カトリック情報 Catholics in Japan

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マドニーナ

2019-02-23 02:51:31 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

(巻末)

 シュステル枢機卿のいたミラノ司教座聖堂は、この有名なドゥオモです。1986年に、それ以前にあった大聖堂と同じ場所に、このドゥオモの建築がはじまり、32年後にその大半ができたので、ここでのはじめてのミサを教皇マルティーノ五世がささげました。それにしても、工事は完成にむかって今もなお続いており、1774年には、いちばん高いせん塔に聖母のご像がおかれて、ミラノ人のプライドとなっています。

 じっさいには巨大なご像でも、はるか上空に白く光る聖母の姿は小さく見えるので、マドニーナ〃小さな聖母〃という名でみんなに親しまれています。



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12、ガンデリー二先生との出会い

2019-02-21 22:59:17 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

★2、興味ぶかい事件 アルベルト・カスティリオニ神父

◆12、ガンデリー二先生との出会い

 1973年5月、わたしに、またイタリアに行く機会が与えられました。こんどこそ、レニャーノ病院に行って、ガンデリー二先生に感謝しました。

 書斎にわたしを迎えてくれたかれは、どんなにわたしとの再会を喜んでくれたことでしょう!帰ろうとするとき、わたしは先生にいいました、

「先生、あれから、もう10年以上もたったのですから、率直に、わたしの病気がどんなものだったか教えてくださいませんか?」

 かれは、即座に、机の上にあった一枚の紙に書きました、「ワンフォ・サルコマ・パラアオルティコ・アッドミナーレ」(=腹部大動脈周囲リンパ肉腫)と。

 この証明書をわたしは、今でも大事に保存しています。最近になって、わたしは、このコピーをシュステル枢機卿列福調査の今の担当者パッソー二神父さまに送りました。この神父さまの世話で、レニャーノ市の病院にまだ保存されていたわたしの入院当時のカルテも探しだすことができました。

 ふつうなら、10年もすぎれば、カルテは焼却されることになっていたのですが、わたしの場合は、あまりにも、"興味深い事件"だということで、今までとっておかれたのです。そのために、これもそのコピーをミラノの司教館に送ることができました。ファヴィー二神父の証君シュステル枢機卿に関する記事を、ついでに、ここに加えたいと思いまず。「サレジオ的生活の泉にくんで」という題のサレジオ会員グイード・ファヴィー二神父の著書の序文に、こう書いています、

 "神のしもベシュステル枢機卿は、ドン・ボスコの大伝記を書斎のとり出しやすい場所に置いていました。かれは、訪問者が、サレジオ会員であろうと、なかろうと、おかまいなく、喜んでこれを見せていました。またかれ自身も、毎日できるだけ、この本の2~3ページを読むことにしていました。「わたしは、これを読むときが、一日中でいちばん楽しいのですよ」とうちあけたことさえありました。

 かれが、いく度もくりかえしていたことがあります、「博士号の尊称をおくられた教会博士たちの中にも、ドン・ボスコが残したこれほどの移しい資料を残した者は少ないと、わたしは確信しています」と。

 これは、かれの秘書のひとりで、後にミラノのニグアルダの小教区主任司祭となったヨハネ・マッキ神父が、2~3年前に、わたしに証明してくれた言葉です。

 ミラノのこの信仰ぶかい大司教が、天国からわたしの拙い、でも、愛と苦労の結晶であるこの本を祝福してくださいますように。また、すべてのサレジオ会員が、あいている時間をみんな喜んでささげて、設立者の聖性を研究するよう、はげましてくださいますようにと、わたしは祈ってやみません。



 シュステル枢機卿のいたミラノ司教座聖堂は、この有名なドゥオモです。986年に、それ以前にあった大聖蛍と同じ場所に、このドゥオモの建築がはじまり、32年後にその大半ができたので、ここでのはじめてのミサを教皇マルティーノ五世がささげました。それにしても、工事は完成にむかって今もなお続いており、1774年には、いちばん高いせん塔に聖母のご像がおかれて、ミラノ人のプライドとなっています。

 じっさいには巨大なご像でも、はるか上空に白く光る聖母の姿は小さく見えるので、マドニーナ〃小さな聖母〃という名でみんなに親しまれています。



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◆11、列福調査をうけもつ神父との出会い

2019-02-20 01:08:00 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

★2、興味ぶかい事件 アルベルト・カスティリオニ神父

◆11、列福調査をうけもつ神父との出会い

 ミラノのシュステル枢機卿をたいへん尊敬しているわたしの友人エンニオ・ジェロラさんが、こうしたある日、わたしにいいました、

「これほどのお恵みを取りついでもらったのだから、このことを公けにしてはどうでしょう。ちょうどミラノ大司教区にシュステル枢機卿の列福調査をうけもっている人がいます、テラネオ神父さまです。会ってみませんか」と。

 そして、ある日、わたしは、ミラノの大盤堂の香部屋でテラネオ神父さまに会いました。かれは、わたしから、あの事件を打ち明けられると、「よく分りました、では、医者の証明書をもらうようにしてください」といったのです。

 わたしが、パストーリ先生と面会したときのことを話すと、かれは、「そういうことでしたら、この事件をとりあげるのは、無理でしょう」といいました。



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アルベルト・カスティリオニ神父 10、パストーリ先生との出会い

2019-01-19 02:53:44 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

★2、興味ぶかい事件 アルベルト・カスティリオニ神父

◆10、パストーリ先生との出会い

 1967年、父が亡くなったので、わたしはまたイタリアに行きました。この機会を利用して、わたしは、どうしても世話になったレニャーノ病院の昔の医者たちに感謝したかったのです。

 ピッチョー二先生は、すでに停年退職をしており、パストーリ先生は外科の院長になっていました。わたしは、まず、かれを訪ねてみました。

「7年まえに、わたしは、先生から手術をうけたカスティリオニ神父です」ときくと、かれは看護婦に命じて、分厚い書類をもってこさせました。ページをめくって、わたしの箇所をみつけ、それを読みました。それから、しげしげと、わたしを眺めると、腑に落ちないといった様子で、またページを読みかえしました。

 先生は、なんともいいようのない表情で、こういったのです、

「ほんとうに、あなたは、あのカスティリオニ神父さまでしょうか?」

 わたしが深くうなずくと、

「ときどき医者もまちがうことを、どうぞ神に感謝してください!」と。

(写真はレニャーノの街)



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アルベルト・カスティリオニ神父 9、八田先生との出会い

2018-12-03 01:34:32 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

★2、興味ぶかい事件 アルベルト・カスティリオニ神父

◆9、八田先生との出会い

 温研病院院長八田秋先生にあいさつに行くと、先生は、わたしを見たとたん、驚きの叫びをあげました。

「あなたが.カスティリオニ神父さまだとしたら.わたしは幽霊をみているのでしょうか!」

「いいえ、正真正銘のわたし自身です。骨も肉もあるカスティリオニです」わたしは、手をさしのばしながら、「おかげさまで、また帰って参りました」と感謝しました。

「とんでもない!ちがいます、わたしではありません。これは、神さまのなさったことです」とかれはいいましたが、先生は、信者ではなかったのです。

 長い病院生活のあいだ、わたしたちは互いに親友の仲だったので、このとき、思いきって聞いてみました。

「でも先生は、ほんとうに神を信じていますか?」

「神父さま、あなたの元気なお顔をみたからには、どうしても、信じないわけにはいきませんね」と答えた先生の表情には、真実さがありました。

(写真は温研病院)