お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

山寺登り口(山寺)

2007年07月31日 |   卍 寺院霊場探訪

様々な思い、願いを背にいよいよ山寺に登り五大堂から心を開放すべし。
その登り口が此処。小生もう2回も登っているので今回は入り口で我慢
山寺も朝早く来ると様々な人々の想い・願いが歴史を越えて視えて来る。
  (対岸、朝靄の中、芭蕉堂から眺めた山寺山岳修験の建屋、左が五大堂)

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ころり往生阿弥陀如来(山寺)

2007年07月31日 |   卍 寺院霊場探訪

人は皆何時かは死ぬ。その日をどの様に迎えるかは仏門の徒で無くとも大きな関心事。
願わくは苦しむ事無く、息を引き取りたいもの。そんな引け際が理想だ。多分そんな
思いでお堂が出来たのだろう。遠くの人はせめて本画面で『ころり往生』を祈願せよ

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白仏(山形県山寺)

2007年07月31日 |   卍 寺院霊場探訪

人々は皆、生き物を食として繁栄して来た、これら犠牲になった全ての生命を供養して
くれるのが、この白仏だそうだ。画面を見ている皆様も日々生かされている事に感謝し、
更なる幸福を祈るべし。(という筆者は信者でもなんでもない、ただこの白仏の説明書
きを記述、感じる人、感じない人、それは人の自由、感性だ)全ての命は繋がっている

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芭蕉と曾良(山寺)

2007年07月30日 |  🚙東北縦断紀行 .

映像:左奥が芭蕉翁、手前が弟子曽良。名作「奥の細道」は弟子曽良の助けがあったか
   らこの世に残った。人は皆、誰かに支えられている。この事を忘れてはならない

奥の細道を旅しながら名句を残した松尾芭蕉。寄り添う弟子曾良。足で歩く旅の困難さ
は計りようがない。全てが人力の時代、自然に紛れる旅人のなんと自由で奔放なことか?
紀行文『奥の細道』が今に伝わるのはこの方々の自然に対する鋭く優しい観察力に拠る。
今の世の『観光』の意味・在り方をこの二人が示唆。彼らは当時の名勝・旧跡を歩いた

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松尾芭蕉(閑けさや・・・山寺)

2007年07月30日 |   ✒歌碑句碑 紀行

映像:立石寺(山寺)の一隅に碑文字が見えない154年前に建てられた石碑

    「閑(しず)けさや 岩にしみいる 蝉の馨」 (松尾芭蕉)

解釈:筆者が訪れた時も人っ子一人いない境内に蝉しぐれの状態だった。
   何百年も変わらない風情にこの句の持つ意味は大きい。深閑とし
   た境内に夏の季節感一杯の蝉の声がまるで岩に滲み込むように降
   注ぐ様は旅しているものには時空を一点に集約させる瞬間である。

奥の細道行脚で有名な句が読まれた。山形県立石寺(山寺)の夏は蝉時雨。
芭蕉の没後、弟子が建てた句碑。今年も暑い夏、ニイニイ蝉が鳴いている。
154年の年月は碑の歌文字を風化させるが名句は永遠に読まれ継がれる

参照:①松尾芭蕉(奥の細道)探訪紀行 ②山寺(山形県宝珠山立石寺)

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招福布袋尊 (山寺:山形県)

2007年07月30日 |   卍 寺院霊場探訪

  本堂正面に安置されいる福を招く布袋様。画面をご覧の皆さんも、画面上からこの
  布袋さんのお腹を撫でてください。キットいい事がある。ネット社会の今、布袋様
  もネット上のお願いを、聞いてくれる筈。お賽銭は、今日中に善行をしてください
          道のゴミを拾うだけでもいいです。

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立石寺(山寺:山形県)

2007年07月29日 |   卍 寺院霊場探訪

朝靄をついてお寺参りをする。6時半の境内は誰もいない。今日も日中は観光客で
混雑は必須。『早起きは三文の徳』とは単なる言葉のあやではない。ゆっくり観察
・撮影にはとても重要な事。今日は小生の誕生日、良き事があるように(2007.7.2)

宗派:天台宗 本尊:薬師如来 開祖:円仁(伝) 指定:重要文化財(中堂他)、名勝、史跡

参照松尾芭蕉(閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声)

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幽境の伽藍(山形県山寺)

2007年07月29日 |   卍 寺院霊場探訪

山寺はお寺というよりはやはりその伽藍(中腹に展開)なるが故の
景観とそれを訪ねて有名な句を残した松尾芭蕉の奥の細道の史跡と
しての価値が大きいだろう。その意味でここもヒストリアスポット

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水琴窟(山寺 芭蕉堂)

2007年07月28日 |  🚙東北縦断紀行 .

 芭蕉堂の右手にある設備。綺麗な水がかけ流しされ地下には壷が設置。耳を済ま
 すとなんとも渋い落とし水の音が響く。今日の洗顔水周りはこの「落とし水」だ。

 水琴窟:日本庭園の装飾の一つで水滴により琴のような音を発生する仕掛け。構
    造は底に小さな穴の開いた瓶が逆さに伏せた状態で土中に埋められ、底に
    水が溜まるように粘土などで固められている。上には手水鉢が置かれてお
    りそこから流れ落ちる水が瓶の穴を通して滴り落ち、その時の音が瓶の中
    で反響し琴の音のような音となる。

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芭蕉堂(山寺風雅の国)

2007年07月28日 |  🚙東北縦断紀行 .
天童から深夜山寺へ到着。取り敢えず駐車場で仮眠。目が覚めると当たりは深い霧。
久しぶりの山寺の里。まるで、山寺と対峙するように芭蕉堂がある。建築物も年月の
重みで風格が出ていた。左の植物が『芭蕉』の木だ。しばし芭蕉を偲ぶ。

芭蕉堂:山寺を望める岡の上に造られた『茶室』一句浮かべながらの茶の湯もまたよし。
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天童温泉 公衆浴場ふれあい荘(山形県)

2007年07月28日 |  ♨ とうほく 湯処.

 天童温泉の唯一の公衆浴場だ。温泉場の公衆浴場に温泉地の出湯をイメージして
 して臨んだが期待は裏切られた。循環、消毒という運命的な出逢い。これは銭湯。

 【Data】含石膏ー芒硝泉 63.7℃  PH8.1 源泉6号・8号源泉合流貯湯槽

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菅江真澄の道(六郷は・・・六郷町諏訪神社)

2007年07月27日 |   ✒文学逍遥 紀行

武家屋敷から名水の里旧六郷町に辿り着く。初夏の日曜日、この素晴らしい街中
トレッキングの地も人は疎で閑散。行楽客はどこへ行ったのだろう?大型連休は
海外、普通の休日はショッピングモール?日本の素晴らしい観光地は益々寂れる。

映像:秋田を中心に活躍した紀行家菅江真澄の立ち寄った神社。
   『六郷は 栄養丸に 百清水多い 寺々絶えぬ 金持ち

菅江真澄には彼方此方に清水が湧き出る集落は美田を有し豊な里に見えたのだろう

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高浜虚子(天童の・・・天童温泉)

2007年07月27日 |   ✒歌碑句碑 紀行

映像:高浜虚子が松尾芭蕉を偲んで山形を旅した時立寄ったのが田園温泉地天童。

やっと山形県だ。もう辺りは暗い。今日はここがねぐらの街。天童と言えば温泉。
山形の手前の市として、サクランボ、山寺観光の拠点。嘗ての賑わいは今は無い。
この天童温泉の守り神温泉神社境内には芭蕉を偲ぶ高浜虚子の歌碑が建っている。


       碑文:『天童の でゆや蟇(がま)なく 夜もすがら

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後三年公園 太鼓橋(秋田県)

2007年07月27日 |  🏰城郭史跡探訪

  後三年の役の古戦場となった場所にあるこの。青森県の『鶴の舞橋』に似て
  いる雁の里温泉で飲んだビールを覚ますに散歩したら見つけてしまった。なん
  とも不思議な橋と景色。まるでタイムスリップした様な。・・・ここは何処だ?

  後三年の役:1083年前九年の役で奥州を平定した清原一族のお家騒動(勢力争
     い)。この戦いの主人公は源義家、後の源義経。頼家の父。この戦争で
     奥州藤原の栄華を築くきっかけ得たのが清原(藤原)清衡。歴史が動いた。

  参照日本一の三連橋『鶴の舞橋

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湯とぴあ雁の里温泉(美郷町)

2007年07月27日 |  ♨ 東北 推奨湯処.

角館、六郷とひた走り、新鳩の湯の廃業で温泉も入れず温泉禁断症状が出始めた頃この
温泉に遭遇、うまい具合に食事の施設もある。温泉は予想通り、循環であるが汗で疲れ
た体には十分のお持て成し。温泉は源泉が第一ではあるが、その時々の状態で、循環
消毒でも十分楽しめるものである。湯上りに生ビールは言うに及ばず。又も白昼撃沈

【Data】含芒硝―食塩泉 42.1℃ ph8.4   源泉雁の里3号泉(湯とぴあ)

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