特別暑かったです&母はショートへ

2022年08月01日 22時28分50秒 | 介護

 今日はまた特別暑かったです。

私の体温よりも高い36.8℃(この夏、最高)

最低気温は26.1℃でした。

 

 昨夜はお台所のソファをどかして、マットを敷き、その上に低反発のマットを敷いて寝たところ、場所はいまいちでしたが、気持ちよく眠れて少し遅く起きましたので朝、もう歩きに行きませんでした。

ありがたいことに、すのこの納期が8月の下旬から初旬になり、今朝、発送準備に入ったお知らせが届きました。

そして、夜、発送しましたメールが入りました。

今日は母がショートステイに行きましたので、低反発マットを持って上がって2階で寝ようと思っていましたが、今日一日居間で過ごしましたので、このまま居間で寝よっと思っています。

お布団を敷くスペースはここは広くあります。

居心地の良い空間を探して家の中をあちこちするのも面白いかも

 

 四輪目の朝顔が咲きました。

夕方、お水遣りの時に見ると蕾が2つほどありましたので、明日の朝が又楽しみです

昨夕は綺麗に咲いていたハイビスカスはしぼんでいました。

「ブルームーン」「シェヘラザード」

 

「新雪」「ドフトゴールド」

 

 

 今朝の果物

写真を撮るのを忘れて、少し食べてしまいました。

母もほぼ同じだけの果物を食べました。

今朝はフレンチトーストとカフェオーレとサラダと果物でした。

それに、サーターアンダギーも半分食べましたっけ。

まずまず食べてくれました。

もう一時のようにメイバランス等は必要なくなりました。

一口大には切りますが、切らなくてそのままのものもありますし、何でも食べてくれますので助かります。

食べる量は減りましたが。

 

 

 

 今日は2回洗濯機を回し、気持ちよく乾きました。

母は9時過ぎにショートに行きました。

母が一緒にいることは楽しいですし安心でもあるのですが、やはり体調や危険なこともありますので気を張っているのか、母が出かけたあとの解放感と達成感は半端なく、片付けをして「やれやれ~~~」とソファに座って冷たいカフェオーレを飲む時の気分と言ったら

しばし、ぼぉ~

 今日は5時頃一度目の電話が母よりありました。

同じ年齢の人と仲良くなったそうで、朝からずーっと話をしていたそうです。

これはお部屋に入っていらしたスタッフの方からも同じことをお聞きしました。

久し振りに母の晴れ晴れとした楽しそうな顔を見ることが出来て嬉しかったと言って下さいました。

しかし、残念なことに母の話に寄りますとその方は今日の夕方帰ってしまわれて、次はもう来られないとか。

もしそうなら、残念この上ないです

なかなか話の出来るお友達が出来ませんでしたから。

仕方がないと言えば仕方がないのですが・・・母のように高齢な人はそうそういないですし、話のキャッチボールが出来る人となるともう皆無でした。

今日はお昼ご飯も食べられたそうです。

 その後7時前に2度目の電話がありました。

5時半からのお食事が終わったということで、「夕食も食べたよ」

良かった

歩くことも危ないながら出来始めましたので、リハの方やケアマネさんともご相談し、一旦返却したシルバーカーを又レンタルすることにしました。

 

 

 

 

 ところで、昔勉強したカウンセリングのお勉強の続きを先生に勧められて始めました。

(少し前に、ブログにも書きましたが)

先日まで、短歌にかかりっきり(ありえないことに東京からお手紙が届き、エッセイと短歌のコーナーに書くことになりましたので・・・真庭の魔女姉さまにも随分とお手数をおかけしました)でしたので、他のことが出来ませんでしたが、昨日から本を読み始めました。

2冊の本を読んでレポートを提出するのが9月の初めまでです。

頑張らないとヤバいです

 

 

 

 

 明日は友人が来ます。

元気な友人も流石にこの暑さでは「外出したくないわ~」と言うことで家で過ごすことにしました。

 

 

 

 

昨年の今日の記事

母の作品&「君に読む物語」

 

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

根こそぎの力を発揮する秘訣

 

99%の力を出している時はしんどいが、
100%、120%の力を出そうとした時、
その人の根こそぎの力が出てくる。
これがパワーを身につける秘訣である

━━━━━━━━━━
津曲孝(ケーキハウスツマガリ社長)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

≪これぞ「最高の言葉」【ソフトバンク前監督・工藤公康登場】≫

 

最新号の表紙を飾るのは、
常勝チームをつくった
球界の雄・工藤公康さんです。

監督しての実績はもちろん、
選手時代にもピッチャーとして
数多くの白星を重ねることで、
チームを日本一へと導きました。

しかし、西武ライオンズ入団当初は、
なんとか這い上がろうと
必死だったという工藤さん。

本日は、その当時に体験から掴まれた言葉を、
いまも大切にされているという
対談のくだりをご紹介します。

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対談の様子はこちら


【工藤】
入団3年目に、アメリカのマイナー・リーグへ
留学させていただいたことが転機になりました。

当時監督だった広岡達朗さんは、
練習中は大体一軍選手のバッティング練習を
厳しい目で見ていらっしゃいましてね。

僕が「これからアメリカへ行ってきます」と
挨拶に行っても無言のまま。

仕方なく引き下がろうとしたら、
「おまえは俺の期待を裏切ったんだ。
アメリカでしっかり修業してこい」と。


【高橋】
アメリカのマイナー・リーグはいかがでしたか。


【工藤】
僕のように高卒でプロに入った場合、
日本ではすぐに芽が出なくても
5年くらいは面倒を見てもらえるんですが、
アメリカはすごく厳しくて、
1週間とか10日でクビになるんです。

「ハンバーガー・リーグ」とも言われているんですけど、
選手たちの収入は少なく、粗末な食事に耐え、
使い古したグローブを使って死に物狂いで頑張っている。

マイナーは上から3A、2A、1Aに分かれていて、
普通一番下の1Aでクビになったら
やめるだろうと思っていたんですけど、
どの選手も「俺はこんなところで終わる人間じゃない」と、
自分の可能性を全く疑うことなく挑戦を続けているんです。


(中略)


こうした経験を通じて実感するのは、
自分の限界を超えていくには、
努力と根性以外にはないということです。

もうダメだと思ったところから
さらに一歩踏み出すことで成長できる。

努力と根性というといまは敬遠されがちですが、
何がいけないのか僕には分かりません。

「俺は誰よりも努力した」と
思えるくらい練習に耐え抜いてこそ、
マウンドの上で自信を持って投げられます。

こういう姿勢に欠ける選手は、
どんなに素質があってもプロで
やっていくのは難しいでしょう。

努力と根性は最高の言葉だと僕は思います。

コメント (4)
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