エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

中日高の無名峰1483m峰

2015年06月28日 | 山紀行 (日高山系)
奥深き中日高・早大尾根のピラミッド・・・
1483m峰 (1483m) と留取岳(1350m)を狙って・・
 ko玉氏に同行、日高無名峰五座の一つに早大尾根から・・・

■ 山 行 日    2015年6月19日(金)~22日(月)   山中2泊3日
■ ル ー ト     ペテカリ岳東尾根コース~早大尾根ルート 往復
■ メ ン バ ー      ko玉、エバ
■ 登 山 形 態      登山道&這松・藪漕ぎ
■ 地 形 図     1/25000地形図  「拓進」「歴舟川上流」「神威岳」
                          「ヌビナイ川上流」

■ 三角点・点名   ポンヤオロ・・三等三角点 点名「奔遣岳・ポンヤルダケ」  
           1483峰・・三角点、点名無し
(標高点のみ)
■ コースタイム   登山口からBCまで     9時間45分 
           BCから1483峰まで  5時間25分
           1483峰からBCまで  4時間15分
           BCから登山口まで    6時間45分

【1日目 6/19】
20:00  自宅出発
23:15  中札内村道の駅 C1 車中泊


【2日目 6/20】
<登り>
 8:15  東尾根登山口出発
11:30  C1121付近
14:40  ポンヤオロマップ岳(1405m)頂上
18:10  C1417コブ
18:20  1417コル ツエルト泊 C2

(タイムは休憩含む:休憩タイムトータル125分)

【3日目 6/21】
<登り>
 5:40  BC出発
 6:20  1518ジャンクション
 6:25  早大尾根分岐
 8:50  1463m峰
11:47  1483m峰

<下り>
12:10  1483m峰下山開始
14:10  1463m
15:52  1518ジャンクション
16:25  BC C3

(タイムは休憩含む:休憩タイムトータル120分)

【4日目 6/22】
<下り>
 7:00  BC出発
 9:20  ポンヤオロマップ岳
11:45  C1121付近
13:45  登山口

(タイムは休憩含む:休憩タイムトータル95分)


神原照子著書「日高辿路」(ひだかてんろ) より引用

★ 1483m峰 (通称 西のピラミッド峰)・・・
日高山系の無名峰と言われる山は数知れず多いが、その中でも無名峰5座として
1967峰、1839峰、1823峰、1853峰(ピラミッド峰)そして西のピラミッド峰とも呼ばれる
1483峰が、北海道新聞社の十勝版で平成6年8月16日から5回の連載で紹介されたと・・・
神原さんの著書「日高辿路」の中に書かれている。
神原さんは当時この連載を見て始めて1483m峰の存在を知り、唯一登っていなかったので
「登って見たい」と思うようになったという。

その連載された「1483m峰」の記事は、著書にも載っているがここでも引用して紹介したい。

『大樹町の歴舟川の源流に位置する。登山道も無く、人里から遠く離れ、登山の対象になる
ことも少ない。ただ一度この山が脚光を浴びた。
戦後間もない1947年(昭和22年)12月24日、早大山岳部の16名が大樹町尾田を出発、
日高山脈の主稜線から延びる長い尾根に取りついた。深雪、ブッシュ、70度にも達する急
斜面に苦しみながら10以上の山を越え、1月14日、第一隊がやっとこの山に辿り着いた。
さらに二日後、ペテカリ岳山頂に立ち、ペテカリ岳の厳冬期第二登を果たした。
当時は、日本の登山家が、ヒマラヤの8000m峰に挑戦しようと考え始めていた時代。
ルート開拓をしながら物資を荷揚げし、徐々にキャンプ地を進める「極地法登山」をヒマラヤで
実践するための訓練として、この長い尾根が選ばれた。
この挑戦をたたえ「早大尾根」と呼ぶようになった。しかし、早大尾根きっての名峰に、残念
ながら名前はつかなかった。見る角度で山は表情を変える。この山も北東のポンヤオロマップ岳
からはどっしりとした山に、北西のペテカリ岳からは谷が一気に1000m近くえぐられ、
アルプスを連想させる急峻な山容に変わる』

            (平成6年8月17日北海道新聞社十勝版より抜粋) と記されている。

少なくとも私の1000m超峰リストには、西のピラミッド峰とも呼ばれる「1483m峰」の名は無く、
隣りの「留取岳1350m」だけが登行の対象だった。
今回、HYMLの岳友・Ko玉氏からこの計画のお誘いを受け恥ずかしながら始めて知った山だった。


★ つのる不安・・・
ko玉氏とは、電話とメールで計画の内容を詰めて来た。
地形図を用意し、計画書に添って地図と睨めっこする。
個人装備の欄で水の量を知り愕然!
共同水は一人2ℓ、自分の飲み水は3日分とあった・・・。
さてビールも持ちたい、ウイスキーは500ペット1本だな?
なんて考えていると、水関係だけで10ℓ=10㎏になると気付く。
更に他の装備を加えたらいったい何キロになるんだろう?・・・

東尾根の登行は16年前にペテカリ岳まで往復したがその記憶に「辛い」と
いう文字だけが残り、初登頂したペテカリ岳の達成感や楽しさの記憶は薄れ
ていた。日高らしいアップダウンの急登下を繰り返し、重荷は肩に食い込み
どっぷりと汗を流して・・・ヘロヘロだった事を思い出す。

今回更に未知なる早大尾根に取付き、猛烈な這松と藪に叩かれながらと想像すると
計画を受けてしまった事に不安と後悔が募って行く・・・。

なのに何故か3日分の飲み水は4ℓしか持っていなかったのは私自身の甘えだった・・・・・。


★ 夏山ガイド・・・
登山口までの林道情報については、北海道「夏山ガイド」などに載っているので
ここでは割愛するが、印象としては「林道整備がされていない状況」が強い。
車の両サイドは時々イタドリの葉に擦れたり、倒木や落石で車を止める場面もあった。
登山口はペテカリ橋を渡ってすぐの所にあり広いスペースは以前のままだった。
入林届のポストと古く小さな看板はあるが、登山口がどこなのか最初は分からないほど
草に隠れていた。



東尾根コースの登山口 (写真左手が登山口になっている)

★ とにかくゆっくり・・・
前日は、中札内村の道の駅で車中泊する。
23時過ぎに着いてから車中で山談義と安着の乾杯で話は盛り上がる。
就寝はなんと1時を回っていた・・・。


 6:35 道の駅出発
 7:45 登山口駐車場到着 
 8:10 登山開始

改めて荷の重さを実感しつつ、これから登る長い尾根を思うとやはりテンションは上がらない。
ましてこのコースは最初からジグの急登で始まり足取りは重かった。



601m標高点下にある梯子場は二つ連続してある・・

規則正しく30分毎に10分前後の休憩は最後までずっと続いた。
テント場までの中間点となるポンヤオロマップ岳まで約6㎞だが、その間休憩は8回、
汗の止まる事はなかった・・。休憩の度にザックを降ろし水はガブガブ飲んでしまう。
今日の飲み水は1.5ℓだった事を忘れたい・・・と思った。

1121m標高点前後から登山道脇の笹が道を覆い不明瞭となる。時には分からなくなる程で
登山道の整備も人も歩いていない感じだった。急登はとにかくゆっくりとしか登れない。
時間と共に飲料の多さに不安を抱きつつKo玉氏には言えなかった。



ポンヤオロマップ岳がようやく望める位置に来た。(約1キロほど手前の尾根1100m付近)

★ ポンヤオロマップ岳1405m・・・
14:40 ポンヤオロマップ岳頂上  登り6時間25分
最初の大きな目標だったポンヤオロマップ岳に着いた時は正直ホッとした。
それは16年前の記憶でここまでが泣きたいほど辛かった事・・・だけを覚えていたからだ。
しかし、ここからは下りで少しは楽が出来るぞ!と思ったのもつかの間。
予定のテント場までアップダウンは2度3度では無かった・・・と地図を見て力を落とす。
16年前の記憶なんてホントに当てにならないと思った・・・。

まだ登行途中で頂上での休憩も程々に景色を堪能する余裕も無かったが、ポンヤオロから望む
1483m峰はどっしりしていて単なる尾根上のコブ程度にしか見えなかった。
山は見る角度で山容が変わる事は承知していたが、この山がピラミッドとはこの時信じられなかった。

再び重荷を背負い、苦労して登って来た高度を一気に100m落としアップダウンを繰り返して
最低コル1231となる。そして再び高度を上げながら1417コブをめざす頃、雲行きが悪くなって
霧雨に遭遇した。ko玉氏は濡れる事を嫌がり適当な場所にツエルトを張る事も提案されたが、快適な
1417コルのテン場に行きたくてわがままが出てしまった。

霧雨はほどなく止んでいたが、気が付くとテン場を過ぎて貯め池まで来てしまい戻る場面もあった。



ポンヤオロマップ岳から望む1483m峰


16年振り2度目の登頂、初登頂の時の辛さが蘇えって来る忘れない山だ。


頂上には一張り分のテントサイトがあった・・・


今回、花を撮る余裕はまったく無かったが見ていると癒されるので頑張れた「カラフトイソツツジ」

★ 1417コルにBC・・・
18:20  1417コル テン場着  C2  (登山口から9時間45分)
6/22 夏至のこの時期だからまだ外は明るかったが、さすがにツエルトを張って中に入る頃は
暗くなり始めたから、安着の安堵感も運に後押しされたと感謝もプラスだ。
早々、頑張って持ち上げたぬるい缶ビールの栓をプシュッと開けて今日の二人を褒め合った。
「ぬるくても美味しい缶ビール」、持って来て良かった・・・と呑んべいの二人は単純なものだ(笑)

ツエルトは3人用だったので広い空間が心地良い。
適当に荷物を散らばしても邪魔にならず充分に足も延ばす事が出来る快適さだ。
貴重な水の事は棚に上げてその後の水割りと山談義は23時過ぎまで続いた。
夕食は、シェフKo玉氏の「カニ雑炊」でお腹を満たす。

まったりとして酔いがまわる頃、今日の辛さも忘れて明日への気合も湧いて来るから不思議だ。
明日はサブザック・・・とにかく軽いのが嬉しかった。未知の山とルートを想像しながら
シュラフに潜った二人はアッというに爆睡する・・・。


★ 忘れ物事件・・・
【6月21日(日)】
4:00にセットした目覚ましで起床する。
コーヒーを飲んで、朝食の「棒ラーメン」はなかなかのアイデア食だった。

さぁ、そろそろ準備というところである物が見つからず焦ったのは私だ。
入れたはずの「サブザック」がどうしても見つからなかった。(後で見つかったが・・・)
結局、本ザックを持って行く事になるが、まさかこの事が後で功を奏した結果に
繋がるとは思いもしなかった。



テント場近くの登山道から望む1483峰(左)と1463峰


1483m峰をズーム・・・見る角度でホント山容が変わるものだ。正にピラミッドだ!






運が良ければ狙いたい・・・留取岳も見る事が出来た

★ 廃道化と鹿道・・・
5:40 出発   快晴
1417コルのテント場は快適な場所に違いないが、今はすっかり鹿の休憩場所にもなっていて
そこら中に鹿道が出来ている。どの道が登山道なのかほとんど分からない状況でルートを辿る。
最初の目標は、早大尾根の分岐となる1518ジャンクションだが、鹿道を選んでしまい途中藪を
漕いで登山道に戻る場面もあった。藪に慣れている私たちだがGPSが無ければもっと迷ったかも
知れない。1518まで約40分掛かったが後半の20分は藪漕ぎ状態で「廃道化」した道と言えよう。


★ いよいよ早大尾根・・・
6:25  早大尾根分岐
鬱蒼とした灌木帯の中から早大尾根の分岐を探る・・・
快晴の天候と目指す1483峰が見えているので分岐点はすぐに探す事が出来たが、
条件が悪いと難しい分岐探しになりそうな場所だった。

分岐尾根上は、早々大きな這松から始まるのでそれを避けて灌木帯の急斜面をトラバース
気味に降り、這松の無い尾根を探しながら取付いた。そして、ようやく痩せた尾根上に出ると
遥かなる早大尾根の急峻さに圧倒された。



1518から早大尾根に取付いた岩場から望む・・・

★ 留取岳は断念・・・
這松と灌木そして岩稜帯とナイフリッジ・・・そんな鬱蒼とした場所も、実際に取付いて見ると
意外にもしっかりとした踏み跡があり這松には、古い「鋸目」を発見し驚かされる。
両サイドがすっぽりと切れ落ちたナイフリッジに這松が絡み合って歩き難い。一歩間違えると
遥か下の谷へ・・・と考えただけで背筋が寒い。そんな思いを何度も経験しながら少しずつ
目標物が近づくと単純に嬉しいものだ。
しかし、中間の1463m峰のピークまで2時間25分を要し、更に1483m峰を間近に望む頃
帰路の事を考えて「留取岳」を断念せざる負えないとリーダーが判断した。



1463m峰から望む1483m峰


頂上直下の岩壁が見え始める・・・

頂上直下の基部付近は、結構深い灌木帯だった・・・

★ 西のピラミッド初登頂・・・
11:47 1483m峰 登頂
頂上直下の基部に辿り着き上を見上げると正に壁である。
岩と細い灌木の混じるその壁は、標高差で50m位はあるだろうか。
フリーで登るにはちょっと覚悟がいる登りでここはリーダーにトップを委ねる。
しかし、登って見ると意外にもホールドとスタンスは取れて腕力に任せて登れてしまった。
ただし、途中で下を見る事は出来なかったのはビビリの私だ。

リーダーの後にぴったりと付きながらおよそ20分で頂上に着いた。
三角点もテープも標識も一切無い1483m峰は、ピラミッドと称されるピークでありながら
立ってみると台地上の尾根が先に延びていて頂上感は今一つだった。でも、展望は最高である。
ポンヤオロマップ川を挟んでぐるっと辿って来た「ポンヤオロマップ岳」は目の前だ。
そして西にはペテカリ岳を始め中ノ岳、ソエマツ岳と続き遠くピリカヌプリも見えている。

ko玉さんと力強く握手して互いの健闘を喜び、一時の初登頂感に浸る・・・
しかし、下りを考えるとゆっくりも出来ず、テン場から5時間30分の登頂も滞在は僅かに20分だ。



待望の1483m峰に初登頂のリーダーKo玉さんと私


1483峰からの展望 「神威岳1600m」


1483峰からの展望「中ノ岳1519m」


1483峰からの展望「ソエマツ岳1625m」


登って来たルートを振り返り・・・ホント良く来たものだと自画自賛する。

★ 奇跡・・・
12:10 下山開始
岩塔の下りにはロープを出す予定も、持っているko玉さんが先に下りてしまった。
テープを付けながら来たのでルートを間違えず忠実に降りて見ると意外にも細い灌木も頼りになった。
その途中、ko玉さんが突然叫ぶ!!

「雪渓だ!」「下に雪渓があるぞ!」

自分の目を疑いながらも言われた方向を注視すると、確かにルート上のすぐ下に白い塊が見えた。
場所は1463峰との中間コルの北斜面にあった。
そばに来ると2畳程しかない小さな雪渓・・・しかし、命の水源だった。
そしてこれは奇跡に近い幸運である。

幸運がもう一つ、雪を持ち帰るレジ袋が数枚と背負っていたザックのインナーが防水袋であった事だ。
装備の荷物はko玉さんのザックに移し、私のザックに持てるだけの雪を背負った。(約10㎏)

重いけど気分はハイテンションである・・・!!



これがルート上から僅か2m下にあった小さな雪渓・・・


雪渓のすぐ近くに咲いていた可憐な「ナガバツガザクラ」


帰路の1518ジャンクションへの登り返しの藪・・・


1518までもう少し・・・


テン場近くのため池・・・


無事、ご帰還です・・・(鹿と熊が心配のツエルトも無事でした)


外で雪を溶かし水を作ると同時に安着の乾杯で大満足のご帰還。

★ 最高に冷えたビールと溢れる水・・・
16:25  テン場着
心配していたツエルトの無事を見て芯に安堵感が湧いて来た。
ならば、何をさて置いても今ここには冷た過ぎる雪がたっぷりあって、ビールを冷やすのが先決だった。
天気も良いし暖かい、安着の一杯は最高に冷えたビールがご褒美になった・・・。
雪を溶かし水が溢れるほどに出来て行く。あっという間に5ℓほどの水を確保。

雪の塊りを入れたウイスキーのオン・ザ・ロックだってもう贅沢じゃない。

あんなに苦労して登って、テントに着いた二人は、なんて呑んべいでだらしないのだろう。
着いてからこのまんま2時間以上外での宴会が続いた・・・

そして、ツエルトに戻ってからも延々と宴はたけなわ・・・就寝は0時を過ぎていたから驚く。


★ 帰路の東尾根・・・
4:30 起床
今朝はゆっくりでいいのに、鹿の鳴き声と熊の気配で目が覚める。
今日も快晴の朝を迎えつつ爆竹を鳴らして熊を追い払った・・・つもり。

今朝は、コーヒーもお茶も飲み放題・・・
水分をたっぷり取って、朝食の後もまたお茶を飲んだ・・・


7:00 下山開始
ザックは嘘のように軽くなって下りの足取りは軽い?
飲み水もたっぷりあるので休憩の度にゴクゴク飲めるのも嬉しい。
稜線の谷底から吹き上げて来る冷たい風がなんと気持ち良い事か・・・

下りもゆっくり、のんびり休み休み・・・
それでもポンヤオロマップ岳まで2時間20分で着いたからやはり下りは早い。



登りでは撮る余裕が無かったがポンヤオロでのツーショットは貴重かも知れない。


どこにでも咲いている・・・と言えば「ゴゼンタチバナ」に失礼だが、最後に撮りたくなった花でした

★ 何か変?・・・
ポンヤオロマップ岳からの下りに入る。
下りでも30分に一度の休憩は登りと一緒だ。もう急ぐことは無い、時間はたっぷりあるので・・・
と、リーダーko玉氏の優しいお言葉。

3日間で一番の天気かも知れない。
尾根上のあちらこちらで爽やかな風が吹きその度に立ち止まっては両手を広げて風を受ける。
その反面、笹薮の通過はダニとのだまし合い?その戦いは決して楽しくは無い。

なんやかんやと言いながら時間と共にゴールが近づくのは嬉しいものだ。
順調にどんどん下っている時、ふと異変に気が付く。それは、ピンクの標識テープである。
登りではほとんど目立たなかったテープが頻繁に目にする様になった。
特に鬱蒼と覆い被さる笹の登山道では先々にテープが確認出来て迷う事はなかった。
更に登りであわや遭遇しそうになった熊の落し物がきれいに無くなっていた・・・

その異変はある意味正しく、登山口に着いてから判明する・・・


13:45 登山口   (ポンヤオロマップ岳から4時間10分)

★ 田中陽希さんの200名山ひと筆書き・・・
もうヘトヘト状態で登山口に着いた時はホントに終わった・・・と安堵した。
軽くても重いザックを放り投げ、解放感に浸りながら帰って来た実感を噛みしめる・・。

我を取り戻し「入林届」の下山報告を書こうとした時、記帳欄を見て目を疑った。
入山日は私たちと同じ6/20 氏名 田中陽希 目的の山 ペテカリ岳 下山は6/21西尾根コース
と、記されていた。


<田中陽希・プロアドベンチャーレーサー>
プロアドベンチャーレーサー
1983年6月生まれ

北の大地にあこがれた父の一言によって陽希君(当時6歳)家族は北海道富良野市麓郷に移住。
一年の大部分を雪と共に過ごす内にクロスカントリースキーに没頭する。
明治大学に進学後もスキー部で活動。インターカレッジで7位入賞。大学卒業後、体育教員を
目指す傍らアドベンチャーレースと出会い、冒険へと人生の方向転換を図る。
2009年世界スキーオリエンテーリング選手権大会日本代表。国内唯一のプロアドベンチャー
レースチームであるTeam EASTWINDの主力メンバーとして活動中。
パタゴニアエクスペディションレースに2010年~2013年の4年連続出場。
最高位は2012年と2013年の2位。チームの目標は世界一。
2014年、前人未到の挑戦として、南は屋久島、北は利尻島までの「日本百名山ひと筆書き~
グレートトラバース」7800kmの旅を208日と11時間で達成。

日本2百名山ひと筆書き~グレートトラバース2

随筆「日本百名山」を著した深田久弥氏が百名山を選定するにあたって厳選した日本の山146座
のうち、百名山に入らなかった46座と、その深田久弥氏の遺志を継ぎ、1974年に発足した
愛好会「深田クラブ」によって1984年に選定された54座を、日本2百名山と呼ぶ。
2014年、日本百名山ひと筆書きを達成した田中陽希が次に選んだチャレンジは、日本最北端の
宗谷岬をスタートし、九州最南端の佐多岬をゴールとする、日本2百名山の新たな100座をひと
筆書きでの挑戦だ。北海道から九州へ南下するルートの総走破距離は8000kmを超え、またしても
7か月間におよぶ壮大な旅になる。日本に山岳地帯に残る豊かな自然と文化、そして山と共に暮らす
人々との交流を肌で感じながら、前人未到の挑戦はつづく。

とHPで紹介されています。





※ この後も更に加筆する予定ですが、ここまでのアップを公開します・・・7/2