エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

山が縁で続く・・・トマムスキーツアーで再会

2013年02月27日 | 日記
山が縁で続くお付合いも12年目・・・・
2年ぶりの再会・・・in 
トマムスキーツアー
<プロローグ>
★ M井さんとの出会いと回想・・・
2001年7月8日・・・日高・幌尻岳山行
この日は、青森に住む山の友人Aさんのガイド役として百名山の「幌尻岳」に出掛けた日。
当時はまだ百名山ブームの前で山小屋「幌尻山荘」の予約は必要の無い時だったなぁ。
林道ゲートからバイクで2往復し取水ダムのある沢の出合まで走る。そこから額平川を遡行し
約3時間で山荘へ。小屋には10名ほどの登山者が居た・・と記録に残っている。

同行したAさんとの出会いのドラマもあるが、今回のトマムスキーツアーで来道したM井さんとの
出会いはここから始まり、以後12年間続く山仲間&スキー仲間にもなっている。

当時、M井さんをリーダーとするパーティーは4名だった。
声を掛けたのは幌尻岳頂上手前のお花畑・・・
出会いの挨拶は山のマナーだが、一行の装備に少し疑問を持ちながらそこは通り過ぎる。
先に登頂した私たちは、その景色と頂上制覇の喜びに慕りながら休憩していると彼らも登頂する。

しかし、その歓喜も無く写真も撮らずにすぐに去ってしまった。
「なんだこのパーティーは?」と更なる疑問を抱きながら、
次の戸蔦別岳に向かうと稜線コル付近から七つ沼へ雪渓を降りる一行の行動を確認した。
その前に登山道で彼らの物と思われる落し物を拾う。

何故、七つ沼に向かうのか非常に疑問だった。
まして彼らの装備は軽装で二人の女性はまったくの空身である。
男性二人も小さなザックでいかにも頼りなかった。
雪渓は急斜面で長く、無事降りられても登りでアイゼンが無ければ大変だ。
そう思った私はつい彼らに叫んで問いた・・・・・。

やはり降りる最たる理由もなくアイゼンなどの用意も無かったようである。
無事に登山道に戻り、私たちが先行する形で戸蔦別岳に登った。・・が、女性の1人が
容態を崩す。(熱中症だったようである)
休憩するも一行にはほとんど水も無く、行動食も僅かしか無かった事に驚く。

まずいパーティーと出くわしたかも・・と、後悔しつつも女性の回復を待って下山を始めた。
そうそう、落し物はもう一人の彼女の物でとても大切なものだったようで喜んでくれた。

今度は完全に私が一行のガイド役となってしまうも一行の下るルートは登山道の往復だったようで
戸蔦別から六の沢に降りるルートの事は知らなかったようである。
ここからの下りは、最短ではあるが急斜度が沢まで続く。回復した女性の足取りは遅く沢の出合で
40分待った事も記録として記していた。

もう乗りかかった船、ではないが以降はすっかり一行と打ち解けてしまい行動を共にする事になった。
沢の途中で夕食のおかずにと対岸の沢蕗を何本か取りに行くと、一行はびっくりした様子で
私を見ていた。「えっ」何か不思議?と逆に問うと、一行は横浜からのパーティーで北海道の蕗の事は
あまり知らなかったようだった。
山荘に下山してから早々に蕗を茹でて皮をむき、油と醤油で炒める様も目を丸くして見物していたし
それを食べてまたびっくりした様子で「美味しい・・」と喜んでくれた事も記憶にしっかりと覚えている。

ちょっと長い回想でしたが、そんな出会いと出来事がキッカケで以後も何度か一緒に北海道の山を登る
機会が生まれ、私自身も本州の山では皆さんにお世話になる関係となった訳です。


★ スキー仲間・・・
M井さんの率いる一行には山だけではなくスキー仲間も多い。
もう10年近く毎年北海道スキーツアーに来ては私を誘ってくれた。
以前は「ニセコ」が主流で現地にはスキーのコーチ&宴会付で楽しかったが、結構厳しい指導の
スキーツアーでもあった。
しかし、そのコーチが一昨年に亡くなりツアー会場は「富良野スキー場」「トマムスキー場」へと変わって
行った。


【2月20日(水)】

M井さん一行は、4名。
前日からトマムに入りすでにスキーを楽しんでいた。
一行のメンバーは全員顔馴染みの方ばかり、某銀行のOBとOGで皆さんスキーの達人ばかり。

驚くのはその年齢でした。
今年81歳になるN島さんと78歳のI川さんは女性。
そして男性の瑞Oさんは76歳、M井さんも75歳という高齢パーティーなのです。

スキーウエアーで身をかためヘルメットとゴーグルをしてスキーをすれば恐らく誰もこの年齢だとは
思わないでしょう。そのくらいスキーは上手く綺麗に滑り降ります。

20日は夕方にホテル入りして皆さんと合流、スキーは滑らず温泉と夕食から再会交流が始まりました。



2泊したトマムリゾートのホテル、「ザ・タワーⅡ」・・右は「タワーⅠ」


再会の祝杯を挙げたホテル内の回転寿司「さくら」にて

【2月21日(木)】



2月21日朝、ゲレンデに向かう時のホテル裏で・・・


 I川さん、宿泊したトマムのシンボルタワーをバックにゲレンデのコース内で


この滑りを見て下さい。満80歳のN島さんです。凄いですねェ~の一言です。

【2月22日(金)】

最終日
女性陣は体調が悪いのか残された午前中のスキーはキャンセルし、部屋で待機するとの事だった。
男性陣3名は、ホテル裏の第10リフト一基だけを利用してコースを数回楽しんだ。
その後、私だけ別れて深雪コースに挑戦し、変化のある深雪を楽しむ事が出来た。

トマムスキー場は、「冬山を楽しむ文化を創造・発信する」ことを目標に2005年から「冬山開放宣言」
事業が始まり、その一つとしてコース外の樹林帯やリフト、ゴンドラの下などの深雪も開放し滑る事を
認めているようだ。ただ、滑っている人は少なく、この日深雪に入り込むのは私くらいしか居ないよう
だった。

M井さん一行は、昼過ぎの送迎バスで新千歳空港へ向かう。
私も12:29発のJRで帰る事とし、10時過ぎにはスキーを終了し帰宅の準備に掛かった。

二晩の夕食会も楽しかったが、二次会の部屋飲みも落ち着いた雰囲気の中で色々なお話が出来て
楽しかった。何せ人生の諸先輩たちであるのでお話の一つ一つが深く説得力がある。

M井さんの友人たちは、山もスキーも楽しい方ばかりで無頓着なエバはいつも刺激的だ。

次回の再会を約束するも私の送迎バスが早く到着し、最後は少し慌しく別れてしまった。

本来は少なくてもあと二人加わってのツアーだったが、病気には勝てず一人二人と
不参加組が出て来るのはとても寂しかった。
いつも笑顔で酒好きのSU藤さんは、最後までこの呑んべぃに付き合ってくれた人だし、
大柄の和DAさんは、孫の話が自慢も今は透析をしながら病気と共存する毎日の様。

私を含めてそれぞれ大小はあれど病気や怪我などに悩みつつ、時に寝込む事もあるだろうけど
楽しめる今を大事にすることが大切だと言う。



タワー36階にあるスイートルームを特別に見学させてもらい、その展望はさすがです。