松山大耕さんは、僧侶の典型的なイメージを覆し、日本の禅宗の教えを広めるべく、世界中を飛び回っている。
実は今、日本の宗教観が世界で高く評価されているという。
異宗教を受け入れる難しさ
松山さんはお寺に生まれながら、中学・高校時代はカトリックの学校に通った。
そのことを大学時代に訪れた、アイルランドのB&Bで女将さんに話したところ、こう言われたそうだ。
なぜあなたの国では、そんなことができるの?
アイルランドでそんなことをしたら、殺されても文句言えないわよカトリックとプロテスタント、血で血を洗う対立の歴史を持つアイルランド。
いまも敬虔なカトリックが多いアイルランドでは、自分の信じる宗教以外に属する学校に通うのは、考えられないことのようだ。
世界でも珍しい、寛容な宗教観を持つ日本
多くの日本人は、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く。こうした複数の宗教を横断して信仰してしまう日本は、世界でも珍しい寛容な宗教観を持っている。
世界では宗教戦争が頻繁に起きている。しかし日本でそういったことがほとんどないのは、複数の宗教の信仰から、柔軟にいろいろなものを取り入れ、受け入れることができるからなのではないか。
日本とインドの仏教の違いは、カレーに似ている!?
こうした特徴は日本の仏教に独特のものだ。インドでは、戒律を守り、経典を学習し、瞑想の修行をすることが重視される。仏教発祥の地・インドから遠く離れた日本の仏教、もはや仏教ではなくなってしまったと言われることもある。しかし松山さんは、そうした意見に対してこう語る。
私は、日本とインドの仏教の違いというのは、実はカレーに似ているんじゃないかな、と思っています。
インドではこのように、非常にスパイシーで辛いカレーをみなさん召し上がります。
カレーもインドが発祥の地なんですけども、インドの方が、日本の私たちが食べ慣れている甘くてまろやかなカレー、好きな方たくさんいらっしゃると思いますが、あのカレーを召し上がったら、「これはカレーじゃない」と、こうおっしゃるかもしれません。
確かに調理法、具材は違うかもしれませんが、ルーにお肉やお魚、そして野菜を入れて煮込んでご飯もしくはパンと一緒にいただく。このスタイルはインドでも日本でも共通しています。
日本の仏教もインドの仏教も、根底にある哲学は同じということだ。
日本で宗教戦争が起きないたったひとつの理由
しかし海外では、根底が同じであるにも関わらず考え方の異なる宗派が対立し、信仰を巡ってたくさんの戦争が起きてしまっている。
確かに全ての宗教において、その教義に忠実である、守ること、それは非常に大事なことです。しかし世の中にはもっと大切なことがあります。
それは信じる宗教が違っていても、お互いを尊重し、そして仲良くするということです。日本では色々な宗教を信じている人がいますが、宗教が違うからといって、争いやもめごとといったことはほとんど起こりません。
私は世界でも冠たる宗教都市、ここ、京都から、日本人のもつ素晴らしい寛容性のある宗教観、これをぜひ世界に伝えたいと思います。
そうすれば世界はもっと素晴らしくて素敵な場所になると、私は強く信じております。
松山さんはローマ法王やダライ・ラマに会うなど、日本の寛容な宗教観を伝えるために、精力的に活動を続けている。日本のいろいろなものを受け入れることのできる寛容さこそが、宗教戦争の止まない世界に役立つのではないかと、世界的に期待が高まっているのだ。
お互いを尊重すること。そして仲良くするということ。松山さんの語る寛容の大切さに、深く考えさせられる。