これってやはり化石? 私のライフスタイル!

ひともすなるブログなるものを、われもしてみむとてするなり

老いの才覚 曽野綾子著 … 話題の本を買って読んで 回すつもりが

2011-04-19 | 読んでみた本
テレビで取り上げられて知った 曽野綾子著の話題作【老いの才覚】を買ったのは 3月の初めのことでした。

さらっと読んで 妹か友人にでも回しましょうと思っていたのですが、未だ自分の手元にあり 外出の時はバッグに入れて持ち歩いています。

老いるということについて、厳しい視点で書いてあります。 

八つの章に分かれていて どこから読んでもいいので その時の気分でページをめくっています。

新書の帯に書かれていることは

 ○ 高齢者に与えられた権利は、放棄したほうがいい

 ○ 老化度を測る目安は「くれない指数」

 ○ 老人が使う言葉が極度に貧困になった

 ○ 人に何かをやってもらうときには、対価を払う。

 ○ ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった

 ○ 料理、選択、掃除…日常生活の営みを人任せにしない

 ○ 老年の仕事は孤独に耐えること etc

この七つを肝に銘じて生きると、他人に依存しないで自分の才覚で生きることが出来ると。

ごくごく真っ当な考えなのですが、実行しようと思えば 今現在の私の記憶力と実行力から考えると ボロボロになるぐらいまで繰り返し読んだほうがよさそうで、手放せないでいます(笑)

まず妹に この本を買って読んで手放せなくなったと話すと、早速買ったそうです。

やはり同じように 座右の書にしたいと言っています。

妹と私とでは 印象に残っている部分が違ったり 共感した部分が違ったりしています。 当たり前といえば当たり前の話ですが、そういう違いがわかるのも面白いところです。

友人Mに話すと 「私も買って読みたいわ」 と いいます。


新書だから軽く持ち歩くのに邪魔にならないのもうれしいことです。

曽野綾子さんの考え方と自分の考え方の違いを比べるのもまた面白いし、しばらくは この本一冊でいろんな話に展開が出来そうです。 

アマゾンで買っても 楽天で買っても 送料無料ですぐに手元に届く 便利な世の中です。

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実家の裏でよもぎ摘み … よもぎパンでも作りましょうかと

2011-04-17 | 食 手作りデザート おやつ
実家に帰り、父の病院へ通う日々だった3月中旬から4月3日まで、唯一ゆっくり出来るのは朝だけでした。

彼岸も過ぎると 家の周りのよもぎが育ってきました。

2日朝、2回目のよもぎを摘みました。

1回目は たっぷりと摘み、よもぎ餅にしました。 よもぎ餅は父が大好きだったので もう食べることは出来なかったけど、病棟の父に会いに行き、よもぎを摘んで餅をついたことを耳元で教えると わかったようでした。

よもぎを摘んだり、ノビルを引き抜いたり、野生の三つ葉を摘んだりして料理をすると ことのほか父は喜んでくれました。

そんな父が喜んだことを 変わることなく淡々と続けていくと なぜか心が落ち着いてくるのでした。

3日には一旦自宅に戻ろうと決めたので、摘んだよもぎを持ち帰ることにしたのです。

鍋にたっぷりのお湯を沸かし、小さじ1弱の重曹を入れて よもぎを湯がきます。

1分ほど湯がいたあと、ざるに茹でこぼし、さらにたっぷりの水で洗ってアクをのぞきます。

いつもだと、スピードカッター(フードプロセッサー)を使って 繊維を砕くのですが、今回はすり鉢で擦ってみました。



すり鉢で擦り始める前に 包丁でザクザクと切っておけば もっと簡単にきれいに出来たかも。

次回は この一手間を忘れないようにしようと思います。


四つに分けてラップに包み さらにジプロに入れてフリーザーへ。

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父 82歳の生涯を閉じる … 2011年4月6日7時11分

2011-04-16 | 父の事 母の事
父が逝った

4月3日の最終便で夜10時過ぎに自宅に戻った私は 5日昼過ぎ 母から電話で再び戻ってくるように言われた。

父の容態が昼前に急変し 危篤状態だという。 主治医が必死に命を長らえているという。

もうどんな処置もして欲しくなかったし 臨終に立ち会いたいとも思ってもいなかった。

しかし電話の先で母は強い口調で私とトトにすぐに戻ってくるように言った。

トト 妹 甥っ子 我が息子 娘のプーさんに連絡を入れる。

息子が 「おばあちゃんの好きなようにさせてあげなさい」と 私を諭す。

プーさんが一緒に帰ってくれることになった。 

父の病室についたのは 夜11時を回っていた。

か細い呼吸 血圧は上が70~80 心拍数は110ほど。 時々無呼吸になる。

なんと父は 泣いていた。 細く目を開けて 両目から涙が流れている。

「お父さん 辛かったわね もう楽になってちょうだい 泣かないでちょうだい」 私は父の耳元で話しかけながら 頭を撫で 涙を拭いた。

涙は拭いても拭いても ほそーくゆっくりと流れてくる。

意識も既になく 腫れ上がった指を握りしめても もう握り返してもくれない。 すでに五日ほど前から同じ状態だった。

それでも最後まで聴覚はあるから 話しかけてあげてと看護婦の姪っ子に言われていたので 私は何回も父に呼びかけた。

朝7時5分頃 大きく口を開けて深呼吸をした。 そして呼吸が止まった。 モニター画面の心電図が0になった。 

看護婦さんがドクターを呼び 臨終を言われたのが7時11分だった。

父の涙は 亡くなる直前まで流れ続けていた。

父が倒れてから108日目だった。 私の体が回復し 父を見送ることが出来る日まで待ってくれていたかのような最後だった。


父が愛した自宅に連れ帰り 納棺し、葬祭場へ。 そして通夜。


7日 葬儀。

父の小学校時代からの同級生からの弔辞をいただいた。

初孫の我が息子が祖父への別れの言葉を述べた。 息子は涙で言葉が詰まり、みなも涙にむせた。

以下の文章は 当日朝 私と妹で司会者へ渡した 父の人となりを書き留めたものである。

ユーモアにあふれ おしゃべり好きでした。

豊かな知性に裏打ちされた深い教養であらゆうる人を差別することなく 偏見のない見識ですべての人に温かく接していました。

とどまることを知らない好奇心は定年後も変わらず 日本各地や世界各地を 入念に立てたプランで妻と旅をして回りました。

そして新しいことへの挑戦も。 携帯電話はメールもこなし、パソコン教室に通いインターネットで情報を集め、文章を書き、

デジカメの画像を編集して楽しみました。

長男としての責任を背負い、両親を看取り、生まれ育った故郷をこよなく愛して、

墓の手入れを欠かさず庭園のように整えていつも守っていました。

二人の娘や五人の孫たちへ深い愛情をいつもいつも与え続けました。

愛妻家で、妻なしでは一日たりとも暮らしていっがならん(暮らしていけない)が口癖でした。 
 



パーソナルコンピューターやインターネットのない時代に 父は退職後にNHKのラジオ英会話で語学力をアップさせ、国際免許を取り アメリカを横断した。

旧ソ連時代にシベリア鉄道でヨーロッパへ行った。

妹がロンドンで第二子を出産したときは 母と二人で行き、母に産後の手伝いをさせ、スコットランドまで一人でレンタカーの旅をした。

また妹がオランダにいたときは アムステルダムを起点にして バックパックスタイルでユーレイルパスを使いヨーロッパを旅して回った。

すべてオリジナルの旅。 エアメイルやファックスで宿の手配をし、航空券も鉄道チケットもレンタカーもすべて一つずつ準備する旅だった。

侘びさびの世界が好きで 日本各地の日本庭園や神社仏閣を巡り 我が目で培った美意識で私の祖父母が残した家を庭園に仕立て上げた。


丈夫な体ではなかったが 持病と闘いながら よくぞここまで生きたと思う。

ここ七~八年は 私に田舎の管理の仕方を教えるのをとても楽しみにしていた。 

タケノコ山の手入れの仕方。

ミニ耕耘機の使い方。 刈り払い機の使い方。 ナイロンカッターでの草の刈り方。 

病害虫対策の農薬散布の仕方。

自分の山で切った木を自宅の裏の炭窯で焼いていた。 チェーン鋸は重たいし危険だからとなかなか使い方を教えてくれなかった。

父はすべてを楽しんでいた。 父の手伝いが出来るのがうれしかった。

父の手伝いをするためにホームセンターでオレンジ色のつなぎと長靴を買って帰り、着て見せたら たいそう喜びおもしろがってくれた。

そして替えのつなぎを買ってくれた。

仕事の後に一緒に飲むビールがことのほかおいしかった。 私の飲みっぷりをいつも喜んでいた。


おとうさん たくさんの教えをありがとう。 あなたが愛したものを私も大事にしていきます。






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