久し振りの雨

2021年01月22日 18時33分11秒 | 自然

 今朝の果物はちょっと豪華です

昨日、お買い物に行きましたので。

あたご梨はなかったので今日で終わりですが、ディスカウントされていた果物もあって、今日が一番豪華

柿もメロンも、そして、いちごも~

母が電話で今日も「果物が食べたいわあ、毎日食べていたから」と言っていました

転院したら差し入れが出来ると思います。

でも、昨日から固形食になって(と言ってもまだかなりやわらかいそうですが)、お番茶が出るようになったそうです。

それが唯一の憩いとなっていると言っていました。

良かった~

今日は雨の合間にウォーキングに行っている時に2度目の電話があり、話しながら歩きましたので、15周も歩きました。

(今日も1万歩超え

 

 教会

公園のそばの目標にしている畑

小さいですが充実しています

 

 

 今日はウォーキングに出る前の1回目の電話の時に、町内のお友達に連絡をしたいと言いましたので、段取りをしました。

その方もスマホに変えられて2ヶ月だそうで、私がかけた電話が取れるかと心配しながら取ってみたと言われていました。

そして、母がスマホ操作にもっと慣れていませんので、かけて下さいました。

それで、思い出して、母の小学校からの友人2人にも電話で母を励まして頂こうと思い、お電話をしました。

お友達の方も今まで何度かお電話をして下さっていたようでしたが、母が出ないので心配して下さっていました。

母は取る方法がいまいちよくわからないようです。

その後、その方々のお一人から何度かけても「只今出ることが出来ません」になると言うことで、病院の方へ連絡し、母に電話に出るように伝えて頂きました。

上手くいっていればいいのですが。。。

と思っていましたら、10分後くらいにご丁寧にお電話があり「お話が出来て本当に良かったわぁ~。元気そうで安心しましたよ。また、電話をさせてもらいますね。退院したら会いに行きますから」

有難いお言葉です。

小学校からの友人ですからすごいですよね。

しかも2人も。

皆が今年96歳になります。

母以外のお二人は健康です。

お一人はご長男さん?の家族と暮らされており、いまだに畑仕事をしたりお味噌を作ったりされていますし(我が家も頂きました)、もうお一人はご主人亡きあと独りで住んでおられますが、姪御さんが度々いらしているようです。

我が家にお二人がいらしてもうどの位経つでしょうか。

コロナで昨年は会えていませんので、一昨年になります。

ともあれ、良かったです。

母も喜んだことと思います。

 

 

 今日からしばらく雨が続くようです。

気温も高くなり過ごしやすくはなりますが、この大寒の一番寒い時期に今年は暖かいです。

今日の最高気温は9.7℃、最低気温は6.3℃でした。

 

 

 今日は雨ではありますし、バラ十字会のお勉強をしたり、読書をしたりしながら過ごしました。

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

(1月21日)

人の成長のために
働かないかぎり、
自ら成長することはない

――――――――――
ドラッカー(マネジメントの父)

 


(1月22日)

人のために
何かができることの
ありがたさを知った
人間は、
そこから幸せを
見つけられます

――――――――――
塩見志満子
(知的障碍者施設「のらねこ学かん」代表)
『1日1話、読めば心が熱くなる
365人の仕事の教科書』より
――――――――――

…………本書より全文抜粋……………

「どこまで人を許せるか」

 塩見志満子(のらねこ学かん代表)
……………………………………………

長男が白血病のために
小学二年生で亡くなりましたので、
四人兄弟姉妹の末っ子の二男が
三年生になった時、私たちは

「ああこの子は大丈夫じゃ。
お兄ちゃんのように死んだりはしない」

と喜んでいたんです。

ところが、その二男もその年の夏に
プールの時間に沈んで亡くなってしまった。

長男が亡くなって八年後の同じ七月でした。

近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。

子供たちが集まってきて

「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。

「どうしたんや」と聞いたら十分の休み時間に
誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、
沈んでしまったと話してくれました。

母親は馬鹿ですね。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、
 学校も友達も絶対に許さんぞ」

という怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら
駆けつけてきました。

そして、私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。


「これは辛く悲しいことや。

 だけど見方を変えてみろ。

 犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
 過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、
 という罪を背負って生きてかないかん。

 わしらは死んだ子をいつかは
 忘れることがあるけん、
 わしら二人が我慢しようや。

 うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
 校医の先生に心臓麻痺で死んだという
 診断書さえ書いてもろうたら、
 学校も友達も許してやれるやないか。
 そうしようや。そうしようや」


私はビックリしてしもうて、
この人は何を言うんやろかと。

だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も……。
 
こんな時、男性は強いと思いましたね。

でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。

争うてお金をもろうたり、
裁判して勝ってそれが何になる……。

許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の七月二日に墓前に
花がない年が一年もないんです。

三十年も前の話なのに、
毎年友達が花を手向けてタワシで
墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえてもこんな優しい人を
育てることはできなかった。
そういう人が生活する町にはできなかった。

心からそう思います。

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

(1月8日)

最新号の表紙を飾っていただいたのは、
7,000人の小児の命を救った
小児外科医の高橋幸宏さんです。

その高橋さんの切望によって実現したのが、
円覚寺派管長の横田南嶺老子との対談でした。

一つの道を一心に歩まれてきたお二人の話には、
人生の真理がちりばめられています。

      ──────

【横田】
私は35歳の時に師家と言って
老師と呼ばれる立場になりました。

これは年を取っている人という意味ではなく、
指導者のことをいいまして、
臨済宗ではおよそ1,000何百ある禅問答を
すべて透過することが、
老師に認められる第一条件なんです。

普通は50歳くらいでなる方が多いんですけど、
ただ私は13歳の時から修行していましたから、
そこから数えるとやはり20年間かかっているわけです。

【高橋】
13歳から修行を。

【横田】
はい。13歳で自分はこの道を行くんだと思い定めました。

そのために必要なものは何であるのか、
必要でないものは何であるのかということを考え、
漢文を学んだり、漢詩をつくったり、
書やお茶の稽古をしたり、禅問答に挑んだり、
全部自分で決めてやっていました。

それ以外のことはもうしないと。

学生時代、母親からせめて
車の免許くらい取ってくれと言われまして、
師匠に車の免許を取っていいですかと聞いたら、
「そんなものは必要ない」って言うんですよ。

どうしてですかと聞いたら、
「修行すれば車が迎えに来る」と(笑)。

【高橋】
いやぁ深い教えですね。

(中略)

【横田】
自動車学校に行く暇もないくらいに
いまは自分の修行に打ち込め、
それでないとものにならないぞという
師匠の思いだったのだろうと受け止めております。

人間の能力というのはある程度
限られていると思いますから、
若いうちにあまりいろいろなことに手を出すと、
結局分散してしまうように思うんです。

やっぱり一つのことに全身全霊を以て打ち込む。

これが重要ではないでしょうか。

 

 

(1月21日)

大きなことをするのではなく、
人に思いやりを持つ人は
神仏が大きな目で見ている
    一燈園創始者・西田天香

はかない人生を送ってはならない。
切に生きよ。
    道元

どんな人と一緒になっても、
どんなことに出くわしても
つぶされない人格をつくり、
幸せに楽しくいられるような人になりたい
    ハガキ道伝道者・坂田道信

成功は常に苦心の日に在り。
敗事(はいじ)は多く得意の時に
因ることを覚るべし。
    安岡正篤

 

 


★致知一日一言 【今日の言葉+α】

 

(1月21日)

・・・・・・・・・・・・・

さて、『致知』は今年の9月で創刊43周年を迎える。
この間人間学をテーマとする編集方針を貫いてきた。
人間学とは平たく言えば、
人間力、人格を高める学びのことである。

「人間学が盛んにならなければ本当の文化は起こらない。
 民族も国家も栄えない。これは歴史的真理」

と安岡師は述べているが、
その人間学を学ぶ者が心掛けなければならないものとして、
師はこの言葉を挙げている。

「自靖自献――自ら靖んじ自ら献ずる」

古典の名著『書経』にある言葉である。

膨大な『書経』の中から碩学はこの言葉を抽出し、
人間学を学ぶ者の要とした。


自ら靖んずるとは心の平安を保つこと、
安心立命することである。
自ら献ずるとは世のため人のために自らを尽くすことである。

自靖自献は一対だが、
ポイントは自靖にある。
自ら靖んじていない人――事あるごとにイライラしたり
不平を言ったり人と衝突ばかりしている人が、
人のために尽くすことなどできるはずがない。

だが、自靖しているだけで自献しない人、
自献できない人は人ではない。
動物にも劣ると安岡師は喝破している。

自靖自献を一貫できて初めて人間学を学んだと言える、
ということである。

 

 

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 

(1月21日)

物質世界において子が親を思う愛がそれほどのものであるならば、なおのこと、天の父の表される愛はどれほど大なるものであることか!
If the filial love is shown in the MATERIAL world in such a manner, how much GREATER must be that love expressed by the Father in Heaven!
(136-33)

 

 

★毎週金曜日の夕方配信のバラ十字会のメルマガ

ご興味のおありの方もいらっしゃるようですので、貼り付けておきます。

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こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M756387&c=3304&d=ed84

━…………………━


寒さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。


今週末は東京でも雪が予報されているようです。



当会のフランス代表は自身のブログに公開書簡(公開のお手紙)というシリーズの文章をいくつか投稿しています。

たとえば以前ご紹介した下記の手紙もそのひとつです。


参考記事:『動物のみなさんへのお手紙』

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M756388&c=3304&d=ed84



今回は、『愛へのお手紙』というやはり奇妙な題の文章を翻訳しました。

長文ですので3回に分けてご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:「愛へのお手紙」(その1)

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン



「愛は、あらゆる場所にある、最も凄まじく、最も謎めいた宇宙のエネルギーです。」

テイヤール・ド・シャルダン(1881-1955)



幸せで心豊かな生活を送るためには、愛し愛されることが誰にとっても必要です。

その理由は、私たちが客観的にはそう感じていないとしても、愛が命と分かちがたく結びついているからでしょう。


愛は、この地球の鉱物界、植物界、動物界、人間界のすべてに表れています。

時として私たちは見過ごしてしまいますが、愛は自然界の命運を支配している力であり、愛によって、世界の活動、宇宙全体の進化の継続が保たれています。


ですから愛に宛てて公開書簡を書くことは、愛というものを称賛する最良の方法のように私には思えますし、そうすることで実はこの手紙は、私たち自身に宛てたものになることでしょう。



多くの人類学者と言語学者によれば、「愛」は、極めて古くから話され書かれてきた言葉であるだけでなく、ほとんどの時代、言語、国で最も広く用いられてきた言葉のひとつにあたります。

その理由は愛というものが、人間が近しい人に感じた最も初期の感情だからでしょう。


人間の脳の発達は、愛という感情によって加速されたと多くの科学者が考えています。

しかし、愛という感情が生じる脳の領域は、一度も明らかにされたことがありません。


バラ十字哲学の立場から言うと、愛の源は、ソウル(soul:魂)という人間の非物資的な本質です。


ソクラテスは愛のことを人間の最高の徳だと見なし、人間の中の最も貴い要素だと考えました。

彼の弟子であるプラトンは愛のことを、遅かれ早かれすべての人を、真実と善と美に駆り立てる欲求であると見なしました。



ソクラテスとプラトンについて述べましたが、古代ギリシャ哲学では、エロス(Eros)、フィリア(Philia)、アガペー(Agape)という3種類の愛があるとされていたのは興味深いことです。


エロスは物質的で性的な愛にあたります。

フィリアは心理的で感情的な愛のことを指します。

アガペーは精神的で普遍的な愛に相当します。


この3つの愛は、矛盾するものでも対立するものでも他を排除するものでもありませんが、古代ギリシャの哲学者の大部分はアガペーのことを最も高級で称賛されるべき愛だと考え、それは魂自体から発せられ、物質世界を超越していると考えました。


その結果、一神教、特にキリスト教は、アガペーのことを神の愛であるとしました。

そしてアガペーという愛において神は人間を愛しており、人間は神をアガペーによって愛さなければならないと定めました。


そうなのでしょうか?

この問いに対する答えは、それぞれの人にまかされている事柄でしょう。



神秘学(mysticism:神秘哲学)の考え方では、愛は感情以上のものであり、魂自体から生じるものではあるけれども、それは同時に、自然界、宇宙、心の世界に同時に働いている普遍的な法則のひとつにあたります。


自然界においては、鉱物の世界にも愛という法則が表れています。

すべての物質は原子からできており、原子が結びついて分子を形成しています。

そして分子が結びついて、さらに複雑で大きな構造が作られています。


この結びつきは、無生物にいわゆる「引き寄せの法則」(the law of attraction)が働いた結果です。

このことを原始的な愛だと言うことはできないでしょうか。


もちろん、原子や分子は意図的、意識的に結合するわけではなく、物理的、化学的なプロセスから生じる力によって結合します。


しかし、この力によってある物が他の物を引きつけ、小さな砂粒から大きな山まで、地球上のすべてのものが形成されているということは事実です。



植物の世界では、「引き寄せの法則」はさらに明らかであり、それを観察することはあまり難しくありません。

植物の繁殖は、雄性の細胞と雌性の細胞が結合することで起こり、この結合には有性生殖である場合と無性生殖である場合があります。


この場合もまた結合のプロセスは、ア・プリオリ(生得的)に、つまりそれらの細胞の意志とは無関係に、その細胞の意識から独立して起こります。

ここで私がア・プリオリという言葉を用いたのは、植物はその種類によって複雑さはさまざまですが、ある種の意識を持つということが現在では科学界で認められているからです。


木々がさまざまな目的のために互いにコミュニケーションを取ったり、動物の捕食者から自分を守ったり、さまざまな状況で互いに助け合ったり、成長のために有益な情報を交換したりするということが、多くの文書や録画資料によって示されています。


いくつかの種類の植物は、人間が発する感情や楽器の発する音を感じることができることさえ立証されています。



動物の世界において「引き寄せの法則」は、生殖の基礎になっている精子と卵子の結合だけに表れているのではありません。

それはまた、オスがメスに近づいたり、メスがオスに近づいたりすることを促す影響力として表れています。


この影響力は明らかに、性的な衝動という性質だけなく、愛という言葉をあえて用いないとしても、感情的な欲求という性質を持ちます。

明らかに動物は愛を感じますし高等動物はなおさらであり、つがいの相手にも自分の子にも、同属の個体にも人間にも愛を感じます。


このことを確信するためには、ゾウやイルカやミーアキャットなどの群れに見られる社会的な結びつきや、飼い犬や飼い猫が私たちに示す愛情のことを思い起こすだけで十分です。



さらに、野生動物や家畜が思いやりを感じ、互いに助け合うことも知られています。

インターネットにはこのことをまとめたさまざまなサイトがありますので、「助け合い、動物」という語で検索して動画を見ると、間違いなく深く心を動かされることと思います。


(その2に続く)



著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。


補足しておいた方が良いと思うことがひとつあります。


この文章の中には「引き寄せの法則」(the law of attraction)という言葉が登場しました。


かつて良く売れた『ザ・シークレット』などの本により、「引き寄せの法則」という言葉はとても有名になりました。


それは、ポジティブな思考をするとポジティブなできごとが自分に引き寄せられ、ネガティブな思考をするとネガティブなできごとが自分に引き寄せられるという考え方です。



しかし、今回の文章を注意深く読んだ皆さんは、有名になったこの『引き寄せの法則』と、セルジュ・ツーサンが語っていた法則が違っていることにお気づきになったことと思います。


バラ十字哲学や他の伝統的な神秘学(mysticism:神秘哲学)では、「引き寄せの法則」とは異なる性質のものが引き寄せられることを指します。

磁石のS極とN極、電気のプラスとマイナスなどです。



もちろん、思考や発言や行動をポジティブに保つのは望ましいことで、確かにそのことによって、後にポジティブなできごとが起こることが多いのですが、バラ十字哲学の考え方では、それはポジティブなものとポジティブなものの間に「引き寄せの法則」が働いたことが理由ではありません。


当会の通信講座で学ばれている方は、「思念体」などの用語と「カルマの法則」のことを思い起こされることでしょう。



下記は前回のセルジュ・ツーサンの記事です。

記事:『ルーモア(うわさ)について』

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M756389&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。


また、よろしくお付き合いください(^^)/~


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■編集後記

ハイビスカスの若葉が出てきました。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M756390&c=3304&d=ed84

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コメント (8)
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