動き回る母&A. Piazzolla. Libertango

2021年05月30日 23時00分00秒 | 介護

 最近では4時過ぎに目が覚めるようになりました。

外が明るくなりますのでそれと共に目が覚めるようです。

昨年も同じことを書いていました

そろそろ、瞑想よりも前に歩きに行こうと思っています。

 今朝はそのままベッドで皆さんのブログを拝見していたところ、コールが鳴りました。

ポータブルトイレを使いたいと母。

その後、「起床時の薬」を飲ませてベッドに寝させた後、歩きに行きました。

今朝も綺麗な青空が広がっていました。

教会に廃品を持って行きました。

保育園は閉園しましたが、そのまま廃品回収は続けられるようです。

今日はジオラマ風と普通と両方で写真を撮ってみました。

 

 

 

ジオラマ風は色が濃く鮮やかです。

そして、適度にぼやけているのもいいです。

 

 

 

 

お花達がかわいい。。。

いつもの散歩道もジオラマ風で撮るとちょっと素敵な感じです。

 

公園の夾竹桃も咲き始めました。

公園のご近所の紫陽花

紫陽花はやはり、紫色が好きかも。。。

 

 

こちらは普通に撮りました。

 

ママ友ガーデン

もうバラがお仕舞です。

ママ友が「早く始末しないといけないのだけどバタバタしていて~」

でも、緑が綺麗です

 

帰り道の紫陽花

 

普通に撮っています。

 

ご近所の紫陽花

 

我が家の「ラ・マリエ」と「ドフトゴールド」

傷んでいますが、ちょっとマシかな。

 

 

 今朝の果物

 

 今日は母とほぼ二人きりの日曜日。

午前中は不調でしたが、午後から元気回復。

歩けるようにもなりました。

家に帰って歩けるようになるとショートステイが始まり、又、歩けなくなって帰ってくる気がします。

それもあと少しの辛抱です。

明日、私はワクチン接種なので、万が一のことを考えてやはり母にはショートに行ってもらうのが一番安全です。

実は接種をずっと悩んでいました。

理由はいろいろありますが、一番は私自身がアナフラキシーを何度か経験したことがあるからです。

でも、今朝、娘から電話があり、予定通り受けることにしました。

娘と娘婿も負の情報も知っていましたし、リスクがあることも重々わかっていましたが、受けるように強く勧められました。

お婿ちゃんなどは孫たちがまだ小さいので「ノンナがコロナで死んだら元主人のお嫁さんをノンナと思う」などと言っていました

(一応、遺伝子専門らしい)

日本がいかに恵まれているか、その中でも岡山がいかに恵まれているか滾々と30分以上説明されました。

娘達の住んでいる県では「まだ75歳の人の接種も終わっていないのに、65歳も来ていないのに受けられるなんてラッキー以外の何ものでもない」云々。

昨日から、何かあると励ましてくれるエンゼルナンバーの2、22、222、2222が現れていました。

昨日までは悩みに悩んで「受けない」でもう心は動かないと思っていましたが、もろくも崩れ去る豆腐のような根性

お婿ちゃんの「Be Samurai」に後押しされて行って来ます。

その上、一人なので心配してくれる友人達が受けるなら泊まりに来てくれることになっていますので、「サポート体制は万全でしょ」

友人達の接種はもう終わっています。

(40代のKちゃんは医療従事者ですがまだ)

私、恵まれています(泣)。

娘も若いから副反応が結構しんどかったようで、それでも手術があって、がんばった話など聞くと

「益々強くたくましくなったわね」

「二人の子持ちですから」

お婿ちゃんはさほどではなかったようです。

若い女性の副反応が一番きついようですね。

 

 

 

 今日の母はもう本当に困ったものでした。

元気に歩けるようになったのはいいのですが、それでも手すりなどを持たないとかなり危ないですし、足元はふらふらです。

それなのに、私がお洗濯物を仕舞に行くとか、窓を閉めに行くとか、水遣りに行っている時「動かないでね」と何度言っても、手すりのないところへ行っています。

何度言っても言うことを聞いてくれないので、言わなくてもいいことまで言うようになりました。

「もう面倒見切れない

「もう2度と言わない。転んで泣く羽目になっても知らないから

それでも、しゅんとした風はなく、どこ吹く風

私一人心配して、言うものですからしんどくなって・・・。

本当にストレスです

これだけ毎回言っても直らないですし、ドクターも直らないと言われていますから、直らないのでしょうが、それでも転んで寝たきりになったりしたら辛いだろうと思いますし、私も辛いからどうしても言うようになってしまうのです

 

 

 

 昨年の今日はこんな記事を書いていました。

昨年の記事「委ねて生きる」

因みに、今、聖書は毎日読んでいません

 

 

 

A. Piazzolla. Libertango

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

(5月30日)

常に心のアンテナを磨いておく。
同じものを見て、同じことを聞いて、
すぐにピンとくる者と全然ピンとこない者がいる。
ピンとこないのはアンテナが錆びているから。
「自分はこのレベルでいい」と思ったら、
それ以上先には進めない

――――――――――
田渕俊夫(日本画界の重鎮/画家)

 

 

 


★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング

 

(5月30日)

治療を単なる決められた作業のようなものとして実施しても、ほとんど何も達成されません。治療を何かやり通さなければならないもののように思っているなら、得るものはほとんど何もありません。しかしそこに辛抱と熱意があるなら、そこから発展して行きます。
If the application is just ROTE, little may be accomplished.
If there is the feeling or the desire is that it's just something to be gotten through, little may be had.
But if there is the consistent and persistent application, it will grow.
(1055-2)

 

 

 

 

★バラ十字会 (毎週金曜日)・・・アップするのを忘れていました

 

(5月28日)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M798096&c=3304&d=ed84

━…………………━


一昨日はスーパームーンの皆既月食でしたが、東京板橋では残念ながら、雲に隠れていたのか、見ることができませんでした。


いかがお過ごしでしょうか。



私の友人で作編曲家をしている渡辺さんから「直観」についての寄稿が届きましたので、紹介させていただきます。

▽ ▽ ▽

「直観の源泉」(1)

渡辺篤紀


皆さんは、「直観」と言われるものを感じたことはありますか?

恐らく、様々な場面で、自身の直観に助けられたことも多いのではないでしょうか?


なぜか、いつもと違う道を通り、数分後に起こる危険を回避したり、ふと思い立って買った宝くじが当たったり…。


日本では「虫の知らせ」という表現もあり、昔から日常的に「直観」のようなものの存在が認められていたことが推察できます。


しかし、そもそも「直観」とは、どこから来るのか、不思議に思ったことはありませんか?

今回は、「直観」と言われるものについて考察してみたいと思います。



■直観

ウィキペディアによれば、

「直観(Intuition)とは、知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論、類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。」(一部編集)と、

少し難しい表現ですがこのように説明されています。


そして、

「付け加えるならば直観を前提として具体的な問題を正しく説明したり解決に導くためには多くの経験と知識、理解が必要でもある。

とも説明されています。


これは、「直観」で何かを感じたとしても、それを理解するためには、経験や知識が必要であり、

例えば、生まれたばかりの子供では、「直観」を感じたとしても、それをどう処理すべきなのかが分からない、ということでもあります。


さて、この辺りにも「直観」というものを理解する鍵がありそうなので、もう少し掘り下げてみましょう。



■直観の形

たとえば、「直観」とは「言語」で意識に訴えかけられるものでしょうか?

それとも「イメージ」のようなもので意識に訴えかけられるものでしょうか?


私は経験的にも、真の「直観」とは、「イメージ」を通して非言語的に意識に投げかけられるものではないかと考えています。


ですので、その「イメージ」を理解するためには、上記のように知識や経験が必要であり、自分でその意味を理解できなければ、

その「直観」に対してどのように対処すべきか、考えることさえもできません。


これは、易やタロットなどにも共通することかもしれません。

易の「卦」やタロットの「カード」は、いわゆる「直観」と同種のもので、

これをどのように解釈するか、ということに知識や経験が必要となります。



■インスピレーション

直観に似たものとして、「インスピレーション」というものがあります。


たとえば、

「ある問題などに直面していて、ふと、そのことを考えることをやめた瞬間に解決方法を思いつく」、「物事や風景などに芸術作品の着想を得る」

などのようなものです。


ですので、インスピレーションというものは、何かを求めているときに「突然現れるもの」であり、日本語で言うと「ひらめき」「思いつき」などと言うことができます。


そして、「直観」を理解するには知識や経験が必要であることとは対照的に、「インスピレーション」は、突然、「空からすべてが降ってくる」という感じです。



■啓示(illumination)

これは、「直観」や「インスピレーション」をさらに超越したものとして、一瞬にして全ての物事を、自身の知識や経験を超越して理解する、というものです。


例えば、仏教でいう「悟り」であり、モーセやイエス、ムハンマドなどが得た「天啓」のようなものであるとも言えます。


例えば、「自身が理解している範疇をはるかに超えた真理の体得が瞬時に起こる」というようなものです。



■「感覚は欺(あざむ)かない、判断が欺くのだ」

これはゲーテの言葉ですが、「目ではなく心で見分ける」という意味です。


そして、このときの「感覚」というのは、いわゆる「直観」と同じものではないかと思います。


言い換えれば、「直観は間違わないが、その解釈を間違える」と言えそうです。

△ △ △

ふたたび本庄です。


辞書で調べたところ、「インスピレーション」(inspiration)の語源は、「息を吹きかける」、「息を吹き込む」を意味するラテン語の「インスピラーレ」(inspirare)でした。


そこで思い出したことがひとつあります。


この図は『16世紀と17世紀のバラ十字会員の秘密の象徴』という本の挿絵のひとつです。


ヘルメス哲学(錬金術哲学)についての説明図で、右上の天使(?)が、ヒマワリのように見える花に息を吹きかけています。



この図については、私もまだ研究中なのですが、いずれこのメルマガでお話をさせていただきたいと考えています。


以前、話題にしましたが、この本にはエメラルド・タブレットの図も掲載されています。


参考記事:『エメラルド・タブレットとは』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M798097&c=3304&d=ed84



下記は前回の渡辺さんの文章です。

『ゼロと無』(数とは何か?その6)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M798098&c=3304&d=ed84



それでは、今日はこの辺りで。

またお付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

黄色い花が咲いていました。オトギリソウ属のビヨウヤナギのようです。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M798099&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする