<2月3日の記事と連動>
アフリカの 西部地域は 植民地
時代の流れ 今も続くと
戦前に 西部の奴隷 集団で
手かせ足かせ 非人道的
欧米へ 売り飛ばされて 労働の
犠牲強いられ 苦悩の歴史
その地とは 奴隷海岸 アフリカの
西部・港の 名称となる
戦後には 国家としての 境界が
欧米により 制度化された
ジャングルや サバンナ・砂漠 誰のもの
ダイヤモンドや 金を採掘
彼らには 「クニ」の考え あるわけは
無く族長の 指示で移動を
もともとは 小競り合いほど 対立も
族長の指示 まとまることに
国家には それを許さぬ 利権にて
がんじがらめに された怨念
現代は ウラン採掘 部族たち
低賃金で 駆り出されると
目的は 原発用の 放射線
危険なものを 扱いながら
被爆して 次々犠牲 強いられて
子供たちにも 奇形が多発
怨念は テロとの絆 深めても
誰も批判は できぬことなり
アジア人 優先的に 射殺する
黄色人種 区別がつかず
採掘の ために自然を 破壊する
そのなりふりは 唖然となるや
日の本の 素直さいずこ 恨みかう
ことをするなと 警告事件
(アルジェリアの人質事件で。)