【岡山おせっかいプロジェクト】&'ICU Grandpa'&ナンシー&映画『私は告白する(原題:I Confess )』

2022年05月18日 23時24分18秒 | ボランティア

 今日は久々に晴れました。

気温は27.4℃。

お布団を干し洗濯物も沢山しました。

 

 

 紫陽花がやはり朝には少し元気になっていました。

雲一つない青空

 

教会へ

 

 

少し靄がかかっていたのでしょうか

 

やっぱり、ママ友ガーデンへ。

 

朝の光が射してとても綺麗でした。

 

 

 

「今日美人さん達」

しっかり目が合っていまいます

 

 

実物はもっと綺麗です

 

 

 

 

 

我が家のヴィオラ

もうそろそろ抜いてしまう時期が来ました。

 

 

 

 

 

今朝の収穫品。

エンドウやレタスも抜いてしまいました。

 

 

 今朝の果物

 

 今日は10時から“抱っこから始めるボランティア”一ぐるーんと岡山おせっかいプロジェクトのZoomミーティングがありました。

実は2月にぐる~んサポーターに登録していました。

きっかけは「赤ちゃんを抱っこした~い」という気持ちと育児と介護は重なる部分が多く、私もちょっとお買い物に行きたい時とか母を見ていてくれたら助かると思うことが多いのですが、ご近所の若いママさん達を見るにつけて、空き時間を利用してきっと私で何か手助け出来ることがあるのではないかと常々思っていたからです。

少し前にも書きましたが、外国の方々へのホームステイやホームヴィジットも受けてきましたが、育児院の子供達の一時里親も何人か受けてきました。

一時里親とは休暇期間などに親が居ない子供達、あるいは居ても一緒に暮らせない子供達と一緒に過ごすことです。

我が家の子供達はこのような子供達と一緒に育ってきました。

(ホスピスで亡くなったお母さんに頼まれた双子のお嬢さんとは別です)

これらの活動からしばらく離れていたのですが、定期的に長い期間、預かることは今は出来ませんが、又、何らかの関わりは持てるのではないかと思っていました。

又、若い頃から乳児院や障害者者施設へもお手伝いに行ったりもしていました。

(これは個人的に行っていました。)

何のきっかけで「ぐる~ん」を知ったか忘れましたが・・・そうそう、朝日新聞でした。

それで連絡をさせて頂いた次第ですが、その後、バタバタとしていてそのままになっていました。

昨晩、Facebookを見ていたところ、飛び入り参加OKのZoomミーティングがあることを知りました。

 

【岡山おせっかいプロジェクト】“小さなおせっかい”から始まる、みんなで子どもを育てる社会へ『ショートフィルム』

 

 

「ぐる~ん」の活動

https://jammin.co.jp/charity_list/201005-gruun/?fbclid=IwAR30ESX4txJ6Jk9IzB9LfwYlBmlr2ClAZUk470HGTts0SEMCdn_IIJn81VI

 

 

 

ご存じの方も多いかと思いますが、アメリカのジョージア州アトランタにある小児病院「Children’s Healthcare of Atlanta」で、14年にわたり集中治療室の新生児に愛情を注ぎ、抱っこするボランティアを続けていた男性です。

がん闘病の末、昨年4月14日に86歳で旅立たれました。

 

David Deutchman, known as the 'ICU Grandpa,' comforts sick children

 

 

岡山県中央地区里親会会長 延藤さんの応援文!

岡山県中央地区里親会会長 日本キリスト教団和気教会牧師 延藤好英さん

だっこボランティアの「ぐる~ん」さんのことを聞いて、わたしは一人の女の子のことを思い出しました。この話は、鈴木秀子さんが『生の幸い、命の煌(きらめ)き』(中央公論社)という著書の中で紹介して下さっています。 その子の名前はナンシー。アメリカのある小児病棟に入院していた3歳の女の子です。ナンシーは小さく、痩せていて、体は生後一ヶ月半程度しかありませんでした。あちこち検査をしてみましたが、特に病気はありませんでした。病院側はあらゆる手段を講じましたが、ナンシーは少しも成長せず、声を出す元気すらありませんでした。 入院して三ヶ月経ったころ、看護士の一人が主治医に「ナンシーの家族が一度も面会に来ていません」と告げました。ナンシーの両親に呼び出しをかけましたが、両親は姿を見せませんでした。とうとう、主治医がナンシーの両親を訪ねました。両親はいましたが、自分たちの勉強で忙しく、母親は「あの子は必要なかった」「こんな忙しいときに生まれて来たやっかいな存在なんです」と言いました。父親はパソコンの画面から目を離すこともありませんでした。 次の日、主治医はナンシーをベッドごと、『陽当たりのいい、人の行き交う廊下に移しました。そして、その上に大きな張り紙をしました。それにはこう書かれていました。 「わたしはナンシーです。あなたがここを通る時、もし急いでいるならば、『ナンシー』と呼んでほほ笑みかけてください。もし、あなたに少しの時間があるならば、立ち止まって、『ナンシー』と呼びかけ、わたしを抱き上げ、あやしてください。もし、あなたに十分なゆとりがあるならば、『ナンシー』と呼んで、わたしを抱き上げ、ほおずりしてあなたの胸と腕の温かさをわたしに伝えてください。そしてわたしと会話してください。」 さっそく、ベッドの脇を通りかかる医師、看護士、他の患者がそれを実行しました。ある人は通りすがりに、名前を呼んで、にっこりとほほ笑みかけ、ある人は立ち止まって、ほおずりをしました。ゆっくり時間をとって、優しい言葉で、あたたかい心を伝える人もいました。 そうして、三ヶ月たったころ、ナンシーの体重は、正常な三歳児にほぼ近づき、バラ色に輝く頬には、可愛い笑顔が浮かぶようになりました。言葉も急速に覚えはじめました。

自分の名前を呼んでもらうこと、ほほ笑んでもらうこと、だっこしてもらうこと、優しく語りかけてもらうこと、それらはその子の心に愛を注ぎ、愛を満たしていきます。「そんな人がいてくれたらいいな」と淋しい子どもたちは願っていることでしょう。「そんなふうにしてあげたらいいな」と思う大人もいるでしょう。でも実際に自分がその子のもとに出向いていかなければその人の優しさはその子に届かないでしょう。

「ぐる~ん」さんは、その子のもとに行きます。その子を訪ね、そのこの名を呼び、その子にほほ笑みかけ、その子をだっこしてぬくもりを伝え、その子に優しく語りかけます。本当にすばらしいお働きだと思います。 

Chairman of Foster Parents Association (Chuo District of Okayama Pref.)

When I heard of "Gruun" (Dacco volunteer group), I thought of a girl coming to my mind. This episode is introduced in a book named "Happiness of Life--Brilliance of Life" (Chuo-Koron-Sha) by author Hideko Suzuki. The girl's name is Nancy. The girl was three years old hospitalized in pediatric ward of a hospital in the United States. Nancy was small and skinny. The size of her body was like a baby of one month and half after birth even when she was three years old. There weren't any specific diseases found. Even though the hospital went through all the necessary medical measures they could think of, Nancy didn't grow at all, and wasn't good enough to even give a voice or two.

After her three-month hospitalization, a nurse told the physician in charge that any of Nancy's family members have never visited her. Nancy's parents were called upon, but they never appeared. Finally, the physician in charge visited her parents.

The parents were there to see, but they were busy in their study. Her mother responded that "She wasn't needed by us".... "She was born in such a busy time, and her existence is so annoying to us". Her father never turned his eyes away from his computer screen.

Next day, the physician moved Nancy and her bed/etc. en masse to sunny side of corridor in the hospital, where people walk by. On the corridor wall, he put a big sign of paper. The paper was written like this.---I am Nancy, if you are in a hurry when you walk by my side, why don't you call me Nancy, and toss your smile for me...If you have some little time, stop by to call me Nancy and hold me up...and amuse me.....If you do have extra time to spare time with me, then call me Nacy and hold me up...and  nestle your face to mine, then give me the warmth coming through your chest and arms....Speak to me and have chat with me.

Soon, physicians, nurses and patients put this into practice when they walk by the bedside. Some called her name and gave her a smile. Some stopped by and nestled. Some took time to give her kind words showing their warm heart.

After lapse of  three months, Nancy's weight came almost closer to what infants of 3 years old weigh and she started to show her cute smiling face with rosy-colored cheek. she increased numbers of her words rapidly.  That particular child became infused and filled with love because she was called by her name, while she was smiled by and cuddled/hugged (dacco) by people,and received gentle words from them.

Pathetic children may always long for people wondering "If only there are such nice people out there". Some people may think "It would be great if we can do that for them"...But, if we weren't there by actually visiting them in person, our gentlleness would never reached them. Gruun people, however, make a visit to the children there. They speak to them gently. I feel what Gruun does is truly a wonderful work of love.....

 

このナンシーのお話はシスター鈴木秀子さんが「生の幸い、命の煌き」だけではなく、『鈴木 秀子 監修 / 日本エニアグラム学会 編 「自分探しの本」(春秋社)』にも書かれています。

 

わたしはナンシー

 ナンシーは三歳児でしたが、病院に連れてこられた当時は、生後一歳の体重・身長しかありませんでした。しかし、診察してもどこにも異常はないのです。それから三か月経ってもあまり成長しません。不審に思った医師が、看護婦にいろいろ聞いてみると、入院以来「両親が一度も会いに来ていない」ということが分かりました。
 そこで医師が両親を訪ねてみますと、若い夫婦は二人とも大学の研究生で、一流大学の博士論文に取り組んでいる最中でした。そして、辛く悲しいことだが、子供に会いに行く時間がない状態だというのです。エリートにとって激烈な競争社会のアメリカでは、この博士論文が通るか否かは、二人の将来を決する重大な事なのです。黙って戻った医師は、ナンシーを病院で最も人の出入りの頻繁な廊下にベッドを置いて寝かせました。そして次のような貼り紙をしたのです。
 「わたしはナンシーです。そばを通る人で時間のある人はわたしを抱きしめ、ほおずりをしてください。そして<ナンシー>と呼んでください。時間の足りない人は、せめて立ち止まって、<ナンシー>と呼びかけてください。本当に時間がなくて急いでいる人は、走りながら微笑みを投げかけてください。」
 通りがかりの医師、看護婦、職員、外来の人たちがこれに協力しました。それから三か月、ナンシーは標準の体重・身長を取り戻したのです。

 心をかけられ、愛情で包んで育ててくれないと、赤ちゃんは人間として成長しないのです。私たちは、いってみれば、ひとりひとりがこのナンシーなのです。

 

大河の一滴、一隅を照らす。

小さなことしか出来ませんが、何か出来たらいいなと思っています。

 

 

 

 

 午後からBSで1時から放映されていました。

殺人事件と書いてありましたので、観るつもりはなかったのですが、神父様は信徒から告解されたことをたとえ殺されたとしても他言することは許されていません。

その問題が書かれてありましたので、ついつい観てしまいました。

意外な方向への話が行き、ハラハラドキドキ。

 

私は告白する(原題:I Confess )

 

 

 

 

 夕方、お花にお水を遣っている時に母から電話が何回か掛かってきていました。

お散歩をしながら待っていましたが、7時30分近くになっても掛かって来ませんでしたので、お水遣りを始めました。

水遣りには30分少々はどうしても掛かってしまいます。

母は「歩けない」と言い、明日は車椅子で帰ると何だかあれこれ気弱な声で気弱なことを言っていました。

そこへスタッフの方がいらしたので、母の様子をお聞きしてみますと「とんでもない。以前と変わりませんよ」

明日、午後3時前、4月22日に救急車で入院して以来、約4週間振りに母が帰ってきます。

本人は食べられないし寝たきりだと言っていましたが。。。

でも、ドクターも「母が大人しくしているとは思えない」と言われていましたし、一体、どんな感じで帰ってくるのでしょうか。

「3時に待っているからね」と言って電話を切りました。

楽しみです

 

 

 

 

 

今日の言葉は何度かブログでも紹介した言葉です。

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

○○に気をつけなさい――マザー・テレサの言葉

 

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。

━━━━━━━━━━
マザー・テレサ(修道女)
━━━━━━━━━━

2016年8月号「思いを伝承する」より、
マザー・テレサの言葉をご紹介しました。

この言葉を原動力とされているのが、
全国から注目を集める女子進学校である
中村中学校、高等学校第10代校長の
梅沢辰也氏です。
インタビューの一部を公開します。


「校長として私の思いをどうやって
生徒に伝えればよいかと
本を読み漁るうちに出逢ったのが、
マザー・テレサでした。

この中で私が一番強調したいのが、
『言葉に気をつけなさい、
 それはいつか行動になるから』ですね。

言葉というのは普段何気なく
使っているものですが、
それだけに気をつけなければいけなくて、
特にマイナスな言葉は
極力使わないようにする。

マイナスな言葉というのは、
それを言った瞬間、
最初に傷つくのは
その言葉を発した本人です。

だからマイナスな言葉を使えば使うほど、
その人がダメになってしまう。

もちろん、その言葉を
聞かされる人にも影響を及ぼすので、
もっとぽかぽかした言葉を
多く使いたいものですね」

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 (5月17日分)

 

≪松下幸之助が愛した歴史ある神社≫

 

最新号の特集テーマは「伝承する」。

そのトップを飾る対談にご登場いただいたのは、
創建から実に2025年の歴史を刻んできた
三重県の「椿大神社(つばきおおかみやしろ)」
宮司・山本行恭さんです。

ご対談では、椿大神社の歴史を辿りつつ、
ご祭神・猿田彦大神に関するエピソードなど、
日本人の原点である神話の世界に
私たちを誘ってくれています。

本日はそんな椿大神社の
取り組みの一部をご紹介します。


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★インタビューの様子はこちらから

【山本】
この椿大神社は松下幸之助さんが
随分と目をかけてくださいましてね。

日本をこよなく愛した松下さんは
茶道を通して日本の文化を伝えるべく、
「鈴松庵」というお茶室を
庭園と共に寄進してくださいました。

そんなご縁で松下政経塾のことも学ばせてもらいまして、
政経塾には至らないけれども、私どもでは「椿自彊塾」
という研修会を18年前からやっています。


これは『易経』の

「天行は健なり。君子は以て自ら彊めて息まず」

の一節から名づけました。

全員が白の作務衣を着て、朝5時に起床し、
禊をして参道を掃除し、
国旗掲揚と国歌斉唱を行い、朝食をいただく。

それから講師の講話を聴いたり
教育勅語の臨書をしたり学びを進めていくんです。

皆、禊はもちろん掃除なんかしたことないですし、
会社の社長から行けと言われて来た人が多いので、
最初はやらされ意識ですよ。

「早く終われ」って感じで(笑)。

でも、そういう人が二泊三日の研修を通して感化され、
帰る時には見違えるほど顔つきが変わるんです。

泣いて帰った人もいます。

最後に私が言うのは、「明日から一日一つ、
これだけは絶対にやるということを決めて、
1年間やり通してごらんなさい。人間が変わるから」と。

中には最初、「ジョギングします」
って言う人もいますけど、
怪我や病氣をしても続けられることに絞らせます。

そうすると毎日できることは何か。
挨拶、掃除、履物を揃そろえる。

こういった当たり前のことなんです。

コメント (4)
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