膠原病の検査の為に病院へ

2022年05月31日 23時55分40秒 | 医療、病気

 雨上がりの朝でした。

やはり、雨と紫陽花のお花はよく似合います。

毎年、この時期には4時半には目が覚めているようです。

お散歩へ。

 

 

教会

  

この紫陽花の蕾は本当にかわいい

 

 

アナベルが雨に濡れて、サンカヨウのように透けて見えます。

 

今日は晴れ予報でしたが、7時半くらいまでは曇り空でした。

公園から離れて、ご近所ウォチンィングヘ。

 

柏葉紫陽花がどこも見事に咲いていました。

 

 

この紫色のガクアジサイが一番好きかも。

ブルーも綺麗ですね。

 

 

 

これはすいかではなく、かぼちゃですよね

 

一重のガーデニアが咲いていました。

 

ガーデニアがやはり欲しいと今年も思っています。

八重が好きなので、買うなら今ですよね。

すでに遅い

 

これ、もみじです。

珍しくカラフルなユリを植えておられるお宅がありました。

 

もう玉ねぎの収穫が終わったようです。

この風景、好きです

滅多に見られませんが。

我が家の玉葱は6月には収穫出来ると言われていましたが・・・。

明日から6月。

そろそろ収穫出来るのでしょうか。

どこの紫陽花も綺麗。

 

 

これは柿

ノウゼンカズラもかわいい

 

 

この和テイスト、素敵です

いつも見慣れていた薬局が消えていました。

ここの美しい赤い紫陽花が見たくて、この方面へ今日は歩いて来たのですが・・・。

ふと見ると、前の整形外科が移転したことがわかりました。

少しの間に、随分と風景が変わりました。

こちらも和テイストで、好きなお宅です。

 

びわがたわわに実っています。

買うと高い。

こういう時、果実の木を植えているといいなあ~と思います

 

こちらはブドウです。

 

 

雨もいいですが、雨上がりも瑞々しくていい感じ。

 

 

 ここから我が家です。

 

雨に当たっているバラは痛んでいます。

ブルームーンはたくさん咲いていますが、どれも茶色っぽくなっています。

 

このフルームーンは雨に当たっていないので綺麗です。

 

深紅のバラも5本のうち4本は雨に当たらないので葉が傷みません。

 

きゅうり、明日の朝は収穫しなくては

 

 

 今朝の果物

 

 午前中は「整理整頓のつねさん」が母の友禅染を額縁に入れたものと叔父の烏城彫りを取りに来て下さいました。・

母のものはこれもフォトブックにして、母と家に置いておくものを選ぶ予定です。

(海外へのお土産用も含めて)

その他のものは売る予定です。

売れないものは基本、どなたかに差し上げて下さるそうで、どんなものでも捨て去ることはないそうです。

 

 午後の1時半からは膠原病の検査でした。

1時前後に家を出ました。

着いたのは1時10分

それから待つこと1時間。

ドクターは岡大から毎週火曜日にいらっしゃっている膠原病の専門医。

初診ですので丁寧に今までのことを聞いて下さいました。

診察も含めて30分以上は診察室の中に居ました。

この時点でドクターが言われたのはまずバリバリのリュウマチや膠原病ではないということでした。

ではこの数年来の痛みがどこから来ているかですが、詳しいことは検査結果(3週間後の21日)を待たないといけませんが、行きつけの病院の院長先生のように腰も痛くはないかと押されました。

可能性として、交通事故の後遺症ではないかということ。

もう10年少々前のことですが、仕事帰りに2号線バイパスの上で渋滞の為に停まっていました。

そこへ後ろから80kmのスピードで(ご本人曰く)、激突。

お互いの車が全損でした。

こういう時って不思議とスローモーションのようにしかも鮮明に遠くまで見通せているっものです。

この後続の車は女性二人が楽しそうのおしゃべりをしていて前を見ていませんでした。

これはヤバいと身構えた時、気が付いた女性たちの驚きの顔。

もう間に合いませんでした。

この時の後遺症は今でも左足の痺れとして残っていますが、ドクターが言われるには脳髄膜炎?が少しずつ染み出て体中に痛みを感じるケースがあるということ

でも、これは最後の診断になると言われました。

又、膠原病のいくつかの項目の値が高いのはびっくりするだろうけれども、昔の甲状腺のホルモン以上のいたずらではないか、又、何ともなくてもこの値は高くなることもあるようです。

甲状腺が悪かったのは2人目に子供の出産前後。

私は死ぬ確率、子供の奇形率の確立も高く、医者は堕胎するように言われましたが、私は死んでもいいから産むという決断をしました。

お陰様で私も息子も元気ですが、出産後から更に私の病気が悪くなり倒れて緊急入院。

この時は本当にいつ死んでもおかしくないくらい悪いと言われていましたので、「もう死んでもいい」と救急車の中で思ったのを覚えています。

その後、いろいろと大変なことがあり、今でも調子が悪いですが、長い年月をかけて徐々に回復しました。

子宮内膜症や卵巣嚢腫も同じような経過をたどり跡形もなく(そういうことはないそうなので、健診の医者は私が勘違いをしていると言われましたが)消えました。

ドクターはそういういきさつからも考えて、ホルモンの異常、自己免疫疾患の後遺症?みたいなものかもしれないとも言われました。

いずれにしましても、今日はレントゲン、骨密度、血液検査をしました。

帰り道

病院を出たのは4時。

 

 

 

母の所に荷物を持って又寄りました。

 

母の体調は今日はよくないそうです。

退院出来るのかどうなのかソーシャルワーカーさんや看護師さんに伺うと、時々酸素吸入をしたり、熱が出たりを繰り返しているようです。

「それは誤嚥性肺炎ということですか」と伺うとそうだとのこと。

恐らく、今後帰っても熱が出て又、入院ということを繰り返すことになるのではないかと思うと言われていました。

そして、不調の日が多いのでなかなかリハビリが進まないようです。

でも、来週の初めには前と同じようにショートステイへ一旦行ってからの帰宅という形になるのではないかと言われていました。

母は本当に苦しい晩年となったとつくづく思います。。。

 

 

 

 

 

 昨年は決死の覚悟で行ったワクチンが見送りになった日でした。

その後、しばらく受けなかったですが、ついに12月に打つことになりました。

昨年の今日の記事

ワクチン、まさかの「見送り」

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

追悼・JR東海名誉会長 葛西敬之さん

 

自分の命を懸けてでも
やるぞという覚悟があり、
そこに正当性や必然性、
大義があれば、
天の運も呼び込んで難局を
乗り越えることができる

━━━━━━━━━━
葛西敬之(JR東海名誉会長)
━━━━━━━━━━

旧国鉄の分割民営化という
大改革の一翼を担った
JR東海名誉会長・葛西敬之さんが、
令和4年5月25日、ご逝去されました。

月刊『致知』には何度もご登場いただき、
うち3度は表紙を飾っていただきました。

前例のない改革を成し遂げた業界の旗手として、
晩年までリーダーに求められる資質、
古典の教えを授けてくださった
葛西敬之名誉会長。

2018年4月にご登場いただいた
記事の一部をお届けし、
生前のご活躍に敬意を表し、
ご冥福をお祈りいたします。

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少しだけ雨&片付け

2022年05月30日 22時36分40秒 | 掃除、片付け、断捨離

 雨降りの朝はこんなに良い天気でした。

雨雲レーダーに寄りますと雨が降るのは夕方の7時。

でも、歩いている間にどんどん雲が西から広がって来て、家に着いてしばらくすると「間もなく雨が降ります」。

慌てて窓を閉めて廻りましたが、結局、一日を通して期待したほどには降りませんでした。

 

 

朝から雲が面白くって、陽射しも葉が透けて美しかった

 

教会の紫陽花はいつものように金平糖にようにかわいくて

 

 

 

 

 

カナダで見たオーロラのような

 

ママ友ガーデン

アゲハ蝶が眠っていました。

 

 

今年最後のバラ

 

オーロラのように雲が少しずつ変化。

(オーロラの変化は速いです)

 

 

アオサギ

ピンク色の濃いかわいい紫陽花

 

ガーデニアの蕾はまだ固かった。

 

 

今日はご近所を歩きました。

 

段々と雲が厚くなってきました。

 

タイサンボク

 

大きな大きな木です。

雲が面白~い

 

 

 

綺麗です

 

 我が家のバラ

 

きゅうりとバジル、シソ

 

ミニトマト

別の場所のバラ

 

 

 今朝の果物

 

 今日は午前中、沖縄に引っ越した友人とZOOM。

午後からは「整理整頓のつねさん」が来てくれました。

今日は母の掛け軸を全部持って帰って頂き、フォトブックにして頂くことに。

又、ファイラのエプロンが売れたようで、そのお金も持って来てくれました。

あとは先日、仕分けしたポイントカードや診察券類の残りを更に後押ししてもらい処分。

結婚直後からのものがかなりすっきりしました。

 明日の朝は、これまた多い叔父の作品の「烏城彫り」。

かなり手が込んでいますが、大きな飾り盆から普通のお盆(いろいろな形やサイズ)、菓子器、手鏡、茶器入れなどを売って頂こうかと・・・。

ものすごい数の備前焼と母の表装同様、海外の方々へお土産に差し上げたり、結婚式に持って行ったりして配りましたが、まだまだあります。

私が今後海外に行く時、お土産として持って行きたいと思ってはいますが、あまりにも量が多く、持ち込める量にも制限がありますし、何よりもそんな体力がなくなりそうです。

娘一家と親戚の居る国々に行くならある程度は何とかなりそうですが、行けたとしても2回くらい

(ワクチンを打つ時に一緒に連れて行ってあげるからと買収されました)

物が多過ぎ

これでは、シャアハウスも出来る状況ではありませんし、私の代で何とかしておかなくてはとつくづく思っています。

こうして徐々に「もったいないなあ」と思いながら進めてはいますが、視点を変えて見ると、家中を見渡してみて、例えば海外に住む時に絶対に持って行こうとか、これだけは捨てたくないというものは「ない」と思えます。

それならもっと捨てられるはずですが、なかなか

今日、つねさんに持って帰って頂いたものは母の表装した掛け軸中心ですが、描いた額や友禅染の作品も又持って帰って頂いて同じようにフォトブックにしたいと思っています。

そして、その中から厳選して、家で春夏秋冬使うもの、置いて置きたいものだけ選びます。

この作業は母にも一緒にしてもらいます。

掛け軸にしても母がいちいち開けて見て確認していたのでは時間切れになりそうですし、何よりももう和室へ行けるかどうか。

ここ数回母と作業をして、テプラーで軸の名前を打ったりしましたがとてもじゃないですが量が多過ぎ

そして、母が出来る量は1時間半で数本

つねさんとの作業が終わって、「途中で病院から電話があったのはいいの」と聞かれましたので「今日は胃の調子がいまいちなので又明日にでも行きます」と言いますと、またつねさんが「ついでだから連れて行ってあげるよ」と言ってくれました。

母のお洗濯物やおしめを持って行き、MRIの紹介状を取りに行く用事がおかげさまで片付きました。

 

 

 明日は膠原病外来に紹介状を書いて頂いていますので行ってきます。

又、腰のMRIは6月15日の午後に決まりました。

 

 

 今日の母は看護師さんのお話では調子が良さそうで、ちょうどリハビリをしている最中だったようです。

「時計が壊れたので直して」と母から預かって、洗濯物と一緒に持って来て下さいました。

電話が掛かって来ないから心配していたと話しますと、充電が切れていたそうです。

今夜は何回か掛かってきましたが、聞こえないのか会話になりませんでした

 

 

 

 

昨年も今年も大差なし

昨年の今日の記事

動き回る母&A. Piazzolla. Libertango

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

会社がおかしくなる6つの要因

1.マンネリ
2.油断
3.驕り
4.妥協
5.怠慢
6.諦め

━━━━━━━━━━
永守重信(日本電産社長)
━━━━━━━━━━

1973年、28歳の時に僅か4人で
立ち上げた日本電産を、
一代で世界一のモーターメーカーに
育て上げた永守重信氏。

2011年10月号「人物を創る」に
ご登場いただいた際には、
会社がおかしくなる6つの要因を
次のように語られました。


   *   *   *


だいたい会社がおかしくなる要因を
六つ挙げよと言われたら、
一番はマンネリでしょう。

それから油断、そして驕り。
人間はすぐこういう躓きをするのですが、
この段階はまだ元に戻せるのです。

その次が妥協。
震災がきたのだからしょうがない、
円高だからしょうがないと妥協する。
これはもうさらに落ち込みますね。

次は怠慢です。
頑張っても怠けても
給料は一緒じゃないかとかね。

そして最後は諦めです。

そんなこと言ったってできません、
という考えが
はびこってきた時は末期症状ですね。

最初の三つはそんな大敵ではないけれども、
後の三つに陥ったら
もう取り返しがつきません。


............................

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今日は特別暑かったです。

2022年05月29日 21時02分22秒 | 医療、病気

 朝は肌寒いのに、日中は今日は又、特別暑かったです。

今日の最高気温は32.3℃、最低気温は15.3℃でした。

家の中に居ても、もわ~っとしました。

 

 

 昨日は0時前にはベッドに入りました。

(もう少し早く入るようにがんばります

目覚めはやはり4時半。

起き上がって、窓を開けて廻り、お散歩へ。

教会の紫陽花が金平糖のようで本当にかわいい

 

 

ベトナムの方が飾られたのでしょうか。

マリア様の前にお花が。

早朝から、また夕方も旧保育園(今は何と呼ぶのか、ベトナム交流センター)で作業をしたり御聖堂の中に集まっています。

居場所が出来たようで良かったです。

 

この方は母と同じ年です。

耳が少し遠いですが、介護保険を使ったことがないそうです。

毎朝、10週歩かれています。

ママ友ガーデンの朝の陽ざしが綺麗です。

 

 

 

次の楽しみはこのユリ

私は今日は7周歩きました。

病院に行かなくてはならなかったので早めに帰りました。

 

 

空も見飽きません。

 

 

 

 

 

 我が家の庭の天使

 

ユリが咲くかな~

 

きゅうりが育っています。

 

3本かと思っていたら、今、写真で見るとその奥にもう1本見えます。

今日の収穫。

今年初めてのきゅうりを収穫しました

今朝のサラダ用です。

 

 

 今朝の果物

・・・と言っても一度には食べられないので、一日かけて食べています。

初きゅうり~

瑞々しいですが、昨日収穫した方が良かったかもしれません。

 

 

 先日、総合病院でもらったお薬が今日でなくなるので、朝一で行きつけの診療所に行きました。

もう飲まなくていいのか、頓服も3種類あるので痛くなった場合は一体どれを飲んだらいいのか等お聞きしたいと思いました。

 

診療所のバラも終わっていました。

 

  

 

 

玄関の木漏れ日

 

 

 今日は院長先生でした。

胃と右の脇腹とか腰が痛いのは別もののようです。

胃薬はもう1種類以外は飲まなくていいと言われました。

1種類の胃薬は逆流性食道炎のお薬のようで、これは1日に1錠のみ。

それ以外の毎食飲んでいたお薬はもう要らないと言われました。

そして、お薬を整理しメモに書いて、クルップで留めて下さいました。

「院長先生、こんなだったっけ」とホスピス時代を懐かしく思い出しました。

 

 後者の脇腹とか腰の鈍痛については MRI を取りに行くことになりました。

院長先生が押された腰の辺りの一点が痛くてそこが原因で右側が痛くなるみたいです。

内臓でもなく骨でもない

太もものあたりまで鈍痛が来ないかと言われて、やはり流石に院長先生だなあと思いました。

そうなんですよね。

それで、「骨の異常ではないという安心のために MRI を撮ろう」と言われました。

今日は休日ですから、明日、いつ行くか連絡が入る予定です。

火曜日も膠原病かもしれないので同じ総合病院に行く予定になっています。

何だか最近、病院ばかり行っている気がします

でも、今のところ、重い病気らしきものはないのでほっとしています。

 

母に新聞を持って行き、着替えたパジャマその他を持って帰りました。

看護師さんのお話ですと、今日、お風呂のようでした。

今日から痛み止めのカロナールが始まったそうです。

今週末には帰れるのではないかと言われていました。

又、その後入れ替わりで掛かってきた看護師さんからのお話によりますと、酸素吸入が昨日で終わったとか。

そんなことしていたなんて初めて知りました。

(救急車の中で3Lしていましたが)

お風呂に入っても特に変わりなく大丈夫だったようで、お食事もムラはあるけれども、調子がいいと半分から8割は食べているそうです。

今回は特に入院時の目標がないので看護師さんも何とも言えないと言われていましたが、骨折はしていなかったようです。

最初は痛がっていましたが、その痛みも今は大分収まってきたそうです。

担当のドクターがこの週末お休みだったので、又、明日以降連絡があると思いますと言われました。

 

 

 

 予約外で行きましたので、終わったのは約2時間後。

その後、帰りにマッサージに寄りました。

私の場合、右が集中的に凝ったり痛かったりしますので、「わからないけれども、その腰の痛みは筋肉ではないかしら」と言われました。

パン屋さんのお話が出たので、帰りにクロワッサンサンドを買って帰りました。

イタリアのドーナツらしいです

レモンが美味しそうでしたが、脂っこいものはやはり避けた方がいいと院長先生に言われましたので見ただけ。

 

 

 

 

 お昼からの予定が無くなりましたので、今日はお薄を点てて頂きました。

お菓子は先日、源吉兆庵で頂いたものです。

美味しく頂きました

 

 

 

 今日も母からは連絡がないです。

新聞を読んでいるのか、私が母が好きそうなTV番組に印を付けておいたので観ているのか、あるいはスマホの充電切れ

これは本人が気が付いて出来るので違うと思います。

 

 

 

 今日はいつもより早くアップ出来そうです

 

 

 

 

昨年の今日の記事

母&Nearer,My God, to Thee

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

人を育てる10の心得

 

1、笑顔で相手のいいところを褒める
2、注意するときは言い方に気を付ける
3、相手との気持ちを通じ合わせる
4、気分転換させる
5、不器用な人、要領よくできない人ほど、
  より可愛がって大事にする
6、自己啓発の機会を体験させる
7、ひと言多い子や段取り優先な子を注意する
8、知識を教える
9、相性が合わない場合には配置換えをする
10、責任は自分が背負う


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小田真弓(和倉温泉 加賀屋女将)
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暑くなってきました。

2022年05月28日 23時14分22秒 | 自然

 昨日寝たのは0時半。

もう朝かと思いましたが2時過ぎに目が覚め、再び目が覚めたのは4時半。

お散歩に行くことにしました。

 

教会の紫陽花

 

 

 

 

 

 

朝日が射してとても綺麗でした。

 

ママ友ガーデンも同じく。

 

 

 

  

ユリが咲くのが楽しみ

公園の側のお宅のズッキーニ。

お花が3つ。

前日までの雨に関わらず、日中が暑かったので、紫陽花がこんな状態に

 

本当に陽射しが美しい

 

あの親子さんをお見掛けました。

お母様、お元気そう

 

青いモミジは圧倒的に好きですが、赤いモミジも陽が射し、陽に透けてこんなにも綺麗でした。

 

 

 

  

 

赤く細い茎が愛らしい

 

今日は8周、歩きました。

我が家のバラ

 

 

きゅうりが収穫出来そうでした。

今年一番に出来たきゅうりですので母と一緒に食べたかったですが、残念。

明日の朝、収穫することにしました。

二本目はネットにかかっていましたので外しました。

 

我が家の柏葉紫陽花が5輪咲いています。

 

明日は切ってお玄関に飾ろうと思っています。

 

 今朝の果物

 今朝の朝日新聞の広告より。

興味のある読みたい本です。

 

 今日はお台所のテーブルを動かしたりして配置を変えたり、提出する短歌を選んだり、バラ十字会のお勉強をしました。

とてもいいお天気でしたので、母のお布団も私のお布団も干しましたのできっと今夜はお日様の香りがすると思います

 今日は母から連絡がありませんでした。

又、寝ていたのかな。。。

明日、今のところの予定では入院が長くなりましたので、新聞を持って行こうと思っています。

母は土曜日に入るB版が特に好きなのです。

いつもクイズを楽しんでいます。

又、病室に届くようにした方がいいのかどうなのか。

今回は短期だと言われましたので、新聞屋さんには連絡をしないでいます。

又、お風呂はまだ無理でしょうが清拭はして下さっているでしょうからお洗濯物があるかもしれません。

 今日はいい調子で途中まで過ごせていて早くベッドに入れそうに思いましたが、結局、同じ時刻になってしまいました

う~ん、どうして

お水遣りが終わったのが8時半でした。

30分少々かかります。

夕方のお散歩には今日は行きませんでしたが(8000歩近いので)、思い出してお買い物に行ったりしました。

とにかく、もう少し生活の見直しをしなくちゃです。

今日の気温は29.7℃。

明日も暑くなりそうです。

昨年の今日の記事

母との会話

★致知一日一言【今日の言葉】

宇宙を味方にする方程式

神様を上手に使いこなすには、
否定的な言葉を口にしないこと。

そして、なんでも肯定的に捉えて
それを言葉にすること


━━━━━━━━━━
小林正観
(「ありがとうの法則」で知られる
心学研究家)
『宇宙を味方にする方程式』より
━━━━━━━━━━

◆『宇宙を味方にする方程式』とは
───────────────────

毎日が楽しくなる肩の凝らない人生論!

「うれしい」「楽しい」「幸せ」「愛している」
「大好き」「ありがとう」「ついてる」。

この7つの言葉を発して毎日を過ごすと、
健康かつ幸せになれると説くのは、
潜在能力研究家の故・小林正観さん。

30年来、人間の潜在能力に関心を抱き、
研究を続ける中で、
遂に「宇宙の法則」を解明するに至りました。
その教えはいまなお多くの人から求められています。

「花粉症になる人の方程式」「倒産する会社の方程式」
「絶対に太りたくない人のためのダイエット方程式」
「お金に困らなくなるための方程式」
「がんになる人の方程式」
「毎日が楽しくて仕方なくなる方法」等々……。

老若男女を問わず、誰もが知りたい
日常生活を好転させる方程式が満載です。

............................

『宇宙を味方にする方程式』(小林正観)
~健康かつ幸せになれる7つの魔法の言葉~

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紫陽花の季節&母が36回も・・・

2022年05月27日 23時00分00秒 | 介護

 昨夜の雨は2時までが1時になり更に早くなって0時には星空が見えていました。

でも、よく降りました。

 

 

 まだまだこれからですが紫陽花の美しい季節になってきました。

 

 

今日はご近所ウオッティングをしました。

 

3軒続けてアマリリスが咲いていました。

 

 

ブラシの木

 

この紫陽花はとても赤系のかわいい色です。

毎年楽しみにしています。

  

 

もうひとつの愉しみはガーデニア(くちなしの花)。

蕾を見つけて嬉しくなりました

 

 

タイサンボク

 

このザクロはよく見る色です。

 

教会の紫陽花

この紫陽花は本当にかわいい

 

金平糖みたい

 

アナベルも好きです

 

 

 

 

8時にはすでに晴れていましたが、2時間くらい前は曇っていました。

夜中には止んでいたはずですが。。。

 

ママ友ガーデン

 

 

 

 

 

キバナコスモスが咲いていました。

 

ズッキーニ。

大きなお花です。

 

 

我が家の畑

きゅうりが2本のようです。

これからが楽しみ

 

サラダコーンも大きくなりました。

 

母に買った紫陽花は根付いたようです。

一輪だけ残って咲き続けています。

 

 

傷んでいますが、このブルームーンが30輪くらい咲いています。

お手入れをしていたら、ちょうど🌹バラ好きな方が通りがかられました。

このブルームーンがとても綺麗だと言われるので、挿し木にも出来るように切って差し上げたところ、とても喜ばれて、私もハッピーな気分になり嬉しかったです❤️

 

 

 

 

 

 今朝の果物

どうしても多くなってしまいます

昨日、源吉兆庵で買ったチョコレート。

 

 

 今日は領収証やポイントカードの整理をして、半分以上かなり捨てました。

でも、まだまだ捨てしろがありそうです。

もう行くことはないに違いない大病院の診察券がずらっとありました。

子供の診察券まで。

結婚直後位からありましたのでかなりのカードの数でした。

 

 

 

 今日の母は11時半位から4時半位までの間に36回も電話を掛けてきました。

最初の5分位の間に9回も。

その後お食事やリハでもあったのか、1時間くらいまとまった時間掛かってきませんでしたが、それ以外何度も何度も

いくら「もしもし」と言っても何も言いません。

そして、また直ぐに掛かってくるを繰り返し

途中、運よく何回が少しの間話せたのを繋げると、昨日は一日寝ていた、食事が美味しくない、私の作るひじきやきんぴらごぼうが食べたい、私がいいと言わないと帰れない(いいと言いました)、でも、まだ痛みが残っていて起き上がれない状態、帰りたい等など。

ドクターも早く帰ることが出来るように言われていましたので、木曜日あたりには帰れるのかと思っていましたが・・・ご連絡なし。

私の胃を心配して下さっているのもあるかなと思いました。

でも、母曰く、まだ寝た切りのようですから段階的に訓練して起きてポータブルに行ける位にならないといけないと言われたそうです。

声は前回と今回の入院を通して、一番良かった気がしました。

エネルギッシュとは言えず、まだ気弱そうではありましたが、かなりしっかりしてきました。

良かった

 私の胃もお薬の飲み方が変わったのが良かったようで、段々と良くなってきました。

まだバナナや油の多そうなものは恐々ですが、でも、多分、もう大丈夫な気がします。

脇腹の鈍痛は今少しといったところでしょうか。

母はスタッフの方にも言われたのでしょう。

私の胃痛を気にしていましたが、もう大丈夫だと伝えました。

 

 

 

 

 

 以前のように10時には寝ようと逆算してみました。

9時半にはベッドに行く準備をしようとしたら、お風呂は体温の関係でその1時間半前が良いそうですので8時入浴。

ブログはそれまでに書く。

・・・と予定をしたのですが、なぜか同じ時間帯になってしまいました。

う~ん。。。

何故かな

もう一度生活の見直しをしてみます。

今日のバラ十字会のメルマガではないですが、睡眠は本当に大事なようです。

7時間は寝たい。

睡眠時間は関係ないようですが、うたた寝すると言うことは睡眠不足に違いありません

今日は一日家にいましたので、そのせいか午前中すでにうたた寝をし、夜もブログを打ちながらうたた寝。

TVを観る訳でもないのになぜか遅くなる

 

 

 

 

 

昨年の今日の記事

結論ありきの担当者会議

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

 

慶應野球部が日本一になった理由

 

 

物事には知識・技能を学ぶ〝時務学〟と
徳性を学ぶ〝人間学〟がある。

その両方がトップになってこそ
日本一になれる。

━━━━━━━━━━
堀井哲也
(2021年34年ぶりの全国大会優勝に輝いた
慶應義塾体育会野球部監督)
━━━━━━━━━━

対談「青少年に人間学をどう伝承するか
~日本一の秘訣は〝木鶏会〟にあり~」

堀井哲也(慶應義塾体育会野球部監督)
×
田中辰治(星稜高等学校野球部監督)

昨年、34年ぶりの全国大会優勝に輝いた
慶應義塾大学野球部、同じく昨年、
全国大会二冠を成し遂げた星稜中学野球部。
それぞれの監督を務めた堀井哲也氏と田中辰治氏は、
互いに技術力だけでなく人間力を高めたことが
日本一に繋がったと断言する。

 

 

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日)

 

熟睡する方法【睡眠の質を向上させれば人生が変わる】


バラ十字会日本本部AMORC

 

【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M916316&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


東京板橋は、今日は朝から、激しい雨が降り続いています。

アジサイの花も目にするようになりました。もうすぐ梅雨ですね。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、熟睡する方法についての動画とブログを作成しました。


下記に文章を転載しましたが、できれば、ユーチューブか公式ブログでご覧ください。



★ ユーチューブの動画はこちらです。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M916317&c=3304&d=ed84


★ 公式ブログの記事はこちらです。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M916318&c=3304&d=ed84


▽ ▽ ▽

『熟睡する方法-睡眠の質を向上させれば人生が変わる』

あなたは、熟睡できていますか?


人生における幸福感や健康に関する不満の75%は、熟睡できないことに関連しています。

最近では多くの人が、眠るのに十分なほど疲れて寝床に入っても興奮を静めることができなかったり、寝入ることができなかったり、

本当にリラックスして心安らかな状態で睡眠を取ることができないでいるようです。


この文章では、熟睡する方法についてご紹介します。


★ 熟睡できないわけ

私たちが過ごしているめまぐるしい日常生活では、あらゆる刺激が身の回りに存在していますし、押し寄せる用事に追い立てられています。


これが理由で、睡眠をとることが不可能なほど、神経が疲れ切ってしまっているのです。


しかし一方で睡眠は、健康にとって必要不可欠であり極めて重要なので、十分な睡眠を取るためには、可能な限りあらゆる手を尽くす必要があります。


また、深い睡眠に入り、それをしばらくの間保つことができれば、睡眠の時間はそれほど重要ではないことが知られています。



★ 2~3時間の深い睡眠の方が、より多くの休息と回復を与えてくれ

トーマス・エジソンや多くの著名人は、2~3時間の深い睡眠の方が、8~10時間の不完全な睡眠よりも、多くの休息と回復を与えてくれることを見いだしていました。


眠れないときあなたはどんな状態ですか?

イライラしてしまったり…

羊を数えてはいませんか?



どちらも正しい状態とは言えません。


眠りに就くときには、眠ろうと考えないようにするべきです。


ヒツジを数えるのではなく、何らかの精神活動がリラックスを妨げているのであり、そのために眠りが妨げられているのだという事実を理解すべきなのです。



眠りに就くときには、眠ろうと考えないようにします


つまり、できる限りすべてを放棄する態度を作り上げて、眠りに身を委ねます。


「もしも」とか「それから」とかを、一切考えずに眠ります。



眠れない人々のほとんどが、何かしらの思い込みをして横になっているのではないのでしょうか。


たとえば、

・ 眠りにつこうとする時間が苦痛の時間になると考えてしまったり

・ 最初から眠れないとイライラして心配したり

・ 決して十分にはリラックスできない

と思い込んでしまうのです。



そもそも、睡眠とは何でしょうか?

改めて考えてみましょう。



睡眠とは、客観的な能力のすべて、または大部分が不活発になっているか、あるいは一時的に停止している状態です。



客観的な能力とは、見たり、聞いたり、肌触りを感じたり、味や匂いを感じたりする、五感のことです。

この5つの能力のいずれかひとつでも活発であると、完璧な睡眠を取ることができません。



1つの能力が活動中の場合は、5分の4の部分だけが休息している状態にあたります。


2つの能力が活動中の場合は、5分の3の部分だけが休息している状態であり。


3つの能力が活動中であれば、5分の2の部分だけが休息している状態であり、浅い睡眠を取ることさえも、ほとんど不可能になります。



眠りに就くために横になって目を閉じるだけでは、客観的な活動の5分の1を遮断するにすぎず、熟睡した状態を実現するには不十分です。


窓を閉めドアを閉めてすべての音をさえぎったとしても、真の睡眠状態に入るには十分ではありません。



★ 睡眠状態に入るためには触覚という感覚をオフにしましょう

自分がベッドに当たっていると感じたり、自分の呼吸を感じることなどがあると、熟睡した状態に入ることはできません。


眼を閉じて静かな部屋にいるにも関わらず、大部分の人を眠れなくしている原因は、この触覚という感覚です。


完全にリラックスして触覚という意識を閉ざすだけで、本物の睡眠が始まり、他の能力が働かなくなることが助けられます。



★ 睡眠という現象はとても奥深いテーマです

最も早く眠る方法は、快適な状態で座ったり横になったりしたら、ただちに知覚する自己の全体を放棄して、潜在意識にゆだねることです。


そのためには、意志の力を用いて、感覚器官の働きと知覚の働きをしっかりと停止して遮断し、数分の間全世界を忘れるようにします


ベッドに入ったら、客観的な意識を閉じて眠ります。



ぜひ試してみてください。


△ △ △


次週は、バラ十字会AMORCのフランス本部の代表の記事を翻訳してお届けする予定です。


またお付き合いください。(^^)/~



◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

那須にあるコピスガーデンという庭園で撮影した、さまざまな花の写真です。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M916319&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇



━…………………━

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シスターの居る風景&久し振りの雨

2022年05月26日 22時30分00秒 | 思い出

 午後から降ると言われた雨がどんどん延びて、5時半過ぎ位からやっと降り始めました。

よく降っています。

雨雲レーダーによりますと、この雨は午前1時には止むそうです。

外出をしていた時もう暗くなっていましたので、紫陽花ウォッチィングへは行けませんでした。

残念

 

 

 ご近所の紫陽花

ママ友ガーデン

 

 

 

バラもウツギももう終わりです。

 

 

 

公園の外周を通って、

 

 教会へ。

シスターのお車があったので「もしやごミサ」と思いましたが、御聖堂に電気が付いていませんでしたので、そうではないことが外からでもわかりました。

中に入ると、シスターがお二人、祈っておられました。

シスターが祈っていらっしゃるこの風景をこの教会で見るのは初めてでした。

活動会のシスターは学校や保育園、病院などを経営されています。

この教会にも保育園がありましたが、修道会の経営ではありませんでした。

私は幼稚園から大学まで、小学校以外ミッションスクールか女子校か、あるいはその両方の環境で育ってきましたので、このシスターが居らっしゃる風景は日常的でした。

ですから、今日は久し振りのこの光景をとても懐かしく思いました。

 

教会のこの紫陽花、とても綺麗なので昨年もよく写真を撮りましたが、今年も楽しみです

 

 

 

ご近所の紫陽花

 

 

 

 我が家の畑にきゅうりが生っていますが、こんなに大きくなっていました

楽しみ~

 

 

 

 今朝の果物

 

 今日はお洗濯とかした後はゴソゴソはしていましたがのんびり過ごしました。

そして、3時半頃からお買い物へ。

雨が降ってくれていたら、紫陽花を見に行きたかったのですが

 

 最初に行ったのは「源吉兆庵」

ここが本当の本当に本店です。

最初に出来たお店です。

昔はこんなに大きくありませんでした。

ここのお子さん方と我が家の子供達は同じ幼稚園(私も同じ幼稚園)にスクールバスで通っていましたので、奥さんとはママ友です。

以前にも書きましたが、当時は昼食会を定期的にどこかのお宅でしていましたので、社長宅にもお邪魔したことがあります。

今もここにお宅があるのかどうかは知りませんが、立派なお宅で平安時代の御姫様が出てきそうな御簾がありました。

昼食も特別で、白魚のお吸い物が印象深く残っています。

 それはともかく、脳溢血になりましたが、元気になった大学時代の友人と母が入院した時に私にリラックスするようにお菓子を送って下さった娘の以前の家庭教師先の奥さん(今では私の友人)にお礼を送りに行きました。

昨日、高島屋から送ろうと思ったのですが、スタッフさんがご親切にも高島屋は直営店ではないので、ポイントも付かないし、送料も高いので、お店から送った方がいいですよと教えて下さいました。

お菓子で出来たモミジ

 

店内

 

 

 

 

 人気NO1の岡山のマスカットのお菓子

 

人気NO2の白桃が丸ごと入ったお菓子。

だだ岡山の清水白桃ではないそうでした。

でも、今年はプレミアムで岡山の清水白桃が丸ごと入ったものが売り出されたそうで、高島屋にもここにも実物はなかったのですが、それを送ることにしました。

私は多分、一生口に入らない~

 

最初はこの白桃のゼリーを送る予定でした。

これでも結構なお値段。

でも、やはり岡山の桃ではないそうでした。

結局、岡山の清水白桃を待つごと使ったプレミアムのお菓子と同じく岡山のマスカットを使ったお菓子をセットにして送りました。

県外の人なのでちょっと「岡山」にこだわりました

 駅前の本店にある美術館で「魯山人展」があるそうです。

東京に行った時、ハワイのお宿でお世話になったご一家にホテルニューオータニのすき焼き屋さんに連れて行って頂きましたが、そこに魯山人の絵が掛かっていました。

店主の方がご挨拶に見えた時に説明して下さいました。

 

自分用にお徳用チョコレートを買いました。

いつもデパート等に行く時にはクッキーとかチョコレートを買って帰ろうと思うのですが(近所では美味しいものが手に入らない)、いざとなると「ま、いっか」となって買わないで帰るのですが、昨日も見て廻ってみたのですが「ま、いっか」となって買いませんでした。

後で後悔しましたので、今日、買いました

当分は胃が痛くなっても嫌なので取っておきます。

 

今日は「大安」だったそうで、お菓子を頂きました。

お薄に氷を入れて、このお菓子を頂きたいと思います

 

 

 今日は母から連絡がありませんでした。

病院にいるので、安心して私からも掛けませんでした。

何をしているか、寝ているか、しんどいのかわかりませんし。

今日は大好きなリハの男の子が来て下さっているはずです

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

椿大神社が大切にしている5つの心

「はい」という素直な心
「すみません」という反省の心
「おかげさま」という謙虚な心
「私がします」という奉仕の心
「ありがとう」という感謝の心

━━━━━━━━━━
山本行恭
(猿田彦大神を祀る全国2,000余社の
大本宮として、創建2025年の
歴史を刻んできた椿大神社宮司)
━━━━━━━━━━

対談「子々孫々に遺しておきたい日本の心」

山本行恭(椿大神社宮司)
×
池田雅之(早稲田大学名誉教授)

伊勢国一の宮で、猿田彦大神を祀る
全国2,000余社の大本宮として、
創建2025年の歴史を刻んできた
椿大神社(つばきおおかみやしろ)。

主神・猿田彦大神とその妻神・天之鈿女命
(あめのうずめのみこと)にまつわる神話には、
現代社会が抱える困難を乗り越え、
道を切りひらいていく要訣が詰まっているといいます。

椿大神社宮司を務める山本行恭氏と
日本神話に造詣の深い池田雅之氏が語り合う、
神代から連綿と受け継がれてきた
「日本人の心のあり方」「かんながらの道」とは――。

【記事詳細はこちら】

 

 

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朝の御ミサ&お出かけ

2022年05月25日 23時46分22秒 | 友人との時間

 一昨日は痛みで眠れず、昨夜もうたた寝もしていたのですが、ベッドに入ったのが2時。

なぜか遅くなってしまいます。

今日こそはって意気込んでいましたが、やっぱりいつもの時間のブログアップになりそうです。

シンデレラタイムです

0時に間に合うかどうか~

 

 

 

 今朝は4時45分頃に目が覚めました。

外が明るいので、アイマスクをしていても目が覚めてしまいます

でも、早起きは三文の徳。

教会に廃品を持って行き、紫陽花が色づいてきたなぁ~と思いながら写真を撮りました。

 

 

 

 

そして、いつものように御聖堂に入ってお祈りをしようと思いましたら、玄関のドアが開いていて、何とごミサをしているではないですか。

びっくり

母が今は居ないので時間の使い方は自由。

御ミサに与って帰ることにしました。

参加者はシスターのお二人だけでした。

今日はやはりベトナムの関係で赤磐という場所へ行かれるそうで、早朝からシスター方は水島から約30分少々かかって出ていらしたようです。

今日もラッキーなことに両形式で(今はコロナですから、ワインをカリスから直接飲むことはありません)、パンをワインに浸して頂くことが出来ました。

しかも、今日も神父様のパン

何となく、日本的に言うとありがたくご利益が余計にありそうな気がするのです(笑)。

神父様のお話ですと、朝の御ミサは今日は特別だったそうですが、今後、もうお一人の神父様がベトナム人の青年たちの為に夜の8時から毎日ごミサをなさるとか。

もちろん私も参加出来ます。

そして、母の為に「いつでも御聖体を持って行きますよ」

やはり神父様が在住なさるのと不在とでは大きく違います。

不熱心だった私も又教会に足を運ぶようになりました。

 

 今日は前々から友人とコメダにモーニングを食べに行って(前回、アメリカンがとても美味しかったので)、ショッピングに行こうと言っていました。

でも、ここのところの私の胃痛で無理だろうなと友人は諦めていたようです。

しかも、私があまりにもにこやかに家から出たらしく「どうしたの 何がそんなに嬉しいの

モーニングを食べることは(お食事自体ですが)、ちょっと怖かったですが、バターとかやめてジャムにしたり、なるべく負担のなさそうなものを選んで食べました。

昨日より、朝昼夕のお薬が全部食前になりました。

これが良かったのかも。

友人は朝食を食べて来たそうですが、私は何も食べないで行きました。

(折角痩せたので、太りたくない・・・心の声

その後、まず駅前のイオンモールへ行きお買い物をして、続いて高島屋へ。

友人がヴィトンのお財布がこの前から気になっていてらしく、でも、結局、他のと迷い始めて結局今日は買いませんでしたが、そこでひとしきり遊びました。

それから果物やお野菜を買って、2時半。

おなかに優しい中華粥を食べたくて、中華のお店に行きました。

この手前の空間には点心が来ます。

 

友人が分けてくれました。

私は春巻きを食べてもらいました。

海鮮のお粥が美味しかった~

香港の朝を思い出しました。

朝、お粥を食べに出かけていました。

点心

もう二人共おなかがいっぱいで、苦しくなりました

でも、お粥の優しさでおなかはいい感じ。

 

 

 帰ろうとして、今日は平日だから大丈夫かなということで南口に出たところ、30分以上出るのにかかりました。

入道雲~

今日、友人と過ごしておかしかったのは、高校一年生からのお付き合いですが、物忘れ具合も同じように進んでいること。

なかなかいい感じです

同じように年を重ねて行けることは・・・。

 帰ると同い年のグループ「ラヴィアンローズ」のメンバーが近くまで来ていると言うことで、我が家に寄ってもらい、3人でお茶し、しばし女子トーク(おばちゃんトーク

こうして、今日も楽しい時間を過ごすことが出来ました。

明日は予定を入れていませんので、ゆっくり過ごしたいと思います。

明日は待望の雨です。

雨が降ったらまだ少しは早いかもしれませんが、紫陽花ウォッティングに出かけるかも。

 

 

 

 今日、母はやっと電話をしてきました。

元気が出た証拠ですが、どうも気弱です。

お昼ご飯は全部食べたそうですが、夜は食べられなかったそうです。

そして、「そんなに悪くないみたいで早めに帰れるみたいからがんばらないとね~」と言うと痛くて起きれないと泣くように言いました。

今日は大好きな(笑)リハの男の子が来てくれたそうで、明日も来てくれるそうですが。

そして、喉が渇いてお茶がほしいけれどもナースコールが届かなくて言えないと言うので、病棟に電話をしようかと尋ねると「どちらでも」。

母はいつもこういう曖昧な返事をします。

自分のことなのに他人事みたいな。。。

でも、何度も言い、誰も来てくれないと言いますので、「電話を掛けるからお茶を飲んで早めに寝てね」と言い電話を切り、病棟にお電話をしてみました。

看護師さんのお話によりますと、夕方そういう事態になったので、ナースコールもお茶もそばに置いて下さったようです。

ですが、「きっとその記憶が鮮明に残っていてそのように言われているのではないかと思いますので、行ってみますね」

我ながら時々(今日のことは別としても)、過保護かなあと思うことがあります

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

USJをV字回復させた男が語る「アイデアの神様が降りてくる人」

ある問題について、
地球上で最も必死に
考えている人のところに
アイデアの神様は降りてくる

━━━━━━━━━━
森岡 毅
(USJをV字回復させた戦略家
 マーケター)
『1日1話、読めば心が熱くなる
 365人の仕事の教科書』より
━━━━━━━━━━

 

独自のマーケティング手法を武器に、
経営危機に瀕していたUSJ
(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)を
V字回復へと導いた森岡毅氏。
再建成功の原点は、20代の頃に重ねてきた
挫折と失敗の経験にあるといいます。

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総合病院へ

2022年05月24日 23時58分22秒 | 医療、病気

 とっても眠いです。

昨夜は痛みの為にあまり眠れませんでした。

昨日は結局いつものかかりつけ医の病棟の看護師さんがお薬の飲み方を教えて下さって「今この薬を飲んで、もし効かなかったらボルタレンをもう一回入れて」という風に教えてさっていましたが、最終的には1時半過ぎの胃薬の頓服で何とか少しの時間寝ることが出来ました。
そして、今日5時に予約していましたが病棟の看護師さんに言われたように朝一番に病院に行きました。
カルテに記録が残っていたのですぐに診て下さいました。
本当は私の担当医は午後からの診察で私は5時の予約をしていましたが、往診に行く前に時間を取って下さって紹介状を書いてくれました。
そして、昨日の友人のご主人が昨日の夜間の救急で紹介された大病院の中の一つで働いてるのでそこへ紹介状を書いてもらいました。
(私の主治医もここは検査が出来ないし夜間対応も出来ないと言うことで)
そして、紹介状と今までの画像とか色々持って総合病院へ行きました。

すっかり忘れていましたが15年ぐらい前にこの病院を受診していたそうです。

が、初診なので色々と書かないといけないのですが、「最近誰かと会食をしましたか」ということで昨日ここへ連れてきてくれた友人とランチを食べたのでそれを書くと「その人は岡山県内の人ですか?県外には出られていませんか?」等などやはり色々聞かれました。

まだまだ特に病院ではコロナには要注意ですね。
病院はすごくきれいになっていてびっくりしました。
すごく大きいしすごく綺麗だし開放感があって明るい。
しかも素敵なカフェもあり、まるでホテルみたいでした。
岡山にはなぜか大きな総合病院がいくつもあるのでそれが問題になった時期もあるみたいですが、コロナの時にベッド数の関係で結局うまくいったようです。
友人は今は病院勤務ではなくてネットで臨床心理士の仕事しているのでカフェで仕事をしながら待っていてくれました。
私はいつも本を持って歩いて荷物になって重いのですが、今日に限って本を読む時間なんかないわと思って本を持って来なかったらそういう時に限って時間が出来てしまうんですよね。
でも、こうしたぼんやりした時間もいいかも。
友人のご主人が受付にも来て下さって、午前中の診療終わりと言われたので「何とかならないのか、2、3分のことだから」という感じでしたけれど2、3分ではなくて30分前の11時半に終了していました。
(ちょっと手違いがあり予約した先の電話番号と紹介状の宛先が別で、予約の電話をされた病院からまだ患者さんが来てないと言う電話が入ったりしてちょっとハプニングが起こりました)
私の主治医は消化器内科の医師へ紹介状を書いて下さったのですが、結局は紹介状があっても一番に行くのは総合診療科でした。
ここの病院へ来るまでの途中ふと見る2222の車の番号。
これは前も母が救急車で行く時でしたかにも、2222の番号が見えましたし、診療科のコーナーも22番。

 

最近は全ては想定内で、しかも全てはうまくいくということが何ととなくわかっていますし、予定より時間が遅れようとすべてはうまく収まるという風にわかっていますので、のんびりと「今」を楽しみました。
そして、時間がありましたので、好奇心旺盛な私はちょっと院内ウォッチングへ。

 

天満屋のデパートの近くのようです。

 

図書館もあり、

 

カフェだけではなくレストランもありました。

 

レストランです。

 

この電子版のメニューは次々に変わります。

 

 

検査は血液検査、CT、エコー、心電図等でした。

そして、最終的には昨夜のような大きな痛みが起こる病気の所見はありませんでした。

原因がないのですから喜ぶべきですが、もし又痛みが来たらお薬は?

食事をするのが怖い💦

でも、結局は今までのお薬が一番いいようでした。

胃が痛んでるようですし、すぐには治らないのでしばらくはお薬を飲み続けることが必要と言われました。

検査が終わり、診察も終わって、会計に降りると、友人はすでに結果を知っていました。

私より早いような。。。😅

ご主人が知らせたようです。

ご主人にはよくして頂きました。

診療科の受付で、「彼女は私の知り合いなんだけど担当医師は誰か、午前だったらちなみに誰だったのか」等など聞いて下さり、「優しい先生だから安心するように」と言われました。

受付でもこのドクターは有名みたいでした。 

元々受付の女性はにこやかで優しかったのですがご主人がいらっしゃるとびっくりなさっていました。

教授でもあり部長でもある

今は病院のお仕事でお忙しいようですが。

家に帰ったのは5時過ぎ。

それから、今日、初めての食事をしました。

そして、お散歩へ。

いつもと同じで教会とママ友ガーデンと公園です。

 

 

 

 

 

 

ママ友と話をしていたら日が暮れてきました。

我が家のバラ     

 朝の主治医のお話では、母は少し骨が欠けているだけのようで、リハビリも始めていて、早く帰ることが出来そうで安心しました。

看護師さんも「お食事を今は召し上がっていますよ」と言われていて、ほっ。

 又、眠くて転寝していていましたので、こんな時間になりました。

私の痛みについては大きな問題がなくて良かったです。

でも、それならなぜあれほど痛かったのか、しかもかれこれ4月の末からの痛みです。

人間の体って不思議です。


 昨年の今日の記事

鯉を手放して1年が来たのかと感慨深く思い出しました。

鯉がお嫁(お婿?)に行きました&アルハンブラの思い出 (タレガ )



★致知一日一言 【今日の言葉】

絶対に成功しない人の4条件

1,言われたことしかしない人

2,楽をして仕事をしようとする
――そういうことが可能だと思っている人

3,続かないという性格を直さない人

4,すぐに不貞腐れる人

━━━━━━━━━━
月刊『致知』主幹コラムより
━━━━━━━━━━

毎号、『致知』の特集テーマを概括する
一文として紡がれてきた総リード。

いつの時代にも問われる人間の生き方から、
経営、マネジメント、リーダーシップの在り方、
先哲の箴言、宇宙や生命の神秘に至るまで、
人間学の精髄が集約されています。

そんな総リードの中から、
23年前の『致知』1999年2月号 
に掲載された
「絶対に成功しない人の4条件」を
ご紹介いたします。

..............................

特集「精神爽奮」総リード
..............................

以前、ある経営者に、
人生でいちばん大切なものは
何かと尋ねたことがある。

その人は

「それは自分にもわからないが、
 こういう人は絶対に成功しない
 という条件はある」

と答えられ、
次の4項目を挙げられた。


1つは言われたことしかしない人、

2つは楽をして仕事をしようとする
――そういうことが可能だと思っている人、

3つは続かないという性格を直さない人、

そして4つはすぐに不貞腐れる人、である。


省みて、深くうなずけるものがある。

................................

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再び、入院

2022年05月23日 23時58分00秒 | 医療、病気

  今朝、母は又、入院しました。

折角帰ることが出来、この2日間は調子もよく以前のように戻りつつあった矢先でした。

私は私で午後から、胃(多分、胃ではなく胆嚢)が痛くて、お薬をあれこれ飲んでいますが、収まりませんので、夜間の救急に行こうかと迷っています。

 昨日の母の転倒後、0時半過ぎまで私は様子をみていたのですが、母も目をぱちくり。

その後、母はぐっすりと寝て、4時半過ぎの時点でもよく眠っていましたのでちょっとお散歩に出て、帰ってから瞑想をしました。

 

5時半に教会に着いた時にはすでに二人のベトナムの男の子がいて、ちょうどそこへシスターが車で来られました。
そして今日は大阪に行くのだということで神父様と四人で出かけられました。
シスターは多分私よりもご高齢だと思いますけれど、随分とお元気でとても毎日お忙しくなさっているようです。
 
 

歩いている時、6時頃訪問看護ステーションから電話がありました。
状況を説明したところ母の主治医のドクターと相談しまた電話を下さるとのことでした。
 
ママ友ガーデン

 
 
 
バラのとってもいい香りがします。
 
 
 
 
 
 
我が家のバラ
 
 

 
 昨日母は寝たのが遅かったので起こさないでいました。
そして、7時にヘルパーさんが来て下さいました。
血圧は良かったのですが、お熱が37.7°cもありました。
しばらくして測り直しても37.6。
私が昨日骨折した後に測った時は35.6°cでした。
今朝のヘルパーさんは土曜日の男性のヘルパーさんと同じなのですが、本当に心配して下さって8時過ぎまで(多分、次に行かれるのが遅れたのではないかと思いますが)お世話をして下さいました。
骨折による発熱なのかあるいは誤嚥性肺炎なのか、あるいはコロナか。
この三つを疑いました。
昨夜9時から11時まで母はゆっくり食事をしました。
姿勢があまり良くありませんでした。
直しても直しても斜めってしまいます
 看護師さんからお電話があり、「とりあえず検査をしましょう」ということでした。
「もちろん骨折していてももう年齢が年齢ですから手術のリスクを考えるとそれは出来ないけれども検査はした方ががいい」ということで連れて行くのにケアマネさんと相談するようにと言われて、ケアマネさんに相談しましたが介護タクシーは契約をしていないし、とにかくストレッチャーのある車が少なく先生が言われた10時半に行くことが出来ない状況でした。
そこで訪問看護ステーションに相談したところまた色々と相談して下さって「もういっそ緊急性はないけれども救急車にお願いしたらどうだろうか」ということになり救急車に最終的にはお願いしました。
お電話した時に「緊急性はないので申し訳ないのですが」とお話ししたら「いやいや、もちろん行かせてもらいますよ。そういう時は救急車です」と快く引き受けて下さいました。 
ありがたい😭
そして来て頂いて本当に良かったと思ったのは3人の方が母を動かしてストレッチャーに乗せて救急車の中に運んで下さったわけですが、もし介護タクシーなら運転者さんと私ではとてもじゃないですけど母を持ち上げることは難しかったと思います。
母は静かに眠っていましたが動かすと痛いようでした。
10時半に間に合うように救急車を呼んだのですが救急車が来て、それから行き先は決まっていますが、病院到着までには30分はかかるのでもう少し早く呼べばよかったかなと反省したところです。
救急車に乗って時間を見ると10時48分でした。
早速、酸素酸素吸入が始まりました。
病院に着いてからはお熱がありましたので PCR 検査がありました。
(その後私が測った時には36°c台でしたが救急車の中で計るとやはり37°c以上ありました)
その後 CT を撮り病棟へ上がりました。
救急車を呼ぶまで時間が十分ありましたから入院の準備も全て出来上がっていましたので、それを持って救急車に乗ったので準備万端。
帰りは久しぶりにKちゃが来てくれてちょうどランチの時間でしたのでパスタを食べて帰りました。
するとやはり朝からちょっと胃が痛かったのですが、益々痛くなって頓服を飲みました。
病院で院長に廊下でばったり出会った時、調子はどうかと聞いて下さったので「カロナールはあまり効かなかったような気がしますが油もの控えるとかなり痛みが減った気がします」とお話しますと「やっぱりね。詳しく検査しようね」と言われました。
やはり胆嚢かも⁉️
母は意識はあり、呼びかけには答えますが眠たいのかしんどいのかお熱があるからしんどいのか目をつぶって寝たような状態でした。
その顔を見てると少々心配でしたけれども、研修医のドクターは前も母の入院の時にいて下さったそうですが、前とあまり様子が急変した様子もないしコロナでもないだろうし、 CT の画像もまだはっきりと出てないけれども恐らくそれほどひどい骨折もしてなさそうだし誤嚥性肺炎の疑いもあまりなさそうなので、また主治医と相談して血液検査が出次第、明日正式に治療方針を決めてからお話をさせてもらいますということでした。
明日はいずれにしても5時に病院に行かないといけないのでその時にゆっくりとお話を伺って帰ろうかと思っています、
折角帰ってきて二日間は眠り姫、あとの二日間は元気になって色々なものを食べ始めることが出来てきた矢先にまたこんなことになって、私がもう少し気をつけていれば良かったのかも、とまた思いましたが病院に着いたらいつも往診に来てくださる看護師さんが「本当によくやってるよ。こんな状態はいつでも起こり得るから。本当によくやってる」と言って下さっていつものことながらここへ来るとホッとして涙がじわと出ます。
病棟
 
  
 
お部屋の前にお花が飾ってあります。
 
 
 
ラウンジ
 
 
 
面談室
 
 
 
 
 
 
 
Kちゃんと行ったカフェ
 
 
私はレモンとたらこのパスタ。
Kちゃんはキーマカレーを食べました。
 
 
 
家に帰ってからは母のシーツとかおねしょシートとかシューズまでまた洗い始めて2回ほど洗濯をしました。
 胃が痛いので頓服を飲んでいますがイマイチ。
パスタでも胃(多分、胆嚢)が痛くなるなんて、食べるのが怖くなります。
もう一度カロナールを試しに飲んでみました。
空腹でも痛くなりますが食べるとやはり痛いです。
食べる楽しみがなくなると人生つまらないですね。

★致知出版社の「ご縁メール」

≪幸福のかたちを『孝経』に学ぶ≫

最新号では、古典の名著『孝経』を
取り上げています。

長きにわたってご自身の
拠りどころとしてきた『孝経』について、
思いを込めて語られているのが、
中国思想史家の竹内弘行さんです。

家族の大切さを強く加味してこられた
竹内さんならではの、
心に深く染み入る『孝経』講座。

本日はその一部をご紹介します。


───────────────────
★取材のダイジェストはこちら


かくいう私は、親孝行をしたくてもできない
生い立ちを背負って生きてきました。

私が生まれたのは昭和19年の3月ですが、
その僅わずか2か月後に父が出征し、
そのまま帰らぬ人となったのです。

幸い、母と再婚した新しい父親から
とても大切に育てられ、30歳まで
学問をさせてもらったおかげで今日があります。


こうした経緯もあって、私は家庭に対して
人一倍強い思いを抱いてきました。

ありがたいことに、大学院在学中に
妻と結ばれて3人の子宝に恵まれました。

いまは8人の孫から慕われて、
家族の素晴らしさ、ありがたさを
心底実感して心穏やかな毎日を過ごしています。


国家という言葉は、国が家の集まりによって
成り立っていることを示しています。

一人ひとりが孝の精神を大切にすることによって、
家庭に幸福がもたらされ、
それが国の安寧にも繋つながるのです。


自分さえよければという独りよがりな
考え方から離れて、日本という国家、先祖や
両親あっての自分という原点に立ち返ること。

そのためにも、一人でも多くの人が『孝経』を繙き、
家族を大切にする文化が後世へとしっかりと伝承され、
日本が心豊かな国であり続けることを、
私は願ってやみません。

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母、転倒3回

2022年05月22日 23時45分22秒 | 介護

 久しぶりの晴天。

朝の陽射しが眩しい。

 

これは何かしらと見るとズッキーニ

こうして鉢植えでも出来るのですね。

 

 

今は誰も住んでいない美しい日本庭園のあるお宅。

剪定が終わっていました。

教会

 

 

アナベルが開いていく様子

 

 

ママ友ガーデン

 

なでしこが新たに増えていました。

 

 

本当に緑とバラの花が美し~い

ウツギも

 

 

 

 

 

 

ケヤキの葉に陽が射して、「はぁ~、綺麗」とうっとりします

 

 

6時半頃、あの親子さんをお見掛けしました。

お母様、とってもお元気に歩かれていました。

 

我が家のバラ

 

キュウリが3本出来ていました。

 

 

ご近所の紫陽花

 

 

紫陽花にはやはり雨が良く似合います。

今朝の果物

ご近所の方に釣ったばかりのメバルを3匹頂きました。

いつものように内臓を取り出し、鱗も取って下さっていましたので、すぐに昼食用に煮付けにしました。

 

 

本当は口が左ですが、この形の方がすっきりします。

ネットで調べたら、多くの人が右利きなので、口を右に持って行くようになったとか

 

新鮮なのでとっても美味しかったです。

 

 

 今日の母は以前に比べて食は随分と又減りました。

又、脚がふらふら。

手で支えても手すりを持っていても、以前ならしっかり歩けたのに今は脚がしっかり立たず転びそうになります。

でも、今日、2回、転倒したのはそれが原因ではなく、依然と同じ理由です。

昨日、今日と軸の片付けを和室まで行っていたのですが、疲れるから、ほどほどで止めさせようとしますがなかなか。

昼直後もすぐに又始めようとしました。

しかも、何も手すりがないところも自分で行こうとします。

結局、手すりを持っても歩けないことがわかって、止めてくれましたが(それにこれ以上するとエネルギー枯渇状態になります)、ベッドで大人しくはしてません。

あれこれ気になるようで、立ち上がって何かをしようとし、転倒。

たしなめてもダメで、しばらく後、又、転倒。

そして、夕食後、(ベッドで食べていた)、台所に来ようとして、3度目、転倒し今度は腰を打ちました。

痛がっているので、シップはしていますが、ひびが入ったのかも。。。

訪問看護ステーションに電話を2回してみましたが、連絡が付きませんでした。

その日の担当者がいるはずですが、昨日、一斉にスマホに代わったらしいのでそっれが原因かも。

 

 

 

 私の胃は、昨日、院長先生が「脂っこいものをあまり食べないように」と言われましたので、極力、油を止めた食事にしました。

サラダもオリーブオイルやドレッシングなし。

ご飯(玄米と白米を混ぜてやわらかく炊きました)とお味噌汁中心に和食。

そのせいか、今日は胃が痛くなりませんでした。

多少、違和感はありますが、ほぼ大丈夫でした。

母は朝はいつものようにパンを食べましたが、その後は私とほぼ同じ形状のものを食べました。

(小さめに切りましたが)

とろみもつけないものを少し出しました。

(お味噌汁とお茶を少し)

脚がかなり弱っています。

まだ訓練もしていませんから余計です。

腰が心配ですが、明日の朝まで様子をみてみます。

 

 

 

 

昨年の今日の記事

(昨年の昨日でしたかの記事にもびっくりしたことを書いていましたが、昨年の今頃は小多機で苦労していました)

唖然!&Bond - Fuego

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

最高齢の郵便配達人

四季が巡ってくるように、
厳しい冬の後には必ず春が来ます。

人生という畑に涙の種を蒔けば、
その種がいつか
喜びの花を咲かせてくれる

━━━━━━━━━━
清水咲栄(最高齢の郵便配達人)
━━━━━━━━━━

毎年冬になると4メートルを超える
積雪があるという豪雪地帯雪で、
最も寒さが厳しい12月~3月、
毎日歩いて郵便配達を行われた清水さん。

70歳で郵便配達員となって以来
90歳まで続けられたといいます。

その人生は想像を絶する悲劇の連続でした。

2013年7月号「歩歩是道場」に掲載された
清水さんの言葉を紹介します。


.....................................


こうして振り返ると、
人生というのはいいことよりも
悪いことのほうが多いものなのでしょう。


しかし、四季が巡ってくるように、
厳しい冬の後には必ず春が来ます。
人生という畑に涙の種を蒔けば、
その種がいつか喜びの花を咲かせてくれる。


だからこそ、人生は忍耐と努力に尽きる。
それが九十年の人生を通して
得られた実感です。


私がよく言っているのは
「ずくを出して頑張らねか」ということ。

〝ずく〟とはこのあたりの方言で、
やる気という意味です。
人生、ずくを出さなければ何もできません。

  ・  ・

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胃痛の原因はなし?

2022年05月21日 23時29分22秒 | 医療、病気

 梅雨のようにどんよりとした日が続きていますが、明日は晴れるそうです。

今日は教会の門は開け放たれて、神父様のお車もあり。

 

紫陽花が昨日よりも少し色濃くなっていました。

 

公園の小径を反対に歩き、

 

やっぱりママ友ガーデンへ。

 

 

 

 

 

今が真っ盛りのようです。

本当にきれい。。。

 

 

 

母が今日は復調。

お食事も普通に戻しました。

 今朝の果物

ショートで頂いた母の日のお菓子を開けました。

 朝、BSで「京都人の密(ひそ)かな愉(たの)しみ」を放映していました。

普段この時間は「旅サラダ」を観ていますが、こちらの番組を観たい気持ちの方が勝りました。

紅葉の季節、人の少ない場所を紹介していました。

まずは一休寺。

 

こちらも一休さんにゆかりのお寺。

 

 

このお寺は4時まで。

この夕焼けの美しさ。

 

 

ここはあまりにも有名な浄瑠璃寺。

人が多いし遠いので諦めてきましたが、いつか行きたいお寺です。

 

 

鞍馬寺も遠いので諦めてきましたが、次あたり行ってみたいです。

 

この「白龍園」は一日20人限定のようです。

 

 今朝は母が和室でお軸を観ている間に草取りをしました。

暑くなかったので良かったのですが、しばらく前から飛び始めた蚊に何か所も刺されました。

 

 

 

きゅうりが1本、生っていました。

 

そして、玉葱。

6月には収穫出来ると言われましたが、どんな様子かな~と気になっていましたら、1本だけこんな状態を見ることが出来ました

とうもろこしもすくすく。

 

紫陽花

地に下ろしましたが枯れてはいなさそう。

来年に期待です。

 

畑の隅で咲いています。

玄関周辺ではオレンジ色のバラが咲いていました。

 

この大きな鉢のアイビーの間に何かお花を植えたいと思っています。

釣忍からも葉が出ています。

南天

 今日も1時半から看護師さんが来て下さいましたが、昨日との違いにびっくり。

私も昨日のような調子がずっと続くのかと思っていましたので、ほっと安心しました。

 

 昼食後、又、胃痛が始まりました

原因はすき焼き

初めて頓服を飲んでみましたが、あまり効果なし。

母がショートに行ってから病院に行こうと思っていましたが、今日の夕方のヘルパーさんは1時間なので母をお願いして病院に行ってきました。

胃カメラの検査をした病院は閉まっていましたし、2回お薬を変えて下さいましたが効かないので、いつものかかりつけ医へ。

私の担当の先生は外来の日ではありませんでしたが、とにかくお薬を頂きたいと思いました。

受付では今日の先生のお名前を教えて下さいましたが、何と診て下さったのは院長。

ちょっと緊張しましたが、見立てはいいので安心。

胃ではなく胆嚢あたりを疑っておられ、「明日、エコーに来れますか」と言われました。

すかさず看護師さんが「明日は日曜日なので検査技師さんはお休みです」

今日ももう帰っていらっしゃいました。

すると院長先生が自ら検査をして下さいました。

結果はやはり異状なし。

それなのに、なぜこんなに痛むのか。

院長先生は今のお薬に加えて試してみて下さいとお薬を処方して下さいました。

そして、明日、消化器内科専門の息子さんに診て頂くように言われましたが、そこにいらしたのは往診に一緒に来て下さる看護師さん。

「誰かお母さんをみていてくれる人がいますか

いない。。。

いくつか空いている時間帯を調べて下さいましたが、母が居る日でダメでした。

結局、いつもの担当医の先生の日の火曜日にお薬を飲んだ様子を知らせるように言われました。

この日は当直なので5時だけが空いていました。

友人と遊びに行ったりマッサージに行く予定にしていましたが、予定変更です。

家に帰ると「時間が来たら帰って下さい」とお伝えして出かけましたが、ヘルパーさんが待っていて下さっていました。

あの男性のヘルパーさんです。

我が家が最後と言うこともあったのでしょうが、申し訳なさでいっぱい

コーヒーゼリーしかなくて、お母様の分と2つ持って帰って頂きました。

その後、胃痛が収まりませんでしたので、お薬(何とカロナール)を飲みましたが、もう2時間以上経過しますがやはり効きません

院長先生は「油っこいものは食べないように」と言われました。

今日の胃痛の原因はすき焼きですね

でも、どうしてどこも悪くないのに痛くなるのか・・・

「介護はストレスだと思うよ」と院長先生は言われていました。

それが原因

今更



 ブログをもっと早くアップするようにして早く寝るように心がけたいと思いつつ、結局いつもこんな時間になってしまいます。

でも、極力、努力して生活パターンを変えたいと思っています。




★致知一日一言【今日の言葉】

タビオ創業者が語る「リーダーの五徳」


嘘をつかない、
約束を守れるかどうか。
思いやりの心に溢れてるかどうか。
厳しさがあるかどうか。
勇気があるかどうか。

これがリーダーの五徳やと

━━━━━━━━━━
越智直正
(中卒で靴下問屋に丁稚奉公し、
一代で日本一の靴下屋を築き上げた
タビオ創業者)
━━━━━━━━━━

中学校卒業後、
丁稚奉公先で先哲たちの教えを貪り読み、
独立を経て製造・卸・販売で
業界トップの靴下屋・タビオを
つくり上げた越智直正さん。

越智さんが大切にされている
『孫子』の言葉をご紹介いただきました。

.....................................

(越智)

『孫子』の中に
「将とは、智信仁厳勇なり」
って書いてますねん。

仕事に対する智謀を持っとるかどうか。

嘘をつかない、約束を守れるかどうか。
思いやりの心に溢れてるかどうか。
厳しさがあるかどうか。
勇気があるかどうか。
これがリーダーの五徳やと。


もう一つ心掛けてたのは、
これも『孫子』の一節で、

「卒未だ親附せざるに而もこれを罰すれば、
則ち服せず。服せざれば則ち用い難きなり。
卒已に親附せるに而も罰行なわれざれば、
則ち用うべからざるなり」。


要するに、
部下が自分に心服した時には
思いっきり叱れ。

しかし、部下が心服してないのに
叱ったら離れていく。


僕は『三国志』を読んで、
ただ一つだけ覚えてるのは、

「口舌を以ていたずらに民を叱るな。
むしろ良風を興して風に倣わせよ。
風を興すもの師と吏にあり。
吏と師にして善風を示さんか、
克己の範を垂れその下に
懶惰の民と悪風を見ることなけん」

という言葉です。


社員を口で叱ってはいけない。
むしろいい環境をつくって、
その環境に倣わせなさい。
環境をつくる責任は社長と幹部にある。
社長と幹部がまず手本を示しなさい。
その下に悪い社員ができようはずが
ないではないか。

現実には随分と社員を叱りましたけど(笑)、
かくあるべしと心に留めてましたね。

.....................................

◎越智さんもご愛読くださった『致知』

「『致知』との出会いは、創業して数年後、
借金に行った知人の事務所でした。
社長を待っている間に応接台にあった
『致知』を夢中で読んでいて、
前に座った社長に気付き、
慌てて用件を言うと、
返済期日も聞かず黙って小切手を
書いてくれました。

その時は何で簡単に貸して戴けたのか
不思議に思ったものですが、
今になって分かるような気がします。
苦にも楽にも夢中で取り組んできましたが、
読書は苦を忘れさせ、
真摯に生きる最高の良薬でした」



★バラ十字会メールマガジン(昨日分)

バラ十字会日本本部AMORC


ジェーン・エア ― 文芸作品を神秘学的に読み解く33

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

下記の公式ブログでお読みくださると、今回話題になる本の挿絵や著者の肖像画を見ることができます(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914028&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋は、初夏の過ごしやすい陽気になっています。

町のそこここにバラの花が咲き乱れています。


いかがお過ごしでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、イギリスの小説についての文章が届きましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

『ジェーン・エア』― 文芸作品を神秘学的に読み解く33

森和久



この物語はジェーン・エアという孤児で器量の悪い女の子の半生を綴ったものです。

ジェーン自身による一人称で書かれており、ジェーンが移り住んだ場所ごとに4つ+1つを舞台にしています。


1.【ゲーツヘッド】(1章~4章)


赤ん坊の時に孤児となったジェーンを伯父夫婦が引き取り、自分の3人の子どもと一緒に育てます。

やがて伯父も亡くなり、義理の伯母は仕方なくジェーンを育てますが、虐待に近いものです。

3人の従兄姉たちもジェーンをいじめ尽くします。

ジェーンの味方は一人もいません。



2.【ローウッドスクール】(5章~10章)


1月19日、伯母は手に余った10歳に満たないジェーンを寄宿学校ローウッドスクールへ入れます。

ここは劣悪な環境で多くの病人や死者を出すほどのところです。

ここでジェーンは同じように孤児のヘレン・バーンズという級友と出会い打ち解けますが、ヘレンは病死してしまいます。

しかし、尊敬できるテンプル先生という理解者にも恵まれ、生徒として6年、さらに教師として2年を過ごします。



3.【ソーンフィールド】(11章~28章)


テンプル先生が去ってしまった学校に残ることをよしとせず、ジェーンは新聞広告を出し、住み込みの家庭教師の職を得ます。

生徒はアデルというフランス生まれの孤児で、38歳になる当主エドワード・ロチェスターが養育しています。


ここではアデルもジェーンになつき、ロチェスターにも気に入られ、ついには求婚されます。

ジェーンもロチェスターを愛おしく思っていて、プロポーズを受け入れますが、結婚式の最中に、ロチェスターには妻がおり、発狂してソーンフィールドの屋敷の3階に幽閉されていることが発覚します。


ロチェスターは妻がいてもジェーンと暮らしたいと説得しますが、ジェーンは家を出ます。

7月のことでした。この時ジェーンは、こんな体験をします。


「白い人間の姿をしたものが青空に光り輝き、神々しい額を地上に向けた。それは私を凝視し、凝視しつづけた。そして私の魂に話しかけてきた。その音声ははるかかなたから発せられているのに、とても近くに聞こえて、私の心にささやきかけた。『「我が娘よ、誘惑より逃れよ!』『お母様、そういたします』」[小尾芙佐訳]


無一文のジェーンは見知らぬ土地を数日さまよいます。



4.【ムーア・ハウス】(29章~35章)


行き倒れになりそうなジェーンを牧師のセント・ジョンが助け、彼、それに妹2人と暮らすようになります。

後にセント・ジョン兄姉はジェーンの従兄姉であることが分かります。

牧師のセント・ジョンはインドへの布教に妻として同行することをジェーンに申し出ます。


その申し出に神への愛はあったとしても、自分への愛がないことを確信したジェーンは結婚を拒絶します。

しかし、セント・ジョンの神がかりとも言える説得により、ジェーンはセント・ジョンとの結婚を受け入れようと思い始めます。

ところがその時、「ジェーン」と呼ぶ声がはっきりと聞こえます。ロチェスターの声です。



3+.【ソーンフィールド】(36章~38章)


6月1日、ジェーンはソーンフィールドに向かいます。

しかし、そこには火事で焼け落ちた屋敷が無残に残っていました。

近所の人が言うには、ロチェスターの妻が火を付け、そして屋根から落ちて死んだのです。


ロチェスターも妻を助けようとして、怪我をして片腕と視力を失いました。

今は近くのみすぼらしい家に住んでいるということです。

ジェーンはすぐにロチェスターに会いに行き、愛の告白をし、結婚します。


10年後の現在、ロチェスターは片目の視力が回復し始め、息子も生まれ、2人は幸せに暮らしています。




この物語の大きなテーマは、「神秘」と「愛」です。


21章の冒頭は6歳の頃の出来事を元に、ジェーンの次のようなモノローグで始まります、


「予感とは奇妙なものだ! そして、共感もそうであり、予兆もそうである。そして、この3つが組み合わさって、人間が解くための鍵をまだ知らないひとつの神秘を作り出す。私はこれまで予感というものをバカにしたことはない。」


「というのは、私自身、奇妙な体験をしたことがあるからだ。共感は存在すると思う。(たとえば、遠く離れている親戚が、疎遠であるにもかかわらず、それぞれが自分の出自をたどると源は同じという絆の意識が存在している)。その働きは人間が理解できないのだ。そして、予兆は、私たちが知る限りでは、自然と人間の共感かもしれない。」[拙訳]




また27章の始めの部分では、こう述べます、


「午後のある時、私は頭を上げて、あたりを見回し、西日が壁にその衰えを示しているのを見て、『私はどうしたらいいの?』と問いかけた。」


「しかし、私の心の答えは『ソーンフィールドをすぐに離れろ』というもので、これはあまりに急な答えで、私は耳を塞いだ。そんな言葉には耐えられないと言った。(中略)しかし、その時、私の心の声が、『できる』と言い、『やるべきだ』と予言したのだ。」[拙訳]


そうしてジェーンはロチェスターの元から去る決心をするのでした



そして35章の終わりのシーンです、


「家中が静まり返っていた。セント・ジョンと私を除く全員が、今は休息していたのだと思う。最後のろうそくが消え、部屋は月明かりに満ちていた。私の心臓は高鳴り、その鼓動が聞こえた。突然、言いようのない感情が沸き起こり、その感覚は、私の頭や全身にも伝わってきた。」


「その感覚は電気ショックとは違うが、同じくらい鋭く、奇妙で、驚くべきものだった。私の五感に働きかけ、あたかも最大限の活動が休止状態から呼び起こされ、強制的に目覚めさせられたかのようだった。」


「『何が聞こえた? 何が見える?』とセント・ジョンは尋ねた。私は何も見なかった。しかし、どこかで叫び声が聞こえた...『ジェーン! ジェーン! ジェーン!』という声が聞こえたが、それ以上は聞こえなかった。『神よ、何事ですか?』 私は息を呑んだ。私は『どこにいるのですか?』と言ったかもしれない。」


「それは部屋にも家の中にも庭にも見えず、空中からでもなく、地中からでもなく、頭上からでもなかったからだ。私はそれを聞いたのだ。どこからなのか、永遠に知ることはできない。知るよしもないが、それは人間の声だった。エドワード・フェアファックス・ロチェスターの声だった。その声は痛みと苦しみに満ち、不気味に響いた。」


「『今行きます』。私は叫んだ。『待っていてください! 待っていて、すぐ行きますから!』扉まで飛んで行って廊下を見たが、真っ暗だった。私は庭に飛び出したが、そこは空っぽだった。『どこにいるんですか?』私はそう叫んだ。」[拙訳]



こうしてジェーンはロチェスターのところへ向かうのです。

実はその時、ロチェスターも同じようにジェーンの声を聞いていました。


片腕を失い、盲目になったロチェスターにジェーンは結婚を申し込みます。

そしてお互いの愛を、真実の愛を確信するのです。



19世紀の中葉に書かれたこのイギリス文学作品は、全編を通してキリスト教の教義が色濃く反映されています。

もちろんジェーンも真摯に神への祈りを捧げます。

しかし、ジェーンは子どもの頃から一貫して誠実さと倫理感を曲げることはありませんでした。


ですから牧師のセント・ジョンが神学教義を持ち出して結婚を迫ってもジェーンの心は頑なです。

ジェーンが帰依するのは創造主としての神なのです。

28章、ジェーンがロチェスター邸を出て見知らぬ土地をさまよい、飢えと疲れでうちひしがれそうになったとき、彼女はこう想うのです、



「こんな苦しい思いに疲れ切って、わたしは膝をついた姿勢で起き上かった。夜が訪れ、星が昇っていた。静かで安らかな夜――あまりに穏やかな夜で、不安の入り込む余地もないほどだった。神がどこにでもおられるということをわたしたちは知っているが、その存在を一番強く感じるのは、神の御業が壮大な規模で眼前に広がるときだ。」


「まさに今、雲のない夜空に、神の世界がその定められた針路を静々と回っており、それを見るとき、わたしたちは神の無限、全能、遍在を最もよく知るのだ。わたしはひざまずいて、ロチェスター様のために祈った。見上げると、涙でかすんだ目に壮大な銀河が映った。」


「それが何であるか――無数の小宇宙が柔らかな光で空間全体を照らしているということ――を思い起こしたとき、神の全能が感じられた。お造りになったものはお救いくださる、と確信でき、また地上の世界は滅びることはなく、そこにある魂も一つとして滅びることはないだろうという確信も深まった。」


「わたしの祈りは、感謝の祈りに変わった。命の造り主は、魂の救い主だ。ロチェスター様の心配はいらない――彼も神のものであり、神に守られているのだから。再びわたしは心地よく丘に抱きとられ、まもなく眠りに落ちて悲しみを忘れた。」[河島弘美訳]



 ジェーンが愛したのはロチェスターという人間であり、見返りはもちろん、対象となる何かでもないのです。

そこには2人の共感する一体性だけが存在します。

俗世を超えた精神愛です。



 私はこの作品を読んで、バラ十字会AMORCの世界総本部の代表を1915年から1939年に務めていたH・スペンサー・ルイスの次の言葉を思い起こしました、


「人生の最大の贈り物は、愛の法則が宇宙の最高の法則であるということです。この世に愛ほど輝かしいものはありません。愛が存在するからこそ、人生は常に生きる価値があるのです。」

△ △ △

再び本庄です。


『ジェーン・エア』に示されていたように、時間と空間を超えて、親しい人と心が通じ合うということは、もしかしたら、とても多くの人が経験していることではないでしょうか。



下記は森さんの前回の文章です。

記事:『浦島太郎について』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914029&c=3304&d=ed84



★ 森さんは、道新文化センター(札幌東急教室)で下記の講座を開講しています。お勧めです。

『あなたのためのスピリチュアルな知恵・神秘学』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914030&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。


また、お付き合いください(^^)/~



◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

YouTubeチャネルのチャネル登録者数が800人に達しました。

メルマガの読者の方で、まだこのYouTubeチャネルの登録をしていない人がいれば、ぜひ、ご登録をよろしくお願いします!

【人生を考える・神秘学を学ぶ-人生の教科書チャネル】

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914031&c=3304&d=ed84


下記は、このチャネルの人気の動画です。

【人生を変える名言-ジャン=ジャック・ルソーの言葉『良心とは』】

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914032&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

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一気に介護度アップ

2022年05月20日 23時37分45秒 | 介護

 母は夜中に見に行きましたが、延々と寝続けていました。

あまりにも身動きもせずずっと寝続けているものですから「本当に息をしているのかな」と目を凝らしたり。。。

結局多分6時半位まで寝たのではないかと思います。

と言いますのが、母がお茶を飲んで吸い飲みを落としていたのに気が付いたのがヘルパーさんがいらした7時でした。

その前は、私は大急ぎで外の空気を吸いに公園を1周だけお散歩し、帰ってからはお洗濯3回、花殻摘みをしたり、ヴィオラを抜いたりしていました。

 

今日も一日、曇っていました。

 

やはり、ママ友ガーデンのお花を間近で見たくなり寄り道してしまいます。

 

 

バラのいい香りがします。

幸せな時間のひとつですね

 

 

 

 

 

公園の外周経由

教会へ。

 

教会の紫陽花も少し色づいてきました。

 

今日も門は閉まり、神父様のお車はなく、でも、玄関のカギは開いていました。

公園への道すがらの紫陽花も色づいてきました。

 

 今日の果物

カットしたのはお昼過ぎていました。

 

 今日の母はまだ足りないかの如く延々と寝続けていましたが、眠りは浅くなっていたようです。

金曜日の朝、来て下さるヘルパーさんは今回も2人。

オーナーさんと引き継ぐヘルパーさんと。

このオーナーさんが救急車を呼んで下さった方です。

かなり、いろいろと介護についてお詳しそうです。

退院時もショートから帰って来た時も、「薄いとろみをつけた方がいい、全粥(食べられるなら普通のご飯)、一口大」ということでしたが、今朝はとてもではないですが、性根がないという感じで・・・

ヘルパーさんも「これはかなり強度のとろみをつけないといけない。又、ペースト食、ミキサー食のレベルですよ。お薬ももう粉にしてもらった方がいいです。メイバランスも取り入れて」と言われました。

又、ベッドの角度も入院中、誤嚥で入院しているので調べているはずだから聞いてみるように言われました。

この時、お茶碗に半分くらいの番茶とメイバランスを半分くらい飲みました。

その後、レーズンロールのレーズンを抜いて、バナナ半分、アーモンドミルクで、パン粥を作ったところお茶碗の半分くらい食べてくれました。

1人で食べられる状態ではありませんでしたので、今日は夕方まで食べさせました。

その後うとうとし始めました。

2時間ほど寝て、10時半。

又、お茶とメイバランスとパン粥の残りを食べました。

そして、またうとうと。

 今日は1時から歯医者さんが来て下さることになっていました。

12時から起きていましたので、卵ご飯をつぶして食べさせました。(お茶碗半分強)

あとはミニミニ冷ややっこ、鯖焼き1口、刻んだレタスと小さく切ったミニトマトのサラダ(胡麻ドレッシング)・・・これはほとんど食べませんでした。

その他にはお茶とメイバランスを少し。

食後、又うとうと。

誤嚥が怖いのでベッドを起こしていましたが、そのまま寝ていました。

そうこうしているうちに歯医者さんが来られ、30分後の1時半からは看護師さんが来て下さいました。

ぼんやりして、顔も土気色みたいで、生気なし。

 4時からはリハの方が来て下さいました。

一番にニコニコしながら母のお誕生日のことを話され始めました。

まだ皆が集まる前、何とか元気を出させようとして、4人で(彼女と訪問看護師さん2人、ソーシャルワーカーさん)「おめでとう~~~」「ケーキ、凄いねえ」とか盛り上げようとしてくれていたそうですが、全くダメだったそうです。(反応なし)

ところが、そこへ男性のリハの方(初めの頃担当して下さっていました)がいらして、「おめでとう~~~」と手を振ったら、母も「わぁ~」と元気いっぱい手を振り返して、彼女曰く「4人でがんばったのに、たった1人に負けたんですよ」

「そんなに彼が好きだとは知らなかった~」と言われると母曰く「そんなことはないよ、○○さん、好きよ」

「い~や、そんなことはない。私達、たった1人に敵わなかったんです」

元気いっぱいの彼女ですのでいつも母も元気になるのですが、今日はいまいち。

それでも、ちゃんと返事が出来たのにはびっくり

それにしても私も知りませんでした~。

あとで、母に「そんなに○○さんが好きだったのね」と言うと

「そんなことは全然ない」と顔色一つ変えずにクールに答えていました(笑)。

私が作ったケーキはスタッフはもちろんですが、やわらかいものを食べることが出来る患者さんにも少しずつお裾分けをして下さったそうです。

それはありがたいことでした。

でも、よく患者さんにも差し上げて下さったものだと。

作ったばかりですし、元職員だし(これは関係ないですね)、管理栄養士だし 安心して下さったのかな。

(因みに、ここの病院がホスピスだった時に働いていたのは管理栄養士ではなく、経営に携わっていました。麻薬の取引では怖い目にも

 

 母は夕食は「欲しくない」と言いましたが「ばら寿司があるよ」と言いますと「食べる」。

時間はかかりましたが(1時間半くらい)、途中から自分でスプーンを持って食べました。

その後はお昼のフルーツの残り(メロン、いちご、パイン等)を小さくカットしてヨーグルトとメイプルシロップをかけたものをお茶碗軽く1杯くらい食べました。

これを食べ終わった8時頃から少しずつ元気になり、だら~っとではなく、しっかりもたれてTVをずっと観ていました。

そして、9時半にメイバランスを少し飲んで、10時に寝ました。

母の体調にはかなりの波があって、昨日今日は一番どん底状態でした。

でも、少し復調の兆しが見えましたので安心しました。

 

 

 私の胃はバナナを1本食べるとかなり痛くなっているようですが、半分では痛くなる日とならない日があり、ならない日の方が多いかも。

今日はバナナを止めてみましたが、全然関係なく、朝食後、昼食後、痛くなりました。

今も違和感があります。

痛いまではいかないけれども、鈍痛のような。。。

一体、原因は何

お薬も食前、食後、3回と就寝前に出ていますが、あまり効果がないような。。。

痛みを我慢するのも辛い

来週、母がショートに行ったら又、病院に行ってみます。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

元フジテレビアナ・菊間千乃さんの目標達成術

 

目標と願望は違います。

大切なのは、未来のゴールを
具体的に決めること。
そうすればいつまでに
何をやればいいのかが明確になり、
そこに向かって努力することができる

━━━━━━━━━━
菊間千乃
(フジテレビのアナウンサーとして活躍後、
 38歳で司法試験に合格し弁護士に)
━━━━━━━━━━

最新号の人気連載「20代をどう生きるか」に
ご登場いただいたのは、
フジテレビアナウンサーから弁護士に
転身されたという異例の経歴を
お持ちの菊間千乃さんです。


◎目標とは勝ち取るもの
◎入社2年目の一大転機
◎人が動き出すきっかけをつくる
◎自分の心の声に耳を傾ける

など、夢を目標を叶える秘訣について
お話いただきました。

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪会社が潰れる危機 ⇒ 経営改革の断行≫


 
【新連載】社会教育家・田中真澄
───────────────────
「人生百年時代を生きる心得」
 


最新号のトップインタビューには、
京阪ホールディングス会長の
加藤好文さんにご登場いただきました。

京阪ホールディングスは鉄道事業を中核として、
1906年創業の歴史ある会社であり、
その設立に関わったのが渋沢栄一翁です。

「経営トップは会社の羅針盤」

そう語る加藤さんですが、かつては
経営改革待ったなしの状況に直面し、
見事に経営を軌道に乗せられた
過去をお持ちの方です。

本日は、そんな加藤さんの
経営改革に至るくだりをご紹介します。


───────────────────
インタビューの様子はこちらから


そして、経理部に戻って思ったのが、
「このままでは、会社は絶対に潰れる」
ということでした。


──会社が潰れる……。
  当時の会社はどんな状況だったのですか。


というのは、沿線人口の減少で乗客数はマイナス続き、
不動産事業もバブル崩壊で不良資産がいっぱいあったんです。

その他のグループ会社も本社に甘えて
赤字を垂たれ流している状態でした。

実は、前に経理部にいた頃から
会社が危ないことには気づいていて、
これは何とかしなくてはいけないと思ってはいたのですが、
いよいよ行動を起こそうというタイミングで
流通事業本部に異動になってしまった。

それで経理部に戻ったら、会社の状況は
さらに深刻になっていたというわけです。

自分なりに「こうしたほうがいい」
「ああしたほうがいい」と考えていたところ、
2001年4月頃、佐藤さんに
「思い切って改革するから、改革案をつくってくれ」
とお声掛けいただいたんです。

佐藤さんが社長に就任される少し前のことです。

そして、自分なりにつくった経営改革案をぶつけたら、
「よし、それで行こう」ということになって、
以後、6年間は経営政策室で佐藤社長と
一緒に経営改革に掛かりきりでした。


──具体的にどう改革に着手されていかれたのですか。


(中略)


一方で、何をやるにも
「こういう理由でこの改革をしなければいけないんだ」
「しんどいけれど我慢してくれ」
と、周りにしっかり説明することを大事にしました。

やはり、周りに納得してもらえないと改革は進められません。

それから、きついことばかりでは社員もついて来ないので、
例えば、「改革を成し遂げて東証一部上場を目指そうや!」と、
常に希望の旗を掲げることも意識していました。


──希望の旗を掲げる。
  まさに経営改革を成功に導く要諦ですね。

 

 

 

 

追記(5月21日)

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日)

 

バラ十字会日本本部AMORC


ジェーン・エア ― 文芸作品を神秘学的に読み解く33

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

下記の公式ブログでお読みくださると、今回話題になる本の挿絵や著者の肖像画を見ることができます(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914028&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋は、初夏の過ごしやすい陽気になっています。

町のそこここにバラの花が咲き乱れています。


いかがお過ごしでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、イギリスの小説についての文章が届きましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

『ジェーン・エア』― 文芸作品を神秘学的に読み解く33

森和久



この物語はジェーン・エアという孤児で器量の悪い女の子の半生を綴ったものです。

ジェーン自身による一人称で書かれており、ジェーンが移り住んだ場所ごとに4つ+1つを舞台にしています。


1.【ゲーツヘッド】(1章~4章)


赤ん坊の時に孤児となったジェーンを伯父夫婦が引き取り、自分の3人の子どもと一緒に育てます。

やがて伯父も亡くなり、義理の伯母は仕方なくジェーンを育てますが、虐待に近いものです。

3人の従兄姉たちもジェーンをいじめ尽くします。

ジェーンの味方は一人もいません。



2.【ローウッドスクール】(5章~10章)


1月19日、伯母は手に余った10歳に満たないジェーンを寄宿学校ローウッドスクールへ入れます。

ここは劣悪な環境で多くの病人や死者を出すほどのところです。

ここでジェーンは同じように孤児のヘレン・バーンズという級友と出会い打ち解けますが、ヘレンは病死してしまいます。

しかし、尊敬できるテンプル先生という理解者にも恵まれ、生徒として6年、さらに教師として2年を過ごします。



3.【ソーンフィールド】(11章~28章)


テンプル先生が去ってしまった学校に残ることをよしとせず、ジェーンは新聞広告を出し、住み込みの家庭教師の職を得ます。

生徒はアデルというフランス生まれの孤児で、38歳になる当主エドワード・ロチェスターが養育しています。


ここではアデルもジェーンになつき、ロチェスターにも気に入られ、ついには求婚されます。

ジェーンもロチェスターを愛おしく思っていて、プロポーズを受け入れますが、結婚式の最中に、ロチェスターには妻がおり、発狂してソーンフィールドの屋敷の3階に幽閉されていることが発覚します。


ロチェスターは妻がいてもジェーンと暮らしたいと説得しますが、ジェーンは家を出ます。

7月のことでした。この時ジェーンは、こんな体験をします。


「白い人間の姿をしたものが青空に光り輝き、神々しい額を地上に向けた。それは私を凝視し、凝視しつづけた。そして私の魂に話しかけてきた。その音声ははるかかなたから発せられているのに、とても近くに聞こえて、私の心にささやきかけた。『「我が娘よ、誘惑より逃れよ!』『お母様、そういたします』」[小尾芙佐訳]


無一文のジェーンは見知らぬ土地を数日さまよいます。



4.【ムーア・ハウス】(29章~35章)


行き倒れになりそうなジェーンを牧師のセント・ジョンが助け、彼、それに妹2人と暮らすようになります。

後にセント・ジョン兄姉はジェーンの従兄姉であることが分かります。

牧師のセント・ジョンはインドへの布教に妻として同行することをジェーンに申し出ます。


その申し出に神への愛はあったとしても、自分への愛がないことを確信したジェーンは結婚を拒絶します。

しかし、セント・ジョンの神がかりとも言える説得により、ジェーンはセント・ジョンとの結婚を受け入れようと思い始めます。

ところがその時、「ジェーン」と呼ぶ声がはっきりと聞こえます。ロチェスターの声です。



3+.【ソーンフィールド】(36章~38章)


6月1日、ジェーンはソーンフィールドに向かいます。

しかし、そこには火事で焼け落ちた屋敷が無残に残っていました。

近所の人が言うには、ロチェスターの妻が火を付け、そして屋根から落ちて死んだのです。


ロチェスターも妻を助けようとして、怪我をして片腕と視力を失いました。

今は近くのみすぼらしい家に住んでいるということです。

ジェーンはすぐにロチェスターに会いに行き、愛の告白をし、結婚します。


10年後の現在、ロチェスターは片目の視力が回復し始め、息子も生まれ、2人は幸せに暮らしています。




この物語の大きなテーマは、「神秘」と「愛」です。


21章の冒頭は6歳の頃の出来事を元に、ジェーンの次のようなモノローグで始まります、


「予感とは奇妙なものだ! そして、共感もそうであり、予兆もそうである。そして、この3つが組み合わさって、人間が解くための鍵をまだ知らないひとつの神秘を作り出す。私はこれまで予感というものをバカにしたことはない。」


「というのは、私自身、奇妙な体験をしたことがあるからだ。共感は存在すると思う。(たとえば、遠く離れている親戚が、疎遠であるにもかかわらず、それぞれが自分の出自をたどると源は同じという絆の意識が存在している)。その働きは人間が理解できないのだ。そして、予兆は、私たちが知る限りでは、自然と人間の共感かもしれない。」[拙訳]




また27章の始めの部分では、こう述べます、


「午後のある時、私は頭を上げて、あたりを見回し、西日が壁にその衰えを示しているのを見て、『私はどうしたらいいの?』と問いかけた。」


「しかし、私の心の答えは『ソーンフィールドをすぐに離れろ』というもので、これはあまりに急な答えで、私は耳を塞いだ。そんな言葉には耐えられないと言った。(中略)しかし、その時、私の心の声が、『できる』と言い、『やるべきだ』と予言したのだ。」[拙訳]


そうしてジェーンはロチェスターの元から去る決心をするのでした



そして35章の終わりのシーンです、


「家中が静まり返っていた。セント・ジョンと私を除く全員が、今は休息していたのだと思う。最後のろうそくが消え、部屋は月明かりに満ちていた。私の心臓は高鳴り、その鼓動が聞こえた。突然、言いようのない感情が沸き起こり、その感覚は、私の頭や全身にも伝わってきた。」


「その感覚は電気ショックとは違うが、同じくらい鋭く、奇妙で、驚くべきものだった。私の五感に働きかけ、あたかも最大限の活動が休止状態から呼び起こされ、強制的に目覚めさせられたかのようだった。」


「『何が聞こえた? 何が見える?』とセント・ジョンは尋ねた。私は何も見なかった。しかし、どこかで叫び声が聞こえた...『ジェーン! ジェーン! ジェーン!』という声が聞こえたが、それ以上は聞こえなかった。『神よ、何事ですか?』 私は息を呑んだ。私は『どこにいるのですか?』と言ったかもしれない。」


「それは部屋にも家の中にも庭にも見えず、空中からでもなく、地中からでもなく、頭上からでもなかったからだ。私はそれを聞いたのだ。どこからなのか、永遠に知ることはできない。知るよしもないが、それは人間の声だった。エドワード・フェアファックス・ロチェスターの声だった。その声は痛みと苦しみに満ち、不気味に響いた。」


「『今行きます』。私は叫んだ。『待っていてください! 待っていて、すぐ行きますから!』扉まで飛んで行って廊下を見たが、真っ暗だった。私は庭に飛び出したが、そこは空っぽだった。『どこにいるんですか?』私はそう叫んだ。」[拙訳]



こうしてジェーンはロチェスターのところへ向かうのです。

実はその時、ロチェスターも同じようにジェーンの声を聞いていました。


片腕を失い、盲目になったロチェスターにジェーンは結婚を申し込みます。

そしてお互いの愛を、真実の愛を確信するのです。



19世紀の中葉に書かれたこのイギリス文学作品は、全編を通してキリスト教の教義が色濃く反映されています。

もちろんジェーンも真摯に神への祈りを捧げます。

しかし、ジェーンは子どもの頃から一貫して誠実さと倫理感を曲げることはありませんでした。


ですから牧師のセント・ジョンが神学教義を持ち出して結婚を迫ってもジェーンの心は頑なです。

ジェーンが帰依するのは創造主としての神なのです。

28章、ジェーンがロチェスター邸を出て見知らぬ土地をさまよい、飢えと疲れでうちひしがれそうになったとき、彼女はこう想うのです、



「こんな苦しい思いに疲れ切って、わたしは膝をついた姿勢で起き上かった。夜が訪れ、星が昇っていた。静かで安らかな夜――あまりに穏やかな夜で、不安の入り込む余地もないほどだった。神がどこにでもおられるということをわたしたちは知っているが、その存在を一番強く感じるのは、神の御業が壮大な規模で眼前に広がるときだ。」


「まさに今、雲のない夜空に、神の世界がその定められた針路を静々と回っており、それを見るとき、わたしたちは神の無限、全能、遍在を最もよく知るのだ。わたしはひざまずいて、ロチェスター様のために祈った。見上げると、涙でかすんだ目に壮大な銀河が映った。」


「それが何であるか――無数の小宇宙が柔らかな光で空間全体を照らしているということ――を思い起こしたとき、神の全能が感じられた。お造りになったものはお救いくださる、と確信でき、また地上の世界は滅びることはなく、そこにある魂も一つとして滅びることはないだろうという確信も深まった。」


「わたしの祈りは、感謝の祈りに変わった。命の造り主は、魂の救い主だ。ロチェスター様の心配はいらない――彼も神のものであり、神に守られているのだから。再びわたしは心地よく丘に抱きとられ、まもなく眠りに落ちて悲しみを忘れた。」[河島弘美訳]



 ジェーンが愛したのはロチェスターという人間であり、見返りはもちろん、対象となる何かでもないのです。

そこには2人の共感する一体性だけが存在します。

俗世を超えた精神愛です。



 私はこの作品を読んで、バラ十字会AMORCの世界総本部の代表を1915年から1939年に務めていたH・スペンサー・ルイスの次の言葉を思い起こしました、


「人生の最大の贈り物は、愛の法則が宇宙の最高の法則であるということです。この世に愛ほど輝かしいものはありません。愛が存在するからこそ、人生は常に生きる価値があるのです。」

△ △ △

再び本庄です。


『ジェーン・エア』に示されていたように、時間と空間を超えて、親しい人と心が通じ合うということは、もしかしたら、とても多くの人が経験していることではないでしょうか。



下記は森さんの前回の文章です。

記事:『浦島太郎について』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914029&c=3304&d=ed84



★ 森さんは、道新文化センター(札幌東急教室)で下記の講座を開講しています。お勧めです。

『あなたのためのスピリチュアルな知恵・神秘学』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M914030&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。


また、お付き合いください(^^)/~



◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

YouTubeチャネルのチャネル登録者数が800人に達しました。

メルマガの読者の方で、まだこのYouTubeチャネルの登録をしていない人がいれば、ぜひ、ご登録をよろしくお願いします!

【人生を考える・神秘学を学ぶ-人生の教科書チャネル】

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下記は、このチャネルの人気の動画です。

【人生を変える名言-ジャン=ジャック・ルソーの言葉『良心とは』】

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◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

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母が約1ヵ月ぶりに帰ってきました&胃痛の原因はもしや?

2022年05月19日 22時22分00秒 | 介護

 5時前に起きて、いつもより少し早く公園に行きました。

5時半には第一陣のグループは帰えられ、第二陣のグループが歩き始められます。

 

教会の門は昨夜の7時頃、開け放たれていて神父様のお車はありませんでしたが、今朝は門が閉まっていましたが、神父様のお車もなし。

早朝からお出かけか、あるいはベトナムからいらしたばかりの神父様はいらしたのかもしれません。

教会の入り口のカギは空いていました。

 

 

 

やっぱり、毎日行ってしまうママ友ガーデン

 

 

 

 

そして、又、公園に戻りました。

 

ママ友ガーデンを公園から望遠で撮ってみました。

お花がこぼれるように咲いていますが、なかなか写真にはその様子が写らないです

 

 

 今朝の果物

最近、少し疑っていて、昨日はネットで調べたりもしたのですが、食べる時にはすっかり忘れていました。

食べた後で、やはり胃が痛くなったので、ほぼ確信したのが、私の胃痛はバナナが原因ではないかということです。

一番最初、5月1日に痛くなった時も直前に食べたのはバナナでした。

毎日食べているわけですが毎日痛くなるわけではなさそうですが、1本食べるとダメなような気がします。

ノートにメモ書きを残しているのを改めてみるとどうもそうのような・・・。

でも、でも、夕方も少し痛くなったのですが、バナナは食べていません。

今日はヨーグルトとメイプルシロップだけです。

アボガドがダメになって、今度はバナナ

まだ決まったわけではありません、何だかショック

明日からひとまずバナナは止めてみます。

 

 

 

 今日は定期受診の日でした。

一番の8時半の予約でしたので、早く終わり、帰りにケヤキの並木道やお花を見ながら帰りました。

 

好きです、この小径

 

 

この八重のお花、何かしらと思ってグーグルレンズで調べたところ、ザクロでした。

 

一重はよく見かけますが、こんなオレンジ色の八重は初めてでした。

 

 

 

 

 


薬局に寄って帰ってもまだ10時でしたので、ちょっとリラックス。

 

 

 今日は母が約1ヵ月振りに帰って来ました。

それに先立って、2時45分からケアマネさん、福祉容疑の方が来て下さり、2時50分、母を迎えました。

母は昨日は元気だったらしいのですが、今日は朝から飲まず食わすで寝ていて、歩くことも出来ず、結局、車椅子を使いました。

福祉用具の方がスロープを持って来て下さっていたので助かりました。

1週間、お試しで置いて下さることになりました。

昨日ぬったぬり絵だそうで、貼って下さっていたそうです。

後は母の日のプレゼント。

 

 

部屋に入ってからほとんどすぐに母は寝始めて、4時20分頃、ドクターが往診に来て下さっても起きず。

「気持ちよく寝ているから大丈夫」と言われました。

年を取ると2日間寝続けて起きてとか人によっていろいろなパターンがあると言われました。

こういう時には無理をして起こして食べさせたり飲ませたり(薬も含めて)、しない方がいいと言われました。

安心したかのようによく寝ています。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

心の修行していますか?――田坂広志氏からのメッセージ

 

人間は、
一気に大きな悟りには
いけないのですね。
小さな気づきを
何度も繰り返しながら
大きな悟りに到達するのです。

大切なことは、
心の修行をやめないこと。

━━━━━━━━━━
田坂広志(多摩大学大学院名誉教授)
━━━━━━━━━━

田坂広志先生には最新号で、
カトリックのシスターとして長年、
多くの人たちの悩みに寄り添い続けてきた
鈴木秀子先生と対談いただきました。

コメント (10)
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【岡山おせっかいプロジェクト】&'ICU Grandpa'&ナンシー&映画『私は告白する(原題:I Confess )』

2022年05月18日 23時24分18秒 | ボランティア

 今日は久々に晴れました。

気温は27.4℃。

お布団を干し洗濯物も沢山しました。

 

 

 紫陽花がやはり朝には少し元気になっていました。

雲一つない青空

 

教会へ

 

 

少し靄がかかっていたのでしょうか

 

やっぱり、ママ友ガーデンへ。

 

朝の光が射してとても綺麗でした。

 

 

 

「今日美人さん達」

しっかり目が合っていまいます

 

 

実物はもっと綺麗です

 

 

 

 

 

我が家のヴィオラ

もうそろそろ抜いてしまう時期が来ました。

 

 

 

 

 

今朝の収穫品。

エンドウやレタスも抜いてしまいました。

 

 

 今朝の果物

 

 今日は10時から“抱っこから始めるボランティア”一ぐるーんと岡山おせっかいプロジェクトのZoomミーティングがありました。

実は2月にぐる~んサポーターに登録していました。

きっかけは「赤ちゃんを抱っこした~い」という気持ちと育児と介護は重なる部分が多く、私もちょっとお買い物に行きたい時とか母を見ていてくれたら助かると思うことが多いのですが、ご近所の若いママさん達を見るにつけて、空き時間を利用してきっと私で何か手助け出来ることがあるのではないかと常々思っていたからです。

少し前にも書きましたが、外国の方々へのホームステイやホームヴィジットも受けてきましたが、育児院の子供達の一時里親も何人か受けてきました。

一時里親とは休暇期間などに親が居ない子供達、あるいは居ても一緒に暮らせない子供達と一緒に過ごすことです。

我が家の子供達はこのような子供達と一緒に育ってきました。

(ホスピスで亡くなったお母さんに頼まれた双子のお嬢さんとは別です)

これらの活動からしばらく離れていたのですが、定期的に長い期間、預かることは今は出来ませんが、又、何らかの関わりは持てるのではないかと思っていました。

又、若い頃から乳児院や障害者者施設へもお手伝いに行ったりもしていました。

(これは個人的に行っていました。)

何のきっかけで「ぐる~ん」を知ったか忘れましたが・・・そうそう、朝日新聞でした。

それで連絡をさせて頂いた次第ですが、その後、バタバタとしていてそのままになっていました。

昨晩、Facebookを見ていたところ、飛び入り参加OKのZoomミーティングがあることを知りました。

 

【岡山おせっかいプロジェクト】“小さなおせっかい”から始まる、みんなで子どもを育てる社会へ『ショートフィルム』

 

 

「ぐる~ん」の活動

https://jammin.co.jp/charity_list/201005-gruun/?fbclid=IwAR30ESX4txJ6Jk9IzB9LfwYlBmlr2ClAZUk470HGTts0SEMCdn_IIJn81VI

 

 

 

ご存じの方も多いかと思いますが、アメリカのジョージア州アトランタにある小児病院「Children’s Healthcare of Atlanta」で、14年にわたり集中治療室の新生児に愛情を注ぎ、抱っこするボランティアを続けていた男性です。

がん闘病の末、昨年4月14日に86歳で旅立たれました。

 

David Deutchman, known as the 'ICU Grandpa,' comforts sick children

 

 

岡山県中央地区里親会会長 延藤さんの応援文!

岡山県中央地区里親会会長 日本キリスト教団和気教会牧師 延藤好英さん

だっこボランティアの「ぐる~ん」さんのことを聞いて、わたしは一人の女の子のことを思い出しました。この話は、鈴木秀子さんが『生の幸い、命の煌(きらめ)き』(中央公論社)という著書の中で紹介して下さっています。 その子の名前はナンシー。アメリカのある小児病棟に入院していた3歳の女の子です。ナンシーは小さく、痩せていて、体は生後一ヶ月半程度しかありませんでした。あちこち検査をしてみましたが、特に病気はありませんでした。病院側はあらゆる手段を講じましたが、ナンシーは少しも成長せず、声を出す元気すらありませんでした。 入院して三ヶ月経ったころ、看護士の一人が主治医に「ナンシーの家族が一度も面会に来ていません」と告げました。ナンシーの両親に呼び出しをかけましたが、両親は姿を見せませんでした。とうとう、主治医がナンシーの両親を訪ねました。両親はいましたが、自分たちの勉強で忙しく、母親は「あの子は必要なかった」「こんな忙しいときに生まれて来たやっかいな存在なんです」と言いました。父親はパソコンの画面から目を離すこともありませんでした。 次の日、主治医はナンシーをベッドごと、『陽当たりのいい、人の行き交う廊下に移しました。そして、その上に大きな張り紙をしました。それにはこう書かれていました。 「わたしはナンシーです。あなたがここを通る時、もし急いでいるならば、『ナンシー』と呼んでほほ笑みかけてください。もし、あなたに少しの時間があるならば、立ち止まって、『ナンシー』と呼びかけ、わたしを抱き上げ、あやしてください。もし、あなたに十分なゆとりがあるならば、『ナンシー』と呼んで、わたしを抱き上げ、ほおずりしてあなたの胸と腕の温かさをわたしに伝えてください。そしてわたしと会話してください。」 さっそく、ベッドの脇を通りかかる医師、看護士、他の患者がそれを実行しました。ある人は通りすがりに、名前を呼んで、にっこりとほほ笑みかけ、ある人は立ち止まって、ほおずりをしました。ゆっくり時間をとって、優しい言葉で、あたたかい心を伝える人もいました。 そうして、三ヶ月たったころ、ナンシーの体重は、正常な三歳児にほぼ近づき、バラ色に輝く頬には、可愛い笑顔が浮かぶようになりました。言葉も急速に覚えはじめました。

自分の名前を呼んでもらうこと、ほほ笑んでもらうこと、だっこしてもらうこと、優しく語りかけてもらうこと、それらはその子の心に愛を注ぎ、愛を満たしていきます。「そんな人がいてくれたらいいな」と淋しい子どもたちは願っていることでしょう。「そんなふうにしてあげたらいいな」と思う大人もいるでしょう。でも実際に自分がその子のもとに出向いていかなければその人の優しさはその子に届かないでしょう。

「ぐる~ん」さんは、その子のもとに行きます。その子を訪ね、そのこの名を呼び、その子にほほ笑みかけ、その子をだっこしてぬくもりを伝え、その子に優しく語りかけます。本当にすばらしいお働きだと思います。 

Chairman of Foster Parents Association (Chuo District of Okayama Pref.)

When I heard of "Gruun" (Dacco volunteer group), I thought of a girl coming to my mind. This episode is introduced in a book named "Happiness of Life--Brilliance of Life" (Chuo-Koron-Sha) by author Hideko Suzuki. The girl's name is Nancy. The girl was three years old hospitalized in pediatric ward of a hospital in the United States. Nancy was small and skinny. The size of her body was like a baby of one month and half after birth even when she was three years old. There weren't any specific diseases found. Even though the hospital went through all the necessary medical measures they could think of, Nancy didn't grow at all, and wasn't good enough to even give a voice or two.

After her three-month hospitalization, a nurse told the physician in charge that any of Nancy's family members have never visited her. Nancy's parents were called upon, but they never appeared. Finally, the physician in charge visited her parents.

The parents were there to see, but they were busy in their study. Her mother responded that "She wasn't needed by us".... "She was born in such a busy time, and her existence is so annoying to us". Her father never turned his eyes away from his computer screen.

Next day, the physician moved Nancy and her bed/etc. en masse to sunny side of corridor in the hospital, where people walk by. On the corridor wall, he put a big sign of paper. The paper was written like this.---I am Nancy, if you are in a hurry when you walk by my side, why don't you call me Nancy, and toss your smile for me...If you have some little time, stop by to call me Nancy and hold me up...and amuse me.....If you do have extra time to spare time with me, then call me Nacy and hold me up...and  nestle your face to mine, then give me the warmth coming through your chest and arms....Speak to me and have chat with me.

Soon, physicians, nurses and patients put this into practice when they walk by the bedside. Some called her name and gave her a smile. Some stopped by and nestled. Some took time to give her kind words showing their warm heart.

After lapse of  three months, Nancy's weight came almost closer to what infants of 3 years old weigh and she started to show her cute smiling face with rosy-colored cheek. she increased numbers of her words rapidly.  That particular child became infused and filled with love because she was called by her name, while she was smiled by and cuddled/hugged (dacco) by people,and received gentle words from them.

Pathetic children may always long for people wondering "If only there are such nice people out there". Some people may think "It would be great if we can do that for them"...But, if we weren't there by actually visiting them in person, our gentlleness would never reached them. Gruun people, however, make a visit to the children there. They speak to them gently. I feel what Gruun does is truly a wonderful work of love.....

 

このナンシーのお話はシスター鈴木秀子さんが「生の幸い、命の煌き」だけではなく、『鈴木 秀子 監修 / 日本エニアグラム学会 編 「自分探しの本」(春秋社)』にも書かれています。

 

わたしはナンシー

 ナンシーは三歳児でしたが、病院に連れてこられた当時は、生後一歳の体重・身長しかありませんでした。しかし、診察してもどこにも異常はないのです。それから三か月経ってもあまり成長しません。不審に思った医師が、看護婦にいろいろ聞いてみると、入院以来「両親が一度も会いに来ていない」ということが分かりました。
 そこで医師が両親を訪ねてみますと、若い夫婦は二人とも大学の研究生で、一流大学の博士論文に取り組んでいる最中でした。そして、辛く悲しいことだが、子供に会いに行く時間がない状態だというのです。エリートにとって激烈な競争社会のアメリカでは、この博士論文が通るか否かは、二人の将来を決する重大な事なのです。黙って戻った医師は、ナンシーを病院で最も人の出入りの頻繁な廊下にベッドを置いて寝かせました。そして次のような貼り紙をしたのです。
 「わたしはナンシーです。そばを通る人で時間のある人はわたしを抱きしめ、ほおずりをしてください。そして<ナンシー>と呼んでください。時間の足りない人は、せめて立ち止まって、<ナンシー>と呼びかけてください。本当に時間がなくて急いでいる人は、走りながら微笑みを投げかけてください。」
 通りがかりの医師、看護婦、職員、外来の人たちがこれに協力しました。それから三か月、ナンシーは標準の体重・身長を取り戻したのです。

 心をかけられ、愛情で包んで育ててくれないと、赤ちゃんは人間として成長しないのです。私たちは、いってみれば、ひとりひとりがこのナンシーなのです。

 

大河の一滴、一隅を照らす。

小さなことしか出来ませんが、何か出来たらいいなと思っています。

 

 

 

 

 午後からBSで1時から放映されていました。

殺人事件と書いてありましたので、観るつもりはなかったのですが、神父様は信徒から告解されたことをたとえ殺されたとしても他言することは許されていません。

その問題が書かれてありましたので、ついつい観てしまいました。

意外な方向への話が行き、ハラハラドキドキ。

 

私は告白する(原題:I Confess )

 

 

 

 

 夕方、お花にお水を遣っている時に母から電話が何回か掛かってきていました。

お散歩をしながら待っていましたが、7時30分近くになっても掛かって来ませんでしたので、お水遣りを始めました。

水遣りには30分少々はどうしても掛かってしまいます。

母は「歩けない」と言い、明日は車椅子で帰ると何だかあれこれ気弱な声で気弱なことを言っていました。

そこへスタッフの方がいらしたので、母の様子をお聞きしてみますと「とんでもない。以前と変わりませんよ」

明日、午後3時前、4月22日に救急車で入院して以来、約4週間振りに母が帰ってきます。

本人は食べられないし寝たきりだと言っていましたが。。。

でも、ドクターも「母が大人しくしているとは思えない」と言われていましたし、一体、どんな感じで帰ってくるのでしょうか。

「3時に待っているからね」と言って電話を切りました。

楽しみです

 

 

 

 

 

今日の言葉は何度かブログでも紹介した言葉です。

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

○○に気をつけなさい――マザー・テレサの言葉

 

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。

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マザー・テレサ(修道女)
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2016年8月号「思いを伝承する」より、
マザー・テレサの言葉をご紹介しました。

この言葉を原動力とされているのが、
全国から注目を集める女子進学校である
中村中学校、高等学校第10代校長の
梅沢辰也氏です。
インタビューの一部を公開します。


「校長として私の思いをどうやって
生徒に伝えればよいかと
本を読み漁るうちに出逢ったのが、
マザー・テレサでした。

この中で私が一番強調したいのが、
『言葉に気をつけなさい、
 それはいつか行動になるから』ですね。

言葉というのは普段何気なく
使っているものですが、
それだけに気をつけなければいけなくて、
特にマイナスな言葉は
極力使わないようにする。

マイナスな言葉というのは、
それを言った瞬間、
最初に傷つくのは
その言葉を発した本人です。

だからマイナスな言葉を使えば使うほど、
その人がダメになってしまう。

もちろん、その言葉を
聞かされる人にも影響を及ぼすので、
もっとぽかぽかした言葉を
多く使いたいものですね」

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 (5月17日分)

 

≪松下幸之助が愛した歴史ある神社≫

 

最新号の特集テーマは「伝承する」。

そのトップを飾る対談にご登場いただいたのは、
創建から実に2025年の歴史を刻んできた
三重県の「椿大神社(つばきおおかみやしろ)」
宮司・山本行恭さんです。

ご対談では、椿大神社の歴史を辿りつつ、
ご祭神・猿田彦大神に関するエピソードなど、
日本人の原点である神話の世界に
私たちを誘ってくれています。

本日はそんな椿大神社の
取り組みの一部をご紹介します。


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★インタビューの様子はこちらから

【山本】
この椿大神社は松下幸之助さんが
随分と目をかけてくださいましてね。

日本をこよなく愛した松下さんは
茶道を通して日本の文化を伝えるべく、
「鈴松庵」というお茶室を
庭園と共に寄進してくださいました。

そんなご縁で松下政経塾のことも学ばせてもらいまして、
政経塾には至らないけれども、私どもでは「椿自彊塾」
という研修会を18年前からやっています。


これは『易経』の

「天行は健なり。君子は以て自ら彊めて息まず」

の一節から名づけました。

全員が白の作務衣を着て、朝5時に起床し、
禊をして参道を掃除し、
国旗掲揚と国歌斉唱を行い、朝食をいただく。

それから講師の講話を聴いたり
教育勅語の臨書をしたり学びを進めていくんです。

皆、禊はもちろん掃除なんかしたことないですし、
会社の社長から行けと言われて来た人が多いので、
最初はやらされ意識ですよ。

「早く終われ」って感じで(笑)。

でも、そういう人が二泊三日の研修を通して感化され、
帰る時には見違えるほど顔つきが変わるんです。

泣いて帰った人もいます。

最後に私が言うのは、「明日から一日一つ、
これだけは絶対にやるということを決めて、
1年間やり通してごらんなさい。人間が変わるから」と。

中には最初、「ジョギングします」
って言う人もいますけど、
怪我や病氣をしても続けられることに絞らせます。

そうすると毎日できることは何か。
挨拶、掃除、履物を揃そろえる。

こういった当たり前のことなんです。

コメント (4)
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その後の胃の痛み

2022年05月17日 23時58分07秒 | 医療、病気

 今日まで曇り空。

家の中にいるとひんやり。

でも、明日からは気温も27℃になり、ピーカン晴れだそうです。

 

 今朝はもうママ友ガーデンに寄らないでひたすら歩こうと思い、遠くからママ友ガーデンを撮影。

あ~、綺麗だわぁ~~~~~~

いつもの如く教会に寄りました。

 

ロビーにはお菓子が置いてあります。

公園へ。

今日はがんばって7周しました。

でも、やっぱり、ママ友ガーデンが気になって、見に行ってしまいました

 

 

本当に綺麗なので見飽きません。

 

 

 

 

ウツギ

 

 

 

 

 

家に帰って、紫陽花を見ると良い感じ

 

柏葉紫陽花が一番早く咲きました。

 

 

 

 

 今朝の果物

 

 

 今日はバラ十字会のレポートのチェックをし、夕方ポストイン。

I have finished my report and I feel a sense of accomplishment and liberation.

何と3月20日からぼつぼつ取り組んでいましたので、2か月近くも掛かってしまいました

東京に着くのは金曜日以降だそうです。

今はそんなにかかるのですね。

 

 

 

 夕方見ると紫陽花が又元気なく萎れているような。。。

今回は地に植えていますから水切れはありえません。

朝になると元気になるのか様子見です。

 

 夕方のお散歩

 

 

 帰ると友人からラインが入りました。

お母さんのことで、「

今日また施設から電話があって血尿が続いて食欲も無いらしい。

先生に診てもらって点滴までは出来るけどそれ以上望まれますかって。

入院して検査という方法もあるけど年齢的に全ての検査が出来るとは限らないみたい。」とのこと。

私の母の場合、「先生がまだ生命力があるから検査をしたと言われていた。まだ看取りには早いからと」

 友人曰く「そうなんだ。前みたいに高熱が出て意識がないなら病院へと思うけど今の状態だと何とも言えない。先生と会った事もないし」

施設はマメにこうして連絡をくれるそうですが、普段のお母さんの状態もはっきりとはわかりませんし、今回の状況に至っては尚のこと状況がわからないから決断は難しいだろうと思います。

それを言うと「そうなんよ。血尿が続く人もいると言われるし。歳と共に食べられなくなってくると思うし。」

施設に預けているとこういう場合、判断に困りますね。

お互いに悩みは尽きません。

 

 

 

 今日、母からは連絡がありませんでした。

何かあればスタッフがお電話を下さると思いますし、あまり心配しないことにします。

多分、眠いのだろうと思います。

私も又、うたた寝をしてしまっていました

 

 

 

 その後の私の胃の調子は金曜日の朝食後、痛くなり、御ミサ中、痛かったのを覚えています。

その後、土曜日、日曜日は「胃がそこにあります」感はありましたが、痛みはありませんでした。

月曜日、又、朝食後痛くなり、その後は大丈夫でした。

そして、今日、朝は何ともなくて、夕方、ヨーグルトにバナナ半分とメイプルシロップをかけたものを食べたら痛くなりました。

なかなか、胃の違和感もなくなりません。

おかしいなぁ。。。

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

大学4年生に安岡正篤師が言った言葉

to do good(よきことをやる)
を考える前に
to be good(よき人間であること)
を目指しなさい

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ウシオ電機名誉相談役・牛尾治朗氏が
大学4年生の時に
安岡正篤師から言われた言葉
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大学4年生の牛尾氏に、
安岡先生が言われた言葉です。
牛尾氏はその場面を振り返り、
「衝撃だった」と語られていますが、
いまから10年前のインタビュー記事から、
そのエピソードをご紹介いたします。

....................................

「しかしある時、
『最終的に就職を決める前に
安岡先生のお話を伺うように』と父に言われ、
私は安岡先生をお訪ねしたことがある。

私が今後の抱負をひとしきり述べると、
安岡先生は私を見つめながら
次のようにおっしゃった。

「to do goodを考える前に、
 to be goodを目指しなさい」

この一言は衝撃だった。

それまで私は、あれをしたい、
これをしたいと、
「to do good」ばかりを考えていた。
そうではなく、「to be good」。

つまり、
よりよくあろうと自分を修める。

その軸がしっかりしていなければ
何もできないし、
何者にもなり得ないのだと痛感させられた」

それ以来、私は事あるごとに、
「to do goodの前に、
 to be good」と反芻し、
自身を戒めてきた。

今日なんとか格好のつく生き方が
できているのは、
人間としてのあり方の根本を
安岡先生にご教授いただいた賜物であろう。

 

 

 

 

★エドガー・ケイシーセンター 

 

今日(5月16日)の珠玉のリーディングをお届けします。


人はまったく何もしないよりも、積極的に動いて間違う方が遙かに良い

One had best be active and in error than not doing anything at all.

(262-126)

コメント (2)
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