エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

馬追丘陵~長官山 (254m)

2014年01月29日 | 山紀行 (道央・札幌・積丹)
今季3度目の馬追丘陵~長 官 山 (254m)
■ 山 行 日   2014年1月29日(水)   日帰り
■ ル ー ト    長沼スキー場駐車場~長官山 往復
■ メ ン バ ー    夫婦登山 №5
■ 登 山 形 態     山スキー
■ 地 形 図   1/25000地形図  「長沼」「栗山」
■ 三角点・点名  三角点無し (ちょうかんざん)
■ コースタイム  登り 約1時間  下り 30分
<登り>
スキー場駐車場12:40--レーダー塔13:00--馬追原野13:27~30--長官山13:38
<下り>
下山開始13:50----レーダー塔14:10~15---駐車場14:20


★ 長官山のお勉強・・・
長官山(ちょうかんやま)は、北海道空知管内夕張郡の長沼町と由仁町の町境に存在する
標高254mの山。石狩平野南部に位置しており、馬追山等とともに馬追丘陵を構成している。

北海道の他の山々と比べると比較的低いながらも、山頂付近は草や低木しか茂っていない
ことや周囲に高い山がなく平野が広がっていること等から、石狩平野に広がる北海道でも
有数の美しい水田が見渡せ眺望は良い。特に天気が良い日には、北西方向には札幌市街
が東には日高山脈や芦別岳、夕張岳が見渡せる。山中の見晴らし台には、小説『馬追原野』
の著者辻村もと子の文学碑が存在する。

長官山という、この山の名前は、1891年に渡辺千秋北海道庁長官(3代目)が、北海道内の
視察を目的とした道内行脚を行うに際して、この山へ登頂し、当時はまだただの広い原野で
あった石狩平野の開拓構想を練ったことにちなんで、長沼町と由仁町の住民が「長官山」と
呼んだことに由来するとされている。

<山の自然>

野鳥や、昆虫、樹木や野花の種類が大変豊富で、馬追丘陵全体では、例えば、25種類の蘭、
202種類の野鳥の生息が確認されている。長官山に限っていえば、針葉樹のトドマツ、広葉樹
のミズナラ、ホオノキ、キタコブシ、オオカメノキ等が群生しているが、このうち、冬季でも葉を
つけているのは、トドマツのみである。そして、これらの樹木は、その種類を問わず、雪の重み
の影響などで根上り現象が起きていることが多い。この美しい自然は遊歩道が整備されている
ため、簡単に観察し愛でることができるが、ヒグマなども生息しており、登山に際しては注意が
必要である。


★ 風邪引き変更・・・
今日は、「定山渓・四ツ峰」に決めて計画をしていたのに風邪を引いてしまった。
昨日の除雪作業が原因かな?
湿った重い雪で結構な力仕事・・・。
午前と午後に分けるほどその量は半端無い。

その上、裏庭のイグルーの整備と孫のソリ遊び用に雪の滑り台制作に汗を流してしまった。

今朝は予定通り5:30に起床するも寒気と軽い頭痛があり、チーヤンの優しい言葉で再び床に臥して
しまった。・・・と同時に「四ツ峰」計画は中止となる。
でも2度寝した後、少し調子が戻り天気も良くなって来たので「どこかへ」と出掛けたのが「長官山」だ。

新計画は、馬追温泉コースから登る予定だった。
しかし、登山口には駐車場が無く馬追温泉の駐車場をお借りしようと立寄ったが、本日14:00~の
営業と貼り紙があり表玄関は閉まっていた。
裏玄関に回って声を掛けるも反応が無く諦めて「長沼スキー場コース」へと変更になった。

温泉コースの遊歩道にはまったくトレースは無く登るとしても最初からラッセルのアルバイト付と覚悟
した方がよさそうな状況だった。




★ 半信半疑・・・
長沼スキー場着12:20
登行を諦めた馬追温泉コースから長沼スキー場へのルートを間違えてタイムロスし到着する。
先ほどまで吹雪模様もスキー場に着いて間もなく太陽が顔を出して来た。山行には持って来いの
天候となったが、すでに昼を過ぎた時間で何故かテンションが上がらなかった。
スキー場は、平日にも関わらず大型バス数台の高校生と自衛隊のスキー訓練隊も大勢来ていたので
非常に賑やかそうだった。
当初は、リフトを使って登りスキー場の上に位置する「馬追山202m」を登頂してから長官山に向かう
予定だったが、私たちの出で立ちが少し目立ち過ぎるので下から歩く事に変更した。
それでもまだ行くか止めるかで決めかねていて下のルートも半信半疑、車中で悩んでいた。



スキー場駐車場出口側から出てすぐの道路

★ とりあえず・・・
出発 12:40
地形図に載っている道路は除雪されていたのでスキー場の管理道路ではないかと思い
勝手に通行出来ないかもとここでも半信半疑・・なのに確認も許可も得ずとりあえず出発することにした。
自己責任とは言え、少し進むとスキー場の陰となり安心する。ジグを切りながら少しずつ高度を上げ
スキー場の頂上付近も通過すると正面に大きなレーダー塔が見えて来た。


レーダー塔 13:00
レーダー塔の名前は確認出来なかった。
除雪はここまでで以降はトレース一つ無い深雪の道路が続いていた。
除雪状況からこの道路は、スキー場関係では無くレーダー塔に関係した道路だと認識する。






★ 緩やかな登り・・・
レーダー塔から新雪の林道にラッセルしてトレースを付ける。
無雪期なら車一台は走行出来そうな道幅があり地形図に従って長官山を目指した。
レーダー塔から長官山まではおよそ1㎞の距離しかない。
緩やかな登りが続き帰りは楽が出来ると期待する。








★ 見晴台、文学碑「馬追原野」・・・
見晴台 13:27
長官山のお勉強でも出て来た文学碑「馬追原野」がこんなところにあるとは思わなかった。
頂上手前300m位に林道は二股となり右手の小さな尾根上の先にこの碑が立っていた。
更にその先は広大な田園風景を望む石狩平野が一望出来る。

1891年に渡辺千秋北海道庁長官(3代目)が、北海道内の 視察を目的とした道内行脚を行うに
際して、この山へ登頂し、当時はまだただの広い原野で あった石狩平野の開拓構想を練った・・・
とされるほど当時では大発見の展望だったのかも知れない。

また、小説家・辻村もと子さんは、父・直四朗をモデルとした石狩平野の長沼町開墾を描いた長編小説
「馬追原野」を世に送り、地元に生まれ育った石狩の野に生きる人間模様を描き続けた・・・として立て
られた記念碑でもあるようだ。

そんな歴史的背景なぞ何も知らずにこの丘陵に足を踏み入れ「ただ近いから」「面白いから」と言うだけ
で3度目の登行となったが、今は奥深き丘陵の地について敬意を持って再び訪れる決意で学び舎の
エバである。







見晴台から望む石狩平野の雪原は見事だった・・・

★ 長官山、初登頂・・・
長官山 13:38
見晴台から直接、長官山に続く林道へ急斜面を滑り降りる。
ほどなく正面には赤い鉄製の頂上展望台が目に入り、トレース一つない最後の急斜度をひと登り
初登頂した。

馬追丘陵のメジャールートは、やはり馬追名水ルートだけなのか?
深く降り積もった長官山展望台には、誰かが訪れた痕跡は無くちょっと寂しいルートなのかも知れない。





長官山頂上 展望台・・・


1/29 長官山 254m 初登頂!!


頂上からの展望・・・


頂上から望む、瀞台方面

★ 下り・・・
下山開始 13:50
なかなかの展望もゆっくり出来る暖かさではなかった。
風も少しあってとにかく寒かったので写真を撮って早々の下山開始。
ルート全体的には下り勾配も2、3箇所の登り返しがあったのでレーダー塔まではシールを付けたまま
下山を開始し、レーダー塔の手前のコブにわざわざ登って少しだけの下りを楽しむ。
レーダー塔からシールを外し除雪された道路を
登って来たトレースに乗っかりながらアッという間の下山。

駐車場に戻ってからポールに付けてあったピンクのテープを全部外し、
ザックも車に置いてリフトに乗った。

1回券140円を2枚購入し、二人で1回だけのゲレンデスキーを楽しんで帰宅した。

次の機会は是非「瀞台」まで距離を延ばして南北約10キロの馬追丘陵を線で結んでみたいと思った。



※ 2/2 アップ終了しました・・・・