90ページの雑記帳-2(丼・行・ぶろぐ。)

ようこそいらっしゃいませ。
自分の文章力も省みずに(笑)、旅の話を主に色々と書いていきたいと思います。m(_ _)m

輪行チャリ鉄6輪旅2023年栃木編・宇都宮ライトレール初乗り♪

2024年03月06日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 2023年の10月、毎年秋に決行している6輪無宿旅(自転車2輪+軽自動車4輪  #SixWheelJourney )は、栃木県と甲信地域の旅をしました。勤務終了後の夜からスタートしましたが、その夜から全国的に雨に見舞われ、初日に一気に宇都宮まで向かう予定だったのを変更して、先ず自転車を使わない旅程を入れて、山梨市の“聖地巡礼”に向かい、雨天をやり過ごすこととしました。
 旅程2日目に宇都宮市に到着しました。天候は回復する予報となっていました。良好💗





 宇都宮市を目的として訪れたのは、この時期のタイムリーな話題になっていた、新規開通した芳賀宇都宮ライトレール線に初乗車及び輪行チャリ鉄を行う為なのでした。私はいちおう、日本全国路面電車の全社局線に乗車した(但し、全路線ではありませんでして、札幌市電だけはすすきのからの東半分の一部以外が未乗ではあります。。。故の“いちおう”)人なので、タイトルホルダー所持の為にもと、この年の秋の長旅で訪線しようと決めていたものでした。



 宇都宮駅東口の立体駐車場に車を駐めて、ここをベース基地としてDAHONを組み上げ、芳賀高根沢工業団地まで漕ぎ始めます。
 立体駐車場と一体の駅ビルをJR駅側に出ると宇都宮ライトレールの宇都宮駅東口駅と繋がっていて、HU300形の黄色い電車と初対面♪ 各種情報で姿は知っていても、現物のスタイリッシュさに改めて感動します💗💗💗



 宇都宮ライトレールの愛称“ライトライン”は、雷の多い地域から稲光に因んで“雷都”ライン、となっているとのこと。なるほど、色使いが何んとなくピカチュウ的でもある♪ もしも、テールライトが丸形で2つとかのデザインだったら、もっと似そう。ピカチュウとコラボとかあっても人気が出ていいかも♪♪




 …妄想はひとまず置いといて、ひととおり電車と駅周辺を観察したのちライトラインの線路に沿って漕ぎ出します。いままで歴史的にも路面電車の無かった市街に線路を敷くのは、利害の調整とか色々と並大抵ではない苦労があったことかと思いながら進みます。路面電車の専用信号なんてものも、ライトラインが出来るまでは宇都宮にはまず有りえ無かったものですね。



 次に続く停留場、東宿郷~駅東公園前~国道4号線宇都宮バイパスの立体交差部までは、大きなビルやマンションが立ち並び、都心感が溢れているが、本来の都心中心部はJR線の西側で、東武電車の駅との間あたりだそう。でも将来、このあたりもライトラインが通ったことで、新たに賑わいを増していく事でしょう。





 ライトラインの停留所は、各停留所ごとにそこの地域の歴史や特徴を象徴した、イメージフォトパネルとでも言える画像を電停に表示して、マイレール意識を醸成していくと言う戦略なのでしょうと思います。







 国道4号線宇都宮バイパスを越えてから、住宅が増えて来て生活感が出てくるのが峰~陽東3丁目~宇都宮大学陽東キャンパスまでの区間。とくに宇都宮大学陽東キャンパス停留所は、大学とともに大型SCのベルモールの最寄りでもあり、上下列車からの乗降が多いですが、ライトラインが開業するまでは自動車一択だったものが、公共交通を使う人が増えることで道路渋滞緩和にもなっている、ライトラインの成功の一端を垣間見せています。



 宇都宮大学陽東キャンパスを出てから、暫く行くと道路の真ん中で併用軌道が終わるとともに急勾配で高架線になって右側に大きく急曲線となり、県道64号線(鬼怒川通り)の宇都宮方面行車線を塞ぐことなく立体交差して、高架を降りると平石停留所です。
 
輪行チャリ鉄6輪旅2023年栃木編・宇都宮ライトレール初乗り♪平石停留所付近

 平石は、宇都宮ライトレールの車両基地があるため、また近い将来の急行運転に備えて、退避可能な2面4線構造の立派な設備の駅ですが、駅周辺には田畑が多く人家は少なくで鄙びた空気が漂いますが、いずれ開発の手が入り賑やかになりそうな予感がします。ここはトランジットセンターとなっていて、パークアンドライドの駐車場と駐輪場が併設しています。







 平石を出て国道4号線の下をアンダークロスして進むと、少し人家が増えて来たところで、平石中央小学校前停留所です。交差点の斜向かいに駅名由来の小学校校舎があります。人家が増えるとは言え郊外の農村地帯の雰囲気です。



 ここから次の飛山城跡までが、ライトラインのハイライトかなぁ、と個人的に思っています。鬼怒川の堤防を高架橋で渡り、坂を下ったところに飛山城跡停留所があります。この鬼怒川を渡る箇所は、既存の道路橋がここより上流側・下流側ともに1kmから1.5km程度離れている道路橋の空白地帯みたいな地域に、新しい宇都宮市街へのアクセスルートを開発したのは、宇都宮ライトレールの強みになっているように思えます。



現状この橋梁上を、ライトライン車両は軌道法の適用で最高速度40㎞/hでゆっくりと走っているように見えてしまいますが、急行運転を始める頃には最高速度70㎞/hに引き上げられるので、その様子も様変わりしている事でしょう。
 
輪行チャリ鉄6輪旅2023年栃木編・宇都宮ライトレール初乗り♪鬼怒川を渡るHU300型車内
(…たぶんスマホの熱だれで画像がカクカクしていますが、ご了承くださいませ。。。m(_ _)m)

 ところで私は、“輪行チャリ鉄活動”でライトライン線を訪線しているので、今いる鉄道橋の見えるところから約1km下流側の鬼怒橋道路橋まで迂回する感じで川を渡り、また1km少々上流側に走ってライトラインの高架橋が近づいたところで堤防をおりると、やっと向こう岸の飛山城跡停留所に到着です。ここも周辺は郊外の田園地帯で、“駅舎”の前にはパークアンドライドの駐車場が整備されています。



 ここを出ると、線路は丘の上に登っていく様に敷かれていますが、掘り割りに作った新設軌道に沿った道路は全く無く、ちょっと線路から離れた家屋と田園の間を抜けて坂を登っていくと、清陵高校前停留所です。清陵高校、と言うことで、ここは高校野球・甲子園によく出てくる高校かと思ってしまいましたが、どうも別の同名の清陵高校なようで、ここはむしろ副名称になってる作新学院大学の方が施設が大きいし駅名にあっている感じもしましたが、たぶん公立校と私学の違いによる故である様です。



 ここから線路は、舗装されているがフェンスで分離された専用軌道で、工場のあいだをS時に曲がっていくと、次の清原地区市民センター前停留所です。



ここも交通結節点としてトランジットセンターが併設されていて、自家用車とのパークアンドライド、路線バスとの結節乗り継ぎ、駐輪場の設置でライトライン線をメインに公共交通の利便性を高める施設と言えそうです。ただし、駐輪場は100㍍離れてちょっと遠いかな?って感じもあるし、駐車場もバスも利用率が低そうに見えるし、今後どうなっていくかが気になります。


 
 輪行チャリ鉄6輪旅2023年栃木編・宇都宮ライトレール初乗り♪清原地区市民センター前付近

 ここを出ると、線路は90度北方向に曲がって専用軌道を進み、次のグリーンスタジアム前停留所です。このあたりは清原工業団地と言うことで、大小の工場が集まった地域ですが、駅の副名称の如く、カメラ等のCANONの工場に囲まれるように立地していて、グリーンスタジアム自体は工場の裏手にて目立ちにくかったりします。そして、交差点を軸に上下ホームが千鳥配置された“駅”は、待避線のある緩急接続駅として作られていて、またイベント開催時には折り返し列車も可能な要衝のになっています。




 次の駅に向かって、線路は北上して工業団地の丘陵をゆるく降りていくと、住宅が増えてきたあたりで急勾配の高架橋と90度に近い急曲線でまた鬼怒川通りから続く道と合流し路面区間へと変わり、次の、ゆいの杜西停留所に到着。








 ゆいの杜西~ゆいの杜中央~ゆいの杜東までは、県道64号線の北側の新興住宅街がニュータウンの様なゆいの杜町となっていて、ライトライン線が新たな住民の足になってそう…な感じですが、どうもモータリゼーションに沿って開発された街なので、朝夕はともかくまだここの住民の足としてはそれほど伸びてはいない様です。その辺はまあこれからと言うところかもです。
ゆいの杜東の真横には、ネーミングライツを取得したホンダカーズ 栃木中央 ゆいの杜店 の副名称が付いていて、ホンダと宇都宮ライトレールの関係性を象徴するかの様な光景に見えます。



 ゆいの杜東を過ぎると、また沿線が工業団地地帯になって、芳賀台~芳賀町工業団地管理センター前、と続きますが、芳賀台停留所については、このあたりでトイレが近くなって、コンビニとかないかなぁ、と見たところ少し戻ったところにセブンがあったのでそこに行ったりしていたところ、芳賀台は画像を撮るのを完全に忘れてしまいました。。。😓 ここだけは画像がありません。スミマセン。因みに、そのコンビニのところで、宇都宮市から芳賀町(はがまち)に入ります。

 その次の芳賀町工業団地管理センター前停留場は、芳賀工業団地トランジットセンターが併設され、JRバスとの結節が計られています。





 芳賀町工業団地管理センター前で、県道64号線から北方向に90度曲がって次のかしの森公園前停留所まで向かう道路は、丘陵地の上から谷間の底まで降りて、またすぐ丘陵地の上の方まで上がる様になっていて、併用軌道ももちろんそれに沿って上下をするので、この部分の急勾配は67パーミル近くになると言われ、標高差は見た感じ15㍍ほどですが、ここまで漕いできてちょっとした絶望の壁?感があります。でも、ライトラインの電車HU300形は、登坂性能も強く設計されているので問題なく走ります。谷底まで駆け下りてまた登って来たら、かしの森公園前停留所です。



 駅名の、かしの森公園もありますが、芳賀高根沢工業団地の南の端になり周辺にホンダ関連の施設も増えて来て、この旅が佳境になりつつあるのを感じてきます。
 街路樹のむこう側の大きな敷地に工場の建造物が連なる光景を眺めつつ進んでいくと、ついに、ライトラインの終点、芳賀・高根沢工業団地停留所に到着。本田技研工業北門の目の前となります。ホンダ車のバイク、自動車のユーザーだったので、HONDAの聖地として感慨深いです。そしてホンダの工場以外には何もない、ホンダのための停留場感を強く受けます。






 宇都宮ライトレール、ライトラインの営業距離は14.6kmですが、22.4kmを自転車で走ってまいりました。ここから自転車を畳んで輪行で初乗車して宇都宮駅東口まで戻ります。静かで軽快な走りですが、法定で速度40㎞/hで頭打ちするHU300型は、まだまだ余力を残している感じがします。早く快速運転と専用軌道での70km/h運転開始で本領を発揮する日が楽しみになりました。そのときにはまた来たいものです。

 …余談ですが、宇都宮駅東口までライトラインで戻って来て、トイレに立ち寄った駅前ビル(確か宇都宮テラスって名前だったかと)の中に、HONDAが宇都宮ライトレールとコラボして、HONDAの電動スクーターをライトライン車両のカラーリングにした特別車を展示しているのを見つけました。宇都宮ライトレール開業に際し、それまで運転していた駅前から工場までの送迎バスを全廃したりするなどの協調関係をしているHONDAと宇都宮ライトレールの関係性を垣間見せる車両展示でありました。…ってか、これ沿線を走ってたら結構格好良いので、走ってる姿も見てみたいと思いました。






↓ スマホの位置情報ゲーム『駅メモ・ステーションメモリーズ』からの路線データベース記録





↓ STRAVAで記録した宇都宮ライトレール宇都宮駅東口~芳賀・高根沢工業団地までの走行ルート



…拙い旅のお話ですが、最後まで拝読くださいましてありがとうございました。



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…寒中御見舞

2024年01月06日 | ときどき雑談記。
 皆様、寒中御見舞を申し上げます。

 この年末年始(とくに年末)、体調をうまく維持できずの中で仕事を優先にこなして年賀状も書けず、三が日を越えて公休日にこじつけたものでしたが、元日からの大災害や、個人的ながら年末前に大変お世話になった恩師の訃報など、ちょっと言祝ぐ精神状態に程遠い状況になっております為、大変勝手ながら、元日以降この新年の御挨拶を自粛することに決めました。
 Blogの更新も非常に滞っている上での、幾分勝手な判断ではありますが、何卒御了承下さいますようお願い申し上げます。

 今回はある意味、絶望感しかないお話になってしまいまして申し訳ありませんので、近年の鉄道界の希望的話題として、去年訪れた“宇都宮ライトレール”の画像を置きまして、今稿の終わりとさせていただきます。

 能登地震で被災された皆様のこれ以上の被害の拡大がされないことを、心よりお祈り申し上げます。



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輪行チャリ鉄mini-trip・伊賀鉄道で巨匠を偲び鉄。

2023年06月29日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 2023年3月初旬の寒さが緩んだ日に、急遽な感じで伊賀鉄道に輪行チャリ鉄活動をしに行きました。その前月の2023年2月13日、漫画家の松本零士先生が御逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。宇宙戦艦ヤマトや宇宙海賊キャプテンハーロック、銀河鉄道999などなどの名作を世に送り出した松本零士先生ですが、鉄道との関わりも何件かあって、その中で、元近鉄線で近鉄から経営分離され系列子会社を経たのち上下分離経営となった伊賀鉄道には、松本零士先生の作画された“忍者列車”が走り、忍者のまち伊賀市のランドマークとして伊賀市民の足としてガンバっています💪。

 前年に、境遇の似ている養老鉄道で輪行チャリ鉄しましたが、今回は巨匠を追悼としての伊賀鉄道線を訪線しました。営業キロ数16.6kmのローカル私鉄です。

 京都から伊賀市なら日帰り圏内で、早朝にくるまを走らせて、9時頃までに今回のベース地点となる伊賀神戸(いがかんべ)駅に到着。近鉄線と伊賀線の共同駅ですが、改札は別々に分かれていて一旦改札を出てからの乗り換えになっています。経営分離される前は当然同一ラッチ内での乗り換え駅だった事でしょう。駅周辺はお店とかが全然無いですが、何故か駅前駐車場はたくさんあります。近辺のゴルフ場へのために置かれているのでしょうか。送迎バスの停留所があったりもします。

 伊賀神戸駅の次の駅は比土(ひど)駅。線路に沿った道路がないのでだいぶ迂回して国道422号線で比土駅に向かう感じに自転車を走らせて到着。ここも駅周囲に何も無い感じで田んぼばかりが目立ちます。ちょうど緑の忍者電車が到着しました。

 次の駅までは、伊賀線内では一番駅間が長い2.6kmの距離があり、また全線中で標高の一番高いところを通ります。伊賀線の東側を走って行くと、途中に何か公園のようであるが、フェンスとチェーンで施錠されて出入り自由じゃない感じの施設があって、城之越(じょうのこし)遺跡と看板が出ています。後で調べてみたら、古代の日本庭園のルーツであるように“伊賀上野観光協会”のサイトに書かれています。なるほど公園じゃない訳です。この横を更に進んでいき、貯水池が散在する30m程の丘陵を登り下っていったところで、次の駅上林(うえばやし)駅に到着です。駅周囲はここも基本的に田んぼばかりです。

 伊賀鉄道では比土駅~新居駅のあいだでサイクリングトレインを実施していますが、スロープのない駅では階段に板張りスロープを設置しています。近江鉄道にもこんな感じのサイクリングトレイン対応策を見ることができます。

 線路沿いのあぜ道を行けると思ったら道が途切れていたので、国道422号線まで降りて次駅をめざします。途中の丸山交差点付近は低地で浸水しやすい土地の様で、何やら注意を促す看板が多く掲出されています。この交差点から入り込んだところが、次の駅丸山駅です。僅かな集落と田んぼばかりの周辺風景です。くノ一グラウンド前駅との副名称が付けられています。近くにある元丸山小学校の校舎とグラウンドが、なでしこリーグ所属の女子サッカーチーム『伊賀FCくノ一三重』の練習場となっているためとのことです⚽️。

 因みに、チームの幟に描かれているマスコットキャラは、“くノんちゃんと名付けられ、ゆるキャラ系のかぶりものも居られますが、なかなかかわいいかも知れないです。

 丸山駅は、島式2線の交換可能駅で、ちょうど2列車が交換待ちをしました。

 緑の忍者電車(元東急1000系電車)は、よく見たら全面に中間車時代の雨樋が丸出しで残っていて、見ようによってはJR西日本の113系3800番台通称サンパチ君をも想起する安価改造をされている印象を受けます。でも、くノ一忍者顔ラッピングのおかげか幾分目立ちにくくはなっています。これは、松本零士先生がよい仕事をしたという功績に当たるのでしょうか…?

 なお、隣に停まっているピンク色忍者電車は、元々の運転台付きの顔をしています。でも伊賀線移籍に際して正面行先表示器はLED表示の小さいものに変えられているっぽいです。

 丸山駅でちょっと長く居座ったところから次駅へ向かいますが、ちょっとだけ元丸山小学校の伊賀FCくノ一の練習場まで行ってみました。しかし、残念ながら平日だからか逆に誰もいませんでした。

 集落内の道と国道422号線を繋いで、次の駅、依那古(いなこ)駅に到着です。先の丸山駅と同じくらいの立派な駅舎がありますが無人駅です。乗降人員的には丸山駅の2倍以上居られますが、それでも二桁の数字です。駅周辺の民家の割合はちょっと多くなってきています。

 写真は撮り忘れたのですが、依那古駅から次に向かう道中の田んぼの脇のほうに、新しい建物で何かメルヘン調のかわいらしい建物があって、『いなこ保育園』とのことでした。長野県安曇野市の長野県立こども病院ほどの規模ではないけど、あれと似た様なほほえましい外観の子ども用施設なので、リンクで紹介致します

 そんな沿線施設を見ながらも、線路沿いの田んぼのあぜ道を漕いで、次の駅、市部(いちべ)駅に到着です。

 副名称で「ゆめぽりす伊賀前駅」と付けられています。しかし、その伊賀市ゆめぽりすセンターは、駅から1.2kmほど離れた丘の上のニュータウンの中にありちょっと遠い様です。駅の周辺は田んぼと河川敷があるばかりで、何か所かある集落もちょっと駅からは離れ気味です。にも関わらず、比土駅よりも結構多いので、なかなか不思議な状況です。

 市部からは田んぼの中をまっすぐに走る伊賀線に沿う、田んぼのあぜ道を伝って、次の駅、猪田道(いだみち)駅に到着です。相対式ホームで交換可能駅であり、無人駅ですが小さくも立派な駅舎があります。この駅も元々は有人駅だった雰囲気を残しています。

 猪田道駅の東側には小さめの集落がありますが、そのほかはやっぱり田んぼばかりの地域なので乗降は少なそうな駅でもあり、無人駅化も止むない感じの駅です。

 猪田道駅から次の駅までは、伊賀市街地の丘陵地帯に30m程の高度を登っていくのですが、登り切ったところから急に市街地になってたりして、こういう巡り方をしていると、伊賀市の地形的特徴についてもがっつり体感出来てしまいます。

 住宅街と旧街道っぽい道を走り抜けて、次の駅、四十九(しじゅく)駅に到着です。1面1線の単線駅で、副名称に『イオンタウン伊賀上野前駅』とあるようにイオンのショッピングセンターの最寄り駅です。見たとおりとても新しい駅で、地元住民による請願で2018年に出来た駅。なお、元々は現在地より300m程南側にあった駅で1945年まで営業していたがその後廃止され、こちらに復活した駅であるようです。

 四十九駅から旧街道的な先の道に戻り北上していき、名阪国道の下の伊賀線の踏切を渡って行くと、次の駅桑町(くわまち)駅です。ここも1面1線の単線駅ですが、駅周辺にマンションが3棟ほど建ち、市街地感が強くなってきます。でも線路の向こう側は田畑が残っていたりする環境で、いい感じに昭和から時間が止まったような小さな駅舎と、駅舎の前の手作り花壇とかがかもし出す、長閑な空気が流れています。

 ここで、缶コーヒーを自販機で仕入れて小休止しました☕️。ここの駅までは駅名標には気付きませんでしたが、桑町駅のものは伊賀鉄道マスコットキャラの“ふくにん”のイラストが入ったものになっていて、沿線住民に親近感をアピールしている感じです。

 桑町駅で小休止したあと、駅横の久米川を渡って市の中心部に向かって少し坂を登っていく。イオン伊賀上野店の横を通って、次の駅、茅町(かやまち)駅に到着です。副名称が「ライフラインの上野ガス」。駅裏手にガスの会社があります。島式ホーム1面2線の交換可能駅で係員駐在駅です。

 …ここで、実は大変な見落としがありました。茅町駅舎の線路反対側の真南側に、松本零士先生が創った『太陽系モニュメント』と名付けられた作品が設置されていたのを帰宅後に知ることとなり、残念なことをしてしまいました。Google Mapによると、鉄道車両の車輪を太陽に見立てて、太陽系の立体モデルを表現している作品のようです。(なおこの件は再訪線して改めてここに書き足すかも知れません🙇‍♂️)

 茅町駅に重大な見落としがあったことに気が付くこともなく、次の駅を目指して古い街並みの中を自転車を進めます。…結構癒しの風景かもです。そして次の駅、広小路(ひろこうじ)駅に到着です。1面1線の単線駅ですが、駅のホームも曲線上で、上下両側の線路もきつい目の曲線になっていて、見通しの悪い線路です。とくに伊賀神戸側は、列車が線路際の壁に擦れそうな気がするほど密集した街中の線路になっています。

 ここから次の駅、伊賀鉄道の一大拠点駅、上野市駅までは線路では0.5kmで約500メートルって事になりますが、道路で線路を追いながら行くとちょっと遠回りになって、800メートル程の距離になってしまいましたが、上野市駅に到着です。副名称は“忍者市駅”ですが、正式名称を差し置いてデカデカと表示されていてちょっと可笑しいです♪

 “忍者駅”アピールをする小道具がいろいろと散りばめられていて、独特の雰囲気が漂います。

 駅の入口からロータリー側を見たところに、今回の目標物でもある、松本零士先生の創ったメーテルと星野鉄郎のブロンズ像モニュメントと対面です。創作時当初は伊賀市の新興ニュータウンであるゆめが丘に置かれていた様ですが、伊賀鉄道の利用促進と観光資源化を併せて“忍者市駅”前に移設された様です。

 松本零士先生創作のこんな感じのモニュメントは、各地の他の場所にも何か所かあり、地域まち興しにすごく協力的積極的だったりな姿が見て取れます。そして、松本零士先生のそれらの創造物作品たちは、この世を去られてからも燦然と姿を残し名も残していきます。これは松本零士先生だけの事ではない話ですが、ものを創る、絵を創る才能に溢れた人たちのすごいところと僕は思っていて、本当に尊敬してしまいます。それ故にTwitterでもそんな人たちを大変リスペクトしてフォロー入れたりしています。しかし僕にはとくに絵心、ってか絵を描くセンスが全く欠如しているものなので、このBlogなんかは、文書なら何か残せへんかなぁ、、、とかの、クリエイターな人たちへの憧れみたいな思いから、何年続けてても全然文章力の付かないにも関わらず懲りもせず続けている、と言うところです。  夢 …ですかね?

 …ちょっと個人的な“描く・創る”への思いで脱線しました。“忍者市駅”でお昼を回ってしまいましたが、上野城趾の下の方のロードサイド店街の牛丼屋で早くて安いお昼を食してから、次の駅へ向かいます。国道163号線上から上野市車庫をちょろっとのぞき見しながら、次の駅、西大手駅に到着です。駅名通り城趾の大手門の西側の地域です。1面1線の単線駅で駅舎のある無人駅です。

 伊賀線は、上野市駅で伊賀神戸方面と伊賀上野方面でほぼ系統が分かれていて、これは、近鉄線連絡に合わせた運行と、JR関西本線連絡に合わせた運行にしている為で、上野市駅をまたぐ一部列車もあるものの、これが基本のようです。故に、上野市駅からこちら側は列車本数が少なくなっています。駅周辺はまだ民家も多く、上野市駅から続く古い市街地ですが、駅には過疎感が漂っています。

 西大手駅から北西方面に向かう線路は、上野市街地の台地から下に降りて行きます。線路周囲に田んぼも増えて来ます。国道163号線小田西交差点近くにはロードサイド店舗が集まっているので、ここに駅が出来たら集客になりそうに思ってしまいますが、伊賀上野方面に電車本数を増やすのは無理ゲーと思われ、費用対効果、出ないかもですね。線路はエクセディーの工場の裏手を通って服部川の鉄橋を渡り、次の駅、新居(にい)駅に到着です。1面1線の単線駅で、副名称が『伊賀を守る上野遊水池』。

 駅の西側には民家が点在するけど、その東側は遊水池になる田畑が広がり人家は全くありません。

 そして、新居駅からは線路に沿った道で1km弱の駅間を走りきると、最後の駅、伊賀上野駅に到着です。これで伊賀神戸駅から伊賀上野駅まで伊賀鉄道沿線全線併走が完了しました。

 伊賀線は、JRの駅に間借りしたかたちで線路が敷かれています。

 上野市駅から北方向のここまで単線で来ているので、1列車が往復するだけの線路です。1時間に1本ほどのJRにあわせて連絡しているのでこの設備で適正な様です。

 ここから輪行して全線完乗するために乗る電車が、入ってきました。青い忍者電車の上野市駅行きです。元東急時代(1000系電車)の原型に近い車両です。車内に入ると一部クロスシートに改造されてますが、京阪京津線800系に似た座席が置いてあって驚きます。後で調べたら昔京阪9000系に使ってた座席との事で、意外なリサイクルが行われていて、おもしろいです。

 私は伊賀神戸駅まで戻る必要があるので、上野市駅で乗り接ぎです。ピンク色の忍者電車が待っていました。

 今日走ってきた沿線を車窓に眺めつつ、のんびりと各駅に停まっていき、伊賀神戸駅に到着。伊賀鉄道全線完乗完了です♪

 このあと、伊賀市の温泉にてほっこりしてから帰宅しました♪


 なお、今回の旅から、スマホの位置情報ゲーム『駅メモ・ステーションメモリーズ』を使用して、訪問した駅を記録するようにしました。伊賀線完乗コンプリートが付きます。ただ、ゲームの仕組みをあんまりわかっていないので、ゲーム参加度は低い感じで推移しています。。。


↓ STRAVAで記録した伊賀鉄道線伊賀神戸~伊賀上野駅までの走行ルート

…拙い旅のお話ですが、最後まで拝読くださいましてありがとうございました。


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輪行チャリ鉄mini-trip・養老鉄道“南線”の多彩を見る♪(後編)

2023年05月18日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 2022年10月中旬に養老線を輪行チャリ鉄活動して、大垣から養老まで走ったところで、この後編となりますが、距離的にはまだ半分以上残っている場所ですので、桑名に向けて走るとします。

 桑名に向けて、次の駅は美濃津屋駅。駅間距離が4.3kmで養老線の中で2番目に長い駅間距離があります。養老駅から続く旧街道的な道を進むと養老線と付きつ離れつな感じで並走して行くと養老線の踏切に当たり、養老町から海津市に変わり、美濃津屋駅に到着です。

 2線ある交換可能駅ですが、駅舎はない駅です。(写真に写っている建物はトイレだったかと思います。)

 美濃津屋駅から次の駒野駅までの間が、養老線の中では一番駅間距離が長く、4.7kmの距離があります。

 途中、養老線に沿う田んぼのあぜ道が良い感じに走ってましたが、東海環状自動車道の工事現場に塞がれて、ちょっと離れた県道まで大きく迂回しなくてはならない箇所があったりして、駅間距離以上にかなり走らなくてはならなかったりしたりで、ちょっとした苦労の末駒野駅に到着しました。駅員駐在駅で、新しいめのきれいな駅舎です。

 駒野駅の裏手には何かの工場があって、おそらく昔は貨物用の引き込み線があったんじゃないかと想像が出来る、建物になっています。元近鉄線の車両が入線してきましたが、昔吊りかけ駆動の旧型車が活躍してた頃くらいに、貨物列車も走ってたんじゃなかろうかという気がします。(帰宅後調べてみたらほぼそんな感じでした😊)

 駒野駅の市街地を抜けると、次の駅まで暫く目の届く範囲で養老線に並行している県道を走れるので、いい感じで走って、堤防のある枯れ川を渡ったあたりで一旦国道に合流してから駅に向かって坂を下ると、次の美濃山崎駅に到着。2線がある交換可能駅ですが、駅舎の無い無人駅で、駅周辺も大きな民家が何軒かがあるけど、田畑が多い鄙びた駅です。

 このあたりで時間は13時半を回っていて、結構お腹も減ってきた頃合いになってきたのですが、既にランチ難民の時間帯に入っているものなのでした。駅から国道までもう一度上がって、それこそ牛丼屋で安く即行で食せればいいかと思ったものの周辺にそのようなお店の無さそうだったので、コンビニ弁当でもいいか…と妥協しようとしているとき、コンビニの向こう側に中華のお店を発見、まだギリで休憩時間前で入れそうだったので、今日はその中華店、橘華園さんにてお昼としました。

 一番早く出てきそうな中華そば・ラーメンセットを注文。最近はこのタイプのメニューを食したことが暫く無かったのでちょっとワクワクで待ちます。

 出された注文の品は、何んと言うか基本に忠実なチャーハンで、突出はしないけど懐かしく美味しいって感じることができました。中華そばも懐かしいタイプのお味なのも嬉しい一品です。

 ごちそうさまでした。😋

橘華園(きっかえん)さんの食べログでの紹介ページ です。

 エネルギー補給🍜して再スタートです。美濃山崎駅の両隣の駅間には、天井川の下を潜るトンネルがあります。養老山地の地質的なものによるによる影響の様ですが、私には詳しく語れるアタマはありませんので気になる方は調べてみてください🙇‍♂️ 養老線にはあと2箇所に天井川トンネルがあるそうですが、この2箇所以外は気づきませんでした。このあたりの地域を見ると、57.5kmある“北線”と“南線”の個性を見るのもなかなか味があるなと思えます。

 天井川と線路の光景を眺めながら養老線に沿って進み、次の駅、石津駅に到着です。

 結構立派な駅舎を持つが駅員無配置駅で、どうやら以前は交換可能駅であったようです。写真の元東急車の横の草が茂る空間に、線路とホームがあったものかと思われます。

 石津駅を後にして次の駅までは、ほぼ養老線の線路に並行する町道クラスの道路があって、なかなかわかりやすいし自転車で走りやすい。田畑の続く風景から住宅街に変わってくると、次の駅、美濃松山駅に到着です。交換可能駅ですが、駅舎のない無人駅です。周辺が住宅地なので乗降は多そうな雰囲気があります。

 美濃松山駅までは海津市ですが、どこで県境になるかは全然意識せずに走っていたが、気が付けば、桑名市立○○…の施設が現れたりして、どこかで県境を越え桑名市内に入ってしまっていました。次の多度駅は完全に三重県桑名市です。

 養老駅駅舎ほどでは無いですが、おそらく多度大社を意識して、社寺的な風格を持たせたデザインの駅舎です。駅員駐在駅でもあり、桑名方面からの要衝駅になってそうな駅です。

 ところで、県道から多度駅の駅前広場に入る道の分かれるあたりにある、中京圏の地方銀行で大垣市に本店を持つ“大垣共立銀行”の多度駅前の支店の窓広告に、『OKB5』とか、なにかAKB48から文句が来そうな広告と思ったが、名古屋のSKE48のメンバーとのコラボユニットとのことで、へぇ~、バッタもんちゃうやんすごいことするなぁ、と思いました。その銀行の略称OKBとのことで(関西人には地方の銀行の情報はなかなか馴染みがないので)、この記事の前編で見た大鳥羽駅手前にあった看板『OKB農場』が、ここでなんとか繋がりました♪

 即ち、この銀行がその農場の命名権を取得して誕生した農場である、そうです。それにしても、ものすごく多角的な活動をしている銀行ですね。SKEとのコラボだとか、広告費用すごい高そうな気がするなぁと、ちょっと心配したりもしてしまいます。(それとは別に、OKBのCMソングを声優の鬼頭明里さんが歌ってるってのも何んとも豪華だなOKB。。。)

 『OKB農場』の謎がちょっとでも解明出来たところで、次の駅を目指してペダルを回します。多度駅辺りからの養老線沿いの県道は、“美濃街道”の名称があるらしく、その旧街道を走ります。肱江川(ひじえがわ)を渡って次に見える駅のありそうな集落に入ったが、駅を見つけることが出来ずにうっかり通り過ぎ、逆戻りして地図を引っ張り出してこの民家の向こうに駅がある、ってまではわかる所まで来たけど道がわからない😖。踏切で西側に渡ってお寺さんの駐車場の横の細い歩道を通って、やっとのことで辿り着きました。下野代駅です。

 交換設備の無い単線の駅で駅舎も無い無人駅、地図上は、駅前には自動車が入ってこれる道が無い(これは或いは駅南側のお寺の敷地内から道があるのかも知れないですがちょっとわかりにく過ぎる)、それでも一日の乗車人員は170名前後あるとは言え、養老線内では随一の秘境駅クラスの駅だと思いました。

 もいちど美濃街道に戻って、この養老線に沿う1.5車線級の道を走り次の駅を目指します。美濃街道が東側に大きく線路から離れていくあたりで、軽自動車1台分くらいの路地を抜けて進むと、次の下深谷駅に到着です。

 ここは、県立桑名北高校の最寄り駅とのことで、ちょうど下校する生徒さんで賑やかな時間帯に来てしまいました。駅舎とDAHONを組み合わせて撮るのもちょっと憚られる人の多さな状態でした。駅は交換可能駅で駅係員駐在駅なので、通勤通学と需要の大きそうな駅です。

 ちょうど、元近鉄車と元東急車の交換待ちになったので東急車メインで撮ろうとしたら、ハッと気が付けば“アクションカメラ”画像を撮ってると思われかねないキワドい角度に構えている状態だったのに気付き、思わずスマホを引き下げ撮影位置を変えて撮り直しました。もしそのまま撮ってて車内から通報されてたりしたらヤヴァい人として連行されかねない所でした。。。何んかアセった😨

 今回の輪行チャリ鉄サイクリングも、やっと終盤が見えてまいりました。下深谷駅からの線路沿いの道は、1.5車線からところどころ山に沿った田んぼのあぜ道レベルの1車線幅の細い道になる道を走り接いで、次の駅、播磨駅に到着です。やっと来た、終点の一つ手前の駅です。

 交換設備の無い単線の駅で駅舎も無い無人駅、道路から直接ホームに上がる構造。駅の看板も小さいもので、踏切で線路が見つけられるからいいけど、ちょっと目立たない駅ではあります。でも駅周辺は住宅が多いので、乗降はそこそこ多いかも知れない。

 輪行チャリ鉄サイクリングの終点まであと一駅、建物が建て込んで久々に大垣市内と同程度の都会になってきて、住宅が建て込んでるのもそうですが、マンションも増えて来て、どんどんと都会になってきます。

 桑名駅の北側の踏切を渡って、一旦東側の都心部側に入ります。桑名に来たからには、三岐鉄道北勢線の西桑名駅も顔を出して覗いておきたいものなのでこちらを回ります。ちょうど北勢線の黄色い電車が着いた時間だった様でした。見れて良かった。

 養老線とは全く関係ないものですが、桑名駅南側にある、特殊狭軌・狭軌・標準軌の3つの線路幅の線路を渡る貴重な踏切を渡って、桑名駅の西側に回って、ゴールとします。桑名駅は、2020年に橋上駅舎化して新しくなったばかりで、同時に駅西口を再開発するために区画整理がされている様で、現状は空き地と更地が目立つ感じですが、いずれきれいな駅前になっていくことでしょう。

 日が暮れかけた17時台の電車に乗って、大垣駅まで戻ります。元近鉄車の電車で、塗装は旧鮮魚電車の復刻塗装かと思ってしまいましたが、どうやら京急電車とのコラボ塗装電車が正解でした。何んかあんまり京急っぽく見えない。。。でも元近鉄車に乗れるのはうれしいものです。

 桑名を発車した時点でだいぶ薄暗かったので、大垣までの道中の半分は日没後になってしまって、残念ながら景色はあんまり見れなかったものでした。

 天井川トンネルの姿は、もうちょっと見れればとは思っていたので、そこだけは惜しいところです。

 完全に陽の落ちてしまった、大垣駅に到着です。

 それでも、これで春と秋とに2回に分けた養老鉄道全線完乗と全線完走が、達成となりました。

※ 振り返り

2022年5月初旬 揖斐~大垣

2022年10月中旬 大垣~養老(前編)

2022年10月中旬 養老~桑名(後編・本稿)


↓ STRAVAで記録した大垣駅~桑名駅までの走行ルート

 …拙い旅のお話ですが、最後まで拝読くださいましてありがとうございました。


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輪行チャリ鉄mini-trip・養老鉄道“南線”の多彩を見る♪(前編)

2023年04月06日 | 「輪行チャリ鉄」な旅

 前記事の養老鉄道“北線”の輪行チャリ鉄活動のあと、“南線”の方も見てみたい気にはずっとなっていたものでしたが、結局、同じ2022年10月中旬に休みの確保出来た3日前ごろに急に決定・決行したものでした

 京都から大垣まで朝早く出て名神高速で行ったのですが、道中何を勘違いしたのか養老PAのスマートICから降りて下道で大垣に向かうと言う失態をやらかした為、早く家を出たメリットをほぼほぼ失くしてしまい大垣駅前到着が10時頃になるという、出だしから躓き気味のスタートになりましたが、ともかく走り出します。

 大垣駅から一路西方向へ、前回通ってきた室駅の横を通って西大垣駅に向かう。線路沿いの道を進みたいけれど、大きな工場が並んでいて沿った道がありません。その養老線を引き離す工場群のうち1社が『イビデン』で、その大きな社屋があります。中京地域ではメジャーな会社なようです。養老鉄道の創業初期、同じく創業期のイビデン(当時は揖斐川電気)が養老線の運営に関わっていた時期があるそうで、今は全く無関係ですが、養老鉄道線の行く末を見守っているかの様に立地しています。

 イビデン社屋ビルの前を通って西大垣駅に。年季の入った古い木造駅舎は有人駅で、ここは本社と車庫を併設されていて、養老線の中核をなす駅とのことです。

 大垣市の住宅街を抜けて行き、次の美濃青柳(みのやなぎ)駅へ。ここにも線路沿いにイビデンの工場があります。通勤需要も見込めそうな駅です。

 次の駅、友江駅まで行くと、住宅地ですが徐々に田んぼや畑が増えて来て、ローカル色が増してきます。

 元近鉄車の編成が、桑名へ向けて走って行きました。

 どんどんと田んぼの割合が増えてきた友江駅への道中、何か謎の看板が出てきました。一目見て“OK牧場”と空目してしまいました。。。ガッツかよと。。。😅😅😅

 OKB農場の謎を引きずりつつも(…先々ちょっとだけわかります。)名神高速を潜り進むと、次の駅大鳥羽駅に到着。すごく小さな駅舎がある無人駅。駅の回りは田んぼが多いですが、近くに県立高校が出来てから1974年頃開業した駅らしいで、日中はのどかな田園の駅です。名神高速走行中はここ辺りの景色は殆ど見えないので、改めて見ると新鮮に感じます。

 大鳥羽から先は鉄橋で河を渡るものと思っていたが、並走している養老線が、田園地帯には不釣り合いで違和感のある立派な高架橋に変貌してビックリしました。

 相川、牧田川と河を渡るところの鉄橋は、上田電鉄の千曲川橋梁のようなトラス橋がありそうな雰囲気の場所ですが、高架橋から続く同じコンクリート橋梁で架けられていて、何んとも違和感のある光景です。

 古い民家の集う小さな集落に建つ高架駅、烏江(からすえ)駅。単線と複線の違いがあるけど、湖西線の中間駅に似たような雰囲気も感じます。

 地上部から上がっていく階段のところから見ると、近頃のバリアフリー対応的には絶望的な駅かと思ってしまいましたが。。。

 

 堤防の車道から入って来れる2階部分には駅前スペース的なものがあって、こちらからは駅に入りやすい構造です。更に…、

 高架上のプラットホームまでの後付けされたと思われるスロープが。大仰に見える構造物ですが、多分基準を満たした勾配で設置するとこうなってしまった、的なものかと思います。しかもこれにより烏江駅でも“サイクルトレイン”に対応が出来ているので、バリアフリーは障害者やお年寄りだけではなく、すべての人に利することである。と言うような言説を証明している様にも思います。いいもんです、はい。

 2階部分駅前スペースから大垣側の空き地に目をやると、何か巨大なモニュメントが。鉄橋のトラス橋の一部であることはすぐわかるかと思います。

 下の方に掲示してある案内看板を見ると、『旧・牧田川橋梁』とのことで、昔はこの鉄橋が架かっていたのですね。駅の東側の牧田川と杭瀬川の洪水対策で河川改修を行った際に、今の立派な高架橋梁になったが、創業時からのこのトラス橋の一部を歴史的に貴重なものとして保存されたそうです。

 帰宅後ちょっと調べてみると、旧・牧田川橋梁の現役時代の映像がYouTubeに置かれていました。小寺勉さまのチャンネルです。お借りしています。風情が素晴らしい貴重な映像です。m(_ _)m

烏江駅と牧田川橋梁  

 吊りかけ駆動の音がまだ元気な時代の貴重な姿でしたが、現在は未来を見据えてVVVFインバータ音を響かせるステンレス車が高架で牧田川を渡っています。此もまた頼もしい姿と言えそうです。

 烏江から先の、次の駅、美濃高田駅までは養老線で一番の田園地帯かと思います。東海環状自動車道の高架がなければもっと綺麗な風景かなぁ、と思ってしまう風景を、線路からちょっと離れてしまったあぜ道の道路を走り抜けて、美濃高田駅に到着です。岐阜県養老町の中心街、とのことで、町役場などの官公庁が集まる町の小さいながらも立派な佇まいの駅舎があります。

 昔は当然有人駅で、賑わいのある駅だったのかと思われます。

 美濃高田駅を出発して市街地を過ぎると、揖斐から大垣を経てここまで殆ど平坦な地形でしたが、そろそろ山がちになってきました。養老山地の山裾の区間が始まります。今回のルートの標高最高区間(とは言え、高さ31メートルだけですが😅)を通り、瓢箪のモニュメントを見つけたあたりで、養老駅に到着しました。

 創業当初の養老 ~大垣 ~池野開業時の始発駅であり、養老の滝・養老公園などの観光の玄関口として栄えた駅として、神社仏閣的な重厚なつくりの駅舎です。

 しかし、現代の観光はマイカー主体のなか、養老鉄道での観光客の流動は殆ど無いと思われ、ひょうたんの実を使った駅名看板とか何かと観光向きのアピールをしつつも、流れからは外れた感も否めないものの、『中部の駅100選』に選ばれた駅としてこれ自身を観光資源とするのも有効にならないかなぁ、とも考えてしまいました。

 養老鉄道“南線”は、未だ半分に満たないところですが、桑名までの残りの道程は後半に続きます♪


↓ STRAVAで記録した大垣駅~桑名駅までの走行ルート


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