母の孤独感&老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend

2022年08月03日 22時26分20秒 | 介護

 暑いのでまだ少し暗いうちから歩きに行きました。

5時になると5人の年配の女性のグループがやって来られました。

太陽が昇ると暑くなりますのでその前に帰りました。

 

 

今朝の空

 


 

 

 今朝の我が家のお花

昨夕、お水遣りをしていた時にこのランが咲いているのが見えましたが暗かったので今朝、撮影。

ちょっとボケました。

 

今朝も朝顔が咲いていました。

 

お台所等危なくない場所は窓を開けているのですが、この時の室内気温は何と30℃。

夜中の気温が下がっていないのか、すでに上がったのか

でも、まだ太陽が射す前

 

 

 

 それから、太陽が昇り始めた頃、スーパーへ。

近くに24時間オープンのスーパーがありますので助かります。

スーパーへの途中のお宅

暑いので皆さん、早朝から結構いらしていました。

 

 

 

 

 帰って、朝食。

今朝の果物

珍しく和食にし、ご飯も食べました。

ついでにお昼の為にサンドイッチを作りました。

ちょっと歪んでしまった。。。

あまり動かないのに食べているので本当に太ってしまいそう。

やっば~い

ということで、今日は完璧カロリーオーバーで食べ過ぎましたので夕食はスキップ。

そうでない時にはヨーグルトとかナッツを食べることがありますが。

 7時過ぎてからちょっと大型スーパーへお買い物へ行きました。

気温はまだ33℃。

 

 

明日は雨が降るそうで、気温も久し振りに35℃を下回るそうです。

母のシーツとか果物とか買っていると又母から電話がありました。

今日は3時過ぎに電話をしてきて、又、表装を捨てられるとか、全部いるとか、返してもらって、人が見せてほしいと言っていると何回も緩解も電話をしてきました。

もうそうでなくても暑いので忍耐力に欠けそうになっていましたので、もうイライラしてきました。

結局、良かれと思ってフォトブックにしたけれども、寝た子を起こした

そのままにしておけば母の心も思い出すことなく安寧だったのかも・・・。

「ある」という安心感が必要なのかもしれません。

「すべての物」が。

もう投げ出したくなってきた。。。

 そして、お買い物の途中に又、「何も用事はない。5時からしんどくなったけど夕食は食べた」と言いました。

電話もスムースに話せたらいいのですが、入れ歯を外していますので何を言っているかわからないし、こちらの言っていることもTVを付けていますので聞こえないようで「なに~」「なに~」を連発。

しかも、途中で何度も切れたり保留になります。

大荷物を抱え、電話を持って、レジへ。

「私も暇じゃないのよ(母は私を暇だと思っています)。お買い物の途中で忙しいのよ」とつい言ってしまったら「淋しいなあ」

「え 淋しい 淋しいと言った」と聞くと「うん」。

人や私と比べても意味がないですが、母は恵まれていると思うのですが・・・

この淋しさは性格 それとも年を取ったから

仕方がないので、レジ中も、荷物を抱えて駐車場に行く間も、車に乗ってからも、家に着いて降りて荷物を降ろしながらもずーっと話しました。

話と言ってもなかなかスムースには会話は成立しませんが、それでも「まわりの友人の誰とも変わりたくない」と言っていましたから少なくとも幸せだと思ったのでしょうか。

あるいは人としての根源的孤独感ならそれはもう皆が持っているものですから仕方がないです。

ショートに行っている間は介護について少し忘れさせて欲しい気持ちもあります。

でも、母がいるから私も淋しくないという面もあります。

母の世話は大変ですが~。

母を満足させることは本当に難しく至難の業。

結局、人は自分で自分の機嫌が取れないといけないことが母の年代の人は知らずに来たのかも。

いろいろと考えさせられます

老いるって大変なことです。

そばで看ていてもまだ想像の域を脱しないことが多くあります。

ですから、あの詩をいつも指針としています。

最近、私のブログを読み始めて下さった方はご存じないと思いますので、何度目かのアップをします。

以前、セルビアの英語の先生に直して頂きながら英訳したものです。

 

 

 

 老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。
Blessed are the people that understand my staggering foot and my hands trembling.

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who will celebrate the last days of my life's journey with love.

 

<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>
(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

人生は○○との戦い

 

人生は戦いです。

楽をしようという怠け心と、
苦労に打ち勝っていこうという
2つの心の戦いです。

━━━━━━━━━━
昇地三郎(日本初の知的障害児通園施設「しいのみ学園」創設者)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

◎障がい児教育に一生を捧げた
 曻地三郎先生の生き方
...........................

戦後の貧しさがまだ尾を引いていた時代、
精神・身体障がい児のための
学園創設に心を燃やした人がいます。

ご自身も2人の脳性小児麻痺の
子供を抱えていた曻地三郎さんです。

自分の子供だけでなく、
不運な子に一人でも多く
光を与えたいと願う氏を支え続けたものは、
何だったのでしょうか。

曻地さんの生き方が分かる
記事の一部を紹介させていただきます。


【記事はこちらから】

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コメント (6)
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