思う。

 

ドイツとは大きくちがう風景、16番ロング小川超えの手前、17番ショートのティーグランドから。

初歩、  重要、  動かない

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(^_-)-☆大好きドリアンで

2010-09-20 22:23:52 | 喜び

プチ感動がいくつかあった。

三週間ぶりのゴルフ。やはり、南国で明るい雰囲気のゴルフは気分を爽快にしてくれる。久しぶりにしては調子が良かった。

 

車が新車のようになった。私が留守中に修理を頼んであった。塗装も全体にやってもらうと言うことで、出かける前に修理屋に予約をしてあった。保険を使える部分とそうでない部分があるので、保険を使えない部分は私が個人で支払うことになっている。

 

日本人の大部分が苦手とするドリアン。スーパーでドリアンアイスクリームを買った時のこと、いつものように引きガラスカバーを開けて、アイスクリームを冷蔵庫から取り出して、閉じようとした時、後ろから可愛い女性が、閉じるのを止めながら、氷を入れますかと訪ねてくれた。思わず、入れてください、と頼んだら、扉を開けて済みに積んであった氷が入った袋を取り出し、私が取りだしたアイスクリームと一緒にポリ袋に入れてくれた。最期にどうぞと言いながらカートの中へ置いた。

インドネシアでは初めての事で、ジャカルタの日系スーパーでは日本と同じようにレジで肉や魚やアイスクリームには氷を添えてくれるのは当たり前だが、日系以外では初めてのことだった。しかし、レジで氷を入れてくれるスーパーにであったことはまだない。

 

そのドリアンアイスクリームを夕方食べ始めた。他のメーカーのドリアンアイスより、黄色が濃いことと、ドリアンの香りが大きかった。しばらく食べているとドリアンの実の本物が舌にあたった。これも感激、味や臭いはドリアンでも本物がそのまま混ぜられてあるものに当たったのは初だった。その舌触りに、おや、っと思い、ちょっと感激。

 

この時、同時にドリアンも買っていた。そのドリアンはまだ食べていないので、部屋の中にドリアンの臭いが充満している。大変爽やかで心地が良い。

 

スイスの山の牛とインドネシアの牛ですが、一目瞭然、違いが分かる。牛の種類については知らないが、どちらも、それぞれの地で良くみられる代表的な種類です。

チョット  普通  サービス

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(^_-)-☆まったく!もう

2010-09-19 22:15:25 | 体験

出勤、土曜日だが、振替出勤日になっている。16日から会社は再開している。しかし、インドネシアはまだ仕事が本格的になっていない。月曜日からそろそろ公務員の仕事が始まるでしょう。今朝のジャカルタ方向は故郷からUターンの車で込んでいた。明日まで続くでしょう。この機会に、ムディックで故郷へ帰った人達が都会の仕事場に戻る、それと一緒に、都会で仕事を探したい家族や親族、知り合いも連れてきてしまう。また、一挙に都会や近郊の人口が増える。

実は今回出国の時にイミグレでちょっとしたトラブルがあった。私のモニターを開いて、

「あなたは出国できない状態になっている」と言いながら、画面の上から二番目の欄を指し、「ここが赤くなっている、ブラックリストにあなたは乗っている」と言うのです。「そんなわけはない、何かの間違いだろうから、理由の知りたい」と言ったら、あっちの方へ行って話を聞くが、時間がかかるし、複雑になって出国できなくなるかもしれないから、ここで幾らか払えば通してやる」という。「しょうがないな、THRと思って払うよ、50万Rp(5千円)」そこで払って通してもらった。

 入国するときには、担当者は黙っていたが、明らかに、私のモニターを見ながら、メモを書いていた。多分、ブラックリストの人間が入国したということを報告するためだと思う。「その、赤くなっているのは、何か問題があることを示しているのか」と、私から聞いた。「なにか、分からないが、あなたには問題があることを示している」と言いながら、入国スタンプを押した。問題があるなら、直ぐに、警察なり、ベアチュカイなりイミグレの人間が来て私を拘束すればいいと思うのだが、何事もなく、外へ出た。どうも、腑に落ちない。

 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、返事がきた。同じ名前の人がいて、その人と間違えたと言う。どこの誰が間違えたのか、どんな理由なのか、詳しく効いてはいないがとんだとばっちりだった。直ぐにブラックリストから消すと言っていたが、次に出国する時に同じことにならないように願いたい。

 

 私だから、何事もなかったように、済ますことができたが、他の日本人だったら、かなり、面倒なことになったと思う。

 

 仕事が忙しいので明日も出勤してもらう。私も午後から出勤になる。

 

Corvatsch Station Sils1797からFurtschellas la Chudera2312へ、そこから二つの湖    Lej da Segl 下にSegl Mariaの街。  Lej da Silvaplana 真ん中にSilvaplanaの街が見える。 

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page227.html 旅行記

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.html 写真アルバム

http://www.flipclip.net/users/enplaind/      ビデオ

 

トラブル  ブラックリスト  出入国

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(^_-)-☆夕方からチェック

2010-09-18 22:38:15 | 矛盾

今朝、11:00頃ジャカルタへ到着した。そのまま、出勤で12:30頃会社着でした。まだ、ジャカルタは仕事が始まっていないのでしょう。渋滞は全くなし、いつもこうなら良いと思う。迎えに来てくれた運転手は不合格、危なっかしい上に、気が効かない。

 

機内はどうしてこうも寒いのでしょうか、いつ、どの会社の飛行機に乗っても寒い。寒い国から出発する便も寒い。その為に、暑い国から乗る時も長袖の下着と長袖のシャツを必ず、着る。それでも寒い。私だけではないと思うが、中には、半そで半ズボンで平気の人もいるので、不思議である。今回のフライトも寒くて眠れなかった。

ともあれ、無事にインドネシアの自宅に着いた。シンガポールの早朝の気温は27℃ジャカルタの11:00頃の気温は30℃でした。やはり、この方が良い。

 

やはり、雰囲気はインドネシアの方が好きだ。暑い、明るい、人がごちゃごちゃいる。活気と言うか、賑やかさというか、何かが有りそうなというか、とにかく私には合っている。と言うことだが、早速お出迎えと言う感じ。家に着いて、トイレに入ったら水が出ない。どこを開けても出ない、外へ出て、メーターを見たら、その前のコックを針金で縛ってあって、水を止められていた。直ぐに、この分譲地の水道料金を納める場所へ行って払ってきた。なんと、6カ月(約1万2千円)払っていなかった。9月2日私が出発直後に閉めたそうです。ごもっとも。今までは半年だったが、今後は三カ月未納で止めると言われてしまった。今日は支払って家に戻ってきたら、もう、水道屋が来て開いていた。

ホッとして、やれやれと、体を洗っていたら、今度は、いきなり停電した。暑い。停電は二時間後に回復した。

 

シンガポールでのアナウンスメントを聞いていると日本語の案内が非常に多かった。それも、SQや日本の航空会社の案内で無く、それ以外の国の航空会社の便で成田行きと言うのが多かった。シンガポールは航空便の特に旅客便のハブになっていることがはっきりわかる。東南アジアの玄関口になっているのです。

 

一つエピソード、50S$を持っていたので、使いきろうと土産物屋へ入った。そこのレジの女性、英語、中国語、マレー語と様々な言葉でお客さんに対応していた。私の番である。私の顔を見るなり、マレー語でフライトナンバーは?と話しかけられた。その後も、最期までマレー語で通されてしまった。グラティスと言いながら買ったチョコレートがキャンペーン中でオマケだと言いながら、小さい同じものをくれた。こちらもマレー語で通した。なぜ、私をインドネシア人あるいはマレーシア人と見たのでしょうか。その前に、ドイツで受け取ったボーディングパスにゲートナンバーが入っていなかったので、インフォメーションで英語で聞いた。鉛筆で書きながら、「いーのにじゅうろく、あちらへまっすぐいってください」と日本語で言われたのに、である。

 

シンガポール(チャンギ空港)のコンコース、ジャカルタ空港とえらい違い。ターミナル3からターミナル2を望む。スカイライナーで大通りをまたいで行き来する。

 

断水  滞納  停電

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(^_-)-☆仕事の国へ戻る

2010-09-17 22:31:22 | 状況

ミュンヘン発13:35SQ327でドイツから離れた。シンガポール経由で、17日10:40ジャカルタ着の予定だ。

北のメルヘン国から南の竜宮城へ移動。ヨーロッパの国とインドネシアを比較することは出来ない。全く、違う国、社会だから、比較しても意味が無い。

どちらが好きかと言えば、インドネシアの方が私に合っていると思うから、好きである。今回、ヨーロッパのどこでも、食べ物には満足できなかった。基本的にパン食なので、米文化に育った私にとっては、不満である。パンは私のお腹にも合わない、インドネシアでもパンはおいしくないし、お腹の具合にも良くない。腹の中で団子状にかたまってしまう。

歳を取るとやはり寒いより温かな方が良い。やはり、Tシャツ、半ズボンが良い。30℃前後の世界から、いきなり平均5℃の世界に入って長袖に厚着で縮こまっていた。天候の具合が曇ると、いかにも、曇天と言う感じ、気分も落ち込んでしまいそうで、長くはいられないと思う。南の地中海地方や東南アジアへ旅行したがる気持ちがわかる。

 

9月始めだから、冬の対策が取られていないので、住環境を温かくする手段が取られていない。パソコンのバッテリーチャージのトランスを足の裏に当てて暖を取った。鼻水を流しながらの散歩だった。日本の自宅の自分の部屋なら、自分の思うように部屋の温度を調整できる。ドイツの家ではそうはいかない。インドネシアも自分の家なので調整は自分好みで出来る。

 

ミュンヘンからシンガポールに向かう日本人も目につく、小さな子ども連れの家族や定年退職後まだ海外で仕事をしているような私のような人、老夫婦二人連れの人たちなど、シンガポールで出てしまう人は少ないと思う。日本へ行く人、その他東南アジアへ散る人が多いようだ。日本人だけでなく、ドイツ人も同じような行動だと思う。

ミュンヘン空港への高速道路とのったSQとコントロールタワー

ハブ  寒さ  不眠

 

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(^_-)-☆最期のじいちゃん役

2010-09-16 16:08:22 | 習慣

 姉妹の間で争い事が絶えない。見ていてお姉さんの方に同情する。

例えば、妹は手伝ってほしい、手伝ってくれなければやらないと言って、手伝わせるまで、動こうおとしない。そのすぐ後に、同じことをするときに、手伝うと、今度は、自分でやりたかったのに、手伝ったから、もう、やないという。どうすればいいの?それの繰り返しだから、大人は閉口する。同じようなことが姉妹の間にはもっと頻繁に起きている。

妹は、自分の思うようにならないと、親に姉のしたことを告げる。親は姉を叱る。かなり、姉の方はストレスがたまっていることに両親は気を使ってやれない。言って聞かせれば、間違いは間違いとして認めてもらえると思って、確信をもって、叱ったり、こんこんと言い聞かせたりしているが、本人のストレスはたまる一方だと思う。ストレスがたまっていれば、何かの拍子に手が出たり、言ってはいけない悪口をたたいたりするのは、小さい子供では当然なことだと思う。

 お爺さんとしても、妹の方と係わるのは御免こうむりたい。親に何を告げ口されるか分からないからである。こちらへ来て二三日で、妹の方と係わるのは辞めた。おじいちゃんと言って、近づいてきても、空返事しかしない。なお近づいてきたら、逃げることにした。

 今日がドイツ最後の夜である。孫たちがとにかく可愛いと思うのは、どうも、二三歳の頃までかもしれない。今回、彼女達と接して、もう、おじいちゃんとして付き合うのがメンドクサイと感じるようになってきた。今回が、おじいちゃんとして接するのは最期にしたいと思う。来年の三月にまた会うことになると思うが、その時は、自分の孫という感じでなく、小さい子供達という意識でだけでせっすることになるだろう。普通のおじいちゃんと違うかもしれない。

プレーランドという遊園地へ行って最期のおじいちゃんをやってきた。

日本のアメージングパークと違い、素朴な遊具が多く、電動で動く物は無い、自分で遊ぶものばかり、積み木の大がかりなもの、滑り台の10m程度のもの、吊り橋渡りや梯子乗りなどは、子供たちの能力だけで遊ぶものです。こんな公園がインドネシアにあればはやると思う。

 

 ニュールンベルグの町中にある染料の会社、1700年代からの企業だとか。プレーランドの入り口前。

 

 おじいさん  孫  可愛くない

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