素晴らしい思い出 Wonderful memories(サルタ Salta)②

2020年07月24日 21時11分42秒 | 思い出

 今朝の空

今朝は4時20分に目が覚めました。

曇っていたせいもありまだあたりは暗かったです。

しばらくして起き上がっていつものようにウォーキングへ。

風があり涼しかったので、10周歩きました。

 

4時59分

久し振りにママ友ガーデンへ。

解体工事

我が家のお花

今朝の朝日新聞より

「私たちはウイルスが存在しなければ、この世に生まれてくることすら出来ないのかもしれません」

普通は「不安」の基になるので良くないと言われるまだ起きていないことを想像することや思考することですが、「まだ起きていないことを想像し、思考する能力、そして、思考したことを他者と共有する能力があるということが、私には、僅かな希望に思えるのです。」と書いておられました。

今日も雨は止んでいましたが3時前には終わられていました。

今日は3軒目が解体され、残すはあと2軒のみになりました。

埃除けのシートも前の方は外され、後ろに移動されていました。

10時頃からでしたか、やっと雨が降り始めましたが、比較的短い間でした。

その後、夕方にも一時強く降り、すぐに止みました。

 

 

 

Wonderful memories(素晴らしい思い出)②

 

Mummy in Salta, Argentina

I went to Argentina eight years ago.
From Kansai International Airport, we took Qatar Airways via Doha and Sao Paulo to Buenos Aires, where we stayed overnight and then went to Salta by domestic flight.
Mainly, our family stayed in Salta.
Salta is a beautiful city, with a beautiful church, and the food from the Andes was plentiful and delicious.
Also, Salta has a museum called MAAM (Museo de Arqueologia de Alta Montana de Salta).
It seemed like the best tourist spot in Salta.
According to local relatives, three mummies seemed to been displayed one by one every month.
After having breakfast next to the museum, when I tried to visit it, none of my family tried to come along.
They said they had to calculate how much money they had left, also they were busy, didn't want to go, and so on.
Mummies were the mummies of children found in the Andes mountains.
They were sacrificed during the Incas.
They were taken to the snowy mountains, were drunk heavily, and left behind.
I was originally curious about anything, so I decided to go alone.
However, the inside of the museum was getting darker, the cooler was getting colder, including the lonely music of the Andes and even the sound of thunder.
They were effective enough to scare me.
Moreover, no one was there.
I wanted to turn back, but I couldn't do that either, so I dared to move forward.
The mummy was left alone in a dark room.
It was a girl mummy.
Her appearance was so real.
I was terrified and sorry for the children who were so scared and sacrificed, but after a quick glance I went out quickly.
Later, when I asked my family, they said they didn't go because they had been scared.
Oh, I see...
Ooh, is that so...
Later on, I found out that it was one of the "three major museums in the world that you should never go alone to", but at that time I didn't know and I went there alone.
One of the other two seems to be the Siriraj Corpse Museum in Thailand.

 

 

アルゼンチン・サルタのミイラ

私は8年前アルゼンチンに行きました。
関西国際空港からカタール航空で、ドーハ、サンパウロ経由で、ブエノスアイレスに着き、そこで一泊し、更に国内線でサルタに行きました。
私達家族は主にサルタに滞在しました。
サルタは美しい町で美しい教会があり、アンデスからの食べ物も豊富でとても美味しかったです。
サルタにはまたMAAM (Museo de Arqueologia de Alta Montana de Saltaサルタ高地考古学博物館)という博物館があります。
そこはサルタでは一番の観光スポットのようでした。
現地の親戚の話では三体のミイラが1ヶ月ごと一体ずつ分けて展示されるそうでした。
朝食を博物館の隣で取った後、行こうとしたところ家族の誰も行こうとしません。
彼らが言うにはお金の計算をしなくてはならない、忙しい、行きたくない等理由は様々でした。
ミイラはアンデスの山の中で見つかった子供達のミイラです。
彼らはインカの時代、生贄とされました。
雪山に連れて行かれ、濃いお酒を飲まされて、置き去りにされました。
私は元々何に対しても興味津々なので、一人で行くことにしました。
でも、その博物館の中は段々と暗くなり、クーラーも段々と寒くなり、アンデスの寂しい音楽やさらには雷の音までしてきました。
それらは私を怖がらせるのに十分でした。
しかも誰も居なくなりました。
私は引き返したく思いましたがそれも出来ませんでしたので、私は勇気を出して前に進みました。
ミイラは暗い部屋にポツンと置いてありました。
それは女の子のミイラで、彼女の外見はとてもリアルでした。
私はとても怖くなり犠牲になった子供達には失礼でかわいそうなことをしましたが、一瞬しっかり見ただけで急いで外に出ました。
後で、家族に聞いたら皆、怖かったので行かなかったそうです。
なんだ。。。
そうだったのか。。。
後で調べてわかったのですが、そこは「決して一人では行かない方がいい世界の三大博物館」のひとつでしたが、私は知らないで一人で入ったのでした。
他の2つのうち1つはタイのシリラート死体博物館のようです。

 

 

 今日の歌

 

風が吹く 汗ばむ体 通り抜け  両手広げて 愛しく抱きしめ

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素晴らしい思い出 Wonderful memories(ハワイHawaii)①

2020年07月23日 22時25分11秒 | 思い出

 今朝の空

昨夜も2回目が覚めたような・・・。

朝方、とても鮮明な夢を見ました。

私の潜在意識は表面意識とは違ってこうなのかしらと思うような夢でしたが、夢の中で抑圧された感情が解放された気がしました。

 

4時57分

先週の土日から大雨が降ると毎日のように予報で言われていますが、ほとんど降りません。

今朝は風が少しあり、気温の割には(最低気温が25℃)涼しく感じられいつもより多く歩きました。

ご近所のお嫁さんと何周か歩いたせいもあったと思います。

お嫁さん曰く、「危ないからしないで」と思っても自分の親なら言えるけれどもお姑さんに「出来るから」と言われたら何も言えない。

そう言われても放っておけないことが年を取るとわからないのかしらと言われていました。

帰って母にこの話をしたところ「いいお嫁さんだねえ」

と言うことは母は黙っていてほしいのかなと思ったりしましたが、母と娘、嫁と姑、いずれにしてもいろいろあるものです。

我が家のお花

今日の収穫

おくらも収穫しました。

 

 世の中4連休なのですね。

昨夜、ソフトバンクの帰りにゆうちょに寄ったところ、コロナの為7時までで営業終了で郵便物が出せませんでした。

そこで、今朝、再び行ってきました。

カンナを見ると小学校を思い出します。

帰って車を置いて再び我が家のお花を撮影

ついでに、解体工事も見に行ってきました。

日中の作業中に見るのは初めてです。

ちょうど4軒目の方のお引越し中でした。

お家は2軒目まで解体されていました。

 

 昨夕、出かけた帰りにスーパーで買った初桃。

20%引きでしたので買えました

 

 夕方の様子

工事は3時前には終わっていました。

 

 

★致 知一日一言  【今日の言葉】

7月23日

壁にぶち当たった時は良心に従う、
そしてこっちだと思うほうに飛び込んでみる。
選択が間違っていたら、
ごまかさずに間違いを認めて原点に立ち戻る。
人間の節はこれを繰り返すことでできる
━━━━━━━━━━━━━━
白石康次郎(海洋冒険家)

 

★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング

(7月23日)

あなたが感謝し、日々の喜びに対して讃美を捧げるなら、もっと多くの喜びが日々に増し加えられるでしょう。
As ye give thanks, give praise for the joys of each day - and you'll have more to add to thy joys daily.
(2072-13)

 

 

 

Wonderful memories(素晴らしい思い出)①


Third trip to Hawaii

When my daughter was in the sixth grade of medical school, she went to a hospital in Hawaii for a short period of training.
My daughter had to go to the hospital at 3 am, so I had a request from her to look after her, so I decided to go with her.
I had just quit my job at this time because of a traffic accident.
First, we spent about a week on the Big Island of Hawaii.
We rented a car and went around the island.
We also swam with dolphins and manta rays.
When swimming with dolphins together we had an eye contact.
Also , the sun-ray into the water was breathtaking.
At this time, I still interact with the owner's family of the inn we stayed at.
Then we returned to Oahu island.
My daughter's training lasted for two weeks.
Every day she got up at 2:30 and went to the hospital at 3 o'clock.
I woke up every morning at 2:00 and made two lunch boxes, for my daughter. One to eat after she arrives at the hospital and the other to eat before the medical examination.
After sending her out at 3 o'clock, every morning I went for a walk to the sea.
I also attended the mass in the church, strolled in the neighborhood, and went shopping.
I was also very interested in manicure and haircuts at the site.
They asked, "Why don't you do the manicure and haircut in Japan?", but I wanted to do it as if I were living there.
I was very happy to see the rainbow many times every day in Hawaii. I still have the photos of that time so I would love to upload them again if I have the opportunity.
I have been to Hawaii three times so far.
I want to live in an overseas city somewhere in the future, but it made me feel like staying in Hawaii.

 

 

ハワイへの3回目の旅

 

娘が医学部の6年生の時に、ハワイの病院に短期で研修に行きました。
娘は午前3時には病院に行かなくてはなりませんでしたので、私は彼女の身の回りの世話をする為に、彼女からのリクエストもあったので、一緒に行くことにしました。
私はこの時、交通事故の為にちょうど仕事を辞めたばかりでした。
まず、私達は約1週間をハワイ島で過ごしました。
車を借りて、島内を一周しました。
また、イルカやマンタと一緒に泳ぎました。
イルカと泳いだ時、目が合いました。
また、海の中に入る太陽の光線がとても美しかったです。
この時宿泊した宿のオーナー家族とは未だに交流があります。
それから、私達はオアフ島へ戻りました。
娘の研修は2週間でした。
毎日彼女は2時半に起き、3時には病院へ行きました。
私は毎朝2時に起き、2食分のお弁当を作りました。
彼女が病院に着いてから食べるお弁当と、診察が始まる前に食べるお弁当です。
彼女を3時に送り出した後、私は毎朝、海まで散歩に出掛けました。
また、教会のミサに参加したり、近所を散歩したり、ショッピングに出掛けました。
現地でのマネキュアやヘアカットも興味津々でしました。
「なぜ日本でしないのか?」と尋ねられましたが、現地で生活しているように、私はしたかったのです。
ハワイでは毎日何度も虹を見ることが出来て私はとても嬉しかったです。
この時の写真はあるので、また機会があればアップしたいと思っています。
私は今までのところハワイへは3回行きました。
将来どこかの海外の街に住んでみたいと思っていますが、ハワイでの滞在はそんな気分(滞在した気分)にさせてくれました。

 

 

 

 今日の歌

 

夜明け前 つんざくような蝉の声 微かな明かり目敏く感じて

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~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ⑧ 皇太子殿下と妃殿下(上皇様と上皇妃殿下)の来岡

2020年07月21日 19時11分04秒 | 思い出

 今朝の空

昨夜は暑くて(10時半の時点でまだ27℃もありました)エアコンを入れて寝たせいか4時半過ぎまで起きることなく寝ました。

 

4時52分

 

  昨日までに終わった解体工事

朝の8時から夕方の5時までの予定のようでしたが、やはり暑さのせいかかなり早めに終わられています。

4軒目にはまだお引越しの終わられていないご家族が住んでおられます。

昨日かなり家が揺れましたが、土台のコンクリートを壊していたようです。

 

 我が家のバラ

今は「ラ・マリエ」が一番よく咲いています。

 

 昨夜届いた本「人は考えたとおりの人間になる」

今日から読んでいます。

 

 今日は「土用の丑の日」でしたので、母には鰻を、鰻が苦手な私は生協でお豆腐で作った鰻もどきを食べました。

夜は鯵の三杯酢となます(レモン)

 

 夕方、解体工事現場を見に行きました。

まだ2軒目は倒していませんでした。

 

 今日は朝の9時半から10時までヘルパーさん、10時15分からドクター、13時15分に生協、4時50分にヘルパーさん、5時10分から薬局の方が来られました。

母は午前中は元気でしたが、午後3時、水羊羹を食べた後から調子が悪くなりました。

今はお薬を飲んでそばで寝ています。

 

 今日の最高気温は34.6℃。最低気温は24.9℃でした。

友人の話では湿度も85%くらいだったとか。

今夜もエアコンを入れて寝た方が良さそうです、特に母は。

 

 コロナの感染者が8日連続で出ました。

最近では若い人が多いです。

今日で岡山の感染者数は44人になったそうです。

 

 

 

~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ⑧

 

His Imperial Highness the Crown Prince and Her Imperial Highness the Crown Princess (His Majesty the Emperor Emeritus and Her Majesty the Express Emerita) came to Okayama.

 

When I was a kindergarten child, I attended a kindergarten run by a Catholic monastery.
When there was National Athletic Meet in Okayama, His Majesty the Emperor Emeritus and Her Majesty the Express Emerita visited my kindergarten.
(About these names,The Imperial Household Agency has announced that it has decided on English notation like these.)
We sat in the chairs and welcomed them with the Japanese flag.
For some reason , since I was made to sit in the first seat in the front row, they were the first to called me out.
I only remember some pictures at that time, but I don't remember exactly what did they asked me.
According to my mother, they asked me a lot of questions.
Also, she told me I was dancing in front of them.
But unfortunately, my mother no longer remembers what I talked to them, and I forgot the story I heard from her.
In that way, I have met four holy and famous people so far.
I'm very lucky.

 

皇太子殿下と妃殿下(上皇上皇后両陛下)が岡山に来られました。

 

私は幼稚園児だった時カトリックの修道院が経営する幼稚園に通っていました。
岡山で国体があった時、上皇様と上皇后さまが私の通っている幼稚園を訪問されました。
(これらの呼び名について、宮内庁がこのように英語表記を決定したと発表しました)
私達は椅子に座って、日の丸の旗を持ってお迎えしました。
私はなぜか一番前の最初の席に座らせられていましたので、私に一番に声をかけられました。
当時のことは写真がありますので私は覚えていますが、何を尋ねられたかを覚えていません。
母の話によりますと、お二人はいろいろ私に質問されたようです。
また、私はダンスも踊ったようです。
でも、残念ながら何をお話ししたか、母も今はもうは覚えていませんし、また私も母から聞いたその話をすでに忘れてしまいました。
このように今まで私は4人の聖なる有名な方々にお会いしました。
私はとても運がいいです。

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~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ⑦ マザーテレサの来岡

2020年07月19日 19時26分19秒 | 思い出

 今朝の空

5時25分

公園から帰る頃、蝉が鳴き始めました。

 

ご近所の解体作業

一軒目が解体されていました。

今日はお休みでした。

我が家のお花

今日の収穫

 

 今日は4人のコロナ感染者が出たようで、いつの間にか41人になったようです。

クラスターが発生したようです。

 

 

~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ⑦

 

Mother Teresa came to Okayama

Mother Teresa came to Japan in November 1984 and came to the Okayama Catholic Church in Okayama City on November 23.
At that time my daughter was 11 months old.
Mother Teresa who came out of the car was like a big star shining in the dark.
The place she was standing was the only place shining bright.
Sister Kazuko Watanabe was the translator at this time.
As soon as she got out of her car, she found my daughter, pointed at her, and talked to Sister Watanabe about something and came straight to us.
I handed my daughter to Mother Teresa.
Mother was smiling hugging my daughter.
My daughter, on the other hand, started crying so much, which caused laughter among people.
The photograph at this time was widely reported in the local newspaper the next morning.
My friend told me: "Your family were being reported in a newspaper !"
Mother's hands were very warm.
After that, before Mother entered the church, she entered the monastery first. 
On the way to church she poked at my daughter's cheeks again.
Mother Teresa's speech was wonderful and very wise.
Later, when I went to India, Mother Teresa had already died, but I went to Mother Teresa's "Children's Home".
There were many blind children there.

I would like to write about the story when I went to India, but I used to have talked to another very famous persons.
That was when the previous Emperor and Empress were still Crown Prince and Princess.
I respect two of them very much.
That place was the same place where I met Mother Teresa .
Next to this church is a monastery, an orphanage and a kindergarten.
At that time, I was a kindergarten child of the same kindergarten nearby .
I have met four very famous and respectful people in my life.
I have met four very famous and respectful people/persons in my life.
My Serbian English teacher said, "You have the great experiences. You can write a book. Please think about that, give it some thought, because you have so many thinks to say and share with the audience."

 

マザーテレサが岡山に来られました。

マザーテレサが1984年11月に来日され、11月23日に岡山市内の岡山カトリック教会に来られました。
その時私の娘は生後11か月でした。
車から降りて来られたマザーテレサはまるで、暗闇に光る大きな星のようでした。
そこだけが白く輝いていました。
この時通訳をされたのがシスター渡辺和子でした。
マザーは車から降りるとすぐに私の娘を見つけ、指さしながら、シスター渡辺に何かを話しながら真っすぐに私達のところに来られました。
私は娘をマザーテレサに渡しました。
マザーは愛しそうに私の娘を抱き、微笑まれていました。
それに反して、私の娘は大泣きをし始めたので、周りから優しい笑いが起こりました。
この時の写真は翌朝の地方新聞に大きく報道されました。
私の友人が「あなた達家族が写っている」と教えてくれました。
マザーの手はとても温かかったです。
その後、マザーは修道院に一旦、入られましたが、その後教会へ入る前に、再び、私の娘のほほをつついていかれました。
マザーテレサのお話は素晴らしかったです。
その後、私はインドに行った時、すでにマザーテレサは亡くなっていましたが、マザーテレサの「子供に家」に行きました。
そこには目の見えない子供達がたくさんいました。

インドに行った時の話も私はまた書きたいですが、もう一組、私はとても有名な方々とお話をしたことがあります。
それは前の天皇皇后両陛下が、まだ皇太子、皇太子妃だった時のことです。
私はお2人をとても尊敬しています。
その場所もマザーとお会いした同じ場所でした。
この教会の隣には修道院と孤児院と幼稚園があります。
その時私は、その幼稚園と近くの同じ幼稚園の園児でした。
私はとても有名で尊敬に値する4人の方々に今までの人生でお会いしたことになります。
私のセルビア人の英語の先生は「あなたは素晴らしい経験を持っている。あなたは本が書けるわ。考えてみて。あなたは皆に話すこと、共有することが沢山あるから。」とおっしゃいました。

 

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~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ⑥ ローマ法王の初来日

2020年07月15日 20時33分39秒 | 思い出

 今朝の空

昨夜は2回目が覚めた後、本格的に起きたのは5時15分頃。

公園にはもう皆さん、いらしていました。

雨がぽつり、ぽつりと言う感じでした。

5時32分

我が家のお花

 

多肉ボックスにちょっとハサミを入れてチョキチョキ。

この多肉はどうしたらいいのか分からず、数本カット。

今年最後の紫陽花

私のおひとりさまランチです。

ずっと曇っていましたが、雨が降り出し、続いてカァーと晴れて、またどんより。

太陽が照った時は暑くなりました。

今週末の雨の後、梅雨が明けるそうですが、この暑さが戻ってくるんだ~と思いました。

昔は夏や季節の変わり目にはワクワクしたものですが、今は体調の変化に敏感になったのか年齢のせいか、少し堪えるようになりました。

 

 今朝、母をデイに送った9時50分頃、近くの学校の樹々からセミの鳴き声がしました。

今年初めて聞きました。

ヘルパーさん曰く「3日ほど前から鳴いているよ」

後で、友人にも話したら、友人宅は裏が山なので「もうずっと前から、晴れ間には鳴いていたよ」

そうだったんですね~。

~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ⑥

Pope's first visit to Japan

John Paul II visited Japan for the first time from February 23 to 26, 1981, and visited Tokyo, Hiroshima, and Nagasaki.
On February 24th, there was Japan's first mass at Korakuen Stadium in Tokyo, so I participated/attended in the mass with a friend from university hood.
On a cold, rainy, frosty day,we were waiting for that moment.
Then, from nowhere, a man came up and told us to play rock-paper-scissors.
We played rock-paper-scissors and I won.
Then the man said, "Please go to the stage right away because you will receive the Eucharist from the Pope," and he ran away again.
People were cheering loudly around me, and I was also surprised and delighted.
Immediately I asked my friend if she wanted her to receive the Eucharist from Pope.
She wasn't hesitating and said: "No, you go."
60 people were selected in this way from over 30,000 people.
This event encouraged my subsequent suffering life.
As a precursor to that, I think it might have been a happy event.
Later, John Paul II (reigned 1978-2005) was canonized as a saint.


ローマ法王初来日

ヨハネ・パウロ2世が1981年2月23~26日、初めて日本を訪問され、東京、広島、長崎を訪ねられました。
2月24日、東京の後楽園球場で日本初の御ミサがありましたので、私は大学時代からの友人と御ミサに参加しました。
みぞれ混じりの雨が降る寒い日、私達はその瞬間を待っていました。
すると、どこからともなく一人の男性が走って来て、私達にじゃんけんをするように言いました。
私達はじゃんけんをし、私が勝ちました。
すると、その男性は「教皇様からご聖体を頂けるのですぐにステージの方に行って下さい」と言い残し、彼は再び走り去っていきました。
周りでは大きな歓声があがり、私も驚きと喜びの声をあげましたが、すぐに友人に、友人もパパ様からご聖体を頂きたいはずだと思い、彼女に行くかどうか尋ねました。
彼女の答えは「あなたが行って。」
3万人以上の人の中から60人がこのようにして選ばれました。
この出来事は私のその後の苦しみの人生を励ましてくれました。
その前触れとして、起こった嬉しい出来事だったのかもしれないと私は思っています。
その後、ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)は聖人に列聖されました。

 今日の歌

おはようと いつものように キスをする ポプラ応えて かさかさうふふ

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人生が私に微笑んでくれた瞬間」(The moment when life smiled at me) ④&七夕(Tanabata)

2020年07月07日 19時47分52秒 | 思い出

 今朝の空

雨が降っていましたが、4時40分時に目が覚めてもう30分~1時間ほど寝たいと思いましたが、もう眠れそうにありませんでしたので、5時15分頃起きて歩きに行きました。

当然、誰もいませんでした

今朝はちょっと雨足が激しかったので、シューズがびしょ濡れになりました。

 

5時34分

今更ですが、教会の玄関の「お知らせ」を写真に撮りました。

御ミサが始まって行ったのはまだ1回だけです。

 

 今日のきゅうりの収穫は4本。

2本お隣にまた差し上げました。

明日もまた収穫出来そうです。

 

 

~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ④~

 

Decades ago, an elderly American priest came from a monastery in Fukuoka once a month to Okayama for meditation guidance.
He was full of love, and he said, "God is love," and he hugged everyone.
At one point, I told him about the words in the book.
The book was a saint's story, "Jesus said there are the adorable souls and those who are not." "I'm certain I'm not a God's adorable soul," I told the priest.
The priest who heard it said, "Oh, no, that's not true. You are the adorable Kogiku(Kogiku means a little chrysanthemum ) of Jesus."
I didn't think Kogiku was adorable at the time.
So, without any special impression, I got home, and my mother was holding Kogiku with both of her hands and said: , "Look, what a adorable Kogiku!"
Looking at it, I wondered, "Hmm. Is that so?" and I went to the church while questioning.
The inside of the church was all decorated with Kogiku.
After that, on the way to the Tohoku region, driving in a car with my husband, I noticed that Kogiku was in full bloom at the side of the road, and it was also displayed at every church I stopped by.
Finally we went to see the statue of St, Mary crying at Yuzawadai in Akita. 
Of course, it was also full of Kogiku.
Also, much later, I knew that the priest's favorite flower was Kogiku.
Through Kogiku, God showed me love.
Since then, I've come to like it and have used Kogiku as my trademark.

 

もう何十年も前、福岡にある修道院から、毎月1回、岡山へ黙想指導に来て下さる高齢のアメリカ人の神父様がいらっしゃいました。
神父様は愛に満ちていて、いつも「神は愛」と繰り返し、皆を抱きしめて下さいました。
ある時、私はある本に書かれていた言葉について神父様にに話しました。
その本はある聖女の物語で、イエス様が彼女に「かわいい魂とそうではない魂がいる」と語っていました。
「私はかわいい魂ではないに違いない」と私は神父様に言いました。
それを聞いた神父様は「おー、いいえ、そんなことはありません。あなたはイエス様のかわいい小菊です。」
私は当時、小菊をかわいいとは思っていませんでした。
ですから、特別感銘も受けずに家に帰ると、母が両手いっぱいに小菊を抱えて「見て、何てかわいい小菊!」と言いました。
それを見ながら私は「ふ~ん、そうかしら」と訝りつつ、私は教会へ行きました。
教会の中は全部小菊で飾られていました。
その後、東北地方に夫と車で行く道中、道端には小菊が咲き乱れており、立ち寄ったどの教会にも小菊が飾ってありました。
最後に、私達は秋田の湯沢台に涙を流すマリア像を見に行きました。
もちろんそこも小菊で溢れていました。
又、ずっと後になって、私は神父様の一番お好きな花が小菊だったことを知りました。
小菊を通して、神さまは私に愛を示されました。
それ以来、私は小菊が好きになり、私のトレードマークとして使っています。

 

 

Today (July 7th) is Tanabana, but unfortunately it is raining. 
In Tanabata, Orihime (Vega) and Hikoboshi (Altair) meet each other once a year, so we Japanese hope that it will be sunny. 
Because it will be possible for them to meet if it clears up. 
Prior that day, people decorate bamboo branches with paper strips called Tanzaku. 
It is said that wishes come true by writing them on Tanzaku and tying them on the bamboo branches. 
Tanabata is also known as the Star Festival and originated from the Chinese Qixi Festival.

~ Tanabata story ~

Once upon a time, there was Orihime, who was good at weaving, and Hikoboshi, the hard worker of a cowherd.
They fell in love, got marriged and started to live in harmony. 
They were very close to each other and played and lived every day without working. 
Seeing that, God got angry and separated Orihime and Hikoboshi by the river called Ama-no-gawa (Milky Way). 
However, God who saw Orihime crying every day without being able to meet Hikoboshi, allowed them to meet each other only on July 7th, which is Tanabata.

(Depending on the location, August 7th)

 

今日(7月7日)は七夕ですけれども、生憎雨が降っています。
七夕は1年に1度、織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)が会える日なので、私たち日本人は晴れることを願います。
晴れるなら二人が会うことが出来るからです。
その日の為に人々は竹の枝を短冊と呼ばれる長い紙で飾ります。
短冊に願い事を書いて竹の枝に結ぶなら願いが叶うと言われています。
七夕はStar Festivalとしても知られ、中国のQixi Festivalから発祥しました。

 ~七夕のお話~

昔あるところに、機織りが上手な織姫と働き者の牛使いの彦星がいました。
やがて二人は恋に落ち、結婚し、仲良く暮らすようになりました。
二人はとても仲がよく、仕事をせずに毎日遊んで暮らしました。
それを見て怒った神様は二人を天の川で引き離してしまいました。
しかし、彦星に会えずに毎日泣いていた織姫を見た神様は年に1度、7月7日だけ二人が会うことを許しました。

(場所によっては8月7日)

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】 

 

●7月7日

苦しみや対立というのは個の世界しか見ていないから生じる。
もっと自分を超えた大いなる働き、
何か大きな力に生かされているという自覚を持とう
━━━━━━━━━━━━━━
横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)

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昨年の今日(アメリカ独立記念日)

2020年07月04日 19時34分55秒 | 思い出
 
アメリカ独立記念日

 今日はアメリカの独立記念日。この日が来ると必ずサンディエゴの海岸で花火を観ながら過ごした日のことを思い出します。その後レストランで友人とタコスを食べながら乾杯今から2......
 

 

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~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ③~

2020年07月02日 20時38分32秒 | 思い出

 今日の空

昨夜は眠くて9時半には寝ていたと思います。

夜中の2時半過ぎに目が覚めてお手洗いに行きましたが、次に起きたのは昨日と同じで4時35分。

起き上がって公園に行きました。

今日はとても涼しくてちょっと寒いくらいでしたが、あまりにも気持ちが良くて、帰るのが勿体なかったです。

(今日の最高気温は26.9℃、最低気温は18.4℃でした

ここから我が家

枯れたかと心配していた真紅のバラにこんなに葉っぱは出ています。

今日、きゅうりを1本収穫しましたが、明日は3本くらい収穫出来そうです。

明日は母はショートステイの日で、私は友人達が早目のお誕生日会を開いてくれます。

(私が暑いのが苦手なので)

今回は国際ホテルにお泊りです。

 

今朝は久し振りに十六穀入り御飯とお味噌汁でしたが、昼食も炊き込みご飯を母がヘルパーさんと久し振りに調子が良かったので作りました。

それとお味噌汁と春雨サラダ(甘酢)、母が昨日作ったきゅうり漬け。

お夕食はサーモン巻きと鯖のみりん焼き、茄子の味噌煮、春雨サラダ

 

 今日は久し振りに岡山でも2人、コロナの感染者が出たようです。

東京では5月2日以降初めての100人越えの107人。

注意はしていますが、最近、業者さんもマスクをしておられない人もいますし、ちょっと緩んで来ているかも。

そういう私もお泊りですが、国際ホテルは普段から人がほとんどいないので(だから、好きなのですが。山の中で落ち着きますし)、大丈夫かなとは思いますが、十分気を付けて行って来たいと思います。

 

 

 

~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ③~

 

A several years ago, I went to Yellowknife, Canada with my daughter to see the aurora.
I chose Yellowknife because it had the highest rate of fine weather.
On my second trip to Canada, I stayed in Yellowknife for four days.
Therefore, I had three chances to see the aurora. 
It snowed for three days, and locals said, "Such snow won't stop for a while,at least one week."
But I didn't give up.
The last day I saw a rainbow it was between the hanging clouds.
Also, when I picked Oracle card, a "miracle" appeared. 
The snow was getting harder and harder, and it didn't stop at 8pm.
Still I kept believing that I could see the aurora and prayed.
We went by bus to the outskirts of town every night to see the auroras.
Similarly on the last day, we took a bus to the outskirts of town.
I don't remember, but there were two ways of staying there.
One was a way of taking a bus and returning at 0:00, and the other was remaining until 2am.
Many people gave up and took the first bus, but I stayed.
Then, after a while, the aurora started to appear, and it became a big break that no one was able to see for a long time.
It seemed that the aurora covered the city too.
The aurora was initially green, but in the end it danced through the sky like a curtain including red.
It was an awesome sight.
I want to see the aurora again before I die.
My friend who went on the same schedule couldn't see the aurora.
So she wants to go with me next time.

 

何年か前に私は娘とカナダのイエローナイフにオーロラを見に行きました。
イエローナイフを選んだのはそこが一番晴天率が高かったからです。カナダへは2回目の旅で、イエローナイフには4日間滞在しました。従って、オーロラを見るチャンスは3回ありました。
3日間、雪が降り続け、地元の人は「このような雪はしばらく止まない」と言いました。
でも、私は諦めませんでした。
最後の日、私は垂れ込めた雲の間に虹を見ました。
また、オラクルカードを引くと「奇跡」のカードが出ました。
雪はどんどん激しく降り、夜の8時になっても止みませんでした。
でも、私はきっとオーロラを見ることが出来ると信じ続けて祈りました。
オーロラを観る為に私達はバスで町はずれに毎夜行きました。
最後の日も同じように私たちはバスに乗って町はずれに行きました。
記憶が確かではないですが、そこへ留まる時間は2つの方法がありました。
1つは0時に帰るバスに乗る方法、もう1つは2時まで残る方法です。多くに人が諦めて最初のバスに乗りましたが、私はそこへ留まりました。
するとしばらくするとオーロラが出始めて、それは最近では見られなかったほどの大ブレイクとなりました。
そのオーロラは街まで覆ったそうです。
オーロラは最初、緑色でしたが、最後には赤色を含むカーテンのように空を舞いました。
それはとても美しい光景でした。
私は死ぬまでにもう一度オーロラを見たいと思っています。
同じスケジュールで行った私の友人はオーロラを見ることが出来ませんでした。ですから、彼女は次回は私と一緒に行きたいと望んでいます。

 

 

 今日の歌

涼し朝 不安忘るる 心地良さ 病は主に ネガティブ反芻

余りにも 心地良きかな 朝の風 全身で受け 不安に打ち勝つ

まだ居たし この心地良き 冷気の中 吸い込まれそうな 空を仰ぎて

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~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ②~

2020年07月01日 20時55分08秒 | 思い出

 今朝の空

今日は3時45分に目覚めました。

しばらくベッドでゴロゴロした後ウォーキングへ出かけました。

涼しくて気持ちが良かったです

4時46分

1周目

2周目

3周目

4周目

5周目

6周目

7周目

5時21分

8周目

 

お隣に借家が5軒あるのですが、6月中に大家さんに出るように言われて、仲良くして頂いていたお宅もこの通り。

(でも、夕方お会いしたのでお聞きしたら、ほんのご近所へのお引越しでしたので嬉しかったです。)

我が家のお花

きゅうりを5本収穫。

ネットに引っかからなければ真っすぐなきゅうりが出来ます。

お隣に回覧板を持って行った時に3本差し上げました。

夕方、お漬物にするということで、母に頼まれてもう1本収穫しました。

 

 

~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ②~

 

When I went to Spain a several years ago, I went to Toledo.
Toledo is a world heritage site and it is a beautiful old town.
At a church in the town, I saw some of the works of El Greco and I was very touched by one of them.
It was a painting of St. Peter.
Peter said he he hadn't known Christ three times when Christ had been captured.
It was a painting of Peter crying with tears of remorse.
The tears were just like the real ones. They were transparent, and looked like they are about to fall.
One of El Greco's works is also in Okayama prefecture where I live.
I like this museum in Kurashiki city and go there occasionally.
His paintings are also widely sold as cards of religious paintings.
But until I haven't seen El Greco's work, I haven't been fond of his
paintings, although his work has been very famous.
However, my heart changed instantly when I saw Peter's tears.
I wanted this card, but there was only one missing in the shop.
When I gave up and went to the plaza, a man came from the opposite side of the plaza and suddenly gave me a painting of Peter's tears.
I was very astonished.
The man was gone while I was in wonder.
I think he must have been an angel.
I still cherish this card as my treasure.

 

何年か前、スペインに行った時、トレドに行きました。
トレドは世界遺産で、古い町並みが美しかったです。
その町の中の教会で私はエルグレコの作品のいくつかを見て、その中のひとつにとても心動かされました。
それは聖ペテロの絵でした。
キリストが捕られられた時三度彼を知らないと言ったペテロ。
その悔悛の涙を流すペテロを描いた絵でした。
その涙はまるで本物そっくりで、透明で、今にも零れ落ちそうでした。
エルグレコの作品は私の住んでいる岡山県にもあります。
私は倉敷市にあるこの美術館が好きで、折に触れて行きます。
彼の絵画は宗教絵画として広くカードとして売られています。
でも、私はその時まで、エルグレコの作品は有名ですが、そんなに好きではありませんでした。
しかしながら、私の心はペテロの涙を見た時に一瞬で変わりました。私はこの絵のカードが欲しいと思いましたが、この絵だけ売店にはありませんでした。
諦めて広場に出ると、反対方面の広場の入り口の方から一人の男性が来て、私にいきなり聖ペテロの涙の絵をくれました。
私はとても驚きました。
私が驚いている間にその男性は居なくなっていました。
私は彼は天使だったに違いないと思っています。
その絵は今も私の宝物として大切に持っています。

 

 

 今日の歌

 

今朝もまた ポプラに抱きつき 挨拶す おはよう元気 お話なあに

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結局、捨てられず&気を取り直して~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ①~

2020年06月30日 22時24分59秒 | 思い出

 今朝の空

今朝は雨が降っていましたが、いつものように4時過ぎに目が覚めましたので歩きに行きました。

涼しくて緑が気持ち良かったです。

今日は8周しました。

ママ友ガーデン

再び公園へ

ご近所

我が家のお花達

 今日は2時過ぎに壊れた冷凍庫や使わなくなって久しいジョーバその他捨てようと思っていたものを取りに来て下さいました。

でも、母が急に「その冷凍庫は外から入れたから出ない」とか「ジョーバはあげる人が居る」と言い出しました。

母はお金を払って捨てなくてはならないことを知っていたはずですが、少なくともその瞬間は忘れていたようで、お金をもらえると思っていたようです。

ですから、お金を請求されて急にストップをかけたわけです。

それまで、ソファアで少し苦しそうに息をしていましたのに、お台所まで出てきてあれこれ言い出しました。

しんどいのだからあっちに座っておくように言っても聞きません。

そして、上に書いたようなことを言い出したわけです。

結局、どれも捨てきれずに終わりました。

友人に話したら「強行突破しなかったの」と言われましたが、そこが母の呪縛で出来ない私です。

今にも死にそうな顔をしているのを見ると罪悪感を感じてとてもじゃないですが出来ません。

母もいい加減、自分ではもう何も出来ないわけですし私に任せてくれたらいいのにと思いますが、出来ない性分です。

前々から言っていたのにこんな直前になってと思いますが、とにかく、お金を取られると知らなかったの一点張り。

私は以前にも書きましたが、母のようにはなりたくないとつくづく思います。

それまでにきちんとしておきたいから、今、断捨離しているわけです。

母が居なくなってからすればいいかもしれませんが、私も健康ではないですし、今日が残りの人生で一番若い日です。

それに母の私物を捨てているわけではありません。

母が溜めてきた物は許可後捨てましたが・・・布や段ボールの箱やそういったもの。

それでも文句を言われ続けます。

一体使いもしない物をなぜ取って置くのだろうと思います。

虫がきたり汚れたりして、空気も澱んでしまいます。

もう本当に嫌な気分になってしまいましたので、何とか、自分を気分良くさせなくてはと思い、今朝、歩きながら思いついたことを早速始めました。

~人生が私に微笑んでくれた瞬間 (The moment when life smiled at me) ①~

Every day I do “The Glad Game” and I write them in my notebook, but sometimes something special happens in my life.
The day before yesterday, I listened Chopin's Nocturne twice playing Horszowski and another nostalgic person.
I was so moved that my tears spilled and I couldn't stop crying.
When I traveled to Spain a few years ago, I followed the footsteps of painter Joaquin Torrents Llado(1946~1993) to Mallorca.
Because a few years ago, I fell in love at instance when I saw Llado's painting.
At that time I didn't know for a while Chopin was on this island , but I saw Chopin's room and the piano he played.
Again,I felt the same atmosphere in the room when listening to these two playings.
From now on, I would like to write in Japanese and English, remembering the events that the life smiled at me.

私は毎日「良かった探し」をしノートに書いていますが、時折、人生には特に素晴らしいことが起こります。
一昨日、ショパンのノクターンをホルチョフスキー(Horszowski)の演奏ともう一人の懐かしい人の演奏と2回聞きました。
私はひどく感動して涙がこぼれて止まりませんでした。
私は数年前にスペインを旅した時、私は画家のホアキン・トレンツ・リャドの足跡を追ってマジョルカ島に行きました。
なぜなら、その数年前、私はリャドの絵を見て一目で恋に落ちたからです。
当時はショパンがその島に一時期居たことを私は知りませんでしたが、ショパンが居た部屋や弾いたピアノを見ました。
その部屋で感じた同じ雰囲気をこの2人の演奏から私は感じました。
これから、私は、人生が私に微笑んでくれた出来事を思い出しながら日本語と英語で書いていきたいと思います。

今一度、ホルチョフスキー(Horszowski)のショパンの『ノクターンOp.9-2』

Horszowski - Chopin nocturne in Eb major & Etude in F minor

リャドの絵

<スタット公園の薔薇>

私が恋に落ちたのは紫色だったと思いますが、画像が見つかりませんでした。

 今日の歌

どれも同じような歌ですが・・・

人生で 星の如く 煌めきし 忘れられない 思い出の数々

人生が 我に微笑みし 数々の 思い出深く 心に残りて

感動で 心ふるえる 時があり 人生彩る 数々の瞬間

今朝、歩きながらこれらの歌を作っていつものように短歌交換相手のセラピストの友人に送りましたら、

友人 「皆、素敵です。
   ひとつひとつ体験を詳細に書き留めて見たらどうでしょうか?」


私  「ちょうど私もそれを考えていたんです。英語の勉強に英語でも書いてみようかと。」


友人 「英語で書けたら一石二鳥ですね。」

同じことを考えてくれていました。

追記

母のことは時代背景、生きて来た人生を考えるともちろんわからないわけではありません。

しかも、もう95歳。

尊敬している性格もいくつもあります。

腹が立つこともありますが、時間が経てば落ち着き忘れます。

やはりそこが親子かなって思います。

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アメリカ独立記念日

2019年07月04日 20時43分52秒 | 思い出

 今日はアメリカの独立記念日。

この日が来ると必ずサンディエゴの海岸で花火を観ながら過ごした日のことを思い出します。

その後レストランで友人とタコスを食べながら乾杯

今から20年位前のことになります。

カウンセリングを学んだ先生とご一緒にNGOカウンセリングレスキューチームのメンバーの一員としてアメリカに行きました。

この時は緊急性はあったの訳ではなく多分そういうグループだったのだと思います。

ロサンゼルス、オレンジカウンティー、サンディエゴ、メキシコへと行きました。

メキシコへはサンディエゴから歩いて国境を越えてティファナへ行ました。

本当に懐かしい。

 

 今日のヘルパーさんも男性でした。

小規模多機能ホームの責任者さん。

お掃除の後、母のリクエストで作って下さいました。

 

 夕方、母と歩きに行きました。

新しいマイカーに振り回されていました。

今はもう公園1周を休まないで歩くことは難しくなりました。

今日は2回休んでいましたが、それでも2周歩きました。

 

 今日の歌

 暑さ避け 夜の公園 見上げれば 縦糸のごとき 三日月浮かびて

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