ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

旧前田家本邸の洋館と和館を見学した(1/2)

2024年06月10日 | 街歩き

代々木上原駅から歩いて15分くらいのところにある旧前田家本邸の洋館と和館を見学してきた、前から一度行ってみたかったところ、入場料は無料

代々木上原駅からGoogleマップで経路検索して歩き出すと、すぐ上り坂になる、代々木上原駅は付近では一番低いところにあり、周りが高台(上の原)になっているそうだ。そこをしばらく進んでいくと鬱蒼と新緑が茂る立派な門が見えてくる、駒場公園だ、旧前田家本邸はこの公園の中にある。

webページや現地でもらったパンフレットからこのお屋敷の説明を抜粋すると、

  • 前田利為(としなり、1885-1942)は、加賀百万石前田家第16代当主にして侯爵。江戸期に上屋敷があった本郷に維新後も本邸があったが、関東大震災後に東京帝国大学と土地を交換し、現在の駒場を新邸とした。
  • 昭和4年に洋館が、昭和5年に和館が竣工した。洋館1階は晩餐会を行なう重要な社交の場で、2階は家族の生活の場、外賓のための施設として和館も建てられた
  • 設計監督者は、東京帝国大学教授であった塚本靖工学博士。実際の設計は、洋館が宮内省内匠寮工務課技師の高橋貞太郎、和館が帝室技芸員の佐々木岩次郎。茶室待合は木村清兵衛、暖房や電気設備の設計もそれぞれ専門の工学博士に依頼された。当時の日本における、最高の設計者たちだ。高橋貞太郎氏は、あの学士会館(そこを訪問した時のブログはこちら)、高島屋東京店などを手掛けた実績を持つ、工事は竹中工務店が請け負った
  • イギリスのカントリーハウスを思わせる外観。スクラッチタイルの壁と、張り出した車寄せにとんがり屋根の塔が印象的
  • 2013年に重要文化財に指定され、現在、駒場公園は国と目黒区が分割所有となっており、敷地と和館は目黒区が、洋館は東京都が管理している

10時くらいに現地に到着して入口を入ると、館内は土足厳禁、備え付けのビニール袋に靴を入れ持って歩く、パンフレットをもらう、写真撮影も基本的にはOK、フラッシュ、三脚はダメ


(受付から入ったところの階段広間)

係りの人に10時半からボランティアの方によるガイドツアー(40分程度)があるからどうぞ、と言われる、それまで30分くらいあったので、順路に従い、ゆっくり歩いてざっと見て回った。


(受付右のサロン)

時間になるまでに受付付近に集合すると10名くらいの方がツアーに参加した、ほとんど女性だ、ガイドの方から説明を受けながら1階から順に見て回り、1階が終わると2階に上がって同様にいろんな説明を聞いた。説明していただいた中から少し書くと、

  • 玄関から家族と賓客が集まるロビーとそれらの人たちが使う部屋に向かう廊下、階段は赤絨毯が使われており、家族だけが使う部分の廊下はベージュ色のおとなしい絨毯が、メイドなどが使う廊下は板敷で絨毯は敷いていない
  • 同様に、天井の照明なども使う人に応じて、市松模様か唐草模様のついた豪華なものからだんだん質素なデザインに変化する、部屋の壁紙やマントルピース、調度品のデザイン、意匠などもランクに応じて作られている
  • 板敷の床のデザインも部屋ごとに微妙に異なる様式になっている
  • 天井には大きな梁が何本もむき出しに見えるが、これはデザイン上の理由、建物自体は鉄筋コンクリート造
  • 女中は100名くらい使っていた、住み込みの人も多く個室もある、厨房は地下にあるが見学はできない
  • 2016年から2018年にかけて修復工事が行われ、書斎、次の間、寝室については、連合軍に接収時に失われた内装を復元した

とても全部覚えていられないくらいいろんなことを丁寧に説明してもらい大変有意義であった。全館見て回ると、昨年夢中になって見たイギリスのテレビドラマ「ダウントン・アビー」を思いだした。


(1階の奥に行く途中の左側にあるイングルヌック:暖炉の小さなスペース)


(2階階段広間から見えるステンドグラスと照明)


(書斎、絵画は利為侯のご夫人)


(図書室)


(大食堂、マントルピースは飾りだけ、セントラルヒーティングだった)


(大食堂、窓側を望む、天井の梁は飾り)


(小食堂)


(長女居室)


(夫人室)


(寝室)

昭和初期の上流華族の生活を知ることができる貴重な文化財であり、一度見る価値はあると思った、また、館内は混んでなく、ゆっくり見れた

(続く)

 


軽井沢からの帰りに

2024年06月09日 | 街歩き

軽井沢で用事を済ませた帰りの話

北軽井沢の交差点にある久保農園販売所に立ち寄った、ここは自社農園で作った季節の野菜を売っている店、軽井沢に来た時、寄って帰ることがある。

店の外にも野菜がいっぱい陳列されており、店員さんに今の時期は何がおいしいか聞いてみると、キャベツと白菜だと教えてくれた。

そこでお勧めに従い、キャベツ一つ150円と白菜二つ入りのパック250円を買ってみた。テレビでキャベツの値段が高騰していると報道していたのを思いだしたが今日買ったキャベツはちょっと小さめだけど150円だから安いほうか。

地元の人だろうか結構客が来ている、妻恋キャベツが有名だったから、この農園で買ったキャベツもおいしいだろうと期待して店を後にした。

その後、車で中軽井沢に下る途中に、朝も寄ったハルニレテラスがある、そこの駐車場に停めて、帰りはベーカリーの沢村で明日の朝食用のパンを買うことにした。これは軽井沢に来た時の恒例でもある。今回は本店ではなく、ハルニレテラス店だ。

今回買ったのは、いつものクロワッサン、先日買ったらうまかったプチバケット、それとパン・オ・ショコラの3点、合計961円。

ここには喫茶室兼レストランもあるし、テラス席もある。満員ではなかったが結構客が来ていた。土日だと満員であり、駐車場にも入れないこともあるし、クロワッサンなどは売り切れていたこともあったので、土日に来るときは、朝に立ち寄って買うこともあった。

今日はこの時点で4時半くらいになっていたので、他にはどこにも寄らず、一路自宅を目指して軽井沢を出発した。

さて、帰宅した翌日の夕食でさっそくキャベツを使った回鍋肉を嫁さんに作ってもらい食べてみた

おいしく頂きました。

 


健診後、浅草でランチと買い物

2024年05月31日 | 街歩き

午前中に健康診断を受け、そのあと、浅草に行ってみようと思った、朝10時半から営業しているてんぷらの天藤(てんとう)があるからだ。

TXの浅草で降りて、天藤に向かう、ちょうど開店時間だ、普段ならまだランチには早いが、この日は健診のため朝食を抜いているのでおなかが減っていた。

この店は何回か来ている店で気にいっている、開店直後で客は私一人、いつもの天ぷら定食2,700円をたのむ、前回来たときは確か2,300円だったが、ここも値上げか。それでもまだ良心的な価格設定だろう。

ここの天ぷら定食は大きなエビ1尾、小さなエビ2尾、白身魚、シシトウ、茄子、小柱のかき揚げの組み合わせ。出来立ての天ぷらをおいしく頂きました。味はもっと高い高級天ぷら店にも決して負けないと思う。

さて、食事をした後であるが、近くのセキネでシューマイを買うことにした。しばらく買ってなかった、セキネは大正10年創業の肉まん・シューマイに特化したテイクアウト専門店、今日は特大シューマイ10個入り(1,200円だったか)を買った。いつもは普通の大きさのシューマイ10個入り(500円くらい)を買うのだが、今日はなぜか大きなほうを食べたくなった。

この日は帰宅して、夕食にさっそくシューマイをいただいた、小さいシューマイより大きなシューマイのほうがおいしいと思った

次は少し疲れたので一休みしたくなり、浅草で休む時の行きつけ、新仲見世の舟和本店2階の喫茶室に行ってみた。ここはいつもそんなに混んでいないので穴場である。2階に上がり、席が空いていたのですぐに座れた、今日は抹茶セット(芋)を注文した、客が入ってくるが満席にはならない、中高年の方が多いので落ち着いている。

最後は、雷門通りに面した肉屋の松喜でハンバーグ用の肉300gを買う、値段は忘れたが、100g230円だったか330円だったか。ハンバーグ用の肉は松喜か浅草松屋に入っている日山の肉を買っていくことにしている、日山は3種類くらい用意されているが、松喜は1種類だけだ。ただ、ハンバーグ用の肉は値段が高ければうまいというわけでもないというのが私の感覚だ。

ハンバーグと言えば、ちょっと前にNHKの料理教室で、昔の再放送をやっていた、帝国ホテル料理長の村上信夫氏がハンバーグの焼き方を教えているものだ、村上氏のことは以前読んだ本「フランス料理二大巨匠物語」で知っていたが、テレビで見るのは初めてだった。見ていると実に人なつっこい方で、説明がうまいし、細かいことまで詳しく手に取るように教えていた


(右側が村上信夫氏)

こんなに偉い人が家庭の主婦を相手にした料理番組で説明をするとは驚いた、しかも、いろんな知恵を惜しげもなく出し、実演して見せていた。これこそ本物のプロだと思った。プロとは難しいことを誰にでも理解できるように簡単に説明して、やって見せることができる人だと思う。これは学問の世界でも同じで、難しいことを難しくしか説明できない人は本当はわかっていないのだと思う。その村上氏は、実演しながら、「ハンバーグとはドイツのハンブルグ発祥の料理で、ハンブルグがなまってハンバーグになったのです」などとさりげなく説明していて本当に感心した。

この日の翌日、嫁さんに松喜の肉でハンバーグを作ってもらったが、これもおいしかった。私は家でハンバーグを食べるときは、おろしポン酢をかけた和風ハンバーグとして食べている。

ご馳走様でした。

浅草に来た時の行動パターンも毎回同じようになってきたが、それも良いでしょう、まだ行きたいところがあったが、今日は健診で気疲れしたので、これで帰宅することにした

 


2024京都旅行(その5・完)

2024年05月23日 | 街歩き

さて、今日は最終日、天気は晴れ。まず朝食だがノダコーヒ本店に、朝7時開店のため、少し早めに到着。ここは開店前だが客が店先に並ぶと店の中に入れてくれるので好きな席に座って備え付けの新聞を読みながら7時を待つ。

もう結構先客が入っていたが、奥の広い庭園が見える席が空いていたので、そこに座る。今朝の注文は、昨日食べ過ぎたので、トーストとコーヒーのみとした、二人合計で2,000円くらいか。

ここはコーヒーにクリームと砂糖をあらかじめ入れて提供する方式、私はブラックを飲むのでそう言えば対応してくれる。ここは、1940年に猪田七郎氏が海外産コーヒーの卸売を始め、1947年にコーヒーショップを開いたのが創業である。この時、客が会話に夢中になってコーヒーが冷め、砂糖とミルクがうまく混ざらなかった事がきっかけとなり、初めから砂糖とミルクを入れた状態でのコーヒーの提供が始められた

イノダコーヒも京都府内に何店舗があり、東京の大丸にも出店しているが拡大主義ではない。近くに三条店もあり、そこも大変しゃれているが現在改装中。私はこの本店が好きだ、庭が見えて、天井も高く、開放感があって上品な感じがして落ち着くのだ。

2022年9月に後継者不在を理由に事業承継を目的とした投資ファンド「アント・キャピタル・パートナーズ」が運営するファンドへの株式譲渡を発表し、ショックを受けた。

朝食後、今日は車で貴船(きぶね)に行くことにした。30分で到着する、市内よりは高地にあるため涼しい、9時前に到着して、運よく駐車場が空いていたのでそこに駐車し、貴船川沿いに歩いて貴船(きふね)神社本宮に向かう、地名の貴船は濁るが、神社の貴船は濁らない、これは、貴船神社は水の神様のため濁ってはいけないため。

貴船神社の入口の鳥居をくぐると本宮に続く階段があり、そこが写真の名所なっている。階段を昇って本殿に到着すると、本殿から上の山には木々のほかに水草、シダやツタのような水源の地によく生えている草ゝが鬱蒼と茂っていた、そして上のほうから水がしたたり落ちてきていた。

貴船神社は、全国に約500社ある貴船神社の総本宮、本宮の横に「由緒」が掲示されており、神社の始まりは不詳だが、第18代天皇の御代に奥宮の社殿を建てた記録があるので、日本でも指折りの古社に数えられる、とある。すごいところだ。

さらに、そこから奥に500メートルくらい歩くと奥宮があるので行ってみた。この本宮から奥宮までの川沿いには川床料理の料理屋がびっしりと並んでおり、もうすでに営業していた、道路沿いにはメニューが出ている店も多く、料理の値段はピンキリだが、5,000円くらいから利用できるようだ。

奥宮に参拝し、同じ道を歩いてまた駐車場のところまで戻った、奥宮にも駐車場があったが、ここは本宮の入口近くの駐車場に入れて、奥宮まで歩いたほうが新緑の景色をゆっくり楽しめるので良かったと感じた。

この後、すぐ近くの鞍馬に行ってみた、鞍馬駅前に駐車して駅の大きな天狗や駅舎内や叡山電車が到着するのを見た、この鞍馬が終点だ。電車から多くの観光客が降りてきた。

そのあと、鞍馬寺がすぐ横なので行ってみた、寺の山門を見上げる階段の入口がやはり観光ガイドブックによく出てくる景色である、何枚か写真を撮ったが、あとの予定も控えているので、それ以上は中に入らなかった

さて、貴船と鞍馬で午前の予定は終わり、次は昼食の予約を取ってある旧三井家下賀茂別邸に向かう、場所は下賀茂神社の一番南側、出町柳駅のすぐそばだ、そこに市営駐車場があるので車を停めて、別邸に向かう。

この別邸には誰でも入れる、もとは隣接する家庭裁判所も含めて三井家の財産だったが財閥解体で国の所有になり、家庭裁判所とその裁判所長の宿舎として利用されることになった、ただ、その宿舎は利用勝手が悪く、宿舎だけは何年か前から観光用の施設として民間に運営委託されていると説明してくれた。したがって、家庭裁判所は今でもあるし、財産は国の所有物だ。

この別邸では見学だけでなく、抹茶プランやランチプランがあり、お屋敷内の部屋で楽しめる。今回は初夏のランチプランを予約しておいた、見学だけの人は入れない2階のお座敷で京都の有名な仕出し料理屋「三友居」のお弁当を楽しむプランだ。


(庭園がよく見える大きなガラス窓が特徴)

時間が来ると2階に案内され、若干の説明の後、ゆっくりと庭園を見下ろしながら三友居のお弁当をいただいた、ビールなどお酒もオプションである

食後には、ガイドの男性と3階の望楼に昇った、この日の参加者は7名、望楼に入り景色を楽しみガイドの方のいろんな説明を聞き、写真を撮って楽しんだ。望楼からは大文字焼きの山や比叡山、別邸の庭園などが眺められ、天気も良かったので楽しめた。このガイドの方から、昨日行った真如寺は三井家の菩提寺だと教えてもらってびっくりした。

さて、また2階の部屋に戻り、今度は食後の茶菓が用意されていた、茶道のお茶碗に入れられた薄茶と鶴屋吉信のきれいでかわいらしい和菓子だ。

このランチプランは7,500円と少し高めだが、なかなか来られるところでもないので、払う価値は十分あると思った、観光客や外人さんが殺到しないことを祈りたい

別邸を後にしたのが午後2時過ぎ、飛行機の時間を考慮すると京都出発は4時少し前、そうすると観光できるのはあと1か所、出町柳の駅前で阿闍梨餅を買って、あとは車を停めたまま、バスで三条のカフェ、Tribute Coffee、に行くことにした。ここは比較的新しい店だと思う。

三条の交差点からすぐだが、ビルの3階にあるので少し不便だ、しかしテレビなどに出たため結構客が来ている、すぐに座れたので、アイスオレとプリンをたのんだ、若者が多いが、中高年の客も来ている。店はそれほど広くなく、店主と奥さんの二人でやっている感じで、忙しそうだ。

コーヒーを飲みながらこれから出町柳に戻り、車で伊丹空港までにどのくらい時間がかかるかGoogleマップで確認し、そのあと店を出た。

これで今回の京都の旅は終わりだが、計画したけど行けないところもあった、それは次回以降のお楽しみに取っておこう、京都は年に1回は訪問したい

(完)

 


2024京都旅行(その4)

2024年05月22日 | 街歩き

さて、3日目の夕方、夕食前に真古館(しんこかん)という喫茶店で過ごそうとあらかじめ予約しておいた、ここは完全予約制、時間は17時から。


(入っていいのかな、と思わせる吉田山荘の門構え)

この真古館は吉田山荘の敷地内にある。吉田山荘は、東山三十六峰の一つ、吉田山の中腹に位置し、昭和天皇の義理の弟君、東伏見宮家の別邸として昭和7年に建てられた。戦後は料理旅館となり、宿泊や宴席ができる施設になり、さらにお茶をお楽しめるようカフェ真古館を作り、季節ごとのイベントなど、文化的な催しも多数行っている。


(右奥の建物が真古館、左の建物は吉田山荘入口)

近くのコインパーキングに車を停めて、吉田山荘の前に来ると、その立派な門構えにびっくり、さすが皇室ゆかりの宿だ、こんなところに入っていいのかなと思いつつ、門から山荘の入口につながる道を登っていくと、すぐに吉田山荘と真古館が見えてきた。

真古館のドアを開けて入ると1階はお土産の店舗とレジなどになっており、2階に案内される。混んでいるのかと思ったら、まさかの我々1組のみ、テーブルがいくつも置いてあり、好きな席にどうぞと言われ、吉田山荘の玄関が見える窓側の席に腰掛ける。

メニューは珈琲+お菓子のセット1,800円で、ケーキ等は別料金、値段は高めだが、由緒ある場所で、雰囲気のいい場所なので納得。クラシック音楽も流れている。

2階からは敷地内の新緑の木々がよく見え、また、室内は蛍光灯ではなく、ランプ等で明かりをとっており、上品な感じが良かった。ゆっくり寛げました

さて、これから夕食の予約をした店に行こうとパーキングに戻ると、真正極楽寺真如堂というお寺がすぐ横にあったので、参拝していくことにした。本堂横には三重の塔もあり、立派なお寺だ。永観2年(984年)に戒算上人が開創した、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺であるが、翌日になって、このお寺は三井家ゆかりの寺だということが分かった、三井家の家祖三井高利夫妻の墓所になっており、それを機に三井家の菩提寺となっているとこと。

その後、車で京都で最古の花街、上七軒の近くにある中華料理店「伯楽家常菜」に、中国吉林省長春出身のシェフ夫妻が営む店、屋号の「伯楽=才能を見抜き引き出せる人」の「家常菜=家庭ごはん」が店のコンセプト。高級でなく上質に、家常菜を提供する店として人気があるようだ。

予約のあることを告げ、カウンター席に案内される。注文はコース料理ではなく、アラカルトにして、まずは生ビールをたのみ、食べ物は、前菜盛り合わせ、点心(春巻き)をたのみ、その後はメインディッシュとして黒須酢豚、そして最後は〆のご飯ものはチャーハンをたのんだ。ほかにもう一皿食べたような気がするが写真を撮り忘れたか、ビールの後は紹興酒1合を飲んだ、いずれもおいしかった、春巻きは形が独特で、味も普通の春巻きとは違い、家庭で作る春巻きに近い味付けだったのが面白いと思ったし、チャーハンもおいしかった。

店は満員の盛況ぶりであったが、厨房には店主ともう一人、息子さんか、二人で料理を作っているため、注文してから料理が提供されるまでそんなに待たされることがなく、ストレスがたまらなかった。

おいしく頂いて店を後にした、値段は全部で8,000円くらいと良心的価格設定だった。ご馳走様でした。

さあ、今夜はもう少し頑張って、平安神宮近くの京都のジャズ喫茶・バーで有名な「ジャズスポット ヤマトヤ」に行った。一度テレビに出たのを見て、行ってみたくなった。夜の8時半くらいだったか、先客のカップルが1組、どこでも好きな場所に座ってください、とのことなのでカウンター向かいの二つの大きなスピーカーに挟まれたテーブル席に座った。

私はジントニックを、嫁さんはソフトドリンクをたのんだ。つまみで出してくれたミックスナッツを食べながらジャズのナンバーをじっくりと聞いた、かかっている曲はレコードプレーヤーのそばにアルバムが提示されおり、ジョン・コルトレーンのアルバムだった。

店内は撮影OKとのことなので遠慮なく撮影させてもらう、店内を見まわしてみると奥のスペースの壁にはLPのアルバムがびっしりと収納してあった。店内はトイレも含めて、とてもきれいで清潔感があり、かつ、シックだった。

帰りがけに店主とちょっと話をすると、京都ではもうジャズ喫茶やジャスバーは殆どなくなった、とのこと、若者がジャズを聴かなくなったのが大きい、と仰っていた。そうかもしれない。東京のほうがまだましだなと思ったが、全体としてはマイナーな分野になったのだろう、何とか頑張ってもらいたい、一人でも若手のスターが出れば状況はガラッと変わるのだが。

2日目は盛りだくさんで張り切りすぎた

(その5)3日目に続く

 

 


2024京都旅行(その3)

2024年05月21日 | 街歩き

さて、2日目の昼食、市内中心部に行くと混んでいるし、車を停めるのに一苦労するので、今出川の同志社大学の学生食堂で食べようと思いついた

この今出川キャンパスには重要文化財の建物が5つあるというのをテレビで見たことがあり、その見物もかねて行ってみようと思った。

キャンパスには誰でも入れて、学食も利用できる。昼時の学食は学生で混んでいるので、先に校内を歩き、建築物を見学した。ほとんどの建屋がレンガ造りのしゃれた感じ。この日は、重要文化財となっているハリス理化学館が開放されており、中を見学していたら、係りの人から重要文化財のクラーク記念館と同志社礼拝堂(チャペル)も昼の30分だけ開放されておりぜひ見ていってくれと言われたので見学してみた、写真撮影も自由だった、いいものを見せてもらった。

その後、学食へ、トレーをもって自分が食べたい食事があるカウンターに行って注文、多くのメニューがあった、副菜も豊富だ、スイーツもある。その後レジで代金を支払い、テーブル席に。嫁さんと2人分で1,100円くらいだったが、おいしかった。

腹ごしらえした後は、今宮神社に行ってみた、神社の参道にある「あぶり餅」という名物を食べてみたかった。駐車場に車を停めると、短い参道があり、その両脇にあぶり餅の店が2軒ある、「一文字屋和輔」と「かざりや」だ、一文字屋の創業は平安時代、かざりやは江戸時代創業と歴史がある老舗だ。

売っているものは同じあぶり餅だが、二つの店が向かい合っている、両方とも同じくらい客が入っている、多分味付けなどが異なるのでしょう。

先に参拝を済ませ、一文字屋に入って1人前600円のあぶり餅をたのんだ。注文を受けてからすぐ近くの見えるとこで焼いている、煙が風情をそそる、きな粉をまぶしたお餅を親指サイズに千切って竹串に刺し、炭火であぶって香ばしい焦げ目をつけ、白みそだれを絡めて仕上げる

食べてみると、昼食直後だったが、あっという間に完食できた、おいしかった。

さて、この後は、それほど離れていない光悦寺に行ってみた、江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり、光悦の死後、寺(日蓮宗)となった。

境内には、大虚庵など7つの茶室があり、茶室大虚庵を囲むユニークな竹垣は「光悦垣」と呼ばれる有名なものだからぜひ見たいと思っていた

光悦がここに来た頃は、この場所は京都の洛外と呼ばれ、流浪の地と呼ばれてもおかしくないような寂し場所だった、その証拠にここの手前には御土居跡がある。この土居は秀吉が長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として築いた土塁である(写真を撮り忘れた)、 土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼ぶ

光悦は、この付近にさまざまな分野の、町衆の文化人や職人、芸術家たちを集めて、独自の文化を築きあげたというからすごいものだ。本阿弥家は代々刀剣の鑑定と刀研ぎの仕事に従事していたが光悦はさらに書、絵画、工芸、陶芸などの創作にも従事していたようだ

入場料を払って中に入っていくと、いろんな樹木が植えてあり新緑がまぶしい、その木々の中に草庵が点在している、非常に落ち着いた雰囲気だ、順路をたどっていくと、京都市内が見渡せる場所があり、また、鷹ヶ峰、鷲ヶ峰が見えるいい場所がある、そして光悦垣の美しさに目を奪われた、写真で何回も見たところだが、ついに実物が見られるとは。


(光悦垣)

なお、光悦がここに移り住む前の京屋敷は、現在の上京区実相院町にあったとされ、そこには記念の石碑が建っている、そこは2、3年前に旅行に行ったときに偶然見つけて写真を撮ってあった、場所は楽美術館の近くだ

この後、次の予定まで時間があったので、寺町通の洋菓子店、村上開新堂に行ってみた、何度か来たことがある。

訪ねてみると先客はおらず、ロシアケーキ10個詰めを購入した、値段は忘れたが3,000円くらいか。缶入りクッキーが人気で、予約制、1か月以上前に電話で確認したら1年半先まで予約が入っていると聞いて、あきらめた。


(日本橋高島屋の諸国名品売場で売っているのを見たことがある)

ここには喫茶室があるが現在改装中、この後、続々と客が入ってきた、いいタイミングで買い物ができた、以前はこんなに混むことはなかったと思うが、また、村上開新堂は東京の半蔵門にもあるが、興味のある方は以前の投稿(こちら)をご覧ください

(その4)2日目の夕方から夜に続く


2024京都旅行(その2)

2024年05月20日 | 街歩き

今日は2日目、昨日も今日も晴れ。京都に来た時の朝食はホテルではなく、喫茶店を探してそこでモーニングを食べることにしている。名古屋がそうだが、京都にも独特の喫茶店文化がある。

今朝は初めて訪問するところだが、四条高倉のバス停から歩いてすぐのところにある小川珈琲堺町錦店に行ってみた。小川珈琲は1952年に京都で創業し、1970年に喫茶店を開設し、以後、京都を中心に直営喫茶店を展開している、現在はコーヒーの製造、コーヒー器具等の卸売、喫茶店事業などを営んでいるようだ。喫茶店は海外にも店舗があるが、名古屋のコメダコーヒーのような多店舗展開はしていない、そこが良いとも言えよう。

店舗はおそらく民家を改装して作ったもので、デザイン、内装などがしゃれている、雑誌などにもよく紹介されているので有名になってきた。7時開店の10分前に到着したが、もう何人か待っている。この通りはイノダコーヒー本店に行くため同じような時間に何回か歩いたことがあるが、行列を見たのは初めてだ。

今日はモーニングメニューの中から、「スモークサーモンと自家製フムスのサラダプレート 炭焼きトースト添え」2,200円と炭焼きトーストと「京都ぽーくボンレスハムとキュウリのサンドイッチ 柚子塩添え」1,450円をたのんだ。珈琲カップが大きいのがうれしい、おいしかった。店内は広く、並ばなくても入れただろう、若い人も結構来ていたし外人さんも来ていた。

朝食を済ませた後、ホテルから車で桂離宮に向かう、9時から予約を取っておいた。15分くらいで到着し、専用の無料駐車場に入れ、入口で開門時間を待つ、入場料は1,000円、今日は当日券も発売しており行列ができていた

開門20分前から中に入れてくれて、見学ルートの説明ビデオなどを見て過ごす。ここは宮内庁管理の施設で入門管理が厳しかった。20人一組くらいで説明員がついてくれて、所定のルートに従い解説を聞きながら見学する方式だったが、これがよかった。

桂離宮は回遊式庭園と数寄屋風の純日本風建築物で構成されている。係りの方の解説を聞きながら、手入れの行き届いた庭園や池、門、茶室、仏堂、書院などの建屋を見て回った。ここは創建以来火災に遭うことなく、ほとんど完全に創建当時の姿を今日に伝えている貴重な財産である。

素晴らしいところだった。

さて、桂離宮の次は、ここも前から行きたいと思っていた南禅寺近くの野村美術館に行った。この美術館は野村證券グループが母体で、1984年に開館。野村證券、大和銀行などの創業者野村徳七氏(雅号:徳庵)が蒐集した書画、茶道具、能面、能装束や徳庵自身の手になる作品を核として展示する美術館で、春季と秋季にのみ開館している。

今回は、「野村得庵 席披茶会再現 神戸棲宜荘・熱海塵外荘」と題した春季特別展示(後期)を開催していた。この日は昭和16年4月に塵外荘(徳庵の熱海別邸)で行った茶室の披露茶会の再現展示をしており、茶会開催時に使用した茶道具などが多数展示されていたが、撮影は禁止であった

むかしの会社の創業者は財を成した後はいい趣味を持っていた、素晴らしいことだろう。今の新興企業で成功したユニクロや楽天などの創業者たちはどういったものを残せるだろうか。

野村美術館を出た後、そのすぐ横にある、「碧雲荘」という野村徳七の京都別邸がある、内部は非公開なので、その門やお屋敷の外周を眺めてため息をついた。

(その3)2日目午後に続く

 

 

 


2024京都旅行(その1)

2024年05月19日 | 街歩き

昨日まで、夫婦で京都に旅行に行ってきた、2泊3日。ここ数年、京都には何回か旅行に来ている。初日は、朝5時に自宅を出発、羽田空港まで車を運転し駐車場に入れる。フライトは7時半発、8時半伊丹着。飛行機はおおむね満席のように見えた。

伊丹空港のレンタカー会社で車と契約内容を確認、荷物を積み込み、京都に向けてスタート。京都到着後、四条河原町の高島屋の駐車場に入れ、高島屋内の創業明治6年、京都すき焼の草分け的存在の名店「三嶋亭」に行き、すき焼きを食べる、3,300円だったか。三条の本店で食べると1万円以上するメニューしかないが、高島屋店では庶民でも手が出る値段で食べられるのがうれしい。すき焼きはその場で焼くのではなく、既に調理場で焼いたものをお皿に盛りつけて出てくる方式、ただ肉の量は多く、十分に老舗のすき焼きを堪能できた。

さて、次に近くの喫茶店「築地」に行く、行ってみたい店だった。河原町通りからちょっと横道に入ったところにひっそりとあるが有名店。入ってみるとすぐに座れた。室内はヨーロッパ風とでもいうのだろうか、レトロな感じもする、音楽はクラシックが流れている。非常に落ち着いた雰囲気

この店は、昭和9年の創業、店内には床にステンドグラスのような色のついた敷石が埋め込んであったり、アンティークの調度品が置いてあったりして別世界のムードが漂う。ウィーンを意識しているのだろうか。

ゆっくりくつろいだ後は、次なる目的地、ちょっと離れたMIHOミュージアムに向かう、京都から車で1時間、滋賀県甲賀市信楽町にあり不便だが、だから良いともいえる。

ここは前から一度行ってみたい美術館だったが、休館日が多く、都合が合わなかった、今回、念願かなって初訪問となった。日本の美術館を紹介する本や雑誌などでは、ここは必ずと言っていいくらい紹介されるところだ。

ここの大きな特徴は、滋賀県の山の中の自然に溶け込むように美術館が作られていることだろう。美術館全体が一つの芸術作品といってもいいものになっている。詳細は別投稿に譲りたい。

さて、美術館に3時半くらいまでいて、この日はせっかく滋賀県まで来たので、京都に帰る途中の大津市の石山寺に寄ってみようと思った。ご存知の方もあろうが、現在放映中の大河ドラマ「光る君へ」で主人公の紫式部の「まひろ」が女友達の「さわ」と一緒に滞在したあの寺である。

美術館から車で30分くらい、到着したのが4時過ぎだった。結構観光客が来ており、紫式部ののぼりがいっぱい立てかけてあり、参道を歩いていくと、寺から続々と参拝の終わった観光客が出てくる、そして紫式部関連の土産物売り場や、展示室などがあり、大いに盛り上がっているようだ。

しかし、受付で入場券を買おうとすると、本堂などすべて4時半までで終わりだと言われ、ショックを受ける、せっかく来たのに・・・まあ、仕方ない、よく調べなかったからいけないのだ、あきらめてこの日は京都に帰ることにした。

京都に戻り、ホテルにチェックイン、場所は四条堀川交差点近く。ちょっと休んで夕食に出かける。今日は行き当たりばったりで適当な店に入ろうと思い、南座の正面の「レストラン菊水」に行ってみた。洋食レストランで、大正5年創業の老舗、建物は国の登録文化財だ。

1階のレストラン&パーラーはお手頃値段のメニューで敷居が低いため混んでいるかなと心配したが意外と空いていてすぐに入れた。ビールを注文し、私はチキンのグリル、嫁さんは洋食弁当をたのんだ、値段は2千円から3千円程度のリーズナブルなものだ。料理をつまみにしてビールを飲み、後はグラスワインの赤を1杯飲んだ。

おいしかった、ご馳走様でした。

この日は朝早かったので、あとはどこにも寄らずにホテルに帰えろうと思ったが、歩いて15分くらいの「石塀小路」という京都らしい屋敷や店が集まった小道に行ってみた。ところが入口に「私道につき撮影禁止」の注意書きがあった。入口のところだけ写真を撮って、小路を端から端まで歩き、雰囲気を味わいホテルに帰った

お疲れさまでした。


伊奈町のバラ園に行く

2024年05月15日 | 街歩き

埼玉県北足立郡伊奈町のバラ園に行ってきた。新聞か何かでその存在を知り、行ってみたくなった。このバラ園は町制施行記念公園内にある。県内最大のバラ園というのが売物だ。入場料は350円、5月3日から5月31日まで「2024バラまつり」が開催されている、バラ園入口付近に多くの市町村観光物産展の出店があり、また、ゆるキャラが子供たちを喜ばせていた。

行ったのが日曜日であるためか、多くの人が来ていた、平日に行きたかったが天気が悪かったり他の予定が入っていて行けなかった。場所は大宮からさらに地域鉄道に乗っていくので、自宅から2時間かかるとGoogleマップに出て、車だと50分と出たので時間節約のため車で行って、バラ園のすぐそばのスーパーの駐車場に入れた。公園内にも駐車場があったが、昼食をしてからバラ園に行こうと思ったのでスーパーの駐車場にした。

「この伊奈町記念公園は、昭和47年に開園され、現在はバラを始めとする季節の花が咲き乱れる花園や、さまざまなスポーツ・レクリエーション施設があり、子どもからおとしよりまで楽しめる。野球やテニスをしたり、子どもたちが野外でのびのび遊べる大砂場、キャンプ場などの施設がある」と役所のホームページに書いてあった。

さらに「バラ園は1.4ヘクタールの敷地に、400種、5,000株のバラが植えられており、色とりどりのバラの花があたり一面に咲きほこり、まるで絵画の世界へ迷い込んだかのようで、バラを観賞しながら散歩できる通路やバラのアーチもあり、間近でバラを楽しめる」と宣伝している。昨年訪問した京成バラ園は、1,600品種、10,000株のバラだったので(こちら参照)、それよりは小規模であるが十分楽しめる規模だ。

自動販売機で入場券を買って園内に入ると、入口近くが第3バラ園、奥に進むと左に第1バラ園、右に第3バラ園が配置されている。ただ、敷地内で続いているので、第1から第3というのはそれほど意識しないでいいようだ。

園内でもらったパンフレットを読むと、きれいに咲かせるために、丁寧に剪定し、施肥、消毒をして大切に育てているとある、そして園では春と秋の年2回、花を咲かせるように手入れをしているとのこと、秋は10月下旬から11月中旬にかけて見ごろのようだ。育成、維持担当の方々の苦労は大変なものだろう。

私は坂東真理子氏が指摘するような「花の名前を知っていること」という女性が持つうらやましい品格、知識は男性でもあるため無い、というか今まで興味がなかった。このためバラの種類や品種はわからないが、名前などを書いたプレートが置いてあるので女性や興味のある人にとってはたまらないであろう。

ゆっくり園内を回り、写真を撮り、1時間弱滞在して園を後にした。


「神代植物公園」に行ってきた

2024年04月30日 | 街歩き

調布市の神代植物公園に行ってきた。つつじが綺麗に咲いているというニュースをどこかで見て久しぶりに行きたくなった。先に深大寺に参拝し、そのあとで公園に向った。深大寺の奥から歩いてすぐのところに公園の深大寺門があり、そこから入れる。入場料は65才以上割引で250円だった。

深大寺門に入ると、そこは雑木林になっている、新緑の季節なので緑が多くて素晴らしい、来ている人も少なく静寂な感じ。

そこから左に向って行くとばら園があり、幼稚園生たちがたくさん来ていて楽しそうに遊んでいた、バラが咲くのはもう少し先のようだ

そこから今度は右に進んで行くとお目当てのつつじ園が見えてくる。一面満開のつつじの花で埋め尽くされていた、赤や白、ピンクの色で実にきれいだ。大勢の人が見に来ていた。そこでしばらく見物し、写真を何枚も取り、ゆっくり過ごす、外国人観光客はあまり見かけなかった、まだ知られていないのか、今日は天気が良い日で最高だ。

その後、築山、芝生広場に歩いて回る、こちらにはあまり人が来ていない、ゆっくり歩いて帰りは正門の方に向い、正門前のバス停留所からバスに乗り三鷹駅に向った。まだ時間が早かったし、日も長くなってきているので、今日はもう一箇所、久しぶりに国分寺の名曲喫茶「でんえん」に行ってみよう、という気になった。

三鷹駅構内にKINOKUNIYA BAKERYがあったので明日の朝食用のパンを買った。

お疲れ様でした。