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もう一度、投げたかった

2020-07-19 21:30:00 | 読書


「もう一度、投げたかった 炎のストッパー津田恒美最後の闘い」
山登義明、大古滋久著、NHK出版、1994年9月

明日7月20日は広島東洋カープの元投手、津田恒美の命日ということで、
「もう一度、投げたかった 炎のストッパー津田恒美最後の闘い」を読み返してみました。

津田が亡くなったのは1993年7月20日。
本書は1994年5月にNHKスペシャルで放映された内容を書籍化し、
1994年9月に出版されました。

序章で1991年4月14日最後の登板のことを触れていますが、
前半は幼少期から全盛期まで。

津田‐達川がバッテリー、打者がヤクルトの大杉のとき、
達川が「こんなバッター、石ころと一緒じゃけ」と言ったら、
大杉がホームランを打って、ベース一周して戻ってきたところで、
達川の頭をたたいた話。

巨人の現監督原が津田の速球に対してフルスイングでファールしたら、左手首を骨折した話。

阪神のバースに対して、津田が速球で3球勝負して、くそボールを空振りして三振した話。

どれも懐かしいです。
ただ、現役時代から肩痛や指の血行障害に悩まされていました。


後半は脳腫瘍の闘病生活。

1991年4月14日の最後の登板からわずか10日程度で脳腫瘍と診断され、大手術を受けたこと。

7月から9月まで、立つことも話すこともおぼつかなかったこと。

初めて聞いたときは衝撃でした。


1991年9月から奇跡的に回復し、翌1992年5月にはジムでトレーニングをしていたこと。

1992年6月以降症状が悪化しますが、翌1993年7月まで1年以上命はあったこと。

子どもが幼かったこともあると思いますが、生きたかったし、
何より野球がしたかったんだろうなあと感じました。


余命宣告された後、家族はどうしたらいいのかについても考えさせられます。

約30年経っており、当時から医療技術も進歩していると思いますが、
西洋医学か東洋医学か。病院で過ごすか家で過ごすか。
津田の場合も家族で意見が分かれますが、難しい問題です。



いまは幻冬舎から文庫版が出版されています。


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