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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ノーテクノセンター

2010-08-31 22:21:21 | 状況

今朝は05:30に、日本から訃報が入った。仕事の関係はなかったが、ゴルフでいつも一緒させてもらっていた人でした。タイがお気に入りで、活動的で、タイの話をするときにはいつも楽しそうでした。私にも、絶対一度は行ってみた方がいいといつも言っていた。その人が日本に帰ってしまって半年くらい過ぎる。つい一週間ほど前に脳溢血で倒れて危険な状態になっているという知らせが入り、また、亡くなったという知らせが入ってしまった。明るい人で、言葉が丁寧というより、人を持ち上げるのが上手な人でした。インドネシア人従業員に対しても、冷静さを欠いて怒鳴りつけるようなことはなかった。大変、付き合いやすい、気さくな人だった。日本へ帰ることになれば、必ず、日本でもお付き合い願おうと思っている人の一人でした。まだ、50歳前後でした。悲しい。

 

二か月ほど前に帰国した人で心臓に不安がある人がいたが、その人は、簡単な手術を終えて、経過は良好、今また、インドネシアへ戻って、従来の仕事を続け出した。この人は私と、同じ年で、まだまだ、インドネシアで活躍していただきたい人の一人です。

 

納品が始まった。日本での調達が遅れそうで、日本から、インドネシアで調達したもので組み立てて欲しいという依頼が入っているようで、こちらも、遅らせていた関係で、何が何でも、何人でも人を使って、日本への出荷に間に合うようにしなければならないと思っている。この仕事は、私が、いなくなってしまう、二週間にも継続しなければならないことをD君を始め、インドネシア人スタッフには念を押してお願いした。

 

S会長とK社員が来イして工場の案内をした。押出については利益を上げることができるようになっているが、どうも、会長の大規模売り上げと利益を上げたい考えと、少ない量でほどほど、利益が上がればいいと思っている私とでは規模が大きく違うので、ハッパを掛けられたが、後継者のK社員にそのことはお願いしようと思う。

 

技術的には色々持っていそうだし、インドネシア語も少し、覚えてきているようだし、それなりの期待をして迎えようと思う。任せることが肝心で、これから仕切る人の考え方優先で、その、サポートをするという姿勢でいたいと思う。

スカルノハッタ第二ターミナルのソラリアレストランでイフミーとテーマニス120円です。PT.NANBU第二工場の玄関前

  顔  看板  訃報

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(*^_^*)スパートで追い込み

2010-08-30 22:18:55 | 行動

プチ グンビラ!1  とにかく間に合った。ドイツへ行く前に何とか出荷まで持っていかなければ、ドイツへ孫

にノンビリ行ってはいられない。スイスの山小屋も一週間予約してしまったが、場合によってはキャンセルもあり得ると考えていた。

 

 プチ グンビラ!2  ダウンロードが早い。今まで、家でのローディングにかなりの時間がかかっていた。HP(Hand Phone)の電波状態が悪かった。どうも、フラッシュと通常回線と別物のようで、アンテナがフルの時でもフラッシュはダウンロードが、非常に遅かった。おととい辺りから、家庭電話回線と同じくらいのスピードになった。このままの状態を保ってくれることを願う。

プチ グンビラ!3  ISOのエックスターナルオーディットも30日と31日にまで漕ぎつけた。この方は順調に予定通りだが、それにしても、ぎりぎりだった。上手く行けば私が留守中に承認証を受け取れるかもしれない。遅くても、レバラン開けには受け取れる。

 

 

仕事は順調にいっている。今晩、23:00まで稼働、明日、06:00過ぎから再稼働させる。三交代シフトのメンバー交代で仕方なく、稼働をとめる。

 

PPの中空異形品でお手伝いをすることになって数カ月過ぎ、なんとか、お客さんが納得する、日本の製品と同等かそれ以上に品物が出来るようになった。何種類かあるが、簡単なものから、それほどでもない物がある、しかし、セットで使うので、一種類でも出来なければ、出荷できない。

インドネシアで作る難しさは、先ず、押出成形をしやすくて、表面の艶などの状態が求められるものである事を満たす原料を現地調達できないことです。二番目に、押出の金型の壺の部分、肝心な部分の加工を私が納得するように出来る金型屋が無いことです。

価格について、日本から輸入する価格の0.6×の値段でなければならないことが、前提としてあるので、日本から、今、日本の押出屋が使っている原料を取り寄せて製品作るわけにはいかない。製品価格と原料価格が同じになってしまう。どうしても、インドネシアの原料屋が作った原料を使うしかない。MIは0.5くらいが、良いが、そんな硬いものはない。5前後の物が一番硬い。その原料でやるしかない。ホモやランダムなどを試したがいずれも、溶融粘度が低いから金型に製品がペタペタ付いてしまって、バキュームを掛けると、横に縞模様ができてしまった。バキュームの吸引力を弱くすると製品の形状が出ない。金型の材料、バキュームの引き方など何種類かの組合せでテストしたが、なかなか満足するものが出来なかった。溶融樹脂の入る角度を変えるために、口金の倍率もいくつかトライした。

ゴルフの後、出勤、仕事が順調に行っていることを確認して、夕方からジャカルタへ向かい、南部のVIPと押出の後継者を迎えにスカルノハッタ空港へ、迎えに、なぜか私が行った。MM2100のサービスアパートへ送り込んだのが23:00頃、それから、帰宅で23:30を回っていた。運転手を使っていないので、朝05:00家を出てから、ずっと、休憩なしどころか、体を動かしているのだから、結構疲れる。

 ゴルフ場の花、名前を知らない二種類。

  出迎え  難しい  押出成形

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(^_-)-☆私の子供達

2010-08-29 21:27:59 | 行きすぎ

午前中はゴルフ、午後から夜にかけて会社。今日も明日もオーバータイムで生産や後加工を続行する。私の子供達は全員張り切って仕事をしてくれている。頼もしい子供たちである。インドネシアの難しい押出成形は将来、私の子供たちが背負って立つ、必ず、である。いま、何社かの押出成形をしている会社があるが、いじれも、簡単なもので、品質もそれほどでもない。何より、インドネシア人自身で、新しい製品を生み出す力を持っているのは私の子供たちだけです。

私が作った装置で私が作った金型で、私がお手伝いした会社の製品をそのまま作っているPT.KITAGAWAから引き継いだ会社があるが、その会社は、そこまでです。その先はない。その仕事が終わったり、モデルチェンジになったりすれば、仕事はなくなる。新しい仕事を手掛けることはできません。こちらから積極的に営業活動をしなくても、PT.NANBUは明らかに下流にある。上流にある会社が、魚を捕まえる方法を知らないので、待っていれば魚は飛び込んでくる。そしてそれはPT.NANBUのインドネシア人が捕まえる。

 

 プラスチックの押出以外にも、射出関係で同じくらいの人数の子供たちがいる。PT.KITAGAWA時代にも私に愚痴を言いに来た連中である。押出に比べれば優遇された子供たちだが、PT、KITAGAWAの彼らの上司だった日本人が、彼らの仕事の面倒をみるなどということはしないし、とてもできない。結局、路頭に迷う羽目になってしまったわけで、頼りは私しかいない。頼まれれば、何とかしてあげなければならない。幸い、PT.NANBUでも何人かは雇ってもらえたし、その他の会社にも紹介してやることができた。

その彼らと、一緒に、仕事ができるのはそう長くない。最長でも一年半くらいだろうか、彼らのためでなく、自分自身のためだけにしなければならないことがある、それを済ますのに最長で一年半かかるからです。

 

私が資金援助をして何人かの子供たちを通わせ卒業させた、コンピューター情報技術関連の学校、専門学校BSI(BINA SARANA INFOMATIKA)である。ジャカルタ周辺のちょっとした町に分校がある。この建物はチカランバラットのインターチェンジ近く。夜間に通う学生も多い。結構、人気がある学校である。

渋滞に現れる飲み物やタバコを売り人、プアサの時期でも売り上げはあまり変わらない。

指導  援助  権利行使

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(^_-)-☆なにがなんでも帰省

2010-08-28 21:59:21 | 生活

車でのMudikの時、いろいろな予期せぬ事態に遭遇します。道の途中から前方からの一方通行になってしまい、経験が無い、地図に載っていない道の方へ廻される。前を行く車も、同じ方句へ向かってゆくだろうと決め込んで、その車について行くしかない。メイン道路ではない道なので、行き先を示す看板が無い。あったとしても、ダンボールに手書きの物があるだけ、何と書いてあるのか分からない。その道が一方通行になっていればただひたすら、元の道にでるまで走り続ける。昼間ならまだいいが、暗くなったら、本当に運を天に任せるしかない。間違っていないことを願うしかない。

昼間は、方角がわからない。太陽が頭の上にいる時間が長いので、影がどちらに向いているのかも分かりにくい、南か北に傾いていれば、方向を知ることができるが、真上ではわからない。曇りならもっとかからない。インドネシアの道は真っ直ではない、くねくね曲がっている。ルートの決め方は出来るだけ、橋やトンネルを作らないでお金を掛けないことが大前提です。山があれば迂回する皮があれば、熱帯雨林をクネクネ蛇行しる川の岸にしたがっている。だから、走る角がクルクル変わるのです。ですから、走っていて大変不安になります。

道の脇にあるモスジッドでお祈りが始まると、その一時間前ほどから、人があふれかえって道にカーペットを敷いて座ってお祈りの時間を待つ、お祈りもその場所でするので、その時間、良くて片側交互通行になる。悪くすると一時間ほどストップさせられる。それが、運が悪いと何度も、遭遇してしまう。北回りのルートは沿線の人口が多いので、道を塞がれる可能性が高い。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/index.htm

高速道路の車の種類別使用車線は路肩よりが大型のトラックやバス、中央へゆくに従って、小型の車になる。中央寄りの右が追い越し車線になるのは日本と同じですが、

一般道路の場合はちょっと違う。中央車線側を大型や遅い車場走る。左に道端側をバイクも乗用車も走る。要するに追い越し車線は路肩側になるのです。非常に、危険だと思う。考え方の問題だが、歩行者を含めて、カキリマやリヤカー、バジャイ、オジェックそれらと、バイクの洪水、車の洪水が左側に集中するのです。行く先々で事故に遭遇します。当り前だが、そのくらいのリスクは何とも思わないようです。わたしも、その中を何度も運転していますが、空いている場所では左側からドンドン行くので、右や左に車線変更をしないで追い越して行ける。臨機応変な自然発生的なルールになっていると思うが、合理的だと思う。

 

日本ではバイクの数がそう多くないので定着しないのでしょうが、信号の停止線がバイクは前に会って、車はその二三メートル後方に停止線があるバイクが車の前に集まり青を待つ。この方法も合理的だと思う。

 

製造は順調に行っている。ちょっと胸をなぜおりしている。28,29日の両日が正念場だと皆さんにハッパをかけ、協力をお願いした。

この時期の大雨の中、目的地へ向かうカキリマ、

今日の昼食でした。ナマズ、テンペゴレン、アヤムのナシウドック、エステーマニス込で、120円位です。

里帰り  車線  修行

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(^_-)-☆想像を絶する

2010-08-27 22:55:16 | 情報

製品を取り始めている。本当には納得していないが、とにかく、時間が無いので、生産を始めた。種類によっては、納品分の生産を終えて、後加工に入っている。メインの製品は金曜日の夜に完成するように動いている。土日オーバータイムで後加工をし、勿論、その後の分も、生産する。

明日、また、新しい金型が出来てくるが、この金型のトライは今の生産が落ち着いてからになるでしょう。

 

車をびっしり並べた場合の面積がインドネシアの道路の全面をこえたというニュースがあった。どんな道路を言っているのか分からないが、とにかく、日常を見ていれば、道路が足りないということは明白である。

その他の地上地下を走る交通機関の整備は遅れに遅れている。遅れはとっくに深刻になっているはずだが、なんとかしようという気配もない。

今年は参加しないが、9月4日5日ころから始まる、今年のムディックは、今までにない大渋滞、大混雑が予想される。とにもかくにも、すごいとしか言いようがない。バイクの数、車、バスの数は明らかに過去最高を更新するでしょう。Uターンラッシュは12日13日になるでしょう。乗り物の数の増加に加えて、今年のインドネシアの長雨によって、全国各地の道路は壊滅滅状態にある。通常なら、雨季乾季半分ずつで、雨季に間に壊れた道を乾季の内に直す。ところが、今年の場合は、雨季が終わらない。

この時期の航空、鉄道旅客運賃は通常の三倍以上になる。鉄道も、と思うかもしれないが二本と違って、一定料金ではない。ジャカルタの出入りする外国からの便も軒並み運賃は高騰するが、それでも、満席で、キャンセウ待ちが殆どです。私の場合、シンガポールを経由でミュンヘン行きですから、シンガポールまでの便を取るのが難しいということを知っていた。7月中旬には予約をしておいた。スカルノハッタ空港第二ターミナルの混雑ぶりは想像を絶するものになるでしょう。大雨が降って、アクセス道路が洪水にならないことを祈るしかないでしょう。航空輸送は過去最高になるでしょう。鉄道は増えない。車輛が無いし、新しい、線路もない。

 

私は、何回か、ムディックの真っただ中を経験しているが、年ごとに、そのすさまじさは増している。特にバイクでの帰省が目立つ。バイクは高速道路を使えないので、一般国道を利用するしかない。広い一般国道がチカンペックまで、バイク専用道路のようになり反対車線(ジャカルタ方面行き)までバイクであふれてしまう。轟音とともに一般乗用車はバイクの中に埋まってバイクに押されて一緒に進んでいるように見える。皆さん二人以上乗りで、四人も珍しくない。彼らも、大変でしょうが、皆そうなのだから、一体感もあると思う。行き着く先に大きな楽しみが待っているのでしょう。それに向けてひたすら走り続けるのです。

ガソリンスタンドの混雑ぶりは、なおいっそいうすごい。ガソリンを補給するのに一時間以上待ちは当たり前、トイレはガソリンスタンドにしかないので、必ず、用を足さなければならない。これも、一時間待ちだから、我慢が出来ない人もいるはずです。どうしているのでしょうか。それに、汚~~い。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0408.html

営業をしない店が多くなるので、ジャカルタで過ごす日本人は、身の回りの知っている人に聞いて、どんな過ごし方が出来るか知っておいた方がいいと思う。行ってみたら休業だったとか、早く閉まってしまっていたとか、普段と違うことが多い。

 

私がUターンしようとしている場所の向こう側の電柱がなぜか傾いてしまって、それをどうしようとしているのでしょうか。会社の近くの工場の前の風景、人とバイクが集まってきています。何があったのでしょうか。何もありません。ただ、仕事を終えて出てくる人を迎えに来ているのです。多くの場合は仕事を持たない男が奥さんか恋人を迎えに来ているか、バイクタクシーです。

 

すさまじい  渋滞  渦

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(^_-)-☆世界的になったのに

2010-08-26 22:18:53 | 状況

時間が無い。

参考に静岡、愛知辺りのラマダンのスケジュールを示します。インドネシアより2時間近く長いことが分かります。

Day      =曜日 Ramadhan=ラマダン何日目Sahur end time =イムサック
Fajr
:太陽出Fajr Iqamat:礼拝開始Duhur iqamat:礼拝開始
Maghrib
:断食明けの時間Maghrib Iqamat:礼拝開始Isha&Tarawih:礼拝開始

 モハメッド氏は地球の気候、四季について知らなかったのです。イスラム聖職者もずっと知らなかったのです。おそらく、インドネシアにイスラムが広がってもインドネシアの人は中近東付近と自分たちの状態しか知らなかったのです。これは、現代のインドネシア人を始め、イスラムの人のほとんどが赤道に近い南北にいるから四季のことを知らないし、教えても理解できない。指導者が知らないのですから、全員が知らないのも当然で、知っている知識人がいたとしても、完全に無視されただろうし、逆に、反イスラムと見られるのを恐れて、発言しなかっただろう。あたかも、ガリレオの宗教裁判で有罪にされ投獄され、自説を覆す発言をするに至るが、『それでも、地球は動く』の地動説を唱えた時と同じ状態になりかねない。

 

 また久しぶりに飲めない人たちだけの食事会をリッポチカラン行った。どういうわけか、射出成型の技術者の方が大部分で、そっちの技術の方の話に行きがちである。私は、他の人と違うので、その会話に入って行けないが、皆さんそれなりに大変のようです。

インドネシア人の技術の向上が遅いのが原因のようです。射出は金型さえしっかりしたものができていれば、その後の技術はいらない。ただ、原料を自動的に入れて、製品を自動的に取りだすだけ、だから、製品そのものの製造より、それから、最終製品になって出荷されてゆく途中の行程の管理で差ができる。優劣が評価されりゃすい。その点がインドネシア人から自然発生的に出てくるアイディア全くないし、彼らは、ゴウリカとか生産性向上という意識を持っていない。私も、思い当たるところは沢山あるが、受け取り方は様々で、日本人の能力や性格によって、かなり、インドネシア人に対する評価は違っていることも当然です。

宗教  性格  能力

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(^_-)-☆知らぬが信心

2010-08-25 17:55:40 | 習慣

毎年のことだが、プアサ(断食)の時間Azan subuhについて、テレビ番組の中で宗教指導者に対すら単純な質問がされる。南極や北極に近くに住むイスラムの人たちはどうしているのですか?と。毎年繰り返されるこの質問、永久に決定的な答えは出ないでしょう。宗教者も困っています。人によって答は違います。そうです、勝手に解釈して自分の考えをいっているからです。分からないとか、解釈が色々あってこまっているとか、日照時間を基準にして断食の時間を決めたのが間違いだったとか、そういう宗教者はいない。コーランの曖昧な点は他にもあって、困っているとは言わない。批判はタブーだからです。話は違うが、ジハードの解釈についても、宗教者は困っています。

 断食の時間に戻ります。夕方の断食明けの時間maghrib(buka puasa)については、あらゆるメディアで、大都市の名前とその付近という形で、予測時間と開けた時間が知らされます。では、朝、断食が始まる時間についてはどうでしょうか。早く起きてSahurの後、Imsakイムサックと言います。これが、外国人でイスラムではない私にとってはよくわからない。日照時間から、普通に考えれば、夕方18:00に断食が終われば、翌朝の06:00頃から断食が始まると思う。しかし、どうもそうではないらしい。ジャカルタとその付近は04:30にイムサックになるらしい。私はその時間に起きていることは殆どないし、起きていても、NHKを見ているので、断食の時間の知らせを見たことがない。

 疑問は18:00ころ日没とともに断食から解放されて、なぜ、日が昇る一時間半ほど前に断食が始まるのかということです。日の出とともに断食が始まるのではないのです。どうもよくわからない。断食する時間Azan subuhは赤道直下で13時間半くらいなのです。そのことを聞いても分からないと言われるだけです。

 

 ところで、例として、日本、静岡でのイスラムの断食時間はどうなっているのでしょうか。聖職者からどういう指示が出ているのでしょうか。北極近く、南極近くのイスラムの人はどうするのでしょうか。モスクワ辺りにも回教徒は大勢いるはずです。明快な回答は得られないどころか、インドネシア人で赤道から離れて南北に離れれば離れるほど、日照時間(太陽が地面より上にある時間)が季節によって違うということを知っている人は5%もいないのではないでしょうか。地球上の場所によって日照時間が異なると、地球の絵を書いて回転軸が傾いていることも言って、説明しても、分かってくれない。私の説明を信じてくれない。だから、断食の時間が違っていいのか、あるいは、太陽が沈まなければ断食しないでいのか、と、聞いても、何のことを言っているのか、その質問自体を理解できない人がほとんどである。

 

 MM2100の高速道路入り口ゲート手前左に細い道がる、その道に従って100mほど行ったところにインドネシア料理レストランが出来た。Saung desaという。この辺りにしては思い切った高級レストランだとおもう。思い切った投資だと思うが、場所も価格も、続けてゆくには難しいと思う。プアサ中なので、客が少ないのは当たり前だと思って行ってみた。少ないどころか、200人は座れる場所があるのに私一人しかいない。「今、営業しているのか、」と、聞いてしまった。 

 

 ソプ ブントゥットゥ ゴレンです。牛の尻尾のスープですが、肉と骨はスープに入れておかないで、揚げたものをスープと共にたべる。

 

 教育  自転  傾き

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(^_-)-☆今どきのラマダン

2010-08-24 23:33:27 | 習慣

従業員の皆さんが大変当てにしているTHR(tunjangan hari raya)。「旗日(ナショナルホリデー)の手伝い」という意味だが、レバラン前に支給するのが一般的、利益を配分するボーナスと違って、この時期に長期休みを利用して、Mudikムディック(故郷へ帰る)などで、一年で一番お金を必要とするから、その足しにしてもらうという趣旨です。他の宗教の人たちにも、同じように支給される。他の宗教の人たちも故郷に帰る人が多いからです。会社としては他の宗教の人たちの人数が少ないので、分けてやるより、この時期に全員に渡してしまった方が、手間が省ける。

公務員も国からもらうTHR以外に、他からも手に入れようと、何かと仕事を遅らせたり、取り締まりを厳しくしたりして、小遣稼ぎをする。これが、なかなか、厄介である。気をつけましょう。

 

 ラマダンの期間中、最初のころは、今まで毎朝のように朝食を売る人が、会社の前へ来ていて、従業員は会社へ入る前にそこで朝食を食べる人が多かった。どこから来るのか知らないが、雨の日も風の日も来ていた。プアサになって、その売る人が来なくなってしまった。ところが一週間過ぎてから、また、来るようになった。すると、普通の時ほどではないが、立ち寄って朝食を食べる人がいるようになった。二週間過ぎたころは、普通の時と変わらない人数が食べるようになっていた。

 仕事はこの時期、16:00に終わる。普段は17:00終業だからその時間に来ていたカキリマが16:00前から来るようになっていた。プアサ開けは18:00頃なので、まだ、食べてはいけない時間です。16:00に終わった従業員はさっさと家に帰って、夕食の支度をするとか、開けの食事会に行くとか、早く、会社の近所から、いなくなると思いきや、会社の前に来ているカキリマで夕食を食べている人が目立つ。それが、普段よりカキリマの数が増えている。お腹がすいて、それを見て、我慢できない若者が多いのです。皆で食べれば恐くない。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00069.html

 いい加減イスラムと言いたくはない。口には出さないが、断食というイベントは、色々な点で良くないと思っている人は多い。だから、断食破りの行動を見て見ぬふりをしているし、むしろ、自分も同じように、出来れば、したいと思っている。それが自然で、いいことだと思う。

 

 インドネシアでこの時期でも、熱中症という話は一切聞かない。暑くても、水を飲まないで我慢している人が多いにもかかわらずで、ある。私も、キャディに気を使って、ラウンド中は水分の補給をしない。しかし、熱中症の気配を感じたことはない。キャディたちの一部はプレー中だけでなく、しっかり、プアサをしている人もいる、しかし、熱中症で倒れたという話はどこのゴルフ場からも聞いたことはない。若いから全然問題ないのでしょうか。インドネシアに長くいれば、インドネシア人と同じように暑さに強い体質になってしまうのでしょうか。

アクリル製品の試作の準備を始めた。パネルの生産を始めた。今月末までに、納品を終わるつもりで、体制を作り終えた。

 

 朝05:00頃、家の自鉢植えの花。名前を知らないが綺麗、可愛い。

 

 プアサ  自由  甘い

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(^_-)-☆不幸をまき散らした

2010-08-23 21:40:21 | 状況

 

斜めからインドネシアを眺めよう 705

 太平洋戦争の日本の最前線は伸びに伸びて、細い荒縄で囲っているだけ、荒縄も、千切れていた。その荒縄部分の兵士は、何の補給もない状態で、次々と玉砕していった。最近のゲゲゲでこのことがテーマになっている。

 ここ、インドネシアでも多くの日本兵が玉砕したはずである。パンガンダランの半島の首根っこのところにグアジャパンというほら穴があって、現地の人の噂では、今でも、時々夜中に日本兵がその前で、行進をしているし、何のことかわからないが、日本語のようなもので、話をしているという。冗談に、太田さん、夜中にチャガールアラムに入って、彼らが何と言っているか、通訳してほしいと言われたここもある。インドネシア各地に日本軍がたて籠ったと言われるグアジャパンが残っている。大体、鍾乳洞のほら穴である。

オーストラリアに近い、パプアニューギニアではおそらく殆どの日本軍が玉砕したと思う。子供のころ、ガダルカナルの海戦などの戦記物をよく読んだ記憶がある。勇まし、話だが、結局この辺りで主要航空母艦を殆ど沈められ、ゼロ戦の優秀な操縦士も殆ど、失ってしまった。これを境に、制海権制空権共に失い、補給船、それを護衛する駆逐艦、巡洋艦もことごとく失い、陸軍兵士は、戦陣訓に従い突撃をするしかなかった。訪ねたことがあるパプアのマヌクアリ、ジャヤプラ辺りにはマッカーサーの足跡ばかり残っているが、マッカーサーの逆襲の後には、日本兵の屍が残った。

 

 何百倍の、見方によっては何千倍もの国力を持ったアメリカに戦争を仕掛けてしまった日本の指導者は聞違いというしかない。本当に、本当に馬鹿なことをしたものだと思う。それも、日露戦争の時のイギリスのような、間接的に応援してくれる国はなく、ドイツとイタリアという独裁者が無茶をやっていた国で何も期待できない国との同盟だけだった。

 また、日露戦争の時のように、ここまでやったら終わりという賢さを持っていなかった。点だけをどんどん前進させてしまった。後はタダタダ敗走をするしかなかった。国民は何も知らされず、最期は沖縄を失い、本土決戦などとバカバカしい事を言っていた。

 

 前線の伸びきりは必ずいつかは縮小が始まる。企業も同じこと、戦線拡大に従って、当然、補給部隊、兵站部隊を充実させて、常に、不足を補うシステムと人材を準備しておかなければならない。場合によっては遊撃部隊が随所に臨機応変に送り込まれなければならない。広げるだけ広げて、後ろを振り向けば誰も付いてこないと言うのでは、また、戻りしかなくなってしまう。

 また個々の前線での支配者はその部隊やその環境の人々に不幸をもたらしているにも関わらず、自分の感情だけで行動をし、押しつけた。最期は自分を含めて全滅する。

 

 高速道路の様子、雨で前が見えない。トラックの追突事故。

前線  補給  拡大

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(^_-)-☆良いことがある

2010-08-22 22:47:45 | 生活

完全に雨季の天気である。十数年インドネシアを知っているが、今年ほど異常気象の年はなかった。昼過ぎから土砂降りである、20:00になってもまだ降っている。

ワイヤーカットの行程に時間がかかってしまって、新しい金型の入手は月曜日になった。今日から生産を始めている。土日残業である。30日には最低200セット分納めるつもりでいる。従業員にとってはこの時期の残業は大変うれしいはずである。

 

レバラン前の特別手当は二週間ほど前に支給するのが一般的、大体、一か月の給料分を支給する。勤続が一年に満たない人ばかりなので、勤続月×12分の1で計算される。

 

 29歳でサラリーマンを辞めて、自分で仕事を始める準備を始めた。サラリーマンの時の上司だった、塩崎さんが経営していた、裾野、葛山の富士プラスチック精工で夜勤ばかり12時間の仕事を一年半させてもらった、約二百万円を溜めた。1972~3年のころである。妻が小学校の教師をしていたので、家には一銭も入れないで、私の収入を全部ため込んだ。家のローンも妻が払ってくれていた。今ドイツにいる子供の保育園などの送り迎えや掃除洗濯は私の仕事だった。それを資金に30歳で会社を作った。その後数年間の収入は設備増強に使ったので、やはり、妻には一銭も渡さず、ひたすら会社を大きくし、銀行の信用を得ることに努めた。その間、妻には申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。学校の教師をやっていてくれたので、私の仕事を成功させることができたと思っている。

 その妻は、今、日本の家で一人暮らし、なぜ、インドネシアへ一緒に来ないかというと、彼女は彼女なりにやることが一杯あるからです。民生委員をはじめ、町内関係の仕事、近くの小学校での色々な催しのボタンティア的な手伝い、生け花の指導、趣味の家庭菜園、染物の指導などなど、忙しい。私を自由にさせてくれている彼女を縛る権利は何もない。今は求める物も何もない。明らかに自立をしていてくれている。

 その忙しさをぬって、今日からニュールンベルグへ行っているという知らせが入った。来月4日まで滞在だとか、私は2日に着くので二日間だけ一緒にいることができる。ラジオ講座の独学でドイツ語をかなりのレベルまでマスターしているので、一人旅も彼女にとっては、負担にならないようだ。今年、一月四日以来の二日間だけの廻りあいである。十日後である。大変楽しみ。今年末に日本でまた会うことになるのだが。

 小学生の遠足の前のように、このことを含めて、最近、浮き浮きすることが一杯ある。楽しみなことが一杯ある。

 

 MM2100工業団地近くの風景、道端の瓜売り、断食の時だけ、売られる。レバランが終われば、スッと無くなってしまう。クルマ(ナツメの実)も同じ。味が無いので、砂糖やシロップで煮て甘くして食べる。

 近所で多くの牛やヤギやヒツジが飼われていて、団地内の草を求めて、近隣からやってくる。

 自立  手間なし  楽しみ

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(^_-)-☆海外指導始め記念日

2010-08-21 22:47:53 | 体験

何の記念日でしょうか。私の記念日です。子供のころから、夢だった、海外で仕事を教えることが実現した日でした。太平洋戦争で父親の世代が大変迷惑をかけたことは子供のころから知っていた。その償いを少しでも肩代わりしなければならないと思っていた。1996年の今日、インドネシアへ赴任してきました。もう、14年になります。昨日の写真のPT.KITAGAWAでした。以来、インドネシアから出たり入ったりしましたが、インドネシア滞在は正味でも10年は超えているでしょう。

 名古屋空港、当時は小牧からバリ経由でジャカルタ入りをした。ジャカルタへ着いて町を通り抜ける時、タマンアングレックの手前の高架を通過中、ジャカルタの夜景が素晴らしかったことを感じた。既に大都会だった。しかし、何日か後に、汚い、臭い町だと感じ直すことになった。何カ月か後には、住みたいと思わなくなった。

 ジャカルタを通り越し、ブカシを通り越し、三人(射出、経理、押出)が、リッポチカランのクラウンコートへ案内された。その他の四人はチトライン(当時のロータリーを左折すればEJIPですが、そこを真っ直ぐ行った右側のホテル)どちらも、今でも健在。いきなり、地方でした。一台のキジャンに七人乗って会社へ行き、今の月山の辺りにあった飯場でミーティングをした。トイレは簡易でした。

 工事が始まったばかりで、荒涼たる風景の中、乾季だったので、砂塵が舞い、その向こうにヤギや牛や羊が草を食む姿が見えていた。すごいところへ連れてこられたな、もう少し(二三カ月)後の方が良かったのではないかと感じた。初代の現地社長さん、私より5才年上でした。その他の6人は30~40歳と若かった。私は52歳でした。社長さんの張り切りようは異常と思えた。トヨタのフィリピン工場を立ち上げたという経験の持ち主で、英語がペラペラ、現地の人にいきなり英語で怒鳴りつけているところに出会った。そのごも、一緒に赴任した若い日本人に怒鳴り声が飛んだ。そして、私にも、飛んできた。すごい人が世の中にいるものだと、インドネシアへ来て初めて知った。

 

 その後も、インドネシアで、“ジキルとハイド“そっくりな人と多く接することになる。PT.AFのN、PT.KIのHとI、PT.TAのKなど、すごい人たちに接することになってしまった。社長をしていた時にはこういう人種が世の中にいることを全く知らなかった。プッツン病を抱えた可哀そうな人たちが多いことを知った。外の顔と内の顔が極端に違う人、あの人が?と思うくらい丁寧な人が、自分のほうが地位が上だと思えば、ヒドイ、乱暴な言葉で怒鳴る。逆らったら、相手を震え上がらせる。殺されるのではないかという恐怖を感じさせる。

その間にも、インドネシア人や取引先の人々に押出のことを伝えてきたし、実際、多くの人や会社の手助けをしてきたと思っている。

ただし、その会社の運営者としては私の存在は邪魔だったのでしょう。オーバーにいうと、支配者は、支配する対象の人たちが、他の人のことを信じてしまい、付いていってしまうことを恐れる。キリストが迫害され、日本でも、信長がキリシタンを弾圧したり、比叡山を焼き払ったりしたのと同じ理屈と心理だと思う。

 そんなこんなで、今も、インドネシアにいて、追い出された会社に堂々と戻っているわけで、巡り合わせというか、運命というか、人生いろいろだと思う。もうしばらく、インドネシアにいるでしょうが、年も年だから、今後は、肩の荷を軽くして、張り切らないで、あまり、出る釘にならないで、経営の人から疎外されないようにおとなしくしようと思うが、インドネシア人の私への親しみは他の日本人がどんなに色々な方法を使おうとしても、私に並ぶことはできないでしょうから、そう長くいない方がいいと思う。

 

 主がいないKURSI SOMBONGです。この机の前に立たされて、ふんぞり返った十歳年下のおバカさんから「無責任でしょ、」と、怒鳴られた場所です。原因は、手前の机に席にいた秘書兼通訳の根も葉もないゴシップの告げ口でした。自分で確認する能力を持ち合わせていないので、変な通訳のいうことを信じてしまって人を恨んだり、阻害したり、評価をしたりする人でしたから、インドネシア人は気の毒でした。それらのインドネシア人の殆どを呼び寄せて、今、一緒に仕事をしている。全員が、私がインドネシアならどこでも行く処へ付いてくるのです。最期(7月末)まで、PT.KITAGAWAいた、通訳以外の人たちも今月末から、私の元へ来てもらうことにした。

 

PT.NANBU2(旧PT.KITAGAWA)から、PT.NANBU1を望む。背丈ほどの雑草はつい一週間ほど前に刈られた。

記念  転機  人種

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(^_-)-☆動物や人、愛護

2010-08-20 22:03:37 | 矛盾

インドネシアの動物園のこと、絶滅危惧種、希少動物を数多く保護している動物園の動物の住環境がよろしくない。保護ではなく、虐待に近い。以前、ジャカルタのラグナンへ行った時、ニホンザルが二頭飼われていた。体を覆う長い毛がふさふさとしていかにもニホンザルだった。ところが、ぐったりしていて、元気が無い。彼らにとっては、暑過ぎるのだと思う。一般的な日本人なら半そで、半ズボンで十分な気温、猿たちは、セーターを着ていて脱げない状態でいる。冷房や扇風機はない。インドネシアの猿と同じ環境で過ごしているのです。どういう、いきさつで、日本から持ってこられたのか知らないが、当然、環境について指導を受けたはずだと思うが、予算の関係で、特別扱いは出来ないのだと思う。

スラバヤの中心地にあるインドネシア最大の動物園の状態がひどいことはインドネシアのニュースでも取り上げられている。コモドドラゴンの生まれて数週間の赤ちゃんを栄養失調で十何匹全部殺してしまったのはつい最近である。

 

日本の普通以上の動物園なら、外来の動物たちは人間より恵まれた環境で過ごせているはずです。人間がうらやむほどですが、インドネシアでは、そういうわけにいかない。貧困の人間が多い上にその人たちより以上の生活は保障されていない。栄養失調で死んでしまう、動物は後を絶たない。動物にプアサを強いてどうするの。動物愛護の人たちにとっては許せない環境に置かれていると思うが、これが、すべての動物に対して同じことです。どうにもならないなら、動物園を運営する資格はないと思う。

 

私の机の上には500mlの水のボトルが常時二本置いてあった。一日で空にしていた。しかし、今は置いてない。昼間は水を飲んでいない。昼食を食べるが、食べるときは、会社の食堂ではなく外のレストランへ行って食べることにしている。プアサのこの時期、皆さんに気を使っているのです。皆さんから、太田さんもプアサですか、と、聞かれる。そうだと答える。

ゴルフの時も、キャディがプアサを実行していれば、少なくとも、プレー中は水を飲まないで付き合うようにしている。自分だけ飲んでは可哀そうだと思うからです。しかし、大部分のキャディはプアサをしません。それはそれでいいのです。暑い中、プレーする人次第では、走りまわらなければならいからです。その点、私のキャディは他のキャディより楽である。左右に大きくそれることが無いので捜しまわる必要はないし、殆ど順番に決まったクラブを使うので、何本も持って歩かなくてもいいし、持っていなくて、カートまで取りに行くということもない。体も気持ちも疲れないので、プアサをしやすい。

 

インドネシアのジャングルの中に忽然と現れた遺跡ではありません。インドネシアへ進出したPT.KITAGAWAの記念植樹の15年後の状態です。当時は、散歩道やベンチを取りいれた綺麗な月山の様相でさすが、金のかけ方が違うなと感じたものでした。今は荒れてしまっていて、大木や雑草があるだけです。去る人はせめて、植樹の看板くらいは外して処分すればいいと思うのですが、植樹の名盤が、寂しそうです。私が、記念に保管しようと思う。PT.NANBUはこの状態をどうするのか、多分、経営が安定するまで、荒れたままにしておくしかないと思う。これを綺麗に回復させるには金がかかり過ぎるでしょう。そんな余裕はないように思える。

 

付き合い  やさしく  自然体

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(^_-)-☆断食、プアサ、ラマダン

2010-08-19 21:10:25 | 環境

 

斜めからインドネシアを眺めよう 701

 8月中に恰好を付けなければならない。今日から追い込みである。LTIの仕事も間もなく始まるので、なお、追い込まなければならない。今日夕方入る予定だった金型が早くて明日の夕方ということになってしまった。修正を必ずしなければならないので、試作品を出せるのは月曜日になりそう。

 ミニ朗報が入った。先日最期のサンプルが最低見本として何とか認められたようだ。本当に最低見本だと私も思う。他の部品については、今月末以前に最低数量を納めることができるように原料やマスターバッチを手配しておかなければならない。

 

一週間過ぎたラマダーンともラマダンともいうこの時期、断食が続いている。昨日もインドネシア人が家に遊びに来ていたので、断食に付き合った。朝、03:30頃起こされて、食事、05:00頃からは飲まず食わず、お腹がすいて辛いということはないが、口の中が乾いてしまって、普通に喋ることができなくなるのがつらい、歳だから、普段でも、ボトルの水は話せない、会議中などは特に口の中を時々潤さないとしゃべりにくくなる。それが、出来ないから、唾液を無理に出して、口の中に回す、また、舌で唇を濡らす。辛いというより困ると言うことかもしれない。

開けた時の飲む水がおいしい、食事もおいしい。昨日は夜デザートでドリアンを皆で食べたが、格別おいしかった。日本では考えられないことです。

 

一週間を過ぎれば、ぼちぼち、脱落者は現れてくる。食べてしまうのではなく、飲んでしまうのです。やはり、喉や口が渇く、そこへ、水を売りに来れば、つい手が出てしまう。トラックの運転手は、渋滞の中、必ず水を売りに来るので、ついつい買って飲んでしまう。タバコも、インドネシア人にとっては、誘惑の大きな一つです。多分、世界で一番タバコを吸う人口が多いのはインドネシアだと思うほど、子供から大人まで、安いタバコを吸っている。だから、プアサだからといって、止められるわけが無い。一説に依ると、プアサ期間中の方がタバコの消費量が多いとか、まさか、夜だけすって、多くなるとは思えない。

隠れて吸うので、喫煙禁止のはずのトイレがいつもよりタバコ臭い。

 

インドネシア人がよく使うレストランンも、ぼちぼち、人が戻ってきている。この期間中は、大体、外から中が見えないように、窓に紙を張ったり、簾を垂らしたりしている。カキリマで食べている人も、会社の垣根の外に売りに来たゴレンガンなどを手を伸ばして買っている女性も多くなってきた。

ラマダンセールはインドネシア最大のセールです。物は豊富、食生活は大幅に改善しつつある。もともと、南国で、食料品で困る国ではないが、輸入の食料品が増えている分だけ、より、カラフルになっているし、大きな果物が多くなっている。ドリアンやスターフルーツが見える。ドリアンは臭いを嗅いで食べ頃を確認するのが常識です。

プアサ  断食  脱落

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(^_-)-☆インドネシア独立記念日

2010-08-18 22:08:03 | 矛盾

Merdeka!  Merdeka!  Merdeka! と三回叫ぶ。

 5年前ほどにカリムンジャワからセスナでスマランに向かっていた時、ちょうど、独立記念日で、私へのサービスだったと思うが、パイロットが、ムルデカと叫びながら、急降下、急上昇を繰り返し、航行するフェリーの脇まで降りて、乗客と一緒にムルデカを叫んだ。変な思い出がある。

第二次世界大戦終了の玉音放送から二日後の独立である。毎年の事ながら、国を挙げての独立記念日のセレモニーは盛大だと思う。何度も何度も、独立宣言が繰り返され流される。スカルノ、ハッタと。日本人の私としては、どうも、しっくりいかない。国旗、国歌、という点だけでも、馴染みが、全然違うようだ。教育の違いだと思う。

独立宣言を朗読しているブンカルノの右に明らかに日本軍人とわかる人物が大きく写されている。後ろの方にも何人かの日本軍人が立っている。これを見ても、当時、日本兵がブンカルノの側近として、手助けをしたことが分かる。こころから進んでか、生きるためにやむ負えずかは分からないが、とにかく、インドネシアの独立に日本人が何らかの手伝いをしたことははっきりしている。

以前、ポンティアナック近郊ので、日本軍の残虐行為と戦ったというモニュメントを見たことも事実で、そのことも、事実でしょう。

 

昨日の続きで、テレビ番組の気になること。新番組の宣伝で、この番組は、このチャンネルだけだと必ず言うこと。他のテレビ局がやっているはずが無いのに、いちいち、そういう。ハニヤ~TVサジャという。必ずである。

 

テレビドラマでも、やらせと明らかに見え見えの、人を探す番組でも、やたら気絶するシーンが多い。それが、貧血や病気で目まいがして気絶するのではなく、何かに取りつかれて、体がのけぞるように気絶するのです。テレビだけではなく、一般生活のなかでも、時々、学校で集団的に、学生が、失神してしまう事件がある。悪魔落としの祈祷師を呼んで、祈祷をしてもらうと、なんとなく、そういうことが起こらなくなる。そういうことを信じる人が多いので、番組の中でも、もっともらしく、気絶のシーンを作るのだと思う。

 

金銭的に恵まれていない家庭を訪問し、手伝いをして、分かれる前に、様々な送り物をする類の番組が多い。若者が、貧乏人の上に泊って、手伝いをする。金持ちの家庭と貧乏人の家庭の家を一晩交換する。貧乏人の家へ、男が訪問し、あなたは、これこれの金額を受け取る権利が与えられたという。そして、番組の最後に、貧乏人の家庭に、家を新しく立て替えたり、商売用のワルンを与えたり、牛やヤギを与えたり、テレビや家財道具やコメなどの食料品を与える番組です。こういう番組が不自然ではないインドネシアはSudah merdeka tapi bulum mandiriだと思う。独立は65年前にしたが、まだ、自立しているとはいえない。

 

 7年前のマリアさん、今は、スラバヤに帰っている。Nusakanbangan島で、漁師から何十匹も買って、枯れ木を集めてきて海岸で焼いて食べる。Surgaである。

 

  変!  独立  自立

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(^_-)-☆ジョイン

2010-08-17 21:50:33 | 人間

 日本人の殆どは勿論NHKしか見ない、しかし、私は、早朝のニュースと朝の連ドラとその後の番組、今は、ASAICHIを出勤前に見るだけです。夕方、夜はインドネシアのテレビしか見ない。

日本のアニメは世界共通でしょう。インドネシアもアニメは殆ど日本のものです。日本で流したアニメは全部こちらで流しています。クレヨンしんちゃんの吹き替えは声もそっくりです。ナルト、ドラゴンボール、コナン、チビマルコチャン、どらえもんなどは、繰り返し放映しているので、どの世代の人も知っています。あいつはジャイヤンだとか、のびたみたいだとか、人を例えることは日常的です。突然、カメハメハーなどと叫ばれることもあります。

インドネシアのテレビを見ていて、気になることがいくつかある。

番組の始まり終わりで時間を確認することはできない。当り前のように、早く終わってしまったり、なかなか終わらなかったり、番組の時間表通りのやることは殆どない。また、番組の時間がコロコロ変わる。今まで何時から何時までということで決まっていたのが、突然、時間帯が変わってしまって、見ることができなくなってしまうことが多い。

何曜日という具合に週一回一時間というドラマは全くない。毎日やる。日本のドラマは一週間に一回というのが多いが、それを、毎日やるので、日本で半年かかるドラマが、一か月もかからないうちに終わってしまう。

包帯に必ず血がにじんでいること。ドラマの中で、怪我をして治療した後包帯を巻かれているシーンがいくらでもある。面白いことに足でも腕でもおでこでも、包帯に必ず丸く赤い印が付いていて、血がしみだしている状態になっている。包帯が巻かれて個所は100%赤い部分がある。今どき、治療後に出血していて、幾重にも巻かれた包帯を通り、血が外まで出ているなどという治療はない。誰も、不審に思わないのでしょうか。

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html

 

久しぶりに友達が皆さん仕事で、私一人でゴルフをしよう、秘密練習をしようと思ってゴルフ場へ行ったら、タイミング良く、トヨタカラワンの従業員が休みだと言うことで、10人で来ていた。中途半端な人数なので、私がジョインすることになった。私の組は、日本人の若者一人とインドネシア人スタッフ二人に私が加わった。大変楽しいゴルフをさせてもらった。日本人の若者は、まだ、5か月だと言うが、インドネシア語もほどほどで来て、インドネシア人二人は日本語が上手で、流石、トヨタだと思わされた。ブルチャンダやビチャラマニスが飛び交って、キャディも一緒になって楽しませてもらった。たまには、一人でひょっこり平日の行くのも、新しい出会いがあって、いいかなと思う。実際には実行できないが。

 

パンガンダランの海岸の風景、開放的で明るい、いかにも南国のインド洋に面しているという感じ、寄せる波は高いが、規則的で、沖へ出やすい。沖へ出れば、三角波はなく大きなうねりとなっているだけである。

 

平日  出会い  変

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