これってやはり化石? 私のライフスタイル!

ひともすなるブログなるものを、われもしてみむとてするなり

カステラ いろいろ … 最近のおやつ

2011-02-26 | 
腸閉塞で手術してからの食事制限は 一に塩分 ニに油脂 三が食物繊維です。

さらに難しいのが栄養価の高い食べ物を摂るということ。

そこで思いついたのが カステラです。

お手軽にはスーパーでヤマザキ製菓のカステラから 文明堂まで、色々と買って試しています。

一番美味しいと思ったカステラの記憶は 子供の頃 母が親しくしていた和菓子屋さんの出来そこないのカステラです。

今でいう半熟のような感じで しっかりと生地が立ち上がっていないということで商品としてお店で出せない 等外品のようなものを時々貰っていました。

普通のカステラよりはるいかに美味しいと思い 母が買ってきた和菓子よりずっと好きでした。

その後上京し テレビのコマーシャルとともに文明堂のカステラを知ったのですが、私には 九州の長崎屋のカステラのほうが馴染みのあるものでした。

福岡に住んでいた頃 福砂屋のカステラを食べる機会があり、昔親しくしていた和菓子屋さんのカステラにとても似ていて美味しいと思ったものです。

今ではカステラよりもはるかにお洒落で美味しいフルーツやチョコレートを使った洋菓子が溢れているので 自分でカステラを買うことはまずありません。

贈答用にも貰うことも差し上げることもなくなっています。


そんな中で 久しぶりにカステラを食べる日々がやってきました。

トトは 『カステラは文明堂!』 と言って買ってきます。

プーサンは 福砂屋の名前さえ知っていませんでした。 ところが 私がカステラの中では 福砂屋のものがピカイチで美味しいと言うと 早速デパ地下で見つけてきました。

私はコストコで長崎のカステラを見つけました。

長崎産卵 国産小麦 福岡産はちみつが原料のカステラです。

卵黄が卵白より多めに配合されているそうです。 それで五三焼というのだそう。

福砂屋のカステラも五三焼と書いてあります。

しっとりとしていて たいへん口当たりのいいカステラです。 

一切れで200kcal近くあるので ちょっと恐ろしいお菓子でもあります。
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春一番が運んできてくれたもの … 元気の素でした

2011-02-25 | 日々の雑感
春一番のふいた今日は 嬉しい知らせが二つありました。

嬉しい知らせとは関係ないものの、我が家のベランダのサラダ用のベビーサラダミックスが育ち過ぎて 今日の風でしなびていました。 水分を持っていかれたようです。

慌てて小鍋一杯の水をあげたら 30分もしないうちに元気になりました 

嬉しくなって カメラに収めました。

届いた知らせは プランタの葉物が元気になった事とは比べようもないほど 嬉しいEメールでした。

一つは友人からで、彼女は癌闘病中です。 しかも最初の癌の手術は12年前。

昨年の夏の終わりに卵巣に転移が見つかり 秋に手術しました。

悪いところは全部とったと 本人もまわりも思ってちょっと安心していました。

ところが、さらに転移が見つかり、年明けから抗がん剤による治療が再開されました。

かける言葉も見つからないほど 私もショックでしたが、返信は要らないとしたうえで メールを出していました。

今回の治療も今までのように乗り切ってほしいとの願い。 そして治療の結果がいいもであるように祈っていることなどだったと思います。


23日付けで友人からメールが届いていました。

転移がわかってから治療が始まるまでの揺れる心も落ち着き、前向きに治療に取り組んでいることが書いてありました。

覚悟を決め、出来る限りの治療を受けること。

目指すは還暦を迎えること。

寝たきりではなく、普通の生活を送っていること。

さらに無理のない範囲で あけぼの会の活動もしていること。

我慢せずにやりたいことはやる。 時間は大事に使いたいとも。

彼女が一年に一回関西に行くので 私も行くようになりました。

一番心配な体なのに、彼女といると力が湧いてくるのです。
たぶん 一生懸命病気と闘っているからなのでしょう。

今日も久々にメーラーを開いて 届いたメールを読んでいるうちに 私にも力が満ちてきました。

私のほうは、退院して一カ月も過ぎたのに なかなか思うように動けない状態です。
そんな自分に落ち込んでいます。
 
再発防止は体を動かすことと肝に銘じ、毎日歩いていたら 膝を痛めてしまいました。

落ちた体重のほとんどは下半身のようで、足の筋力もなくなっているのに焦って歩きすぎたようです。

これはまずいと思い、筋トレを始めたら これもちょっと間違っていた部分があったようで、歩くことさえままならなくなってしまいました。

さらに外出時はいつもマスクして 帰宅後はうがいもしていたのに、痰が絡まるようになり、あっという間に高熱が出てしまう始末です。

今まではうまくいっていたことが、何故か悪い方にいってしまう。 まさに負のスパイラルに陥ったみたい。

足は整骨院に通い始め さほど痛みなく歩けるようにまではなりました。

彼女が会いたいと行ったら どこにでも行きたい。だから体力を回復させておかなきゃなりません。


もう一つのメールは実家の母からでした。

先月はいつ命尽きてもおかしくないと言われていた父が 少しずつ快方に向かっているのです。

最初の診断は右半身不随、失語症というものだったのに、母の語りかけに返事をするようになりました。

悪い日もあるけど、いい日は返事のほかに単語が出ることもあるといいます。

今日は暮れの入院後始めて入浴させてもらってさっぱりきれいになったと 写メールが届きました。

父の生命力には担当の医師も言葉がないそうです。

一日も欠かさず見舞いに行く母は 父が目を開けていたと喜び 返事をしたと喜んでいます。

母の気持ちが父に届いているのでしょう。


どちらのメールも 私に元気をくれたほんとに嬉しいメールでした。

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じぃじのバレンタイン … 孫ちゃんから(だけ)

2011-02-21 | 日々の雑感
街もテレビもネットもうんざりするほど騒がしかったバレンタインデー。

そんなバレンタインデーも 一週間も前のことになってしまいました。

バレンタインデーに浮き浮きしたり そわそわしたり びっくりしたり と 世間並みに盛り上がったのも随分前の事です。

我が家では卒業してしまったイベントと勝手に思い込んでいましたが、水曜日に会った孫ちゃんから じぃじは手作りチョコレートをプレゼントされました。

たぶん月曜日には準備してあったようなのに、私の都合で会えませんでした。

孫ちゃん1はほんとに小さい頃からママゴトが大好きで 台所に入ってきては ザルやボウルなどを持ち出して遊んでいました。

もちろん今でも我が家にやってくると 必ずママゴトセットを出してきて遊びだします。

そんな孫ちゃんなので 今年は手作りチョコレートを頑張ったのでしょう。

しかしまだ5歳児です。 こういうことをやりたがる時、母親がいろんな形で手伝わなければならなかったことは十分にわかります。

四つのチョコレートは じぃじと名前の書かれたかわいい袋に入ってリボンで結んでありました。



孫ちゃん1が 手作りでチョコレートを作りたいとお嫁ちゃんに言い、親子で形を話し合い、材料を準備し、作り上げる。

そしてラッピングまでさせる。

下には誕生前の赤ちゃんがいます。 大変だっただろうなとお嫁ちゃんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

四つのチョコレートは まだ誰も口にしていません。 じぃじが最初の一個を口にしたら 私もお相伴にあずかるつもりです。
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タジンに初挑戦 … モロッコ料理用の鍋で

2011-02-15 | 
プーサンは中東に惹かれていて、専門もそっちの方でした。 たぶんライフワークのつもりでしょうが、社会人になった今 将来的にはどうなることやら。

中東に行きたいというプーサンに 唯一許可したのがモロッコです。

モロッコはアフリカの北西部の国ですが、アラブ世界でイスラム教徒の世界です。

二子多摩川に ル マグレブというモロッコ料理の店があります。 ここの店長からモロッコの情報はたくさんもらったようだし、随分お世話にもなっています。

このモロッコ料理の店は私も複数回行ったことがあり やはり魅力はタジン料理です。

私もプーサンもフランス産のタジン鍋を買いたいと思いながら その独特な形から場所ふさぎな鍋なので 買うのをためらっていました。

ところが 国産の二人用を横浜のデパートで売っていたのを見つけたと プーサンが買ってきました。

とても小さいタジンなので、本格的な煮込み料理にはちょっと無理がありそう。

でも今はやりの蒸し焼きなら 手早くできるかなと思い、作ってみました。

色々な冬野菜を並べ 上に豚ロースの脂身を除いたものをのせました。 折角だからと ジャガイモの薄切りも。 (豚肉を使うところからして アラブ料理を逸脱していますが)

味付けは和風の出しと薄口しょうゆと酒とみりん。

タジン鍋は蓋の尖がった形が 美味しい煮込み料理を作る秘訣になっているのに、なぜかこのタジン鍋の蓋 蒸気を逃す穴があります。

野菜から出た水分が蓋のてっぺんまでいって、蓋沿いに下に落ちていき、野菜の水分や少量のスープで煮物が出来なければならないのに、どうも不要な蒸気抜きの穴です。



沸騰してきたら どんどんこの穴から蒸気が逃げていき 思ったほど蒸し煮には出来ませんでした。

その為に お肉を折角野菜の上にのせたのに、肉の旨みが野菜に移っていないのです。

ジャガイモも手抜きで水に晒さなかったので、えぐみが残っていて 残念なお味でした。

ところが プーサンの評価は私が思った以上でした(意外)

ほんとはもっと美味しいタジン料理が出来るはずなので もう少しトライしてみようと思います。

美味しいタジン料理が出来れば 大人数用の場所取りなタジン鍋が欲しくなるかもしれませんが。


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腸閉塞からの生還 … 繰り返さないための心得

2011-02-07 | 腸閉塞
腸閉塞になった人全員に当てはまる訳ではないようだが、私が気をつけなければならないことはかなりある。

常に腸が動いているようにしなさい。

これが一番大事なことらしい。

その為の注意事項は

体を冷やさないこと
 … 体が冷えると 腸の動きは極端に悪くなるそうだ。

よく歩きなさい
 … 歩くと血液が全身を流れ 腸にも酸素が十分に届くのだそうだ。

水分をこまめにとること
 … 冬場で2リットルの水かそれに準じるもの。 夏場で3リットルの水を飲むこと。

一日一回のお通じ
 … 便秘にならないようにする。 便秘とは腸の動きが悪い証拠?



以下の食事を心がけ 胃腸に負担や刺激を与えないようにすること。

○ 必要エネルギーをしっかりとり、体重を元の水準まで戻すこと。 私の場合 53kg前後。 

○ 消化の良い食品をゆっくりとよく噛みながら食べること。 一回の食事を30分程度はとること。

○ 塩分を控えること … 胃酸の分泌を促進するので控えなければならないそうだ。

○ 脂肪の多いものを控える … これも胃酸の分泌が促進されるという。 

○ 揚げもの 香辛料 … 粘膜に刺激があるので控えること。

○ 消化に時間のかかる食品も控えること。

 これが一番やっかいというか 意外な注意事項だった。

 食物繊維の多いもの … おから、たけのこ、ごぼう、セロリ、こーん、海藻類(昆布、わかめ、ヒジキ) こんにゃく類、 もやし、 ラッキョウ

 サツマイモ 里芋は繊維が多いので 食べる場合は少量 小さな芋で1/2程度。 ジャガイモで中1個程度。

 脂肪の多いもの … 肉の脂身、鶏肉の脂肪と皮、ナッツ類、揚げもの


食事の目安として 魚:90g 脂肪の少ない肉:30g 卵:1個 チーズ:時々 豆腐・大豆製品:豆腐1/4丁 納豆:40g 牛乳:200cc ヨーグルト:200g ヤクルト400:1本

植物油:大1を限度 野菜:350g以上


お通じをよくするためには 食物繊維をたっぷり摂るのが常識なのに、腸閉塞経験者は食物繊維は かさ高くなるので逆効果だという。 

繊維の多い野菜や海草が大好きな私としては 大変辛い。

さらに豆類も繊維が多い食べ物である。 豆好きの私なのに 

安納芋の焼き芋も1個食べるのは駄目らしい。


でも 意外だったのは アルコールや甘いものは大丈夫だということ。 アルコールはまだ自重しているが、術後一カ月過ぎたら大丈夫でしょうとのことだった。
チョコレートもアーモンドチョコ以外は食べられるということだ。

以上の食事を術後三カ月は続けるようにとの栄養指導だった。

三カ月以降は 徐々に制限されたものを増やしていき 自分の腸のキャパシティを計るのだそうだ。 完全に以前の食生活に戻るのは無理のよう。

そして 私のこの制限された食事はまだ軽いほうだという。

上に記した心がけを一つでも外すと 腸閉塞のリピーターになるというから恐ろしい。

特に便秘とストレスは深い関係にある。 

ストレスは発想の転換で乗り切るしかないと思う。








 
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牡蠣の焼きもの … 産直ならではの美味しさ

2011-02-06 | 
三重に住む友人から 志摩産の牡蠣が送られてきた。

好きなものをたっぷり食べて元気になって との 優しい思いのこもったプレゼント。

今の私は 食事制限が厳しいので、オイル無し 塩分無しで調理したものになる。

もちろん 生は大丈夫 と 自分で勝手に決めている。

栄養指導をしてもらった時の資料には 刺身はOKとなっているので、生牡蠣もOKと解釈する。

一品は 生食用のむき身をさっさっと塩でふり洗いして 水分を切ったものに片栗粉をまぶし テフロンのフライパンで焼く。

私の焼き方は 片面は蓋無しで焼き、焼き色がついたら返して 今度は蓋をして蒸し焼きにする。

暮れにテフロンのフライパンを新しくしたので、ノンオイルでもフライパンに焼きついたりはしないが、コーティングが剥げてきていた以前のフライパンでは クッキングシートを敷いて焼いていた。

今日はオリーブオイルをフライパンに1滴垂らして 薄い膜を作ってから焼いたけど、オイル無しでも大丈夫。 

焼き加減は 中火の弱火で焦げ目が付く程度に。 外側はカリッとした食感に。

味付けは一切してないのに、プリプリしていて噛みごたえも最高にいいし、味は言わずもがなの美味しさ。

このレシピ知っていてよかったとつくづく思う。 

 志摩の牡蠣の詰め合わせ

賞味期限は9日まで。 じっくりとたっぷりと味わいたい牡蠣である。
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腸閉塞からの生還 … 退院まで

2011-02-01 | 腸閉塞
15日 昼過ぎにプーさんが病室に着いた。

羽田に千疋屋がオープンしていたと フルーツたっぷりのゼリーを買ってきてくれた。

怖いと思いながらも 体が欲していて ゆっくりと食べる。 食べていて疲れて食べるのをやめたいとか、横になりたいという気持ちが随分少なくなってきた。

確実に体力が回復してきた。

不安なことは一つ。 

父が頭の手術を薦められたものの 全員一致で反対したこと。
成功は半分。 植物人間になる可能性もあるとのことで、とんでもない、手術なんてという気持ちだった。

手術しなければ 余命5日から長くて2週間と言われる。

みんなが思うことは同じ。 私が葬儀とかに出れるかということ。

16日
この日から食事が全がゆに変わった。 普段食べるおかゆだ。 おかずは塩味を随分控えたもの。

プーさんがお風呂に入れてくれる。 シャワーのみだが、全身丁寧に洗ってくれ、シャンプー後のヘッドマッサージが大変気持ちいい。

変な話だが、人の頭を洗うときはこのぐらい気持ちを込めてあげなければならないと プーさんに教えてもらったようなもの。

病棟内を歩き始めると いろんな人が声をかけてくるようになる。

一番言われたことは、『元気になりましたね』 という言葉。 次に言われたことが、『娘さん よく看病されてましたね』 という言葉。

合間には左手から腕をマッサージしてくれる。 いつまで経っても左腕の腫れが引かない。

必要なものを買い足したり クリーニングに出した服一式を取りに行ったりもしてくれた。

一月ほど前 携帯電話を台所で水の中に落として全く使えなくなったプーさんは 流行りのスマートフォンに変えたのだが、これが大変役に立つという。

ネットでの検索が優れている。 GPS機能を使って目的地に迷わずに行くことが出来るそうだ。 プーさんは私と違い方向音痴 (これは余計事か)

この日も鹿児島は雪が舞う寒い一日で 高速道路の速度規制が始まったと連絡を受けたプーさんは 予定より早く引き上げていった。

17日
ベッドから起きあがるのが 楽になっていることに気がついた。 手術して2週間。

18日
この日から 普通のご飯になる。 おかずは腸食と書いてある。

朝看護婦さんから 部屋を変わってほしいと協力を求められる。

順調に回復しているのでということで、ナースステーションからちょっと離れた部屋へ移動する。

しかし 昨日から通じがなくて 気持ちはハラハラ。 
やはり父のことが頭にあるのだと思う。
些細なことがストレスになって、腸の動きが鈍くなってしまうようだ。

新しい部屋で一緒になった女性は 毎日階段の上り下りをして足を鍛えているというので、私も一緒に歩かせてもらう。

ゆっくりと手すりを捕まりながらだが、やはり随分疲れてしまい ベッドに倒れ込んでしまった。 

ここまで努力しても便意はこない。

夜 下剤を処方される。

19日
一晩中お腹がぐるぐるするのに下剤の効果は現れず 眠れない夜が明ける。

しかも昨日の階段の上り下りがこたえて 両足ともすごい筋肉痛。

主治医の先生も心配して 一生懸命聴診器をあてて腸の動きを観察したり 触診したり。

動いてはいるという。

さらに違う下剤を処方されることになった。

ところが、それからこの日の担当の看護婦さんがやってきて 私のお腹をマッサージしてくれた。

私が今までさすっていた力とは比べものにならない力の入れよう。

マッサージのコツがわかったので 自分でも続けてお腹をマッサージしていたら 急にトイレに行きたくなった。

効果が現れ ほっとする。 しかし朝の下剤は必要なかったようだ。 下痢が8回も続いた。

合間にレントゲンとったり 主治医の先生から退院後の過ごし方の注意事項を聞いたり、栄養士からも栄養指導を受ける。

術後 初めて一人でシャワーも浴びる。

食事の注意事項は びっくりする内容だった。 これは改めて記録したいところ。

20日
朝から荷物の片づけ。

主治医の先生が何回も顔を出してくれる。

保険請求のための書類のこと。 自宅に戻った後の病院への手紙の件。 私以上に心配してくださっている。

退院後しばらくたったら、主治医の先生にも経過報告を知らせたいと言うと、応じてもらえた。

久々に化粧をする。 そして3週間ぶりに着た自分のパンツがだぶだぶになっていて、びっくり。

お腹もぺっしゃんこ。 足も老女の足のように痩せ細ってしまった。

10時過ぎにトトがレンタカーで病院に到着。

エレベーターホールまで 主治医の先生に見送ってもらい、病院をあとにした。

途中昼食をとり、(ゆっくり ゆっくり) 実家に立ち寄る。

その後 父の病院へ。

なんと父に話しかけると 聞こえたように頭を辛そうに動かした。 トトもびっくりし、 『お父さん 絶対にわかったと思うよ』 と 何回も口にする。

私も泣きながら父に 『もうちょっと元気になってまた帰ってくるから、それまでがんばって』と耳元で頼み込み 孫ちゃんが書いてくれた手紙を読んでやり 枕の下に置いて病室を出た。

自宅に戻るまで一番の心配は 飛行機の中だった。 それでもどうにか無事に羽田に到着。

駐車場に止めてあった自家用車で自宅にもどった。

12月30日に自宅を出るときには 想像も出来なかったすさまじい経験をしたものの、家に戻ることが出来、ほんとにみんなでほっとした夜だった。

トトは 12月に妹からアメリカ土産にもらったワインを お祝いだといって開けた。

私やプーさんには常に 『ダイジョーブ』 としか言わなかったし、私に会うたびに 『元気になった、よかったね よかったね』 としか 言わなかった。

しかし内心随分心配していたのだろう。 1日のとんぼ返りと20日の私の退院迎えを含めて7回 鹿児島を往復している。 実家の母様にも隠し 病院の近くのビジネスホテルに泊まっていた。

家族間で貸し借りの思いはさらさらない我が家だが、今回の借りは一生かけても返せないほどの借りを作ってしまった。

まずはなるべく元の生活に近いところまで 体力を回復することが一番。

新たなスタートを切ることになった。

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