金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【訃報】 テキサスブロンコ テリー・ファンク氏 逝去

2023-08-25 02:01:06 | プロレス

 往年の名プロレスラー、テリー・ファンク氏が亡くなりました。79歳でした。

 

 

 テリー・ファンク氏は、1944年にプロレスラーのドリー・ファンク・シニアの次男として生まれ、テキサス州アマリロで育ち、兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に父からレスラーとしての英才教育を受け、1965年12月28日にプロレスデビューしました。1975年12月にはジャック・ブリスコを破り当時、世界最高峰の王座だった「NWA世界ヘビー級王座」を奪取し米国マットでトップに立ちます。

 日本には1970年6月に「日本プロレス」へ初来日し、ドリーとの兄弟タッグ「ザ・ファンクス」として登場さらに1972年10月にはジャイアント馬場が旗揚げした「全日本プロレス」に参加。必殺技「スピニングトゥーホールド」を引っさげ、甘いマスクで人気となりました。

 特に絶大な支持を獲得したのは、1977年12月に蔵前国技館で行われた「世界オープンタッグ選手権」最終戦でドリーとのタッグでアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークとの一戦ブッチャーのフォーク攻撃で右腕を突き刺されながら耐え抜き優勝。以後、ブッチャーとの抗争は全日本のドル箱カードとなり、全日本プロレスのトップ外国人に君臨しました。

 

 以上のように、日本のプロレスファンからすれば、本場アメリカのNWAのスター選手であるとともに、日本のプロレス界の興隆にも大きな貢献をした大恩人であって、兄のドリーや、4年前に亡くなったハーリー・レイスと並ぶ、プロレス界の大巨星でありました。

 

 テリー・ファンク、本当にありがとうございました。

 これからは、ゆっくりとお休み下さい。 合掌

 


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【プロレス】ミスタープロレス ハーリー・レイス氏を偲ぶ

2019-08-05 07:01:46 | プロレス

 8月2日にミスタープロレスこと、ハーリー・レイス氏が亡くなりました。76歳でした。

 70年代、アメリカだけでなく、日本でもプロレス人気は凄まじく、日本テレビ系列で全日本プロレス、テレビ朝日系列では新日本プロレス、テレビ東京系では国際プロレスと、地上波が3つもゴールデンタイム枠をプロレスに使っていました。ハーリー・レイスはNWA世界ヘビー級チャンピオンとして長年プロレス界を牽引したスーパースターですが、特にジャイアント馬場率いる全日本プロレスに登場する機会が多く、大変な人気レスラーでした。もちろん、新日本のアントニオ猪木との交流もあって、実はこの二人はアメリカのデビュー戦で対戦した間柄で、非常に親しい関係だったようです。

 ハーリー・レイスのプロレスは、まさに横綱のプロレスでした。相手の得意技に対して、逃げることなく、すべてを受けきるスタイル。猪木のバックドロップを食らっても、馬場の32文キックを食らっても、カウント2.5で、必ず左肩を上げて「セーフ」。そして60分を闘い切って、最後に相手をフォールするか、あるいは両者リングアウトで引き分け。

 NWAチャンピオンというのは、全米各地の地域チャンピオンと闘って、地元で人気の彼らの名誉を傷つけることなく、しかもタイトルは譲らない闘い方をしないといけない立場です。その意味で、相手の技をすべて受けきる、そして負けないというスタイルは、まさにプロレスの王道であり、ミスタープロレスと評された所以です。

 ただし、ハーリー・レイスのことで、私が唯一理解できないのが彼のニックネームでした。彼に付けられたニックネームは「美獣」。東京スポーツの見出しでも「美獣勝つ!」とか、書かれていましたが、どう見ても、ただのオッサンレスラーでしたので、なんで「美獣」だったのでしょうか? 永遠の謎です。


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