南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆蘭の花の写真

2010-06-30 22:13:07 | 人間
 ある日本人の方から、蘭の写真が額付きで送られてきました。ありがとうございます。左右対称の美しい姿をしています。大切に保管したいと思っています。私のブログやウェブサイトに興味をもたれた方で、インドネシアに長く住んでいて、想像するに、フォトグラファーというのでしょうか、かなり、写真に関してあらゆる知識を豊富に持っておられる方のようです。インドネシアの花に関しても大変深く広く知識を持っておられるようです。写真やカメラのこと、蘭等の花のこと、私は、受け答えができませんので、なるほどとお伺いするしかありません。
 それに引き換え、あらゆる機会に写真を、適当にデジカメで撮っている私は、写真に関する知識はゼロです。時間を掛けてセッティングしてじっと構えて撮ることは、全くない。片手でいい加減にシャッターを押しているだけです。なになにを主なテーマにするとか、対象物をなにに絞るとか、ポリシーも全然ありません。いい加減なのです。ラフレシアも何箇所かでうつしていますが、単に子供の頃、植物図鑑で世界で一番大きな花として紹介されているのを見て、大人になったらいつかその場所へ行ってみて見たいと思っていたので、会えてうれしいと言うだけで、花について深く追求しようとか、知識を多く持とうとか、という気は全くない。ただ、求めなくても、話しかけてくれる方がいるので、雑知識として、なにも知らない人より、若干知っているくらいなものです。専門は、40年以上続けている仕事ですから。

朝は大変忙しい。8:00に朝礼、08:30押出のミーティング09:00日本人スタッフのミーティング、ということで朝の約一時間半は自分の仕事ができないし、会社外の人との話し、電話の応対も出来ない。しかし、Offにしておいては失礼になると思い、Offにはしていない、当然、電話は掛ってくる、少し後で、こちらから電話しますと、言うしかない。その場所がまた行ったり来たりで時間ぎりぎりで走ってか、車で移動する。その状態を他の人はお構いなしである。自転車を欲しい。
コノ忙しい時間が、私にとっては、あまり、重要ではないと思っているので、充実の真反対である。他に重要でやりたいと思うことがあるので時間がもったいないと感じる。会社という組織に入ればそういうこともあるが、それにしても、無意味な忙しさである。

頂いた写真で、ヤジロベーのようですね。素人がちょこっと撮ったものです。綺麗ですね、と、今の仕事です。
すごい  貴重  主張
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(^_-)-☆車でぶっ飛ばす

2010-06-29 21:14:39 | 体験
 多忙な一日 よせばいいのに、要望にこたえて、約束をしてしまった。仕事の手伝いの約束です。4~5カ月先の話ですが、今から話し合いを始めないと客先の要望にこたえることができないので、早いうちに機会を作らなければならないと思ってはいた。
 押出の営業と射出の営業は違うし、一緒に行っても、どちらかの話をしているときにどちらかは黙っていなければならない。押出の説明に射出の人に口を挟まれると邪魔なので、私も、口を挟まないようにしている。それが、分からない人が射出の営業をしても仕方がないし、無駄な時間が多いので、今後は、射出の人が行くと言うなら、私は遠慮することにする。それに、射出の営業は、今、しても、海の物とも山のものとも分からないのだから、客先も、もっとはっきりしてから来てよという態度をはっきり表す人もいる。

 ブキットインダーやスルヤチプタへ営業に行った折、チカランバラッのはるか手前から、渋滞になっていた、ここは道路工事中で何カ月も前から渋滞は日常的だった。例によって路肩も車が一杯で緊急車両は中央寄りの隙間を通過するのが習慣になっている。今日もどうだが、白バイが露払いをし、道を開けさせる、その後にパトカーが警報を鳴らしながら来る、その後に救急車(死体を運搬)、その後、関係者の車が点滅ランプで10台以上付いてくる、その後ろに関係ない車がやはりハザードランプを点灯して便乗してくる。私は、そういう車の邪魔をするのが常で、明らかに便乗と分かるので、右へ寄って邪魔をする、そしてわざと速度を落として、渋滞の状態に戻してやる。

処で、渋滞の中、のろのろと進んで、チカランバラッの導入道の手前あたりから、渋滞が解消する、これも、決まっている。渋滞を抜ければガラガラ状態になるので、約束の時間に間に合わせるために速度を100Km以上に上げる。5kmほど進むと、先ほど渋滞の車を押しのけ、けたたましく強引に抜いて行った緊急車両が目に入ってきた。追い越していないで、抜かれるばかりなのに相変わらず中央の追い越し車線を占拠している、速度は80Km以下である。瞬く間に走行車線側から、私も抜き去る。
どうも変ですよね。さっき、大騒ぎで抜いて行ったのは何のためだったのでしょうか。渋滞の中で一緒に走っていても同じことだと思う。急いでいないと思うが?緊急車両ではないのでは?約束通りの時間に着かなければならない私の方が緊急車両?
これが、今日初めてではない、以前にも何回もこういうことがあった。緊急車両なら、渋滞から抜けて、フリーになった時には120Kmくらいでぶっ飛ばしてもらいたい。その時もパプーパプーと鳴らせばいい。

静岡は鞠子の宿、とろろ汁で有名、にある私の隠居所の居間で孫たち。困ったときの孫の写真
大いに変  のろのろ  緊急車両
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(^_-)-☆一人が好き

2010-06-28 21:41:42 | 思い出
 他に誰もいない工場の端っこ、一号機で、機械装置とにらめっこ。充実した一日でした。
一人が良い。他人に気を使わないで済むから、気が楽である。
40代半ば、正月五日仕事始めの日、従業員は定時に皆帰って、私一人で、試作をしていて、18:00過ぎでした。原料を交換するために押出機の上に乗って、ホッパーから原料を掻きだし、空にした後、押出機の上から飛び降りた。その時、片足がなにかに引っ掛かり1.3mくらいの高さから大股開きで落ちる羽目になった。先に落ちた左足がボキっと音がした。一瞬、折れた、と、思った。
 見回しても誰もいないことは分っていたが、誰かいてくれたらと思って、見回した。やはり誰もいなかった。どうしよう。いつかどこかに書いたと思うが、タクシーを呼んで当局医の処へ行って、骨折(細い方のヒ骨)の手当てをして、タクシーでまた会社へ帰って、車の運転をして家に帰った、翌日流石に休んだが、翌々日は出勤し、いつものように仕事をした。石膏は一週間後に取ってもらって、ブリキの添え板だけにしてもらった。いうのも、腫れがすいて石膏と足が擦れ折れた時より、擦れがいたかった。二週間後の自分で添え板を取ってしまった。医者へ行ったのは、骨折当日と石膏から添え板に替えた時の二回きりでした。
 
そんなことで、私自身は一人で仕事をする方が、他人と一緒より、効率が上がるし、他人に手伝ってもらうと、手伝い方が、私には、気にいらないことが多い、何か、手伝いましょうかと、気が効く人は言ってくれますが、ありがとう、いいよ、一人でできるから、と言いますが、内心は、手伝ってもらっても、手伝いにならないでしょう、かえって、邪魔だと思う。

 従業員には一人で仕事をさせることは絶対しません。必ず二人以上で残業などはさせます。現場の仕事は特に念を押します。責任の問題と言うより、なにかあったときに早期に対処しなければなりませんから。

 と言う私も、一人で住んではいない、マリアさんがいる。やはり、何かが私の身に起きた時に出来るだけ、他人に迷惑をかけたくないし、早期発見をしてもらうためである。
しかし、仕事は別です。私に一番の望みは、家族には申し訳ないが、押出機の傍で、眠るようにSurga(Nirwana)へ行けたらいいなと思う
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
今日の昼食、MM2100の外のカキリマからブンクスで持ち帰ったソプイガ(Sop Iga牛の肩甲骨部の肉というか筋肉)食前食後ですが、骨が大部分で肉が張り付いている、肉だと思ってかぶりつくとそこも骨だった、ガキッという感じ、ソプブントゥットと味付け、味は同じ、おいしいことはおいしい。ご飯込みで、100円(1万Rp)です。安いでしょ。ご飯は食べきれないほど沢山、油紙に包まれている。ソプはホリエチ袋で持ってきたものをドンブリに入れ替えた。

一人  自由  思う通り
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(^_-)-☆皆既月蝕

2010-06-27 21:05:51 | 喜び
 日本では部分月食でしょうね。インドネシアは皆既月食、18;00時過ぎ高速道路の西に向かった、間もなくま正面の月が欠け始め10分ちょっとでかき消され、30分過ぎには元の満月に戻った。久しぶりの天体ショーを見ましたが、あっという間の出来ごとだった。家に着いた時、皆さん、家の近所の人たちも外へ出て、眺めていた。インドネシア人は初めて見たという人がほとんど、感激をしていた。
今日も懲りずに出勤していた。床の色塗り、以前、緑一色に塗って、通路とその他のエリアを分ける白線を引いたが、今回は、通路を赤でベタ塗りをした。土曜日オーバータイムである。
私の仕事は、様々な試作である。アシスタントはいるが、任せきりで知らん顔をしているわけにもいかないので、どうしても、一緒にやってやらなければならない。今回は、三つ重なってしまったので、明日、日曜も仕事である。
この二日間、ゴルフを入れないで、パンガンダランへ大分久しぶりに行ってみようかという気になって、ラシッド君にラフレシアの様子をチェックしておいてほしいと頼んであって、昨日、チャガールアラムへ入ってくれていた。突然のチャンセルで大変申し訳ないことをした。8月に入ってゆっくり出かけたいと思っている。今回は、残念でした。

ところで、肝心な試作ですが、今日のところは、今までの最高域から脱していない、もっと、上を狙っているのでなお別の方法を加えて試作を続けなければならない。明日もトライの予定。土日は金型屋へ持って行っての修正ができないので、修正を自分でできる範囲にとどまるが、修正を必要な個所をいくつか記録しておいて、月曜日に修正し、より、求める物にしてゆくというやり方である。
会社の近所にフードコートがある、インドネシア料理だけである。歩いて10分もかからない。ソトアヤムです、これとご飯を食べる。80円(8000Rp)です。日本人でここで食べたことがる人は一年に10人以下だと思う。
Bulan   中止  オーバータイム  月蝕
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(^_-)-☆いよいよ近い

2010-06-26 21:06:29 | 体験

斜めからインドネシアを眺めよう 648
 1996年8月6人の北川社員と私が、赴任して、まだ、工場の影も形もない敷地の片隅の小屋の一角を借りて、準備のためのミーティングをした。それから、14年、今月いっぱいで、北川の人は完全に去る。この顛末をインドネシアにいて、つぶさに見てきた私としては、非常に感慨深いものが在る。そして、間もなく、仕事の場ではないが、同じ会社の分工場として、その、改築や衣替えのお手伝いをすることになると思う。来月初めから、動き出すでしょう。長くいれば色々な巡り合わせができるもので、追い出された場所に戻るという運命的な状況に遭遇するのがいよいよ近くなった。去るものに会うのは私の方は一向に構わないが、去るものは私の顔を見たくないと思う。そこは、承知している。
PT.KITAGAWAの後工場から、元社長がいよいよ、今月末で去ることになるでしょう。なにもしなかった四代目の社長さんは、最期の一年、従業員が居なくなった会社でいったい何をしていたのでしょうか。釣りだけ、それも、自分がセッティングするのではなく、他の人が全部お膳立てした同好会に参加するだけ、で、他にすることがない、あ、もう一つ合唱団に参加していたようです。釣りと合唱で一年過ごす優雅さは心地が良かったでしょう。仕事はなにもすることがない。私なら、我慢ができずに、会社を辞めて、自分で何かしていると思う。我慢をしているのではないのでしょうね、なにもしないで、じっとしていることが許されて、きっと、満足していたのでしょう。
 
経理のことも、税金のこともなにもかもコンサルタントに丸投げでいいのですから、いつになるか分からないが、時間が過ぎれば、会社を閉じることができるし、買ってくれる会社は私が本社に紹介してあったし、買う会社は、空く時期を待っていたし、このことでも、元社長さん、何もすることはなかった。自分では出来るわけがないことを、回りが全部お膳立てしてくれてあった。

PT.KITAGAWA創業時代から、勤めていた従業員の再就職について、殆ど全員を私が面倒みた。苛めて、放り出したはずの人間が、解散して職が無くなった元従業員の再就職先の面倒を見たのです。ご本人、それも気に入らなくて、辞させた従業員の行動について怒っているという。何の権利が在って彼らの行動を束縛しようとするのでしょうか。元従業員はその怒りに首をかしげている。当然である。

というわけで、PT.KITAGAWAの後に入る会社の従業員と言うか、リーダーとして入社する元KITAGAWAの人もいます。これは、オリエンタルキョーワの元従業員が、再雇用されることと同じことです。

私の仕事を引き継いでやってもらう人が、多分、9月頃に来てくれることになったようで、なんとなく、ホッとしている。この仕事と、いま、日本でやっている仕事とが同じということは無いし、あらゆる面で、条件が違うので、それに、順応するなり、対応するなりできる、腕と柔軟な考えを持っている人だと、なおいいと思っている。会長推薦とのこと、間違いないと思う。
新しく導入するナイフ式自動カッター付き引取機と、なぜか、高速道路に大きな袋を担いだ男が現れた。良くではないがたまにあることです。こちらの高速道路をまたいだりくぐったりする道がほとんど見当たらない。完全に地域が分断されている。だから、当り前のように歩いて横断をする。高速道に垣根や塀はない、誰もが自由に入ることができる。
発つ鳥  終始  証人


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(^_-)-☆最終段階

2010-06-25 21:47:57 | 行動

 先ほど、また、新しい金型を手に入れた。殆ど、ワイヤーカットで仕上がるが、各種行程で、5日掛る、それを、無理を言って4日で仕上げてもらった。今回が最終の金型になる。表面の綺麗さを追求してきたが、そろそろ、最終段階に入ったと思う。満足をしない限り、もし、仮のOKが出ても、もっと上を追求するのは当り前である。追いかけて、もう一形、作ることにした。念には念を押すつもりだ。
 今回のこの仕事は私にとっては久々の試練だった。この歳にして、こんな試練に会うとは予想していなかった。予測が甘かった。やればやるほど、深みにはまって行って、本質から遠ざかってしまうような気がして、なにをやっても、思うような結果が得られなくて、途方にくれそうになった。こんな自分が情けないと思った。今に何とかなるだろうと思って手を打っていたが、途中から、これは、どうにもならないかもしれないと思うようになっていた。それでも、何とかなる、何とかしなければならないと思うことの方が勝っていた。
 引くに引けない状態になっているので、そう考えるしかなかったし、性格的にも引くことはできない。

押出成形ができる社員を出来るだけ早い時期に送って欲しいと要望している。遅くても9月頃にはインドネシアにいてほしい。私は、早く、用無しの居なくてもいい人間になりたいと思っている。私と同じような人はいるはずがないので、将来、私のようになれる可能性のある人を望んでいる。PT.KGの時は、全く、意欲がないというか、行動をしない若者ばかりで、三人続けてNGで帰国させた経験がある。どうにもならなかった。
二の舞はしたくないので、出来るだけ、自分で行動する人を欲しいと思っている。インドネシアで押出成形をすることは、良い経験になり、決して無駄にならないと確信するので、来る人が、積極的な人なら、インドネシアのため、インドネシア人のため、インドネシアの他の日系企業のために、大いに、働いて欲しいと思う。早く、来てほしい。

 早く来て、まず、インドネシアの押出の現状と原料の現状を知って、それに、なじむとともに、気持ちを慣らせてほしい。張り切ってやろうとしても、いきなり腰砕け等と言うことも、経験してもらわなければ分からない。インドネシア語で早く話せるようになって欲しい。そのためにも、実際に表面に出て、仕事をする前に、助走をしてほしいと思っているので、やはり、早ければ早いほど良いに決まっている。
孫の写真、私が気に入っている二枚。
派遣依頼  助走  スタートダッシュ
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(^_-)-☆重い余計な荷物

2010-06-24 22:38:23 | 矛盾

 矛盾が多いので、私の部門を運営するのに障害が多い。例えば、原料を購入するのに現金払いと品物の交換購入はまかりならぬ、月末締めの翌日末払いという条件より悪い条件では取引はならぬという、お達しが出た時に、そういう条件を商社が受け入れなかったときに、どうすれば、原料を、購入できるの?と言うことになる。会社が出来たばかりで、事務部門で各商社やメーカーを呼んで、そういう交渉をしていないので、私に部門で、会社の購買を通さずに直接交渉と言うことになるが、会社からの必要書類、例えば、会社がこの場所にありますと言う証明書を求められても、一部門では出すことはできない、しかも、会社としてまだ証明書を出せる状態になっていない。
 現金でなければ取引できないという商社から、購入していた、原料が間もなく切れてしまい、生産を続けられなくなる、客先に製品を供給できなくなっても、構わないというのでしょうか。
創業したばかりの会社では、なかなか思うように行かないことはあるが、それにしても、思うようにいかないことが多すぎるし、それが、なかなか、解消しない。
 まだ、創業したと言えない状態なのかもしれない、どうも、あれがないこれがない、準備をしていない、申請したくても、そのために必要書類を申請していないと言うのもある。
 もう、仕事を始めてしまって4カ月過ぎようとしているのに、どうなっているのでしょうか。面白いですね。
 その状態でも、押出は客先に迷惑や不安を与えないように、奥の手を使ってしのいでいます。会社の組織を通していたら進まないどころか、止まってしまう、あるいは、どこかへ行って消えてしまう心配があることは、独断でやっている、それには、自腹を切らなければ出来ないが、そうするしかない。奥の手の一部がその方法というのも寂しいが仕方がない。早く、普通の会社になっていただきたいと思いますが、どうでしょうか。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page123.html
ジャカルタ北から南下
 
本来の押出の仕事で重い荷物を背負いこむのは一向に構わないし、望むところですが、まったく、押出の仕事以外の事務的なことでの荷物は軽くても、遠慮したいが、その事務的な仕事を背負い込む部署にいる人が、荷物をあることすら知らないのでは、荷物が在るよと教えてやっても、見て見ぬふりでは、情けない。私が背負わざるを得ない状態になってしまう。それでも、知らん顔どころか、それが、気にいらないようだ。これが、近い将来またイジメられ開始の理由になりかねない。
 中間は知らん顔だったのでトップに直接、頼む機会が在り、懸案の荷物の一部は今日になって下ろすことができた。
  
意味が分からない人が多いと思うので、今日から、また、日本語タイトルだけに戻す。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page001.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page003.html
リンクを忘れていてごめんなさい。パンガンダラン昨年10月、と、バンカ島の写真集です。昨日リンクしました。
 
渋滞で見えているのに出口の道へ届かない。固定カキリマとでもいうのでしょうか、こんなレストランであなたは食事をおいしく食べることができますか。
 肩の荷  いつ?  自腹
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(^_-)-☆Waktu tidur dan Kaca mata

2010-06-23 20:13:25 | 情報

斜めからインドネシアを眺めよう 645
 どういう関連があるのでしょう。初老の域に入った事を感じさせられる。
 睡眠時間は5時間くらいになっている。原則として、22:00にベッドに入る、そして、多分、5分以内で眠ってしまう。それからが忙しい。01:00頃に目が覚める、原因はトイレに行きたくなることです。それから、04:00くらいに目が覚める、これもまた、トイレに行きたくなるからです。その後は、眠らない。トイレへ行きたくならなければ、もしかしたら、眠り続けることができるかもしれないが、そのことで、医者に相談をまだ、していない。
(起きているのは連ドラまで06:15まで)日本時間06:00のニュースをやっているので見る。それら、パソコンをいじり、05:00からソファーで寝てしまう。連ドラの前くらいに目が覚める。不思議に睡眠不足と言う感じは無い。昼間、眠くなることもあるが、この歳になって、睡眠が短くなって、眠くなることが多いというわけではない。どちらかと言うと、若い時、睡眠を十分とっても、まだ、昼間眠くなる、ということの方が多かった。歳を取ると、体が睡眠を求めなくなるようです。
 完全に年寄りに典型的、睡眠状態ではないかと思う。夜、22:00には完全に眠くなっていて、横になりさえすれば眠ってしまう。
 
 メガネは高校の時から近眼を長い間使っていたが、この、二か月前から、近眼のメガネを使わなくなった。ゴルフの時も車の運転の時も、近眼のメガネを使わない方がはっきり見えるようになっている。パスポートやこちらの運転免許の写真もメガネをかけていない。
 50Cm以内を見るときだけ、老眼メガネを掛ける。だから、状態としては高校の時の近眼のメガネを掛ける前の状態になっている。この方が、煩わしさがないはずだが、メガネを掛けていたときには気を使っていなかったことに気を使わなければならなくなった。例えば、暑い蒸気、また、風が強い時の埃、火花、熱いプラスチックの飛び散り、気を使わずに危ない目に会いたくない。グラインダーを使っているときにはとくに注意である。もっとも、老眼鏡を掛ければ問題ないのだが。
 衰えと言うより、歳を取ると若い時とは違った状況になるので、違うと言うことを意識しなければならないが、ついつい、忘れてしまう。他人に言われて、気が付く。やはり年かな~~と。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage112.html
先日、北ジャカルタから南下した時の写真です。
ジャカルタを南北に貫くGajamada Tamurin Sedirman通りをアッチチの像まで、ラトプラザによってちょっと北上し、スマンギからガトゥットゥスブロトを東に向かい高速道路に入るまでです。
 ゴルフのカートを運転しているとき、メガネを掛けていないことを感じる。
  四葉のクローバの葉が一枚離れてしまった。私が住む地方の一風景です。
 老眼  睡眠  防護役
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(^_-)-☆Makan malam bersama

2010-06-22 21:12:13 | 情報

 先ごろ、日本人夫妻が、元従業員に殺された。日本人が現地の人を殺したという事件はあったが、日本人が殺されたという事件は、私の記憶では13年間無かったことでした。
 ジャカルタの西のタンゲランというところです。日本人学校も近くにある。新聞で知っただけですが、かなり、広大な敷地に、大きな屋敷を構えて住んでいたようです。どんなかたかは、まったく知りませんが、何か、恨みを買ったのでしょうか。
 インドネシアでは、日本人が殺されたということは、特別扱いにはなりません。単なる殺人事件です。日本人だから特に狙われたということではないと思います。在る人が事件にあってしまったということだけです。
 日本人だからということではなく、誰でも、思うことは、恨みを買わないように心掛けることです。怒鳴りつける性格の人は、ご用心です。恨みをかいやすい。

 大変な一日でした。会長を迎え、食事会を夕方開いたのは良いが、予想通りと言うか、思いがけないというか、私が望まない方向に展開して、食事が喉を通らなった。こんなになるものかと思う。厳しい世界である。

 経営者とはこういうものかと目の当たりに見てなるほどと思う。私は経営者ではないな、と、改めて確認した。もともと、サラリーマンには向かない性格は分かっていた。だから、自分で会社を作って社長になるしかなかったが、やってみると、自分は経営者ではなく技術者だということを知った。子供のころから、30~50人くらいのグループなら、皆さんを纏めることが出来たし、皆さんを満足させることができた。しかし、100人となると、皆さんと私の間に何人かの人を置かなければならなくなる。その人たちのそれぞれが、私が30~50人の人たちをまとめたり幸福にしたりしたように出来ればいいが、出来ない場合が多い。だから、中間の人を私はうまく使えない。100人を満足させることができない。それが、経営者になれない原因だと思っていた。だから、ある程度の規模になったときに、手放してしまったのです。
 サラリーマンは出来ない、経営も中途半端にしか出来ない、それでは、どうすればいいかと思いながらも自分のペースでやりたいと思って、今の状態になっている。でも、経営とは大変なことだと思う。
 厳しさと言えば、今日の仕事も厳しかった。帰りが遅かったので、これまで。
Sop BakutとLTC(リストゥリック トレード  センター)Glodokです。
サラリーマン  技術者  経営者
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(^_-)-☆Beranja di Glodok

2010-06-20 21:37:12 | 喜び

日本へ帰った時は必ずホームセンターへ行って、インドネシアでは見つけることが困難な道具や部品や計器を購入してハンドキャリーをするのが習慣になっている。しかし、今年はドイツへ二週間ほど行くので、帰国する機会がなさそうで、欲しいものが増える一方で、なかなか、解消できないでいる。装置を作るにも部品がないので作れないでいる物もある。
 そこで、何年ぶりでしょうか、思い出せないくらい以前に行ったきりのKota Glodok(グロドック)へ買い物に行ってきた。この辺りはKota tuaと言って、Bataviaの首都の中心でしたから、散策だけで、かなり膨大な旅行記を書けるほど、盛りだくさんに色々あるところです。
ここに無ければインドネシア国内には無いというほど、最期の砦のような何でも部品街です。北ジャカルタ、スディルマンを北上しても行きつくが、私は、北のアンチョールの方からちょっと南下して入った。
 PT,KITAGAWAの創業当時は、一月に二回ほど、必要道具や部品や計器を買いに行っていた、と言うのも、今なら、タンブン チビトゥン チカラン ジャバベカ辺りに電気や機械の部品店が進出していて、近場で殆ど手に入れることができるが、当時は、近場に部品屋や工具屋がなかったので、わざわざ、ジャカルタまで買いにいっていたのです。最近来た人や三代目四代目の社長さんはそういうことを知らない。
 十年前と雰囲気は変わっていない場所はあるが、外周は近代的なショッピングモールになっていて、売っているものは電機、電器、機械、装置、各種材料、部品、工具類などなど何でもアリ。しゃれたフードコートが在って、くつろげる雰囲気にもなっている。旧来のゴミゴミした中で買うのか、綺麗に洗練したモールで買うのか本人の好みであるが、私は、旧態依然のごちゃごちゃした中で買い物をした。マグネットリングとマグネットブロックは正にここでしか各強度と各サイズが揃っていない。聞いて聞いて、探して探してやっと見つけた。もう一つは、警報ランプでした。センサーが反応すると同時にランプが点灯し、警報が鳴るやつである。これも、見つけた。

 各種プラスチックの丸棒や厚板も売られていて、若いころ作っていたので、つい触って懐かしく思う。知る限りでは、インドネシアではここでしか売っていない。マーキングがある6ナイロンチューブやウレタンチューブも売っていてこれも懐かしい、聞いた限りでは全部台湾製でした。スパイラルチューブも含めて値段を聞いて、こりゃ、私が作っても価格で対抗できないと思った。

 実際は皆さん親切だし、何を探しているのか聞いてくるし、教えてくれるが、雰囲気として日本人が古い方の建物の中へ入って行って買い物をすることはお勧めしない。インドネシアの色々な買い物をする場所の中で一番、通路は狭いし、その通路の色々な人がたむろしたり座ったり、客だか、そこの店の人だか、何かの手伝いをする人なのか分けの分からない人が多いし、全く、そういう人に触れないで通過することができないほど、ゴミゴミ、ごちゃごちゃしている。ぶっ壊して建て替えない限り、この場所を綺麗にすることは永久に出来ないと思う。そこが私は好きなのですが。

北の端、バタビアホテルの前の運河に掛る跳ね橋は観光スポットになっているが、今は、全く機能していなし、橋の下を船が通過することもない。
 おおざっぱにいうと、ここから南下し、グロドックへ依って、ガジャマダ、タムリン、スディルマンの途中のアッチチの像でUターンして、ラトプラザのコースでした。 
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
ラフレシアに興味のある方が多いようなので、私の関係サイトを紹介しておきます。
ブンクルーの旅行記などです。世界最大の花という言い方に曖昧なところが在り、ラフレシアが最大というのは私の知るかぎりでは誤りだと思いますが、どうでしょうか。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage027.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage019.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage045.html
以下は写真集です
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0307.html 
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0304.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00075.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0314.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0311.html
秋葉原  人懐こい  用心
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(^_-)-☆Tunggu sebentar

2010-06-19 20:24:51 | 人間

 今週中に何とかしなければならなかった。何とかなったと思う。しかし、評価は客先である。月曜日に持ち込むが、どうでしょうか。まあまあのものができた。

 このごろよく聞き話、日本人を現地採用したが、当て外れで困った、早く、別の人を入れたいが、その人の契約が一年なので、すぐに交換するわけにはいかない。そういう会社が多いような気がする。日系の人材紹介会社からの紹介と口コミでよい人だと判断して雇うのだが、期待ほどの仕事ができなかったり、怒りっぽい人だったり、アルコール依存症だったり、インドネシアの事を殆ど知らなかったりで、困っている会社が意外に多い。
或る会社の社長さんから、内にこんないい人がいるが、契約が間もなく切れるし、その人がしていた仕事は日本本社から、今後は派遣される、あなたの会社で使ってみてください、と、頼まれ、雇い入れ、二三日の内に,たちまち、どうにもならないことが分かるが、後の祭り、大体、一年契約になっているので、すぐ、やめてもらい、交代の日本人を探す羽目になっている。
 紹介した社長さん、その人の処遇に、苦慮していた。契約期限前に別の会社を紹介しようと目論んでいた処へ、誰かいい人はいませんかと、訪ねられれば、この人はいいですよと、勧め、まんまと、他の会社へ出て行ってもらった。
今度は、その人を雇ってしまった会社の社長さんは、また、その人を他の会社へ紹介しようと目論む。面白いですね。他人の腹の内は分かりませんね。
 日本人の行状というかどんな人かというのは、ゴロク年以上インドネシアにいる複数の日本人に確認できるのです。一人から勧められて、話に、乗ってしまうのは失敗の元です。新任の社長さん、進出したばかりの会社の方は、慎重に!!
 
私もかなりの人の、良くも悪しくも、行状や評判を事実として知っています。例えば、運転手がコロコロ変わっている人、こういう人は、大変怒りっぽい人、すぐ、頭に血が上ってしまう人です。
客先や他の日本人と話をするときに必要以上に丁寧な人、こういう人は、内に対し、極端に怒りっぽい人です。社員を震え上がらせる人です。
ゴルフを全くやらない人、本当に腰などの持病を持っていて腰を回転させられない人か、情報収集が面倒くさいと思っている人か、閉じこもりの人です。何年インドネシアにいてもインドネシアの事を知らない。長くいれば知っているとは限らないし、インドネシア語ができるとは限らない。その逆もある。

  あわてて、ジョークを引かないように注意してください。

工場の中です。リサイクルペレットの製造装置、ただの、リサイクルペレットではありません。PCとPET,PEとPET等二種類以上に樹脂で成形されたシート、フィルムのNG品をリサイクルする設備です。間もなく、稼働します。
LLDPE(リニアー ロー デンシティ ポリエチレン)の極細チューブです。内外径の公差は百分の五です。ロールに整列巻きをするためにある程度まとまってから人が手でガイドして巻取ります。

評判  情報  慎重
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(^_-)-☆Cuti bersama

2010-06-18 19:50:45 | インドネシア

 インドネシアの社長さんや事務関係の日本人、常識的に知っていなければ、その資格はありません。これを知らずしてインドネシアを語れない、の、一つです。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00069.html
来年のインドネシアの国民祝祭日の日が発表された。まずはカレンダーの準備のためである。各会社はこれに基づいてそれぞれの会社のカレンダーを作る。
年次有給休暇を一緒に取りましょう(cuti bersama)という日が示された。来年はレバラン絡みで3日(8月29日、9月1,2日)とクリスマス絡みで1日(12月26日)合計4日間、今年より一日増える。強制ではないから、休みにしなくても構わないなどと言う経営者はインドネシア人を使う資格は無い。

“Yang dihitung sebagai cuti bersama pada tahun 2011 adalah tanggal 29 Agustus, 1, dan 2 September. Pada tanggal 2 September jatuh hari Jumat diduga sejumlah karyawan tidak masuk, pemerintah menetapkan ini bukan hari kejepit nasional tetapi dihitung cuti bersama. Sedangkan satu hari lagi pada Senin 26 Desember 2011 karena 25 Desember Hari Natal bertepatan hari Minggu”

Hari Libur Nasional Tahun 2011
1 Januari:Tahun Baru Masehi(Sabutu)
3 Februari: Tahun Baru Imlaek 2562 (Kamis)
15 Februari: Maulid Nabi Muhammad SAW (Selasa)
5 Maret: Hari Raya Nyepi Tahun Baru Saka 1933 (Sabtu)
22 April: Wafat Isa Almasih (Jumat)
17 Mei: Hari Raya Waisak (Selasa)
2 Juni: Kenaikan Yesus Kristus (Kamis)
29 Juni: Isra' Mi'raj (Rabu)
17 Agustus: Hari Kemerdekaan (Sabtu)
30-31 Agustus: Hari Raya Idhul Fitri 1-2 Syawal 1432 Hijriyah
6 November: Idhul Adha 1432 Hijriyah (Minggu)
27 November: Tahun Baru 1433 Hijriyah (Minggu)
25 Desember: Hari Raya Natal. (Minggu) ( H )
2011
1 Jan New Year's Day.
3 Feb Chinese New Year.
15 Mar Mouloud (Birth of the Prophet).
4 Apr Nyepi (Hindu New Year).
22 Apr Good Friday.
9 May Waisak Day (Buddha's Birthday).
2 Jun Ascension.
28 Jun Lailat al Miraj (Ascension of the Prophet).
17 Aug Indonesian Independence Day.
31 Aug Eid al-Fitr (End of Ramadan).
7 Nov Eid al-Adha (Feast of the Sacrifice).
26 Nov Islamic New Year.
25 Dec - 26 Dec Christmas Day/Boxing Day.

 まだ会社にいて試作をしている。間もなく、これでどうかという製品を取ることができそうだ。満足はしていないが、とにかく、これでどうですか、というものです。
 もし、暫定OKとなったとしても、その後、また、試作は続く。

金型屋へ行く道。ジャラン ティクス(鼠の通り道)と言って、この道を知っている人が少ないし、近道で空いているので、私は、この道しか使わない。ただし、道は荒れ放題、何年もアナボコだらけでそのまま、年々、穴が深くなるし、広くなっている。
近所に現れたクエカンチのカキリマ、ヤシの実をちょっと焼いてシロップのような甘いトロットしたものを載せて食べる、25円です。
常識  独自カレンダー  最重要
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(^_-)-☆Hujan sepanjan hari

2010-06-17 19:21:15 | 体験

一日中、日本の梅雨のような雨が降り続きた。泥濘が干上がるほどの晴天が続かない。デコボコは増えるし、深さも日増しにます。乾季に補修をするのがこの国の習慣だが、補修をしたくても出来ない状態だ、このままの状態が続けば、レバラン帰省(民独大移動)までに修復ができないと思う。
新たに分かったことが沢山あった。一番は製品表面の艶の出し方。これもまた、コロンブスの卵で、ひらめきを実際に確認して出来ることが分かった。
 もう一つ、内部にリブがある製品の引け具合の程度が、色々な条件で変化することも分かった。それが、外観に大きく影響することも分かった。
 出来てしまえば、何でもない、これを、インドネシア人に教えれば、また一つ、技術者の能力を増やしてやることができる。インドネシアは彼らにしかできない大きな財産になる。
 後一歩の処で、進み具合が遅いが、とにかく、後一歩、頑張らないが、努力もしないが、もう一歩である。金曜日前にサンプルを納めるのが新たな目標になった。
 
MM2100の工業団地の入り口の一つ付近、あさ07:30頃、バイクにおびただしい数が我先にとバスや車を追い抜いてくる。私はその道で、金型の修理屋へ向かうので反対車線にいる。危ないが気にしない。
 オジェックを使っての通学、女学生の制服はセーラー服は無いがよく似ている。イスラムの学校でも、ミニスカートも超ロングスカートもある。問題になっているのでしょうが、とにかく、自由のようだ。

 大変  行ったり来たり  水たまり
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(^_-)-☆Biarkan bekerja tulus

2010-06-16 21:42:43 | 日記
 間もなく、22時、このまま仕事が続くが、まだ、見通しが立たない。完全にしなければならないが、肝心な金型が、変形してしまって、修理に手間がかかって肝心な試作の続行がおもうにまかせないので、ストレスが増す。
 今回の仕事は私の何十年間の経験や鍛えた勘ではどうにもならない点が多い、また、経験でこれをしてはいけない、やらせてはいけないと分かっていることまで、もしかしたら、うまく行くかも知れないという、期待がこみ上げて来て、やってしまったことが何回かあり、やはりだめだったという、余計なことまで繰り返してしまった。そのたびに、振り出しに戻った。
 全部、自分でやれればいいが、一部を、従業員に頼んだことも失敗だった。今までの教育で、かなり、分かってもらっていて、この場で注意をしなくてもいいだろうと注意しなかったことを、やってしまって、金型がお釈迦になったこともあった。任せる問うことは時と場合に寄ることも分かっているが、まさか、と、思う事態だった。

 乾季の真っ最中のはずが、今年は、異常気象、毎日のように豪雨に見舞われる。どうなっているの。
今朝の信号がある交差点、わが町には信号がここしかない。多分、信号無視のバイクの運ちゃんだと思う、捕まっていた。

 無理  きつい  あと一歩
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(^_-)-☆Capek bangat luar biasa

2010-06-15 21:07:48 | 試練

一日中装置とにらめっこ、早朝と昼前に金型屋へ行って金型の修正を頼んで、その他の時間は現場にずっといた。立ちっぱなし、良い条件をどうしても見つけなければならない、条件の組合せは百通り以上ある、その中から勘で、よさそうだと思うものを今日、20通り以上試みた。いずれも、五十歩百歩で、満足できるものではなかった。
そこで、明日も、また、20通り以上は試すつもりでいる。一番最初に試すことが、ぴったりの条件であっても、もっといい条件があるかもしれないので、とにかく、20通りは試す。しかし、今日の時点で、かなり、近付いていると確信できて、可能性としては16日中には、満足できる製品ができると思えるようになって、若干、安堵している。
明日、また、早朝、金型屋へ出勤する。もうここ、十日間ほど、毎日、一回か二回多い日は三回金型屋へ行っている。車で20分の処、MM2100の工業団地と高速道路の反対側の国道沿いなる、単なる鉄工場である。もう、13年くらい前からのつきあいで、中国系のスティスナ社長とは、かなり親しい中で、私からの仕事依頼が途切れたことは無い。今は引き取り機や巻取り機、ナイフ回転式自動カッターなど金額にして500万円ほどの装置を注文してある。金型のちょっとした修正は、待っているうちにすぎやってくれる。同じ工場に中で、発注済みの装置を組み立てたり、部品を作り出したりしているので、進捗状況を確認できるし、従業員からは、その装置の部品のチェックを頼まれる。電気の配線なども手伝う。その間に、私が持ちこんだ修理を済ませてくれる。1時間以上かかる時には、ラップトップで図面を書いていることが多い。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
ある会社のセキュリティの建物と扉の開け閉めが重すぎるので、ロープを渡して上げ下げをしている。ドアを、早く直せばよいと思うが、その気は無いらしい。
あるゴルフ場のクラブアウス入り口、私のゴルフバッグを撮ろうとしたら、なぜか、美脚自慢が2人、紛れ込んでポーズをとっている。

楽しくない  うれしくない  遠い事務所
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