訪問歯科

2023年11月17日 21時17分00秒 | 介護

 今日も一日雨が降るように言っていましたが、今にも降りそうになったことは度々ですが、結局降りませんでした。

午前中はいいお天気でしたが、段々と冷えて寒くなってきています。

 

 

 

 今日の母はいつものようによく食べました。

母にはまずこれに牛乳を加えたジュースを作りました。

 今朝の果物

その後、レーズンバターロールを3個分&カフェオーレ。

熟柿も1個食べました。

その後、コーヒーを淹れてふたりでしばしまったり。

 

 

 

 雨が降りそうにないので鉢をもとに戻しました。

 

 

これはクロスマスツリーになります。

 

 

 

 

 

 

 

 お昼ご飯は卵かけご飯。

同じ味に飽きてくると思いましたので、味付けのり追加、らっきょう(母の好物)追加していきました。

それと小松菜と厚揚げのような油揚げを炒めました。

あんまりミキサーを使うせいか、今夕、煙が出始めました

使えなくなっては困るので、即、注文したところ、今日もう届きました。

これで安心

昼食も夕食もご飯でしたが、小さ目ながらお茶碗に1杯以上は食べてくれました。

夕食のおかずは胡麻豆腐等など。

母はメイバランスが好きなので、お茶の代わりに飲んでいます。

今日はヤクルトも飲み、カフェオーレも飲み(牛乳が多い&メイプルシロップ)

 

 

 

 最近、尿を溜める機能が発達したのか、腹圧をかけないと出なくなったのか尿量が少な目。

特におしめの中に出ないことが多くなりました。

(夜中も)

お熱はありません。

ポータブルトイレに座ると出るので心配は要らないかな

 

 

 

 

 いつもの金曜日のように、13時半から看護師さん、16時からリハの方が来て下さいました。

看護師さん達にも、次回同じショートなので行きたくないと言い、たしなめられていました。

お風呂も入らないといけないし、リハもしないといけないし、娘さんも休ませてあげないといけないからと。

母曰くスタッフが雑で不親切だそうです。

他の人の食事も「まだ食べていないのにさっと引き上げる」のだそうです。

そういうのを見たり聞いたりするので益々嫌になるようです。

「来ないように、任せてほしい」と言われましたが、あれから月日が経ちましたし、年齢が年齢なのでいつ何が起こってもおかしくないので、面会を依頼しようかと思っています。

やはりクローズはよくないです。

 その後、昨日往診の時にドクターが言われましたので、歯医者さんに母の口の中を診て頂くことになりました。

18時の診療時間が終わって来て下さいました。

ご近所の歯医者さんです。

途中、訪問歯科に変わりましたが、ご近所の歯医者さんが受け付けて下さるようになりましたので助かりました。

「来る前にカルテを見たら97歳になるんですか」と驚きながら言われましたので、

「今、98歳で、次の誕生日が来たら99歳になります」とお話しますと

びっくりされて「すごいなぁ。素晴らしいなぁ」

 母の口の中は全く綺麗で何もないそうです。

母も納得し安心したようです。

そして、入れ歯も見て下さいました。

ショート先に入れ歯を入れて下さるように「介護ノート」に書いていても、母が「嫌がって入れられない」。

多分、不調でそういう日もあったでしょう。

母は歯医者さんに「もう入れないで行こう、行こう(食堂へ)と言われて入れてくれない」と言っていました。

でも、これからは入れ歯も直して下さいましたし、とにかく寝る時以外は入れていた方が脳の為にもいいとのこと。

会話もよく出来るようになります。

これでも落ちるようならいい方法があるそうです。

ということで、歯医者さんからの御意見もありましたので、入れて頂くように再度書こうと思っています。

ミキサー食でも誤嚥性肺炎にはなる。

要はとろみの問題だそうです。

やはり固形物を食べた方がいろいろな意味でいいそうです。

それから、朝はばい菌が口の中にいっぱいいてそれも誤嚥性肺炎の原因になるので、うがいを出来ればした方がいいと言われていました。

それから歯磨きティッシュやスポンジのついた棒でお掃除すること。

 母が「よだれが出て困る」と言いました。

ドクターは「それはとってもいいことなんですよ」

「皆、唾液が出なくてカラカラになるのだから」と。

朝一の口の渇きの為にはマスクで保湿をするのもやはりいいそうです。

診察時間は30分以上。

とても丁寧にゆっくりと母に向かい合って下さったので本当に感謝でした。

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.11.17

 

日日是好日


その日にどんなことが起きても
よい日と受け止めよう。
きょうは二度とないかけがえのない一日と自覚して
全身全霊で生きよう。
善し悪しの判断を超えて
どんな日もそのまま受け入れよう。
━━━━━━━━━━━━━━
腹巻知(ノーリツ社長)
○月刊『致知』2023年12月号
連載「私の座右銘」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●給湯機器メーカーとして知られるノーリツ。
社長の腹巻知氏が
最新号「私の座右銘」に登場されました。
こちらから

「高校時代に聴いていた
ラジオ講座のテキストの表紙に、
日日是決戦という言葉が記されていました。
大学受験に臨む私を励まし続けてくれた
この懐かしい言葉が、
日日是好日という禅語に由来することを知ったのは、
社会に出てからでした。

様々な解釈が可能な言葉ですが、
概ね次の三つの教訓を示唆しているようです。

一つは、その日にどんなことが起きても
よい日と受け止めよう。
二つ目は、きょうは二度とないかけがえのない一日と自覚して
全身全霊で生きよう。
そして三つ目が、善し悪しの判断を超えて
どんな日もそのまま受け入れよう、というものです。

当社に入社して今年でちょうど四十年。
その道のりは決して平坦ではありませんでしたが、
この言葉と出逢ったおかげで
きょうまで歩んで来られたことを実感しています」
(本文より。続きは誌面でお読みください)

 

 

 

 

 

 

 

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非科学的、科学的とは何を意味するか?


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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。興味深い、歴史的に重要な写真がいくつも掲載されています。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1086680&c=3304&d=ed84

━…………………━

東京板橋は、朝から激しい雨になっています。


この時期は、低気圧が通過して雨が降るたびに気温が一度下がるとのことで、「一雨一度」と言われるそうです。


いかがお過ごしでしょうか。



さて、バラ十字会の通信講座の内容は科学的なものですか、というご質問をいただくことがあります。

もちろん答えは「はい」です。


しかし一方で、科学的、非科学的とは何を意味するのかということは、じっくりと考える価値があることのように思います。今日はこの話題を取り上げます。


◆ 非科学的とは

科学という言葉は英語の「サイエンス」(science)の訳語です。

その語源はラテン語の「シーレ」(scire)であり「知る」を意味します。


ですから科学という語は元々「人間に知られたもの」、つまり「学問」、特に「学問の個々の分野」のことを意味していました。


ところが以下にご説明するように、18世紀後半にイギリスで産業革命が起こり、その後の工業技術の発達によって世界中で多くの人の生活が急速に豊かになると、学問の中でも工業を支えた物理学と化学が、典型的な科学だと考えられるようになりました。



この2つの学問には、「ある主張(仮説)が、実験や観察によって他の人にも確認できる」という特徴があります。


ですからその反対に、「他の人によって確認することができない主張」は非科学的であるという考え方が生まれました。


さらに、「科学的」であるということは「正しい」ことと同じだとする風潮と、「心」は「物」から生じている現象であるとする「物理主義」(physicalism)という見解も生じました。


参考記事:『あなたは物ですか心ですか』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1086681&c=3304&d=ed84



しかし以下にご説明するように、「他の人によって確認することができない主張」の中にも間違いではない主張もありますし、これらの風潮、見解には、再考しなければならない点がいくつもあります。


◆ 科学者と神秘

20世紀を代表する科学者のひとりにアルバート・アインシュタインがいますが、次のような言葉を彼は残しています。


「私たちが経験できる、最も美しく、最も深遠な感情は、“神秘”を知ることです。それは、真の科学のゆりかごとなる基本的な感情です。この感情を知らない人や、もはや驚きもせず、畏敬の念に心を奪われることもなくなった人は、死んでいるも同然です。」


この言葉を聞くと、超一流の科学者が、「神秘」という多少非科学的な匂いのする言葉を使っていることに、やや違和感を覚えられる方も少なくないのではないかと思います。


しかし、彼の他にもニールス・ボーアやハイゼンベルグなど、一流の物理学者の多くが神秘学(mysticism:神秘哲学)に興味を示したり研究したりしていたことが知られています。

そしてこの傾向は現在も、あまり変わらないようです。



◆ 天動説は非科学的、地動説は科学的な実例か?

では、物理学者にとって、科学的とは、あるいは非科学的とは、一体どのようなことなのでしょうか。


そのための手がかりのひとつとして、今日は物理学の歴史から、天動説に替わって地動説が唱えられたという16世紀のできごとをご紹介させていただきます。


この事件をドイツの哲学者カントは「コペルニクス的転換」と呼んでいます。

当時の人にとって、あらゆる常識がひっくりかえされるような驚天動地のできごとだったからです。


・ アリストテレスの権威と天動説

ご存じのことと思いますが、天動説とは、動かない宇宙の中心が地球であり、その周りを太陽や、他の惑星や星々が回っているという考え方です。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスが唱えました。地球に住んでいる私たちは、自分の乗っている大地が動いているとは感じていないので、天動説は、素朴で受け入れやすい説です。



西暦2世紀ごろのエジプトのアレクサンドリアは、国際的な大都市であり、古代の学問の中心地でした。

この地で研究を続けていた天文学者プトレマイオスは、火星や木星などの惑星の複雑な動きが説明できるように、この説を洗練したものに改良しました。


この天動説がキリスト教に受け入れられた理由は、主に2つが考えられています。

ひとつは、そのおおもとになったアリストテレスの哲学がキリスト教の教理に組み入れられたこと、そしてもうひとつは、太陽の運行が昼と夜をもたらしているという、聖書に表わされている考え方と天動説がよくマッチしたことです。


このような事情で、天動説はその後1000年以上にわたってキリスト教の公式見解となっていました。


・コペルニクスの地動説

これに対して、16世紀に、ポーランドの天文学者コペルニクスは、太陽が宇宙の中心であり、地球が太陽の回りを動いていると考えるようになります。

彼がこの結論にたどり着いた経緯は、はっきりとは分かっていないようですが、地道な観測の結果だとも、大学の師の影響だったとも、アラビアの科学の影響だったとも言われています。


コペルニクスは、キリスト教会からの迫害を恐れ、この考えを表わした著書「天球の回転」を晩年まで公表しませんでした。

そして、当然のことながらこの本は、発行後に教会から禁書とされます。


・ガリレオと天体望遠鏡

一方、イタリア人のガリレオ・ガリレイは、力学の研究に天才的な才能を表わし、絶対的権威とされていたアリストテレスの学問に、数々の致命的な間違いがあることを発見していました。


たとえば、そのひとつは、重いものは軽いものよりも速く落下するという説です。

有名なピサの斜塔から大小2つの金属球を落とす実験をして、同時に地面に着くということを示したと言われています。

しかし実際には、この実験を行ったのは他の人で、ガリレオは、斜めに置いたレールの上で、重さの異なる金属球を転がす実験を行ったのだそうです。


当時オランダではすでに天体望遠鏡が発明されていました。

彼は自力でこのタイプの望遠鏡を作り、さまざまな観測を行います

そしてその結果、「天球の回転」に書かれているコペルニクスの地動説が正しいと確信するようになります。


地動説への支持を公表したガリレオもまた、宗教裁判におびやかされ、晩年には自説を取り下げています。


◆ 実験と観測を重視する近代科学

ガリレオは、実験や観測を重視しました。

つまり、常識や過去の権威ではなく、起こっている事実を調べることが大切だと考えました。

このことは近代科学の発達に大きな役割を果たすことになります。


ご存じの通り、現在の物理学や化学などでは実験が重視されています。

つまり、誰もが同じように行えるように整えた方法で現実をとらえて、結果が他の人にも再現できるかどうかを確認し、確かな事実だけを積み重ね、数学を使ってその事実を説明します。

このような科学のスタイルのさきがけとなったのがガリレオでした

このため彼は、「近代科学の父」と呼ばれることがあります。



実験を重視し、数学を使うというこの方法は、その後大成功を収め、自然科学が大きく進歩していきます。

そしてその応用として産業革命がもたらされ、さまざまな工業技術が発達し、私たちの生活が便利で豊かなものになっていきます。

社会へのこの大きな影響によって、現在では、科学と言えば何となく、物理学や化学や数学のことを思い浮かべるという傾向が強くなりました。



しかしご存じの通り、科学は、それよりはるかに範囲の広いものです。

自然科学にも他の分野がありますし、人文科学という分野もあります。

そして、「結果が他の人にも再現できるかどうかを確認」というこの方法は、どんな分野にも適用できるわけではありません。


・科学的であるという意味は、結果が他の人にも再現できることか

たとえば、歴史学のことを考えてみてください。

歴史では実験をすることができませんから、この方法をあてはめることができないのは明らかです。


心理学はどうでしょうか。

ある人と別の人の心を厳密に同じ状態にすることはできませんし、ひとりの人の心を過去のある時点と現在で同じにすることもできません。


それでも、かつて心理学者の一部は、物理学を完全に手本にすることを試みました。

再現できる実験の結果だけを使って、それ以外の事実は用いないことによって、心理学を厳密な学問に変えようとしたのです。


残念なことに、あまり良い成果を上げることはできなかったようです。

あたり前のことに思われますが、やはり、どんな対象を研究するかで、それに適した方法は変わってきます。


大ざっぱにいえば、再現できる実験という方法は、物質に関わる現象をとらえるためには、とても有力であるけれども、人の心や感情が深く関係している場合には、必ずしもそうとは言えません。


・非科学的なことの実例?

さて、ドイツの劇作家ブレヒトは戯曲「ガリレオ・ガリレイの生涯」で、キリスト教の学者たちが、ガリレオに望遠鏡をのぞくように求められたときのことを描いています。


まわりくどい神学の論争をしているよりも、望遠鏡で観察すれば、誰の言っていることが正しいかは明らかではないかとガリレオは言っているわけです。


ところが驚いたことに、自説に凝り固まっている学者たちは、望遠鏡のことを悪魔の道具だと呼び、のぞくことすらしません。



しかし、当時の状況をいろいろと調べてみると、このような態度も、歴史の必然というか、無理のないことだったと言えないこともないのです。

私たち人間は常にとても聡明だというわけではありません。

周囲の権威や、自分の先入観に影響されずに、ものごとに向き合うのは時として難しいことです。



ちなみに、1992年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオに対して行った裁判が誤りであったことを認めました。

ガリレオの死後350年後のことでしたが、それでも、過去の過ちを率直に認めるのは、実にすがすがしい崇高な態度に感じます。


◆ 科学的とは、非科学的とは

・科学的、非科学的とは、ほんとうは何を意味するのか

最初の疑問に話を戻しますが、科学的だということ、あるいは非科学的だということは、一体何を意味するのでしょうか。

ここまでの話を元に考えると、科学的であるということは、世の中の風潮や権威や自身の先入観に目を曇らされることなく、現実に起こっていることを直視することだとは言えないでしょうか。


・現代物理学は科学的だが、常識的ではない

現代物理学は、その後、めざましいほどの発展を遂げました。その結果、日常生活で通用する常識は、高速で運動している場合や、原子などの微少な世界では通用しないということが分かっています。


2つだけ、例をご紹介させてください。


東京と、東京からちょうど100キロ離れている宇都宮市内で、まったく同時に花火が上がったとします。

そして、東京の上空から宇都宮の上空へと、光の速さに近い高速で移動している宇宙船があったとします。

この2つのできごとをこの宇宙船の飛行士が観察すると、花火が上がったのは同時ではなくなります。打ち上げ場所の間の距離は100キロより短くなりますし、地上の時間の経過は遅くなります。



ある会社の事務所の片隅に会議室が設けられています。

この会議室には2つの扉AとBがあり、入るために他の方法はありません。


ある人が事務所から会議室に入った場合、この人は、扉Aか扉Bのどちらかを通ったのであり、両方を通ったのではないということが論理的に言えます。

ところが、ある電子が事務所から会議室に入った場合には、そのような論理は通用せず、扉Aか扉Bのどちらかを通ったとは必ずしも言えない場合が生じます。


・世の常識に反していても、必ずしも非科学的ではない

このような、信じられないようなことが多々あるので、物理学の歴史やその成果について良く知っている人は、世の中で現在知られている常識に反するというだけでは、ものごとを“非科学的”と決めるつけることが少ないようです。


つまり、世の常識に反する事柄の中には、現在のところ、まだ実験で立証されていないことや、再現実験という物理や化学の方法が、そもそもなじまない事柄が含まれています。


これらは、現在のところ“非科学的”とされている場合もありますが、物理学的な意味では、決して非科学的なことにはあたりません


・一流の物理学者の謙虚さ

物理学者の中には、神秘学に興味を示したり深く研究していたりする人が多いということを最初にご紹介しました。

このことは、物理学のこのような限界に、物理学者自身がはっきりと気づいているという謙虚さの表れのように思われます。



かつて、あるテレビ番組で、ノーベル賞を受賞した素粒子物理学の権威である南部陽一郎さんに、西田敏行さんが尋ねたことがあります。


「それでは、命も素粒子からできているのですね?」



南部博士は、とても印象的に、間髪を入れずに、次のように答えられておられました。


「あっ、それは私には分かりません。」



アインシュタインは、このような言葉も残しています。


「私たちは、好奇心に満ちた子供のようになってしまいます。この偉大なる神秘、私たちが生まれてきたこの世界の前では。」


・科学的な神秘学

長くなるので、ここで詳細にはご紹介できないのですが、人生と人の心の“神秘”を探究する神秘学には、その対象にふさわしい、長い歳月にわたって育まれてきた科学的な方法があります。



今回の話は以上です。

いかがでしたでしょうか。

あなたにご興味をお持ちいただけた点が少しでもあれば、心から嬉しく思います。



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今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、お付き合いください(^^)/~

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

神代植物公園の睡蓮です

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1086683&c=3304&d=ed84

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コメント (2)
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