ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

「マケラ指揮コンセルトヘボウ管2023&ドキュメンタリー」を観る

2024年06月06日 | クラシック音楽

NHKプレミアムシアターで放送していた「マケラ指揮コンセルトヘボウ管2023&ドキュメンタリー」を観た

クラウス・マケラ指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団演奏会2023、ソプラノ:ヘン・ライス(2023/12/25、コンセルトヘボウ)

  • 序曲「フィンガルの洞窟」(メンデルスゾーン)
  • 「ヘーローとレアンドロス」(ファニー・メンデルスゾーン)
  • 「夏の夜の夢」からスケルツォ(メンデルスゾーン)
  • 演奏会用アリア「不幸な女よ」(メンデルスゾーン)
  • 「交響曲第3番」(ベートーベン)

今回の演目ではベートーベンの3番に注目した、彼の経歴からシベリウスやフランス音楽が好きなのではないか、と勝手にイメージしていたので、ドイツ物の中でも最大の作曲家のベートーベンの3番をどう指揮するか注目していた。ただ、あとに述べる彼のインタビューでは、最初に好きになったのはモーツアルトと言っているので、ドイツ物は好きなのかなと思い直した。

今回の3番は、全体的には満足する演奏だったが、第4楽章のスピードが早すぎると感じた、もっと重厚感のある、また、切れ味鋭い演奏が好きだ。演奏スピードが速すぎるとそれが出せない、逆に軽い感じの演奏になってしまうと思っている。

ドキュメンタリー、クラウス・マケラ、ほとばしる情熱

クラウス・マケラ(1996、フィンランド)は28歳の若さ、チェロ奏者であり、指揮者である。指揮者としては既に2020年にオスロフィルの首席指揮者、2021年にパリ管弦楽団の音楽監督になどに就任し、2027年からロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に、さらに2027年9月から5年間、シカゴ交響楽団音楽監督に就任することが発表されている

このドキュメンタリーはマケラの来し方や指揮に関する考え方などをインタビューを中心にして描き出すものである。彼がどんな風に音楽に親しみ、職業とし、成長してきたのかを描いている非常に興味深い内容だ。

このドキュメンタリーを観て、マケラが若いのにしっかりとした考えを持つ人間であり、オーケストラメンバーなどチームワークを立派にこなせる人間だということがわかる。

このドキュメンタリーの中でマケラが述べていることで、なるほどと思わせることや参考になったことを少し書いてみよう

  • 指揮というのは不思議な仕事で、演奏におけるその役割も簡単には説明できない、大切なのは信念であり、自らの知識と情熱をいかに演奏に反映するかだ
  • 演奏者が望むものは良い演奏をさせてくれる指揮者だ、それさえできれば脚を使おうが目で合図をしようが構わない
  • 最初に好きになった音楽はモーツアルト、今も心の支えだ、自分が育った環境は穏やかで、音楽にあふれていた、両親も親類も音楽家ばかり、でも強制されなかったのは幸いだった、
  • 自分は神童ではなかったが、父が持ってきたチェロを始めて音楽が一層好きになり、楽譜を見たり曲を聴いたりしていた、本気になったきっかけはオペラだ、指揮者はチェロ奏者と違い、オペラのすべてを演奏できるからだ、それで指揮者になりたいと思った
  • シベリウスアカデミーの指揮のジュニアコース試験会場に行ったとき、ヨナス・パルマがいた、だれもが知る巨匠で名教師、彼に認められて指揮者になる指導を受けた、パルマは指揮者の指示は最小限でいい、講釈は必要ない、少ない動きで技術的な信条を伝えることを学んだ
  • 楽団のメンバーとは仲がいいから演奏もよくなる
  • 指揮者も演奏家だと思っている、指揮者がオーケストラの楽器を何一つ演奏できなかったら高い技術を持つ演奏家たちに指示など出せない
  • 指揮者は何か言うのに3回は我慢する、オケの演奏をいちいち止めて細かい指摘をするのは時間の無駄だ、でも室内楽は意見の交換が重要だ

テレビでは触れられていなかったが、なぜ彼がこんなにも若く頭角を現せたのか。それはおそらく、音楽一家に生まれて家族から英才教育を受けたことや、音楽一家に生まれたメリットを最大限活用できたこと、強力な支援者がいたこと、ヨーロッパ社会が実力ある若手を育てていく素地があることなどかもしれないが、それは想像でしかない

本当の成功要因というものを知りたいし研究する必要があるのではないか、なぜならマケラのようなことは日本では考えられないからだ。マケラは指揮者コンクールなどで優勝したわけでもない、そんな若手を優秀だからと言って抜擢するだろうか、オケのメンバーたちは快く受け入れるであろうか、そこが日本にはない欧州の強さかもしれない


都響第999回定期演奏会Aシリーズを聴きに行く

2024年06月02日 | クラシック音楽

都響、第999回定期演奏会Aシリーズを聴きに行ってきた、場所は東京文化会館大ホール、シルバー割引でA席4,800円、19時開演、21時終演、当日券も含めて完売、井上人気か、大ホールを平日夜に満席にできるのだから大したものだ、男女の別なく幅広い年齢層が来ていた

指揮

井上道義(1946年生まれ)

井上氏は、新日本フィル音楽監督、京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者、大阪フィル首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督などを歴任したベテラン。2014年4月病に倒れるが、同年10月に復帰を遂げた、ショスタコーヴィッチについては2007年にショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会を成し遂げた、本年12月にて指揮活動の引退を公表している、今回は都響とのラスト・セッション

曲目

ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 op.68《田園》
ショスタコーヴィチ:交響曲第6番 ロ短調 op.54

《田園》は、1807年から1808年にかけて作曲された。私の大好きな交響曲の一つだ。同じ1808年に完成され、初演も同じ日になされた交響曲第5番とともに、この頃の彼の革新的な姿勢が様々な面でみられる曲だが、曲のイメージが全く異なるこの2つの交響曲が同時期に作曲されたというのが驚きだ

都響の曲目解説では、《田園》で注目されるのは標題的な特性を備えていることで、各楽章につけられている題はベートーヴェンによる元の表記を初版発行時に出版社の意向で修正され、それが広まっていたが、原典版が出たことにより近年は原典表記が普及してきたとある、具体的には

  • 第1楽章「田舎に着いた時の愉快な気分のめざめ」⇒「田舎に着いた時にめざめる喜ばしい快活な気分」
  • 第4楽章「雷鳴、嵐」⇒「雷雨、嵐」
  • 第5楽章「牧人の歌。嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」⇒「牧人の歌。嵐の後の神への感謝に結び付いた慈愛の気持ち」

第1楽章と第4楽章はそれほど大きな修正ではないと思えるが、第5楽章はかなりの修正であろう。手許の4つの「田園」のCD(ワルター版、フルトヴェングラー版、ベーム版、トスカニーニ版)を見ると、第4楽章は既に原典表記になっているが、第5楽章はすべて出版社表記だった

今日の田園の演奏だが、ホールに注意書きで、この曲では指揮者の希望により、ホール内を通常の公演時より暗くしてある、と書いてあった。井上のこの曲にかける思いがあるのだろう。

今日の演奏は第4楽章までは自分が思い描く田園の演奏と一致していた、また、第5楽章は自分の好みの演奏とは若干違ったがよかった、特に最後の1分くらいだろうか、通常の演奏速度と比べると少し遅いペースで演奏し、静かに、上品に、消入るように終わったような気がした、これが大変良かった、井上の指揮者人生の終わりに万感の思いを込めて演奏を終わらせたのではないかと感じた、オケ全体も気持ちがこもっていたのがよくわかった、原典表記の「嵐の後の神への感謝に結び付いた慈愛の気持ち」をまさに演奏していたのではないかと思った。素晴らしい指揮者と演奏だった

ショスタコーヴィチ(1906~75)の交響曲第6番は、レーニンに捧げる交響曲との構想を語っていたが、1939年に完成した作品はレーニンとは何の関係もなく、3楽章からなる小ぶりな作品だったため、かなりの失望を与えた。ショスタコーヴィッチは、「この曲は気分の点でも情緒的緊張の点でも第5交響曲とは対照的である、物思い沈んだ情緒的な第1楽章に続き、青春の歓び、若々しさを伝える二つの楽章が演奏される」と語っている。ちなみにレーニン交響曲は、最初6番として構想され、やがて7番になり、最後に12番で実現した。

ムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルによって行われた初演は、前作のような成功ではなかったものの、それによって作曲者が窮地に追い込まれるほどの失敗でもなかった。

この曲は初めて聴く曲だが、確かに第1楽章と第2、第3楽章の対比が面白かった。

さて、今日の公演について若干の気付き事項を書いてみたい

  • 田園の演奏で、トランペット奏者(トロンボーンもあったかも)が数名、第3楽章か第4楽章の前だったと思うが、突然、舞台袖からゾロゾロと登場した、そこまではトランペットの演奏はなかったからだと思うが、また、このようなことは他の曲目でもあることだが、人数が多かったので客席から見て「突然感」があって驚いた
  • この日の私の座席は1階の舞台に向かって右側の袖席(A席、R6列)であり、席から見て舞台上の左側の楽屋から奏者たちが出てくるところがよく見えたが、楽屋内部も少し見えた、そこが演奏中に消灯しないため、また、楽屋で人が動いているのが見えるので気になった、演奏中はカーテンをするとか何か考えたほうが良いと思った(上のステージが映った写真で左3分の1くらいのところに縦に明るくなっている部分)
  • 大ホールは久しぶりだが、田園の演奏の時、第1章と第2楽章の演奏がそれぞれ終わると、ホール内で咳払いの音が普段よりかなりうるさいと感じた、特に第1楽章が終わった後の咳払いは井上も驚いていたように見えた、咳払いはやむを得ないが、ハンカチで口を押えるのがエチケットだと思う
  • 開演前のホール内の放送では、「演奏の余韻を楽しむため、演奏終了後は指揮者がタクトを置いてから拍手をしてください」とアナウンスしていた、これはいいことだと思うが、英語の放送ではその部分は省略されていた、また、咳払いについてのエチケットも注意をしたほうが良いのではないか
  • カーテンコール時は井上に何か話してほしかった、ホール内を通常より暗くした理由とか、なんでもいいから語ってほしかった
  • この日のコンマスは新加入の水谷晃氏だった、明るい性格な感じでカーテンコール時も笑顔でよかった

良い演奏を聴かせてもらいました

今日の公演前、どこかで夕食を食べようと思い、秋葉原の「新福菜館」にした、初訪問。この店は京都の人気ラーメン店で、私も随分昔に一度行ったことがある。それが東京に店があると知り、食べたくなった。

夕方、開店時間に合わせて行くと、若干の行列、すぐに中に入れて、中華そば850円をたのむ、半チャーハンとのセットがお得で人気とされているがちょっと多いと思ってラーメンだけにした。

黒いスープとたっぷりかかった刻み葱、やわらかいチャーシューが特徴、おいしかった。一気に食べた、量は想像していたよりも多くなく、半チャーハンもつけてよかったかなと後悔した。

ご馳走様でした。


「都響定期演奏会Cシリーズ」を聴きに行く

2024年05月14日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された都響定期演奏会Cシリーズに行ってきた。実は、行く予定がなかったのだが、前日に都響からの当日券情報のメールをもらい、内容を確認すると、これは聴きたいと思った。当日朝10時からネットで販売するというので、チケットを買った、S席、7,000円。14時開演、17時10分終演、ホールはほぼ満員であった。幅広い年齢層の方が来ていた印象を持った、また、年配の男性も結構いた。

公演開始前のアナウンスでは、曲の余韻を楽しむために、終曲後の拍手・ブラボーは指揮者がタクトを置いてからしてほしい、と言っていた、その通りであろう。なお、東京芸術劇場だが、本年9月から改修工事を予定しているようだ。

出演

指揮/尾高忠明
ピアノ/アンヌ・ケフェレック

曲目

武満 徹:《3つの映画音楽》より    
:映画『ホゼー・トレス』から「訓練と休息の音楽」  
:映画『他人の顔』から「ワルツ」   
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
ウォルトン:交響曲第1番 変ロ短調

なぜ聴きたくなったというと、

  • まず、曲目に武満徹作曲の映画「他人の顔」で使われた「ワルツ」が入っているからだ、短い曲だが先日このブログ(こちら参照)でも紹介したあの京マチ子、仲代達矢主演の映画「他人の顔」で流れていたあの曲だからだ。尾高忠明はこの曲が好きなのではないか、以前NHKのクラシック音楽番組でやはりこの曲を指揮していたのを見た。
  • 次に、モーツアルトのピアノ協奏曲20番(1785年、29才の時の作品)が入っているからだ、モーツアルトのピアノ協奏曲は長調が多いが20番と24番が短調で、これが素晴らしく大好きだ。モーツアルトの短調はただ暗い感じのトーンではなく、憂いがあり、美しさがあり、彼の性格の一部である。普段はそれを出さずに、そっと長調の曲の中に潜ませたりしている奥深さがあるが、短調の曲では逆になっており、不安や憂いや恐れの中にも希望の光が見えるように美しいメロディが潜んでいるのである、これがとても良い、この20番はWikipediaによれば、ベートーヴェンが大変気に入っていた作品として知られているとある
  • さらに、ピアニストが当初予定されていたマリアム・バタシヴィリの急な体調不良によりアンヌ・ケフェレックに変更になったからである。彼女のピアノを一回聴いてみたいと思った、というのも、昨年、テレビで放送されていた彼女のピアノ・リサイタルを観て、本ブログに投稿した経緯があるからだ(その時のブログはこちら)、その彼女が曲目を変更してなんとモーツアルトの20番を指定したのだから、もう聴きにいかないわけにはいかない

曲目であるが、《3つの映画音楽》は、1995年にスイスで開催されたグシュタード・シネミュージック・フェスティヴァルで武満がテーマ作曲家のひとりになったため、彼が手掛けてきた映画音楽で弦楽オーケストラを用いた楽曲から選ばれて編み直され、音楽祭で初演された組曲である。

『ホゼー・トレス』は映画監督などマルチに活躍した勅使河原宏と武満が初タッグを組んだ映画で、25分ほどのドキュメンタリー。タイトルになっているのはプエルトリコ出身の黒人ボクサーの名前、「訓練と休息の音楽」はその題名通り、映画のなかでトレスが訓練する映像にあわせた音楽を主部に、休息の場面の音楽を中間部にしており、3部形式に仕立て直された当時最先端のモード・ジャズ風の曲

聴いてみると確かにジャズ風であった、特にチェロとコントラバスが弦ではなくジャズのように手で弦をはじいて弾いている部分が印象に残った。

ウォルトン(1902~83)の交響曲第1番(全4楽章)は、初めて聴く曲だが、尾高が最愛の曲の一つとして数多くのオーケストラともに演奏してきた曲だそうだ。ウォルトンは、イングランド中部オールダムの中流家庭に生まれ、オックスフォード大学に進学するが中退し、大学時代に知遇を得た富豪シットウェル一族の支援のもと、独学で作曲技法を身に付けた。当初は革新的、前衛的な音楽を作っていたが、成熟した作曲家への脱皮を図ったのが交響曲第1番であり、ベートーヴェン的な精神で1930年代中盤に作られた正攻法の交響曲と言えると解説されている。

この曲をじっくり聴いてみて1回で理解するのは難しい曲だと思った、ただ、都響の演奏は素晴らしかった、それだけは伝わってきた

指揮者の尾高忠明であるが、彼の指揮は過去に聴いたこともあるかもしれないが、あったとしても久しぶりである。

ピアニストのアンヌ・ケフェレックであるが、

  • パリ生まれ、パリ国立高等音楽院を首席で卒業後、1968年ミュンヘン国際音楽コンクール優勝、翌年リーズ国際ピアノ・コンクール入賞の経歴を持つ。そして、2023年に最新盤『モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&第27番』(リオ・クオクマン指揮パリ室内管弦楽団)をリリースしたようで、それで今日の20番の選曲になったのかと納得。さらに、映画「アマデウス」ではサー・ネヴィル・マリナーとの共演でピアノ協奏曲を演奏し、話題を呼んだと都響の解説に書いてあり驚いた。「アマデウス」は何回か観たが全然気づかなかった、今度また見直してみたい。
  • 彼女は、日本では「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭に度々登場し高い人気を誇ると紹介されている、今回もそれで来日したのかもしれない、日本にファンが多いのか日本贔屓なのかもしれない。
  • 今日の彼女は、黒いロングスカートに金の羅紗が入ったように見えるブラウスを着て登場した、髪の毛は白髪のほうが多いが染めないで、長さは肩にかからないくらいにカットしてあるがボリュームは豊富で、お金持ちの上品な初老のご婦人という感じにみえた。長髪でボサボサ髪のピアニストや指揮者の身だしなみは好きになれない、今日のケフェレックのようなスタイルが気品があって好きだ
  • 彼女のピアノは素晴らしく、激しく引くところは十分に激しく力強く、繊細なところは非常に繊細に弾いていた。指揮者やオケとの呼吸もぴったり合って、聴きごたえのある20番であった。久しぶりに実演で20番を聴いて、本当にクラシック音楽を長年聴いてよかったと思ったし、モーツアルトに「こんな素晴らしい音楽をありがとう」と感謝したい気持ちになった。
  • また、今日の都響の演奏も尾高の指揮のもと、素晴らしい演奏であった、ケフェレックのピアノと息がぴったり合っていた
  • アンコールはヘンデルのメヌエット(ト短調)を自ら紹介して弾いてくれた、20番を聴き終わり興奮状態の観客の気持ちを静めるような曲で、このアンコールのおかげで穏やかな気持ちになった。

さて、この日の翌日、5月12日は、母の日だ、帰りに嫁さん用に東武のデパ地下に行って、デメルの「アソート・クッキー」2,376円と船橋屋の「母の日あんみつ」640円を買った。

良い一日となりました

 

 


「森下幸路ヴァイオリンリサイタル」を聴きに行く

2024年05月06日 | クラシック音楽

10年シリーズ+第27回、森下幸路ヴァイオリンリサイタルを聴きに行ってきた。場所は東京文化会館小ホール、席は自由席、チケットは4,000円。半分くらいは埋まっていた。14時開演、16時終演。

出演

ヴァイオリン:森下幸路
ピアノ   :川畑陽子

森下幸路は京都市生まれ、4歳よりヴァイオリンを始め、幼少を米国で過ごし、早くから才能を開花させた。帰国し1989年、桐朋学園大学音楽学部卒業、在学中より東京ゾリステンや新星日本交響楽団(現・東京フィル)のゲスト・コンサートマスターを務めるなどの活動を内外で始め、1996年から毎回テーマを設けて挑む「森下幸路10年シリーズ」と題したリサイタルを東京文化会館と仙台でスタート。現在、大阪交響楽団首席ソロ・コンサートマスター

川畑陽子は釧路市出身、5歳よりピアノを始め、桐朋学園大学音楽学部卒業。在学中より演奏活動を始め、1997年にはセヴィリアでの音楽祭、2013、14年には台湾へも招かれ、15年より北ドイツ音楽祭に招聘されている、国内では森下幸路の共演者をしばしば務め、東京文化会館小ホールと仙台でのリサイタルでは「ピアニズムにおいても陰影の機微を解した表現の丹念さにおいても抜群の力量を感じさせる。」(音楽の友)と高い評価を受けている

本日の出演者については失礼ながら知らなかったが、良い演奏をしてくれたと感じた。最初の曲の演奏開始前に室内が暗くなり、いよいよ出演者が登場というところだが、舞台の上も暗くなり、そこに二人がそっと影のように出てくる、そして舞台がすこしだけ明るくなると二人の姿が浮かび上がるように現れ、静かに最初の曲「月の光」を弾き出す、このような曲想にあった雰囲気満点の演出は初めてで驚いたが良いアイディアだと思った。

曲目

フォーレ/月の光
武満 徹/妖精の距離
シベリウス/即興曲Op.5-5(ピアノ独奏)
クーラ:無言歌Op.22-1
グリーグ/ヴァイオリン・ソナタ第2番ト長調
ベートーヴェン/ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第9番イ長調「クロイツェル」

この日の曲目は「クロイツェルソナタ」以外は聞いたことがない曲であったが、一曲ずつじっくり演奏に耳を傾けて聴けたのはよかった。特にシベリウスの即興曲やグリーグのヴァイオリン・ソナタが初めてでも聞きやすく、良かった。

さて、この日の演奏で、プログラム終了後のカーテンコールでアンコールのクライスラーの「愛の喜び」を演奏後、森下幸路が観客に向って少し話をしてくれた。内容としては、コロナが収束して普通の生活に戻ってコンサートもできるようになって良かった、健康でいることの大切さ、自分の弟の名前は「健康」で、医者になった、昨年は仲間やマエストロとの別れがあったが、音楽を通じて天国とつながっているような気がする、などをゆっくりと話してくれた、これは良かったと思う。

そしてその後、アンコールの2曲目が川畑陽子のピアノで静かにスタートすると、「あっ、Morgenではないか」と直ぐにわかりうれしくなった。例のRシュトラウスのMoren(独語で「明日の朝」の意)である。ピアノとヴァイオリンの組み合わせで聞くのは初めてだが、実に良かった。この日の演奏では森下幸路のヴァイオリンも素晴らしかったが、川畑陽子のピアノも非常に良かったと感じた。このMogenのピアノは上品なタッチで気持のこもった演奏であり感動した。彼女のピアノの腕前も相当なものだと思った。森川幸路だけでなく、彼女の話も聞きたかった。

(アンコール)

クライスラー 愛の喜び
R・シュトラウス Morgen

良い公演会でした。

 


「芸劇ブランチコンサート、100%ヴィオラの日」を聴き、東武の四川飯店で昼食

2024年04月27日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で「芸劇ブランチコンサート、清水和音の名曲ラウンジ」、「100%ヴィオラの日」を聴いてきた。11時開演、12時10分終演、2,400円、1階席は8割くらいの埋まり具合か。

出演

佐々木亮(Va)N響首席奏者
鈴木康浩(Va)読響首席奏者
中 恵菜(めぐな)(Va)新日本フィル首席奏者
清水和音(Pf)

曲目

  • ベートーヴェン:3つのヴィオラのためのトリオop.87(原曲:2つのオーボエとイングリッシュホルンのためのトリオop.87 )(佐々木+鈴木+中)
  • ショスタコーヴィチ:2つのヴィオラとピアノのための5つの小品より(原曲:2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品より)、前奏曲/ガヴォット/ワルツ (中+佐々木+Pf)
  • エネスコ:演奏会用小品 (鈴木+Pf)
  • ヴュータン:無伴奏ヴィオラのためのカプリッチョ(中)
  • ヴュータン:エレジーop.30  (佐々木+Pf)
  • クライスラー:愛の喜び(2つのヴィオラとピアノ版)(佐々木+鈴木+Pf)

このコンサートは平日の昼間の1時間、一流の場所で、一流の奏者が、手頃な値段で名曲の演奏を聴かせるというもので、いい企画だと思っている。今日はピアノ以外の3人は全員ヴィオラ奏者というめずらしいコンサート、ヴィオラ用の作品は少ないがヴァイオリン用の作品をアレンジするなどしてプログラムを組んだのだろう。

このコンサートの特徴は司会をやる人がいて、出演者にインタビューしたり曲の解説をするところだ、いつもは八塩圭子氏が司会だが、この清水和音のシリーズは清水氏が司会兼ピアニストになっているようだ。

今日の清水氏からのインタビューでは、出演者に「なぜヴィオラ奏者になったのか」という質問を投げかけた、答えを正確には覚えてないが、佐々木亮は「アメリカに修行に行ったときに先生から公演会のヴィオラのピンチヒッターでやってくれと言われて、それ以来好きになった」、鈴木康浩は「学生の時からヴァイオリンとヴィオラを両方やっていたが、ヴィオラに惹かれるようになった」、中恵菜は「やはり若い頃から室内楽を演奏していたらヴィオラの魅力に惹かれた」と話していた。それ以外もいろいろヴィオラ奏者ならではの話を聞けてよかった。こういう取組みは普通の公演でもやってほしい、オーケストラの場合でも指揮者が選曲の理由とか曲の解説をしてほしい

さて、今日の曲目だが、「愛の喜び」以外は知らない曲ばかりだが、演奏を聴いて全部良い曲だと思った、ヴィオラの音色もよく響き、ハッキリと聞き取れてよかった。

いいコンサートでした、帰りに6月19日の次回のブランチコンサート「念願のメンバーでピアノ四重奏」のチケットを買った。

さて、昼過ぎにコンサートが終ったので、昼食をどこかでと思い、東武デパートの12階の餃子の天龍か鰻の宮川か中華の四川飯店に行こうと思った。行ってみると、天龍は行列、鰻の宮川は値段が高すぎるため、すぐに入れて手頃な値段の食事ができる四川飯店に入った。ここはつい先日、赤坂本店に行ったばかりだが、池袋店はたまに利用している。今日はランチメニューからランチ御膳(麻婆豆腐)1,700円を選んだ、

味は花椒もよく効いてちょっと辛めの好きな味、おいしく頂きました、ご飯1杯では麻婆豆腐がなくならないのでおかわりした。

ご馳走様でした。私が店を出たときは3,4名の人が順番待ちしていた。


東京・春・音楽祭「小林海都と仲間たち」を聴きに行く

2024年04月11日 | クラシック音楽

東京・春・音楽祭「小林海都と仲間たち」を聴きに行ってきた。東京文化会館小ホール、4,500円、15時開演、17時終演。8割くらいの座席が埋まっていた。この日は土曜日、桜が満開、13時15分頃上野駅の公園口から出ようとするとすごい混雑、公園に向って行く人でごった返していた。

曲目

ハイドン:ピアノ・ソナタ 第38番 ヘ長調 Hob.XVI:23 (1773年作、全3楽章)
シューベルト:楽興の時 D780 (全6曲、作曲年代は1823~28年とされる)
シューベルト:ピアノ五重奏曲 イ長調 D667《ます》(1819年作、全5楽章)

出演

ピアノ:小林海都
ヴァイオリン:玉井菜採
ヴィオラ:佐々木 亮
チェロ:佐藤晴真
コントラバス:池松 宏(当初出演予定の吉田 秀が体調不良のため交替)

小林海都は1995年生まれ、NHK交響楽団をはじめ内外のオーケストラと共演。2022年12月、紀尾井ホール、ウィグモアホールにて本格的なリサイタルデビューを飾る、玉井菜採(なつみ)は、紀尾井ホール室内管弦楽団のコンサートマスター、また、内外でリサイタルを行い室内楽奏者としての信頼も厚い、東京クライスアンサンブルのメンバー、アンサンブルofトウキョウのソロヴァイオリニスト

佐々木亮は言わずと知れたN響のヴィオラ首席奏者、東京クライスアンサンブルのメンバー、佐藤晴真は2019年、ミュンヘン国際音楽コンクール チェロ部門で優勝、国内外のオーケストラと共演を重ねており、室内楽公演などにも出演している、池松宏は1964年ブラジルに生まれ、紀尾井シンフォニエッタ東京、東京アンサンブル、水戸室内管弦楽団、サイトウ・キネン・オーケストラのメンバー

小林海都、佐藤晴真、佐々木亮はテレビに出ているので知っていたが、5人のリサイタルでの演奏を生で聴くのは初めて。好きなシューベルトを聴かせてくれるというので楽しみにしていた。ハイドンとシューベルトの「楽興の時」は小林海都のピアノ独奏、「ます」はピアノ5重奏。今日のメインは「ます」でしょう、著名な演奏家5名のアンサンブル、最高の演奏を聴かせてもらった、大変よかったと感じた。

東京・春・音楽祭のWebサイトにある小林海都へのインタビューを少し見たが、この公演は先ず小林に声がかかり、他のメンバーは小林が悩んで選んだ結果だという、その結果、幅広い年令層にまたがる5人の奏者となったとのこと。たいしたもんだ、先輩を含めて指名するなんて、そんなこと恐れ多くてできないよ、という人もいるだろうが、仕事本位であればそんなことは関係ないだろう。その証拠に5人の息はピッタリと合っていたし、カーテンコールの時は佐々木や玉井などは小林を立てているように見えた。

アンコールはなかったが、それで良いと思う、5重奏でアンコールをやると言うのも難しいと思った。

いい公演会でした。

さて、この日ではないが、東京・春・音楽祭で「中野りな(ヴァイオリン)&ルゥォ・ジャチン(ピアノ)」を奏楽堂に聴きに来たとき、開場時間のだいぶ前に到着したので、すぐ近くの黒田記念館に寄ってみた、ここは定期的に展示作品を入れ替えしているので、前回観たときと違う作品が観れるのではないかと思った。入場料は無料だ。

2階の展示室に入ってみると、入口正面に大きな「花野(はなの)」が展示してあった、1907年から1915年までの間に作成したものだが、未完に終ったと説明がある。そして、この屋外の裸婦人群像は黒田の師のラファエル・コランの作例を受け継ぐものであると解説されていた。

私はこの解説を理解する知識も無いが、自分は、この作品を観てマネの「草上の昼食」(1862年~1863年)を思い出した


東京・春・音楽祭「歌曲シリーズ vol.37レネケ・ルイテン&トム・ヤンセン」を聴きに行く

2024年04月07日 | クラシック音楽

東京・春・音楽祭の歌曲シリーズ vol.37レネケ・ルイテン(ソプラノ)&トム・ヤンセン(ピアノ)を聴きに行ってきた。場所は東京文化会館小ホール、7,000円、19時開演、終演21時10分。結構観客が来ていた、7割くらいは埋まっていたか。

出演

ソプラノ:レネケ・ルイテン(オランダ、47)
ピアノ:トム・ヤンセン

曲目

シューベルト:
 春に D882
 すみれ D786
シューマン:《詩人の恋》op.48
R.シュトラウス:
 《おとめの花》op.22
 《4つの最後の歌》

レネケ・ルイテン(ソプラノ)はハーグ王立音楽院とミュンヘンのバイエルン国立歌劇場アカデミーでフルートと声楽を学ぶ。コンサートやオペラの分野で、卓越した国際的なキャリアを持つ引く手あまたのソプラノの一人である。今夜の彼女は紫のワイン色のドレスに身を包み、髪を後ろに束ね、颯爽とした姿で登場した。初めて聴く歌手だ。

トム・ヤンセン(ピアノ)は頻繁に様々な音楽祭に招かれており、デルフト室内楽音楽祭、ゴールウェイ音楽祭、ハーグランデン音楽祭等に出演する他、オランダ放送4やBBC 3、バイエルン放送、ベルギー国立放送等のラジオやテレビで収録もしている。現在はハーグ王立音楽院で教鞭を執る。

シューベルトの「春に」は 1826 年の作、エルンスト・シュルツェの詩。「すみれ」は 1823 年の作、詩はシューベルトとも親交のあったオーストリアの詩人フランツ・フォン・ショーバー

シューマンの《詩人の恋》(全 16 曲)は、1840年、クララとの結婚が叶った年の作、ドイツ・ロマン派の詩人ハインリヒ・ハイネ『歌の本』所収の詩をもとにした連作歌曲集

R.シュトラウスの《おとめの花》は1886~88 年に書かれた、シュトラウスと同時代のドイツを生きた法律家・詩人フェリックス・ダーンの詩による全 4 曲

R.シュトラウス:《4 つの最後の歌》はR.シュトラウスが亡くなる前年(1948)の作。アイヒェンドルフの詩「夕映えに」に接し、これに音楽を付けることを思い立った、そして、折良く手にしたヘッセの詩集から選んだ 3 篇に付曲したものと合わせた

歌曲、ドイツではリート(LiedあるいはKunstlied。複数形はリーダー)、を聴くのは好きである。日頃聴くのはシューベルト、シューマン、R・シュトラウスなどである。リートは独立した詩歌に音楽を付けてひとつの完結した音楽作品としてまとめたものである、通常は本日の公演のようにピアノと歌手の組み合わせで演奏されるがオーケストラが伴奏する場合もある。

リートを大きく発展させたのは私の好きなシューベルトである、彼の600曲以上のリート作品は単独の作品のほか、『美しき水車小屋の娘』、『冬の旅』、そして死後出版社がまとめたものではあるが『白鳥の歌』の「3大歌曲集」がよく知られ、演奏・録音頻度も高い。シューベルトやシュトラウスの歌曲集のCDをBGMで聴きながら読書するなどは最高の贅沢だ。

今日の公演では最後のR・シュトラウスの「4つの最後の歌」に期待した、というのは、本ブログのハンドルネーム「4Lastsongs」はここから取ったからである。エリザベス・シュワルツコフが歌うシュトラウスの「4つの最後の歌」のCDに含まれる16曲は本当に素晴らしい。

また、今日の公演では歌詞の対訳が配付された、これはどういう詩で歌っているかわかるので大変有難いサービスだ。

今日のレネケ・ルイテンの歌はトム・ヤンセンのピアノとピッタリ合っており、素晴らしいものだった、期待通りのパフォーマンスであり満足した。リートを公演会で聴ける機会はそう多くないので貴重な機会であった。

そして、アンコールに応えて、レネケ・ルイテンが「Morgen(あすの朝)」と曲を紹介したときは、思わず拍手した(曲は下に貼付けたYouTube参照)。リート公演会のアンコールに相応しい曲で上記のCDにも含まれている。シューベルトの「An die Musik(音楽に寄せて)」(曲は下に貼付けたYouTube参照)か「Morgen」のどちらかを歌ってくれれば最高と思っていた。

[ アンコール曲 ]
R.シュトラウス:
 4つの歌 op. 27 より 第4曲 あすの朝
 献呈
 「最後の花びら」より 8つの歌 op.10 より 第3曲 夜

満足した夜でした。


東京・春・音楽祭「ショスタコーヴィチの室内楽」を聴きに行く

2024年04月02日 | クラシック音楽

東京・春・音楽祭2024、「ショスタコーヴィチの室内楽」の公演を聴いてきた、東京文化会館 小ホール、4,500円、私は後ろの方の座席だったのでホール全体が見渡せた、席から観るとほぼ満員に見えた、人気の演奏家4人の出演であり、金曜日の夜ということもあるだろうがこの小ホールを満員にできるのはたいしたものだ。幅広い年令層が来ていたように見えた。

曲目

ショスタコーヴィチ(1906-1975、68才没)
 チェロ・ソナタ ニ短調 op.40(1934、24才時)
 ヴァイオリン・ソナタト長調op.134(1968、58才時)
 ヴィオラ・ソナタ ハ長調 op.147(1975、死の4日前に完成)

演奏

ヴァイオリン:周防亮介(29)
ヴィオラ:田原綾子(30)
チェロ:上野通明(28)
ピアノ:北村朋幹(33)

周防亮介は、 7歳よりヴァイオリンを始める。2016年ヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクール入賞など既に多数の賞を受賞している。12歳で京都市交響楽団との共演を皮切りに、サンクトペテルブルク国立アカデミー管弦楽団、シュトゥットガルト室内管弦楽など多数の内外のオーケストラと共演をしている。

田原綾子は、ソリストとして読売日本交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団等と共演。室内楽奏者としても国内外の著名なアーティストと多数共演し、オーケストラの客演首席も務める、Music Dialogue Artist、アンサンブルofトウキョウ、エール弦楽四重奏団、ラ・ルーチェ弦楽八重奏団、Trio Rizzleのメンバーとして活躍中。

上野通明は、幼少期をバルセロナで過ごす。13歳のとき、第6回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールで全部門を通じて日本人初の優勝、その後も多数の受賞歴あり、2021年からはベルギーのエリザベート音楽院にも在籍してゲーリー・ホフマンに師事。更なる研鑽を積みながら、主にヨーロッパと日本で活発な演奏活動を行っている

北村朋幹は、3歳よりピアノを始め、浜松国際ピアノ・コンクール第3位、シドニー国際ピアノ・コンクール第5位入賞など数々の受賞歴あり、ベルリン在住

出演者は皆、若手の第一人者ばかりの豪華メンバーだ

今日の演目はショスタコーヴィチの室内楽だが、あまり聞かない作曲家だ、だからといって彼の曲をわざと拒絶しているわけでもない、機会があれば聞いてみたいと思っている。ただ、難解な曲が多いというイメージがあるので手を出しにくいし、今の私の音楽知識ではまだ楽しめる音楽になっていないだけだ

今日はショスタコーヴィチを聴くというより、出演者の4名の演奏を聴いてみたい、見てみたいという思いの方が強い。田原綾子以外はテレビで見たり、公演会で聞いたりしたことがある演奏家である。いずれも若手のホープと言える存在で既に多くの実績を積んできている。

今日の演奏は北村朋幹が全曲ピアノを担当し、チェロ・ソナタは上野が、ヴァイオリ・ンソナタは周防が、そしてヴィオラ・ソナタは田原が出てきて北村朋幹と一緒に弾くという面白い企画であった。

演目は全く初めて聴く曲で、じっくりと聴いたが難しかったというのが正直なところだ。どうもこういう曲は苦手だ。こういう曲はいくらプロでもさすがに暗譜はできないだろうな、などと思ったりした。ショスタコーヴィチも何かのきっかけで好きになる可能性もあるので今後も聴き続けて行きたい。

さて、今日の夜の公演会前の食事だが、上野駅ナカに軽井沢のブランジェ浅野屋のエキュート上野店というパン屋があるので、そこでバジル&ソーセージサンド496円を一つ買って東京文化会館に行くまでの間で歩いて食べる簡略型とした。ただ、パンはやはり温めないとおいしく食べられないなと思った

お疲れ様でした。


東京・春・音楽祭「中野りな&ルゥォ・ジャチン」を聴きに行ってきた

2024年03月27日 | クラシック音楽

東京・春・音楽祭の「中野りな(ヴァイオリン)&ルゥォ・ジャチン(ピアノ)」に行ってきた。場所は旧東京音楽大学奏楽堂、4,500円、7割か8割方埋まっていたか、中高年の人が多かった。14時開演、15時45分終演。今日の公演はライブ配信するとのアナウンスがあった。

この奏楽堂はたまたま昨年、偶然見つけて内部を見学したところだった(その時のブログはこちら)。この施設は台東区の所有になっている重要文化財であるが、大ホールは今でも演奏会などに利用されていると説明されていて驚いた記憶がある。

それが今回、東京・春・音楽祭で、しかも、先日目黒パーシモンホールで観たばかりの中野りなが出演する公演で使われているなんて、なんていう偶然だろうか。今日は楽しみにして来た。

出演

ヴァイオリン:中野りな
ピアノ:ルゥォ・ジャチン

ルゥォ・ジャチンは1999年、中国・湖南省生まれの25才。2011年、武漢音楽学院附属中学校に入学し、フー・ヤンに師事。卒業後渡米し、オバーリン音楽院でロバート・シャノンに師事。現在、ニューイングランド音楽院でダン・タイ・ソンに師事している。既に、2022年、第8回仙台国際音楽コンクールピアノ部門で第1位など数々のコンクールで入賞している新進気鋭の若手ピアニストだ。

曲目

シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 op.105
パガニーニ:「こんなに胸騒ぎが」による序奏と変奏曲 イ長調 op.13(ロッシーニの歌劇《タンクレディ》より)
パガニーニ:24のカプリース op.1 より
 第4番 ハ短調
 第24番 イ短調
ショパン:スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31
サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ短調 op.75

[ アンコール曲 ]
クライスラー:ウィーン奇想曲 op.2

今日は何と言っても先日観て感動した中野りなのヴァイオリンの演奏に注目した。今日の中野は薄いピンクのドレスに身を包み、シューマン、パガニーニ、サン=サーンスの各曲のヴァイオリンを演奏してくれた。今日は彼女を真正面の席から観られたので演奏中の彼女の表情がよくわかった。彼女は演奏中、演奏の内容に合わせて朗らかな顔をしたり深刻そうな真剣な顔をしたり結構表情豊かであった、体も曲の調子に合わせて先日よりは前後左右に動かしているように見えたがそんなに大げさな動きではないところが上品だ。

今日彼女が弾いた曲では、パガニーニの「こんな胸騒ぎが」と「24のカプリース作品1の24番」(先日のアンコールで弾いた曲でもある)がよかった、この二つの曲はいろんなバイオリンの弾き方すべてが演奏中に出てくる曲だと思う、それを中野は実にうまく弾いていたように感じた、若いのに結構技巧派ではないかと思った。弾いている姿を見ると、パガニーニの24番の作品24は得意な、あるいは好きな曲なのではないかと感じた。

今日は昼過ぎから雨の天気予報で、開演直前からパラパラ降ってきた。ところが終演間近になると奏楽堂の窓に春の日差しが差し込んできた、太陽もこの二人の演奏に感動して顔を出したと思えた。

今日もホール外の廊下で中野の2枚のCDの販売をしていた、どんな曲を演奏しているのかちょっとのぞいてみると、モーツアルト、バルトーク、ゴダーイ、リヒャルト・シュトラウスなどだった、これに先日のシベリウス、今日のシューマン、パガニーニ、サン=サーンスを加えると、既に幅広いレパートリーを持っているのだなと感心した。

このままいい指導者のもとで研鑽を積み、実戦経験を積んでいけば、きっと歴史に名を残す素晴らしいヴァイオリニストになるでしょう、また、海外でも活躍できるでしょう、というかそうなって欲しい。今後の彼女の成長を見守りたい。

ピアノのルゥォ・ジャチンももちろん素晴らしかった、特に彼の独奏のショパンのスケルツォ 第2番が熱が入っていてすごい演奏だと思った。

充分満足した公演でした。


東京・春・音楽祭「ルドルフ・ブッフビンダー、ベートーヴェンピアノ・ソナタ全曲演奏会Ⅴ」

2024年03月24日 | クラシック音楽

東京文化会館小ホールに東京・春・音楽祭の「ルドルフ・ブッフビンダー、ベートーヴェンピアノ・ソナタ全曲演奏会Ⅴ」を聴きに行ってきた。祭日であったこともあるだろうが、満席に見えた。7,500円。15時開演、17時過ぎ終演。今日は正面左、前から4列目だった。

曲目

ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2
ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1
ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28《田園》
ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90
ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57《熱情》

全部で7公演に分けて演奏されるが、各公演日には最終日を除いて、さまざまな時期の作品がミックスされている、どの日にも有名曲が少なくとも一曲は入っている、とブッフビンダーは説明している。なるほどそういうものか。

ルドルフ・ブッフビンダーは1946年チェコ生まれの78才のピアニスト、5歳でウィーン国立音楽大学に入学して8歳でマスタークラスを履修し、同大学の最年少記録を打ち立てる。9歳で最初の公開演奏会を開いたというすごい人だ、いままで録音数は200曲以上にのぼるという。レパートリーは幅広く、古典派やロマン派のほかに、20世紀音楽にまでわたっているが、とりわけベートーヴェンの専門家として名高い、とウィキには書いてあるので今回の東京・春・音楽祭のベートーヴェンピアノ・ソナタ全曲演奏は彼の得意中の得意の演目ということだろう。

ブッフビンダーというピアニストは知らなかったが東京・春・音楽祭のホームページの説明を読むと、これまでに全曲演奏会を60回以上も行ってきて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を3度も録音しているそうだ。

そして、「私はウィーンでブルーノ・ザイドルホーファーに師事しました。彼の弟子には私のほかにグルダやアルゲリッチもいました。ザイドルホーファーは教師然とした人物ではなく、ひとりひとりの個性を大切にして、自分自身を保ち続けられるよう助けてくれたのです。私は伝統という言葉があまり好きではありません。ピアニストにロシア楽派やドイツ楽派のようなものはないと思っています。同じ先生についていてもギレリスとリヒテルはまったく違うタイプですよね。同じドイツ人でもケンプとバックハウスもまるで違う。どの演奏家にもそれぞれの個性があり、ありがたいことに、まったく違うのです。私には流派というものはありません」と述べているが、この考えは先日読んだ吉田秀和の「音楽のよろこび」(こちら参照)で主張されていたことと同じである。

さて、今日の演目であるが、自分のライブラリーには「田園」と「熱情」しかなく、他の曲は聞いたことがあるかもしれないが、頻繁に聴く曲ではない。演奏される機会もあまり多い曲ではないのかもしれない。そして私の中では「熱情」が一番の注目曲だ。この曲は本当にすごい曲だ、ベートーヴェンの狂気が出ている曲だと思う。それは第1楽章と第3楽章だが、一方で第2楽章のアンダンテは実に静かで美しいメロディの楽章で狂気と正反対の趣があり、その取り合わせの意図はなんだろうかと考えさせる。

その辺をChatGPTで手抜き調査をすると

  • この作品の完成は1810年でこの時期、彼は難聴が進んで個人的・社会的な生活に大きな影響を与え、恋愛でも不運な経験を重ねており、これらの出来事は彼の内面的な葛藤や苦悩を深めた
  • このソナタの繊細な美しさは、ベートーヴェンの芸術的な成熟とその内面的な豊かさから生まれた
  • 葛藤と繊細な美しさが相反するように感じられるかもしれないが、ベートーヴェンの作品においてはしばしば両方が共存している

私はこの曲を当初あまり好きではなかった、宇野功芳氏の推薦するホロビッツやバックハウスのCDで聞き流していると、特に感動するようなこともなかったが、ある時、偶然、YouTubeでこの第3楽章を弾いている動画(Valentina Lisitsa、ヴァレンティーナ・リシッツァ、ロシア、50才)を見て、そのピアノの難しそうな技巧にびっくりして、こんなに難しい、すごい、感動的な曲だったのかと思い知ったのだ。それ以来、すっかりこの曲が好きになった。

なお、このリシッツァはウクライナのキエフ生まれで、19才で渡米しピアニストとして活動していたが、2015年頃から反ウクライナ・親ロシア的な発言をするようになり、西側諸国での公演のキャンセルが続いたため、現在はロシアで活動しているとウィキに出ていた。

以上のことから今日のブッフビンダーの「熱情」には大いに注目して聴いた。その結果をいえば、ブッフビンダーの演奏はさすがというすごいものだった。彼はもう78才だが、ピアノのタッチは力強く、気力の集中もすごいものだった。ただ、第2楽章ではピアノのタッチがちょっと強すぎるのではないかと感じ、第3楽章の最後の部分でほんの少しだけ弾き遅れがあったように聞えた、素人感想だけど。ただ、私としては全体としては非常に満足しました。


(終演後、小ホールエントランスから大ホールホワイエを見る、[東京春祭] 東京バレエ団 上野水香オン・ステージがあるようだ)

そして、さらに驚いたのは、カーテンコールに答えてアンコールを弾いた時だった、「あっ」と思わず心の中で叫び声が出た、「ピアノ・ソナタ月光第3楽章だ」、これも私が大好きな曲だ、そしてこの第3楽章も「熱情」に負けず劣らずの激しい楽章なのだ。こりゃ驚いた、こんなにすごい、激しい曲を連続して演奏するなんて、しかもアンコールで、これこそすごい熱情だ。恐れいりやした。今日は完全に打ちのめされました。