心が萎えた日

2022年11月20日 22時59分10秒 | 介護

 昨夜は10時過ぎにはベッドに入りました。

人によるそうですし、ヨガや瞑想をしている場合短時間睡眠でも良いようになるとも聞きますが、基本、7~8時間睡眠が心身共の健康の為にいいようですので、なるべくそれを目指したいと思います。

・・・と言いつつ、もうすでに10時を過ぎてしまいました。

 今朝の果物

 今日はとってもストレスフルで心が萎えそうでした。

今朝の母はバイタルは良かったのですが、呼吸しにくそうでヘルパーさんがサルタノールを1回吸入した方がいいだろうということで1回吸入しました。

その後、昨日はあまり食べてないので食事がしたくてたまらない感じでしたが、手を口に持って行けない。

そこで前のように道をつけてあげると食べれるようになるかもしれないと思い口に運ぶと何回か繰り返しましたが、自分で食べられるようになりました。

パーキンソン病がやはり進んでいるのだろうかと思います。

今朝は炭水化物がやはり多く比重を占めてはいましたがしっかり食べてくれました。

 9時頃でしたか、トイレに行きたいと言ってポータブルトイレを使用しました。

その後しばらくしてまた行きたいと言い出しました。

その時に台所からから見ていてポータブルトイレの向こう側(後ろ側)へ行こうとしました。

何をするためか行こうとしていたのかわかりませんが、持つ場所がいくつかありましたので、いつもなら危ないから止めるようにと止めるのですが、いつもいつもダメではかわいそうなので「気をつけて」と言った途端、やはり、私が甘かった

母はポータブルトイレを持ったままひっくり返ってしまいました。

と同時にベッドのサイドテーブルの上に置いていたフルーツのプレートもひっくり返してしまい、フルーツのプレートの中にポータブルトイレの汚物が入ってしまいました。

母は尻餅をついたわけですけど、その振動でガラス窓の外の網戸が外れて大きな音を立てて外に向かってバタンと倒れました。

母に全く怪我はなく大丈夫だったのですが、起こすことが出来ず

汚物が散乱してるので一人では起こせそうにないですし、母を動かすとそこら中にまき散らしたもので服まで汚れるでしょうし。

とりあえずはお雑巾とか新聞紙とかで何とか吸うようにして早めにヘルパーさんに来てもらった方が良いと思いお電話しました。

ヘルパーさんは私一人では起こさない方がいいからそのままにしておくようにと言われ、なるべく急いで行きますとおっしゃって小1時間後に来てくださいました。

(ありがたいことに今日は元々お昼頃に来て下さる予定でした)

ヘルパーさんはこんこんと母に言い聞かせて下さいました。

そして、洗面所に行かれた時、母が「ありがとう」と言いましたので、「今は聞こえないよ」と言いますともっと大きな声で「ありがとう」。

「今は遠くて聞こえないよ」ともう一度言いました。

その後、帰っていらした時に「帰っていらしたら言いたいことがあったんじゃないの」と言うと何だか黙ってしまって言いません。

ヘルパーさんにさっきまでのことを話すとはニコニコ笑われて「かわいいなぁ」「かわいいなぁ

しばらくして後、母はやっと「ほんとにありがと」と言いました。

ヘルパーさん曰く「今度は、ほんとに、も付いた」と大笑い

確かにかわいい一場面ではありました。

 でも、掃除や洗濯もありましたし、精神的にもここまででもかなり疲れたのですが、その後またヘルパーさんにこんこんと言われたにも関わらず、その舌の根も乾かないうちに同じことをしたのでびっくり。

この時、Aさんが来て下さって母の部屋を直して下さっていました。

母は食事中でしたので、私も説明をしに母のそばを離れました。

お台所に座っているので安心していたところ、ふと振り向くと何の手すりもない状態のところどうやって歩いてきたのかすぐ後ろに母が立っていました。

もう本当にびっくりして、どうしてわからないのだろうかと思ってもう心が萎えてしまいそうでした

木曜日もヘルパーさんに言われ、金曜日も看護師さんとリハの方に言われ、昨日も看護師さんに言われ。。。

本人が言うには出来る、行けると思うのだそうです。

Aさんが「自分も介護をしたことがあるからわかる。こればかりはしたことがない人にはわからないからね」と慰めて?下さいました。

本当に疲れました。

これが一週間続くとなるとやはり持たないです、私。

1人では限界があります。

 今日の朝顔は一輪。

でも、こうして咲き続けてくれて、元気をもらえます。

 

お昼はリゾットとサラダ(リーフレタス、柿、れんこん、かぼちゃ)

洗濯をし過ぎて、明日まであると思っていた洗剤がなくなってしまいました。

母が寝ましたので、教会経由で近所のドラッグストアへ。

 

ベトナムの庭も又少し変わっていました。

 

昨夜の8時からの御ミサと洗礼式。

そして、今日の御ミサはきっと多くの人で賑わったに違いありません。

 

帰ると母は大人しく寝てくれていました。

 しかし、やはり朝一は176くらいあった血圧が(いつもより低いですが)、転倒した頃からはずっと低め。

87~109でした。

母は低いと好調なのです。

9時にベッドに入ってからも暑いとか朝方は寒いとか、3~4時に起きてこたつの電源を入れるとかもう好き放題を言っていました。

母は寝る時にはぐっすり寝て少々では起きません。

特に朝はまず起きませんから、3~4時に寒いからと言って起きてこたつの電源をいれることはまずないと思います。

明日は最近の5℃台と違って9℃台のようですから、今のお布団で十分かと思います。

 何だか久々にストレスを感じて重苦しくなった一日(正確には半日)でした。

明日からはリハ付きショート。

本当はショートに行きたくはないのでしょうが、「明日は何を着て行こうかな」とリハ付きショートへは前向きです。

 11時が来ようとしていますので、私も寝ます。

母も寝入ってもう起きそうにありませんので、ひとまず安心です。

全く、子の心、親知らずだと思いました

★致知一日一言 【今日の言葉】

安藤忠雄流・リーダーの在り方

目標を明確にして、
それに向けて可能な限り
全力疾走していれば、
緊張感があるから
そんなに失敗しないと思うんです。
やっぱりリーダーは、
居眠りができるような
中途半端な走り方では駄目ですね

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安藤忠雄(建築家)
月刊『致知』より
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日本を代表する建築家・安藤忠雄さん。
多くの人々を惹きつけてやまない、
その比類ない建築が
世に知られるまでは
〝負け戦〟の連続だったといいます。

なぜ度重なる逆境を
乗り越えてこられたのでしょうか。


2003年11月号特集「仕事と人生」に
掲載された貴重なインタビュー記事を
ご紹介いたします。

【▼記事はこちら】


「建築家・安藤忠雄が「常にギリギリ」の状態に
身を置けと言ったわけ」


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コメント (16)
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