ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「ありふれた教室」を観る

2024年05月29日 | 映画

映画「ありふれた教室」を観てきた、2022年製作、99分、独、監督イルケル・チャタク(1984、独)、原題Das Lehrerzimmer(先生の部屋)、シニア料金1,200円

仕事熱心で正義感の強い若手教師のカーラ・ノヴァク(レオニー・ベネシュ、独、1991)は、新たに赴任した中学校で1年生のクラスを受け持っていたところ、校内で盗難事件が相次ぎ、カーラの教え子が犯人として疑われる。

校長らが生徒たちに、周りでおかしな生徒がいないか答えさせるなどの強引な調査をしたことに反発したカーラは、独自に犯人捜しを始めるが、カーラのやり方や学校側の対応は、やがて保護者の批判や生徒の反発、同僚教師との対立といった事態を招いてしまう。後戻りのできないカーラは、次第に孤立無援の窮地に追い込まれていき・・・・

興味深い映画だった、考えさせられる映画だった、有りそうなストーリーの設定で現実味があった、こういう映画こそヨーロッパ映画の真骨頂であろう。いくつか感じたことなどを書いてみたい

  • 映画では最初に、校長らが生徒から聞き出した問題児はトルコ系移民の家庭だった、決定的な証拠がない中で親と学校でひと悶着起こる、これは移民問題がドイツ社会でいわれなき差別を招いているということを示唆しているのだろうか、監督のイルケル・チャタクもトルコ系移民の息子としてベルリンに生まれるという経歴の持ち主だ
  • 映画の中でこの学校の運営方針は非寛容主義(no tolerance)だと校長が言う、校則違反や犯罪行為には厳格に対応するという意味だと思うが、そうせざるを得ない状況が学校に発生しているのだろう
  • カーラは、職員室の自分の椅子に掛けた上着のポケットに財布を入れ、机の上にあるパソコンのカメラをオンにして離席し、隠し撮りしたら、校内で事務をしている中年女性のブラウスが映り、上着のポケットをいじっている場面が録画されていた、その人の子供はカーラの受け持ちの生徒だった
  • カーラがすぐにその女性に話に行ってしまってトラブルになるが、やはりその行動は軽率だったと感じた、録画には犯人の顔が映っていないし、財布が盗まれたかどうかもはっきり映っていない(ように見えた)、事実、映画では最後まで真犯人は明らかにされない、また、隠し撮りもやりすぎだと思った
  • 容疑をかけられた女性が反発し、その息子も母が先生から疑われていることを知ると学校や先生に敵意を見せてきて、そのいざこざが生徒たちにも伝わり、生徒もカーラたちに不信感を持って授業ボイコットなどをし、保護者会でも突き上げを受け、カーラは追い詰められる、同僚の教師たちも自分たちが隠し撮り対象になっていることから態度を硬化する

 

  • カーラが追い詰められていくところは真に迫っていた、だれでも仕事をしていれば、自分のちょっとした手違いや対応の間違えで大変な事態を招く経験の一つや二つはあるだろう、そういうときの心労は並大抵のものではなく、自分に落ち度があるだけに、ノイローゼなどになってしまう人もいるだろう、そんな場面がよく描かれていると思った
  • 生徒たちは中学1年生だが、もうすでに人権意識や差別意識、教師による事実の隠蔽などに対する批判能力を有しているように描かれている、また、親も教師たちに対して非常に厳しく対峙するところが描かれている、生徒たちはジャーナリスト気取りでカーラにインタビューし、学級新聞にカーラの不適切な対応を書いて校内で売ることまでやっている、こんなことがドイツで起こっているのだろうかと思った、まさに誰もが非寛容だ
  • そして、最後の結末だが救いがない(と、私は思う)、例えば日本的な感覚だと騒ぎを起こし、保護者や生徒たちからも問題視されたカーラが責められ、生徒は被害者とされがちだが、この映画では・・・・
  • 救いのない結末を観た人がそれを批判するなら、どうしたらいいのか考えろ、ということだろう
  • この映画は1回観ただけでは監督の言わんとするところや事実関係がよく理解できない部分もある、しかし、大局的には十分物語は伝わり、理解できるので特に予習してなくても大丈夫だろう

主役のレオニー・ベネシュはよく真に迫った教師役を演じていたと思う。彼女は、ドイツ・ハンブルクで生まれ、ロンドンにあるギルドホール音楽演劇学校で学び、ドイツで最も引く手あまたの若い俳優の一人として知られているそうだ。カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたミヒャエル・ハネケ監督の長編映画『白いリボン』(2010年)の主演でブレイクしたそうだが知らなかった、ハネケ監督の作品は好きだが、『白いリボン』は観たことがなかったので今度観てみたい。美人で知性的な雰囲気もあり良い女優だと思った、今後の活躍に期待したい


映画「関心領域」を観た

2024年05月27日 | 映画

近くのシネコンで映画「関心領域」を封切初日に観てきた、今日は6回見れば1回無料の権利を得ていたので無料であった。結構観客が入っていた。2023年、アメリカ・イギリス・ポーランド、105分、監督ジョナサン・グレイザー、原題:The Zone of Interest

ジョナサン・グレイザー監督がイギリスの作家マーティン・エイミスの同名小説を原案に手がけた作品で、2023年の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞

タイトルの「The Zone of Interest」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランドの郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40㎡の地域を表現するために使った言葉で、映画では強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の所長ルドルフ・ヘスとその家族の平和な暮らしを描き、観る人に何かを考えさせる映画

空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす収容所長の家族、しかし、隣接するアウシュビッツ収容所からは銃声などの音、建物からあがる煙、その他の気配から、不気味な雰囲気が伝わってくる、そのコントラストから観ている人は何を考えるべきか

ジョナサン・グレイザー監督は「この作品では加害者側の視点で見えるものを描ければと思いました。この作品で訴えたいことは『我々は何も学んでこなかったのか?』、『なぜ同じ過ちを繰り返すのか?』ということです。現代とは関係のない80年前を描いた歴史映画を見せるつもりは一切なく、いまの時代に訴えかける作品にすべくフレーミングした結果、こういう作品ができました」と語っている。

映画を観た感想などを書いてみたい

  • 従来にない「ナチもの」であり、非常にユニークなアプローチを考えたと感心した
  • 音と暗闇を効果的に使っていると思った、映画の冒頭、タイトルの文字と不気味な音が観客を圧倒し、その文字がだんだん音とともに深海に沈んでいくように消えていく、そして小鳥のさえずりが聞こえてきて、収容所の隣家の平和な暮らしが描かれ始める、うまい演出だ
  • 収容所所長の家族にとっては、この家は贅沢で住み心地がよく、隣の収容所で何が行われているが薄々わかっているが、そんなことはどうでもよい、現実の生活を前にして人間とは弱い生き物だ、ただ、同居していた妻の母はある日、手紙を書き残し出て行ってしまう、その手紙を見て焼いてしまう娘である所長の妻、母のほうが歴史の批判に耐えられる行いをした
  • 所長の妻の役を演じていたのは、あの「落下の解剖学」で観たザンドラ・ヒュラー(1978年、独)だ、今回もなかなかいい役を演じていた
  • 所長のルドルフは成績優秀で効率的に仕事を行い、上層部から評価される、それで他の場所に栄転が決定するが、妻は隣家を離れたくないと言う、仕方なく上層部に単身赴任を申し出て認められる、家族の強い要望に弱い小人物が重大犯罪を実行する滑稽
  • 夜、暗闇の中でルドルフの娘がカゴにリンゴを入れて収容所に入り込み、土塁のようなところに一個ずつ埋め込む、それが何を意味しているのか分からなかった
  • また、最後のほうでルドルフが病院のベッドに横たわり、先生からの問診に答え、医者から腹部の触診をされる、その後、軍の建物の中で一人階段を下りているときに吐き気を催す、これが何を意味しているのかも分からなかった
  • 最後の終わり方が何となく拍子抜けするような感じがした、突然、テレビのスイッチを切られたような感じがした

国家の命令、組織の命令であればどんな犯罪でもやってしまう人間の弱さ、いい暮らしのためには本当は問題ある行為をしていても、正当化してしまう、程度の差こそあれ、現代でも十分起こりうることでしょう

同じ状況になったら自分はどうするか、あまりにも重い問題だから簡単には言えない、命令に反すれば自分や家族の命にかかわる

もう少し身近な問題でなら考えられるかもしれない、最近、NHKで不正等の内部通報制度の問題点を取り上げた番組をやっていた、組織内の不正を目にして内部告発をした正義感ある通報者がバカを見て、被害を被る事例だ

超一流会社でも不正が起こっている、有名電気メーカー、自動車メーカー、損害保険会社などなど、社員たちが不正を正当化する理由はいっぱいある、ジャニーズ問題も同じだ、不都合な事実は黙認する、同じことが他にもあるだろうと容易に想像できる

いずれにしても問題が大きすぎる、重大な危険を察知したら逃げる、クラシック音楽の世界でもナチの迫害を恐れて欧州から逃げ出した指揮者、作曲家などはいっぱいいた、しかし、現実問題、そんなことができるか

監督はこれから本作に触れる日本の観客に向けて「我々は、黙認や共犯関係を拒絶する力を持っているということをお伝えしたいと思います」と訴えたそうだが、それは場合によっては命がけだということでしょう、考えさせる映画だけど、もやもや感は残った

 

 


映画「クライマーズハイ」を観た

2024年05月13日 | 映画

テレビで放送された映画「クライマーズハイ」を観た。2008年、145分、監督:原田眞人、原作:横山秀夫の同名小説。クライマーズハイとは登山者の興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺してしまう状態のことであり、映画の中では日航機墜落の報道現場のカオスの状況も指すと思われる。

1985年8月12日、群馬県と長野県の県境に位置する御巣鷹山に日航機が墜落した、その事故を題材に、その時に繰り広げられていた地元地方新聞社の混乱する現場と人間模様を描いた映画

出演は、堤真一,堺雅人,小澤征悦,尾野真千子,山崎努などなどそうそうたるキャスト。作者自身も元上毛新聞記者で、その体験を元に作品を書いた、だから新聞社の社内の状況が非常にリアルに描かれている。

主人公は堤真一演ずる群馬の有力地方新聞「北関東新聞社」の記者悠木和雄。1985年8月のある日、新聞社の登山クラブの同僚安西耿一郎(高嶋政宏)と一ノ倉沢衝立岩に登頂する予定で会社を後にする直前に、東京発の日航機が乗客乗員524名を乗せたまま消息が不明との情報がもたらされる、その後まもなく墜落とわかり、場所は北関東新聞のテリトリーの群馬県内と判明したから大変だ。

新聞社は臨戦態勢になり、現場は大混乱する、悠木は日航機事故報道の全権に任命され、次々と指示を出し、現場取材、事実確認、紙面編集、締め切り、などで社内の関係部門と怒号を飛ばしながらも他社に出し抜かれないために必死の業務が続く。

映画ではその緊迫した様子を事故発生から時間を追って描いていく、臨場感がビシビシと伝わってくる。新聞社の業務の描き方もかなり具体的で、報道部門だけでなく、販売部門、輸送部門、印刷部門などあらゆる社内組織が出てきて、それらの部門や人間との軋轢、現場と局長、経営陣などとの対立をリアルに描き、真に迫っている。

一方、悠木のプライベートな面として、夫婦の不和、子供との隔絶、友人の安西との家族ぐるみの付き合いと安西の不幸などが絡む。さらに時間軸として、事故直前の1985年、初夏の渓谷での悠木と安西のお互いの息子を連れてのレジャーの場面、事件発生、その後2007年初夏に土合駅での悠木とすでに亡くなった安西の息子が落ち合い、親同士で約束した一ノ倉沢衝立岩への登山の場面が絡む。ここがいきなり見ると前後関係がわかりにくい。しかし、そこがわからなくてもこの映画の迫力は十分楽しめる。

あまり期待しないで見たのだけど、最初からどんどん映画に引き込まれた、堤真一、堺雅人、滝藤賢一、小澤征悦,尾野真千子らの真に迫った演技が非常に良かった。これは監督、俳優の良さに加え、そもそも原作がよかったのだろう。ただ、ネットやスマホが発達した現在の新聞社の業務はこの当時とはかなり違っているだろうなと思った。

この日航機墜落のあった8月12日の翌日、夏休みをとっていた私は友人と一緒に取手で炎天下の中でゴルフをやっていたのを覚えている。朝からテレビなどで大騒ぎしていたが、ゴルフをやっていたその真夏のゴルフ場の光景を今でも思い出す、暑い一日だった

この映画の最後に、「日航機墜落の原因調査の事故調は隔壁破壊と関連して事故機に急減圧があったとしている、しかし、運航関係者の間には急減圧はなかったという意見もある」とテロップが出てくる。隔壁破壊以外の墜落原因ついては、既に青山透子『日航123便 墜落の新事実』(河出書房新社、2017年7月)が出ており、最近でも森永卓郎『書いてはいけない』(三五館シンシャ、2024年3月)の中で述べられているがなぜかあまり騒がれない。

NHKも下山事件などは未解決事件として報じるが、日航事故につては解決済み扱いなのだろうか、報じない。映画の中でも事故現場にもっと早く到着してれば救える命が多くあったと述べるところがあるが意味深である、この当時から墜落原因に関するいろんな疑問が語られていたのだろう。事故当時の総理大臣は中曽根康弘、アメリカ大統領はロナルド・レーガンであった

さて、この映画では一ノ倉沢への登山に行く待合場所に上越線の土合(どあい)駅が出てくる、この土合駅は有名で、駅が地下のだいぶ下にあるのだ。駅から地上の駅舎まで出るのに462段の階段を昇らなくてはならない、その地下駅と地上への階段、地上の駅舎がこの映画で出てくる。


(土合駅の駅舎)

この土合駅に行ったことがある。つい数年前である。それは近くのゴルフ場に泊りがけでゴルフに来た時に、まっすぐ帰るのではなく、周辺の観光地に寄ってから帰ろうと思い、調べたら土合駅が有名だというので車で来たものである。したがって、私の場合は、駅舎から駅まで見下ろす感じで階段を途中まで降りた。本当は地下の駅まで行きたかったが、ゴルフの後で疲れており、嫁さんも一緒だったため、あきらめて階段の途中で引き返したのだ。確かに写真映えするすごいところであった。


(駅に降りる階段の上から撮ったもの)

良い映画でした。

 


映画「愛は静けさの中に」を観た

2024年05月11日 | 映画

テレビで放送されていた映画「愛は静けさの中に」を観た。1986年製作、米、監督ランダ・ヘインズ、原題Children of a Lesser god(神の恩恵のより少ない子供たち)。映画を観て、今回は邦題のほうが雰囲気が出ていると思った。

聾学校に赴任してきた教師が、聾唖者の女性と愛し合いながら教師として献身する姿を描く映画、ジェームズ・リーズ(ウィリアム・ハート)は、片田舎の聾唖者の学校に赴任して来た。ある日、食堂でサラ・ノーマン(マーリー・マトリン)という若く美しい女性を見かける。校長(フィリップ・ボスコ)の説明によると、サラは5歳の時からここで学び、昔は優秀な生徒だったが、20代になった今は掃除係をしているという。

彼女に興味を抱いたジェームズは、自分の殼に閉じこもろうとするサラを根気強く説得していく、サラの母(パイパー・ローリー)を訪ね、サラが周りの者から笑い者にされるなどして、心を閉ざしてしまったことを知る、サラからも思いもかけぬ告白をされたが、リーズはそんなサラを愛していることを知り、同棲生活を始める。しかし、だんだんとお互いの気持ちが嚙み合わなくなっていき・・・・

聾啞(ろうあ)という障害を今まで正確に知らなかった、調べてみると、聾唖とは発声や聴覚の器官の障害によって、言葉を発することができないこと、音声による話ができないことで、 聴覚を失っているための言語障害の場合を聾唖(ろうあ)、聴覚は完全で、言語機能だけが失われている場合を聴唖(ちょうあ)という、とされている。聾唖者と言う場合、聞こえないし、話せない人という意味だ。

そして、これも知らなかったが、相手の唇の動きから何を言っているのか読み取る術を読唇術(どくしんじゅつ)という。そして、読唇術はしばしば「遠く離れた人の会話を読み取るスパイ技術」として描写されることもあるとWikipediaに出ていた。ただ、限界も多いそうだ。

(以下、ネタバレあり)

この映画で同棲生活を始めた2人がやがてお互いの行き違いが大きくなり、別居することになる、その2人の破局を迎える時の会話がなかなか深いものだった

サラ

「今まで私の周りにいた人たちは私を話せるように、儲けることができるように変えようとした、それはやめてほしい、ありのままの自分を受け入れてほしい、それが私の願望よ、そうでなければ私の沈黙の世界には入れない、私もあなたに近づけない」

ジェームズ

「話せないままでは生きていけないだろう、君は沈黙の城に自分を閉じ込めているだけだ、君は自分にウソをついている、ろう者でよかったとは思っていないはずだ、本当は怖いんだろう、話すことを拒否するのは愚かなプライドだ、同情を拒んで独りで生きるのなら読唇術を学べ、僕と話したいだろう」

なかなか考えさせられる良い映画だった、最後は救いがあるが、それはそれでアメリカ映画らしくて良いと思う。この映画でサラ役のマーリー·マトリンは弱冠21歳でアカデミー主演女優賞を受賞した。

ところで、サラはこの映画の中で当然だが全く話をしない、最近立て続けに主人公が劇中で全く話をしないオペラ(ルサルカ)や映画(ピアノ・レッスン)を観た、これで3作目だ、主人公が話さないという演劇にこんなに巡り合うとは、なんという偶然であろう。


映画「青春18×2 日本漫車流浪記」を観た

2024年05月10日 | 映画

映画「青春18×2 日本漫車流浪記」を観た。2024年、123分、日本・台湾合作、監督藤井道人(1986、東京都)、原作ジミー・ライ。シニア料金1,300円。

藤井道人が監督・脚本を手がけた日台合作のラブストーリー。ジミー・ライの紀行エッセイ「青春18×2 日本漫車流浪記」を映画化し、18年前の台湾と現在の日本を舞台に、国境と時を超えてつながる初恋の記憶を描いた映画。この原作者ジミー・ライという人はネットで調べてもどういう人かよくわからなかった。

台湾に住む36歳のジミー(シュー・グァンハン、許光漢、1990、台湾)は、自身が作りあげたゲーム制作会社でヒット作品を出したが、やがて傲慢になり人心が離れ、経営に失敗し追い出される、ふとかつて出会った日本人のアミ(清原果耶、2002、大阪生まれ)から届いた絵ハガキを手に取る。

18年前の台湾、カラオケ店でバイトする高校生だったジミーは、日本から来たバックパッカーのアミがいきなり働きたいと言ってきて彼女と出会う、アミは店の人気者となり、徐々に彼女に恋心を抱くようになり、やがてデートもする仲に、しかし、突然アミが帰国することになる。アミはある約束を提案した。

時が経ち、失意のジミーはあの日の約束を果たそうと彼女が生まれ育った日本への旅を決意し鈍行列車に揺られ、たどり着いたアミの実家で18年前のアミの本当の想いを知り・・・・

物語は、鎌倉・由比ヶ浜や福島・只見線が走る雪景色、台湾・十分(シーフェン)のランタンフェステイバルなど日本と台湾の写真映えする観光地を舞台に旅行ムードを醸し出して、描かれる景色に癒される。

主演の台湾俳優のシュー・グァンハンは全く知らなかったが、清原果那は2021年の朝ドラ「おかえりモネ」に出ていたので知っていた。この映画の演技を見て随分女優として成長したなと思った、もうすでにいろんな映画やテレビに出演しているようだ。

監督の藤井道人の祖父は台湾出身で、台湾は自分のルーツの一つと述べており、祖父のように異文化に接して、それをミックスした映画が作りたいと思っていたようだから、この作品の映画化には相当力が入っていたのでしょう。

さて、この映画を今回観た感想だが、2国間をまたぐ青春恋愛映画ということもあって、シニアの自分にはあまり響いてこなかった。仕方ないでしょう。台湾人や田舎に住む日本人の人の好さがよく出ている作品で、その点では良いと思った。

若い人向けの映画だった、が、自分が年を取って感動しなくなっただけなのか


映画「他人の顔」を観る(2024/4/17追記)

2024年04月17日 | 映画

(2023/5/1の当初投稿の閲覧がたまにあるので、この映画の主題歌のYouTube動画を埋め込みました)

YouTubeで観られる映画「他人の顔」(1966年、勅使河原宏監督)を観た。この映画はAmazonにもNetflixにもなかった。白黒映画。

安部公房の同名の小説の映画化だ。安部の作品は「砂の女」を読んだことがあるが、映画化されたのでそれも観た。今回は原作は読んでいないが映画の方をYouTubeで偶然見つけたので早速観た。

物語は、会社の実験で不用意な対応で顔面にケロイド状の火傷痕が残り、顔全部を包帯で覆わなければいけなくなった中年男性(仲代達矢)が主人公。妻(京マチ子)に抱きついても拒絶され孤独感に苛まれる。あるとき精神科医で外科医でもある医者(平幹二朗)に他人の顔を盗んで特殊な皮膚で作ったマスクで顔を再生する治療を提案され、別人に生まれ変わる。マスクをつけて他人になりすまし拒絶した妻を誘惑して復讐を果たそうとするが・・・・というストーリー。

「顔のない人間が自由になれるのは闇が世界を支配したときだけだ、だから深海魚はグロテスクな顔になれた」といって「いまから実験をやるから電気を消せ」と妻にいう。そして「顔は心の扉で、顔が閉ざされると一緒に心も閉ざされてしまう、もはや訪れる客もない、心は顔の後ろで朽ちるにまかせ、やがて廃墟になるのを待つだけだ・・・、ぼくは生きながら埋葬されてしまったのか」という言葉を吐くと妻は「扉を勝手に閉めたのはあなたではないの、出てきたって誰もとがめやしないわよ」と言うと、暗闇の部屋の中で突然妻に抱きつく(これが実験か)が拒絶される。実験は失敗で、包帯顔の自分を拒否する妻に対する復讐心が芽生える。

その後、医者に作ってもらった他人の仮面をして妻を誘惑し、情事を済ませた後、突然妻に「恥も外聞もない色きちがいめ」と責める、妻は「私が気づいていないとでも思っていたの」と言うと夫は愕然として「気づいていたのか」と言う、「当然じゃあないの、だって仮面をかぶって何重にもカードして私を誘惑したのは繊細な心遣いだと思ったわ、だから私も素顔の上に何枚張りもの顔を作っていたじゃないの、それなのにあなたは私を非難して、私はあなたを買いかぶっていたわ」と言い返す。その後の会話も妻の鋭い指摘に夫はオロオロするだけだ。

この物語は、結末には救いが無い。それだけに問いかけるものも深い。自分がその立場になったらどうするだろうか考えさせられる。このような悩みを持っている人は意外と多いのかもしれない。京マチ子の妖艶さがなんとも言えず素晴らしいし、この時代(昭和41年)にもかかわらず肌の露出度合いが大胆なのにも驚いた。

ところで、この映画の音楽は武満徹が作曲したものだ。なんとも憂いのある旋律が映画のイメージにピッタリの音楽だ。武満は映画の中にも酒場の客として出てくる。

 


映画「Winny」を観た

2024年04月16日 | 映画

Amazonで映画「Winny」を観た、2023年、127分、日本、監督松本優作。ファイル共有ソフト「Winny」の開発者が逮捕され、著作権法違反ほう助の罪に問われた裁判で最後に無罪を勝ち取った事件を映画化したもの。

2002年、データのやりとりが簡単にできるファイル共有ソフト「Winny」を開発した元東京大学大学院情報理工学系研究科助手の金子勇(東出昌大)は、その試用版をインターネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に公開する。公開後、瞬く間にシェアを伸ばすが、その裏では大量の映画やゲーム、音楽などが違法アップロードされ、次第に社会問題へ発展していく。違法コピーした2人が逮捕され、ソフト開発者の金子も著作権法違反ほう助の容疑で2004年に逮捕される。金子の弁護を引き受けることとなった弁護士・壇俊光(三浦貴大)は、金子と共に警察の逮捕の不当性を裁判で主張するが、第一審の判決は・・・

主演の東出昌大(ひがしで まさひろ)は、つい最近、この映画で第33回日本映画批評家大賞の「主演男優賞」を受賞した。東出以外にこの映画で目立って活躍したのは、Winny弁護団の助っ人、刑事裁判で多くの無罪を勝ち取った実績を持つ秋田弁護士役の吹越満、愛知県警の裏金作りを告発した仙波巡査部長役の吉岡秀隆、金子を追い込んだ京都府警ハイテク犯罪対策室警部補の北村文也を演じた渡辺いっけいだろう。出演者は全員、当事者の実名である。

この映画の裁判についてだが

  • 最大の論点となったのは、著作権侵害に使われる可能性があるソフトを提供した開発者に罪が問えるか、というところであろう、その論点設定は理解できる
  • 裁判では、2006年の1審京都地裁は有罪、罰金150万円(禁固刑無)、2審大阪高裁は無罪、そして2011年(平成23年)12月19日の最高裁判決は無罪(上告棄却)となった、2004年の逮捕以来7年が経過していた
  • 最高裁が無罪としたのは、例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識、認容していたとまで認めることは困難であるから、というもの

映画は1審判決が出たところまでを描き、それ以降はナラティブで説明するというものだった、最後まで裁判の過程を映画化するのは確かに時間ばかりかかって意味が無いでしょう。

この映画は結構専門的なエリアの問題提起をしているのだろうと思う、そういう意味で広く大ヒットするような内容ではないかもしれないがよくこのようなテーマを映画化したものだ。主人公の色恋沙汰が全くないのも映画の内容に起伏がないものとなっている要因だろうが、それが悪いわけではない、事実に忠実に映画化した結果だろう。主人公役の東出昌大はプライベートの色恋沙汰で世間を騒がせたというのが皮肉だ。

ただ、一つわからなかったのは本件裁判と同時並行に進んでいた愛知県警の裏金問題だ、この問題はWinnyによって証拠がネット上で出回ったという点で主筋との関連性があるが、内容的にはWinny裁判とは何も関連が無く、最後まで何もつながらなかったのに違和感を覚えた。

あと、ファイル共有ソフトというものがいかにすごいソフトなのかと言うのが今ひとつ伝わって来なかった、ITに詳しい人には当たり前のことかもしれないが。

 


映画「ピアノ・レッスン」を観た

2024年04月13日 | 映画

近くの映画館で「ピアノ・レッスン」を観た。1993年製作、121分、オーストラリア・ニュージーランド・フランス合作、監督ジェーン・カンピオン、原題:The Piano。シニア料金1,300円、10人くらい入っていたか、ピアノとあるので興味を持った。1993年度第46回カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた。随分前の映画が何で今、と思ったら本年3月に4Kデジタルリマスター版ができたのでリバイバル上映していると言うことだった。

19世紀半ば。エイダ(ホリー・ハンター、1958、米、この映画でアカデミー主演女優賞)はニュージーランド入植者のスチュアート(サム・ニール、1947、英)に嫁ぐため、娘フローラ(アンナ・パキン、1982、加、この映画でアカデミー助演女優賞)と1台のピアノとともにスコットランドからニュージーランドにやって来る。口のきけない彼女にとって自分の感情を表現できるピアノは大切なものだったが、スチュアートは重いピアノを浜辺に置き去りにし、粗野な地主ベインズ(ハーベイ・カイテル、1939、米)の土地と交換してしまう。エイダに興味を抱いたベインズは、自分に演奏を教えるならピアノを返すと彼女に提案。仕方なく受け入れるエイダだったが、レッスンを重ねるうちに・・・・

このドラマはエイダと夫のスチュアート、地主のベインズの3角関係を描いたものだが、その中でエイダの好むピアノが絡んでくるもの。

観た直後の感想は、1回観ただけではよくわからない点が多かった、結末も何となくすっきりしなかった、というもの。結末については、何もこれではダメだ、という意味ではないが。

そのよくわからない点なども含めて感想を書いてみたい(一部ネタバレあり)

  • エイダは6才の時になぜか喋らなくなった、ピアノと手話で自分を表現するようになる、ピアノが彼女の魂になる、そして成人すると親が縁談を持ってきた、喋らなくてもよいと言う男性だ、それでその男がいるニュージーランドに渡った、と思っていたが、その後の渡航シーンで小さい娘を連れているので話がわからなくなった、これから結婚するのになぜもう娘がいるのか
  • 娘が話すには、パパとママと3人で森の中に行った時に雷が落ちて、パパは死んだ、ママはその時から喋らなくなった、ここでストーリーがわかりにくくなった
  • エイダが自分のピアノを得たベインズにピアノ・レッスンをしていくうちに、段々と惹かれていく、それがなぜか、と言うのがわからなかった、夫のスチュアートに不満があるようにも思えなかったのに、それとも自分の命とも言える存在のピアノを海岸に置き去りにしてベインズの土地と交換したことが決定的な理由となったということなのか、よくわからなかった、ピアノが彼女の魂と言うところを強調する何かがもっと欲しかったと思うが
  • エイダがベインズにピアノ・レッスンをして、何かカウントしてそれが10に達したらピアノを返してくれる、と言うような約束をしたのか、よくわからないが、10になったら体を求められて許す、というのが何かいきなり話が飛躍しているような気がした
  • 最後にスチュアートと別れてベインズと船出するとき、ピアノを運ぶのは無理だと船こぎたちから強く言われたけど、結局積み込んだ、そして船上で積み込んだピアノをそのピアノを船に縛り付けていた縄ごと海に捨て、自分もその縄に足をわざと絡めて海に沈んでピアノと一緒に死のうとする、これが結末か、と唖然として観ていると、海中で自ら足に絡みついた縄をほどき、海面に出て助けられる、なぜ魂のピアノを捨てる気になったのか、1回死のうとしたのになぜ気が変ったのか、わからなかった
  • エイダは映画中で実際にピアノを弾いていたようにみえたが、ホリー・ハンターは簡単なピアノなら弾けたのか、それとも実際に弾いているように見せる撮影のうまさか
  • エンドロールを観ていたらヘアーメイクに日本人と思われるワタナベ・ノリコという名前が出てきた、調べてみると、彼女(渡辺典子)は、東京からアメリカ合衆国に移住したハリウッド映画で活躍するヘアスタイリスト兼メイクアップアーティスト、これまでにスタイリングしたハリウッドスターは、ニコール・キッドマン、ケイト・ウィンスレット、ベネディクト・カンバーバッチなど、大物俳優が名を連ねている、映画俳優だったサム・ニールの再婚相手となった後、ニュージーランドのクイーンズタウンに移り住んでいるがサム・ニールとは今は別居又は離婚しているらしい、エンドロールを観るのは退屈だからいつも日本人がいないかだけ注意してみているが、意外な発見があるものだ、古い映画でも結構日本人が出ている

1回観ただけでは全部はわからなかった、観賞後、映画レビューに書かれているストーリーの解説を読んで、そうなのか、と理解できたところはあるが、このブログでは鑑賞直後の状況で書いてある。

主人公のエイダは結局、映画の中では1回も話をしないめずらしい役だ、しかし、演技で観客を唸らせなければいけないのは大変だろう、つい最近、「ルサルカ」というオペラを観たが、これも主人公のルサルカが途中からしゃべれなくなる設定だ、歌手なのに歌なしで演技するというのは映画と同様大変なことだが、立て続けにそのようなケースにぶつかった偶然に驚いた

 

 


映画「FALLフォール」を観た

2024年04月10日 | 映画

AmazonPrimeで映画「FALLフォール」を観た。2022年、107分、イギリス・アメリカ合作、監督スコット・マン、原題:Fall。映画ポスターを見て気になっていた映画、レビューの評価が高いので見ようと思った。内容はサバイバルものだ。

山でのフリークライミング中に夫を落下事故で亡くしたベッキー(グレイス・キャロライン・カリー)は、1年が経った現在も悲しみから立ち直れずにいた。親友ハンター(バージニア・ガードナー)はそんな彼女を元気づけようと新たなクライミング計画を立て、現在は使用されていない超高層テレビ塔に登ることに。2人は老朽化して不安定になった梯子を登り、地上600メートルの頂上へ到達することに成功。しかし梯子が突然崩れ落ち、2人は鉄塔の先端に取り残されてしまい呆然とするが・・・・

観た感想を述べてみたい

  • あり得ない設定がいろいろあるが、素直に楽しめた
  • この映画を観る直前にNHKの「新プロジェクトX」第1回東京スカイツリーを観ており、600メートル以上の高さに対する恐怖や高いところでどんなことが起りうるのかイメージできていたので、あり得ない設定が多いと感じたが、それでもハラハラして、手に汗が出てきたのは監督の腕でしょう。
  • あり得ないと思う設定は、高さ600メートルのテレビ塔に昇れば途中から風速10メーター以上の風に吹かれると思うがそのリアル感が無い、テレビ塔に昇ったあとベッキーが下に転落しロープ1本でハンターと繋がり、そのロープでベッキーを引っ張り上げるが現実にはそんなことは不可能だろうし、太陽を遮るものが全くないところで3日間以上いれば熱中症や日焼けで絶えられないはず、また、夏でなければ夜は相当寒くなるはずだが、その辺は全て無視であった
  • 以前「インポッシブル」というサバイバル映画(2012年製作/114分/スペイン・アメリカ合作)を観てやはり面白いと思った。これはインドネシアに親子5人で来ていた家族がスマトラ沖地震による津波ではぐれ、海の上にひとり取り残された主人公の母親(ナオミ・ワッツ)を中心に家族の生き残りを描いた実話だが、こちらの方がまだ有り得るなと思えた(実話だから当然だが)
  • テレビ塔に昇ったあとで、どうやってサバイバルするか、携帯電波が届かないところでどうやって地上に連絡するか、食物がないのにどうやって体力を温存するのか、などについては、観ている途中から「どう展開させるのかな」と思っていたが、いろいろうまいアイディアで楽しめた
  • 最後にベッキーは救出されるのだが、これをどうやって行ったのかは映画には出てこなかった、それはそれで大変な作業だと思うが、そこまでやってほしかった

ハラハラして面白い映画でした、映画館で観た方が迫力満点で楽しめるでしょう、ただ、高所恐怖症の人は観ない方がよいでしょう


映画「ハドソン川の奇跡」を観た

2024年04月03日 | 映画

テレビで放送していた映画「ハドソン川の奇跡」を観た。2回目の鑑賞だ。2016年、96分、アメリカ、監督クリント・イーストウッド、原題Sully(Sullyというのは機長のニックネーム)。イーストウッド監督の映画は好きなものが多い、「マディソン郡の橋」、「グラン・トリノ」など何回か見直している。

2009年のアメリカ・ニューヨークで起こった航空機事故を、当事者であるチェズレイ・サレンバーガー機長の手記「機長、究極の決断 『ハドソン川』の奇跡」をもとに映画化したもの。

2009年1月15日、乗客乗員155人を乗せた航空機がマンハッタンの上空850メートルでバードアタックに遭い、コントロールを失う。機長のチェズレイ・“サリー”・サレンバーガー(トム・ハンクス)は管制塔から指示のあった近くのラガーディア空港かティーターボロ空港に緊急着陸しようとするが、とっさに無理と判断、ハドソン川に不時着させることに変更、見事に成功する。その後も真冬の川に浸水した機体から乗客の誘導を指揮し、全員が救出される。サリー機長は一躍、国民的英雄として称賛されるが、その判断が実は乗員、乗客の安全を脅かすものとして国家運輸安全委員会の厳しい追及が行われることになり・・・・

観た感想を述べてみよう

  • 実際に起った話だから着陸自体は本当に成功したのだろうが、ハドソン川に不時着を決断してから実際に実行するまでの時間はわずかで、ハドソン川を航行している船も多かっただろうに良くそれを避けて着陸できたものだ、本当に事故が起らなかったのは奇跡としか言い様がない
  • 事故は1月15日に起った、ニューヨークの冬は極寒だ、そこで冷たい川に落ちないまでも風が吹きすさぶ外にいきなりコートも着ないで放り出されて良く心臓麻痺とか急死する人がいなかったものだ
  • トム・ハンクス演ずる主人公の機長サリーが乗機前から公聴会の終了に至るまで、憂鬱そうな表情だったのがどうしてなのか気になった、もちろん当局からの訴追を心配し出してからは当然だが、終始一貫してアメリカ人らしい明るさが全然ないのだ、公聴会で機長の判断が適切だと決した後でもだ、これは史実に忠実なのかもしれないが、観た後のすっきり感がなかった、ただ、公聴会の最後に、「より良い代替策はあり得たか」と聞かれた副機長のジェフは、「不時着は7月にすべきだった」と冗談を言って笑わせたのはアメリカ人らしいユーモアで救われた
  • 公聴会ではコンピューターを使って他の空港に緊急着陸できたどうかのシミュレーションをして、最初は緊急着陸できた、という結論になり機長らは追い詰められるが、そのあとの機長の反論が素晴らしかった、この物語の一番のキモであろう、観ていて「なるほど」と思った

さて、この映画を久しぶりに見直してみて、すぐに思いつくのは今年1月2日に羽田空港滑走路上で起った日航機と海上保安庁機の衝突事故、その後の日航機からの乗員乗客379人全員の脱出劇だ。テレビで、衝突の瞬間や機体の火災を見て、ヘタしたら全員死亡の悪夢が頭によぎった人は多かっただろう。それが全員無事に脱出とのニュースに接したときの驚きと乗員乗客の冷静な行動に対する賞賛、これを誰か日本人映画監督が「羽田の奇跡」という映画にしてくれないか。ただ、海上保安庁の飛行機に乗っていた5名のかたが亡くなったことを考えると無理か。

「ハドソン川の奇跡」は24分、155人の脱出劇だったとテロップに出たが、「羽田の奇跡」は18分、379人の脱出であった。