「老人の友人に対する至福 」&「最後だとわかっていたら」&映画『レ・ミゼラブル』『最高の人生の見つけ方』

2021年12月13日 23時24分22秒 | 祈り

 今朝も5時前に目が覚めました。

昨夜はベッドに入ると何故か涙が出て泣きながら寝ましたが(何が悲しいのか自問自答したところ、生きていくだけで人生はしんどいなんて思ったりしました)、起きた時には自分の笑い声で目が覚めました

何だかすごく幸せで、誰かが楽しいお話をしてくれて思わず笑ったのでした。

私はたまに自分の笑い声で目が覚めることがあります

寝ている間に夢で心(潜在意識)が癒されたのかもしれませんねぇ。。。(勝手な解釈)

 

 第1回目の洗濯をしながら、5時半に家を出てウォーキングへ。

昨日同様真っ暗

冬至が近いですから当たり前ですね。

 

 

段々明け行く空

 

西の空

今の日の出時間は7時05分。

でも、残念ながら6時50分までには帰らないといけませんので、日の出まで居ることが出来ません。

(母がショートの時は居られます)

 

 

 今朝の果物

今朝の母はしんどいのか、変な顔の表情でした。

どこか痛いのか、看護師さんに来てもらおうかと言ってもなかなか何も答えません。

やっと口を開いて言うには喉が痛い、息が出来ない等など。

でも、酸素は99%。

大丈夫だからゆっくり呼吸するように言いましたが、呼吸は普通なんですよね。

ショートに行きたくないから調子が悪くなったのではないだろうかとも思いましたが、しばらくして食べ始めたら完食しました~

そして、猫ちゃんとパズルと新聞のクイズを持ってショートに行きました。

お迎えに来て下さった時、家での様子を簡単にスタッフにお話しして、「優しく出来なかったんですよ」と言いつつ、靴を履いている母に

「きついことを言ってごめんね」と言いましたが、母は聞いているのかいないのか無言。

私は一昨日も書きましたが母に腹を立てている時に、浮かんで来るのは以下の祈りであると同時に「最後だとわかっていたら Tomorrow Never Comes」という詩です。

 

 

老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend

 

(2019.8.15のブログより)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

英語の先生に直して頂いて英訳してみました。

介護をしているので、やはりこのような詩や祈りに心が動きます。

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。
Blessed are the people that understands my staggering foot and my hand's trembling.

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

 

<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>
(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「最後だとわかっていたら」

 あなたが眠りにつくのを見るのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
 神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

 あなたがドアを出て行くのを見るのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは あなたを抱きしめて キスをして
 そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

 あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは その一部始終をビデオにとって
 毎日繰り返し見ただろう

 あなたは言わなくても 
 わかってくれていたかもしれないけれど
 最後だとわかっていたなら
 一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
 わたしは 伝えただろう

 たしかにいつも明日はやってくる
 でももしそれがわたしの勘違いで
 今日で全てが終わるのだとしたら、
 わたしは 今日
 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 そして わたしたちは 忘れないようにしたい

 若い人にも 年老いた人にも
 明日は誰にも約束されていないのだということを
 愛する人を抱きしめられるのは
 今日が最後になるかもしれないことを

 明日が来るのを待っているなら
 今日でもいいはず
 もし明日が来ないとしたら
 あなたは今日を後悔するだろうから

 微笑みや 抱擁や キスをするための
 ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
 忙しさを理由に
 その人の最後の願いとなってしまったことを
 どうして してあげられなかったのかと

 だから 今日
 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
 そして その人を愛していること
 いつでも いつまでも大切な存在だということを
 そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や 
「ありがとう」や「気にしないで」を
 伝える時を持とう
 そうすれば もし明日が来ないとしても
 あなたは今日を後悔しないだろうから


Tomorrow Never Comes
              By Norma Cornett Marek

If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.
If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.

If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise,
I would tape each word and action, and play them back throughout my days.
If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.

So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,
I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,
And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow, why not do it today?
For if tomorrow never comes, you'll surely regret the day
That you didn't take that extra time for a smile, a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant someone, what turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today and whisper in their ear
That you love them very much, and you'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"... "Please forgive me,"... "thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes, you'll have no regrets about today.

引用: 『最後だとわかっていたなら』
作 / ノーマ・コーネット・マレック
出版社 / サンクチュアリ出版

 

 

 昔、読んだ聖人伝にこんな話がありました。

ある学校の校長先生が、かなりうろ覚えですが「明日(今日だったかも)、地球が滅ぶとしたら(違ったかも)今日どのように過ごすか」と生徒達に聞いたそうです。

皆、口々に言ったそうです。

寄宿舎学校だったようで、家に帰って親に会うとか、友人に会いに行くとか、多分、普通に考えられそうな答えです。

でも、だだ一人「このまま遊び続けます」と言った少年がいました。

彼は将来聖人の位に挙げられた人ですが、「流石、聖人になるような人は小さい頃から違うものね」と思ったものです。

母を介護をしているといつも穏やかで優しくありたいと願ってもなかなか難しく綺麗ごとでは済まされないこともあります。

母を傷つけたことも度々あると思います。

いつも「老人の友人に対する至福 」や「最後だとわかっていたら」を思い出しながら、母に優しく接したいと反省します。

でも、最近は少し変わってきたかもしれません。

この少年のレベルとは雲泥の差ですし、場面が違うとは思うのですが、もし喧嘩をしたままでも、そのありのままの日常でいいのではないかと思うことがあります。

なぜなら、それが日常だからです。

これは反省をしないとか向上しようと努力しないという意味ではありません。

やはり、それなりに日々、意地悪をしようと思う気持ちではなく、良かれと思って生きています。

ですから、それでいいのではないかと思ったりするのです。

 

 

 母は不調でしたが、「寝る」と聞いても「寝ない」と言って食べ始め、結局は完食しました。

そして、ショートステイに行きました。

その後、2回目の洗濯やあれこれ用事を済ませ、やれやれとソファに座りました。

疲れていたので、転寝もしました。

その間に、ダンスの先生からラインが入っていて、明日、体調がいまいちなのでキャンセルをしたいとのことでした。

私も何となくほっとしました。

やはり疲れているのだと思います。

2日間旅をして、木曜日の朝は特定検診。

午後には母が帰ってきます。

忙しく疲れたままですと、心に余裕がなく母に優しく接することは難しくなります。

今週は家に居て英気を養うのが一番だと思いました。

 

 今日はBSで午後1時から『レ・ミゼラブル』がありました。

何度も観ましたが録画しつつ、観ました。

この本は人生の一番最初に両親が私に与えてくれた本です。

小学校の4年生か5年生位だったと思いますが、夜寝るのも忘れて読みふけりました。

多分、私の本好きはここから始まりました。

ちなみに人生初の音楽はイ・ムジチの「四季」のレコードでした。

それ以来、私はクラシック好きになりました。

 

映画『レ・ミゼラブル』予告編

 

 映画が終わって、少し歩きに行きました。

ポプラちゃん

 

 

大地に近い方に厚い雲が見えますが、冬独特の雲の形状でしょうか。

よく見ます。

 

 

 

 

一番最初に今年初の椿を見つけた木です。

こんなに咲いていました。

 

 

この木は何でしょう

今日も一万歩を超えました

 

 

 我が家のバラ「ダフトゴールド」が綺麗に咲いてくれています。

 

 

 

 アマゾンでカムカム英語と同時に注文していた本が届きました。

 

 

 ところで、「カムカムエブリバディ」の地元岡山では、NHKの夕方のニュース番組「もぎたて」の中でいつもこのドラマに関することが取り上げられます。

今日は先日のこの建物

 

 

戦後は本当に「将校クラブ」として使われていたようです。

 

ロケは6月にあったようです。

 

 

 今日はさっさとお風呂に入って、夜の9時からBSで『最高の人生の見つけ方』をしていました。

これも観たことがありますが、いい映画でした。

・・・と言うことで、観ていたら、又、ブログアップがこんな時間になってしまいました。

 

映画『最高の人生の見つけ方予告編』

 

 

 今日の母は又、一日はパズルをしていたようですが、「全然出来ない」とぼやいていました。

食後に赤ちゃんのげっぷと同じように、ゆっくり食べて、なるべく姿勢を崩さないようにして、少し静かにしていた方がいいと言っておきましたら、それを守ってくれたようで「心配していたけど、しばらくじっとしていたら大丈夫だった」と言っていました。

今、怖いのは誤嚥性肺炎です。

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

天職は
特別な人にだけ与えられるものではなくて、
それぞれの人間に、それぞれの場所で、
天職がある。
有り難いと受け止める感性が大事

――――――――――
山谷えり子(参議院議員)
――――――――――

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉+α】

 

「人間は何でこの世に
 生まれてくるか知っているか。
 人に喜んでもらうために
 生まれてくるんやよ」

浄土真宗の僧であり、
篤志面接院の西端春枝さんが
一燈園の三上和志さんから聞いた
言葉だそうです。


師走で慌ただしい今月、
少しでも読者の皆様の心に温もりを
お届けできればと考え、
ある少年の話をご紹介します。

3分程度で全文をお読みいただけますので、
隙間時間にご覧いただければ幸いです。


───────────
「恩を送る生き方」

西端 春枝(真宗大谷派淨信寺副住職)

『致知』2016年9月号
特集「恩を知り 恩に報いる」
───────────

〈西端〉
これはもう60年以上も前の話ですが、
ある夜、お隣の佐藤さんが一燈園の三上和志先生という
立派な方が来られるというので、
子供を連れて行ったことがあります。
分かりやすく心に響くお話という意味でも、
その時、三上先生が泣きながら語られた実話を
少し紹介させていただきます。

三上先生は警察関係の病院に招かれて
入院中の人々や職員に話をされました。
院長室に戻ると、院長がお礼を述べた後に、

「実は、余命10日の18歳の卯一という少年がいます。
 不幸な環境で育ったこともあり、
 暴言を吐き、皆に嫌われています。
 しかも開放性の結核なので、
 一人隔離されて病室にいるのですが、
 せめて先ほどのようなお話を10分でも20分でも
 してやってもらえませんか」

とお願いされました。
2人は少年の部屋に入ります。
院長はマスクにガウンの完全防御、
三上先生は粗末な作務衣のままです。

卯一は、院長が「気分はどうか」と声を掛けても
「うるせえ」と地の底からの声を出し
相手にしようとしません。
2人が諦めて部屋を出ようとした時、
卯一と三上先生の目が合うんですね。

その目は、燃えるような人恋しい、
孤独のどん底にいる目でした。
先生は病気が感染することを覚悟で、
卯一を一晩看病させてほしいと頼みます。

  ・  ・  ・

三上先生は荒れ狂っていた卯一をなだめながら、
骨と皮ばかりになった足をさすり始めました。
やがて卯一は自分が生まれる前に父親が逃げたこと、
母親は産後すぐに亡くなったこと、
神社で寝ては賽銭を盗んで食い稼ぐ生活を
続けてきたことなどを話し始めるんです。
そして、一晩中足をさすり続ける先生に

「おっさんの手、お母さんみたいやな」

と言うんですね。

そのうちに粥を食わせてくれるよう頼みます。
生ぬるいお粥さんが梅干しと一緒に置かれている。
幾匙か口にした後、卯一は言うんです。

「もうええ。おっさんもお腹空いたやろ
 俺の残り食うてくれ」と。
しかし、結核患者が口にしたものです。
先生は「一晩くらい食べなくてもいい」
「そんな言わんと食うてくれ」「いい、いい」
「おっさん、食えや」「私はお腹が空いていない」……

次第に卯一の声の調子が変わっていくんですね。
「親切そうにしているけど、おまえの真心はほんまか」と。
先生は長い長い合掌をして、粥をいただかれるんです。

――合掌をしながらも、心で葛藤しておられたのでしょうね。

〈西端〉 
「我が子であればと思おうとするけど思えない」と
先生は講演でおっしゃっていました。
卯一が「長いこと拝むんやな、おっさん」と言ったと聞いて、
私はゾクッとしました。
私もその場にいれば同じだったはずですから。

 

粥を食べた先生に卯一は
「おっさん、笑わへんか」と聞きます。
「なんや、言うてみい」
「いや、笑うやろ」「笑わへん」
「それなら言うぞ。一回でいい。おっとうと呼ばせてくれ」

一回は小さい声で「おっとう」、
2回目には少し大きな声で、
3回目にはありったけの声で
「おっとーう!」と叫んで、
声を上げて泣き崩れたそうです。

先生も一緒に泣かれて

「人間は何でこの世に生まれてくるか知っているか。
 人に喜んでもらうために生まれてくるんやよ」

と諭されるんですね。
そうしたら卯一が「おっさん、俺の話も聞いてくれ。
おっさんあっちこっちに講演に行くやろ? 
親を大事に思わん者が哀れな最期を遂げた、
と俺の話をしてほしい」と頼みます。

2人はそこで別れるのですが、
卯一は「おっさーん」「おっさーん」といつまでも呼び続け、
その直後にお浄土に帰っていくんですね。
顔には静かに笑みを浮かべ、手は合掌していたといいます。

―――――――――――

 

 

 

★エドガー・ケイシー

今日(12月13日)の珠玉のリーディングをお届けします。


あなたが為すべきと知っていることを、今日行いなさい!そして、その結果は、その報酬は、その効果は、あなたの神の御手に委ねなさい。

DO that thou KNOWEST to do, TODAY!
Then leave the results, leave the rewards, leave the effects into the hands of thy God.

(518-2)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする