今日の母は眠り姫&介護期間とその後

2023年08月12日 22時05分10秒 | 介護

 今日も暑かったです。

立秋を過ぎてもう秋の気配をかすかに感じると言われる方もいますが、私は感性が豊かでないせいか、まだまだ「真夏~~~」と言う感じです。

今は一番暑い時ではないかと思えます。

 

 

 

 今朝の果物

もう桃はありませんが(すぐに傷みますので食べた)、ピオーネも美味しい。

でも、シャインマスカットはあまりにも高くてひと房も買えません

 

 

 

 「旅サラダ」で岡山県の牛窓をしていました。

気が付いたのが遅かったので写真が間に合いませんでしたが、岡山のソウルフードは確かにこのえびめしです。

ソースの色が濃いですが、味はそんなことはありません。

このえびめしには卵が飾ってありましたが、普通は何もなくシンプルです。

ただ、付け合わせにコールスローサラダが必ず付きます。

私の庭周辺

ここはジェラート店、お休みでした。

残念でした。

 

そして、よくアップするオリーブ園からの瀬戸内海の眺め。

目の前の大きな島が小豆島です。

 

世界で二番目(多分)に美味しいソフトクリームを売っています。

これはオリーブのソフトクリーム。

甘いオリーブがトッピングされています。

 

 

 今朝は9時半に家を出て、母の為にヨーグルトを買い、面会へ。

今日はメイバランスやクリミールなども沢山持って行きました。

これはwakoさんも書いて下さっていた誤嚥予防訓練の為のもの。

でも、母はお部屋には居ませんでした。

おむつなどは置いていませんでしたのでお風呂ではないと思いました。

おとなりで看護師さんと入院患者さんの男性が楽しく話していらしたので、お話が終わるまで待ていてお聞きしようと思いましたがなかなか聞けないでいましたが、お掃除の方が又、助け船。

すると「私は今来たばかりだから知りません」

う~~~ん、普通、こういうお返事ってあるかなと思いましたが・・・

すると次に廊下を歩いていらした看護師さんに聞いて下さいました。

リハだと言われました。

先日、怒られた看護師さんでしたので、リハの方は「見に来て下さい」と言われますが、お部屋で待っていた方がいいか、どちらがいいかお聞きしたところ、お部屋で待つように言われました。

それにしても、お掃除の方はここの職員ではありませんが、とてもご親切。

毎日、同じ時間帯に必ず同じ方にお会いします。

しばらく待っていると母が車椅子で戻ってきましたが、本気で寝ていました。

リハの方が「今日は歩くところを動画に撮ろうと思っていましたが、眠り姫状態で

何をしようと起きない。

何か飲ませても危ないので、お口の中だけ簡単にお掃除をして仕方がないので帰ることにしました。

昨日、お風呂に無事に入れたようで、お洗濯物が置いてありましたので持って帰りました。

 

 

 

いつものように教会と公園経由で帰宅。

 

夏空ですね~

 

今日の朝顔

 

 

おやつは冷たく冷やしておいた金沢の水餅を少し食べましたが、やっぱり甘い。

お抹茶と頂くのが一番いいかも。

バラがちらほら咲いていますが、栄養切れ

 

ジャスミンは流石に南国の花。

一度終わりましたが、又、元気に咲き始めました。

 

お花を植えたりしたいのですが、とてもじゃないですけれど暑くって

お水遣りと草抜きでやっと~

涼しくなったら又、ガーデニングを楽しみたいと思います。

 

 

 

 先日、北海道にお嫁に行った友人のお誕生日でしたので、メッセンジャーで少し話をしました。

もうかれこれ7~8年になりますが、とっても幸せそうなので「今が人生で一番幸せな時じゃないの」と聞くと、即座に「3番目」。

「1番はやはり子供が生まれた時。2番は母と過ごした最期の日々」とのことでした。

彼女のお母さんも施設に入られて居ましたが、最後の1ヵ月位を「もう施設には任せられない」と言って退所させ、一緒に暮らしました。

その期間がとても幸せだったそうです。

 高校時代からの友人とこれについて話していた時、まだお互い親が生きていますので(友人のところも認知症もあって今、施設です)、わかりませんが、2人共何の苦労も心配もなかった中高生の頃が一番幸せだったという結論に。

まさに人生の「春」の時時ですが、人は「春」の中だけは生きられないものですね。

そして、今は人生の四季の「玄冬」に向かう前の「白秋」の終わりの頃でしょうか。

いやいや、もう「玄冬」

(「春」は「青春(せいしゅん)」、夏は「朱夏(しゅか)」、秋は「白秋(はくしゅう)」、冬は「玄冬(げんとう)」。この「玄冬」を60歳後半と言う説と(前半説もあり)、幼少期を指す場合もあるようです。・・・ネットより)

もちろん子供が生まれた時も、そして、今も母の介護をしながらではありますが(するのが当然と思っていますし、出来る環境にありますし、母の希望でもありますしと理由はいろいろとあるのですが)、幸せな時間を過ごしています。

この介護の期間は私にとってプレゼントだったのかもしれないと思えます。

やはり、親子はいろいろとあるものですが、それらがすべて解けて流れて行き、母に対して愛おしさを感じます。

今は私が母の母となったみたいな感じです。

とにかく、無事に幸せに天国と言うかあちらの世と言うかに送らなくては・・・と思っています。

その後の私を心配して下さる方が多いのですが、燃え尽き症候群になるのではないかとか。

でも、夢がありますので、多分、大丈夫かなと思っています。

多分。

わかりませんが

一時的には落ち込むでしょうけれども、これが反対になってはいけませんから。

When I will be free, then I may be getting old, but I would like to leave my old life behind and start fresh in a city that I love in the future.

(自由になる頃には私も老いているかもしれませんが、将来はこれまでの生活を捨てて、大好きな街で新たなスタートを切りたいと思っています。)

この英文と日本文が正しいかどうかわかりません

大好きな街というのはまだ決まっていません。

旅をしている間に気に入った場所が見つかったら、そこへしばらく住んでみたいです。

私のバゲットリストの中はほとんど旅に関することです。

今まで行った国は20ヵ国(地域も含めて)くらいではないかと思います。

最後に旅して以来11年以上が過ぎました。

これが私の介護期間です。

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2023.0812

 

こうすれば必ず行き詰まる

 

個人であれ、企業であれ、
自分のことや目先のことだけに
とらわれたら必ず行き詰まる
━━━━━━━━━━━━━━
上甲晃(松下政経塾元塾頭)
○月刊『致知』2023年9月号【最新号】
特集「時代を拓く」より
━━━━━━━━━━━━━━

●大転換期の日本の進むべき道はこちら

松下幸之助の国家百年の計の
話にも通じるんですが、
いまの日本の問題は、
こんな国を目指そうという
理念がないことだと私は思います。
国民が、そんな国になればいいよねと共感し、
奮い立つような方向性を示せていない。

(本文より)

 

━━━━━━━━━━━━━━

●『致知』創刊45周年
松岡修造氏よりお寄せいただいた言葉

これまで四十五年間、
日本中に「致知魂」を
注入していただきありがとうございます。
そしておめでとうございます。
僕にとっての『致知』は、
気づきの時間、自分を見つめる時間、
学び成長する時間。
これからも人間学を浴びながら
自分の生き様を全うしたい。
だから僕は『致知』を愛読します。

──松岡修造(スポーツキャスター)

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪ウサギでもなくカメでもない生き方≫

 

最新号では、現在、ヴァイオリン奏者として
活躍する穴澤雄介さんにご登場いただきました。

実は穴澤さん、生まれた時から
両目と心臓に障碍を抱えられており、
それらのハンデを乗り越えられて
全盲のヴァイオリン奏者となられました。

加えて、穴澤さんには、
今日に至るまで様々な困難が訪れます。

家庭崩壊、極貧生活など
どれも壮絶そのものでした。

そのような困難な道を歩んでこられた穴澤さんが
見事に人生を拓いてこれたのは、
「不可能が新たな可能性を生み出す」と信じて
知恵を生み出してきたことにありました。

常に明るく前向きに音楽家として活動する
現在の穴澤さんの姿は、いま、多くの人たちに
大きな感動を勇気を与えてると言います。

そこで本日は、失明の危機にある中で、穴澤さんが
プロのヴァイオリン奏者になろうと
決意したときのくだりをご紹介します。

 

取材の様子はこちら
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遅かれ早かれ目が見えなくなることは
分かっていましたので、
先生のアドバイスもあって
高等部の頃から点字を勉強し、
楽譜も点字に切り替えていきました。

ただ、点字の楽譜は触って読むものですから、
楽譜を触りながらヴァイオリンを弾くことはできない。

1曲丸ごと楽譜を覚えないことには
演奏できないんですね。

こんなハンディを背負ったら、
到底、音楽の道に進むことなんかできません。

だけど、高等部2年生の時に
ふとこう考えました。

「楽譜でハンディを背負うんだったら、
楽譜をつくる側に回ればいい」と。


———楽譜をつくる側に?


つまり、作曲、編曲ですよ。

楽譜に頼らなくても、
自分で演奏するものを
自分でつくれるようになれば
チャンスは訪れると考えたんです。

中学時代からいろいろな楽器に
触れていたことも、編曲する上でとても役に立ちました。


ウサギとカメの童話がありますよね。

私は音大出の人のように
ウサギかカメかという競走はできなくても、
イモムシのような全く違う歩み方が
あってもいいと思うんです。

全盲の私が作曲、編曲という道に
目覚めたのはイモムシとして
歩み始める一歩でした。

専攻科時代の2年間、
私は4年間音大に進んだ穴澤雄介をイメージしながら、
その上を行く穴澤雄介になろうと
それこそ猛勉強を重ねていったんです…

コメント (4)
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