「愛の不時着」を観つつ、【生き方の指南書!】木内鶴彦さんが臨死体験で見た「宇宙の真実」とは?&人生が変わる!本当の病気の治し方

2023年08月14日 22時50分15秒 | 興味・関心

 夕方くらいからでしょうか。

ブログの「いいね」ボタンを押しても、その時にはオレンジ色に変わりますが、次に見た時にはオレンジ色が消えてしまっているので、再び押すとカウント数が減るという、何だか変な現象が起こっています。

私のスマホがおかしいのかと思って何回か再起動しましたが、直りません。

何度も押して失礼があった方がいらしたら、すみません

 

 

 

 今朝は朝から久々にかんかん照りではなく曇っていて嬉しかったです。

これは台風の影響ですが、雨も風もまだ全く。

でも、明日はひどくなるようです。

 

 

 

 

 ミニトマトの収穫

色合いが悪いですが、今朝の果物です。

月曜日ですので、いつものように整骨院に行き、スーパーで母の為に白バラコーヒー牛乳とプリンを買って、面会へ。

今日の母は又、眠そうで・・・。

一応、口腔ケアをして、眠そうなので誤嚥しては危ないので気を付けつつメイバランスを飲ませると、すごい勢いで飲むので、「あれ~

ちょうどいらした看護師さんが「よほど喉が渇いていたのかしら」

そこで、プリンは食べるかなと思い、目は閉じていましたが尋ねてみますと「いる」と言いますので食べさせてみました。

目はつむっているけれど、覚醒はしている状態

誤嚥予報のピロピロを使った形跡がないので、尋ねてみて、使うように言いますと「看護師さんに言っておいて」。

結局、眠いかったのか、プリンも半分しか食べず、そのままそっとしておく方がいいかなと思い、面会時間の15分も過ぎていましたので、帰ろうとしますと「お薬、もらって」。

看護師さんが持って来て下さり「あげて下さい」と言われましたので、飲ませてから、「じゃあ、又、明日、来るからね」

眠いのか無反応。

ピロピロについて、お忙しい看護師さんの誰にでも声をかけてはいけない雰囲気でした。

「今、忙しいし担当じゃないですから」と言われるので、どなたに言って帰ったらいいか戸惑いましたが、先程2回ほどお部屋に来て下さった看護師さんが廊下にいらしたのでお願いしたところ「ありがとうございます」とにっこり。

ほっ

 

 帰りに久々に病院の近くのママ友宅へ寄りました。

 

いろいろと悩みが尽きないのか、相変わらず痩せていました。

病気のことばかり一日中考えているようです。

と言っても器質的な病気はありませんので、やはりストレスのようです。

玉葱とお海苔をくれました。

「気晴らしにモーニングでも行く」と聞いてみましたが、まだその元気はなさそう。

体重もなんと私と10kgではなく20kg近く違うのでもうびっくりです。

身長が10cm以上違うとはいえ、瘦せすぎ。

なんと31kgくらいしかないそうです。

食べてはいるそうですが、身に付かない

食べて身に付く(原因があって結果があるので太るのは当たり前)のはありがたいことなのだとつくづく思いました。

 

 

 

 今日の朝顔

いまいちどうしてこうもよれよれ

風が吹いて傷むのでしょうか。

 

花びらがあまりにも繊細なようです。

 

それとも栄養不足

 

デュランタが咲き始めました。

  

バラも暑さのせいか小ぶりです。

 

肥料は時々やっているのですが・・・

バラはそんなにやわくはないですが、いくら四季咲きでもこう暑いと、やっぱりきついですよね。

 

 

南の国に咲くジャスミンは元気です。

 

 

二輪目のユリが咲きました。

 

 

 先日(2日前)書いた、英文ですが、先生が今日から復活されましたので伺うと、やはり間違っていました

しかも、先生は私が何か間違いを起こしたから新たに人生をやり直したいと考えていると思われたようです。

あの英文ですとそう取られかねないとは思ってはいましたが・・・

この文法、すっかり忘れていました。

We don't use will = future tense after when

You should say When I am free

先生が直して下さった文章にはいろいろの言い方があり直さなくてもいいものもありましたが、以下を選びました。


I might be much older when I get free but I would like to leave my old life behind and start afresh in a city that I love in the future.

 

今日の先生の会話で、印象に残った先生の言葉

One of the beautiful things about being human is that we are not perfect.

そうなんだぁ~

完璧でなくてもいいではなく、完璧ではないことが美しいことなんだととっても前向きで、人間愛を感じました。

 

 

 

 ところで、Netflixで「愛の不時着」を観ていますが、すぐに眠たくなって寝てしまい、先に進みません

でも、コミカルな面もあって面白いです。

主人公のおふたりは実生活でも結婚したのですね~

それにしても、ヒョンビンさん、いい年を重ねていらっしゃるように思いました。

今回、初めて知った俳優さんですが、若い頃より素敵です。

この役柄が誠実なので、益々そう感じるのかも。

ということで、楽しんでいます。

 

 

 

 

 そんな中で、今日は「ひすいこたろうさん」のこのYou Tubeを2つ。

今日会った友人がやはり何回か幽体離脱の経験があり、たまたまこの動画が出て来ましたので興味深く観ました。

又、病気についても「なるほど」と思いつつ。。。

何かの参考にされば嬉しいです。

 

 

【生き方の指南書!】木内鶴彦さんが臨死体験で見た「宇宙の真実」とは?

 

 

人生が変わる!本当の病気の治し方

 

 

 

 

追記

草刈正雄さんの番組を観ました。

辛い人生を送っていらっしゃいましたね。

私もいろいろと思うところがありましたが、時間がなくて書けませんので、皆さんのブログにお邪魔しようと思っています。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0814

 

祈り

 

祈りは最高の実践
天に祈ろう
地に祈ろう
━━━━━━━━━━━━━━
坂村真民(仏教詩人)
○『坂村真民一日一言』(致知出版社)より
━━━━━━━━━━━━━━

●坂村真民先生が生前お寄せくださった
『致知』へのコメントです

わたしは最近「千年のまなざし」とか、
「宇宙のまなざし」とかの詩を書き続けているが、
それはこの地球を救うには、
これより外にないと思うからである。
陽明学では『致知』とは、
本然の良知を明らかにすることを言う。
でも地球の歴史は、戦争ばかりを続けてきた。
そして原子爆弾まで造り出された。
つまり和を好まぬ男たちが、
この母なる星地球を、
どん底に落としてしまったのである。
でもやっと和を好む女たちの世が、
21世紀から始まろうとしている。
わたしは書斎に、木花開耶媛を祭っているが、
この媛を富士山頂にお祭りした、
大和民族の夢と、願いと、祈りが、
世界に広がりゆくのを、
どうか『致知』も、応援して頂き度いのである。

 

●『致知』発刊の思いとは

 

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」


≪「極微の世界」開いた戦後発、世界トップシェア企業物語【最新号のご案内】≫
 

戦後の日本に、基礎科学の振興なくして、
日本の復興はないと考えた一人の男がいました。

元海軍将校の風戸健二さんです。

風戸さんは日本の復興という志を胸に抱き、
若い技術者とともに会社を立ち上げます。

開発する商品は、「電子顕微鏡」。

「極微の世界」をのぞき込み、
そこから良質な材料の開発や
様々な学問研究に役立つはずだという
強い信念のもとに開発は進められました。

創業期の早い段階で世界にも工場をつくり、
世界トップシェアを走り続けるのが、
栗原会長率いる日本電子です。

本日はそんな日本電子の志高い歩みを
語られているくだりをご紹介します。

 

取材の様子はこちら
───────────────────

──取材に先立ち貴社の構内を拝見しましたが、
  江崎玲於奈博士などノーベル賞を受賞された
  一流の科学者による植樹があり、驚きました。


そちらに飾ってある「知足者富」
(足るを知る者は富む)の色紙も、
イベルメクチンの開発で2015年に
ノーベル生理学・医学賞を受賞された
大村智先生にいただいたものです。

ありがたいことに、当社の主なお客様は
そうしたノーベル賞受賞者、候補者を含む
トップクラスの科学者なんですよ。


まず当社の歴史を簡単に説明しますと、
当社は戦後間もない1949年、電子顕微鏡を
開発する日本電子光学研究所として、
元海軍将校の風戸健二により設立されました。


食べるのもやっとの時代に
なぜ顕微鏡だったかというと、
海軍技術研究所のエンジニアも務めた風戸には、
日本の敗戦は科学技術の弱さに一因があり、
基礎科学の振興なくして日本復興はないとの思いがありました。

そして電子顕微鏡の研究者・黒岩大助の著書を読み、
これが広まればいままで見えていなかった
「極微の世界」が開かれ、良質な材料の開発や
様々な学問研究に役立つばかりか、青少年たちに
科学する心を持ってもらえるはずだと考えたんです。


──電子顕微鏡、科学技術の持つ
  可能性にいち早く気づかれた。


そんな「極微の文化の建設」を掲げた彼の許に、
復興に燃える若い技術者10人が集結しました。

旧飛行場の廃品鉄材からよい材料を探し、
X線装置用電源を応用するなど
ありあわせの材料を最大限に利用し、
ほとんど手づくりで電子顕微鏡第一号機「DA-1」を完成。

これが注目される一方、国内は復興途上でしたから、
早々に欧米で現地法人をつくって販売を始め、
1956年にフランスの原子力研究所に納品することに成功します。

 

※最新号では、歴史ある大企業が未曾有の経営難に陥り、
 そこから栗原さんの経営改革によって
 息を吹き返した軌跡をご紹介しています。

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