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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

M

2015-09-30 | エッセイ、旅行記


道端ジェシカ
『ジェシカの言葉 心の奥のもっと奥』★★★★

久々に目について手に取る。
ちょっと落ちた時に読むと前向きになれる本

ジェシカ素敵!!
(確かに名言は引用だけど、でもそれを活かす彼女がね!)


わたしは大丈夫
どーんと構えて ね?



---



唯一価値あるものは直感である。








すべての現実は自分の潜在意識が引き起こした結果です。








感謝ノート








顕在意識と潜在意識








「記憶をクリーニングする」



「ごめんなさい。許してください。愛してます。ありがとう。」








いいことも悪いことも、すべての原因は自分のなかにある。
あなたの世界の創造者は、他の誰でもないあなたなのです。








「中にあるものは外にもある」








過去はあなたを追いかけてきません。
あなたが追っているのです。








「今を生きる」



「常に柔軟でありなさい」








「わたしはこんな状態ではなく、平和を選ぶことができる」

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O

2015-09-27 | エッセイ、旅行記


荻野アンナ
『えろたま』★★★

・・・欲求不満?
たまに読みたくなるこういうエッセイ
まぁよいじゃなぃ
エロなし人生は味気なし淋しいかな。



今日は夕方からごはん。
「今日大丈夫よ」あぁよかった でも横浜だから期待薄。。
何を「確認」し合っているんだろうね(笑)「食」で実感「つながっておくわ」



---



女が10倍感じるなら、男よりお徳用にできている。

とはいえ、女10倍説もまた男の幻想である。ご存知の通り、感じるフリは女のお家芸。フリをしているうちに本当に感じてしまうこともあるから、境界線は女にとっても判然としない。








20代前半は「そこに山があるから」という感じで、とりあえず登った。
20代後半になると、そこまで視野いっぱいに広がっていた「女」と距離が取れて、相手の全体像が少し見えてくる。足が細い方がいい、などと余裕をこくようになる。
30代でようやく性格が気になりだす。
30代後半は体力充実で「どうだ、どうだ!!」と押しまくる。
40代は実りの季節。大人として社会から認められ、経済力も伴う。「男として勢いがある」時期だ。「俺にふさわしい女はどこだ?」とブランデーグラスをクルクルする。
とはいえ本当の自信が付くのは40代後半だ。同時に、接する女性に対しても、優しさがにじみ出てくる。
50代で優しさ指数はさらにアップし、相手の喜びがそのまま自分の喜び、と開眼する。
還暦が近づくと、女を頭と体の両方で理解できるようになっている。ようやく納得したところで「老境」なのだそうだ。








「女湯に男が入ったらつかまるのに、男湯に女、はいいんでしょ?不公平ですよ」



「昔はよかった」発言は、白髪や老眼と同じで、加齢現象のひとつだ。



年を取れば、人生のさまざまなムダが消滅する。



「最初は燃えても、美人は3日で飽きますからね」

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S

2015-09-26 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
『街道をゆく
 1 湖西の道、甲州街道、長州路 ほか』★★


司馬遼太郎だって!
意識し出したのはここ数年
初めてです。
歴史ものにはあまり興味がなく、、ならば紀行ものならと。
まだ読む前に記しているけど どきどき 長期戦

本書は1978年10月に刊行された朝日文庫の新装版



---



「ああいう土地では、松杉を植える気にはなれませんよ」








水戸ッポ、土佐ッポ、薩摩ッポと幕末にいわれた、ッポというのが付くのは、利害をとびこえてなりふりかまわず突き進んでゆく性格の集団の場合にいうのだが、ついに長州ッポという印象がもたれないのは、怜悧さという他の集団にはみられないふしぎな属性が長州人にあったからなのだろう。



アリマスというのは長州独特の敬語で、これは奇兵隊から発展した日本陸軍にのこった。旧陸軍では、敬語としてデス、ゴザイマスは地方語として禁じられており、すべてアリマスであった。



島根県は、かつて二つの国にわかれていた。東が出雲国、西が石見国。
いまでもこの県では、
「出雲郡と石見郡」
といったふうに、県政の面でも県人の生活感覚の面も、そして県出身のひとたちも二つに分けてそういう。


「津和野とは、ツワブキの生える野」



幕末の長州の若者のなかで、吉田稔麿というのが好きである。
例の新撰組の池田屋事変のとき、沖田総司とたたかって死んだ。このため、新撰組をとりあつかった諸家の小説のなかに、たいてい吉田稔麿という名前が池田屋の箇所で出てくる。不幸なことに斬られる存在として出てくる。ときには被害者の名前が列挙されているリストのなかだけで出てくる。要するに吉田稔麿は、今後もなお池田屋事変を書くひとが出てきて、そのくだりに及ぶごとに斬られてゆくにちがいなく、斬られるだけの存在としてのみ人々の記憶の中にくりかえし記憶されているわけで、人間に霊があるとすれば、吉田稔麿というのはずいぶんつらい霊である。







http://publications.asahi.com/kaidou/01/index.shtml


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T

2015-09-23 | photogenic




高橋歩
『SHOUT69 狂え!叫べ!強く、響け。』★★


新刊出ました。
人待ちでサクッと。
その夜は初寄席→末広亭

装丁は弟さんみたい。




























うん。うん。
連休初日 本気でくじけそうになったけど、、
心の中で歌ってた「これが最後のディトになるわ♪」
でも、でもね、、
やっぱりそれは食と自然な 流れ で「却下」(笑)
だましだまし?
いえいえ
いつでも離脱出来るんだって気持ちのセーブ?
そんなことない。


大切な人を、大切に。


そういうことです。

とろとろなのです。
エロッ
次がどうくるか?それが待ち遠しく色々妄想


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I

2015-09-18 | 糸井重里


糸井重里
『ふたつめのボールのようなことば。』★★

糸井さんの1年分の心に残ることばを集めた、「小さいことばシリーズ」。

ササササッと読み飛ばす。

吉本さんの言葉がやっぱりグッとくる。




























ねぇねぇこの先どうなるのかな?

「カレシなの?」「カノジョなの?」

「お友達と毎日おはようただいまメールする?」
「いや しないでしょう~」

なんなのこの立ち位置

明日なんらかのアクション起こす!



今夜も新宿三丁目★

memo:古地図忘れずに。

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H

2015-09-18 | 作家別諸々(は行)



部屋を考える会
『部屋を活かせば人生が変わる』★★★


先日模様替えした際にこの本の通りに実践→「道」→を作った。
ちゃんと残っているアタマの中
まだ物で溢れているけど、うん。ちがう。


取捨選択


この都心「空間は金なり」に納得


コンビニを冷蔵庫に…って昔はそう思っていたけど、その考えも然り。


「掃除・洗い物・洗濯」を重点に。
特に目新しいことを言っているわけではないけど、実践してみて思うことはある。



邪魔な物よ さようなら。



ついでにあなたも さようなら。

嘘でしょ?



あーーー上手くゆかないこんな時
そりゃあ別腹でゆくでしょう むふふ。



わたしがいてもいなくても。


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K

2015-09-13 | 古処誠二


古処誠二
『ふたつの枷』★★★



音信不通、、
「ただいま」も言えないわけ?
一緒に何がしたいのかどこに行きたいのかわからない。
やめてしまおうか と。
結局求めている人は?



思い立ってお部屋の模様替え
スペースは広くなったけど収納出来ない物で溢れてしまった。。
水曜に一気に捨てよう
今更 断捨離 読んでいる本の影響・・・わたしって単純(笑)



さて古処ワールド


『ワンテムシンシン』

続 ニューギニア


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戦友愛などという言葉は陳腐以外のなにものでもない。


「まあ、なるようにしかならないさ」
それが母国を指しているのか自分の体を指しているのか、


療養所に入れられて回復した例は希である。墓におさまるまで軍務から解放するだけの場だとの了解が暗黙のうちに広がっていた。


マラリアのオコリに抗える者はいない。体の中心から凍えていき、しだいにその範囲は広がる。やがて皮膚の感覚がぼやけ、頭が濁りを帯びる。いつしか全身は震えに覆われる。


原住民と日本人が同居する疎林は、生と死が同居する場所でもあった。


内地では蛮族のように思っていたニューギニアの住民はひどく情緒に溢れていた。


星が空を満たし、ファイア・ボンボンの光が強調されるほどに、シンシンの光景は幻想的な色合いを帯びていく。


「神様ニ、祈ッテル」


逡巡の三日間、やはり砲声のひとつとして聞こえなかった。一度現れた偵察機は爆音だけを響かせて消えた。朝靄の払われたアレキサンダー山系にフールン山が望まれる。世界はどこまでも静かだった。


「戦争がおわりました、はいみなさん集まってくださいとはいかないってことだ」


日中の静寂に気味の悪さを感じるほどニューギニアの戦いは長かった。


宣撫とは、住民を敵に回さないことではない。手懐けることでもない。彼らを友とすることである。ともに働き、ともに食べる。もう一歩踏み込んで解釈すれば感情や感覚を共有することである。


どこに暮らす人間であろうと死に意味を見出す点で変わりはなく、それは肉体の死滅と魂の死滅が異なるとの答えに達し、異世界への旅立ちや生まれ変わりという考え方を生み出した。


飛行機が現れるたびに隠れ、爆弾が落ちるたびに震える生活の終わりを、すべての人間が心の底から喜んでいた。








--------


『帰着』

こちらはビルマ


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「小隊長殿がすっかり参っていてな。いっそビルマに住むのも悪くないなどと言い始めた」


生に縋ったがが最後、死の恐怖は巨大化するとの不安が込み上げた。








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『スコールに与えられた時間』

サイパン


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張り切り少尉という言葉がありますね。まさしくそれです。つまりあなたは、兵隊から見たとき疎ましくもある将校でした。


直撃弾というものは、その音すら聞こえないのだとわたしは知りました。人間の耳では拾いきれない音なのでしょう。ただ、地面が覆るような激震と熱風を感じました。


わたしはいつか日本人に向けて発砲するかも知れない。
敵に向けたこともない銃を、いつか同胞に向けるかもしれない。


ソロモン群島やニューギニアで将兵を苦しめたというマラリアはサイパン島にはない。


勝敗のゆくえはさておき、誰もが納得のできる戦いを求めていたはずです。


班長殿いわく、中隊長殿が心の脆さを露呈した時期を特定するのはむずかしいとのことでした。浜頭堡への夜襲時だとも言えるし、沖に初めて米艦を見たときだとも言えるし、もっと言えば横浜港を出るときだとも言えるそうです。


敵が弱らない限り、戦い続けねばならない。


戦は戦闘ではない。
戦の苦痛は激しさに比例するのではなく、戦闘態勢を維持する時間の長さに比例する。煎じ詰めれば、士気を維持し、補給を維持し、命を維持する根比べだということになります。


人心地つく。
何気なく使ってきた言葉ですが、字面を考えるとまったくその通りだと思います。人心地とは、つまり理性の回復です。おかげで我々は人間らしくこの夜を迎えられました。
サイパンでは、雨水を天水と呼ぶのだとか。







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『死者の生きる山』




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問題は、お互いが人間であり人間であるからには食わねばならないことであった。


石鹸はかつての戦利品だろうラックスである。使い古しではあるものの香りはまだ残っていた。
「不必要に思案を巡らせるな。今日は調達班からも外す。しっかり垢を落としてこい」


「タガログ語はどこで覚えた?」
「マニラで集合教育を受けたのです。教育といっても座学はほとんどありませんでしたが」
「習うより慣れろか」


兵の心の荒みは、日本軍の秩序が崩壊しつつあることを物語っていた。罪を取り締まる力も衰えている。


日本が降伏しても戦は続く。
平穏な生活はとても望めない。


健兵として動くのは健康を保つ兵隊ではない。とうに命を捨てた兵隊である。


潔い自決と処理されることが、病と過去に苦しんだ兵隊の最後の望みだった。


負けを認めさえしなければ負けではない。たとえ日本本土を占領されようと戦い続けることは可能である。


「軍隊と運隊とはよく言ったものだ。どう言葉を弄したところで運ばかりは神の采配だ」

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K

2015-09-13 | 古処誠二


古処誠二
『線』★★★★

最後の新刊は『メフェナーボウンのつどう道』だった記憶
でもパプアニューギニアの地図を見たら再読?
再読でした。。

心に沁みる。


今月は古処月としましょうか(笑)

戦争月ですね。

色々な意味で、、
「もう連絡してこないで」
「わたしに興味ないでしょう?」



---



人は恐怖より信頼で動く生き物だった。


「お前はしばらく死なないだろうよ。俺もしばらく死なない。後ろの老兵と坊主もしばらく死なない」
「どうして言い切れる」
「勘だ」








「腹がへっては戦はできぬとは、まったく非の打ち所のない諺だな」


勝手に上陸してきて勝手に腹をすかせている。原住民にはまったく不可解な人間だった。目の光る鉄の獣を操り、奇声をあげる鉄の鳥を操る力を有していながら、なぜか食い物に困っている。あげく他人のものを盗んで回る。そんな苦労をするくらいなら、さっさと自分の国に帰ればいいはずだった。


壕内にまで押し寄せた爆風にうなじが焼けた。降り注ぐ泥は熱湯のようで、掩蓋のない壕に入った者たちは残らず悲鳴を上げた。母親を呼ぶ班員の声がし、そばで誰かがのたうち回った。


すべてが悪循環に陥っていた。不信が不正を招き、不正が不信を煽り、他人を押しのけることばかりに誰もが懸命だった。


「死んでしまえば苦労はない」








「敵弾に当たらないまま後退してくる兵隊は卑怯者だ」


味は感じられなかった。熱帯性マラリアが味覚を奪っていることはもとより、塩がないからだった。


兵隊生活とは、端的に言えば流離に他ならなかった。








「自分がよく言い聞かせておきます。分隊長殿、どうか今日のところは堪えてください」


ふと鳥肌が立つのを感じた。濡れた軍衣のせいではない。意図せずに発した自分の言葉がこの世の本質を突いているような気がした。


望む平和の形が異なるから戦は起きる。


「虚言を信じずに誰がこんな戦を耐えられますか」
虚言を虚言と言い放つ人間が行く場所などない。戦時とは、きっとそういう世の中のことだった。


「家に帰りたいって顔してるな。お母ちゃんに会いたいか」


戦地で触れる上官の脆い心は毒でしかなかった。







馬の涙ほど身に応えるものはない。


馬のわがままに対しては無言で見つめるのが最適だと実家で学んでいた。








争いに幕を引く方法は、泣くことと譲ること以外に知らなかった。手のかからない点ではありがたくとも、親からすれば不甲斐ない子供だったはずである。


この時代に兵隊となった男はことごとく不幸だった。


苦戦が続いていると誰でも一度は捨て鉢になるのだと言葉が継がれた。


「あんたも独り身だろう。なに、心配いらない。今はいい義足もある。金鵄勲章をもらえば嫁取りにも苦労はない。年金もらって瀬戸物屋
を開くのも悪くないだろうよ」


昨夜の上等兵が饒舌だったのも、戦傷は名誉で戦病は不名誉という不文律があるからだった。


「おたく、マラリアは?」
「ありません。妙なところばかり強運で」
これまで死なずにいたことも強運なら、「戦傷」による後送となったことも強運である。


「どうもこの戦はうまくないと思いますね。兵隊さんに申し訳ないですが、素人のわたしから見てもニューギニアには手を出すべきではなかったと分かります」


「とにかく、こんな土地は一刻も早く捨てるべきです」
「・・・・・・偉そうなこと言うな」


十歩進むにも時間のかかる戦病者に辟易し、武勇を誇示する戦傷者いも辟易していた。








「今日にでもまた白豚が来るきに、コンビーフとビスケット奪っちゃる」


ニューギニアは悪疫と泥濘の世界である。


マラリアはときに記憶も削ぐ病だった。


「勝ち気なところはさすがに工兵だな」


タコツボで耐える兵長には、永遠にも感じられただろう。
兵長の意識は二度と戻らなかった。夜を待って本陣地へ運び込んだときには息を引き取っていた。


兵は飢えつつある。米の備蓄はあると言われているが配給量はまた別の問題なのだろう。戦いがいつまで続くのか誰にも分からず、節食に節食が重なっていた。砲爆撃による野戦倉庫の焼失も勘案すれば、とにかく毎日食えるだけでありがたいと思わねばならなかった。


脳症を起こしたマラリア患者も、自分が狂っているとは思っていないだろう。


「ぱんぱんだよ。目なんか糸のようだ」


戦だからドンパチやると思っていたら大間違いだと、大陸を経験した兵隊に聞いたことがある。
歩兵でも、よほど機会がなければ銃など使いはしない。ただ歩き、ただ寝床を確保する。目的も知らされないまま駐屯地を出たかと思えば、平原の真ん中で二句三句と露営して引き返すことも稀ではない。無意味の反復には頭がいかれそうになるという声すら聞いたことがあった。
大陸における戦がそうとなれば、水の溜まるタコツボでの時間は拷問といって間違いない。


ソロモン諸島のガダルカナルという島でも戦いが激しさを増しているという。


「台湾軍は元気がええ。裸足とは恐れ入る」


バサブァ最後の陣地は泥水と腐水と下痢に占められ、生者と死者の区別すら満足につかなかった。


日本の将兵は勝手に飢え、勝手にやみ、勝手に死んできた。


自然の力に人智はおよばない。
名も顔も消し去られていく。








よくできた下士官とは、物事を曖昧に処理する人間に違いなかった。


「借りは必ず返すけん」


人は死とともに無になる。

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911 311

2015-09-07 | 311


『東京防災』

金曜ポストに入ってた。
思わず全部目を通して「ほぅほぅ」
新たな防災知識とご近所のお友達と避難場所を確認しあう。
よいことだと思う。

我が危険地帯な街

「気をつけてね」



webでも→www.bousai.metro.tokyo.jp/book/main/index.html



1. 大震災シミュレーション(地震発生の瞬間から避難、復興までをシミュレート)
2. 今やろう 防災アクション(今すぐできる災害の備え)
3. そのほかの災害と対策(地震以外の東京に潜む様々な災害と対策の解説)
4. もしもマニュアル(災害発生時に役立つ知恵や工夫をイラスト付きで解説)
5. 知っておきたい災害知識(災害に関する知識のまとめ)
6. 漫画 TOKYO“X”DAY(かわぐちかいじ氏オリジナル漫画)

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S

2015-09-06 | 椎名誠


椎名誠
『ぼくがいま、死について思うこと』★★★★

ちょっと避けたいかなと思った。
いつも旅行記一辺倒でそれが好きなのもあって。

過去 衝撃を受けたこともあるしね。



---



「日本人は墓参りのときに墓のまわりに生えた雑草をみんな抜いてしまい、かわりに切り花を供えますね。自分ら先祖が埋葬されている墓から生まれてきた植物の新しい“命”を無造作に抜き取り、切り花という、つまりは“殺して”しまった花を供えるのは、意識としておかしいではありませんか。わたしは逆であってほしいと考えます」

ううむ・・・



チベットの「カイラス」への巡礼での五体投地拝礼

YouTubeで見たけどスゴイ・・・



鳥葬・・・

チベットの死生観でとくに興味を持ったのは、死者の痕跡を一切なくしてしまうというシキタリだった。当人の写真はもちろん故人の書いた文字や持っていたもの、衣類などは故人の顔だけハサミで切り抜いて無くしてしまう。そういうわけだからもちろん墓などないし、日本などでは当然である仏壇や位牌や豪華な写真立ての中の故人の笑顔の写真など何もない。死者は、遺体はもちろん生きてきた痕跡のすべてをこの世から消失させてしまうのだ。



「エスキモー」(生肉を食う人)

昔そんな名のアイスクリームメーカーなかった?



エンバーミング



「サードマン現象」
それは「幻覚上の遊び友達」



「人間の脳細胞は閉鎖型だ。つまりある程度の年齢になると(それはたぶん成人というやつだ)脳細胞は破損しても新規に補充されることはない。逆に流失していくだけだ。減少していく脳細胞でそのあとの自分の人生をやりくりしていくしかないんだ。脳細胞をはじめとした体の細胞も等しく疲弊していく。一日の単位で、一年の単位で、十年の単位で。だから、一日の単位で考えると限られた細胞でも夜ぐっすり眠れば朝方はいくらかはチューンアップされているとみていい。一日過ごして夜更けにヨレヨレに疲弊している状態よりは、栄養と休息をとった早朝の脳細胞でモノを考えたほうが、サケで爤れた深夜よりはいくらか効果的な筈だ」



「悪運が強い」



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わたしの「夢」それは叶えられるのかな?

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