今日は「天使のささやきの日」&ザ・スリー・ディグリーズ - 天使のささやき

2024年02月17日 21時55分22秒 | 介護

 今日は雲一つない真っ青な空で、陽射しが強く暑く感じられました。

来週は雨の日が多く寒くなるようですが、本格的な春の訪れも間もなくのよう。

 

 

 

 今朝の果物

当分、このパターンに🍓いちごが加わったりするだけで変わり映えしそうにありません。

 

 

 母と食後TVを付けたままにしていたところ、面白い番組をしていました。

最後の方を少しだけみただけなのですが、曲はよく聞いて知っているけれども、題名や作曲家がわからないというクラシックベスト5

5番目のラデツキー行進曲は50人のうち1人しかわからない難問

この曲はウイーンフィルのニューイヤーコンサートのアンコールで必ず演奏されます。

  

ワルツの父、ワルツの王って小学校の時に習いました。

 

曲はすべて知っていていますが、ルロイ・アンダーソンはわかりませんでした

庭にヒマラヤユキノシタが咲き始めていました。

エンドウ類もこんなに大きく育ってきました。

 

 大工さんが来て下さって、来週に見積もりを出して下さることになりました。

即、連絡を下さった大手の会社の方も来て下さいましたが、金額的にあり得ない額でした。

家が建ちそう

これからきちんとした見積もりを出すためにドローンまで飛ばして屋根の様子なども見ると言われびっくり

無料と言われましたが、断り辛くなりますのでお断りしました。

 

 

 

 その後、午後から看護師さん、眼科のドクター、ヘルパーさんと続いていらっしゃるので、午前中、母が寝ている間意に急いでお買い物に行ってきました。

車に乗るとナビが「今日は天使のささやきの日です」とアナウンス。

まぁ~、そんな日があるの~

天使のささやきという歌を昔聞いたことがあり、そのことなのか、本当に天使のことなのかなとしばし考えました。

 

 

 

 

今日のお昼はほうれん草の白和え

 

母の昼食です。

左下からいなり寿司3個分、濃い緑色がほうれん草の白和え、お吸い物、左端の上がサバの味噌煮を刻んでマヨネーズで和えたもの、コーヒーゼリー、たこ焼き(タコは抜きました)。

2時45分、初の眼科の往診のため、ドクターが「20分で着きます」と出発前にお電話を下さいました。

が、道に迷われたようで、いらしたのは3時半でした。

母はほぼ完食し「もういらない」

遠くから隠し撮り

優しいドクターでした。

母の眼圧は毎付き11日から1週間、緑内障の粉薬も飲みますのでその直後だったせいか、右の眼圧が14(右が悪い)で左が10でした。

眼圧まで測れるなんて本当に驚きました。

 

又、3か月後にいらして下さるそうですが、そんなには悪くないと言われほっとしました。

その後、母は再び食べて完食。

 

 今朝は母に5時27分に呼ばれました。

その後、ジュースを作って飲ませたりして結局そのまま起きていましたので眠かったのか5時半のヘルパーさんが帰られたあとから本格的に寝入ってしまったようです。

お昼も寝ていましたのでお薬がずれていますので、今日は最終が11時過ぎくらい。

もう1回残っています。

 

 

 

ザ・スリー・ディグリーズ - 天使のささやき(1976)

 

 

 

 

 

888hz【天使の祝福】エンジェルナンバー周波数と癒しの音楽~Fantasy Background Music

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.17

 

アイデアの神様に好かれる秘訣

 

追い詰められて重圧がかかると、
意識していない遺伝子が目を覚まして、
アイデアの神様が降りてくることがあるんです。
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森岡毅(戦略家・マーケター)
○月刊『致知』2014年6月号
特集「長の一念」より
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組織を再生させてきた森岡さんに、
唯一無二のアイデアを生み出す秘訣を伺いました。
こちらから

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

≪「なにくそ、負けてたまるか」食べログ百名店・焼き肉店≫

 

東京下町の辺鄙な場所にあるにも関わらず、
行列の絶えないスタミナ苑。

行列は3時間、4時間待ちが普通、
「総理大臣も並ぶ店」とメディアでも評判を呼び、
2018年には食べログ百名店に選ばれました。

このお店を切り盛りしている店主が、
本号に登場される豊島雅信さんです。

豊島さんは幼少期に右手の指に障害を負うという
ハンディキャップを抱えつつも、
「なにくそ、負けてたまるか」
との思いで努力に努力を重ねられた方です。

そんな豊島さんのお話からは、
並々ならぬ仕事に対する気迫、気合のようなものが
伝わってきます。

本日は、豊島さんの気迫、気合がより伝わる
エピソードをご紹介します。


取材の様子はこちら
───────────────────


──厳しい中でも努力を重ねてこられた。


右手が悪いからさ、
修業を始めた頃は包丁さえ持てないし、
ホルモンを入れてある大きなビニール袋も
開けることができなかったよ。

最初は途方に暮れたけれども、
何度も練習して包丁が使えるようになった。

ビニール袋は両手で押さえて、
口を使って開ける方法を考えた。

「ハンディキャップがあるからできない」
などとは絶対に思わない。

その頃の僕は
「なにくそ、負けてたまるか」
「前進あるのみ」、
その一念でしたからね。

人から「できない」と言われると、
コンチキショウって燃え上がる。

後ろなんか見るな、
前だけを向いて歩いて行きゃいいんだと。

それで30歳くらいの頃だったかな。
何となく肉の質が分かるようになってきた。
仕込みに徹底的にこだわるように
なったのはその頃からです。

先ほど言ったように
僕は休業日でもたった一人、
3時間の仕込みを続けてきたけれど、
誰も見ていないところで努力する。

いまもトイレの掃除は毎日自分でするし、
絶対に手を抜かない。

これが商売なの。誰がやるのでもない。

自主的にやるしかない。
それができないのはまだケツが青い証拠なんだ。

手を抜いたら明日客が一人来なくなると
思って自分を奮い立たせてきたね。そうして気がつくと
繁盛店になって、仕事に追われるようになっていた。


──人知れぬ努力が実を結んだのですね。


本もたくさん読んで、
苦しい時の心の支えにしてきました。

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉+α】2024.2.17

 

【取材手記】「ホルモンの神様」が貫いた逆境に勝る生き方

 

東京都足立区・鹿浜。JRも地下鉄もなし、
〝陸の孤島〟と揶揄される辺鄙な場所に、
世界中から注目を集める焼き肉屋があります。

店の名は「スタミナ苑」。
席数50席のいたって平凡な店構えですが、
驚くのはその行列です。
2時間待ちは当たり前。
長い時は4時間を要するほど。
何しろ予約は不可で、
総理大臣や芸能人であっても
並んで入店すると言います。

今回取材をさせていただいたのは、
「スタミナ苑」の看板・ホルモンを担当する
料理人の豊島雅信さん。人呼んで〝ホルモンの神様〟。

豊島さんは、まだホルモンが
市民権を得ていなかった50年前から、
ホルモンの可能性を見出し、
最高の味を追求してきました。

取材を行ったのは、定休日の夕方。
いつもの如く、豊島さんは翌日の営業に向けて
仕込み作業を行っていました。
そんな中行なわれた取材は、
椅子に座って、ではなく、仕込みと同時並行。
氏はこちらの質問に応じながらも、
淡々と仕込みを進めていきます。

厨房に立てば一時たりとも無駄にしない。
そこに豊島さんの仕事への姿勢が垣間見えます。

「開店日は昼過ぎから朝の5時まで18時間、
ぶっ続けで店に立ちっ放しだ。
それでいまではスープの沸騰する音を聞いただけで、
出来具合が分かる。調理場にいながら電話で話し、
お客さんの声も聞こえる。従業員に指示もできる。
プロはそれが当たり前にならなきゃ駄目なんですよ。」

普段、仕込みの時間にはラジオや朗読を聴いて、
人間性や教養を養う勉強をすると言います。
手と視界は塞がっていても、耳は空いている。
豊島さんにとっては
どの瞬間も無駄が許されない真剣勝負なのです。

さて、豊島さんはどのような経緯で
スタミナ苑の職人となったのか。

「僕は鹿浜の肉屋のせがれとして生まれました。
4人兄弟の……

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コメント (6)
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