南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

プチ幸せ

2009-12-31 17:52:05 | 生活
大荒れの天気らしいが、静岡そしてスルガ(天国)は快晴、とまでは良かったが、2009年末日、大晦日、何が、こんな日までと言われそうだが、ゴルフ。途中から、強風が吹き荒れ、風が収まるのを待ってからでないと打てない。寒いさむい、鼻水タラタラ、体が強張って、パットもままならない。それに、何もかもセルフサービス、キャディーはいない。カート操縦のリモコンはなぜか私が捜査することなってしまうし、パターなどクラブの運び役にもなってしまったので、走り回った。みなさん私よりゴルフは、上手だが、行動が遅い、私はたくさん打つが、行動が早い、走るのは私だけでした。散々な最終ゴルフでした。余りの冷たさに風呂へ入って、温まって車で居眠りをしながら家に帰ってきたのが17:00。付き合いで、仕方がない。インドネシアでの仕事と大いに関係がある。
 まだ、発表はできないが、MM2100やEJIP或いは、JABABAKAで何かが進行しているというか、決まっている。
 今年は、この歳になって、やらざるを得なくなって、やってしまったことが多く、しかし、どちらかというと準備の年でした。ほとんど、準備が整った年でした。万全とは思わないが、ほぼ、予定通りで進行した。動きはこれから、表面化し、波紋を大きくしてゆくことになるでしょう。
お世話になった方々、皆さんに御礼を申し上げます。来年もよろしくです。

 家庭的には、小さい幸せを享受している。ドイツから娘夫婦と孫二人、四人,にぎやかである。買い物も、ねだられれば、買ってしまう。分けのわからないおもちゃも買ってやってしまう。おじいちゃんとしては泣かれたり、愚図がられたりされることが苦手、その前に彼女たちが欲しがる物は買って上げてしまう。これが、小さな幸せである。日本に集合できることが小さな幸せである。

1月4日午前中に重要な会議がある。

ゴルフの帰りは一般道を使って帰った、大崩海岸から富士山と愛鷹山と日本平を望む、駿河湾は一望である。焼津と静岡を結ぶ断崖絶壁に海岸道路で、大型車両は通行できないので、観光バスは通過できないため、素晴らしい場所だが、知られていないと思う。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続いている

2009-12-30 16:20:09 | 生活
住処からロンボク島リンジャニ山への往復、一人で、車でやってみました。かなり、無茶な行動でしたが、かなりの記念になりました。写真集です。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/index.htm

 典型的な冬型西高東低の気圧配置がしばらく定着しそうで、北日本は、厳しい天候が続きそうですが、静岡は乾燥した澄み切った天候が続きそうです。
 家電安売り店へ行って、インドネシアではまだ、売られていないと思われる、USB port hubとUSB扇風機を仕入れてきた。LEDランプはインドネシアで売っている。
 ホームセンターのジャンボエンチョウというのが静岡市では一番大きい。二店舗ある。富士市に遠藤材木店が発祥だが、私が東洋プラスチック精工時代、K君という従業員がいた。彼は共産党の下部組織、民青という組織の地方のリーダーだった。私とほとんど同じ年齢で、彼が組合の委員長選挙に立候補した。そこで、私としては彼が委員長になってしまうと外部の上位団体が乗り込んできて、引っかきまわされる恐れを感じて、会社側というわけではなかったが、彼が無投票で委員長になってしまうことは許せなかった。私がそこでやるしかないと思って立候補した。結果は大差で私が勝手しまった。落胆したかどうかは知らないが、しばらくして、会社を辞めてしまった。
 また、しばらくして、結婚した。その相手が、富士の材木屋の娘さんで婿養子に入った。民青仲間のようだった。ところがである。義父がそのころの走りのDIY店をオープンさせた。その後、チエーン点を作っていった。彼が経営者になったのです。民青のリーダーだったころの思想とは全く逆の方向になったのですが、矛盾を観じなかったのでしょうか。そして、静岡市に進出させ、地元では、一番、有名な大きい、ホームセンターになった。初代の静岡支店長が彼だった。私も、静岡に進出していたので、工具をよく買いに行った。店で、彼と会うたびに、現状を話していた。
 先日も、インドネシアへハンドキャリーする工具類の買い物にいったが、彼は社長になっていて本部の富士にいると、会計のパートの女性が言っていた。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鼻水ゴルフ

2009-12-29 16:42:53 | 生活
お姉さんが妹を引っ張り上げた。
日本でのゴルフ、雨に降られなかっただけでも、良かったと、しなければならないでしょう。インドネシアなら5:30家を出て、6:00過ぎにティーオフで、11:00頃終わり、昼食を皆さんと取って、13:30頃ゴルフ場を後にする。しかし、日本の真冬のゴルフはそうはいかない。ゴルフ場までは家から一時間かかるとして、06:00、真っ暗の中、家を出て、7:00過ぎに到着、夜が明けた、7:35ティーオフでした。
 とにかく寒い、ひたすら寒い、そして、霜が降りてそれが凍っていてつるつる滑る。日が当たりだしたのが、8時半を回ってからだった。鼻水が止まらない、両手袋をしていても、かじかんでいて、自由が利かない。体の回りも悪い、出ない距離が尚でない。良いこと無しで、ただひたすらゴルフをする。そして終わったのが、15:00頃、早い方である。明るいうちに、家に着いた。
 日本でのゴルフは、私が返ってきたということで、普段、ご無沙汰している方たちが一緒にやってくれるので、断るわけにはいかない。孫や婿殿が来ていても、久し振りにお会いする方々の方が優先となる。違うメンバーで31日にも予定されている。
 インドネシアで日常的に気楽な人々とやっているのとは、ちょっと意味が違って、ちょっと重要な機会です。

 お風呂に入っているとき、パニック障害の症状は消える。このことは、この病気の症状が出始めたときから意識していた。湯舟に浸かって、天井を見上げているとき、頭の重さがなくなる、目眩をしそうな心配が消える。なぜなのでしょうか。気持がいい。具合が良くない時でも、バスタブに入れば、悪い具合が消える。薬を飲むより効果がある。しかし、出て、しばらくすれば、前の状態に戻ってしまう。
 また、日本の寒い時期には、症状が軽くなる、時には、症状のことを意識しなくなっている自分に気が付く。なぜでしょう。共通点は、頭が冷えている事です。頭が収縮しているときです。
 とにかく、お風呂に浸かると極楽々々である。特に、日本の冬のお風呂はGoodである。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巣籠もり

2009-12-28 16:32:47 | 生活
駿河湾用宗(もちむね)海岸、東海地震が襲ったら、この海の向こうから、大津波が押し寄せる予定になっています。2012年12月22日はどうでしょうか
朝から、しとしとと雨、初めての雨でした。かと思ったら、10時前には晴れ間が広がって温かい。
今頃書くのは、もう遅れているかもしれないが、“巣籠もり“何とかかんとかというのが私の耳には新しい。今年の流行語大賞をチェックしてみた。意味が分からなかった言葉が何点かあった。意味が分かっても、何故これが?というのもあった。やはり、浦島太郎である。”間際消費”というのも新しい。“巣籠もり“何とか、というのは流行語のなっていなかったので、まだ、新しいらしい。お金がないから、出来るだけ、家に閉じこもって何もしないでじっとしている人が増えている。そこで、その人たちをちょっとでも、こもりっきりから引っ張り出してお金を使っていただこうと、あの手この手を考える、という、現象を云っているらしい。
ぎりぎりまで、買わない、とか、行かないで迷っている人達を最後だから、期間限定だから、ここがけだからとか、あなたみたいな人達だけだからといって、一押しの誘いをして、気持ちを動かそうという商法に乗せられて、お金を使ってしまうという、のが、”間際消費”と云うらしい。いずれも、ぎりぎりの攻防というか、努力というか、涙ぐましくて、日本も、こんなになってしまったのかと、気の毒に思う。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
 ところで、6か月ぶりの日本で一番目についたのが、黄色ナンバーの車である。今や、車の半数以上が小型になってしまった印象がある。県立病院の駐車場の病院に近い場所は、小型専用駐車場かと思ったくらいで、白ナンバーが一台もない、百台近く全部が見事に黄色ナンバーだった。お年寄りや女性は病院へ早く来て、駐車場に入ってすぐの建物に近い所に止めるのでしょう、だから、黄ナンバーが先に駐車してしまうのでしょう。
 それから、その気になって見ると、一般道や他の駐車場でも、黄色ナンバーは確かに多くなっている。高年齢化と節約志向で、軽の利用者が増えていることは、世相を表して、当然だと思う。

 “派遣切り“”正社員切り“は流行語に乗っていたが、”就職浪人“などはもう言葉として定着してしまって流行語になる資格がない。日本も、ここまできてしまったのか、日本の将来、どうなってしまうのでしょうか。
 今日の夕方17:00頃のスーパーマーケットは活気がなかった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異次元

2009-12-27 16:04:53 | 
帰国してから、四日過ぎて、昨日の夜遅く、娘夫婦が戻ってきて、再会した。アルノさんの希望で、姫路や松本の城を見てきたという。最後が皇居だった。
孫達はまだ起きていて、彼らと対面するなり、飛びついて大喜び、いきなり、ドイツ語会話が始まった。内容は、早口で、私には全く分からない。異次元の世界へ行ってしまったみたいだったが、その瞬間、日本語で、私にパパとママに会えて嬉しいと、日本語でいいながら、飛びついて来た。一瞬にして普通に日本語とドイツ語を巧みに切り替える。孫たちの頭の中はどうなっているのでしょうか、すごいと思う。会話に迷いがない。とどこうりがない。考えてしゃべっている風はまったくない。
3才4才だから出来るのだと思うが、それでも、まったく、私にといっては、想像ができない世界である。とにかく、感心するばかり。

 孫達は、英会話はできないし、アルノと話す時は英語だが、娘と三人だけしかわからない世界に入ってしまうので、英語を使いにくい。それで、私は日本語で話をし、娘にドイツ語で通訳してもらうことにした。二人きりの時は、英語で話す。インドネシア語は全くお呼びでない世界になってしまう。

どういう気まぐれなのか、婿殿が家の中の不具合か所を修理したい、と、云いだして、其のための道具や使うものを、ホームセンターへ買いだしに、行くことになった。障子紙やノリやボルトなどなど、総金額、2万円以上、誰がだすかと思っていたら、お父さん、お金持っている?と来た。労力は提供するがお金は出してよというわけである。
トンカントンカン始めた、手伝うわけにもいかず、家の中で私は落ち着かない、私の居場所がなくなってしまって、普段、家にいる時の定位置にいることができず、二回の昔の子供部屋へ移動、それで、自分の部屋へ戻ってくることができたのが18:00回っていた。どこうをどう直したのか、見た目や明るさや私が扱う物の使い心地に全く変化は見られなかった。どこを直したのか見ていなかったので、分からない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アクシデント

2009-12-26 17:04:08 | 日記
日本のほとんどの会社は今日から休みになっていると思う。家のすぐそばに丸子工業団地がある。車の部品やいろいろな装置屋が、あるが、日本のこの不景気の中、今日も仕事という会社は無かったようでした。プレスのドカンドカンという音は24日、私が戻った日には既に聞こえてこなかった。

 下の前歯4本はインドネシアで入れ歯にして快調、何でも、丸かじりに自然にできて大満足、下の歯が外れてしまった原因のトウモロコシの丸かじるも平気で出来ていた。インドネシアでは珍しい韓国産の梨も丸かじり、ところが昨日、富士リンゴの丸かじりをしたら、ガリッと音がして、いやな予感がしてしまった。
 いやな感じが的中、上の前歯の一本が裂けたように前半分だけが取れてしまった。残りの相棒の一本も前へ傾いてしまった。ショック、せっかく、見た目、完璧になったと思っていた矢先だった。暮れ正月は、このまま、間の抜けた顔の状態で過ごすしかない。恰好悪くて、口を大きく開けられない。困ったものである。
 インドネシアへ戻ってから、治すしかない。
今日はゆっくりできると思ったら、妻は、午後から、ボランティアの生け花教室へ行ってしまった。二人は、近所の子供たちと遊んでいたが、近所の子供はお出かけするから、遊びを止めてしまったので、彼女たちも帰って来てしまった。そうなると、今度は、公園に連れて行って欲しいと云いだした。車に乗せて、近くの駿河湾は用宗海岸の広野公園へ連れて行った。東海地震が来れば、いの一番に何メートルもの高さの津波が押し寄せる予定の場所である。海賊船が沈没しそうな形をした遊具がメインで海岸の台風などの時の防波の施設や駐車場、トイレや遊具など何億円掛けたのでしょうか。しかし、県や市の地震津波お対策とどう関係があるのか、不思議である。何十年も、前から、明日来ても不思議ではないという、一番危険が予想される場所に、こんな子供たちが集まる施設を作るとは、そして、地震津波対策をしていない、近くに避難所はないとは、地震や公園関係省庁や課は、何を考えているのか、理解できない。
もっとも、私は、東海地震の周期説など最初から信じないし、どちらかというと、人心を惑わす悪質な預言者のいうことを予算配分者が利用したにすぎないと思っている。
地震の発生予知は100年後でもできないと思っている。 

ところで、妻は18:00まだ帰っていない。今日帰ってくると云っていた若夫婦もまだ帰ってきていないので、二人の孫の相手をしながら書いていた。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さまざまある

2009-12-25 17:19:18 | 生活
使ってみなければ比較ができないから、一度試そうと思ってコリアンエアーを使ってみた。値段は1350US$だったが空港から家まで、往復で4000円、JALは成田着で1000US$程度、家まで、往復18000円位、明らかにコリアンの方が高い。時間はどうか、インチオン(仁川)でも待ち時間を含めて家に着くのが13:00過ぎだが、成田からなら、12:00前に家に着く。
 も一つ雰囲気が違う。ガルーダもJALも日本人がほとんどと、コリアンの韓国人が殆どでは、気分が大違い。
 だから、もう、富士山静岡空港は使わない。値段が10万円以下なら使ってもいいが、インドネシアからではそうはならないと思う。価格だけで言うなら、マレーシアエアーラインがダントツに安い。
 富士山静岡空港は、いずれは、立ちいかなくなると思う。計画の段階から、無駄だと思っている人のほうが多かったと思うが、当時の知事が強引に推し進めた。だれが、賛同したというのか、開港までこぎつけてしまった。
 始めて、バゲジを開けせられて、中身のチェックをされた。若い職員の体験のようなものだったのしょう。インドネシアで長期、仕事をしている人がこの空港へ向かえたのは初めてだったのでしょう。中身は、インスタントラーメンと蜂蜜だった。袋を開けて、ラーメンを確認し、蜂蜜のボトルのふたを取って、匂いを確認した。それで終わりだったが、ラーメンの粉にドラッグを混ぜてないのか、蜂蜜にしゃぶしゃぶが混ざっていないのか、確認できたのでしょうか。大丈夫かなと思う。
疲れて帰ってきた日に、いきなり、孫たちが、時差の関係でしょうか、23:00過ぎても寝ない。
 前、二日間で懲りた妻が、二人に私と寝るように言った。彼女たちもその気になって、夜中過ぎに寝たが、彼女らの寝相が見事に悪い。眠りながら動き回る、其のたびにどちらかが痛いとか、重いとか言って、また、大きく動く。私も布団の中で移動しなければならないし、掛け布団も彼女たちから奪わないと私も眠れない。とんでもない一番でした。彼女たちに両親はどこかの古城巡りをしていて、もう一日、私が孫たちと一緒に寝なければならないらしい。
 約、5カ月ぶりに、県立静岡病院で処方してもらって、パニック障害の薬を三ヶ月分買ってきた。インドネシアで処方してもらった、二つの病院の薬を、効きはちょっと良くないようだと、説明しながら、チェックしてもらったが、それらは、万国共通の薬で、妥当だという。ただし、量が半分ぐらいなので、次にもらうときには一日一錠でなく二錠で処方してもらえばいいでしょうと、アドバイスを受けた。
 
 太田化工へ行って、私が以前、保証人をしていた女性と結婚した社員にインドネシアからの食糧品を渡した。私が結びの神でもある彼らには、子供も生まれ、幸福に暮らしている。自己満足の世界である。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
三歳になったばかりの眞弓アンジェリーナ 静岡の家の庭の畑前で。掘ったばかりのサツマイモが転がっている。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

surga(天国)駿河

2009-12-24 16:07:35 | 情報
 06:50インチョン空港に到着、全表示が日本語でも書かれているので、迷うことはないし、広々としているがそう沢山ゲートがあるわけではないので、大変、分かりやすい。今回は08:25登場なので時間も十分すぎるくらいあった。植民地時代の名残でしょうか、電源は110V、差し込みの形状はインドネシアと同じ、Cだった。時間も日本と時差がなく同じ明石を標準時としている。
コリアンエアーラインは初めてのことだった。さぞかし、飛行機の中は賑やかいことだろうと思っていたが、さすがに、ナイトフライト、皆さん、眠ってしまって静かなもの、私も、おかげで、目を覚まされたのは、到着40分前の点灯でした。困ったのは、キャビンアテンダントを始め、誰からも、韓国人としか見られなかったこと、全く、何を言っているのか分からない、食事も鳥の空揚げと何とかという韓国料理のどちらかを選ぶらしかったが、分からなくて、指さしたら、韓国料理の方で、辛くて食べられなかった。見渡す限りでは、日本人は私だけのようだった。韓国人以外がどこに座っているかをチェックしてくれていないようだった。

 富士山静岡空港は生憎富士山が見えなかった。一年に何日見えるのでしょうか、冬に多く見ることができるでしょうが、距離的に100日以下だと思う。空港の規模は田舎の地方空港である、こんなものでしょう。インドネシアの中でも50番目の規模くらいでしょう。
 孫たちが迎えてくれたが、すぐに、近所の女の子の家へ遊びに行ってしまって暗くなっても帰ってこない。近所の子も、彼女がドイツから戻ってくるのが楽しみらしい。なかなか放さない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の休日

2009-12-23 18:09:09 | 日記
 今日が天皇誕生日で休みだということを全く知らなかった。失礼しました。日本の会社、何箇所かに電話したのですが、呼び出しはしているのだが、電話を取らない。日本はどうなっちゃっているの?水曜日だし、クリスマスには早いし、変だ、変だと思っていたが、日本からの出張者に聞いたら天皇誕生日だと聞かされた。納得した。

スカルノハッタ空港からである。富士山静岡空港へは24日10:45着の予定だ。昼前に家に着くでしょう。
 この年になっても、いろいろなことがあるなかに、自分を置いているのだから、当然いろいろなことがある。いろいろなことがあるということは、存在感があるということである。とにかく、今年のインドネシアは終了した。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このごろ

2009-12-23 08:43:00 | 生活

 デルタマスとMM2100間の高速道路を毎日一回以上は往復する。途中のチカランにも度々立ち寄り会社訪問や買い物をする。会社へ行くだけなら、一般道は2kmほどしか使わない。高速道路に乗っているのはせいぜい10分くらいである。運転手がいないので運転は勿論自身です。
 ところが、この頃、運転に集中していない自分にハッとすることが多い。運転中、自分が運転しているとは思っていないのです。考え事をしているのです。前の車との車間が遠くなっているのに追い越し車線を走っていて、後ろの車からパッシンプされて、はっと、するときがある。
 たった、10分間、何を考えても、どうにかなることは何もないが、とにかく、考えることが多い。お陰で、10分は、あっという間に過ぎてしまう。危ないことは承知しているが、もう一日である、運転手は使えない。
 今日、夜、日本へ出発する。1月6日にインドネシアへ復帰です。日本で、ゆっくり休養とはいかないでしょうが、緊張感は全くないと思う。今回の帰国は楽しみが一杯である。

 PT.MAKUTAが移転する工場の押出工場としての工事が来年早々始まる目途がついたので、遅くても、二月末か三月の初めには引っ越しになる。今度こそ、確実に進捗させます。
 
 クリスマスセールと年末セールでどこもかしこも大にぎわい、インドネシアの着実な成長を確認できる。二三年は、安心でしょう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅行記へ

2009-12-22 18:00:59 | 旅行
スラバヤとマドゥラ島の夢の架け橋、スラマドゥ橋 
 私の気持は、インドネシアではなく、既に日本へ行ってしまっている。ニュールンベルグから静岡へ昨晩無事到着したと情報が入った。暮れ正月は全員集合である。家族四人で36万円位だとか、円で見ると安いように思えるが、若い彼らにとっては、かなりの負担だと思う。お年玉を弾まなければならない。一時160円以上だったのが今は120円台/ユーロになっている。

自分で投稿をしている http://4travel.jp/traveler/enplaind/のMyページを見ることはないので、気が付かなかったが、何気なく開けて下へ移動したら、赤い矢印で示されていた旅行記別アクセス数というのがあることを知った。
早速チェックしてみた。ダントツでスマトラのダナウトバ(トバ湖)へのアクセスが多い。バリやパンガンダランはほどほど来ることは分かるが、何故、トバ湖なのでしょうか。マレーシアやタイから近いからでしょうか。
 私としては、ニアスやスンバやブリトゥンをお勧めですが、やはり、知られていないのでしょうね。また、本当に行って見るには、ちょっと、旅慣れた人で、英語の日常会話ができる人でないと、満喫をしにくいと思う場所でもありますが。
 
 これとは違う話だが、アクセス数個人でダントツは、Pさんです。今143回目です。2007年6月が最初の投稿ですから、約900日の間、6.3日毎にアクセスしていただいていることになります。二番目以下は30数回以下ですから、飛びぬけて、すごい回数だと思います。これからも、よろしく、です。
 
今年も、インドネシアの各地へ行って見たが、レバラン休暇中に、一人で運転して、ロンボク島へ行ったこと、そしてリンジャニ山に挑戦したことが一番印象に残っている。もう、あんな無茶はできないと思う。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だめだ、これじゃ

2009-12-21 18:34:57 | 人間
バンドゥンの南、パパンダヤンの噴煙
 私が、辞める時の社長が完全に常務派で、今、会社の解散の手続きや申請をしているところらしいが、何年かかったら、閉じることができるか見通しがつかない状態で、何もしないで、インドネシアにいる人です。気楽で本人は満足していることでしょう。とにかく、何もしなくていいのですから。「何もすることがないから、帰りたいのだが、本社から帰国命令が出ない」とご本人は、会う人に言っているが、本人から、帰国希望を出していないと、本社人事の人は云っている。もっと上に言っているのかも知れませんが、確認はできていない。
Iという社員がインドネシア人と結婚式を上げて結婚したという話を、社長が知らないなら知っておいて貰ったほうがいいと思って、気を利かせて報告したら、その社長さん、即刻、本人に、私がそう云っているが本当か、と、聞いた。本人、其のとおりというわけがない。否定した。そこで、社長も彼の否定を信じて、私を逆に悪い噂をまいていると評価した。実際はもちろん二重結婚していて、日本の本社に知れたり、奥さんに知れたりしたら、大ごとになってしまうので、なお、私へのパワハラが強烈になったのでした。白のものを黒と云っている典型だった。結婚式に招待され立ち会った日本人数人から、私に話があったことでした。
社長さん本人は自分の情報網がないので、本当かどうかを自分でチェックする能力がない。このことは、何のことにも通じる。税務署、警察、税関、などなど、何となく自然に入ってこなければならない情報が彼には入ってこないし、彼からも必要と考えていないのか、能力がないので、知らないことが多い。私が、分けが分からない病気にかかった時も、同じだった。
知っている英語はほとんどないが、I君の口癖、“スキルが足りない”、“スキルの問題だよ” とインドネシア人に怒鳴っていた。自分のスキルがかなり低い証拠に、赤字か赤字に近いような仕事を細々と取っただけで、何も会社に貢献せず、むしろ、暗い雰囲気を社内に作り、今は、閉鎖した会社を去って、タイの工場に行った。I君、自分のスキルや実績を冷静になって、考え直した方がいいと思いますが。

 こんな会社だから、当然、解散の運命だった。自分達が原因とは思っていない。
こんな会社は他にもある。その気になって、各工業団地を巡って見ると、閉じてしまった会社が沢山あることに気づく。

日本の本社は、ともかく、誤りを認めて、手を打った。認識が遅かったが、そのままにしておくより、遥かに賢明だったと思う。40年以上かかわっている会社ですし、それだけ係わりが続いている人間は、もう、少ないと思う。世代が交代する時期が近いと思いますが、遠くから見詰めています。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

困ったサン

2009-12-20 18:12:54 | 人間
ブンガバンカイ

“鉄は熱いうちに打て“という言葉も、意味も、その理由も、子供のころから知っていた。知らない大人は、どうしようもない人だと、思っていた。
“鉄は熱いうちに打て“という常識というか諺と云うか当たり前なことというか、このことをあなたは知っていますか。
今でも、これを知らない人は、かなり、いろいろな意味で程度が低い人だと思っている。
子どものころ、家から安倍川より50mの近所に農機具を主体に作っていた鍛冶屋(この仕事を知っている、若い人も少なくなっていると思う)があった。おやじさんが真っ赤に焼けた鉄をトンテンカントンテンカンとハンマーで叩いて、ちょっと冷めるとまた足で鞴(ふいご)に足で空気を送りながら、鉄を真っ赤にする。加工している仕事を見ながら、大変な仕事だなと、子供のころ感心していたことがある。だから、誰か、忘れたが、大人が“鉄は熱いうちに打て“といった時、すぐに納得した。鉄に限らず、まだ、頭脳が柔らかい時、加工しやすい時に、若いうちに、鍛えましょう、ということも、納得した。
手遅れの大人が多いことを外国で認識させられた。
インドネシアのA社のころです。本社のNO2のO常務が来ていた。彼が50半ばだったと思う。現場で、大声で、怒鳴っている。熱いうちに何故作業をするのか、危ないじゃないか、冷ましてから作業をするのが常識だ、誰が、こんな方法を指図したんだ。インドネシア人担当者は震えあがっていた。お前らはバカだとかどうしようもないやつらだとか、日本語で怒鳴っている声が、聞こえてしまっていて、本当にみっともないと恥ずかしく思った。彼が完全に間違っていることを言っているのは明らか。黒いカラスを白と云えといっているようなもの。
そこで、私は、当時のPT.A社の社長SSさんに、常務が、怒鳴っていることは、正反対ですよと、教えてあげた。その社長は一年ほど前から、A社に海外要員として入っていた人で、常務派までは行っていなかった。それでも、その人もこんなことを知らなかったようで、私が正しいかどうか、確認できない。彼はその作業の標準書を確認した。常務は作業標準書と真反対の方法でやれと怒鳴ったことを、納得してくれた。常識を彼は知らなかったが、常務派になっていなかったのが幸いした。もし、常務派だったら、私が言ったことは、正しいかどうか確認せず、私が、常務を批判しているとだけ報告したでしょう。
この常務は、今はA社と何の関係が無くなっている。
ラフレシアではありませんBunga Bangkai (Amorphaphollus Titanum)
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage041.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage045.html
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プライド

2009-12-19 18:26:12 | 情報
どこにでもある橋の上からの風景
数年しか使っていないので、見るからにまだ新しい。バイクや車の外装部品(プラスチックが主)の塗装、乾燥設備の大掛かりなものが売りに出ている。売れなければ、大部分は破壊して鉄屑価格で売ってしまう運命にある。もったいないこと、この上なし。だから、今、または、間もなく、その設備をしようと考えている会社や人がいれば、活かせる手を相談したいと思っています。
城砦のようなラックが建物全体(900平方メートル)、5階建て一杯大がかりなジャングルジムに鉄板の床が敷いてある、原料や製品の倉庫である。そのラックも鉄くずで売るにはもったいなさすぎる。
買ってもらうのは私の技術です。腕です。
 これとは別の話で、もうひとつ、懸念するのは、私が考え私が作った装置で、今までインドネシアではできなかったいくつもの製品をできるようにし、それを作る技術者を育てた。そして、日本から輸入していた会社が現地調達できるようにした。その装置を売るのにこちらから出す見積もりが妥当かどうか第三者の専門家に評価してもらうらしい。
 何気なく、事務的必要から、口にしたと思うが、どこの誰がこれらのことを私以上に分かっていて、価格が、幾らが妥当か断言できるのでしょうか。以前にも書いているが、その会社のその部門のトップの人が私に技術のことを聞いてくるくらいですから、其の会社には評価できる人はいない。日本のどこにいるのでしょうか。

 こちらから、提出する見積もりは、自分なりにかなり低価格で見積もりをだす。目的はやはり、手伝いですから、私が、投資して買った本体部分や付属部品、改造費など実質費用の約80%で出すつもりだ。そこに技術費用や指導料は入れない。客先紹介料も入れない。付属の金型や交換部品は無料、工具や検査器具も、無料。もし、それを、購入価格の明細を出せだの、償却がどうのこうのと云ってくるようだったら、客先紹介費や技術提供料の評価を求める。

このことに絡んで、許せない、見逃すことができないこだわりが私にはある。今後、私がインドネシアにいる間にやらなければ、自分自身納得出来ない、インドネシアから離れられないことがある。それは、来年3月から行動を始めようと思っている。
パパンダヤンの噴煙のように。

インドネシア各地方別の写真集です。
 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野放し

2009-12-18 18:32:28 | 生活
旧日本軍が敷設したといわれているジャングルの鉄路
今は、完全に朽ち果てている。
インドネシアのテレビコマーシャルの中にミルクやお菓子でカルシウムの含有量が多いということを強調する為に、背が低い子どもを揶揄するようなものが目立つ。図書館の高い所の本を取れない子どもに先生が取ってあげようかと云っているところへ他の背が高い子が来て、背伸びをして取ってあげたまではいいが、その子が、小さい子に、背が小さいからな、といっていた。
また、幼稚園で、キリンの人形が置いてあって、先生がキリンに眼鏡をかけましょうと、小さい子に眼鏡を渡す。もちろんその子は,届かないので、掛けられない。で、別の子が来て簡単に掛けてしまう。
 インドネシアの小さい子どもの親は自分の子どもの背が低いことを気にしているのでしょうか。多分日本なら、差別的と問題になりそうな内容です。
 どうということはないでしょうが、もうひとつ気になるコマーシャルがある。頭痛を治す薬、即効性を強調したいのでしょうか。
 火事場に消防車が駆け付けてホースをいざ火に向けようとしたとき、筒先の人の頭が痛くなって、水の方向が定まらない。炎はめらめらと上がり派手に燃えている。そこへ、他の消防員がその鎮痛剤を与える。たちどころに治って、水が炎に掛りだす。画面は一変して、筒先の消防士がにっこり笑っている後ろの家は真黒に丸焼けになっている。
 状況の設定がふさわしくないと思うのですが、インドネシア人は素直にこの宣伝を受け取るのでしょうか。
 
 もうひとつ日本なら許されないコマーシャルは煙草の宣伝です。コマーシャルの20%位は煙草ではないかと思うほど多いが、実物や箱は画面に出てこない。迫力がある日本なら精力剤のコマーシャルかと思わせるので、つい見ていると、煙草のものだったという例が沢山ある。まったく、規制の動きはないし、アルコール類にはうるさい宗教省や関係者もなんとも言わない。
 
 インドネシアでは小学生のバイクを運転し、二人乗り三人乗りをしているように、タバコも普通に吸っていて、大人は何も言わない。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする