春風を以て

2016年03月28日 10時33分03秒 | 精神世界

 「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む。」

          (佐藤 一斎 江戸時代後期の儒学者)

 この言葉に初めて接したのは中学生の頃だったでしょうか。

美しい言葉とともに、本当にこうあれたらと願ったものでした。

最近、再びこの言葉に触れて懐かしく出会った時の感動がよみがえってきました。

 今日はまた一段とよいお天気ですが、また耳下腺が腫れてしまいました。

ここ数年、半年から1年に一度腫れます。

今回は風邪症状や耳や頭も少しも痛かったりするので今日は室内で大人しく過ごすことに決めました。

 

 今朝の瞑想時、「黎明」からのヒントでふっと思いました。

全く間違った解釈かもしれないのですが、無とか空とか、総ては「只、在る」とか言葉は違っても同じことを言っているのだと思いますが、それには個性がないということ。

個性とは引き算で現れてくるものだと書かれてあり確かにそうだと感じました。

で、あるならば、普通の状態(意識)で、神を感じることは不可能です。

神には個性がないのみならず、遍在していますから。

私はとっぷり知らずに神の中に浸かっているのだろうなと思いました。

で、神が見つからないと探している。

面白いなあと思うことは、神は遠く彼方に探しに行かなくてはならない存在ではなく、この皮膚よりもすぐ近くにおられること。(恐らく分離不可能)

また、重要なことは難しいことではなく、非常にシンプルであること。

神はそうして身近に簡単に見つけられるように初めからして下さっていたのだなあと。

自我意識(エゴ)で努力してもどうしようもない。

むしろ、深い迷いに埋没するだけ。

普遍意識(実相、神)は自ら顕現するものであって、その時も方法もパーフェクト。

私と言うエゴはその顕現を邪魔しないことのみが大切となります。

であるならば、焦ったってどうしようもないこと。

あらゆるこだわり、固定観念を捨てて決めつけず、愛を込めて自他に、物事に接する以外にはないという結論に達します。

焦っても仕方がないのみならず、それは普遍意識の顕現を遅らせることになるので、たとえ解脱を望みつつも、今生で解脱出来なくてもお任せするという方法しかないということになります。

すべてはお任せ。

人事を尽くして天命を待つ・・・これに尽きるのでしょう。

また、生も死も同じことなのではないか、何ら変わらなことではないか(もちろん肉体は脱ぎますが)と、昨日、風を受けながら青空を眺めていると思ったりもしました。

心はとても平安でした。

 

  さて、今日の予定は

バッチフラワーレメディーの最終課題を仕上げること。

メールのお返事を書くこと

英会話のレッスン

一か所集中お片付け&掃除

お花見を兼ねたウオーキング

母が食べたがっているコロッケを夕食に作ること

こんな感じでしょうか。

愛を込めて・・・私に出来ることはそれだけのようです。

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