表情豊かな今朝の空&山椒&小林麻央さん

2020年10月06日 20時52分00秒 | 精神世界
 今朝の空

今朝の気温は手元の📱スマホで13℃。
寒かったのでパーカーを羽織ってお散歩に出掛けました。
☁雲の様子から今日は朝焼けが綺麗に違いないと思っていましたら、本当に綺麗でした。

5時24分








段々と明けゆく空



















実際はもっとオレンジ色が濃くてあたり中が染まっていてとても綺麗で神々しかったです。

北東方面の☁雲が変わっていました。

























西の空の☁雲
何だかすごい😳

























北の空の☁雲😳














今朝も空を見飽きませんでしたので10周歩きました。


🏘我が家のお花






他にも咲いていますが、花びらが傷んで茶色になっています😢


 今日は9時半から30分、ヘルパーさんが来て下さり、その後、ドクターが往診に来て下さいました。
当分、朝晩、吸入した方がいいと言われました。
また、ひどい喘息が起こった場合の吸入も出して下さいました。
上手く吸えないだろうからと言われ、吸入器の補助ようなものも出して下さいました。

 ちょうどドクターと同時に荷物が届きました。
ドクターが「荷物が届いたみたいよー」と😅
このブログで知り合った県北の方が、私が山椒が枯れたと書いていたのを読まれて、送って来て下さったのです。
彼女は私のブログに初めてコメントを下さった方でもあります。
今のこのブログは4年くらいになります。
(その前にも働いていた頃から長く書いていたブログがありますが閉じました。)
ブログは自分の覚えの為に細々とひっそりと書いていましたので、どのようにして見つけられたのかわかりません。
当時は他の方のブログを拝見すると言うことも思い浮かびませんでした。
この方とは今ではフェイスブックでご主人とも繋がり、こうして折りに触れて、「まごころ便」を送って来て下さいます。






私は今まで何回か山椒を枯らしたことがありますので、折角送って下さったものを枯らさないか少々不安です💦



どこに植えようか、2本を離して植えた方がいいかしらとあれこれ悩みましたが、母が一番日当たりがいい🌹バラの所がいいのではないかと言いましたのでそこに植えました。

 
 それから昼食後、生協さんが来たりしてバタバタしていましたが、母もベッドに入りましたので、「さあー、本を読もう」とソファに座った途端に臨床心理士で退職後友人になったKちゃんが「届けたいものがあるから、ちょっと寄るわー」



何でも、有名で彼女が一番美味しいと思っているパン屋
さんの何周年かの記念のチョコクロワッサンで、何とかと言うバターを100%使っているとか。
お店の名前もバターの名前も横文字なので覚えられない💦

昨日も別のKちゃんが彼女が一番美味しいと言う「銀座 にしかわ」の🍞食パンをくれましたし、2日に渡って美味しいパンを頂きました🤗
明日はこれまた高校時代からの友人のKちゃんとお出かけします。
皆、同じ名前で、しかも同じ漢字です。
年は3人共違いますが、同じ名前の友人が3人もいるなんて珍しい😃

 ところで、💻パソコンに下書き保存していた記事を発見しました。
多分、感動してアップしようとして時期を逸したのだと思います。
9月7日の日付でした。


小林麻央さん、BBCに寄稿「色どり豊かな人生」'My life has been rich and colourful'

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。
「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。
けれど、そんなに簡単ではありませんでした。
今も、私の身体は、がんと共にあります。
私は、テレビに出る仕事をしていました。
病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。
なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。
隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。
1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、
緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。
「がんの陰に隠れないで!」
私は気がつきました。
元の自分に戻りたいと思っていながら、
私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とは
かけ離れた自分になってしまっていたことに。
何かの罰で病気になったわけでもないのに、
私は自分自身を責め、それまでと同じように
生活できないことに、「失格」の烙印を押し、
苦しみの陰に隠れ続けていたのです。
それまで私は、全て自分が手をかけないと
気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと
強くこだわっていました。
それが私の理想の母親像でした。
けれど、
病気になって、
全て全てどころか、
全くできなくなり、
終いには、入院生活で、
子供たちと完全に離れてしまいました。
自分の心身を苦しめたまでの
こだわりは
失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のある
こだわり(理想)ではなかったことに
気づきました。
そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、
私を妻として、母として、以前と同じく、
認め、信じ、愛してくれていました。
私は、そんな家族のために、
誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。
私は、闘病をBlogで公表し、
自ら、日向に出る決心をしました。
すると、たくさんの方が共感し、
私のために祈ってくれました。
そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、
(コメント欄を通して)
教えてくれました。
私が怖れていた世界は、優しさと愛に
溢れていました。
今、100万人以上の読者の方と繋がっています。
人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、
与えられた時間を、病気の色だけに
支配されることは、やめました。
なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38073955


Two years ago, when I was 32, I was diagnosed with breast cancer. My daughter was three, my son was only one. I thought: "It'll be OK because I can go back to being how I was before once the cancer is treated and cured." But it wasn't that easy and I still have cancer in my body.

For a long time I hid the disease. Because my job involved appearing on TV I was scared about being associated with illness or showing people my weaknesses. I would try to avoid being seen on the way to hospital appointments and I stopped communicating with people so as not to be found out.

But while wanting to go back to who I was before, I was actually moving more and more towards the shadows, becoming far removed from the person I wanted to be. After living like that for 20 months, my palliative treatment doctor said something that changed my mind.

"Don't hide behind cancer," she said, and I realised what had happened. I was using it as an excuse not to live any more.

I had been blaming myself and thinking of myself as a "failure" for not being able to live as I had before. I was hiding behind my pain.

Until that time I had been obsessed with being involved in every part of domestic life because that was how my own mother always behaved. But as I got ill, I couldn't do anything, let alone everything, and in the end, as I was hospitalised, I had to leave my children.

When I was forced to let go of this obsession to be the perfect mother - which used to torture me, body and soul - I realised it had not been worth all the sacrifice I had made.
My family - even though I couldn't cook for them or drop them off and pick them up at the kindergarten - still accepted me, believed in me and loved me, just like they always had done, as a wife and a mother.

So I decided to step out into the sunlight and write a blog, called Kokoro, about my battle with cancer, and when I did that, many people empathised with me and prayed for me.
And they told me, through their comments, of their life experiences, how they faced and overcame their own hardships. It turned out that the world I was so scared of was full of warmth and love and I am now connected with more than one million readers.

If I died now, what would people think? "Poor thing, she was only 34"? "What a pity, leaving two young children"? I don't want people to think of me like that, because my illness isn't what defines my life.

My life has been rich and colourful - I've achieved dreams, sometimes clawed my way through, and I met the love of my life. I've been blessed with two precious children. My family has loved me and I've loved them.

So I've decided not to allow the time I've been given be overshadowed entirely by disease. I will be who I want to be.

Translation by Mariko Oi

https://www.bbc.com/news/magazine-37861457


コメント (6)
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