河津桜は今少し&髪のドネーション&彩雲&糸 (English Cover)

2021年02月28日 20時41分44秒 | 自然

 今朝は日曜日のせいか(毎日が日曜日なのに)、寝過ごして7時半になっていてびっくりして起きました。

その後、いつものように30分間の瞑想をしてから1階の台所へ降りました。

 

 今朝の果物

午前中、印刷をしようと思っていましたが、やはり印刷が出来ず、パソコンサポートセンターへ電話をしても解決しませんでしたので、仕方なく修理センターの方に来て頂くことにしました。

今日いらしたのは女性でしたのでびっくりしました。

この前まで使えていたのに、なぜかプリンターが「無効」になっていましたので、削除されて新たに設定をし直されました。

すると使えるようになりました。

こういうケースは滅多にないと言われていましたが、たまに遭遇されるそうです。

とにかく、プリンターが使えるようになって良かったです。

 

 それから、ゆうちょや母に届け物をしに行ったりし、明日からお天気が崩れますのでちょっとドライブをして河津桜を見に行ってみました。

途中の公園の河津桜が満開でしたので、いつもの岡南飛行場のそばの河津桜も咲いているかと思いましたが、まだでした。

岡南飛行場

 

手前の西の方の桜はまだ全然咲いていなくて、半分から向こうの東側の方は木の半分から下は咲いている状態でした。

 

 

何本かは8分咲き

 

 

 

 

 

 帰り道、美容院に寄って又、髪のドネーションをするのに31cmに足りるかどうか見て頂こうと思い行きました。

このワンちゃん、とてもフレンドリーでじゃれついてくるばかりしました

31cmを寄付するには私の髪はもう3~4cm、足りませんでした。

31cmの髪が不足していて、前回は31cm切りましたが、今回、31cmを切ると襟足が出てすごいショートカットになると言われました。

(私はショートにしたことがない

前回と同じくらいの長さで切るにはもう3~4ヶ月必要とのこと。

31cmの髪が一番不足しているようです。

何と2万人の子供達が待っているそうです。

ひとつのウイッグを作るのに10人~15人、あるいは20人の髪が必要だそうです。

最近では「つな髪」という何cmでもOKのものもありましたが(帽子の下から出す様に付けるとか)、やはりここまで伸ばしましたので夏まで待って一番必要とされている31cmをドネーションすることにします。

 

 

 帰りに教会に寄って、車を教会に置き、公園を3周歩きました。

 

 

 

ふと見ると彩雲が~

彩雲が吉兆のサインですので、何かいいことがあるかも

 

 

 

 

段々薄くなって消えていきました。

 

 今日も母は7時過ぎに電話をしてきました。

「今日は一日寝ていた」と言っていました。

やはりしんどいのかも。

母に届け物をした時に看護師さんにお聞きしたところによりますと「いつもと同じで午前中は寝てられて、今はごそごそされています」と言われていましたが、母としてはしんどかったようです。

ご飯が欲しくないようで・・・

電話を切る時「話すことがないから、これからTV(晴天に衝け)を観ながらコーヒーゼリーでも食べようかな」と言っていました

 明日は高校時代からの友人のお誕生日なので、ラビアンローズのメンバーとランチに行く予定です。

今まで国際ホテルに行っていましたが、前回の12月もレストランはお昼には閉まっていて夜のみ営業。

ランチはワンプレートランチしかありませんでしたので、今回は本人の希望のお店に行くことになりました。

中島みゆき / 糸 (English Cover)

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月28日)


あなたの人生を、他の人々への光のようにしなさい。
Let thy life, tho, be as a light to others.
(835-1)

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ホスピス仲間が来ました。

2021年02月27日 23時14分07秒 | 友人との時間

 昨夜はなぜか夜中にお腹が痛くなり2回も起きました。

何か悪いものでも食べたかなあ~と思いましたが、思い当たる食べ物がありませんでした。

今日も一日、お腹がゴロゴロ。

でも、痛みは収まりました。

 

 

 

 

  今朝の果物

今日はちょっとリッチ

 

 

 

 

 10時過ぎから4時半過ぎまでホスピス仲間が来ました。

セブンイレブンでお菓子も買って来てくれたのですが、どれも美味しかったです

お弁当は岡山の駅弁「まつり寿司」を買って来てくれました。

 

 

サラダはこれもセブンイレブンの「たことブロッコリーのバジルサラダ。

初めて食べましたが(コンビニに滅多に行かないので)美味しかったです

でも、他の人は知っていました。

 

ガウディの紫芋のタルトもとっても美味しかったです。

今日の話題も多岐に亘りました。

仕事、お姑さん、それぞれの親、子供、介護、今、はまっていること、今読んでいる本・・・話題は尽きませんが、やはりホスピス仲間なので、「生と死」の話もいつも必ず出ます。

ひとりがこのユンさんの記事に興味が湧き、本を読んでみたいと言っていました。

この「スマホ脳」も面白そうでした。

 

お土産で頂きました。

 

 

Today my friends who are used to be my co-workers paid me a visit. And we spent 6 hours chatting about various things and had a meaningful time while eating lunch and sweets together.

今日の友人達との会話の最後のことばは「なるようになる」「なるようにしかならない」「こだわりを捨てたら楽に生きることが出来る」でした。

 

 

 

 彼女達が帰った後で、母に頼まれていた耳かき等と洗濯物を持って診療所に行きました。

今日はお風呂に入ったようで、洗濯物がありました。

そして、教会経由公園を3周して帰ってきました。

 

薄っすらハロ現象が見られました。

 

 

 

 

 今日も7時30分頃母と電話で話をしました。

1時間位、スマホを触っていたそうですが、どうしても私に電話をかけることが出来ないと言っていました。

そして、最後には看護師さんにSOS。

今日も眠くて午前中寝ていたようですが、しんどさは今日もなかったと言っていました。

又、今日は普通のお風呂に入ったようです。

つまり、浴槽に「またいで」入れたそうです。

廊下をシルバーカーで歩いてもいるようです。

 

 

 

 

 来週の木曜日に、唯一空いている施設の見学に行くことになりました。

(昨日までのお話では、「介高住」も小規模多機能もいっぱいでした)

ここはあまりにも遠いですし論外ですが、今日の友人の話ではケアマネージャーをしていた時に県北まで探しても0だったこともあり、本当にすぐに空きは埋まると言っていました。

施設って本当にタイミングなのだなあと思いました。

また、遠い、近いは関係ないとも。

なぜなら、最初のうちこそ頻繁に面会に行くけれども、次第に居ない生活に慣れて施設を訪問する回数が減ってくるのが通常のパターンだからだそうです。

様々な話を今日は聞くことが出来ました。

やはり、マンパワーは必要なので、ひとりでやれるかどうかやってみてから決めていいと思うけれども、その時に空いている施設があるかどうかというと通常は無きに等しいと言っていました。

たくさんの人が空くのを待っているからだそうです。

週が明けたら、ソーシャルワーカーのYさんから連絡があるでしょうから、何らかの動きがあると思います。

母も事情がわかっているようで「帰りたい」とも言わずに忍耐してくれているようです。

今のまま小規模多機能をデイもショートも使わないで利用するかどうか(この場合、お風呂に入れません)、でも、今は診療所のデイとショートに期待しています。

そして、ヘルパーステーションはないので、ヘルパーさんは他を探すという方法です。

選択肢がいよいよありません。

人生に変化は付きものですから受け入れざるをえませんが、少しでも良きように変化してくれたらと願っています。

「人間万事塞翁が馬」

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 


(2月27日)

伸びる人と伸びない人の差は、
自己理解ができているか否か

――――――――――
山本良一
(大丸や松坂屋を経営する
J.フロント リテイリング取締役会議長)

 

 


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 


(2月27日)

人は、明日の1時間、明日の1分ですら生きることができません。そうであるなら、あなたが最善を尽くそうとしており、すべきだと知っている事を行っている限り、他のことを心配してはなりません!
And you do not live but one hour, one minute at the time.
Then if there is that attitude to do the best, or that thou KNOWEST to do, do not be anxious about the other conditions!
(303-15)

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母を迎える準備&確定申告終了

2021年02月26日 22時33分55秒 | 介護

 昨夜(多分、未明)から雨が降り出しました。

そして、今日の午後までよく降りました。

 

 

 今朝の果物

私にしては珍しく今日の写真はこの一枚だけです

 

 

 朝一で、スーパー経由で母の所に行きました。

買い物はいつも私が食べるものよりも母に持って行く食べ物の方が多くなります。

ちょうど診療所に着いた時にソーシャルワーカーのYさんより電話がありました。

続いて、ケアマネさんから「退院の日が決まったら、診療所に言わないといけないので教えて下さい」と電話がありました。

どういうことなのか、ちょっと意味がわかりませんでした。

その前に、小多規が急にサービス内容を変更されたので母を連れて帰ることが出来なくなったのですが、そのことには気が付かれていないようでした。

お風呂にも全く入れなくなることも。

荷物を看護師さんにお願いした後、Yさんがいらしたので、小多規のこと、昨日の見学のこと等をお話しました。

診療所はデイは大丈夫だそうですが、ショートステイが定期的な人で埋まっているそうです。

でも、このままでは母が帰れませんので、「何とか各部署と相談しいろいろなケースを考えてみます」と言われました。

そして、「ケアマネさんには僕の方から電話を入れておきます」と言われました。

私は可能ならば(可能な限り)、やはり母を家で看たいと思っています。

Yさんは「交代してくれる人がいないのでやはりひとりで看ることは難しい」と言われました。

ましてやいつ何が起こるかわからないわけですから余計でしょう。

とにかく、今日のこところはYさんにお話したことで、事情をわかってもらえましたので、半分肩の荷が下りました。

あとは良いように計らって下さると思います。

 

 

 

 それから、教会経由で急いで家に帰りました。

広島の税務署の方からお電話があるはずでしたので。

家に着きますとちょうどお電話があり、やはり一昨日の入力した金額が間違っていたそうで、それを訂正し、他のことも今一度全部チェックしてして下さり、送信し、確定申告がやっと終了しました。

今日も長い間、関わって下さいました。

10時20~11時45分。

一旦、電話を切られて、

12時半~1時40分。

「お食事、食べられましたか」とのお心遣いもあって、その方こそまだ本来ならば休憩時間のはずです。

「ああ、大丈夫です」とおっしゃっていましたが。

何ともご親切な方でした。

年配の方のようでして、それほどPCにお詳しそうな感じではなく、「あれ おかしいなあ」とほのぼのと、でも、無事に確定申告を終わらせることが出来ました。

簡単に出来ると書いてありますが、とてもじゃないですがひとりでは無理でした。

 

 

 今日はダスキンさんにお手伝いをお願いしていました。

1時前に来て下さいましたので、電話中でしたのでメモをお渡ししました。

出来ることを先にして頂いて、そして、電話を切った後から一緒にタンスを2つ移動させたりして、母の部屋が出来あがりました。

母の部屋にはまだ父の背広がたくさん残っていました。

もう形も違いますし、もちろんサイズも違いますので誰も着ることは出来ません。

思い切って母の許可なしで処分しました。

母は多分忘れているのだと思います。

母の年代の人の多くは物を捨てないので、とにかく物の量がすごい

でも、母のものは絶対に要らない明らかにゴミと思ってもやはりまだ捨てることは出来ませんでした。

ダスキンさんは「私なら捨てるけどねぇ」とおっしゃっていましたが。。。

今日はそんなこんなでその後も掃除をしたりして家の中にいましたので、雨が止んだことも知らず歩きにも行きませんでした。

でも、確定申告と母を迎える準備は整いました。

 

 

 明日は久し振りにホスピス仲間が来ます。

我が家は落ち着くそうで・・・

落ち着き過ぎて、よく寝ます

明日が楽しみです

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】


(2月25日)

しんどい時にしんどいまま
人生を終わらせるのはもったいない。
しんどければしんどいほど、
一番自分が楽しい、気持ちいい
と思える瞬間があるはずですし、
それを信じていたい

――――――――――
又吉直樹(お笑い芸人/作家)

 

 

(2月26日)

天知る、地知る、我知る。
どんなに貧しくなろうとも、
心まで貧しくなってはいけません

――――――――――
高橋恵(サニーサイドアップ創業者/
おせっかい協会代表理事)



 

 

 

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 


(2月25日)

忍耐すること、公正であること、親切であること、辛抱すること、同胞愛を示すこと。これらを実践したなら、将来どんなことが起きるか心配する必要はありません!
Be patient, be just, be kind, be longsuffering, show brotherly love - and then don't worry about what's going to happen!
(2823-3)

 


(2月26日)

あなたは誰にそして何に信頼を置いているか、はっきり自覚しなさい。
Know then in WHOM as well as in what you put your trust.
(1431-1)

 

 

 

★バラ十字会 メールマガジン

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


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画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M769503&c=3304&d=ed84

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例年と同じように、早春のこの時期は寒暖の差が激しいですね。



いかがお過ごしでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人が、ちょっとギョッとする題名の青春小説についての文章を寄稿してくださいました。

若い人たちの言葉では「アオハルっぽいストーリー」と言うのですね。ご紹介します。

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(26)

『君の膵臓をたべたい』 住野よる

森 和久



私は書名を聞いて、「ホラーなの? そういうのはちょっと、好きじゃないんだよ」と、紹介してくれた生徒に返事をしました。

膵臓は大切で、膵臓の病気は治りにくいと話していた時のことです。


「そう、膵臓の病気で治らないの。アオハルっぽいストーリー、結構流行ったよ」と説明され、アオハル(青春)の意味は分からなかったけれど、膵臓の病気というのが気になったのもあり、つまらなければやめるだけと思いながら読み始めました。


いわゆるBoy Meets Girlのライト・ノベルで、読み進むうちに自分が10代の頃の感じを思い出させてくれました。

病気で余命1年未満の女子高校生と彼女の家族以外で、彼女の病気について知っているただ1人の男子高校生の物語です。



作品の冒頭を見てみましょう。


『クラスメイトであった山内桜良(やまうちさくら)の葬儀は、生前の彼女にはまるで似つかわしくない曇天の日にとり行われた。』


桜良は死んでしまいました。

明るく活発な女子生徒だったと読者に知らされます。


対して、主人公の「僕」は友人など参列者が多いだろう葬式にも通夜にも行きませんでした。

それは「僕」の唯一の友人は桜良だけで、かつ二人の関係を知っている大人もいないわけで、行かないという選択を全うできたのです。


この桜良と「僕」という正反対の高校生二人がどう関わり合って行くのかということがはじめに提示されています。

私は文学少年の「僕」にシンパシーを募らせながら読み進めました。


全く友人も知人すらいない「僕」は桜良と交流していく中で、文学では得られなかった精神的成長を遂げていきます。

そして生きている自分、肉体を持って生を全うしている自分を感じるようになります。

では、それを見ていきましょう。



「僕」と同じ図書委員になった桜良は、本の整理なんかやらずにもっと死ぬ前にやるべきことをやったらいいのに、と言われこう答えます。

『でも今、それをやってないじゃん。私も君も、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにさ。そういう意味では私も君も変わんないよ、きっと。一日の価値は全部一緒なんだから、何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない。私は今日、楽しかったよ』。

そうですよね。

17歳の1日も80歳の1日も同じ重さのはずなのです。

ましてや他人が判断することでもないですね。

桜良は二人の関係を「仲良し」と表現しています。


桜良に好意を寄せる学級委員に殴られ、「僕」は学級委員のようには一途に桜良のことを考えてなかったことに思い当たり、偶然出会った「僕」よりも彼の方が桜良には相応しいのではないかと伝えます。


『違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ』、と桜良は答えます。

そうです、偶然は必然なのです。

すべてのことはそれぞれの選択によって成り立っているのです。

だからこの日、二人は、桜良の言う「仲直り」をしたのです。



また、人気者の桜良に好意を寄せてくる男子も多かったようです。

けれども、何人にも好きになられようとも、自分が好きな人に振り向いて貰えることこそ最も大切ということを桜良は判っていて、願っていたのです。


桜良に質問を1つ出来るチャンスを手にした「僕」は、臆病故に「僕」に対する桜良の気持ちを聞き出せません。

代わりに口から出た質問は、『君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?』でした。

そこには桜良が死ぬということを受け入れられない「僕」の気持ちの表れがありました。

桜良は答えます、『生きるってのはね。きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ』。

「僕」の魂は揺らぎます。

そして以前とは違う「僕」であることを自覚します。


いろんな面で正反対の二人は、磁石のN極とS極、色の補色同士のように惹かれ合い、補い合う関係です。

「君の膵臓をたべたい」ということは、その人を自分の中で生き続けさせたいということ。

共に生き、そして共に死を迎えたいとの願い。

そのため桜良は「僕」を選び、「僕」はそれを悟ることが出来ました。



ところが、桜良をアクシデントが襲います。

桜良は宣告されていた余命までをも生きることは出来ませんでした。


神秘学について、半ば茶化すように「神秘学の魔法を使って災難から逃れたり、事故を止めたり出来ないの?!」という人がいます。

端的に言えば、できません。

もちろん意識の有り様、特に人々の集合意識によって影響を与えることは出来ますけれども。

また、クリスチャン・ベルナール前代表はこう述べています、「神秘家はレッスン(教訓)からの免除者ではありません。我々は学ぶことが少しばかり容易になることを知るのです」



終盤、桜良は、なぜ桜が春に咲くのかについて、こう述べます、

『教えてあげる。桜は散ってから、実(じつ)はその三ヶ月くらい後には次の花の芽をつけるんだよ。だけど、その芽は一度眠るの。暖かくなってくるのを待って、それから一気に咲く。つまり、桜は咲くべき時を待ってるんだよ。素敵じゃない?』 

これは桜良の自分に照らし合わせた死生観であって、神秘学的にも輪廻転生に繋がるものでしょう。

この物語は各媒体で作品化(メディアミックス)されています。

私は[コミック(漫画)-小説(途中まで)-実写版映画-小説(続きから最後まで)-アニメ映画]の順でみました。

無粋ですが、各作品に個人的採点をしてみました。

☆の数5点満点として、小説☆☆☆☆、コミック☆☆☆、アニメ映画☆☆、実写版映画☆です。皆さんの評価はいかがでしょうか。

△ △ △

ふたたび本庄です。


インターネットで調べてみたところ、『君の膵臓をたべたい』は2016年の本屋大賞で第2位になった作品でした。



森さんの紹介文を読んでいて思ったのですが、ある人生が突然終わりを迎えてしまうというストーリーは、無常というこの世の本質を私たちに突きつけてくれます。


それが、神秘学(mysticism:神秘哲学)などに取り組むきっかけになることもあります。



そのような作品として私が思い浮かべるのは、映画「ディア・ハンター」と石川達三さんの小説「僕たちの失敗」です。

「僕たちの失敗」はTVドラマ化され、主題歌として用いられたのは五輪真弓さんの「落日のテーマ」でした。

乾いたような無常を感じさせる素敵な曲でした。


いずれも古い話です。失礼しました。



下記は、森さんの前回の文章です。

記事:『大草原の小さな家』

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M769504&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

近くの公園にヤマガラがいました。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M769505&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇



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「サ高住」見学&牛窓へ&母との会話

2021年02月25日 23時12分26秒 | 介護

 今日も晴れ女の私が勝ち、快晴となりました

 

 

 今朝の果物

 食後、ケアマネさんからお電話がありました。

デイサービスを今までの月、水、金から、火、木に変えてほしいと言われました。

火はドクターの日で、木はリハビリの日でやっとここに入れて頂いたので「それは難しいです」と言いますと「じゃあ、その時にはデイはお休みして下さい」と言われました。

そんなことを言われたら、ずっとお休みになるではないですか。

ドクターも今度は毎週来て下さるかもしれないですし。

私も自分の病院に行く日や友人と会う日などを、月、水、金にしてきました。

小規模多機能がデイの日を月、水、金とされたからです。

「どうしてもっと早く言って下さらなかったのですか」とお聞きしましたことろ、「どういう状態で帰って来られるかわからなかったので」とおっしゃいましたので「では、車椅子ではない場合は月、水、金になるのですか」とお尋ねしたところ「もういっぱいいっぱい入られていて、これでもやっと変更してもらってこうしたのです」と言われて、本当にびっくりしました。

ショートステイもデイも使えないと言うことです。

今までのパターンで行けると思えばこそ何とかなると思い、連れて帰ることにしましたが、これでは無理です。

でも、私は意外に冷静でした。

「きっともっといい方法があるに違いない」と思ったからです。

 

 

 友人が9時半に来てくれました。

そして「サ高住」見学へ。

9時50分には着きましたが、すでに紹介センターの方はいらしていました。

早速、中を案内して下さいました。

綺麗で広々としていて、床暖もあり、小規模多機能施設とサ高住が繋がっていてとても便利な感じでした。

お部屋も見せて頂きました。

 

サ高住としては狭い方だと言われていましたが、友人は広いと言っていました。

ウォシュレットは理由があって付けておられなくて、便座だけ温まるようです。

 

ケアマネさんが少し写ってしまいました

 

こちらは小規模多機能施設のショートステイ用のお部屋。

今、面会はZoomとこの窓越しの面会になるそうです。

面談室

ケアマネさんと紹介センターの方と、友人と私でしたが、途中から赤ちゃんを抱いた方がいらっしゃいました。

ここのところ赤ちゃんの動画を観ては癒されている私は「抱っこされますか」と言われて嬉しくて早速抱っこしながらお話をさせて頂きました。

この赤ちゃんはスタッフの赤ちゃんだそうです。

皆さん、連れていらっしゃるとか。

いいことだなあと思いました。

施設の印象はとてもいい感じでした。

お話を一通り伺い、入居者を選んでいらっしゃる印象を受けました。

そして、「病院から施設へ」が一番多いけれども、我が家の母のように認知症がない場合は家に帰らせてあげて、きちんと向き合って話し合うように言われました。

そうでない場合、不穏になるそうです。

100%承諾ではなくてもお互いに「仕方がない」という折り合いを付けてでないといいことにはならず、結局、他所の施設に移られた方も何人も見て来たと言われていました。

また、私の母の場合は遠いのと(こういう施設は地域密着だそうです)病気があるのがやはりネックとなるようでした。

友人もいろいろ聞いてくれて、面談でやはり決めると言われていましたが、「サ高住」はサービス 付き 高齢 者(向け) 住宅ですが、「介高住」というのもあるそうでこれまた初めて聞きました。

「介高住」とは介護付き高齢者(向け)住宅だそうで、私の住んでいる地域に病院が経営していてスタッフも看護師さんが多くいる「介高住」があるそうです。

一度経営者に会われたそうですがとてもしっかりなさっていたと言われていました。

そして「病気があるから安心でしょうからそういうところも当たってみられたらどうですか」と言われました。

やはり、こういうのはご縁だそうです。

とにかく辛いだろうけれども、まずはしっかり向きあって話し合うことが一番のようです。

赤ちゃんを抱かれていた方が施設長で看護師の方でした。

18人の入居者のうちの1人だから、我慢してもらわないといけないこともあるときっぱり

あとで、外に出てから紹介センターの方がうちを拒絶されたわけでは決してないこと、あれだけ人を選ぶので入られたら変な人がいないので返って安心だと言われていました。

また、「介高住」も調べて見学に行けるようにして下さるそうです。

今の小規模多機能施設が使えなくなるなら、早く何とか次の小規模多機能施設を探すか、今の診療所のデイやショートを使わせて頂き、あとはヘルパーで対応するか決めなくてはなりません。

ここに及んで心が重くなりかけましたが、紹介センターの方が「この2週間が一番しんどい時であとは楽になりますから」と言われていました。

これは施設探しの場合でしょうが。

でも、すべての道が閉ざされたわけではないので、ひとまず気分を変えるように努力し、牛窓に行って来ました。

 

 

 

 ホテル リマーニ

 

 

 

 

 

お天気が良くて本当に良かったです

 

瀬戸内海です。

 

 

 

 

 

牛窓は「日本のエーゲ海」と言われていますので、お料理もギリシャ料理です。

スタッフも海外の方がほとんどです。

流暢な日本語を皆さん話されます。

 

このオリーブ入りのパンが美味しかったです

お魚は鯛、ヒラメ、牡蠣、ベカのマリネ(私はイカでお腹が痛くなりますのでタコ)

 

ケーキはこの中から選びます。

私が選んだのはアロス・コン・レチェ(arroz con leche)とお紅茶。

 

 

 

世界的グルメガイドに掲載されたようです。

今日は少し風が冷たかったですが、私はちょうど心地よかったです。

 

 

 

 

ホテルから外に出てみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

ペンション通り方面

 

 

 

四国の屋島です。

 

 

 

このあたりは古墳がたくさんあります。

冬は白菜畑になっていました。

これからはキャベツ

 

元塩田跡ですが、このソーラーパネルが出来る前まではハングライダーのメッカ?でした。

 

ローマの丘の方へ歩いて行ってみることにしました。

 

自然の中~って感じ

 

 

奥に見えるのは小豆島です。

 

 

 

 

オリーブ園の建物(オリーブパレス)

眼下にホテル リマーニが見えます。

 

牛窓と前島を結ぶフェリー

遠くにオリーブパレス

 

 

 

 

 

オリーブパレスまで戻ってきました。

 

 

 

ここのコーヒーは有名なようです。

 

小豆島

 

小豆島の観音様

 

 

屋島

  

 

瀬戸内市役所の支所のそばにある瀬戸内美術館

たまたま昨日確定申告で話が出ましたので通り道でしたので、すっかりいくらか忘れてしまっていた固定資産税を折角なのでお聞きして帰りました。

(通帳等を見ればいいのですが)

今朝、昨日の税務署の方が何か間違われたのかお電話を下さいました。

でも、今日はお出かけしなくてはなりませんでしたので、明日にして頂いたのでした。

 

 

 

 4時に家に帰って来ました。

岡山は曇っていました。

今夜か明日から雨です。

教会に行き、公園を2周だけして帰りました。

「良き道が示されますように」

 

ママ友ガーデン

 

 

 

 

 

公園の回り。

公園には230本以上の椿の木があります。

 

友人がくれたお野菜。

 

 

 今朝、母は私が「今日は早く出かける」と言っていましたので、6時過ぎに電話をしてきました。

確定申告のことが気になったようです。

そして、夕方7時半過ぎに、小規模多機能施設にもう行けないかもしれないことを母に話すために電話をしました。

又、今日の見学の話も。

1時間以上話しました。

母は「施設に入れなくなってはいけないから、もう直接病院から施設に行ってもいい」と言いました。

私はそんな悲しいことがあっていいだろうかと思いました。

あんなに帰りたがっていたのに。

母を家に帰さないと私は絶対に後悔すると思います。

又、母も帰りたいのが本音なのです。

ですから、いくつかの可能性について話しました。

そして、「出来るだけがんばってみようよ」と言いました。

 

 

 

 又、今日は訪問歯科の先生から今後の方針のことでお電話がありました。

今の入れ歯は暫定的な処置なので1週間預かりたいと言っても母が嫌がっているそうです。

かと言って、新しいのも作らないと言っていると。

母から聞いてはいましたが、今のままでは良くないと思っていたところでした。

聞けば入れ歯は保険が効くので1~2万で出来るとのこと。

先生としては、1週間今までの入れ歯を預かっている間、この新しいのを付けてもらい、きちんと直したいと言われました。

そして、直った時点で前のを使ったらどうかと言われました。

と言うのが、新しいのは合わない人が多いらしく結局、前のを使う人が多いからだそうです。

母は入れ歯が何十万もすると思っていたようです。

ですから、この話をし、1週間入れ歯なしで我慢出来ないなら新しいのを作ったらどうかと言いますとやっと納得してくれました。

 

 

 

 今日は牛窓に行ってもこれからの母のことが気になっていましたが、次第に「今日」を楽しむようになれました。

毎年この時期に友人と牛窓に来ます。

早い春を求めて。。。

牛窓の家もそっと見て帰りました。

昔は毎週末皆で過ごした牛窓の家ですが、使わなくなって随分と経ちました。

人生って変化が付きものですね。

 

 

 

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母の退院の為の準備

2021年02月24日 21時48分07秒 | 介護

 今日は朝からとても忙しくて、やっと落ち着いて座ったのは夜の8時。

友人からのラインも溜まっていました

 

 

 今朝の果物

 

 

 朝の10時前からケアマネさんと福祉用具のスタッフが来て下さいました。

今はこんな車椅子用のスロープがレンタルであるそうです。

母は多分、伝い歩き等出来ると思いますし、シルバーカーも押せると思います。

ですから、多分、車椅子は必要ないかとは思うのですが、ケアマネさんが一番最悪のケース想定。

あれこれ考えて下さり、やはりお部屋替えをすることにしました。

今までは居間とお台所の間のお部屋でしたが、このお部屋はお台所の南。

この部屋からなら、万が一救急車を呼んだ場合でもすぐに搬送して頂けます。

 

ケアマネさんが車椅子用の車に車椅子を乗せて来て下さいました。

母の新しい部屋

とにかく明るいのがいいです。

元々は母はここに移る予定でしたが、皆が通る頻度の高い、声の聞こえる部屋がいいということで結局今までは移動しませんでした。

でも、今回は納得の上で移動。

 

ベッドを移動させてみるとこうなりました。

ダスキンさんに来て頂いて移動させようと考えていましたが、福祉用具の男性の方が移動させて下さり本当に助かりました。

とても重いし、分解方法も私ではわからなかったと思います。

12時近くまでかかり、その間洗濯機を3回回しつつ、掃除もしつつ(動かしていないので床にもベッドにも埃が~)作業をしました。

後は母の部屋の服などを移動をさせるだけですが、これも結構大変です。

タンスなどを新しい部屋のクローゼットの中に入れなくてはなりません。

(なるべく車椅子が入るように駐車場も含めて外も中も広く空けておいてほしいとのケアマネさんからの要望)

これらは金曜日にダスキンさんにお手伝いして頂きながらする予定です。

今日はお洋服を少しだけ移動させ、昼食のあとは再び確定申告の続きをしました。

 昨年から牛窓の小さなお家を頼まれて貸していますので(家電付き、食器付き、その他お庭のテーブル等付き。でも、びっくりするくらいお安いです)、それがややこしくて。。。

税務署に聞いたところ、その電話は広島に転送になったようです。

私はそんなことは知りませんでしたが、担当して下さった方が「電話代が高くかかるから」とご親切にもかけ直して下さいました。

それからでも約2時間。

5時近くまで教えて下さいました。

その方の担当は法人税だそうで、途中で他の方にも聞かれながら親切に根気よく教えて下さいました。

もしまだわからないところがあった場合どうしたらいいかという話になった時に、何とかその方に繋がる方法も教えて下さいました。

他の方ですとまた最初から説明しなくてはならないですし、ちんぷんかんぷんでしょうから。

とにかくご親切な方で本当に感謝でした。

 

 

 それから英語のレッスンまでにの間に、今日は家の中ばかりにいましたので公園へ2周だけ歩きに行きました。

 

 

そして、水遣りや洗濯物を取り込んだり窓を閉めて廻っていたら5時半。

レッスンが終わって、お風呂から出たら、母から電話。

今日も元気そうでしたが、午前中ずっと寝ていたそうです。

しんどさはなかったと言っていましたので、ほっ

ドクターが「『行くところがなかったら、私が訪問しているこころを紹介するから』」と言って下さった」と言っていました。

そこへちょうどドクターが帰る前の様子見に来て下さいました。

母がスピーカーにしていたようで、少しお話が出来ました。

ドクターのお帰りの時間は7時半頃なのかな

そして、8時にやっと落ち着いた次第です。

 

 

 明日は10時に「サ高住」に行くことになっています。

我が家から車で15分~20分ですので、9時半に出ることにしました。

ですから友人が9時半に家に来てくれて、私の車で行きます。

明日の天気予報は少し前までは曇りがちでした。

友人が折角牛窓に行くのだから私の力でお天気に変えたらと言っていました。

友人は雨女で、私は晴れ女。

今日の予報では3時頃までは晴れマークに変わっていました

 

 

 

 この曲(孤独な羊飼い)を聞くと懐かしいアンデスを思い出します。

 

Leo Rojas - Der einsame Hirte (Videoclip)

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

 

(2月24日)

人間は小説を読むと
想像力が逞しくなる。
詩を読むと
感性が磨かれる。
評論を読むことで
思考力が高まる

――――――――――
小林秀雄(文芸評論家)

 

 

 

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 

 

(2月24日)


あなたが子供に対してそう願うのと同じだけ、あなた自身が忍耐強くあることだ。そうすれば、子供もあなたに対して忍耐強くなるだろう。
Be just as patient as you would like for thy child to be.
The child will then be more patient with you also.
(3053-3)

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母、帰る気満々

2021年02月23日 20時48分46秒 | 介護

 今日は天皇誕生日でしたね。

ご近所の一軒だけ祝日には昔のように日の丸を出されるお宅があります。

確か大きな病院のドクター御一家とお聞きしましたが。

そして、今日はまた、一番末の孫の3歳のお誕生日でもありました。

2歳ではなく3歳でした。

ノートを見て気が付きました

一緒に暮らしていなくてコロナでなくても1年に1回会うか会わないか位では5人の孫も遠い存在です。

が、昨夜、娘婿が(多分、娘は夜勤)電話してきて、孫が「ノンナ、くだものをありがとう」と。

でも、すぐに上の孫娘がいろいろおしゃべりを始めました。

時々いろいろな国の言葉が混ざるのでとなります。

でも、最後にはいつも「ノンナ〇〇〇さん(何故か今回は「さん付け」)、だ~いすき」と言ってくれます

この子達はどんな人生を送るのだろうといつも思います。

 

 

 

 今朝、早朝からホスピス仲間達とライン交換しました。

ひとりは追突されたそうですが、2人共土曜日に遊びに来てくれることになりました。

我が家はなぜか落ち着くそうで、お疲れモードの彼女達はよく寝てしまいます

ひとりは大学で看護師を育てています。

以前は病院勤務(ホスピス時代は地域包括センターに居たような・・・)でしたからいろいろなことを知っていました。

以前、男性でしかも県外に働きに行っていた人がパーキンソン病と認知症のあるお母さんをショートステイとヘルパーさんに1日に4回来て頂いて、食事は宅配業者がベッドまで運んで下さって、家で看取られたそうです。

ですから、私にもヘルパーさんに4回入ってもらうようにアドバイスをくれました。

「自費になっても時間ごと(朝、昼、夕、夜)に来てもらったほうが良いと思う」と彼女。

今、いくつかの方法が考えられます。

●小規模多機能施設をこのまま使えるなら、診療所のサービスと同様、今までと同じようにする。

多分、母は手すりやシルバーカーや手を持ってもらえれば歩けますので、この方法からスタート出来るのではないかと思っています。

お風呂も大丈夫でしょう。

ショートステイも今まで通り週1(あるいは週2回)でお願いする。

●小規模多機能施設と診療所を使いながら自費でヘルパーさんをお願いする。(小多規は8時から5時までですので。実際に今まで来て下さっていたのは9時半と4時半でした)

●ケアマネさんが言われたように、デイに行けない場合(あるいは行けない日は)小規模多機能のお食事が好きなので、朝、昼(食事)、夕に来て頂く。ヘルパーさんの時間は調整してみないとわからないと言われていました。

●小規模多機能施設が使えないなら、診療所にデイやショートステイも移って、ヘルパーステーションだけはないので他所で頼む。

この場合なら、ショートステイも病院なので安心ですし、お風呂に入ることも可能です。

ただ、小規模多機能とお別れしなくてはならないので母は淋しいかもしれません。

●まだ方法はありそうですが、もし全部母も私も限界になったならば、最後には施設にお願いする。

 

 

 

 今朝の果物

今日はゴミ捨ての日で、ゴミを捨てた後、家の周りをごそごそしていましたら、何と、クリスマスローズの花がいつの間にか咲いていました

 

「ヨハネパウロ二世」という真っ白いのもあったのですが、以前の剪定で無くなってしまいました

いろいろ無くなります。

木々のゴミを出す時に一緒にかき出されるのだと思います。

 

 

紫陽花

綺麗にオレンジを鳥が食べてくれました。

 

多分、牡丹です。

 

いちごも沢山花を付けていますが、大抵、先に蟻さんに食べられてしまいます。

 

母が帰って来たら、白菜も収穫しようと思っています。

 

ほうれん草とレタスが段々と育っています。

3株ずつあります。

 

 

 

 今日は珍しく朝から母は調子が良く、11時頃に電話をしてきました。

ドクターが最終的に決断するのは母だと言われたそうです。

それで、昨日の話が途中止めになったと思ったのか「帰ろうかなと思う」と言いました。

母の不安はいろいろあるようですが、一番はお手洗いのことのようでした。

「自分で出来ないかもしれない、情けない」と又言っていました。

ですから、いろいろな可能性があることを話しました。

11時半になって、お食事のお迎えにいらしたので(行ける時には食堂で食べています)、電話を切りましたが、1時に再び元気よくかけてきました。

家に帰れるから元気になったのじゃないの」と言いましたが、あの血圧の乱高下がそんなことで収まるとは思えません。

母は「もう木曜日か金曜日には帰る」と言い出しました。

残念ながら、明日、家の様子をケアマネさんと福祉用具の方が見に来て下さいますし、その後準備に時間がかかると思われますし、まだ小多規からOKが出たわけではないので、すぐには帰れないことを話しますとすごくがっかりしていました。

でも、遅くとも火曜日には帰ることが出来ると思うと話しました。

母は髪のカットに連れて行ってほしいと言いましたが、これも残念ながら入院中にはコロナの為に外出することが出来ないことを話しました。

退院する日に母が元気であれば美容院に連れて行ったり、河津桜も見せてあげられたらと思っています。

 

 

 

 午後からウォーキングへ。

今日も予想以上に暑かったです。

最高気温は15.6℃、最低気温は8.4℃でした。

 

 

 

 

これはサンシュユでしょうか。

 

 

 

青い空と白い雲。

見飽きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4月からの入居に間に合うように今日も工事をされていました。

 

 

 

 今朝、ご近所のお魚を下さるご主人が外でごそごそしている時にいらして「この間の釣りの日は強風で行けなかった」と言われました。

私もあの日はとても寒い日でしかもすごい風でしたので、残念でしょうが無理だと思っていました。

その他あれこれと立ち話。

このアパートのことも話題に出ました。

このご夫婦は数えで何と70歳だそうです。

ご主人もお若いですが、奥様のお若くて綺麗でお優しくて謙虚なこと

50歳代かと思っていましたので、本当にびっくりしました。

少し前までは昔と10歳は皆さん若く見えると思っていましたが、最近では20歳は昔と比べて若くなっている気がします。

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 


(2月22日)

私はよく仕事を「志事」と表現しています。
人生の大半の時間をかける仕事を
自分の志と一体化させ、
天命・天職で生きるのが一番幸せなことです

――――――――――
髙橋ゆき(家事代行サービスのベアーズ副社長)

 

 

(2月23日)

自分で天命を探す時には、
得意なことではなく、
むしろ自分がこれは苦手だ、
自分の欠点だと思っていたことの中に
見つかることがあります

――――――――――
安田登(下掛宝生流ワキ方能楽師)

 

 

 


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 


(2月22日)

あなたは自分の蒔いたものを刈り取るのである。誰かを一度として酷く扱ったことがなければ、あなたが人から酷い扱いを受けることは決してありません。
What ye sow, ye reap.
Remember, others will never mistreat you if you never mistreat someone else.
(5354-1)

 


(2月23日)


神の力が癒すのです。
The Divine gives the healing.
(1173-7)

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母の今後についての話し合い②&Kiroro未来へ

2021年02月22日 22時38分51秒 | 介護

 今日も暑くなりました。

最高気温は21.1℃、最低気温は4.7℃。

明日の朝の気温も高くなるようですが、日中の気温は下がるようです。

そして、再びマイナスの気温の朝になる予報。

まさに三寒四温です。

 

 

 今朝の果物

 

 

 今日は1時からドクターからお話があるということで行って来ました。

ケアマネさんも呼ばれているとお聞きしていましたが、小規模多機能施設からは看護師さんと2人が来て下さいました。

私を見るなり「まあ~、一回り小さくなって。痩せたねぇ。ちゃんと食べてる

「ダイエットしているんですよ」と私。

そして、何と今回も母と会えました

今回は母の部屋での面談となりました。

ドクターの他には病棟の看護師さんと訪問看護ステーションの看護師さんが来られました。

まず、ドクターが「今回集まってもらった理由」を母に説明されました。

そして、「前回結論が出なかったけれども、気持ちはどうか」と尋ねられました。

生き方の問題だからどうなっても家がいいもあり、また施設もあり。

母は家にはとてもとても帰りたいと言いました。

でも、やはり不安なようで決断が出来ませんでした。

ドクターのお話では病状的には今週末位までの入院で来週の初め位には退院が出来るそうです。

小規模多機能施設の方もドクターからのお話を聞かれて、「今後対応出来るかここでは即答出来ない」と言われていました。

まずショートステイは母の都合には合わせられないし、夜勤者が一人だから、その時に母の調子が悪くなった場合他の人をほったらかしには出来ない。

また、他の人の体調が悪くて、すぐに母に対応出来ない場合もあるかもしれないとのことでした。

デイサービスも車椅子対応の車が一台しかないのでお迎えがお昼になるかもしれない、お風呂も最新式のお風呂ではないので、自分でまたげないなら(もちろん介助はして下さいますが)大好きな入浴サービスも不可能になると言われていました。

何よりも今までもそうでしたが、更に悪くなっている母を受け入れるには介護士さん達の不安がとても大きいようです。

訪問看護ステーションに関しては、完璧に「手放した」という印象を受けました。

これは私だけが感じたことではなく、小規模多機能の方も言われていました。

「今後もサルタノールがどうのと言われてもわからない。」

「この前の喘息の時もやりとりしている間に時間が経過し、最終的に自分で判断して救急車を呼んだでしょう これからもそうして下さい」

彼女達に出来ることは私が迷った場合「血圧を測って下さいとか指示を与えることだけです。」と言われました。

でも、迷って電話をしている時点で、すでに血圧その他は測っています。

途中で訪看さんは退席されたのですが、その時にドクターが「何か言いたいことはある」と聞かれて言われたことは「私達に電話をするか否かの事態(状況)をはっきり認識して((区別して)ほしいということだけです」

一連の流れの中で、つくづく感じたことは人生最期のこれからが一番しんどくて大変な時期に入って行く時にサポートはないと言うこと。

看取りの出来る施設に入れるか、家で覚悟を決めて看取るか(喘息などの急な時には救急車を呼ぶ)以外にはないということです。

それでも、ケアマネさんが言われました。

今の母の部屋の状況では部屋から勝手口まで連れて行くのがそもそも無理だから、部屋替えをすること。

また、そこから外に出て車椅子に乗せる為にスロープを付けられるかどうか等福祉用具の方と一緒に一度訪問したいと。

これは病棟の看護師さんが室内のお手洗いに行く時にも車椅子で連れて行っていると言われたからです。

誤嚥性肺炎になるまでは母はシルバーカーを押して歩いていました。

ベッドからはなかなか起き上がれず、降りれなかったようですが。

でも、今日はベッドサイドに座っていて、顔もふっくらし、元気そうに見えました。

話はほとんど1時間続きました。

私は母を連れて帰ろうと思って話し合いに行きましたが、それは今までのサポートがあればこその話です。

どちらにも助けて頂くことが出来ないならばそれは不可能です。

(訪看さんにはもう期待していません)

もう潮時なのかもしれないと思いました。

不本意ではありますが、木曜日に見学に行く「サ高住」は併設の小規模多機能施設利用ですから、今までの状態に近い状態で母も居られるかもしれません。

母にとっては家より身体的には楽なはずです。

また皆さんが言われるようにかなり不安も強いみたいですので、それも軽減される気がします。

慣れたら幸せに暮らせるかもしれない。

母は私と2人だけで、家に居ることがとても不安なので迷っているようでした。

 

 

診療所を出た時の空

 

 

その後、いつものように教会に寄ってしばし祈りながら考え、公園を歩きながら考えました。

 

 

 

 

 

 その後、ケアマネさんから「水曜日の10時に福祉用具の方と行きます」と電話がありました。

少し今日のお話をしました。

ドクターはケアする側のことを何も言わなくても非常によく理解されていると言われていました。

それは私もとても感じます。

それにはドクターならではの理由があるのですが。

母に付いては「あんなに家に帰りたいと言われているから、出来るところまでは可能性を考えましょう」と言われました。

又、何を優先するかだと。

「お風呂が大好き方だからお風呂を優先するなら在宅介護とヘルパーさんに切り替えるとか、小多規のお食事を気に入って下さっているのでそれを優先するならば、お昼にお弁当を届けることも可能」だと言われました。

もちろん、朝夕の着替えにも来て下さるでしょう。

今は分単位で動いている小多規ですから、何とも言えないそうですが、ヘルパーが清拭でいいならどこかで入ることも出来るそうです。

そういうサポートは出来ると言われました。

 

 

 夕方、ソーシャルワーカーのYさんから電話があり、「普通の人は早く退院したいと言うのにお母さんは穏やかに過ごしているから、案外施設がいいかもしれないと感じている」と言われていました。

確かに病状の不安からなのでしょう。

「早く退院したい」とは言いませんでした。

Yさんも近場の施設を調べて下さると言われていました。

 

 

 

 いつの間にか家の西側の花壇でヒマラヤユキノシタが咲いていました。

 

 

 

 9時に母から電話がありました。

ドクターがいらして「気持ちは決まった」と言われたとか。

「お昼の夜では無理でしょう」と思いましたが、母は元気な声でした。

何だか帰る気満々になっていました。

そして、私にどう思うかと聞きましたので「帰って来たいならもちろん帰ってきたらいいよ。全部が思うようにはしてあげられないと思うけどね」と答えました。

出来るこころまでがんばろう。

出来なかったらその時に考える。

その間、何かがあっても仕方がないです。

きっと何とかなる。

それに人は必ず死にますから。

 

 

 

 

母と娘の歌

この曲をを聞くと涙が流れます。

母と私、娘と私。

 

Kiroro - 未来へ @ 2016 06 29

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母の愛 

2021年02月21日 22時34分28秒 | 家族

 今日は暖かいを通り越して、暑かったです。

今日の最高気温は21.5℃、最低気温は3.4℃。

明日も21℃予想です。

 昨日、とても風が強かったので歩きながら「これは春一番ではないかしら」と思っていましたら、昨日は岡山のニュースがなかったのでわかりませんでしたが、今朝の新聞に「昨日春一番が吹きました」と書かれてありました。

暖かい南風でした

 

 

 今日の果物

いちごが傷み始めましたので、今日はいちごがいっぱい

 

 

 10時からの日曜美術館を半分観たところで、買い物に行きました。

2月23日の天皇誕生日が2歳になる一番小さな孫の誕生日で果物を送るためと、明日、母のところに行くのにコーヒーゼリーを買う為です。

スーパーには今日は大きな果物を入れる箱が今なくて小さな箱になりました。

果物も珍しいものがなくて・・・

今、大型スーパーは改装中ですし

店員さんのお話では今は国産の果物が一番いいとのことでした。

パイナップルは国産ではありませんが、他の物は国産。

今回はいつもの2分の1から3分の1の量とお値段になってしまいました

 

 

帰り道の菜の花。

心が和みます。

 

 

 今日は2時からバラ十字会(神秘学)のオンライン集会が2時からありました。

いつもは3時半には終わりますが、興味深いお話が満載で、しかも質問コーナーもありましたので、最後の5時まで参加しました。

難しいことを勉強することもありちんぷんかんぷんの時もありますが、集会はいつも穏やかで何だかほっこり癒されます。

そういうことで、今日は歩きに行く時間がありませんでしたので、空の写真だけ公園の入口で撮影。

 

 

 今日の母との電話は3時過ぎと5時過ぎと7時過ぎ。

7時からはゆっくり話をしました。

母は自分が亡き後私が1人になることを心配し、あれこれ案を考えてくれていたようです。

子供達との誕生日会、いとこ会、いとこ達と一緒に住む等々。

一生懸命考えてくれたようですが、どれも今までの関係性から考えて実現不可能で現実的とは言えないものでした。

でも、母の私への深い愛情だけは感じられました。

何と言っても母親の子供への愛が一番でしょう。

そのことを母に言いますと「一人しかいないから」

一人しかいないから私も淋しかったり不安だったりしますが、それは母も同じだと思います。

もっと子供が入れば母は安心だったことでしょう。

あるいは、そうでないケースもありますが、それはわからないことです。

8時になり、「青天を衝け」があることを話しますと、母はもう大河ドラマには興味を無くしていましたが「渋沢栄一のだね。先週から観てる」と言い、「じゃあ、今夜はここまでにしようか」と言いました。

私は母に「ありがとう」と言いました。

すると、母も私に「ありがとう」と言いました。

そうして、電話を切りました。

明日は1時からドクターのお話があります。

どんなお話かはわかりませんが、病状が落ち着いて退院することが可能なのであれば、私は家に連れて帰るつもりです。

 

 

 

★二ーバーの祈り

神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。

O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

(2月21日)

読書から学ぶことは多くあるものの、
実際に経験したか否かで
その理解の深さが異なります

――――――――――
朝倉祐介
(ミクシィ元社長兼CEO/シニフィアン共同代表)

 

 

 

 

★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング

 

(2月20日)

あなた方は肉体的な意識の中で、一度に一日しか約束されていない。それを生かしなさい。それを乱用してはならない。
For ye are not promised more than one day in the physical consciousness at a time.
Use it - don't abuse it!
(5392-1)

 

 

(2月21日)

あなたがそれを自慢するからではなく、あなたの優しさ故に、あなたが主なる神と歩んでいることを人々が認めるようでありなさい。
Thus may they know, not by thy boasting but by thy gentleness, that ye walk oft with the Lord thy God.
(262-121)

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< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

2021年02月20日 23時12分48秒 | 祈り

 今日はとても風が強かったです。

最高気温16.5℃、最低気温マイナス0.3℃。

朝は寒かったですが、日中は風がなければきっと暑かったと思います。

 今日の果物

午前中は大洗濯をしたりし、午後からは公園にお散歩へ行きました。

 

オーロラのような

 

 

 

我が家のバラ

葉が出て来ました。

 今夜は私の大好きな葦原瑞穂さんの著書「黎明」のグループで、オンライン懇親会(飲み会)が7時からありました。

2時間の予定でしたが、3時間を経過してもまだ盛り上がっています

私は残念ながら飲めないのでほうじ茶で参加しました。

今日はまだブログを書いていませんでしたし、すでに眠くなってきましたので、お先に失礼して退出してきました。

今はあちらの世に行かれた葦原さんの裏話がたくさん聞けて大笑いし、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 今日の母は割と早目にしんどさが消えたようでしたが「もう長くない気がする」と言っていました。

この言葉を母は結構何年も前から言っていますが、最近の母を見ていますと(実際には会えませんので見ていませんが)、残された時間はそんなに長くはないのかもしれないと思ったりします。

そこで、いつもと同じように普通に接すことが一番いいのかなと思いながらも、今まで指針としてきました以前も何回かアップしたこともある好きな祈りを再度アップしたいと思います。

英文は当時のセルビアの先生に直して頂きながら私が英訳しました。

< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです。

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。


  

This prayer is one of my favorite prayers.
I translated this into English while asking my English teacher .

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

Blessed are the people that understands my staggering foot and my hand's trembling.
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

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今日はよく動きました♪

2021年02月19日 21時10分02秒 | 生活

 今日は少し寒さが和らぎました。

昨日の最低気温はマイナス2.6℃でしたが、今日は0.2℃。

最高気温は6.5℃から9.5℃へ。

瞑想する時やはりちょっと寒かったですが、日中はちょっと風がありましたが、昨日に比べると暖かかったです。

 今朝の果物

バナナがすぐに傷みます。

 今日は私の受診の日でしたので病院へ行きましたが、随分とご無沙汰してしまいました。

病院から見た空。

朝は曇っていました。

在宅で母を看ることで皆が心配してくれているのは私の心身の体調のことだと思いますので、ここ何年か私を診て来られて、先生はどう思われるか伺ってみましたところ、先生は「出来るんじゃないかあ。もしダメならその時に軌道修正すればいいだけのことだし」と言われました。

そっか。。。と思いつつ、お買い物へ行きました。

大型ショッピングセンターへまず行きましたが、3月2日のリニューアルに向けて改装中であることをすっかり忘れていましたので、母に持って行くものが揃わず、結局、いつものスーパーへも行きました。

母からはうずら豆とお寿司を言われていただけなのに、見ているとついついあれも食べるかも、これも食べるかもと買ってしまいます。

今日は結局、うずら豆とお寿司の他に焼き芋、いちご、おはぎ、あんパン、白菜の漬物、梅のはちみつ漬け等を買ってしまいました

それから、診療所にそれらと洗濯物を持って行きました。

看護師さんのお話に寄りますと今日はいつもよりちょっとしんどそうだと言われていました。

 その後、気分転換に河津桜を見にドライブ。

東京の河津桜は満開のようですが、岡山はまだまだです。

 

ここののどかで広々とした景色が好きです

 

 

 

 

 

 

 

 

明日は17℃、日曜日は20℃を超えるそうですから一気に咲くでしょうか

 

 

 

 その後、薬局経由教会へ。

教会では、今年は一昨日の水曜が「灰の水曜日」で四旬節が始まりました。

ひとりの女性の方が14の祈りがある「十字架の道行」の祈りを跪きながらなさっていました。

その後、公園を一周して帰ろうと思っていたところ、窓が開いて「お姉ちゃん」とオルガニストの女の子(と言っても50代)に呼び止められました。

彼女は私を「お姉ちゃん」と思っているようで、いつも「お姉ちゃん」と呼びます。

久し振りに会ったので又、教会の中に戻り30分少々(もっとかも)おしゃべりを楽しみました

気が付くと12時半を過ぎていましたので、帰ってお食事をし、久し振りに公園に歩きに行きました。

 

ママ友ガーデン

我が家のクリスマスローズは今年は咲きません

 

 

 

ここの梅は大きいです。

 

再び、公園へ。

青空をバックに梅が綺麗。。。

万葉頃は花と言えば梅だったのですよね。

 

 

 

 

 

 

ふと見るとこの鳥は何

少しは自分で調べなくては・・・ということで調べてみると

これ、もしかしてホオジロ

ツグミ

 

 

 公園に行く前の1時10分頃、今日は母が珍しく自分で電話出来たようでかけてきました。

11時は診療所に着きましたので、お昼にお寿司を2つとバナナを食べ、これからコーヒーゼリーを食べようかなと言っていました。

そして、「死ぬ前にもう一回うなぎが食べたい」と言いました。

「今すぐに食べたいのそれともお家に帰ってから

と聞いてみましたら、「帰ってからでいい」とのこと。

いつ何が起こってもおかしくないことを考えると早く買ってあげておいた方がいいかなと考えていますと

そこへ看護師さんが「お手洗いに行ましょう」といらっしゃったので電話を切りました。

「美味しいうなぎが少しでいい」と言っていました。

昔、父と行ったうなぎ屋さんのうなぎのようでした。

ちょっと遠くうろ覚えですが(私は食べないので行ったことがありません)、確か友人の家から近かったような気がしますので、早速、聞いてみました。

どうもそこらしいです。

2人で8000円したと言っていました。

早目に食べさせてあげようと思っています。

 公園から帰って、岡山の税務署に電話をして、昨日のことをお聞きしてみましたところ、「スマホはスマホ、パソコンはパソコンで別のものなので連携は出来ません」ときっぱり

「なんだ、そうだったのか~」と思いつつ、「では、昨日の一日は何だったのだろう」と考えながら、即、ICカードリーダライタを買いに出掛けました。

でも、おかしいなぁ。。。

Bluetooth(ブルートゥース)で出来ると確かに書いてあったような。。。

でも、急ぎますし、確実にすぐに出来る方がいいので、購入しました。

これで、この週末には出来るかなと思いますが、甘いでしょうか

 夕方5時半近くに看護師さんからお電話があり、月曜日の1時からドクターが私とケアマネさんに話があるとおっしゃっていらっしゃるそうで、行くことになりました。

今後、小多規に行けるかどうかとか施設の話とか、そのようなお話かなと思っています。

★致知一日一言  【今日の言葉】

(2月19日)

ストレスは
問題事から逃げることで
解消してはならん。
とことん考え抜いて、考え抜いて、
解決策を見いだして実行に移す。
そうすると、
もやもやがスカッと晴れる

――――――――――
孫正義(ソフトバンクグループ会長)


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月19日)

あなた自身の力は限られています。しかし、創造力たる神の力に限りはありません。
Know that the power of thyself is very limited.
The power of Creative Force is unlimited.
(2981-1)

★バラ十字会 メールマガジン

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

今回は現地の写真などがありますので、できれば画像が掲載されたブログでお読みください(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M767322&c=3304&d=ed84

━…………………━


職場へと向かう道の途中に河津桜が2本あります。

10日ほど前に開花したのですが、今日は快晴の空に多くの花が映えていました。


東北、北陸にお住まいの皆さんも、少しずつ春が近づいてきていることを、きっとお感じのことと思います。



いかがお過ごしでしょうか。



さて、スイスの心理学者ユングは、世界中のさまざまな時代の神話や伝承には、とても良く似たエピソードがあったり、同じ性質のキャラクターが登場したりすることに注目しました。


そしてその説明として、人間の心は表層では個人個人に分かれているけれども、奥深くでは一緒になっていて「集合的無意識」というものを構成しているという説を唱えます。


この考え方は、現在では多くの研究者の支持を受け、ほぼ定説とされています。


集合的無意識の働きから生じる典型的なキャラクターには、老賢者、大地の母、永遠の少年と永遠の少女、トリックスター(いたずら者)などがあります。

外国の物語にも、日本の物語にも、このようなキャラクターがよく登場することに、皆さんも思い当たるのではないでしょうか。



このうち今日は、大地の母を話題として取り上げたいと思います。



南フランスの南西部にトゥールーズという都市があります。

13世紀にはすでに大学があった歴史の古い町で、バラ十字会の歴史にも深く関わっているのですが、町の南のガロンヌ川のほとりにはラ・ドラードと呼ばれる大聖堂があり、そこには黒い聖母が祭られています。


参考記事:「クレマンス・イゾール-バラ十字の黄金のイシス」

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M767323&c=3304&d=ed84



十字軍の指導者であったシモン・ド・モンフォールは、ある女性の投げた石に当たって命を落としました。

このことは、黒い聖母のおかげで起こったと言われています。


1944年には、ナチズムが早く終わるようにと、人々は黒い聖母に祈りをささげました。


黒い聖母に対する信仰は、10世紀まで遡ることができます。

今日でも、安産のために黒い聖母に祈りが捧げられています。



12年ほど前に私も観光する機会に恵まれました。

この写真はそのときに撮影した黒い聖母です。


もともとここは、西ゴート族が大地の母なる神を祭っていた場所で、後にキリスト教の聖堂が建てられました。


つまり、古代に地母神として祭られていた神をキリスト教が取り入れ、黒い聖母への信仰が成立したのだと思われます。



フランスには、この一帯を中心として200体以上の黒いマリア像があり、世界中には450体の黒い聖母マリア像があると言われています。


日本でも、山形県の鶴岡カトリック教会天主堂に黒い聖母像が祭られています。



先ほどお話ししたように地母神は、集合的無意識の働きから現れるキャラクターのひとつですが、具体的には、大地の植物を育む力を人格化した女神です。

地母神の像の遺物は、ヨーロッパでは旧石器時代の遺跡にも発見されています。


古代人は、植物が冬に枯れて春に再生することを生きものの繁殖と同一視したので、地母神はほとんどの場合、生物の繁殖をつかさどる神、安産や子育ての神にもなっています。


日本でも「縄文のビーナス」と呼ばれている土偶は、妊娠した姿で表されていることから、このような地母神のひとつなのではないかと推測されています。



古代ギリシャでは、デメテルという神が地母神にあたります。

彼女は穀物の発芽をつかさどる神で、ペルセポネという娘がいました。

ペルセポネが草原で花を摘んで遊んでいると、大地が突然割れてあの世の支配者であるハデスが現れ、ペルセポネを妻とするためにさらって行きました。

デメテルは長い間娘を探し続けますが見つけることができず、深い悲しみの果てに、アテネのすぐ東にあった都市エレウシスの王の宮殿に姿を隠します。

そのため穀物は発芽しなくなり、一帯が飢饉に襲われます。


ギリシャ神話の主神ゼウスは、人間たちを救おうとして、ペルセポネを解放するようにハデスに命じます。

ところがハデスは計略を巡らし、ペルセポネがザクロの実を食べるように仕向けます。

オリンポスのおきてによれば、ザクロの実を食べた女性はハデスと結婚しなくてはならないのでした。

ゼウスは仲裁案を示し、ペルセポネは一年のうちの3ヵ月はあの世でハデスと過ごし、残りの9ヵ月は地上でデメテルと過ごすことになります。


このときから、地上では冬の3ヵ月の間には植物が育たないことになりました。



女神デメテルへの信仰は、もともとは当時の農村の人たちが行っていた、穀物の収穫を感謝するお祭りでした。

しかしこのお祭りは都市国家の宗教儀式として発展し、女神デメテルとペルセポネに感謝するイベントは壮大な国家規模の祝祭になります。


一方でこの祝祭には別の側面があります。

エレウシスで活動していた神秘学派があり、この神秘学派は、デメテルとペルセポネの逸話から作られた儀式を、自分たちの神秘学派に入会した人たちに秘密の教えを伝える手段として用いていました。

これから説明するように、この手法はほぼ確実なことですが、古代エジプトから伝えられたものです。


実は神秘学(神秘哲学:mysticism)という言葉そのものも、このことに語源があります。

エレウシス神秘学派の研究者カール・ケレーニイ(Carl Kerenyi)によれば、ミステリア(mysteria)というギリシャ語は、「そこで、秘密が伝えられた祝祭」を意味します。



古代エジプトでは女神イシスが地母神にあたります。

イシスは自然界の象徴であり、すべてを育むものとされていました。イシスの夫は創造神であるオシリスであり、ふたりの間にはホルスという息子がいました。

オシリスにはセトという弟がいましたが、セトはオシリスの地位に嫉妬し、計略を巡らしてオシリスを殺害します。

セトはオシリスの遺体を14の断片にした後に、エジプトのさまざまな場所にばらまきます。

女神イシスは長い間探し続け、オシリスの遺体のうち13の断片を見つけ、その体をまとめて復活させます。

イシスとオシリスは再び一緒になり、ホルスという息子をもうけます。


エジプトの神秘学派では、死と再生にまつわるこの物語が密儀(集団の構成員にしか公開されない儀式)になり、学派内の人たちのために用いられていました。



古代インドにはハリーティー(Hariti)という地母神がいました。

言い伝えによれば彼女には500人の子供がいて、人間の子供をつかまえては食べ物として与え養っていました。

お釈迦さまはこの話を聞き、ハリーティーの末子プリヤンカラを誘拐して隠しました。


ハリーティーは長いこと子供を探し、悩み悲しみ、お釈迦さまに相談したところ、人間の子供に対する愛も自分の子供に対する子供への愛と同じことを悟り、仏教に帰依したとされます。

中国、日本でもハリーティーは広く信仰されていて、日本では鬼子母神(きしぼじん、きしもじん)という名で、安産と子育ての神とされています。


鬼子母神の像は手に吉祥果を持つ天女として表されますが、吉祥果とは一説にはザクロの一種だとされます。



以上のような地母神の逸話を調べていて、似た点が多いことに改めて驚きました。

大切な誰かが隠されてしまうこと、長年の探索が行われること、取り戻されること、そしてザクロが登場することなどです。



さて、これらの神話、言い伝えにはどのような現代的意義があるでしょうか。


これらは古代の呪術と深く関わっていました。たとえばエレウシスの祝祭では、男と女の生殖器にかたどって菓子を焼き食べたりすることによって、植物を育てる大地の力を促す呪術が行われていました。

それは類感呪術もしくは模倣呪術と呼ばれますが、明らかに迷信の一種です。


類感呪術の別の例としては、穴の開いた容器に水を入れて大地にまき散らすことによって、雨ごいをすることなどが挙げられます。


地震、火山の爆発、天候の不順などの自然界の猛威を前にして、風に吹き散らされる木の葉のように生きていた古代人にとっては、このような呪術が心の大きな慰めだったことは容易に想像することができます。

しかし明らかに、現代人の私たちにとってこのような呪術は何の意味も持ちません。


一方で、古代の祝祭と同じように現代のお祭りにも、私たちの心の奥に影響を与える別の強い力があるように私には感じられます。

収穫祭、秋のお祭りによって私たちは、心の奥底に自然界に対する畏れと感謝を育んでいるのではないでしょうか。


科学があまりにも発達し、多くの人の価値観を規定している現代の社会では、季節の巡りを記念したりするさまざまな行事が軽視されがちですが、エコロジーと深層心理という観点から見たとき、これらには見直すべき価値があるように思います。



いかがでしたでしょうか。

今回の話題を、人の心の不思議さに思いを馳せるきっかけにしていただければ、とても嬉しく思います。



下記は前回の私の文章です。


参考記事:『自分とは何か』

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M767324&c=3304&d=ed84



では、今回はこの辺りで。


またお付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

河津桜が満開です。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M767325&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇


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鳥のお客様&確定申告と格闘&Haru Yo Koi (春よ,来い)

2021年02月18日 20時14分19秒 | 自然

 今朝は冷え込みマイナス2.6℃でした。

日中も6.5℃だったようですが、今日はほとんど家から出ることなく過ごしました。

 今朝の果物

 今日は一日寒い予報でしたので、確定申告をパソコンでし終る予定でした。

昨年もPCからしてとても簡単でしたので、すぐに終わると思っていましたが、今年はマイナンバーカードでしようとした為、すご~く時間がかかり、あちらこちらにたらい回しをされて、結局出来ませんでした。

最後には「紙で出して下さい」と言われました

折角、簡単に出来るものと思っていましたのに一日かかっても出来ず

格闘中の唯一の慰めは、庭にお客様が何度も来てくれたことです。

こちらは先日教えて頂いたツグミでしょうか

 

 

そして、メジロも。

 

綺麗な鴬色の羽根ですね

ぷくぷくしてかわいい

 

 

マイナンバーカードで登録出来なかったのは私がスマホからマイナンバーカードを読み込んでPCに送ろうとした為です。

ICカードリーダライタを買わなくてもこれで出来るはずなのですが、本当にあちらこちらにたらい回しにされ、時間ばかり経過してしまいました。

スマホもPCの方も問題ありません。

「最新の事前準備セットアップが正常に適用されています」と出ますから。

スマホとPCの間の連携が出来ていないようです。

必要ものはインストールしていますし、chromeは使えませんのでちゃんとインタネットエクスプローラーも使いました。

ヴァージョンも問題なし。

でも、なぜ出来ないのかわかりません

誰にもわからないようです

スマホだけ使ってする方が簡単らしいのですが、文字が小さいのでやはりPCでしたいです。

もうちょっとがんばってみて出来なかったなら、ICカードリーダライタを買う以外になさそうです。

 ちょっとリラックスタイム

春が待ち遠しいですね

Hayley Westenra - Haru Yo Koi (春よ,来い)

 

 今日の母は酸素吸入が取れたようで、看護師さんに助けてもらって電話をしてきました。

今日は毎日のしんどさがお昼までには消えたようでした。

良かった

そして「明日、赤い豆を買って来て」

うずら豆のことのようです

あと、お寿司も欲しいようなのでそれも買って行く予定です。

明日は私の定期受診の日ですので、12時にぎりぎり間に合うかどうかですが、出来ればお昼に間に合うように持って行けたらと思っています。

★致知一日一言  【今日の言葉】

(2月17日)

人生というのは結局、
使命を果すこと、
日々の務めを行うことに対する
責任を担うことに他ならない

――――――――――
ヴィクトール・フランクル
(『夜と霧』著者/精神科医)


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月18日)

天使が訪れたくなるような、天使すら客人として招かれることを望むような家庭や住まいを作りなさい。
Make thine home, thine abode, where an angel would DESIRE to visit, where an angel would seek to be a guest.
(480-20)

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雪が舞いました&ドクターとの話&母の覚悟とあの世について

2021年02月17日 22時11分35秒 | 介護

 今日も風が強く、一層寒い一日となりました。

一時雪が舞いました。

明日は又一段と寒いようです

 今朝の果物

ちょっと今日は地味でした。

柿もいちごも無くなりましたので~

 今日のおやつ

ミニチーズとミニヨーグルトと

 

六花亭のストロベリーチョコレート・ホワイト2個

ホワイトチョコレートはそんなに好きではありませんが、これだけは別。

ドライストロベリーとの相性がとっても美味しいです

 

 庭にポンカンを切って置いてみました。

1時間半後くらいに鳥がやってきましたが、写真を撮ろうとすると逃げていきました。

剪定前はメジロが来ていましたが、今は来ていません。

結局、留守の間についばんだ後が見られ、ポンカンが落ちていました。

 

 午後からお買い物をして母の所へ。

雪が降る少し前の空です。

 昨夜、私は7時から母に電話をしても留守電に変わったり、取っても何も言わなかったり。

母は8時から私に電話をかけ続けて、母の声は聞こえず、また、私の声も母には届いておらずの繰り返しで。

9時を過ぎてしまいましたが、気になりますので遠慮しつつも、診療所へ電話をしました。

看護師さんが母のところへ行って下さることになりました。

そして、音量を上げスピーカーにして下さり、やっと話が出来ました。

母は「昔の職場の友人に手紙を書いたので封をして切手を貼って出してほしい」と言いました。

酸素吸入はまだしているようでしたが、食べることはOKなようでした。

早速コーヒーゼリーを食べたと言っていました。

 そこで、今日、バナナも必要ではないかと思い、すぐに傷むので1本入りを2本と「あまおう」を買って持って行きました。

1階で看護師さんが降りて来られるのを待っている間、たまたまドクターにお会いしました。

今の母の状態を説明して下さいました。

また、母の気持ちは「施設へとなっている」と言われていました。

「それは私への遠慮でしょうか」と伺うと「それだけじゃなく、こんなに調子が悪いのでは家で娘一人が世話をするのは無理」だし、自分の体調への不安もあるとのことでした。

「今回の誤嚥性肺炎のことで、家ではきっと見つけられなかったと思いますのでやはり、家では無理かなと・・・」と言いますとドクターは「それは施設でも一緒よ。往診か受診しなくてはわからない。」

昨日の老人ホーム紹介のお話もして、紹介された先には先生は来て下さることは可能かどうか伺ってみましたところ、はっきりとは言えないけれどもちょっと遠いしそちら方面には行ったことはない。又、緊急の時に間に合わない等々。

どうも無理なようです。

ドクターは「大切な一生の問題だから、一度家に帰って(退院、または一時退院して)一緒に見に行くなどして納得したところへ決めた方ががいいと思う」と言われました。

施設なら病院から直接行くと言われるものと思っていました。

私は例え施設に決めるにしても家に一度は帰してあげたいけれども、ケアマネさんでさえ反対でしたから。

ましてや、経験のあるママ友や友人も「家に帰したらダメよ」と必ず言います。

・・・と言いますか、その前に母は家に帰って来ることが出来る体調なのか、そういう余力があるのかどうか

私はもうその力がないのかと思っていました。

あとで(夕方)、ソーシャルワーカーのYさんからお電話があり(昨日の老人ホームの話の結果を聞かれたかったようです)話をしたのですが、「そのあたりのことも又ドクターからお話をしてもらいましょう」と言われていました。

電話がなかなか通じないことも相談してみたところ(病棟にかけるばかりするのも申し訳ないので)、病棟の看護師さんに時折気にかけて下さるように頼んで下さるとのことで安心しました。

又、空いているかどうかはわからないそうですが、もっと近くに「サ高住」はいろいろあるそうです。

「ゆっくり決めた方がいい」とやはり言われました。

昨日の方はやたら急がせました。

マンションと同じで条件のいいところはすぐに埋まるので「今日にでも見学に」という感じでした。

その割に「金曜日でお願いします」とお電話した時には、昨日の今日なのに私がどこの誰かわからずとんちんかんなことを言われて でした。

しかも金曜日は施設側がダメな日で、一番早くて来週の木曜日だそうです。

施設そのものはいいのかもしれませんが、この方に問題ありです。

「今後の為にも見学することはいいことなので行ってみることはいいこと」だとソーシャルワーカーさんが言われましたので、見学には行ってみようと思っています。

 話は戻りますが、今日は体を拭いてもらったようで、お洗濯物を持って帰ってきましたが、その時に、母が友人に書いた手紙と、封をして切手を貼って出してほしいというメモ書きと、以下の前の病院の献立表と、これが私の参考になるのではないかと取っておいてくれた旨を書いたメモ書きを受け取りました。

私が管理栄養士だからお勉強になると思ってくれたようです。

 診療所からの帰りに、母の手紙を出しにゆうちょへ行きました。

そして、郵便番号が電話番号になっていましたのでそれを直したり、母の携帯や自宅の電話番号を書き加えたりし(母は友人は死んでいるかもしれないと思っていますので、万が一生きていらしたら連絡を下さるかもと思い書きました)、中の紙を綺麗に折りたたんだりしました。

その時に、母の手紙を読んでしまいました。

そこにはお別れが言いたくて手紙を書いていること、「苦しい最後になりそうです」と書かれてありました。

帰りにいつものように教会に寄りました。

 

 

涙が溢れてきました。

 

 

 

この雲の中は雪が舞っているのでしょう。

 夕方、又何回か電話がありましたので看護師さんが母の部屋に行って下さって母と少し話をするこてが出来ましたが、6時になり夕食が運ばれてきましたので、「7時半頃に又電話をするから」と言って電話を切りました。

(看護師さんのお話では母は受話器を持つのもしんどい状態と言われました)

7時半過ぎ、今度はちゃんと電話が取れて話が出来ました

どういうことでこんな話になったのかは忘れましたが、私は今までも母に折に触れて大雑把に話して来ました。

まず死んだら天井の隅あたりに浮かんで自分の身体や周りの人々を見下ろしていること。

とにかく、光が見えたら光の方に行くこと。

又、お父さん、お母さん、夫、兄弟や友人などがきっと迎えに来てくれること。

それから、守護の天使か誰かそういった人と今世を振り返るという作業があること。

又、次の人生の大まかな計画を立てること。

母は長生きしたので、あちらの世界(本当のふるさとだと強調)に居る年月はあまり長くなく又、この世(地球)に多分生まれてくること。

あちらでは時間と空間がないから、好きな年齢の姿にもなれることとか。

もちろん、学びもあるよ~と。

そうして、人は反省したりしつつ、向上し進化して行き、最後にはもう生まれ変わらなくてもよくなること。

母はいつも「夢みたいなことばかり言う。信じられん」と言います

「でも、100%保証するわ。昔から偉い人達が皆おっしゃっている。私はこんな本ばかり何百冊も読んできたから間違いないと思うよ」と私。

私も死んだことがないですし(忘れている)、確証があるわけではないですが、多分間違いなくこうだろうなって思います。

母は一応クリスチャンですが(父が臨終洗礼を受けましたのでその後に勉強してクリスチャンになりました)、死んだら「無」だと思っていますし「真っ暗」だと思ってもいるようです。

でも、死の覚悟は出来てはいるようで、すごいなと思います。

私は母に希望を持ってもらいたいですし、とにかく死んでからびっくり仰天してパニックになってほしくないので(笑)、母に笑われつつもこんな話をしてきました。

母の次の世はどんな人生にしたいかと聞いたこともあります。

母はもっと勉強をしたかったようですが、戦争があったり、男尊女卑だったりして出来なかったので、次の世では勉強がしたいと言ったことがありました。

で、次々聞いていってみますと、医者かなあとなって、

じゃあ、何科

今度はどんな人と結婚したい

今度は男性に生まれたい

みたいに聞いていって、楽しいひと時を過ごしたこともあります。

でも、最後には言われます。

「おめでたいなあ。夢物語みたいなことばかり言って」

でも、それでもいいのです。

今夜は50分ほどそんな話をして「じゃあ、まあ、信じられないけど、そういうことにしておいて、今日は寝ようか」

・・・ということになりました

少しは元気が出たかしら

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誤嚥性肺炎その後&老人ホーム紹介センター

2021年02月16日 21時13分22秒 | 介護

 今日はとても風が強くて、陽射しは暖かかったものの体感的には寒く感じられました。

明日からいよいよ寒波到来のようです。

 

 今朝の果物

今日はカットフルーツを少し加えました。

ご近所のお魚を下さるお宅が手作りこんにゃくを下さいました。

近いうちに又釣りに行かれるそうです。

今度は赤メバルとか。

私はお餅を頂いて食べ切れないのでちょうど差し上げたいと思っていましたので、お好きかどうかお聞きしたらお好きだと言うことでお餅を差し上げました。

15個以上はあったかも。

お二人だから困られるかなと思いつつ・・・

お散歩がてらゆうちょへ歩いて行きました。

ご近所ウオッチィングです。

 

 

ここは秋には紅葉が綺麗です。

 

 

梅が満開ですね。

椿はもう満開を過ぎ始めています。

 

 

 

 

そして、公園へ。

広々とした空を見るにはここが一番です。

 

 

 

教会のドア

公園の梅もほぼ満開。

 

 

 

 4時からケアマネさんが連絡して下さっていた「老人ホーム紹介センター」の方が1時間の予定でいらっしゃるはずが、遅れていらしたのでバタバタ。

でも、流石にその道のプロ。

老人ホームについていろいろ説明して下さって、こちらの希望を聞いて、紹介して下さるシステムです。

そうして、紹介して下さったのは「サービス付き高齢者向け住宅」。

そこは使えないとソーシャルワーカーさんからお聞きしていましたが、サ高住にもいろいろあるそうです。

一押しで紹介して下さったのは小規模多機能施設併設(介護サービスは24時間365日そこを利用)で、施設長さんは看護師さん。

この方の御自宅が傍らしく何かあればいつでも対応して下さることとお食事が手作りだそうです。

これは今の小規模多機能施設と同じです。

(口コミを読むとお刺身が週に1回出るとか。本当かな

平屋でアットホームで、夜勤者2名、スタッフの数も規定で他よりも多いようです。

入居者の人数は18人が上限だそうです。

面会はZoomと希望があれば週に1回会えるとか。

 ケアマネージャーさんのおススメは家から5分位の特別養護老人ホーム。

安いしおむつも込みらしいです。

ただ、寝たきりや痴ほう症の方が多いので、頭のしっかりしている母の「お友達になれるような人はいないと思う」と言われていました。

 「老人ホーム紹介センター」の方がいらしていた時、母から何と19回も電話がかかってきました。

どうも昨日から、私にかかっているのにかかっていないと思うのか何度もかけてきます。

でも、いくら呼びかけても応答がありません。

テレビの音だけが聞こえてきます。

診療所に電話をして一体どうなっているのか見て来て頂き、あとで電話をするからと伝えて頂きました。

すぐに又かかって来ましたので、「あれ~」と思いつつ電話に出ますと看護師さんからでした。

母は「誤嚥性肺炎が治って、夕食から御飯が食べられる」と言いたかったようです。

「お食事が終わった頃にゆっくり電話をするから」と伝えて頂いて電話を切りましたが、今度は何度電話をしても出ません。

そして、留守電に切り替わります

でも、とにかく良くなったと聞いて本当に安堵しました。

 そして、又、頭を持ち上げて来たのが「在宅か施設か」の問題。

母にとって本当に快適なのはどちらなのだろうと考えています。

家のデメリットはあちらこちらに段差があり、室温も一定ではありません。

介護人は私一人。

それでも、やはり家がいいのかどうか。

今回のような誤嚥性肺炎にもいち早く気づいてあげられないかもしれません。

一番大きな問題は母がパーキンソン病を持っていて血圧が乱高下すること喘息があることです。

今回、吸痰をしたようですが、この回数が頻繁になると施設に入ること、居ることも出来なくなるようです。

医療行為なので看護師さんでは難しいそうです。

(3日に1回とか1週間に1回程度なら大丈夫とか、定かではありません)

その場合は入院だそうです。

多くのご家族が施設の入居を決められるのは多分便だと思うのですが、失敗し始めることがきっかけのようです。

我が家の場合は母の体調がどのくらいまで回復するかです。

もうデイに行くことは難しいと少し前には言われました。

誤嚥性肺炎がよくなれば又、12月末の入院以前くらいまでには戻るのかどうか。

私も当時の頃のことを忘れていましたが、母は血圧の乱高下でやはりかなりしんどいと言っていました。

母が一日家にいる時には枕の位置、お布団の具合、足がキンキンに冷たい、お手洗い等々で頻繁に呼ばれて、座っている時間やゆっくり食事をする時間もなかったと5年日記に書いていました

その上、いつもしんどい顏。

私もどよ~~~ん

意識不明になって倒れて救急車や通りすがりの中学生のお世話にもなったりして、いつも爆弾を抱えているような気持ちでしたっけ。

そして、急な喘息発作と尿路感染症から敗血症への危険で救急車で病院へ行ってそのまま入院。

でも、デイやたまにショートステイに行ってくれていましたのでまだ私は持っていたのかもしれません。

今の診療所のソーシャルワーカーさんが「もうひとり介護人が入れば・・・」

でも、介護人が増えることはほぼ100%ありません。

(そして、介護人が増えても母の危険が減るわけではありません。)

これからもひとりで24時間体制。

しかも、状態は依然より悪くはなっていても良くはなっていません。

今度、母が退院して帰って来たら、私も階下で寝るか、今の母の部屋を南の部屋へ変えて、ベッドが入ればそこで一緒に寝ようと思っています。

 安心安全なのは施設です。

そして、ほとんど皆が「施設へ」と言われています。

共倒れを心配されていますし、急変時に間に合わなかった場合(たらい回しもあり)、あるいは何かが起こった場合、私が自分を責めて立ち直れないのではないかという心配もして下さっているようです。

母がずっと家で最期まで居たいと望んでいましたので、私は今までそのつもりできました。

誰でもきっと家がいいに決まっていますから。

私は未だにある時は「大丈夫、出来る」と思い、ある時は「出来るだろうか」と不安になるを繰り返しています。

今日は体調がいまいちなので「出来るだろうか」に少々傾いています

でも、例え母が望んで施設に入っても、それは私に迷惑をかけたくないという思いからなので本当には家に居たいのにと私はやはり自分を責めるだろうと思います。

「いずれにしても後悔はする」というドクターの最初の言葉はまさにその通りです。

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誤嚥性肺炎&Hero

2021年02月15日 22時05分04秒 | 友人との時間

 昨晩中雨が降り続けました。

朝起きてもまだ降っていましたので、雨の音を聞きながら瞑想をしました。

 今朝の果物

今、バラ十字会のお勉強がとってもタイムリーなので、本当は週1回のお勉強を立て続けにしています。

ということで、午前中はまたそのお勉強。

 お昼ご飯を食べて、買い物をして母の所に行こうと思っていた1時前、ドクターからお電話がありました。

母が誤嚥性肺炎を起こしているようで、命に別状があるわけではないと言われましたが、これから治療を始めますとのことでした。

昨夜、あれから母より電話がありました。

電源が切れていたようです。

ここのところ特にしんどうそうでしたので心配していました。

年齢が年齢ですし、ドクターから本人の生命力次第の面もあり、悪くなっていく場合もあると言われたら、平静でいられなくなりました。

いつかは別れは来ますが、何だかひたひたとその日が近づいているようで・・・。

私は輪廻転生(仏教でいう輪廻転生とはちょっと違います)を信じていますし、又会えるとも思っていますが、やはり、日本人の死生観は何かの折に出てきます。

それは死をタブー視したものです。

「ラビアンローズ」のメンバーに達観している人がいて、その人と話をしたいとここのところ思っていました。

ちょうど時間があるということで、あっという間にお菓子と家で出来た果物を持って来てくれました。

(15分位の距離の所に住んでいます)

家に入る前に一緒に買い物に行き(一人の食事のアドバイスをもらいながら)、ついでに診療所に食べ物やおむつを託けに寄りましたが、今日から点滴と言うことで母に頼まれていたバナナだけは腐るので持って帰ることになりました。

(コーヒーゼリーとらっきょうは置いて帰りました)

3時30分頃

まだ厚い雲が垂れ込めていましたが、青空も広がってきました。

 

頂いたレモンとデコポン

毎朝のサラダにレモンを絞って、亜麻仁油かオリーブオイルと、シーズニングソルトで食べているので有難いです。

国産の無農薬のレモンとデコポンですから。

このデコポンも以前もらったのですが、とても甘いです。

(今朝も頂きました

 この友人は1年のうちにご両親とご主人の3人のガンが発見され、その次の年にはお父様を、その1か月後には定年退職(60歳)して、また続けて働きに行こうとされていたご主人を亡くされました。

その後2年後にはお母様も亡くなりました。

長男さん夫婦と別棟で暮らされていますが、娘さんも息子さんも当てにはならないから、自分で生きていく決心をしたと言っていました。

健康に気を付けた食事をし(基本一人)、メニエールがあるので決して無理をしないで、自分の好きなことをして人生を楽しみ、医療(薬や病院や健診等も)には極力頼らずに、「もういつ死んでも悔いがない」といつも言っています。

彼女はいつも楽しそうです。

くよくよもしません。

とても前向きです。

ご主人を亡くされたことが大きいと今日言っていました。

本当にいいご主人で、いいご夫婦だったようです。

そんな話を2時間ほどしました。

死ぬ時には痛みさせ取ってもらえたらそれでよく、ガンになっても抗がん剤治療はしないとも言っていました。

ですから、健診にも行きません。

ガンになったらなった時のこと。

人生をエンジョイしています

彼女の生き方はシンプルでさっぱりしていて、見習いたいことがたくさんあります。

 彼女がいる間に母から電話があり、「しんどさが無くなった」。

安心しました。

抗生剤の点滴が効いて来たのかもしれません。

診療所に行った時の看護師さんのお話では痰の吸引もしているようでした。

お熱は37.3℃。

 彼女が帰ってから再び母から電話がありました。

どこかに触るのでかかってきているのか返事をしないことが何度かあって(TVの音はよく聞こえました)、その後何度目かにやっと話をしましたが、呼吸も楽そうでした。

本当に良かったです。

しかも、入院中で良かった。

これがもし家ですと、暮れの喘息の発作の時みたいに、血圧の乱高下だけ気にしていて熱には気が付かなかったかもしれませんし、治療開始も当然遅れていたでしょう。

★致知一日一言  【今日の言葉】

(2月15日)


六波羅蜜(ろくはらみつ)

布施(与える)
持戒(自ら戒めるものを持つ)
忍辱(苦難やいやなことを耐え忍ぶ)
精進(仕事に一所懸命打ち込む)
禅定(心を落ち着かせる)
智慧(以上の五つの修養に努めていると生まれる)

――――――――――
釈迦


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月15日)

自分を愛する人々だけを愛したからといって、その人にどんな成長があるというのでしょう。
For what is the gain if ye love those ONLY that love thee?
(987-4)

That a hero lies in you
英雄はあなたの中にいる

本当にそうなのでしょうね。

Mariah Carey - Hero (Official HD Video)

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剪定&大切な友人達のその後&The Rose

2021年02月14日 20時27分47秒 | 生活

 今日は暑いくらいのお天気でした。

最高気温がなんと19.7℃、最低気温が7.1℃。

でも、今夜から雨だそうです。

 

 

 今日は剪定日和でした。

もうこんなに伸びてしまって・・・

私も一応剪定しようと試み、多少は切ったのですが、脚立に上がって転んだら介護どころではないので止めました。

この庭師さんはとてもお忙しいようで、次の剪定は今年の秋はやはり無理で、又、来年の今頃になると言われていました。

その頃にはまだ木々が茫々になりますので、今回は私でも高枝剪定ばさみである程度形を整えられるようにかなり低くして切って頂きました。

8時半にいらっしゃるということで、Beforeの写真をたくさん撮りました。

写真は和室前と玄関の松とその横の八重の椿。

 

この木々の中にメジロが二羽来ていました

 

 

 

 写真を撮ってから、お食事をしました。

今日の果物

 

 8時20分頃、庭師さんがいらっしゃいました。

かなり木を短くしましたので、たくさんの切った木の幹や枝が出ました。

和室前ですが、かなりすっきりしました。

 

こちらは八重の椿。

随分と小さくなり(こちらは塀よりかなり出ていましたのでそれで切った方がいいということで切られました。)蕾が10個ほどになりましたが、「来年はまたたくさん咲きますから」と言われました。

 

 

 2時頃、お散歩に行くと昨日よりも更に薄着で行きましたが、暑くて一枚脱いで薄手のパーカーで歩きました。

 

梅が更に花開いていました。

あたりはとってもいい香り

 

 

 

 

 

四季折々のお花が咲いていたこのお宅も主が居なくなりもう何年になるでしょうか。

今年はロウバイの花も咲きませんでした。

 

まるで天使の羽根みたい

 

剪定が終わって見ると、もう紫陽花の葉が出ていました。

また、椎茸も虫に食べられていますが生えていました。

「まだ菌が残っているから出来るかも」と庭師さんに言われましたので残すことにしました。

 

和室の内側から

 

 畑の白菜は結局、結球しないようですが食べられそうです

 

 

 今日は連絡が取れなくなった友人達の動向がわかりました。

ひとりは大学時代からの友人ですが、昨年、脳出血を起こしました。

今は要介護1となり、家でひとりで暮らしていますが、いくらラインを送っても既読にはなっても返事が返って来ませんので、娘さんにラインで聞いてみたところ、水頭症の影響で痴呆症状と歩行障害が出ていて、段々と痴呆症状がひどくなっているようです。

週2回のヘルパーさんと、週一回の訪問リハビリで頑張っていたそうですが、「ボケる一方なので訪問リハビリをやめて送迎付きデイサービスに変えたところです。」

今後介護度を上げる必要があるとドクターがおっしゃっているそうです。

また「先日一人でお風呂に入っていて、ちょうどお風呂に入っているところに私が実家に帰ったのですが、すごい長湯で、なんとか一人でお風呂から上がったけど、服を着ることもできず床で嘔吐して動けなくなっていました。」と娘さん。

近ければ・・・と思わないではいられません

 もうひとりはばら十字会員の方ですが、12月4日までラインが既読となって、それ以後は既読とならず、中旬頃に亡くなられたのだろうというところまではわかっていました。

ところが、夕方、弟さんからラインが来ました。

お亡くなりになったのは11月24日だったそうです。

パスワードがわかり、今まで私に亡くなったことを知らせるかどうか迷われていたようです。

この弟さんご夫婦は他の宗教の熱心な信者さんのようで(それはお聞きしていました。ですから、彼女は亡くなった時に私に弟さんを通して知らせるかどうかを迷っていました)、最後の彼女はそちらに帰依し(心底ではないと思われますが)お葬式もそちらであげたそうで、弟さんは私にも改宗するように書かれていました。

その後の文章を拝見してもその熱心さがよく伝わってきます。

他の宗教やその他の方法で祈ったり拝んだりして欲しくないということで、亡くなった時間までは教えて下さらなかったのですが、最後は本当に

「いつ臨終迎えたかわからなかったほど静かに息引き取り、医者がモニターで異変を感じて病室に入り、確認してやっと自分たちも知る事ができました。今は姉と別れた悲しさよりも、〇〇〇〇〇のご金言のままに色白く、柔らかく、軽く本当に眠るが如くの成仏な相を現じた事が本当に有難い思いでいっぱいです。」

と言うことで穏やかな眠るような最期だったようです。

最後はガンが全身に転移していましたが、安らかな最期で本当に本当に良かったです。

ラインを読み返してみますと、11月21日までライン交換をしていました。

その3日後に逝かれたようです。

私の書いている5年日記を読み返しますと、私はその前日鯛をいっぱい頂き、その日には鯛めしを作ったりしていた日でした

「亡くなっても必ずどこに居てもあなたを探し出すから」と言って下さっていましたので、あちらの世に行くと必ず会えると思います。

 

 

 昨日、母と電話が切れて以来、母のスマホは「只今電話に出ることが出来ません」という留守電になったままです。

掛けようとしても掛からず、あちらこちらを押しているに違いありません

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

(2月14日)

本日から始まる大河ドラマ、渋沢栄一の生き方  お金を稼ぐことは「悪」ではない。

 

「財産を殖やす」(略)
これがうまくできなければ、
国の「富」をなすことはできません。
そしてその「富」をなす根っことして、
仁義・道徳といった正しい道理が
なければならない。
そうでなければ、
その「富」は永続することができないのです

――――――――――
渋沢栄一(日本資本主義の父)

 

 


★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 

(2月14日)


障害は常に踏み石として使いなさい。あなたを目的や理想から引きずり下ろすような怒りにしてはなりません。
Use hindrances then ever as stepping-stones and not as wraths that would drag thee from thy purpose or from thy ideal.
(1549-1)

 

 

旅立った友人の為に・・・

The Rose - Bette Midler (歌詞字幕)English & Japanese Lyrics

 

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