家をパワースポット、サンクチュアリに(心地良い住まいと終の住処作り)

2024年02月14日 22時34分15秒 | 家のこと

 今日は更に暖かい一日でした。

最高気温が17.2℃、最低気温は2.5℃。

 今朝の果物

 今日は長い間の懸案事項だった「家」について、専門家のご意見を頂き、やっと方向性が見えてきました。

ひとりで考えていてもぐるぐる同じことばかり考えてしまって進展なし。

今回は思い切ってご相談して本当に良かったです。

ご相談のお相手はこの方。

 

牛窓の建築士さんも同席され、本当にお世話になりました。

駅までお迎えに行って下さって、我が家と牛窓の家の両方の図面も用意して下さっていたのでお話が早い。

 田中先生は9時46分着で京都から来て下さいました。

お迎えに行って下さっている間、私は和菓子屋さんとフルーツタルトのお店のガウディへ。

まずは和菓子とお煎茶をお出ししました。

和菓子は写真を撮るのをすっかり忘れていましたが、うぐいす餅と練り切りの「紅梅」。

一服して頂き、又、牛窓の建築士さんのMさんがお弁当を取りに行って下さっている間に、家の中をご案内しました。

図面があるから本当にお話が早い。

その後、「椿」のお弁当を頂きながらいろいろなお話をしました。

 

「椿」のお料理には日本の美が詰まっています。

しかも、上品なお味で美味しい

 

結論から言えば、やはり10人居れば9人は牛窓がいいと言うに違いないとおっしゃっていました。

それは風光明媚な牛窓という土地柄、温暖な気候、四季を感じられ、島々がある安心感等など。

それに加えて、子供が小さかった時には毎週のように行ってはバーベキューをしたり泊まったりした思い出の地であること。

又、ご近所さんとの関係も良好なこと。

不便さは今は昔ほどはなくなってきたと言われていました。

ネット社会になりましたから。

「終の住処」は牛窓ですが、今は修繕しつつ貸して行く方向がいいようです。

(実際に移り住む時にすぐに使える)

牛窓は間違いなく移住したい地のランキング10とか20があるなら、必ず入ると言われていました。

そういう場所に家があることは「維持管理も大変だろうけれども本当にラッキー」なことのようです。

 そして、今住んでいる家については冬の寒さ対策が一番だそうで、ヒートショックが怖いと言われていろいろなアドバイスを下さいました。

私の話からどうするのが一番いいか、又、いずれは引っ越すので最低限のリフォームで、いかに快適に暮らすかを考えて下さいました。

こちらもスーパーまでの距離とか近所の様子なども考慮されてのアドバイス。

理想的な終の住処は十人十色。

今、85歳の方がわざわざ2階を中心に作られているそうです。

(こういう場合はもちろん階段をゆるやかにする等考えられています)

又、マンションをリフォームされている方も。

段差の全くない、温度管理された究極のものを目指すと施設に行き着くと言われていました。

でも、生活の中での不自由さやその刺激が大切ではないかということは私も感じてきました。

以前、寝具を買い替えた時もそれ用のベッドにはしないように言われました。

人間、段々と慣れて横着になっていくので。

ということで、我が家の場合は南と北側にある和室を間にある押し入れや壁を取り外して一部屋にすることでかなりの今の困った部分、居心地の悪さが解消されるとのことでした。

なるほどなぁ~~~と思いがけない提案でしたが、とっても納得。

とにかく支出を最低限に留めるわけですが、今の勝手口はお部屋にする。

すでにお部屋にはなっていますが広い勝手口となっていました。

ここを私の寝室にします。

特の母が家にいる間はここを使うことで母にももっと近くなり誰も通らないので落ち着きます。

そして、以前のように正式な玄関を使うことで、母の表装なども又陽の目を見ます。

小さな勝手口なら今もお台所にあるのでそれを利用してもいいわけで。

むしろ私はずっとここを使いたかったのですが、母が箱物が好きで、小さな部屋、小屋を結構作っていて、使わず壊れかけていたのをつぶしたものもあります。

ここもそんな箱物のひとつになっています。

 その他、断熱についてもいろいろなアドバイスを下さり、最終的には大手のリフォーム会社に見積もりの「松・竹・梅」を取り、それをたたき台にして、ご近所の大工さんに頼むと多分、一番コストが安く仕上がると言われました。

 帰られたあと、大手のリフォーム会社にメールをしたところ、夕方には資料を持っていらしたのでびっくり

(先生との関連はありません)

 アフタヌーンティー

 

 

 

Before Afterにも出演なさったことがおありでその時のお話を伺ったり、先生の長女さんも国際結婚しどちらもドクターでいらっしゃるそうです。

ご著書によって依頼が多くなったそうですが、あまりにもお安いお値段をお聞きすると「やはり皆さん、終の住処を作りたいわけで老後に向かってコストは抑えたいですから」

穏やかな方でした。

 

普通は2時間のようですが、我が家は一日がかりで来て下さってもお値段は一緒。

京都旅行のお話もしましたら、又、お勧め場所等メールしますと言って下さいました。

そして、困ったらいつでもメールを下さいと。

(無料のようです)

お風呂をユニットバスに換えれば母も入浴出来そうです。

 牛窓の建築士のMさんはいろいろ手伝って下さって、「アフタヌーンティー」まで居て下さって次のお仕事へ。

「又、牛窓の有機野菜を持って来ますね~」と言われながら

 使わなくなっていたお玄関。

当然、母の創った掛け軸も今までのように頻繁に掛け直さなくなっていました。

今回、コメントでsayokoさんが母のこの趣味のことを覚えて下さっていて嬉しく思いました。

 

このような着物姿の女性の作品は3つあります。

今回は「紫式部」で母の落款がありますので、絵も母が描き、掛け軸にしたものです。

あとの2つは「清少納言」と「小野小町」。

先日の「光る君へ」で清少納言が出てきましたので、又、軸を替える時には「清少納言」も出してみます。

 

sayokoさんが「アップを」とのことでしたので、アップをアップします

母も喜ぶと思います。

明日、帰ってきたら話そうと思っています。

 

 

 

お花のある暮らしはやはりいいものです。

お玄関にお生花を生ける時にはお花の安いお店でまとめがいしますので、家中がお花でいっぱいになります。

外のフリフリビオラ

 

 

公園の梅

 

 

 

公園のご近所の椿

 

 今日も良い一日でした。

一歩も二歩も進めそうです。

そう言えば、先生に「物が多くないですか」と伺ってみました。

すると築年数からしたらかなりすっきりしているとのこと。

むしろ少ないと言われて、断捨離の効果ありです

これからも心地よい居住空間を目指して、家がパワースポット、サンクチュアリになるようにしたいです。

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.14

安藤忠雄氏が語る日本が立ち直れない理由

世界中から大変だと言われながら
日本がなかなか立ち直れないのは、
まだ結構余裕があるからだと思うんですね。
余裕があるから緊張感も出ないんです。
━━━━━━━━━━━━━━
安藤忠雄(建築家)
○『一生学べる仕事力大全』(致知出版社)より
━━━━━━━━━━━━━━

●日本を代表する建築家・安藤忠雄さん。
多くの人々を惹きつけてやまない、
その比類ない建築が世に知られるまでは
〝負け戦〟の連続だったといいます。
なぜ度重なる逆境を乗り越えてこられたか、
自身の勝負哲学を語っていただきました。
ウシオ電機会長・牛尾治朗氏との
対談の一部を紹介します。
こちらから

★致知出版社の「ご縁メール」

≪人生は仕事の中でしか学べない≫


道なき道をひらく。

前横浜市長の林文子さんは、
そのようにして人生を切り開いてこられました。

トップセールスとして自動車業界を牽引したのち、
BMWやダイエーなどの大企業の経営職を歴任。

横浜市長を3期務められ、
待機児童問題を解決されました。

そんな林さんにとって、
30代で自動車業界に出逢うまでは、
まさに苦難の連続でした。

そこで本日は、最新号に登場された林さんの
記事の中から、人生を変えた自動車業界に
出逢うまでの歩みを語ったくだりを
ご紹介します。


取材の様子はこちら
───────────────────


「女性の幸せは結婚です。
 5年ほど働き、よい相手を見つけて、
 家庭を守ることに専念してください」

意気揚々と入社した会社で、
上司に最初に言い渡されたのがこの言葉でした。

昨今同じ発言をすれば大問題ですが、
当時は男性と女性の仕事に明確な線が引かれ、
結婚すれば女性は退職するという暗黙の了解がありました。


実際に周りを見渡すと、
30代の女性の先輩はほとんどいません。


いくら社歴を重ねても、
任せられる仕事はお茶汲みやコピー取り、
そして簡単な事務補助だけ。

同期の男性社員がイキイキと
営業に出掛ける姿を目にするたび、
やり切れない思いでいっぱいでした。


最初から最後まで責任を持って取り組める仕事がしたい。


その思いに駆られ、松下電器産業(現・パナソニック)を
はじめとした職場を転々としました。

しかし、どこに行っても望んでいた
仕事に巡り合うことはできません。


結果として、23歳での結婚から
約8年間で7回の転職を重ねました。


やりがいのある仕事を求め、
独り暗いトンネルを走っているようでした。


それでも、
この苦労は決して無駄ではありませんでした。


目上の人に対するマナーや言葉遣いなど、
ビジネスの基礎を叩き込まれたことは大変有り難く、
いまでも感謝の気持ちでいっぱいです。

そして何より、悔しさを糧に、
与えられた仕事に一所懸命励んだ経験が、
その後の大きな財産になりました。

目の前の仕事に工夫を凝らし
無我夢中に取り組むことで、
必ず答えは返ってきます。


転機が訪れたのは、30歳の頃。

クルマを買い替えるため、
販売店に出向いた時のことです。


お世話になった販売員は成績優秀でしたが、
大変口下手でこちらの意図がなかなか通じません。

何度かその人に会ううちに、
ふと一つの思案が頭に浮かびました。

おとなしい人にも拘らず、
クルマを多く売ることができる。

一方、私は話し好きな上、
クルマの運転が好きで堪(たま)らない。

営業は実績がものを言う世界だからこそ、
男女の違いはないのかもしれないと。


そんな折、自宅近くのホンダの販売店で
販売員募集の広告を偶然目にし、即刻電話。

当初は女性の販売員の前例がないために、
あっさり断られてしまいましたが、
諦めずに懇願し続けました。

やはり、熱意は人の心を打つのでしょう。

何とか面接に漕(こ)ぎつけた末、
採用いただけたのです。

この車販売との邂逅(かいこう)が、
私の人生を大きく変えました。


1977年、31歳の時でした。

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髪を切りました&バタバタ~

2024年02月13日 21時20分00秒 | 生活

 今日は暖かい気持ちのいい一日(15.6℃)でした。

が、朝はマイナス0.5℃だったようです。

土壇場になってバタバタとよく動きました。

 

 

 今朝の果物

 

 明日は京都から建築士さんをお迎えする為、一日お掃除や片付けをする予定でしたが、結局夕方になってバタバタと~

季節が変わって春がやってくるのでワクワクしているこの頃。

旅にも行きますし、そういう時には髪を切りたくなります。

ここのところネットから予約しようとHPを見ていましたがいつも予約でいっぱい。

でも、当日キャンセルが出た場合受けて下さるので電話をしてみたところ、ラッキーなことに「12時半からカットだけなら出来ます」

まずはゆうちょに行き、その足でお花を買いに行きました。

教会に寄ってリサイクルの段ボールを降ろし、いつものようにお祈りをして、一旦お花を降ろしに家に寄りました。

そして、美容院へ。

髪はセミロングになっていて、肩のあたりではねていましたが、今はこのはねているのが流行りだそうです。

もう31cmのドネーションも出来ませんので切ろうと思っていましたが、やわらかいフェミニンが似合うと言われて、結局はあまり切りませんでしたが、それでも頭がすっきり軽くなりました。

面倒くさがり屋の私は手ぐしなどで簡単にまとまるのがベスト。

カラーもアイロンも無理無理~

幸い、私はまだ染めなくていいですし、髪の毛が細く少しウエーブがかかっているそうなので(若い頃はストレートでした)、今のままでいいと言われました。

「軽くパーマをかけたらより簡単かも」と言われて、予約をして帰りました。

髪が綺麗になったら益々ルンルン

明日のお弁当のお支払いに「日本料理店 椿」に寄り、お買い物をして帰ったのは2時半頃。

 

帰ってからご飯を食べて、モーツアルトの「木の葉」のロールケーキとコーヒーでお茶を楽しみました。

  その後、まずはお玄関にお花を生けました。

お玄関にお花を生けるのは久し振りです。

桃の花、シンビジウム、白菊、桜

掛け軸を「紫式部」に替えました。

もちろん母の作品です。

 

暗くて綺麗に撮れませんでしたので、明日、又撮影します。

玄関の廻りに、八重の水仙が咲いていました。

 

その後、一気に片付け。

やれやれ。

大体、明日の準備が終わりました。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.2.13

 

ドラッカーが語る、リーダーをリーダーたらしめるもの

 

リーダーをリーダーたらしめるものは、
肩書ではない。
範となることによってである。
━━━━━━━━━━━━━━
ドラッカー(経営学者)
○月刊『致知』2024年3月号
連載「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」より
━━━━━━━━━━━━━━

上掲の言葉は、次のように続きます。

「そして最高の範となることが、
ミッションへの貢献を通じて自らを大きな存在にし、
自らを尊敬できる存在にすることである」

●ドラッカー学会共同代表理事・佐藤等氏による
「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」は、
毎月、ドラッカーの教えを学べる好評連載です。
こちらから

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急きょ外出

2024年02月12日 20時58分00秒 | 友人との時間

 昨夜、夜更かしをして韓流ドラマを観ていましたが、ほとんどうたた寝状態

今朝は行く予定もゴミ捨てもない日でしたので、お布団の中でダラダラと過ごしました。

お台所に降りたのは7時過ぎ

あまりお腹も空いていませんでしたので、お味噌汁だけ飲みながらいつものBSでの朝ドラを楽しみました。

・・・とそこへ友人から用事がなくなったので革製品の展示会に行ってみないかとの誘いが

水曜日の為にお掃除しなくちゃ。。。でしたが、2時には彼女も家に帰らないといけないと言いましたので、一緒に出掛けることにしました。

 今日はいいお天気

でも、やっぱりお昼近くには曇ってきました。

母のお布団を洗って干していましたので、雨を心配しましたが大丈夫でした

 古い大きな家々が残る街の中の古民家が展示場でした。

 

丁寧に創られていました。

 

 

 友人がこの黒いお花のモチーフの付いたバッグを購入。

これが大きさも革のやわらかさも良い感じでした。

 

 

この時期にホトトギス

1時間少々過ごして、岡山県立図書館へ。

そして、近所の「山珍 (さんちん)の豚まんが食べたい」との友人のリクエストで買いに行き、その向かいの「モーツアルト」でケーキを買い

ました。

 

バレンタインが近いですから、私はこのチョコレートのケーキ。

「モーツアルト」のケーキは「スーリィ・ラ・セーヌ」に続いて岡山では第2位の人気とか

どちらのケーキも久し振りです。

このミルフィーユも美味しそうでした

ケーキは我が家で食べることにして、豚まんは県立図書館の裏の広場で温かいうちに食べることにしました。

図書館の裏手には岡山城や後楽園があります。

岡山城も綺麗になり、内部も岡山出身の歴史学者の磯田道史さん監修でとても面白くなっています。

 

久し振りに食べる山珍 (さんちん)の豚まんを美味しく頂いた後は・・・

~広東菜館山珍のホームページより~

1963年(昭和38年)の創業以来、広東菜館山珍は無添加のおいしさを追求し続けてきました。トロトロ角煮、たっぷりキャベツにうずらの玉子が入った山珍自慢の豚まんは、各メディアで取り上げられ、多い日には一日1,800個の売り上げ、ネット販売では最長一年半お待ちいただくほどの看板メニューとなっております。是非職人の手作りによる伝統の味をご賞味ください。

 

我が家に帰ってコーヒーを淹れました。

 

チョコがあまり好きではない友人が選んだのがフランボワーズのケーキ。

  

山珍の中華弁当

 

お腹がいっぱいで(ケーキも残してしまいましたが、楽しみは明日に)明日、本格的に食べようと思って購入。

明日は一日お掃除をがんばりますので。

少し食べてみましたが、久々の味はやはり変わりなく美味しかったです。

 

 

 

 夕方、今、母が行っているショート先よりお電話がありました。

朝のお迎えの運転手さんの件でした。

介護の資格のない運転手さんとのことで、今後、どこまで出来るか話し合っていきたいと言われていました。

 

 

 

 

 その後、娘から珍しくWhatsApp。

朝にはお婿ちゃんが写真などを送って来てくれていました。

「Bじゃなくてごめんよ~」と娘

アメリカへの申請の書類がネット環境が悪いのかエラーが出るので日本からも試してほしいとのこと。

やはりエラーが出ましたのでアメリカのそこの問題だとなりましたが・・・。

娘に仕事の様子を尋ねると「随分と忙しい」と言っていました。

娘の方は救急なのでどこもそうなのでしょう。

最後に「Bに替わろうか

もしかして、気を遣ってる

「いや、いいよ~。よろしく伝えてね」ということで切りました。

向こうでBが叫んでいました

"Mama~,I love youuuuuuu"

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.2.12

 

【取材手記】ソーシャルビジネスに尽力する社長たちを突き動かすもの


問題に直面した時に逃げずに
真面目に向き合い続ける姿勢、
そしてその姿勢をコツコツと、
いままで20年間、やり続けてきました。
━━━━━━━━━━━━━━
更家悠介(サラヤ社長)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●【取材手記】ソーシャルビジネスに尽力する
サラヤとユーグレナ。両社長を突き動かす熱い思い。

こちらからお読みいただけます

●SDGs(持続可能な開発目標)が掲げられて
10年が経とうとしています。
しかし、我われは日常生活の中で
どれほど意識した行動がとれているでしょうか。
本業のビジネスを通じて社会課題を解決し、
持続可能な社会の実現を目指す
サラヤの更家悠介社長とユーグレナの出雲充社長。
取材では、ソーシャルビジネスの先駆者であるお二人に、
語り合っていただきました。

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眠くって&「京の冬の旅」

2024年02月11日 21時32分00秒 | 掃除、片付け、断捨離

 今日はもう眠くって眠くって。。。

それでもするべきことをがんばってしておかないと後が大変なのでがんばりました

 

 

 

 今朝の果物

今朝のヘルパーさんが母に「お元気そうですね~」

そう言われても「そんなことはない」と母は言うのですが、本当に髪もシルバーでお肌も白くなってつやっつやっ。

私の肌より若くて綺麗なのではないかと思い、母に言いますと「本当~ じゃあ、鏡を見せて」

これを聞かれてペルパーさんが「かわいい~

母はまじまじと自分の顔を見ていました。

どう思ったかは不明です

その後、マニキュアを塗ってあげました。

ここのところ寝ることが多いので、パックなどのお肌のお手入れは今週末も出来ませんでした。

 

 

 

 母が行った後、疲れて少し休憩がしたかったのですが、お洗濯、片付け、掃除などを1時半迄がんばりました。

そして、昼食はそのあたりにある残りもので済ませ、ちょっと休憩。

もう眠くって眠くって・・・

うとっとしつつも、あれこれしました。

もう家の片付けはキリがないです。

 水曜日のバレンタインデーの日にはいよいよ京都から建築士さんがいらっしゃる日です。

まだまだ先だと思っていましたが、月日の経つのは本当に早いです。

いろいろと今後のことについてアドバイスを頂けたらと思っています。

牛窓の女性の建築士さんも同席して下さいますので心強いです。

 

 

 

  パンジー、ヴィオラがいつの間に株が大きくなったのか花数がとても多くなっていました。

 

 

 

 2月14日の水曜日のイベントが終わったら、次は2月26日、27日の冬の京都への旅。

その後は友人の誕生日で昨年行けなかったお店に今年は行こうと早々に予約をしました。

私達の年代になると「又、次回に、機会があれば・・・」はもうないと思います。

よほど、行きたいと意図しない限りは行けない。

ですから、行ける時に行っておこうと思います。

 友人が最初の頃京都の宿泊先について、ホテルの中にお寺があるホテルとか、名前は忘れましたが素敵な旅館に泊まりたいと言って選んでいましたが、アパホテルが駅のそばで安くて朝食付きでいいのではないかと今朝ラインをしてきました。

まだ宿泊先は決めていませんが、今回の私の第一条件は駅から近いこと。

初日は荷物を置いて個人でお寺巡りをするでしょうから。

 2日目はバスツアーがこの日のこのコースだけ空いていましたので、それをもう友人が予約してくれています。

そのバスツアーはこれです。

時間は確か10時~3時半までの5時間半コース。

~大河ドラマ「光る君へ」放映にちなんだ特別コース~【特別公開】紫式部と源氏物語ゆかりの地をたずねて

01
廬山寺ろざんじ
「京の冬の旅」37年ぶりの公開
紫式部の邸宅跡。「源氏庭」や寺宝特別展示、「鬼大師像」や明智光秀の念持仏を祀る特別公開の元三大師堂(がんざんだいしどう)がみどころ。

02
渉成園(枳殻邸)園林堂しょうせいえん(きこくてい)おんりんどう
渉成園は「京の冬の旅」51年ぶりの公開、園林堂は「京の冬の旅」初公開
光源氏のモデル・源融(みなもとのとおる)ゆかりの名勝庭園。通常非公開の「閬風亭(ろうふうてい)」、「園林堂」の棟方志功の肉筆の襖絵も合わせて拝観。

03
清凉寺せいりょうじ
【本堂拝観(本尊特別御開帳)及び霊宝館の特別拝観】
ここに山荘があった源融の顔をモデルに作られたという阿弥陀如来坐像(国宝)を、霊宝館にてバスコース乗客の方のみ特別に拝観。本堂で三国伝来の釈迦如来立像(国宝)の特別御開帳も!

釈迦如来像の胎内から出てきた絹で作られた「五臓六腑(ごぞうろっぷ)」は必見

04
西陣魚新にしじんうおしん
京料理
安政2年(1855)創業、御所御用もつとめた風格ある西陣の老舗料亭で京料理をご賞味いただきます。

 

その他、この冬の特別拝観は以下のようです。

(抜けているお寺もあると思います)

●相国寺 光源院しょうこくじ こうげんいん
「京の冬の旅」初公開
神變大菩薩(じんべんだいぼさつ)(役行者)像を祀る行者堂、十二支を描いた襖絵や、昔話をちりばめた色彩豊かな襖絵で飾られた本堂を拝観。

●相国寺 法堂・方丈しょうこくじ はっとう・ほうじょう
「京の冬の旅」6年ぶりの公開
狩野光信筆の天井画「蟠龍(ばんりゅう)図」が残る法堂(重文)、方丈の障壁画や対照的な2つの枯山水庭園がみどころ。

●相国寺 慈雲院しょうこくじ じうんいん
「京の冬の旅」初公開
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が師と仰いだ大典(だいてん)禅師ゆかりの寺。岸連山筆の虎の板戸や、足利義俊筆の「松鶴図」、室町時代の伝明兆(みんちょう)筆の「涅槃図(ねはんず)」などの寺宝もみどころ。

●大徳寺 龍源院だいとくじ りょうげんいん
「京の冬の旅」初公開
特別公開の開祖堂は龍の天井画がみどころ。曾我蛇足筆と伝わる龍の掛軸など寺宝も特別展示。
「竜吟庭」や「東滴壺(とうてきこ)」など「洛北の苔寺」ともいわれる4つの庭が美しい。

●大徳寺 法堂・仏殿だいとくじ はっとう・ぶつでん
「鳴き龍」で知られる法堂(重文)の狩野探幽筆「雲龍図」と仏殿(重文)を拝観。

●仁和寺 金堂(裏堂)にんなじ こんどう(うらどう)
裏堂は「京の冬の旅」初公開
2018年秋まで370年以上非公開だった金堂(国宝)の須弥壇の背面(裏堂)に描かれた「五大明王壁画」を僧侶の案内で拝観。

●泉涌寺 舎利殿せんにゅうじ しゃりでん
「京の冬の旅」6年ぶりの公開
通常非公開の舎利殿の狩野山雪筆天井画「雲龍図」、土佐光文(とさみつぶみ)筆『源氏物語図屏風』の特別展示のほか、仏殿(重文)や「楊貴妃観音(ようきひかんのん)」(重文)を祀る観音堂も拝観。

●泉涌寺 雲龍院せんにゅうじ うんりゅういん
本堂「龍華殿(りゅうげでん)」(重文)で通常非公開の襖絵「双龍風雷図」を公開。辰年の護り本尊「普賢延命菩薩(ふげんえんめいぼさつ)像」など龍ゆかりの寺宝も展示。

●《世界遺産》西本願寺 飛雲閣(外観)にしほんがんじ ひうんかく(がいかん)
「京の冬の旅」44年ぶりの公開
非対称(アシンメトリー)建築の美を誇る飛雲閣(国宝)は、空に浮かぶ雲のようだということから名づけられた桃山文化を代表する名建築の一つ。周囲に広がる庭園「滴翠園(てきすいえん)」(名勝)もみどころ。

●《世界遺産》 鹿苑寺(金閣寺) 金閣《せかいいさん》ろくおんじ(きんかくじ) きんかく
金色に輝く鳳凰を乗せた舎利殿「金閣」。一層目の寝殿造、金箔を貼った二層目の武家造と三層目の禅宗仏殿造の3つの様式が見事に調和した姿と、奇岩名石を配した庭園(特別名勝・特別史跡)がみどころ。

●《世界遺産》慈照寺(銀閣寺) 銀閣《せかいいさん》じしょうじ(ぎんかくじ) ぎんかく
唯一現存する室町時代の楼閣(ろうかく)建築として有名な観音殿「銀閣」(国宝)。その簡素で風雅な美しさと池泉式庭園(特別名勝・特別史跡)を拝観。

白砂の砂盛り「向月台(こうげつだい)」と波紋を表現した「銀沙灘(ぎんしゃだん)」のコントラストも美しい。

●醍醐寺

●東寺

その他の見どころ

●三室戸寺みむろとじ
花の寺として有名。四季折々の花が楽しめます。中でも、2、3月のしだれ梅、4、5月のシャクナゲ、ツツジ、6月のアジサイ、7月にハス、秋の紅葉は見事です。


●萬福寺まんぷくじ
京都府宇治市にある黄檗宗大本山萬福寺で、開催される「黄檗ランタンフェスティバル」。このお寺は江戸時代初期に中国から渡来された隠元禅師(いんげんぜんじ)が開かれた禅宗寺院です。また京都の「都七福神」の1つ、布袋さまも祀られており金運・幸運を祈願する寺院でもあります。

●北野天満宮 梅苑

 

バスツアーはこんな感じのようですが、土地勘がないのでよくわかりませんが、妙心寺にも行けたらな~と思いますが、多分、時間がない

建仁寺と建仁寺の裏の六道珍皇寺ろくどうちんのうじも行かなくちゃです

土地勘がないのでどのように廻れば効率的に廻れるのか、これからお寺を絞って地図とにらめっこしないとしないといけません。

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.2.11

 

人生や仕事を向上させる「氣」の働きとは

 

天地との?がりを忘れて「孤」の存在になると、
「氣」は滞り、心身に様々な不調を来します。
「氣」が出ていてこそ、
一つのことにしっかりと心を使えるし、
能率もアップします。
━━━━━━━━━━━━━━
藤平信一(心身統一合氣道会会長)
○『致知』2024年3月号【最新号】
特集「丹田常充実」より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉+α】2024.2.11

 

日本精神の源流を探る~建国記念の日に読みたい厳選記事~

 

本日は、初代天皇である神武天皇が
即位した日を祝う「建国記念の日」です。

この日を機会に、改めて日本人とは何か、
日本人としていかに生きていけばよいのかを
振り返ることで、激動の時代を
よりよく生きるヒントが見つかるかもしれません。

皆様の心の道標になることを願って、
「日本精神の源流を探る」厳選記事をご紹介します。

─────────────────

天地自然を崇拝して生活を営んできた日本人——高千穂神社宮司・後藤俊彦

「建国記念の日」に学びたい・教えたい日本神話(中條高徳×渡部昇一)

新元号「令和」発表!『万葉集』に学ぶ美しい日本の心

天皇陛下のお祈りと、一般人の祈りはどこが違うのか?

日本人の聖書『古事記』が示すリーダーの在り方

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今日の母(介護ノート)&カーニバルの時&Bach: Air - Seiji Ozawa

2024年02月10日 22時45分45秒 | 介護

 今日は気温は高かった(13℃)ので暖かかったですが、晴れたり曇ったり。

お洗濯日和ではありませんでした。

 

 

 今朝の果物

今日の母も概ねベッドで過ごすことが多かったのですが、よく食べてくれました。

母の一日は大体、7時のヘルパーさんがいらして下さる時から始まりますが、今日は6時45分頃に目を覚ましました。

朝一は喉が渇いているので少し前まではメイバランスをサイドテーブルに置いていましたが、今はエンシュアを置いています。

それをまず飲ませます。

それから私は食事の準備を始めます。

が、その前にYou TUbeでリラックス音楽を流し、良い香りがするようにキャンドルを灯したりします。

母は大抵朝はパンですから、今は寒い時期なので手に持つカイロとパンとカフェオーレ(今はエンシュア入り)のボトルをガスストーブの前に置きます。

母が食卓に来る頃までにはほどよく温まっています。

その後、チャンネルをTVに変えて、一緒にニュースや「ブギウギ」を観ますが、今日は「東京ブギウギ」聞いて、母の青春時代の曲なのではないかと思い尋ねると「そう」と言いましたので調べてみました。

昭和23年の曲で、母が勤め始めた頃の曲だと言いました。

その時何歳だったのかなって聞くと「23歳」とて言いましたので「どうしてわかるの

母は自分の年代は昭和と一緒だからと言いました。

調べると1925年生まれの昭和23年は本当に23歳でした。

それから、しばらく母と何歳で学校を出てお勤めしてたかとか話をしました。

どうして父は閑谷中学校に行って、男の子は中学校があったのに、女の子がなかったのかと聞くと「男尊女卑だった」と言いました。

母は学校を出て郵便局で働き始めたようですが20歳で終戦。

戦後やる気がなくなって郵便局を辞めたそうです。

父は日本が戦争に負けることを早くから気が付いていたようですが、母はまさか日本が負けるとは思わなったようです。

その後、しばらく家でお裁縫などをして過ごし、23歳の頃に国に準じる大きな組織に入って定年まで働きました。

こんな話を朝したのですが、しば~らく経って「結婚したのは昭和29年12月1日」と言いました。

晩婚だった上に流産したりしましたので、私はかなり遅い子です。

私の友人のお母さんは母よりも4歳くらいだったか若く、しかも彼女には6歳以上年の離れたお兄さんがいます。

(亡くなりましたが)

友人のお母さんは早くに結婚なさったようです。

 

 

 

 

 今日の母の一日の食事は

朝(7時半~)

  ●お煮しめ(やわらかい厚揚げ、大根、人参)小茶碗1杯くらい・・・「今日は昨日ほど美味しくない」と言いました・・・4が、食べましたが

  ●レーズンバターロール3個、エンシュア(昨晩から朝の残り100cc)、カフェオーレで300cc

  ●フルーツは今日はしっかり覚醒していましたので、バナナを3分の1を小さく輪切りにして。

  🍍パインと🍓いちごも試してみましたが、「これはいけん(ダメ、食べられない)と言いました。

  本人が言ってくれますのでより安心です。

  ビタミンCや食物繊維は又ジュースを作ることにしました。

  ●ドリップコーヒー&牛乳&メイプルシロップ2分の1カップ

8時半にベッドに行きたいと言い、その後はずっとベッドで過ごしました。

いつしか寝て12時半に目を覚ました。

昼(12時半~)

  ●前にブリの炊き込みご飯を作っていたのでそれを解凍&お煮しめ(今度はミキサーにかけたのでごぼうやさつま芋も)&うなぎ(2切れ)を小茶碗1杯(ペースト状)

  ●朝のパンドリンクが100cc残っていたので牛乳100ccを足して200cc

       ●フルーツジュース(今日はバナナ1本、オレンジ半分、エンシュア250cc)

夕(18時半~)

  ●お昼のご飯と同じものを普通のお茶碗4分の3杯くらい(ペースト状)

  ●鮭のムニエル(4分の1切れ)とじゃがバター&マヨネーズ小茶碗4分の1くらい(ペースト状)

  ●エンシュア2本目(夜中~朝用)少々

炭水化物(パンとご飯)、たんぱく質、乳製品、お野菜、フルーツ+エンシュアで、今日はまずまずバランスが取れたかなと思います。

今日はおやつは食べていませんが・・・昨日はおはぎを食べました。

その合間に5回のお薬がありますが、そのお薬は主にヨーグルトに混ぜて飲んでいます。

こういうこととバイタルとか便の様子、薬の時間やチェック、母の様子や特記事項を介護ノートに書いています。

このノートはヘルパーさん、看護師さん、リハの方、全員が書いて下さっていて、皆で共有しています。

又、このノートはショートにも連絡帳として持って行き、ショート先でもこのノートに記入して下さったり、別紙で様子を知らせて下さったらそれもこのノートに貼っています。

看護師さんは毎回このノートをiPadで撮影して帰られ、ヘルパーさんも他の方のを読まれています。

 今日は朝のお薬をなんと、私としたことが忘れました

母が急に寝ると言ったにしてもいつもは7時半には飲ませます。

お薬を飲ませた記憶がない。

でも、お薬が残っていない。

もう~、ゴミ箱を探しました。

母も朝のヘルパーさんに夕方にお聞きしてみましたが(同じ人)、飲んだように記憶していると言われますし

結局、その後、飲ませようとちょっと置いていたライティングビューローのお薬の袋の下から出てきました。

時間をずらせて飲ませていますので、0時に最後を飲ませないといけません。

何か自分が怖いわと思います

 
 
 
 
 
 
 看護師さんが今日は母の顔そりもして下さいました。
 
廃品を持って行きがてら、公園と教会へ。
 
今年も椿の花を「ごめんね~」と言いつつ手折って母へ。
 
 
 
 
 
ポプラちゃん
 
 
昨日より花が咲いていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
手折った椿の花
 
 
これは今度の水曜日が「灰の水曜日」ですので、明日までにこのシュロを教会へ持って行かないといけないのに忘れていて再び教会へ。
 
いよいよ四旬節が始まります。
 
 
教会の回収ボックス
 
1年間家に置いていたこのシュロを教会で焼いて灰にし「灰の水曜日」の灰の式の時に神父様より額に灰で十字の印をつけてもらいます。
 
すべてのものは土から生まれ、土(灰)に還るということを忘れないようにという意味です。
 
こうして悔い改めと断食の期間に入るわけです。
 
 
復活祭迄のその期間の前に、日本ではそういうものはありませんが、カーニバルが行われます。
 
先程、BSと4KでヴェネツィアのカーニバルのLIVEをしていました。
 
ヴェネツィアのカーニバルはリオデジャネイロ、トリニダード・トバゴとともに世界三大カーニバルと言われ、1162年頃から始まったという世界で最も歴史のあるカーニバルのようです。
 
復活祭の日にちはクリスマスと違って移動しますので、カーニバルの期間も変わります。

ちなみに2024年のカーニバルの期間は

●ヴェネツィア・カーニバル
開始:
1月27日土曜日
終了:
2月13日火曜日

●リオのカーニバル
開始:
2月9日金曜日
終了:
2月17日土曜日

●トリニダード・カーニバル (トリニダード・トバゴ)
開始:
2月12日月曜日
終了:
2月13日火曜日

 

カーニバルは灰の水曜日(今年は2月14日)の前日に終わりますが、リオは四旬節第1主日の前日まで続くようです。


・・・ということで、

2024年の四旬節は

2月14日水曜日
開始:
3月28日木曜日
終了:

3月24日(日) 受難の主日(枝の主日)・・・聖週間の始まり

3月28日(木)聖木曜日・・・最後の晩餐

3月29日(金)聖金曜日・・・十字架にかけられた日の

3月30日(土)聖土曜日・・・復活鉄野菜

3月31日(日)復活の主日・・・復活祭

・・・となります。

何だかすごく熱心なクリスチャンみたいです

 

 

 

 

 今日のTVより(かなり途中から)

ヴェネツィアにはまだ行ったことがないので、いつかこの時期に行けたらいいなぁ~と思います。

 

イタリアに行った時にヴェネツィアガラスのワイングラスとお皿を買って来ました。

今も食器棚に飾っています。

この聖ニコロは聖二コラス、つまりサンタクロースですね。

 

 

ピカソやシャガールとの共作でも有名なナソン作

  

何て美しい洗礼盤でしょうか。

こんなに美しい洗礼盤は他にはないでしょう。

 

十字架の道行きもヴェネツィアガラス製

 

聖ニコロのお祭りは12月6日のようです。

 

 

 

 

 

よくYou Tubeで聴くリラックス音楽の周波数のことを昨年のブログで書いていました。
 
 小澤征爾さんが友人の葬送の為に演奏指揮をなさったのはG線上のアリアだったそうです。
 
 
◇Bach: Air - Seiji Ozawa/NHK Symphony Orchestra(1995.1.23)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.10

 

あの経験のおかげで

 

「あの経験のおかげで」と
捉え方を変えた時、
それまでマイナスだと思っていた物事が
自分自身の中庸を保つための出来事、
覚醒を促すための大切な出来事だったと
納得する時が訪れます。
━━━━━━━━━━━━━━
鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)
○月刊『致知』2024年3月号
連載「人生を照らす言葉」より
━━━━━━━━━━━━━━

●文学博士である鈴木先生は、
日本や外国の文学作品に秘められた
人生や仕事の知恵を読み解いていかれます。
3月号で取り上げられたのは、
大手拓次の詩「憂はわたしを護る」。

鈴木先生の好評連載
「人生を照らす言葉」の魅力はこちら
 
●鈴木先生が語る文学への想い

「名作を通して人生の苦悩に向き合っていくと、
その力がこちらに向かって押し返してくる。
そこにいろいろな気づきや発見がある。
こういう体験は文学でしか得ることはできません。
文学は人間の中に潜んでいる邪悪なものを
洗いざらい私たちに見せてくれます。
間違って悪に傾きかねない心を
人間誰もが持っている。
それをどう乗り越えて人間らしく生きていくか
という世界に文学は誘ってくれるんですね」

━━━━━━━━━━━━━━

コメント (4)
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春のよう&Celtic Woman - Awakening

2024年02月09日 22時40分00秒 | 気候

 今朝は冷えましたが(マイナス1.6℃)、春が近づいているせいかさほど寒いと感じなかったのが不思議です。

そして、日中はよく晴れて、何回洗濯機を回したことやら。

どんどん気持ちよく乾いていきましたので、本当に太陽の光には感謝しました

 

 

 

 

 今朝の果物

 

 

 

 アンナプルナ4回目

 

テント・ピークへ。

 

今まで見た山で印象に残っている山は他にもあります。

アンデス山脈はヒマラヤの次に魅せられた山です。

それからイギリスからフランスに行く時に見えた「モンブラン」。

いつかアルプスの山々を是非見たいです。

 

この曲が流れていました(多分)

Celtic Woman - Awakening

 

 

 

 

 看護師さんが来て下さっている間に銀行に行かせて頂きました。

帰り道の公園の白梅

 

 

 

 

 

 我が家のバラ

このバラだけはまだ剪定をしていません。

しなくちゃです。

シンビジウムの3本目のお花が咲き始めました。

 

 

 今日はいつもと同じ金曜日を過ごしました。

母はいまいちで、ほとんどベッドで過ごしました。

食欲は普段と同じでした。

今日は眼科のドクターの往診日だと思って14時に待っていましたが、いらっしゃらない。

電話をしてみましたが、診察時間外なので留守電にもなっていなくて確認することが出来ませんでした。

16時に再び電話をしてみましたら、明日とのこと

訪問看護師さんに時間変更をして頂いたりしましたが、私がノートに記載する日にちを間違えたようです。

が、その後、ドクターからお電話があり「大変お待たせしているところを申し訳ないのですが・・・」

3週間待ちました~。

高知に住んでいる懇意にしていた従兄弟さんが亡くなり行かなくてはならなくなったので、「1週間延ばして下さい」とのことでした。

なかなか眼科受診が出来ません。

 

 

 

 

 母の頭痛は治っていないようです。

今朝、「頭が痛い」と言いましたので、聞くとずーっと痛いわけではないそうですが、ショートの前からどうもこの1週間くらい続いているようです。

リハの方が肩がキンキンだからかも・・・と言われていました。

今日は首の曲がり方が柔軟ではないそうで

リハの方が行かれているパーキンソンの方の中では母は栄養状態がいいので髪や肌の艶があるそうです。

他のお宅では母と娘がバトルをしているそうで、「娘さんは大人しいわ」と言われました。

だから、溜めないようにと。

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.9

 

林文子前横浜市長が語るよき出逢いを呼ぶ心掛け

 

どんな人に出逢ったとしても、
このひと時を気持ちよく過ごし
心の底から楽しかったと思っていただきたい。
その心掛けで日々過ごすことで、
思いがけない出逢いに結びついていくものです。
━━━━━━━━━━━━━━
林文子(前横浜市長)
○月刊『致知』2024年3月号
連載「二十代をどう生きるか」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●トップセールスとして
自動車業界を牽引したのち、
BMWやダイエーをはじめとした
大企業の経営職を歴任。
2009年からは横浜市長を3期務め、
待機児童数全国ワーストワンから
ゼロを実現した林文子さん。
いまなお3社の社外取締役を務められています。

職を転々とし辛酸を嘗めた20代を振り返りながら、
仕事や人生で大切なことをお話しいただきました。
林さんのお話の内容はこちらから

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

武器軟膏と2つの原始魔術について


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、錬金術師の部屋を再現した写真など、興味深い写真がいくつか掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1101949&c=3304&d=ed84

━…………………━

今週は、この冬初めて東京板橋に雪が積もりましたが、今日は晴天が戻ってきています。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、ある人から聞いた奇妙な話題を取り上げたいと思います。

それは、中世に流行した「武器軟膏」(weapon-salve)と呼ばれている傷の治療法です。


◆ 武器軟膏とは? 共感の粉とは?

現代の私たちから見ると、あまりにも奇怪な方法なのですが、17世紀のヨーロッパでは実際に使われていましたし、この治療法になぜ効果があるかが真剣に議論されていました。


この治療法に用いられる軟膏の多くには、「共感の粉」と呼ばれていた薬が含まれていました。

この粉は緑礬(りょくばん)という鉱物から作られていました。


緑礬は錬金術でもよく用いられていました。

この当時は、医学と錬金術がそれほど明確に別々の分野ではなかったのです。


面白いのは、この軟膏を用いる方法です。

誰かが剣などの武器によって傷を負ったときに、それを治療するために、傷口ではなく、傷を負わせた武器のほうに軟膏を塗るのです


◆ 「共感の力」の意味

「何と非科学的な」とお思いになるでしょうか。

私もそう思います。しかし、具体的にはどこが非科学的なのでしょうか。


すぐに思いつくのは、傷口から離れたところに塗られた薬が、傷を治す作用を及ぼすはずがないということでしょう。


そして、当時もそのように武器軟膏を批判する人がいました。

武器軟膏を用いている人たちのこの批判に対する反論は、たとえば磁石が発する力は、離れたところに及ぶではないかということでした。


武器軟膏の流行と、アイザック・ニュートンによる万有引力の発見はそれほど年月が離れていません。

興味深いことに万有引力説には、離れたところに力が及ぶはずがないではないかという、武器軟膏と同じ理由の批判が加えられました



「共感の粉」という言葉に表れていますが、武器軟膏は「共感の力」によって効力を発揮するとされていました。

武器についた血と傷口には共感が生じるため、武器側に軟膏を塗ると傷口に影響が及ぶとされたのです。

後ほどご紹介しますが、このような行為は人類学で「接触魔術」と呼ばれています。


◆ 武器軟膏は、なぜ有効だったか

さらに面白いことに、武器軟膏の効力を確かめるための、“科学的”だと思われる検証実験が行われていました。


傷を負った人とその傷を負わせた武器を、多数集めて(そのようなことができたのは驚きですが、当時は戦争が多かったのでしょう)、それらを半分に分けて、一方のグループには傷口に軟膏を塗り、もう一方のグループには武器に軟膏を塗ったのです。


その結果、武器に軟膏を塗った人たちの方が、治りがはるかに良かったのです。



なぜこのようなことが起こったのでしょうか。

当時は消毒という考え方がなく、軟膏が不衛生な作られ方をしていたので、それを患部に塗るよりも、むしろ何もしないほうが傷の回復が良かったのではないかと思われます。


この話がなぜ面白いかというと、“科学的”であるということが実際にはどういうことであるかを深く考えさせてくれる一例だからです。


◆ 「科学的」とは、どういうことか

現代に暮らす私たちは、「それは科学的でない」とか、「それは科学的な考え方ではない」という言葉をよく使ったりしますし、さまざまな機会に耳にしたり、文章で読んだりもします。


そして、「科学的だ」という言葉が、「正しい」という言葉とほとんど同義語として用いられていることが多いようです。


しかし、改めて考えてみると、科学者を含む多くの人が現在信じている常識が、単に「科学的」と呼ばれていることが多いのではないでしょうか。



何が科学的で何がそうではないかと言うことは、単純な問題ではありません。


・タイムマシンは非科学的か

もう何十年も前のことになりますが、私は大学で、科学の基礎になっている枠組み(パラダイム)を研究する学部に所属していました


今でも覚えているのですが、その学部の授業で、ある教師が「タイムマシンを作ることはできると思うか」と学生たちに質問したのです。


この質問には多くの学生が驚きました。

熱力学という物理の分野ではエントロピーの法則というものが知られていて、タイムマシンはこの法則に反しているので、“科学的”に作れるはずがないというのが常識だったからです。



ひとりの学生がそのように述べると、その教師は言いました。


「私はその意見に賛成できない。それは考えの道筋が反対だからだ。現実をよく観察して、その現実を説明することのできる数学を発見するのが物理学だ。もしタイムマシンができたなら、その現実に合うように、物理学のほうを修正しなければならない。


・世界のすべては、素粒子でできているか

これと似た話をもうひとつ紹介させていただきます。

以前にもこのブログで採りあげたことがあるのですが、南部陽一郎さんは、2008年にノーベル物理学賞を受賞した素粒子研究の第一人者でした。

彼の業績を紹介したある番組で、ゲストの西田敏行さんがこう尋ねたのです。


「そうですか、世の中のすべての物は素粒子でできているのですね。」「それでは、命も素粒子でできているのですね。」

間髪を入れずに、南部さんはこう答えていました。


「あっ、それは私には分かりません。」



先ほどのタイムマシンの話もそうですが、このような言葉を聞くと、そこに表れている謙虚さに心を打たれます。


・パラダイムとは

科学の歴史の研究家には次のことが知られています。

ある時代のある地域には、物の見方や考え方を支配している特定の枠組みがあります。

この枠組みはパラダイムと呼ばれています。


パラダイムの面白いところは、特殊な制約であるにもかかわらず、それに支配されている人たちの大部分が、そのパラダイムに気づかないとことです。


このことは、水面から出たことのない魚が水に気づかないことや(ほんとうでしょうか)、文法を知らなくても私たちが日本語を話せることにたとえられます。



先ほどの武器軟膏の場合も、その当時のその地域の人たちは、現代人とは異なる自分たちのパラダイムで、ものごとを見たり考えたりしたのであり、そのため、少なくない人が、武器軟膏のことを決して奇怪な方法ではなく“科学的”だと感じていたのです。


そして、現代の私たちが持っているパラダイムの多くも、未来になれば、時代遅れの“非科学的”な見方、考え方になるというのは、おおむね確実なことです。


実際に、現在の科学には多くの“非科学的”な点があるということが、21世紀に入ってからたびたび指摘されるようになり、今後のパラダイムがどのようなものになるかが研究されています。



このように考えると、現実をよく観察してそこから出発することと、現在主流になっているものの見方、考え方は決して絶対的でなく、時代や地域に限定されたものであり、将来も正しいかどうかは保証されていないということを意識しておくこと。


突き詰めて言うとこの2つ、特に後者が、21世紀後半に科学的だと言われる態度になるのではないかと私は考えています。



参考記事:「非科学的、科学的とは何を意味するか? 物理学の歴史の例からわかりやすく解説」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1101950&c=3304&d=ed84


◆ 接触魔術と共感魔術

さて、先ほどの武器軟膏は、人類学という観点から見ると、接触魔術という行ないにあたります。


この行ないは、一度接触していたものは、接触しなくなった後にも互いに影響しあっているという迷信に基づいています。


原始的な宗教さえまだ出現していないほどの昔、原始人は、接触魔術と共感魔術という2つの魔術を行っていました。


接触魔術は先ほど説明しましたが、共感魔術とは、形が似ている2つのものは互いに影響するという迷信に基づく魔術です。



たとえば原始人は、日照りが続いたときには、小さな穴を空けた容器に水を満たして振るという魔術を行いました。

それによって雨をもたらすことができると信じていたのです。皆さんも、敵の姿に似せた、木や藁(わら)でできた人形が、何に使われるかをご存じのことと思います。



この当時の人類は、狩猟、漁労、採集によって食物を得ていました

自然に対する正しい知識もとぼしく、農業技術も、しっかりとした住居も、協力体制を可能にする組織的社会もなく、飢餓、天候の変化、天災、肉食獣の危険に常にさらされ、嵐の中の木の葉のように無力な存在でした。


このような原始人の、恐れに満ちた心の状態と無力感を想像してみてください。


そして、彼らのパラダイムだったのが魔術的思考であり、彼らが主に頼っていたのが先ほどの2つの魔術でした。


人類がこのような暗闇の状態、背負わされていた恐怖から抜け出すことができたのは驚くべきことです。


◆ 人類の歴史と魔術的思考

私たち現在の人類はホモ・サピエンスと呼ばれ、およそ30万年前に出現したとされています。

それに対して、人類の多くが魔術的思考から脱け出せるようになったのは、数万年前です。


つまり、私たちがホモ・サピエンスに進化した後だけを考慮に入れても、魔術的な思考をしていた時代のほうが、その後の時代よりもずっと長かったのです。


ですから、私たちの潜在意識には、魔術の時代の迷信が今でも影響を与えています。

(それに加えて、今回お話しする余裕はありませんが、私たちの心の中には神話の時代の迷信もあります。)


参考記事:「人類と子供の心の進歩の段階」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1101951&c=3304&d=ed84



私たちは自分がどのような迷信に影響されているかを学び、心の奥底にある不要なガラクタを捨て去らなくてはなりません。


当会の提供している神秘学通信講座では、学習を始めてから12ヵ月後にこのことが詳しく解説されます。


※ ご興味をお持ちの方は、下記のURLから、1カ月の無料体験をお申し込みください。お試しをしてから受講するかどうかを決めることができます。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1101952&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。


==============

■ 編集後記

今シーズン初めて、東京板橋に雪が積もりました

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1101953&c=3304&d=ed84

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ペインクリニックのリハ②&母が帰って来ました

2024年02月08日 21時45分00秒 | 介護

 今日は一日晴れ予報でしたが、昨日までと同じで段々と曇ってきました。

最高気温は9.6℃、最低気温はマイナス0.5℃。

 

 

 

 今朝の果物

アンナプルナ4日目

 

神々の住む山と言っていましたが、本当に大師方(アセンデッドマスター)の多くもここに住まれていたり、今も住まれているようです。

(ネットより・・・アセンデッドマスターとは、過去に地球上で存在していた偉人や聖人の高尚な魂を指します。 元々は地球上で生きた人間でしたが、死後は人間として再び転生することはなく、神や仏として次元上昇=アセンションした存在です。 アセンデッドマスターは天使や神、仏など様々な種類があり、その存在は1つではありません。)

 

日本人の登山隊の南壁登頂

 

2人の隊員が登頂に成功しましたが、

 

その後転落し、遺体は見つかっていないそうです。

 

いつだったか(ヨーロッパに行った時かカナダのイエローナイフに行った時か)マッキンレー山脈を飛行機から見ました。

今、その美しい山を思い出す時植村直己さんを思い出します。

(ネットより・・・植村直己さんは1984年2月12日、43歳の誕生日当日に世界初となるデナリの冬季単独登頂に成功した。しかし、翌13日の無線交信を最後に消息を絶つ。)

 

 

 

 

 今日はペインクリニックのリハビリに朝一で行って来ました。

診察と違って予約が出来ますので、並んで寒い中を待たなくていいのは本当に楽でした~

開院ギリギリに行くつもりでしたが、かなり早く着いてしまいましたので、藤田神社に行きました。

先日友人と一緒に行った時、私は車の中にお財布を置いていてお賽銭を入れることが出来ませんでしたので、次に来た時にまとめてしようと思っていました。

 

 

綺麗に掃き清められていて、梅も静かに咲いていました。

 

 

何度見ても見飽きない龍ちゃんと花手水。

 

 

 

綺麗ですね~

 

 

リハは20分で、その後電気が10分か15分。

いろいろな体操で負荷をかけて下さって、リハビリをした~という感じでした。

電気治療の為に座っている時、ドクターが来られました。

なんとまあ、何て忙しい方かしらとびっくりしました

もちろん一人一人に声をかけて、患者さんが何かを言われると真剣に聞かれていました。

お隣に座っていらした年配の女性の方が「普通の先生は私みたいな年寄りの話なんて半分も聞いて下さらないのにこの先生だけは違うのよ」と言われました。

私も本当にそう感じてきましたので、大きく大きく頷きました。

看護師さんのお話では、昼食が夕食になることや診察が夜の10時を過ぎることもよくあると言われていました。

私も初回は家に帰ると9時過ぎていました。

まだ後に患者さんがいらしたので10時は過ぎると思ったものです。

 帰り道ですが、金甲山にまだ靄がかかっていました。

 

このあたりはのどかです。

 

 

 2時半過ぎに母が帰ってきました。

相変わらず、口に中が気になるようで

ひとまずぺロペリキャンディーを舐めさせ、持って帰って来た大洗濯を開始すると眠ってしまっていました。

頭痛は治ったようで良かったです。

体重も38.4kgになっていました

もしかして、もしかしなくてもエンシュア効果

 5時からはヘルパーさんが来て下さり、その後、やはりパンが良いと言いますので、レーズンバターロール3個にエンシュアの残りとカフェオーレを混ぜました。

 

 

 

 

 冬の京都への旅が段々と具体的になってきました。

日にちは26日(月)から1泊。

2人共介護をしていますので直前まで何があるかわかりません。

友人のお母さんは施設に入所されていますが、それでも何かがあれば行かないといけませんし、2週間に1度は面会に行っています。

今、新幹線と2日目のバスツアーを申し込んでくれたそうです。

宿泊先は昨日と今日と違っていましたのでまだ不明のよう

バスツアーもいっぱいだそうで、源氏物語と紫式部のツアーだけがこの日2名空いていたようです。

NHKで今は空いていると言っていましたが、どうもそうではなさそうな。。。

これから行先を決めますが、今回私の行きたいところは特に5人の明王様の壁画のお寺と龍ちゃん関連のお寺ならどこでも~。

今は時間がないのであまり調べられませんが、母がショートに行ったら又調べよとうと思います。

お勧めがあったら教えて下さいませ

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.8

 

追悼・福地茂雄氏

 

たとえ小さな歯車ではあっても、
組織全体にとっては紛れもなく
重要な歯車なのです。
━━━━━━━━━━━━━━
福地茂雄(アサヒビール社友)
○月刊『致知』2023年6月号
連載「巻頭の言葉」より
━━━━━━━━━━━━━━

●アサヒビール社長やNHK会長を歴任した
福地茂雄氏が亡くなられました。
福地氏は『致知』の愛読者でもあり、
昨年12月号まで「巻頭の言葉」を
執筆いただいていました。
本日は氏の遺徳を偲び、
「巻頭の言葉」(2023年6月号)の
一部を掲載いたします。

●人はそれぞれが社会という
一つの組織の中で生きています。
そして組織では、大小様々な歯車が
相互に関わり合って動いています。
たとえ小さくても、
その歯車がなければ組織は動きません。
逆に大きな歯車は、
それを動かすのにそれなりの力(能力)がいります。
要は、大きな歯車だけが重要ということではなく、
皆重要だということです。

(中略)

以前、小さな組織に転勤になった人が、
「自分は左遷になった……」と
嘆いているのを聞いたことがあります。
しかし、いまの企業に不要な歯車を持つ余裕などなく、
左遷の組織など存在しません。
すべて必要な歯車であることを自覚し、
赴任先で持てる力を最大限に発揮すべきです。

私自身、入社時から十年近くは
小さな小さな歯車でした。
私のような小さな歯車など、
あってもなくても企業という大きな歯車の動きに
全く影響しないのではないか、
と寂しく思ったこともありました。

しかし、私のような小さな歯車が
皆同じ思いを抱いてしまえば、
企業体という大きな歯車は動きをなくしてしまう。
そう思い直し、
たとえ小さな歯車であっても
自分に与えられた機能を精いっぱい果たすべく、
決意を新たに目の前の仕事に
一所懸命打ち込んでいったのです。

━━━━━━━━━━━━━━

●福地茂雄氏よりいただいた
『致知』へのコメントをご紹介します。

「いま、我が国に求められる喫緊の課題は
教育にありと確信しています。
『致知』の歩んだ道は教育、
それも人間学に他なりません。
頑なまでに人間学を追い続けた『致知』。
その愛読者の中から次世代の人材が
誕生することを信じています」
──福地茂雄

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梅見&ホテルでランチ

2024年02月07日 20時36分00秒 | 植物

 今日もすっきりとは晴れず、白い雲と黒い雲とがせめぎ合って、何度か小雨が降りました。

でも、さほど寒さは感じませんでした。

 

 

 今朝の果物

 アンナプルナの3回目をしていました。

 

今日はアンナプルナに初登頂したフランスの登山隊についてでした。

 

このルートを通ったようです。

 

 

行きは早く登頂に成功したようですが、下山に5週間もかかり、多くの人が凍傷で手足を失ったようです。

 

自然は時に本当に厳しい。

 

ネパール最後の日は朝陽の美しいナガルコットに泊まった気がします。

 

 

 

 今日は友人と梅見に「神崎梅園」に行って来ました。

 

紅梅は満開で枯れかけ始めでしたが、白梅はまだこれからという感じでした。

 

 

あたりに梅の花の甘いほのかな香りが漂っていました。

 

 

 

 

梅園のそばの神社

 

 

その前に菜の花の道があります。

 

菜の花って素朴ですが、ビタミンカラーだけあって元気や明るさをくれるお花です。

菜の花をみるとほっとします。

 

 

しだれ梅

 

 

ちょうど剪定中でした。

 

 

皆さんが剪定した枝を持って帰っていました。

私達も頂きました。

 

 

 その後、久し振りに私達の憩いの場所であり「庭」である国際ホテルに食事に行きました。

 

 

注文したのはビーフカレー。

 

「やっぱり美味しいねえ」と大満足。

そして、ケーキ。

「食べる勇気ある

「と言うか、食べない選択肢がある

などと言いながら

 

 

途中でピアノの生演奏が始まりびっくりしました。

リクエストにも応えて下さるとのことで、ショパンの「雨だれ」やカノン、The Roseなどをお願いしました。

急なことでなかなかすぐに思いつかず残念。

でも、思いがけないことで、おかげでと~っても素敵な時間を過ごすことが出来ました

 

「雨だれ」の演奏の時ちょうど雨が降り始めました。

もちろん、マジョルカ島のショパンのあの部屋や修道院を思い出しながら聴かせて頂きました。

後でお礼に伺うと、以前はホテルグランヴィアにいらしたそうで、こちらに誘って頂かれたそうです。

 

岡山市街

帰り道、虹が出ました。

 

今日は、この冬の京都旅行について話しました。

行くかも~

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.7

 

「I have a dream」

 

逆境になればなるほど、
私はどんどん燃えてくるんですよ。
それはやっぱり、
「I have a dream」、
夢があるからです。
━━━━━━━━━━━━━━
林 博己(エース会長)
○『致知』2024年3月号【最新号】
特集「丹田常充実」より
━━━━━━━━━━━━━━

●北海道石狩地域を本拠地に、
道内・東北・関東で
総合物流事業を展開するエース。
今年創業40周年を迎え、
売上高は150億円、従業員数は1600名に及びます。

しかし、林博己氏が30歳で創業した時は
まさに徒手空拳からのスタート。
貧乏や理不尽に耐え、
這い上がってきた歩みをお話しいただきます。

記事の概要はこちらから

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母の面会へ&私も終焉へ

2024年02月06日 21時22分22秒 | 介護

 昨夜も早目にベッドに入りました。

睡眠は想像以上に大切なようですが、なかなか質のいい睡眠を取ることは難しいです。

私の場合ひとつには運動不足が上げられると思います。

 

 

 

 今朝の果物

 

 

 

 昨日に続いて「アンナプルナ」をしていました。

正式番組名は「地球トラベラー グレイトヒマラヤ撮影日記」で、再放送です。

今週1週間続くようです。

 

私がネパール&インドに行った時はまだデジカメが普及してしなかったのか、私がカメラに興味がなかったのか(それはないと思うのですが。子供達のたくさんの写真に困っていますから)、普通のカメラを持って行きましたので、ここにアップ出来ないのが残念です。

デジカメで撮影してもきちんとバックアップを取っていななっかせいで、カナダのオーロラの写真などがないです。

でも、これは旧ブログにアップしていますので写真は見ることが出来ます。

しかし、悲しいことに間違って上書き保存してしまった為にブログアップした小さな写真が残っているだけで、PCの中にはない状態です

考えたらアメリカ2回分もないですし、カナダ2回分もないですし・・・って、これはカメラでした

その他の旅もほとんどがカメラ。

あるのはハワイ2回目、3回目とアルゼンチンだけみたいです、多分

 

このアンナプルナの、細長い全貌の絵はがきを買って来ていて、これは番組が終了するまでには写真を撮ってアップ出来そうです。

あとはエベレスト遊覧をしたブッダエアーの証明書とか。

 

 

本当に美しいアンナプルナ連峰

 

こちらはムクチナートとムクチナート寺院

 

氷点下の中を水に打たれながら歩くのはどこかで観たことがあって、ここだったのか~と今朝思い出しました。

 

ネパールの川沿いでも死体を焼いていますが、ガンジス川のように「聖なる川で沐浴」はしていなかったように思います。

ちなみにインドでひどい「インド熱」(私が勝手に命名)にかかった私達ですが、まだ病み上がりだったので皆、沐浴はしませんでした。

私は足だけ入りました。

そして、流したかった過去のものとお花をガンガーに流しました。

その後ヒンズー教のお坊様が額に「ティカ」を付けて下さいました。

インドのことは又の機会に。 

 昨日、旅の話を友人としていて、母が娘の所へ私が行くのをダメだと言っていることを話すと「もう私達もそんなに時間が残っていないのに。頭がしっかりされているのにそういうことは考えてくれないのかなあ。」と言いました。

母は84歳でアルゼンチンに行きましたので、それを考えるとまだ時間はありますが、私が元気にその時まで生きているかは不明ですし、びみょう~。

むしろ、生きていないでしょうと思います。

母の年代の人は心身共に強いですが、私の年代はそうではないと思います。

旅慣れた人とそうでない場合でも違うでしょうが、何歳まで海外旅行に行けるかしらと思います。

とにかく心身共に元気でないと行けません

 もう残された時間から物事を考える年代に入ってきたようです。

友人達も「もう次に買う車が最後かなあと思う」と言う人が増えて来たような。。。

私は乗りつぶそうと思っていましたが、ちょっとそれは難しいかも。

断捨離や家のことも、やはり「心地よい今」と同時に「終焉に向けて身軽にしておこう」と考えていますし。

 

 

 

 

 

 

 

 今日は整体の日でした。

膝や身体のメンテナンスで何だか忙しい。

でも、この期間に気が付いたことは今までのように「漫然と生き」ていたのでは又どこかに支障が現れるということ。

(決してそのようには生きてきたつもりはないのですが)

身体も動かしていると思っていました。

忙しく日々を送っていますので動いていると思っていましたが、これからは意識して動かしていかないといけないことに気が付きました。

整体が終わって、母の面会に行くにはまだ早かったので、公園を少し歩くことにしました。

それにしても綺麗な青空~と思っていましたが、どんどん雲が増えていきました。

 

少し来なかった間に、もう梅の花が咲き始めていました。

 

 

椿もあちらこちらで咲き始めていました。

 

ご近所のピンク色の椿

主がいなくても毎年綺麗に花を咲かせています。

教会の水仙とミニバラ

 

11時45分、母のショート先のクリニックに到着。

母は食堂に居て、お食事が運ばれて来るまでしばらく待ちました。

 

食堂には6人。

半分はひとりでは食べることが出来ず、もうひとりは介助が必要。

でも、介護士さんはおひとり。

ほとんど最後になってもうおひとり来られましたが、多分、この方はお部屋で食べておられる方の介助をなさっていたのではないかと思います。

母はなかなか食べないそうですが、食べさせるとコンソメスープを半分くらい残しただけ。

エンシュアも2本目を飲み切っていました。

食事の途中で母は右手で右の前方の頭を何度も触って「頭が痛い」と言いました。

聞けば昨日からとか。

胸苦しさはなくなったと言いましたので安心しましたが、頭痛の原因は何

首が凝っている

気圧の関係

今回に限ってカロナールを持たせていなかったので、介護士さんに必要なら持ってきますと伝えました。

あとで看護師さんに相談されると言われていましたが、電話がないということは大丈夫だったかなと。。。

これらの会話を聞いていたせいか、母が「又、今日、来る」と言いました。

「お薬が必要なら来るけど、お洗濯もしないといけないからね」と言いますと納得したのは頷きました。

 

ラウンジのお花

明日の金曜日がお花のボランティアさんが生け変えられる日です。

 

クリニックのお庭の梅

 

かなり曇ってきて小雨も降ったようです。

 

帰りに、けやき通りを通って

 

この近所に住むママ友の顔を見に行きました。

不調だと言っていましたが元気そうで良かった

 

 

 

 

 今日は私は又、聖ミカエル達のお世話になりました

無くしていたのはクレジットカード。

しかも土曜日のこと。

ポイントカードなどを見たのであるものと思っていましたが、昨日、薬局などの支払いの時にない

それでも、今日にかけて探していました。

車の中とか、もう探す場所がないという時になって、聖ミカエルを思い出し、お願いしました。

それが整体に行く前。

一連の行動後、帰り道でスーパーの前を通った時、寄るように促しを感じたのに、「スーパーで落としたなら連絡をしてくれるはず」と思い(頭の中で考えた)、家に帰りました。

帰宅後、もう一回探しましたが、マジない

そこで、スーパーに電話をしました。

ありました~~~

そこのスーパーのカードではなくクレジットカードだったため連絡先がわからず保管して下さっていました。

もちろんすぐに取りに行きました。

セルフレジで落としたようです

土曜日のことで、看護師さんが来られる前に母を置いてほうれん草を買いに行った時に急いでいたので落としたようです

本当に何度このスーパーで物を落としたやら。

その度に戻ってきました。

注意散漫では済まされないです。

もしかして認知症の始まりと思ってしまいます

 

 

 

 

 

 先程(8時35分)、珍しく母から電話がありました。

母が電話をしてほしいと看護師さんに頼んだようです。

看護師さんに一番に頭痛のことを尋ねましたら「夕方からは言われていないです」と言われほっとしたのも束の間。

母に電話を代わると「頭が痛い」「メイバランスがほしい」「痰が切れない」等など、入れ歯を外しているので聞き取るのに非常に困難を極めました~

が、何とかわかりました。

看護師さんが又バイタルチェックをして下さり「何かあればご連絡します」と言われ、メイバランスも持たせているのでそれを持って来て下さり・・・

痰についてはそこは病院だから吸痰もして下さるから大丈夫と伝えました。

その時にはもうメイバランスを飲むのに一生懸命になっていました

やれやれ

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.6

 

絶望の中で掴んだ暗闇を突破する心の持ち方

どんな状況でも、
何とかぐっと踏ん張って
心に小さな希望の灯火を
絶やさず持ち続ければ、
必ず暗闇を突破できる。
━━━━━━━━━━━━━━
梅津絵里(車いすインフルエンサー)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●愛する人との結婚生活がスタートし、
人生の幸せを噛み締めていたまさにその時、
難病の全身性エリテマトーデス(SLE)を
宣告された梅津絵里さん。
6年間に及ぶ壮絶な入院・闘病生活を経て、
いま人々の心に笑顔と希望の灯火を届けたいとの思いで
社会活動に尽力する梅津さんに、
絶望の中で掴んだ暗闇を突破する
心の持ち方をお話しいただきました。

梅津さんの記事の概要はこちらから

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪ゼロからのスタート/北海道で一番を目指す≫

 

最新号のインタビューを飾るのは、
北海道石狩地域を本拠に
総合物流事業を展開するエース社長、
林 博己さんです。

30歳で創業された当時は、
まさに徒手空拳からのスタート。

「営業は断られてからが本当の始まり」

を体現されてきた林さんの体験談には、
苦しい中にも、営業を楽しまれている
境地にあるようにも感じられます。


取材の様子はこちら
───────────────────


──いかにして業容を拡大してこられましたか?

苗穂運送が以前から手掛けていた
コンクリート二次製品やダクト(通風管)の
配送業務を中心に、大手の下請けが主な仕事でした。

「独立したら仕事やらせてやるよ」
と言ってくれたお客様のところを訪ねると、

「えっおまえ、本当に独立したの」と驚かれ、
「いつ潰れるか分からない会社に、
そう簡単に仕事を頼めるわけないだろ。
一年くらいしたら来いや」って。

どこへ行っても同じ対応でした。

話が違うじゃん、酷いなと思ってね。

その時に、同業で高校時代の友人が
「おまえ、仕事ねえんだべ。うちの仕事やるから」と言って、
トラック2台分くらいの仕事をくれて助けてもらいました。


──捨てる神あれば拾う神あり、ですね。


そう。本当に有り難いですよ。

ただ、いつまでも下請けをやっていては仕方ない。

エースという社名には、
北海道で一番の運送会社を目指す
という思いを込めていました。

北海道一になるには北海道で
一番の会社さんと取引をすればいい。

菓子卸のナシオさんや
日用品卸のあらたさんなど、
大手を開拓すべく営業をしまくりました。


当然ながら最初は門前払いです。


しかし営業は断られてからが本当の始まりですから、
何回も何十回も仕事をもらえるまで通い続けたんです。

「しつこいな、おまえは」

「すみません。他に行く所ないんですよ」と。

終いには「もう来るな」
「はい、分かりました」と言って翌日また行く(笑)。

それで先方も私を諦めさせるために、
無理難題のような仕事を与えてくる。


私は

社長兼
運転手兼
配車係兼
営業マン兼
集金係兼
トイレ掃除のおじさん、

全部やっていましたし、夢と希望を支えに、
朝5時から夜12時まで寝る間も惜しんで
365日休みなく働いていましたから、
完璧に応えたんです。


そうしたら、
「いやいや、本当にやってのけた」と驚嘆されてね。


真面目に一所懸命やる姿勢が、
相手の琴線に触れたんじゃないですか。

そうやって一つずつ大手の仕事を開拓していきました。

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ペインクリニック⑨&リハ①&藤田神社の花手水

2024年02月05日 20時15分00秒 | 友人との時間

 昨夜は22時にはベッドに入りましたので、朝もいつもより少し早く目が覚めました。

真面目にバラ十字会のお勉強をしたり瞑想をしたりした後、今日はペインクリニックの日でしたのでお出かけ準備。

 

 

 今朝の果物

 

 

 BS1で7時45分からネパールのアンナプルナのことをしていましたので、思わず見入りました。

「よく今まで行った国でどこが一番良かった」と聞かれることがあります。

まだ行けていない国も多くありますが、今に時点ではいつも「ネパールかカナダ。ネパールかな」と答えています。

私は自然が、特に山が好きなのです。

インドからエベレストの遊覧飛行をしましたが、やはり、ネパールのポカラから見たアンナプルナが最高に美しく、もう一度行きたい場所です。

 

カトマンドゥは当時(今も)排気ガスやほこりがすごくて、ホテルに帰るともう真っ黒になりました。

でも、寺院が美しく、チャイがとても美味しかった。

 

ネパールはポカラに一人で住んでいらした日本人の神父様に物資を届けに5人で行きました。

お世話係の方が宿泊先の大部分をわざわざホテル以外の他宗教の施設にされました。

インドではお寺でしたが、ポカラでは他の宗教の方の経営するホテル。

とてもご親切にして頂き、お部屋もアンナプルナが見渡せる最高のお部屋に1人1室ずつ泊めて下さり、ポカラ観光にも連れて行って下さいました。

 

 

ここはマナンという場所のようですが、まさにお部屋から見る風景はこのまんまでした。

そして、人々はどこまでも人懐っこくて。

 

 

インドで何泊か過ごしたあと、ネパールに帰ってきたらネパールが天国に思えました。

しかも、大きなお祭りの日だったようで、寺院に行くと血がぽたぽたと落ちていて、んこれはもしやと思っていると、首のないヤギを二人の男性が担いで来られてびっくり

この屠られたヤギはお店にも売っていて、しかも、朝陽の美しいと言われる山の上の宿泊所に向かっていると家々の庭でどこもヤギを屠っていました

まるで旧約聖書の世界のようでした。

 

 

 今日は友人と会う予定ではなかったのですが、結局1日遊んでしましました~

ペインクリニックでのヒアルロン酸の注射後、近くのお店で一緒にモーニングを食べました。

 

雨と風がすごくて寒い一日でしたので、私達はここを出ないで一日ウロウロ。

今日からリハが始まりました。

私の希望です。

ドクターはあくまで日常生活の中で十分と言われたのですが、なかなか正しい習慣が身に付かないので少しだけリハに通うことにしました。

そこにはジムもあるのですが、そこまでは本当に必要ないと言われました。

リハは20分。

今日は初日で説明もありましたので40分くらいでした。

久し振りでしたので話し足りなかった私達はリハ後に又会うことにしました。

友人がウインドウショッピングをしながら待ってくれたあと、お昼になりましたので、久々のラーメン。

 

そして、クレープアイス。

「太る~」と言いつつ、しゃべり足りなくてお店を移動しました

 その後、ふたりで近所の神社(藤田神社)に龍ちゃんと花手水を見に行きました。

 

お花が綺麗~~~

 

 

見ているだけで幸せ気分いっぱいになり、ついつい写真もいっぱい撮ってしまいました

 

お花って本当に一瞬で華やかな嬉しい気持ちにしてくれます。

 

 

いつまでも飽きずに眺めていたい。。。

 

 

でも、寒しいし、お参りもまだ~。

 

 

 

ここの神社から友人宅へ何度も行きましたが、なかなか友人の行っている道をナビも案内してくれずいつも道に迷っていましたので、今日は友人に道案内をしてもらいました。

一度では覚えきれそうにないですが・・・

 

 

 

 今日は墨絵のような空。

それも又、美しいので飛行場経由で帰りました。

河津桜の並木道にちらほらと桜が咲いていました。

 

 

よく降りましたが、明日には上がりそう。

 

 

 

 

 

 ところで、今日2月5日は日本26聖人殉教者の祝日です。

1597年2月5日、長崎の西坂の丘で十字架にかけられて日本人20人と外国人6人の宣教師が殉教しました。

最年長は岡山出身の64歳、ヤコボ(ディエゴ)喜斎でした。

岡山から聖人が出ているなんてすごーい

岡山教会には聖人の像があります。

又、出身地の芳賀地区にもお墓や記念碑があり、毎年、巡礼が行われているようです。

岡山の鶴島という瀬戸内海の島には長崎から多くのキリシタンが流されてきました。

そこも毎年、巡礼があり御ミサがあります。

 

 

 

 

 今日も聖ミカエルと聖チャミエルと龍ちゃんに2回も速攻で無くなりものを教えてもらいました。

友人がその度に「お疲れ様です、ミカエル」

 

 

 

 

 


★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.5

 

徳川260年 松平家の教え

 

姿勢を正せば見た目も美しくなり、
張りのある美しい声も
自然に出るようになるもの。
背を丸めていては見えるものも見えなくなり、
目の前の幸運も逃げてしまいます。
━━━━━━━━━━━━━━
松平洋史子(大日本茶道協会会長)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●徳川御三家の一つである
水戸徳川家の流れを汲む
讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ、
先人たちが受け継いできた日本の心、
文化伝統の素晴らしさを
人々に伝え続けている松平洋史子さん。

この変化の激しい時代において、
いかに日本人らしく、美しく優しく逞しく
生き抜いていけばよいのか、
その生き方のヒントを教えていただきました。

松平さんの記事の概要はこちらから

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立春&Je crois entendre encore :Bizet / 真珠採り

2024年02月04日 20時51分15秒 | 介護

 今日は早朝からの母の「あー」「あー」「あー」と私を呼ぶ声から始まりました。

起き抜けは喉がくっついて息が出来ないような気がするみたいです。

水分摂取後も、「助けて」

本格的にいつもの朝食のパンとカフェオーレのドリンクを飲ませた方がいいと思い作って飲ませると少し落ち着きましたが。。。

その後、7時のヘルパーさんが来て帰られた後くらいから痰が少しずつ出始めました。

が、なかなか全部は切れないので「吸痰をしてほしい」と言いました。

訪問看護ステーションに2回電話をしましたが、又、出ず

再び、担当の看護師さんに直接電話をしました。

酸素濃度は98%で、昨日まで吸引器を置いて下さっていたのですが、使わなかったので持って帰られたばかり。

ショート到着後すぐに吸痰してもらうのが一番早いかと思いましたが、母が「ショートでは何もしてくれない」と言いますので、訪問看護師さんからショートの看護師さんに伝えて下さるようにお願いしました。

それにしても、緊急の電話が通じないなんて、一刻を争う時困ると思いそのことは今回、お伝えしました。

ちょうどその時の訪問看護ステーションの担当看護師さんが別の患者さんと話をしていて、どうもキャッチホンが切れていた模様。

 母は今朝も前回に続いて「横になりたい」と言いましたが、結局は座っていた方が楽だったようです。

そんなこんなでバタバタとし、行った後の洗濯やら片付けなどをしていたら、疲れてしまって今日は休息日にしてしまいました

 

 

 

 

 今朝の果物

ドクターの許可が出ましたので、今朝は母はこの小さなおみかんを1個とバナナ2切れも食べました。

あと、おはぎも少し食べて、元気が出たようです

 

 

 

 

今日はこんな空でした。

午後から一時薄日が射して、ありがたいことにお洗濯物も乾きました。

 

 

 

 今日の「光る君へ」はお昼に観るのを忘れていましたので、夕方の6時から観ました。

大泣きをしました

8時からも観て又泣きました。

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば

(藤原道長)

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

(紫式部)

 

 

 

 

 明日はペインクリニックの日なので、その後で友人と「龍泉寺」に行こうと言っていましたが大雨になりそうですし、その上「孫がインフルエンザになった」らしく・・・。

数日間は接していないと言っていましたが、やはり私の母のことを気にしてくれていますので安全策を取って次回に行くことにしました。

今週は友人曰く「潜伏期間が終わる」水曜日に、梅を見に行くことにしました。

 

 

 

 

 今日は立春。

のんびりスタートの春となりました。

今日はこのような曲が心に沁みます。

 

Je crois entendre encore :Bizet / 真珠採り

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.4

 

名監督・廣岡達朗が語る人材育成法

 

人を育て強いチームをつくるには、
嫌われることを覚悟で
それまでの常識を覆すことも必要なんです。
何よりも大事なのは、
こちらが本気であることです。
━━━━━━━━━━━━━━
廣岡達朗(野球評論家)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●ヤクルトスワローズと西武ライオンズを
日本一に導いた名監督として知られ、
今年92歳を迎える現在も
野球評論家として活動を続ける廣岡達朗氏。

氏の活躍の原点は、若い頃より稽古に励んだ
心身統一合氣道で「氣」の働きを
習得したことにあるといいます。
心身統一合氣道の道統を継ぎ、
実践を通して「氣」の働きを伝え続ける藤平信一氏と共に、
人が心魂を鍛える上で何が大切なのかを
語り合っていただきました。

対談「人生、仕事の根本は氣にあり」。
概要はこちらから

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節分

2024年02月03日 21時57分50秒 | 介護

 今日は節分、明日は立春。

まだまだ寒い日が続くでしょうが、それでも季節が変わると言いますか、エネルギーが変わると言いますか。

お正月、旧正月、立春、春分の日など国や宗教などによって新しい年の初めも違いますが、それを境にエネルギーが大きく変わったり動いたりするのは確かな気がします。

季節の変わり目って何か良いことがありそうで、何かが新たに始まりそうでワクワクします。

でも、若い頃のように手放しで喜べるかと言いますと、やはり少し難しくなってきました。

季節の変わり目は気候変動も大きいのでそれに身体が影響を受けることが多くなった気がします。

 

 

 

 今朝の果物

畑のお豆さんのお花

 

 

 

 今日は節分ですから、お花を飾り、巻きずしを作りました。

豆はコメダの豆を食べました

 

巻きずしを巻く時に使う日本手ぬぐい。

京都の「京乃雪」にもらったものがちょうど大きさ的にも良い感じです。

今年はもう母も食べられませんし、買おうかなと思ったりもしました。

(以前、巻きずしをミキサーにかけたら真っ黒になって見た目も美味しくなさそうでした)

スーパーに行くとすごい人とすごい巻きずしの数。

あんなにあって売れ残らなのだろうかと思いました。

結局、高いし安いのは人工的な味がしますし、自分で作った方がいいと思い、ほうれん草だけ買って帰りました。

ご飯は半合。

海苔が3枚あったので、3本巻いたところやはりご飯が少なくていびつな形になりました

中身は厚焼き卵、ちくわ、カニフレーク、ほうれん草。

いたって簡単なので30分もしないうちに出来上がり。

 

お歳暮などで頂いたお澄ましがありました。

母にも形だけの儀式をした後、海苔をはずしてつぶして少しだけ食べさせてみました。

「美味しい」とは言いましたが、やはりミキサーにかけないと食べられないようでした。

段々と伝統行事を簡素化し手抜きしています、私

 今日の母はまずまずではないかと思われたのですが、本人はそうではないと言います。

ヘルパーさんが「今日は穏やかないい表情をされています」とおっしゃると、母は「よくない

本人にしかわからないですから、きっとよくないのでしょう。

 

 

 

 ところで、「節分」について少し前のデイリーニュースで取り上げられていました。

それによりますと・・・

群馬県には人々が「福は内、 鬼は内」と言う町があり、その町は「鬼石(おにいし)」と呼ばれ、鬼が町の守り神だそうです。

そこには聖人から逃げようとした鬼についての物語があるそうです。

鬼は大きな石を投げ、その石が落ちた場所に鬼石町が出来たそうです。

現在その町では日本の他の地域から追われた鬼達を迎えるための「鬼恋節分」祭があるとか。

もうひとつは・・・

「もしあなたの苗字がワタナベであれば、節分に豆を投げる必要はない。 それは渡辺綱(わたなべのつな)という侍が理由である。

綱の最も有名な戦いは京都の羅生門で行われ、彼はそこで最も強い鬼の一人の腕を斬り落とした。 この理由により、鬼はワタナベと呼ばれる人を非常に恐れているので、追い払う必要はない。」

・・・のだそうです。

「福も鬼も内」というのはよく聞きますが、この話は初めて知りました。

 

 

 

 

 

 回覧板が廻ってきて、大谷選手のグローブが近所の小学校にも届いたようです。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.3

 

国内外の要人が足を運ぶ下町の焼き肉店

 

人間、誰だって
一所懸命やっていると言うんだよ。
だけど、一所懸命のその先に
一歩進めるかどうかなんだ。
━━━━━━━━━━━━━━
豊島雅信(スタミナ苑)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●連日長い行列ができることで知られる
焼き肉店が東京の下町にあります。
一見、どこにでもある店のつくりですが、
国内だけでなく海外からも
名だたる人たちが足を運びます。
スタミナ苑を日本一の名店に育て上げた
豊島雅信氏はどのような哲学の持ち主なのでしょうか。
その波瀾万丈の人生を交えてお話をお聞きしました。

インタビュー
「なにくそ、負けてたまるか」
その精神が僕の魂に火をつけた
概要はこちらから

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今日はちょっと大変でしたが・・・&京都のお寺

2024年02月02日 21時52分52秒 | 介護

 今日は午後遅くから晴れてきて、やっと昨日と今朝の大洗濯物がすっきり乾きました。

気温はさほど高くなかったのですが(最高気温11.0℃、最低気温3.9℃・・・昨日はなんと8℃もあったようです)、日中家の中に居ても暖房を入れなくても過ごせました。

 

 

 

 今日の母はいつもよりも早起き。

6時半に目を覚ましました。

「おはよう。今日もかわいいね」と声をかけたところ「ほんとう

その後、痰を切ろうとして何度もエヘンエヘン。

すぐに飲み物(朝食のパンドリンク等)を飲ませました。

 7時にヘルパーさんが来て下さり、調子はまずまずのようでしたが、帰られた後、母の様子がいまいちとなりました。

しかも「💩に行きたい」と言いましたが、全く「立てない」と言います。

こうなったら私一人での力ではダメなのでさきほどのヘルパーさんがまだ近くにおられたらと思いましたが次のサービスに入られる直前でダメ。

次に訪問看護ステーションに電話をしました。

なぜか私が電話をした時は出ないことが多く、留守電に入れて、いつも来て下さる看護師さんに直接かけました。

この看護師さんも取り損なわれたようで一旦切れてしまいましたが、すぐに電話を下さいました。

事情をお話すると「仕事に行く準備中なので10分後に家を出る時にもう一回電話します」

その間にも何とか母を動かそうとしましたが、本人が無理と言いましたので待つことに。

最初の電話をしてから約30分後、看護師さんが来て下さいましたが、やはり看護師さん一人でも動かすのは無理で、以前のように看護師さんが抱えて立たせている間に私がパンツその他をおろし、ポータブルトイレに座らせようとするといきなり💩が~。

かなりの量の軟便でした。

「よく我慢したね~」と言いましたが、やはり半分は我慢しきれずパットの中に出ていて、下着も汚れていました。

私も看護師さんもハァハァ。

でも、一番疲れたのは母のはず。

その後、又二人で持ち上げて、着替えをさせてベッドへ。

母はぐったりしてすぐに寝ました。

昨夜から、安定剤をドクター指示で半錠飲ませたのが久ぶりだったのでよく効いたのかも。

 

今朝の果物

看護師さんに急いでモーニングを準備。

でも、全く時間がないと言われましたので、少しですがタッパーに入れてお持ち帰りして頂くことにしました。

 その後、母はしばらく寝るかと思っていましたが、1時間後には目を覚ましました。

その後はずっと一日ベッドで過ごしました。

今日は1時半から看護師さん、4時からリハの日でした。

食事はベッドで食べたものの、一日中いまいち活力なし状態でした

 

 

 

 

 最近、本当にスマホの翻訳システムがよく出来ていて感動します。

WhatsAppで日本語で話すと英語に翻訳したものを送ってくれるので、会話がスムース。

今日はお婿ちゃんが散髪後の写メを送って来ました。

こういう場合の最初の私の返事は「誰ですかこのかっこいい外国人は」というもの

「ちょ~かわいい娘のお婿さんに違いない」

「こんなに素敵なお婿さんなら、娘もちょ~かわいいに違いない」

「彼女は世界で一番かわいい」

と会話は続きます。

今日は伝統的なイタリアの理容院に行ったみたいで、ヘアスタイルが違いました。

彼は段々と髪が減って白髪も出てきたことをいつも嘆きます。

その度に「どんなになってもあなたはカッコいい」と私は言います。

すると「my okaasanだからそんなこと言うんだ」と彼は必ず言います(笑)

いつもこんな会話をお婿ちゃんと繰り返して遊ぶ私達ですが、日本人には決して言わないだろう言葉がすらすら出てくるから不思議です

娘は相変わらずいつも笑って幸せそうで(日本と大違い)、上の女の子の孫も日本よりも気に入っているようで、下の男の子は大好きだった幼稚園の先生が恋しいらしく、お婿ちゃんはどちらも好きだと言っていました。

「あなたはなんていい子なの」と言っておきました

 

薄雲がかかっていましたので、薄っすらとハロ現象が見られました。

 

 

 

 

 ところで、「クリンの広場」のクリンちゃんが京都の教会やお寺を紹介して下さっていて楽しみに読ませて頂いているのですが、その中に小野篁と彼にまつわる六道珍皇寺が今、とても興味深いです。

小野篁の歌が小倉百人一首の中にあるとはどこかで読んだのですが、母共々大の百人一首好きの私もどの歌かまではわかりませんでした。

ネットで調べてみますと

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」

この歌でした。

「この歌は、小野篁が、遣唐使船の乗船を仮病を使って断ったり、遣唐使を諷刺するような詩を作ったことが、嵯峨天皇の逆鱗に触れ、隠岐の島に流された時の歌らしい。」とネットには書かれてありました。

隠岐の島にはいろいろな人が流されていますね。

「江戸時代になるまでは天皇や公家など身分の高い者のみが流される土地」だったそうで、納得。

小野篁(802~852)という人、平安時代初期の公卿、文人、歌人です。

閻魔様の家来になったという人。

クリンちゃんにその時のいきさつについては「篁物語」に書いてあるとお聞きして調べてみました。

すると谷崎潤一郎が書いたものがありました。

「小野篁妹に恋する事 谷崎潤一郎/日本文学全集15」

小野篁とその異母妹の恋愛を描いていて、ドナルド・キーンさんはこの「篁物語」の第一話を10世紀のものとし、第二話を100年以上後のものとし、前半を『源氏物語』に影響を与えたと指摘しているそうです。

お~、ここでドナルド・キーンさんが出てきて、しかも「源氏物語」。

今、NHKの大河ドラマ「光る君へ」、楽しみに観ています。

ドナルド・キーンさんのことはまだまだ記憶に新しく、この方の波乱万丈の人生に想いを馳せました。

興味が次々に湧いて来ました。

クリンちゃん紹介のこのお寺や建仁寺に又いつか行ってみたいですが、先日のNHKのあさイチで、冬の京都の特集をしていて、出来ればこの冬の間に行ってみたいという思いが更に増しました。

コロナ前までは秋に友人と1泊で京都に行っていましたが、それ以来行っていません。

特に行ってみたいと思ったのが五大明王の壁画のある「仁和寺」。

12年に一度公開の龍に縁のある「泉涌寺」。

お勧めの喫茶店なども紹介していたようですが、バタバタしていてこの2つしか観ていません。

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.2.2

 

指導者、選手一人ひとりのメンタルが
どれだけ充実し、前向きになっているかが、
最後の最後に勝敗を分けるのだと思います。
━━━━━━━━━━━━━━
眞鍋政義(バレーボール女子日本代表チーム監督)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●東京2020オリンピックで
惜しくも10位に終わった
バレーボール女子日本代表チームを復活させるべく、
5年ぶりに代表監督に復帰した眞鍋政義氏。
同大会オリンピックにてメダルラッシュに沸いた
柔道全日本女子を
「準備力」をテーマに率いてきた増地克之氏。
今年開催されるパリオリンピックに向けて情熱を燃やすお二人に、
指導者のあり方を語り合っていただきました。
こちらから 

 

 

 

 

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ピョートル・ウスペンスキーの恋愛小説と神秘学


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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、チェコの首都プラハにある中世の天文時計など、話題に関わる写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1100352&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋では、昨晩から吹いていた強風は収まりましたが。寒い一日になっています。


そちらはいかがでしょうか。



今回は、有名な神秘家であるウスペンスキーのことを取り上げたいと思います。


◆ 神秘家ピョートル・ウスペンスキーの生涯、経歴と思想

ピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキーは、1878年にロシアのモスクワで生まれました。

若い頃にはモスクワの新聞社の編集局で働いていましたが、その後、神秘学(mysticism:神秘哲学)、物理学、数学についての講演を行ったり著作を残したりしています。

彼はロシアの、特に文学界と前衛芸術に大きな影響を与えました。


1913年には、秘伝哲学(esotericism)への興味からインド、スリランカ、エジプトに旅をし、帰国後にゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(1866-1949)に出会っています。

グルジエフは、ウスペンスキーよりやや年上のアルメニア(当時ロシア領)生まれの神秘家、舞踏作家、作曲家です。


第二次世界大戦が始まるとウスペンスキーは米国に移住しましたが、戦後は、以前に住んでいたことのある英国のロンドン郊外の村(Lyne, Surrey)に転居し、そこで1947年に亡くなっています。



古代インド哲学とグルジエフの思想が、ウスペンスキーに多大な影響を与えています。


参考記事:『3つのグナ』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1100353&c=3304&d=ed84


ウスペンスキーの著書『奇跡を求めて』によれば、以下に紹介される小説『イワン・オソキンの不可思議なる人生』で取り上げられている、自分を変えることの難しさなどのテーマは、グルジェフとウスペンスキーがかつて論じた内容でした。


ウスペンスキーの他の主な著作には、『宇宙の新しいモデル』、『ターシャム・オルガヌム』(第3の思考規範)があります。


・ 2つの結末を持つ著作

『イワン・オソキンの不可思議なる人生』は、青春小説であり恋愛小説ですが、ウスペンスキーの初期作品であり遺作でもあるとされます。

初版は1915年にロシア語で発表されていますが、彼の死の直後の1947年に、まるで遺書であるかのように、最後の2章が書き直された英語版が出版されているからです。

▽ ▽ ▽

以下は、作編曲家でベーシストの渡辺篤紀さんに、このブログのために書いていただいた文章です。



◆ 小説『イワン・オソキンの不可思議なる人生』について - 渡辺篤紀

この本のことは、「サマータイムレンダ」という、和歌山を舞台にしたアニメで知りましたが、このアニメは、いわゆる「タイムリープ」や「死に戻り」と言われるジャンルの作品になります。


未来を変えるために何度も過去に戻るわけですが、たとえ、過去の出来事がどうなるのか分かっていたとしても、なかなか未来を変えることができません。


未来を変えるために主人公やその仲間が奮闘する物語ですが、アニメの最後に、原作にはない部分が付け加えられており、そこにこのP・D・ウスペンスキーの「イワン・オソキンの不可思議なる人生」の題名だけが登場します。



何かの巡りあわせで、一か月ほど前にこの本を読んだのですが、その少し前に、実は、ゲオルギイ・グルジエフのことを書いて欲しいというリクエストがあったのです。


このリクエストのことはすっかり忘れていたのですが、この本のことを書くにあたり、もう一度調べてみると、作者のウスペンスキーとグルジエフは師弟のような関係でした。


・ あらすじ

この本のストーリーは、主人公のイワン・オソキンと、旅に出る恋人のズィネイダとのしばしの別れから始まります。

オソキンは彼女に思いを寄せていたのですが、そのうちズィネイダへの手紙の返事が滞りがちになり、ついには愛想をつかされてしまい、他の人と婚約したことを人づてに耳にします。


オソキンは失意のうちに、知り合いの魔術師の家を訪れ、何もかもうまくいっていなかったこの2、3年だけでもやり直したいと懇願し、「現在の記憶を持ったまま」過去に戻してもらいます。


このときオソキンは、過去に起こった不運な出来事、「学校の退学」、「母の死」、「叔父との不和」、「叔母の遺産をギャンブルですべて無くしたこと」など、人生のターニングポイントを覚えており、どう対処したらいいかを分かっているつもりでした。



しかし、実際に過去に戻ってみると、何が起こるかを知っているにもかかわらず、機械仕掛けのように、また同じことを繰り返してしまいます。


時にはそうなるまいと、自分の意志の力を使ってあらがおうとしますが、どうしても同じ結果か、それ以上に悪い結末が待ち受けています。


そして、また冒頭の旅立ちの場面へと戻るわけですが、その後、再び魔術師の元を訪れます。


・ なぜ、未来は変わらないのか?

私たちは生きているうちに失敗や成功を何度も繰り返します。

たいへんな失敗をした後に、「もう一度あの時に戻れたら、あんな失敗はもうしない!」と思ったことが、誰しもあると思います。


では、実際に過去に戻れたとしたらどうでしょうか?


しかしおそらくオソキンと同じように、ある出来事に対して、同じような反応やプロセスを繰り返してしまうのではないでしょうか?



実際にオソキンも、何が起こるのか分かっているにも関わらず、同じことを繰り返してしまいます。


その理由は、根本的な物事の考え方、思想、趣味嗜好や過去の経験など、さまざまなものが絡み合って人間の精神的な部分、人格や性格、気性や性向と言われるものが形作られているからだと思われます。

この部分の何か一つでも変わらない限りは、ある出来事に対して「行ってしまう」反応は、おそらく同じものになります。


だから、オソキンは、頭では「こうしてはダメだ」と分かっていても、彼の考えから導かれる判断によって、彼自身が間違った方向へと自然に導かれていきます。


・ 本当に変えなければいけないもの

その後、再び魔術師の元を訪れたオソキンは、実は自分がここを何度も訪れており、そのたびに過去に戻してもらっていたことを知ります。


そして、自分が過去にも同じことを繰り返し、逃れられない「同じ輪」、「罠という生」があることに気づき始めます。


そして、ついに魔術師に「それなら自分はどうしたらよいだろう?」と尋ねます。



魔術師は、「友よ、知り合って以来、初めておまえがまともなことを口にするのを耳にした」と言い、

「自分自らが望むこと、求めること以外には手を貸せない」ことを告げます。



今までは、自分の不幸を呪うことしか口にしなかったオソキンが呟いた

「それなら自分はどうしたらよいだろう?」

という問いに対して、魔術師が初めて生の仕組みについて話し出します。



・自分で決めなければいけないこと

・盲目のまま過去に戻っても何も変わらないこと

・何があっても生きるしかないこと

・自分が変わらずに、物事はひとりでには変わらないこと

・自分を変えることは、思っているよりも難しいこと

・すべては単純で簡単だと言ってくれるインチキ教師がいること

・自分に無いものは、自分ではわからないこと



そしてオソキンは魔術師に、どうすれば物事が変わりだすのかと問います。


「まずは自分を変えなさい」などとあまり意味のない答えが返ってくるとオソキンは予想していましたが、魔術師の答えはオソキンの予想を裏切るものでした。



「自分が自覚をもって生きるには、何か大きなものを犠牲にする必要があり、20年か15年、オソキンの人生を魔術師に任せろ(教えを乞う)」というものでした。


そして、この期間が過ぎたのちであれば、自分の知識を自分自身のために使えるようになっているのだとオソキンに告げます。


その後、オソキンがどう判断したのかは、ぜひ本を読んでみてください。


・人生の狭間にて

最後に、この本の魔術師の言葉でこの文章を締めたいと思います。

この言葉もよくよく見ると、人生の輪をあらわしているように思います。


「原因を作らずして結果を得ることはできない。」


「犠牲をもって支払うことで人は原因を作る。」


△ △ △


下記は前回の渡辺篤紀さんの記事です。どうぞ、こちらもお読みください。


記事:『クロスモーダル現象とは?風鈴の音を聞くとなぜ涼しく感じるか。京都の「おもかる石」』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1100354&c=3304&d=ed84


では、今日はこの辺で。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。


==============

■ 編集後記

近所の寄せ植えです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1100355&c=3304&d=ed84

==============


コメント (8)
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母がショートから帰ってきました&ブログで自己完結?

2024年02月01日 22時14分30秒 | 介護

 今日から2月。

月日の経つのが本当に早いです。

今日は曇り、一時雨でした。

 

 

 

 今朝の果物

整体に出かけたついでにお花ウォッチィング。

 

梅の花も木によるのでしょうか。

公園の梅はまだまだ咲きそうにありませんが、ここの白梅は満開でした。

 

遠かったのでアップでは撮れませんでした。

 

紀友則

きみならで 誰にか見せん 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る 

 

 

 最後に教会に寄るとお花が更に増えていてとても綺麗。

 

 

お庭の草取りをなさっていた信徒会長さんに寄りますと、ベトナムの人達は教会のお金を全く使わないで自分達の力でクリスマスの飾りやこれらのお花を飾っているそうです。

次の日曜日に司教様の公式訪問があるので、それまではクリスマスの飾りも撤去しないで(普通は1月7日の公現の祝日まで)司教様に見て頂くために飾ったままにしているそうです。

「それでなのね~」と納得しました。

司教様の公式訪問の理由はベトナム人の方々の堅信式の為。

その後茶話会があり、それから赤磐にあるベトナム農園のビニールハウス(大きなのが出来たそうです)の視察をなさるそうです。

ベトナムの人達は今、聖歌も日本の歌を歌えるように一生懸命練習としているとか。

次の日曜日は堅信式の為に御ミサが長引くようなのでもしかしたら母がショートに行った後でも間に合うかも。

 

ほんとに綺麗

 

 

 

お気に入りのカレンダーの2月

 

 

 今日、母は2時20分頃帰ってきました。

最初は調子が良さそうでしたが、徐々に又口の中が気になって・・・。

沢山の洗濯物を持って帰っていましたので、それもしなくちゃとバタバタしていると、何度も「掻き出して」と泣くように言い続けます。

往診に来て下さったドクターにも何度も何度も頼んでいました。

「何もないし、何ともなっていないよ」と言われても「そんなことはない」と母。

看護師さんが「2人きりだと参りますね」と理解を示して下さいました。

この看護師さんは外来の看護師さんなのですが、以前母が総合病院に入院して、胃ろうか胃管かという問題や、拘束されてすごい力で嫌がってそれでも外してもらえないとわかると絶望して泣き始めたことがあり、私の血圧が200を超えてしまったことがあった時、「寄って血圧でも測って帰ったらいいよ。いつまでも待っているから」と言って下さった方です。

有難いお言葉でしたが、寄って帰ることが出来ないくらいふらついていました。

しばらく待ってもダメでしたので「がんばってこのまま帰ります」と言って帰りました。

振り返ったら、母が何度も急に意識不明になってスーパーの駐車場で雨の中を救急車を待ったり、家の前を通る中学生が助けてくれたこともありましたっけ。

転倒した回数は少なくとも40回を超えるのではないかと思います。

何度救急車のお世話になったことか。

誤嚥性肺炎や喘息や尿路感染症でもかも。

自力で夜間救急へ連れて行ったことも何度もありました。。。

本当にいろいろなことがありました。

今はフィジカル的には落ち着いているのではないかと思いますが、メンタル的には不安感が大きくなっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 ところで、私の感覚なのですが、ブログを書いている方々は自己完結型が多いのではないかと思います。

日本人にはこのタイプが多いらしいですが、特にブロガーは。

回りを巻き込んでいくタイプではなく、自省するタイプと言いますか。

どちらにも長短ありますので、いい悪いの問題ではありません。

何となく最近、自分がそう感じています。

だから、ブログを書いているのか、書いているから自省し、自己完結してしまうのか、卵が先か鶏が先かわかりませんが、何となくそう感じます。

ブログはこうして書くだけでも随分精神安定の為にもなっている気がします。

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2023.2.1

 

不可能だと思われる難しいチャレンジに、
「昨日の不可能を、今日可能にする」、
この気概を持って世界に貢献していきたい。
━━━━━━━━━━━━━━
出雲 充(ユーグレナ社長)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●『致知』2024年3月号が発刊されました。
テーマは「丹田常充実(たんでんじょうじゅうじつ)」。
少し難しい言葉ですが、
「特集総リード」には次のように述べられています。

丹田とは臍の下三寸(十センチ)あたりの下腹部を指す。
「ここに力を入れると健康と勇気を得るといわれる」
と広辞苑にある。
「丹田常充実」とは、生きていく上で
丹田が常に充実し力に満たされていることが大事、
ということを教えている言葉である。
(中略)
丹田常充実とは文字通り、
いつも丹田が充実しているということである。
平たく言えば、いつも気合いが入っているということである。

コメント (2)
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